春が来るのなら

作者:五月町

●次の春を、わたしに
 ひゅう、ひゅうと凍て風が荒ぶ音が、自分の喉でも鳴っていた。
 病院のベッドで過ごす日々に痩せた足は、雪道に簡単にとられては縺れる。転びそうになるのを気力で踏み留まって、少女は駆けた。
「……手術はこわいし……桜媛さまも、ちょっとこわい、けど。でも、たたり殺されたりは、しないよね。……そんな悪い子じゃないよね、わたし」
 自分に言い聞かせるように、奮い立たせるように呟きながら先を急ぐ。間もなく手術に挑む少女が心の支えとしたものは、ささやかな冬の伝承。
「桜媛さま……、お願い、です。わたしを助けてください。手術がうまくいくように、力をかしてください。わたしを元気にしてくださいっ」
 姿をみせて。あなたに会わせて。ふらふらと危うく山道を彷徨いながら呼ばい続ける掠れた声は、暗闇から突如現れたものに止められる。
「――私のモザイクは晴れないけれど、あなたの『興味』にとても興味があります」
 小さな胸に鍵を突き刺し微笑んだのは、パッチワークの魔女が一角、第五の魔女・アウゲイアス。
 崩れ落ちた少女の手から、点いたままの懐中電灯が転がり落ちる。そこに照らされた淡い姿を、少女が目にすることはなかった。
 仄かに紅を帯びた裳裾に絹のような長い黒髪を連れ、切り揃えた前髪の内に神秘的な眼差しを隠して。髪に差すのは、凍えもせず咲き誇る山桜の枝。
 かくあらんと少女の思い描いた姿をなぞり、ドリームイーターは現れる。──少女の願いを叶えもしない、妖しげな力を帯びて。

●サクラヒメ
「すまん、少々急ぎの案件だ。手が空いてる奴は集まってくれ」
 手早く人を募ったグアン・エケベリア(霜鱗のヘリオライダー・en0181)は、簡潔に事情を説明する。
 病院を抜け出して、冬山に向かった少女の『興味』がドリームイーターに奪われる。そうして姿を現したのは、昔話の住人のような美しい姫君らしい。
「その辺りに伝わる『桜媛』という伝承を模してるようだ。なんでも山桜の精で、その昔山中で命尽きたと思われた旅人が、現れた姫さんの姿を目にして命を救われた……逆にその山で悪さを働いた者は、祟り殺された。そんな話だ」
 ありがちな民間伝承ではあるが、病持つ少女には希望の光だったのかもしれない。しかし、今その姿をとって小山を闊歩するものは、少女の願いを叶えるものではあり得ない。
「急ぎ討伐を頼みたい。興味を奪われた嬢ちゃんも、そう長く病院を離れていい体じゃない筈なんだ」
 ドリームイーターの姿は、山道に倒れたままの少女の傍にはすでにない。迷うような道でもなく、少女の発見に手間取ることはないとはいえ、先に探すのは得策ではないだろうとヘリオライダーは告げた。
「捜索に手を割かないで、最初から揃って戦うのがベストってことだね」
 茅森・幹(紅玉・en0226)の神妙な顔に頷き、早口に情報を伝える。
「偽の姫さんの攻撃手段は二つだけだ。長い袖を刃に変えて武器ごと斬り砕くもの、敵を呑み込む花吹雪で動きを阻むもの。──情報は以上だ。宜しく頼む」
 敵を討伐すれば、いずれは少女も目を覚ます筈。そして彼女にとって最もいいやり方で、次の季節に至れる筈なのだ。
「私欲の為に夢を奪うような奴から、必死に生きようとしてる嬢ちゃんを助けようってんだ。──姫さんがいるんなら、ちゃんとどっかで見てるだろうさ」
「ご加護があるかどうかは、その先の話だね。助けだそう、必ず」
 俺も行く、と真顔の幹に、仲間達は頷いてヘリオンへ乗り込んだ。花咲き来たる筈の春を、冬に縫い止めようとする『偽物』を倒すために。


