●暗中交叉
「お待たせ致しました」
夜の公園の片隅、まばらな街灯を避けるようにしてその紳士は現れた。
「お望みのもの、確かめて頂けますかな。ユリウス様」
影の中からまた一人──今度は青年が現れる。出で立ちはまるで外国の貴公子のよう。喉許を彩る花がやけに赤い。
差し出された紙を一瞥し、青年は微笑んだ。
「確かに。ご苦労だったね」
「ご満足頂けて何よりです」
「それにしても……螺旋忍軍が僕ら死神の使い走りに甘んじるとは、ね。何か企みでもあるのかな、アダムス男爵」
戯れ言に笑う青年に、アダムスと呼ばれた紳士はとんでもないと静やかに一礼した。
「敵の敵は味方と申しましょう? 貴方様に情報をお渡しすることが我が益にもなるのですよ」
「……ふふ、読めない男だね。まあどちらでもいいさ」
すれ違う影。青年の不穏な囁きを森が飲み込む。
「お望み通り、この手でケルベロスの屍を一つ増やしてさしあげよう」
その言葉が消える頃には、二人はそれぞれの闇の中へ姿を消していた。
都内のビル群を抜けた先、夜の緑地公園の中へ息を弾ませて駆け込んでいった少女は、名をレンカ・ブライトナー(黒き森のウェネーフィカ・e09465)と言った。
「ホントに劇場だ! こんなトコにあるなんて知らなかったぜ……!」
石組みで作られた簡素な野外劇場は、芝居を愛する少女を惹きつけるには充分だった。輝く大きな瞳が、近く開催される小さな演劇祭のチラシをなぞる。
だが、その報せが彼女の元へ渡ったこと自体、仕組まれたことだったのかもしれない。
ふと訪れた違和感に身を強張らせる。いつの間にか、周囲から人の気配が失せていた。そして――視線。
身構えて顔を上げる。先程までは誰もいなかった舞台の上に、微笑む人の顔。血が一瞬で沸き上がった。
「静かな夜だね、お嬢さん」
「Halt den Mund! てめぇ……ユリウスっ!」
気品漂う振舞いも姿かたちも、優しげな微笑も全ては仮面。その下の冷酷さを、レンカが忘れられる筈がない。
「出会ったからにはもう逃がさねぇ! お師さんの仇、ここで取ってやるっ!」
「仇? そんなことがあったかな」
煽られたレンカの瞳に強い怒りが重なる度に、死神は笑みを深める。
「いいね、その顔を僕にもっとよく見せてくれ。勝ち気な君が、どんな風に泣き叫び果てるのか──」
眼前に迫った微笑みが、歪みきった悪意を帯びる。
「──っ!」
「……想像するだけで心が躍るよ」
青年の掌で暗い髑髏がどろりと溶けたのを見た。次の瞬間、口内に滲み出す鉄の味。
紡がれた宵色の鎌首が、レンカの体を切り裂いていた。
●悪意との遭遇
「急ぎの案件だ。すまんが手短に説明させて貰うな」
グアン・エケベリア(ドラゴニアンのヘリオライダー・en0181)の口許から、いつもの笑みが消えていた。
「死神の襲撃が起こる。標的になってるのは、レンカ・ブライトナー。ケルベロスだ」
息を呑む同志たちを一瞥し、グアンは早口に告げる。
「相手はどうやら、彼女と因縁ある敵らしい。レンカにはさっきから連絡を取ろうとしちゃいるんだが、一向に繋がる気配がなくてな。一刻を争う状況だ、こっちから救援に向かった方が早いだろう。引き受けてくれるかい」
死神の名は、ユリウス・プリンツ。貴公子然とした優美な容をとりながら、その実は女性の──特にうら若く気丈な娘の悲鳴を引き出しては歓ぶ、悪意に満ちた存在だ。
両の手に暗く輝く髑髏めいたものから、吹き出しては流れ落ちる霧のようなもの。死神はそれを大鎌、幻を纏う黒刃、そして無数の剣の雨へと変化させることができる。
「都内の緑地公園の奥の、野外劇場で事は起こる。戦場としては不足なしだな。入口までは俺が送っていこう。奴さんの方で周辺の人払いをしてるようだから、辺りの人々に危害が及ぶ心配はなさそうだ」
そう告げて、ドラゴニアンはふん、と鼻を鳴らす。
「一人なら取るに足らんと思っているのか分からんが、あんた方の連携はそんなもんじゃないさ。ケルベロスを襲撃しても無駄だと、奴さんに思い知らせてやってくれ。大丈夫、あんた方なら全て遂げて戻れる筈だ」
無論、レンカも共に。噛み締めるようにそう言い添えて、グアンは漸く笑みらしきものを口許に浮かべたのだった。
参加者 | |
---|---|
クロノ・アルザスター(彩雲に煌く霧の剣閃・e00110) |
マニフィカト・マクロー(ヒータヘーブ・e00820) |
ルーノ・シエラ(月下の独奏会・e02260) |
フラウ・シュタッヘル(