参加者
トレイシス・トレイズ(未明の徒・e00027)
繰空・千歳(すずあめ・e00639)
シド・ノート(墓掘・e11166)
輝島・華(夢見花・e11960)
一之瀬・瑛華(ガンスリンガーレディ・e12053)
小鞠・景(冱てる霄・e15332)
ジーグルーン・グナイゼナウ(遍歴の騎士・e16743)
巽・清士朗(町長・e22683)

■リプレイ


「桜媛か……確かに山神は女神だというな」
 名すらあるのか分からない小山の中を、巽・清士朗(町長・e22683)は仲間たちと共に急ぐ。
 子どもが死ぬのは嫌なものだ。とりわけ──、思い出されるひとりに小さく首を振り、心穏やかにと努める。息は弾めど、それが最速に至る全てと信じて。
 この辺りかと、やや開けた場所でシド・ノート(墓掘・e11166)が足を止めた。息を整えながら、輝島・華(夢見花・e11960)は闇に沈んだ冬木たちを見渡している。山桜の木々に、灯りのような淡い花の気配は無論、まだない。
「やはり桜を思わせる方でしょうか」
「土地とそこに住まう人々を守る、女神様みたいな感じですかね」
 一之瀬・瑛華(ガンスリンガーレディ・e12053)は穏やかに微笑んだ。倒れたひとを救った伝承が真なら、姿のみならず心までも美しい人なのだろう。
「可憐な感じかもしれないぞ。言い伝えられる程となれば、どんなにか……」
 ジーグルーン・グナイゼナウ(遍歴の騎士・e16743)も加わって、娘たちの煌らかな想像が広がる傍ら、
「山で悪さをしたら祟り殺されるって、うっかり煙草のポイ捨てもできないねー」
「それは祟られずともしてならないのでは」
 シドの軽口に生真面目に答えつつ、トレイシス・トレイズ(未明の徒・e00027)は辺りの気配を確かめる。
「この土地に住まう者の経験から生まれた教訓なのだろうな」
「少女にとっては心の支えなのですね」
 ささやかな伝承であれ、少女にとっては大切なものだったのだろう。さりげなく周囲を窺いながら囁く小鞠・景(冱てる霄・e15332)に、同じく医術を司る青年は頷いた。
「実在するというなら一目──」
 唐突に浮かび上がった、妖しの気配に口を噤む。
 淡く、裡から輝くような佇まい。けれどそれが妖しの者であることは、ケルベロスの眼には明白だ。
「噂をすれば、といったところでしょうか」
 景の魔力が山の気に溶ける。澄み渡る冬夜の気配と馴染ませたそれを掌に握り、白い懐へ突き込んだ。
「華さん」
「はい! まずは護りを──」
 敵の問いを待たずの開戦に、華は素早く杖を振り抜いた。描いた弧のかたちに立ち上がった光の壁が、前衛と敵とを隔てる。
「さぁ鈴、準備はいい? しっかり皆を守るわよ」
 酒瓶を象るエクトプラズムを手に突き進む元気なミミック。猛々しい一撃に続いて、繰空・千歳(すずあめ・e00639)は紙兵を仲間の前へ躍り込ませた。
「……残念、ですね」
 これほどに美しいかたちを取りながら『悪い人』であるとは、なんと悲しいことか。飛距離にも誤差を許さぬ瑛華の長距離弾が敵に突き刺さるうちに、
「魔女が使い魔、世の理に背く悲しき存在よ。──疾く祓いて進ぜ様」
 ぱん、と鳴る柏手に空気が澄んだ。浮かび上がった漆黒の髪にまで術の気配をたぎらせて、清士朗は力を高めていく。
『妾は──誰ぞ』
 妖しく響くその声に、シドははっと笑い溢した。
「そりゃあ、『桜媛』のパチモンでしょ。姿形だけ似せた中身のない粗悪品──おっと!」
 淑やかな微笑は、その答えに掻き消えた。白い袖は鋭い斬撃を結び、不満を露わに襲いかかる。けれど、男の笑みは傷口から溢れる鮮血にくすみはしなかった。眩いオウガ粒子が、仲間への加護のみならず、シド自身にも力を与えていく。
「逆上するのは、自身の存在が偽りであると認めているようなものではないか」
 冷静かつ苛烈なトレイシスの指摘に、女の殺気が膨れ上がった。神がかった禍々しさに慄くことなく、指先に紡ぐ殺気の針で相対する。
「貴様は桜媛ではない」
 鋭い宣告を重ねる仲間に、竜の姿をなぞる鎚から衝撃を撃ち出しながら、ジーグルーンは微かに目を伏せる。
(「真に桜媛であればよかったのかもしれんがな……」)
 少女はどんなにか心安らいだことだろう。そう思う程、見目だけを真似た姿に憤りは募る。
「幹さん、一緒に回復を!」
「了解っ」
 華の求めに招く光は虹の色。頼りにしているわよ、と背を押す声に、茅森・幹(紅玉・en0226)はありがと、と口許だけで笑った。──背を預けてくれるなら、できる全てで応えようと。
 ケルベロス達の連携を前に、桜媛を偽るドリームイーターはただ、薄暗く笑っていた。


 舞うように広げた袂から、花弁がどうと溢れ出す。殺意を孕む花吹雪がトレイシスを呑み込む──間際、割り込んだシドがその戒めを引き受けた。
「……っは、名誉の負傷ってね……今の、内に!」
「はい」
 仲間の引き受けた一手を無駄にすまいと、景は素早く桜媛の許へ駆ける。拒む腕を捌き、獰猛な魂を宿した拳を叩き込めば、視界の端に色鮮やかな弾幕が躍った。
「ゆっくり味わって構わないわよ?」
 左腕の機巧から弾き出される飴弾は、景が身を翻すのを知っていたかのように桜媛だけを追い駆けていく。
「華、ヒールをお願い」
「はい! シド兄様、今暫くご辛抱くださいね」
 広げた腕の間から奔る光の鎖が、軋む体から素早く異常を拭い去っていく。懸命に努める幼い姿に柔く微笑んで、瑛華は鎚起こす手に力を込めた。
「それでは──その歩み、挫きます」
 砲台と化した得物から、唸りを上げる砲弾が放たれる。少しでも早くこの戦いが終わるよう、狙撃手として担うのは足止めだ。
 力強く踏み込み、跳ぶように圧し迫る清士朗の切っ先が桜媛を捉える。稲妻を纏う先の一撃で斬り裂いた胴に、ふた度刃を押し沈めても、敵はまだ薄らと笑っていた。トレイシスは微かに森色の眸を顰める。
 あの美しい姿は少女の夢、望みの光であった筈。それすら利用する在り様に、眼差しは冷えた怒りを帯びた。
 草葉の護りに囲まれながら、蹴り出す足に炎が燃える。最短の軌跡を描く灼熱の蹴りに、桜から逃れたシドが雷撃を並べた。
「──爆ぜろ!」
 閃光が戦場を駆け抜ける。眩さから目も背けずに、ジーグルーンは心揺らす魅了の矢を番えた。
「惑う心など、もとよりないのだろうがな」
 胸貫く矢をさすがと讃え、幹は再び極光を喚ぶ。
「……あまり長引かせたくありませんね」
 言葉を映すかのように、景の手中に廻った槍は素早く敵の急所を貫いた。全身へ駆け抜ける電撃に目を細め、おっとりと瑛華が呟く。
「そうですね。悪い人には手早く、お仕置き、です」
 短剣捌きは手慣れた鮮やかなもの。淑女然とした瑛華の苛烈な言葉にくすり、千歳は頼もしく微笑んだ。
「そうね、あなたに時間をかけている暇は無いの。──切実な子どもの願いを踏みにじる、最低のお媛さま?」
 左腕の機巧に袂の刃を噛ませ、右腕で得物を振り下ろす。斬りつけた傷口に空の霊力がふわり、匂った。
 刻み殖やされた足止めの術が、桜媛の動きを止める。ぎこちなく掲げた袂から溢れる花弁が頼りなく風に溶けると、華は頼もしげに縁深い仲間たちに頷いた。
「素敵な伝承ですが、偽物はいらないです」
 さあ、よく狙って。掌に囁きかければ、そこに生まれた花弁が風に舞う。
「──逃がしませんの!」
 追い縋り切り裂く無数の花々は、桜媛に代わり命を繋ぐ、その為に。
 少しでも早く少女に至るべく、清士朗は素早く次の一手を選び取る。ちり、と空気を灼く紫電の一閃は、重たげな単衣から護りの力をまたひとひら斬り剥がした。
「花で喰らい、袖で斬り結ぶ……か。実に雅な術ではあるが……それは、少女の想いが生んだもの。貴様そのものの力ではない」
 トレイシスの覚悟が月の斧へと流れ込む。
 桜媛が真に在れば、祟り殺されるに値するだけのことをこの手はしてきたと思う。けれど──救われた経験に、自身も救い生きることを決めた。その意志は、山神にも恥じるものではない。
 眩く穿つ斧のひと振りが、白い単衣を命の色に染めた。青年の真摯な横顔に、その通りと声音も軽くシドが頷く。姫君の袖ならぬ白衣の裾をひらりと躍らせ、死角から掻き切るバールで護りを引き裂いて。
「その綺麗な『興味』、返してもらうまで絶対に逃さないよ」
 今週のマンガ雑誌くらいにしかない俺の興味と訳が違うんだからね──と、笑う視線がトレイシスを和らげて、
「あはは、それは俺も気になる!」
 つい笑い声を上げた幹も、束ねた矢を狙い射つ眼に揺れはなかった。
「全く、貴殿らは……」
 苦笑いしつつ、ジーグルーンも言葉と裏腹の真剣さを解している。
「見解は何方も同じようだな。この山で悪さをしているのは偽物、貴方だ。──祟りを受けるのだな」
 穿て、の一言で鎚が火を噴いた。花吹雪もろとも、塵のように吹き飛ばして。


 桜媛はゆらゆらと揺れていた。現れた時の凛然とした佇まいは既にない。
 それでも倒れる気配は未だ見せぬどころか、妖めいた威容は戦場を侵食していくよう。
「しぶとさは買いますが……これ以上は体に障ります。女の子のこれからを、邪魔はさせません」
 言葉を拳に握り込み、瑛華は棚引く裳裾に追い迫った。
 少女には、病院を出て元気になって欲しい。桜媛の伝承に頼る必要などないほど健やかに、晴れやかに──その一心で穿つ拳に鈍らされながら、桜媛はゆらりと身を翻した。
「清……士朗、兄様!」
 刃と化した袖が襲った人が、ここには居ない違う人に見えた。刻まれた傷にも呼び違えそうになった名にも、清士朗は大丈夫だと柔く笑ってみせる。けれど、
「我が同胞から贈られた刀よ。そうやすやす、刃毀れさせられると思うな?」
 封じにかかる敵の刃を押し返し、桜媛の隠れた瞳を覗き込む眼には、猛々しい笑みが浮かんでいた。
 陽炎のようにオーラが立ち上る刀の銘は『金尖華』。揺れる光はばちりと爆ぜる電撃と化し、柄まで埋め込むかのように深々と敵を刺し貫く。
 華は祈るように杖を握り締めた。今はいないあの人のように、無茶をして欲しくない──否、無茶にならないようにこの手で守るのだと。
「皆様は私が支えます。出来る事をやる。……それだけですの!」
 掲げた杖から放たれた雷撃は、攻撃の質を持たぬもの。腑活の力を清士朗へ届け、華は女騎士を振り仰いだ。
「ジーグルーン姉様!」
「ああ、心得た」
 焔を纏い駆け抜ける相棒、ライドキャリバーに、ジーグルーンが竜鎚で続く。貫く砲弾にぐらり、白い喉を見せた桜媛に、
「お綺麗な媛様の皮も、もうそろそろボロボロじゃないかい?」
 振り抜くバールと口撃を叩き込むシド。頷いたトレイシスは、虚ろに仰いだ空に在る。
「恐れに屈さず、幼い手が自ら掴もうとした希望だ。──偽物などに握り潰させはしない」
 決意を讃えるように、叩きつける焔の声が大きく盛る。ひいいいっ、と甲高い悲鳴を上げ、桜媛は怒りを露わにした。
「っ、危ない!」
 清士朗へ癒しの光を向けていた幹が叫ぶ。振り上げた袂から吹き出す花嵐はシドへと向かう──けれど、
「……っまだまだ、その程度じゃ通らないわよ?」
 身を挺して庇い切り、絡みつく桜を掻き分けながら不敵に笑う千歳。
「頼んだわよ、景!」
「心得ました」
 山の帯びる魔力が、変圧計のように景の身にみるみる馴染んでいく。モノトーンの纏いが俄かに色を帯びるさまはまるで、山に棲むという花精とひとつになったかのよう。──あたたかな、さくらいろの。
「偽りの伝承は終わらせましょう。召しませ──命は私達が、春に繋ぎます」
 身に過る暖かな『誰か』の気配を、景は柔く伏せた瞳で受け容れた。駆ける足、振るう腕で、偽の姫君の身に力宿る拳を沈める。
 抗うような、確かなその手応えが、不意にふつりと消えた。姿かたちも残らず、花一片も残さずに──まさに儚い夢のように。


「皆さん、あれを……!」
 桜媛の消えた一本道を進むこと暫し。点いたままの懐中電灯が転がる先に、小さな少女は身を丸めて倒れていた。
 白く微かに煙る呼吸にほっと胸を撫で下ろし、華は手早く少女を毛布で包み込んだ。そっと手に触れたジーグルーンも、弱くも確かな脈動に安堵の息を洩らす。さらに強く、温もりを分け与えるように手を握った。
「もう大丈夫だ、いくらでも持っていけ。頑丈なケルベロスの熱だ、きっと春まで保つだろうさ」
 そのまま祈るように持ち上げた手首に、トレイシスがそっと触れる。
「脈も──弱くはあるが正常だ」
「外傷は……倒れた時にできた擦り傷くらいのようですね」
「後は病院にお任せだね。この子に必要な処置も分かってるだろうし」
 景にシドも加わって、医術士たちの応急処置が行われる中、清士朗がそっと傍らに膝をついた。
「それは……そうか、桜か」
 ジーグルーンが目を瞠る。『千年桜』の枝先を借り、祓い清めるように少女の身をひと撫ですると、掌にひとひらの花色を握らせる。
 瞬いたトレイシスは、穏やかに眸を緩めた。
「……きっと、彼女の心の支えとなろう」
 心合わせて集う祈りは一瞬のこと。どうかどこかで見ていて──と、華は本物の『桜媛』に願わずにいられなかった。
「……どうかご加護がありますように」
 呟きを残して、行きましょうと仲間を促す。

「この子はさ。ひたすら春を待つ冬萌に似てるよね」
 他に、幼い子の不安を取り除く術はなかったのか。医術に志す者として、複雑な思いを抱えたままの景に、息を切らしながらシドが語りかける。
 どんなに大丈夫だと言われても、安心させるように微笑まれても、それは自分で変えられるものではないことが、
「不安で怖くて──じっとしてられなかったんだろうな」
 身の裡に、残された遠くない記憶に、その心細さを知っていた。伝承であれ記憶であれ、心の支えとなり得るものがある少女を、少しだけ羨ましく思いながら、
「……おまじないです」
 そっと触れたか細い腕に、小さなお守りを預ける。心なしか柔く綻んだ横顔に、シドはふと唇を緩めた。──おじさんも頑張らないとね、まずは煙草を減らすことからかな、そう緩く呟きながら。

「大丈夫。わたしだって今、こんなに元気なんですから」
 幼い頃は病院暮らしだった自分も、こうして今、艶やかな唇に息弾ませて夜道を駆けられる程に元気だから。抱き上げられた少女の傍らで、瑛華はずっと励まし続けた。
 健やかな普通の女の子になって、笑って生きて欲しい。
「ああ、大丈夫だ。きっと──また、桜を見ることができる」
 見えてきた病院の灯りをまっすぐ見つめ、ジーグルーンが頷く。
 後はもう、弾む息が桜のように淡く暖かく、夜道を染めるだけ。

作者:五月町 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年1月31日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 6/キャラが大事にされていた 2
 あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
 シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。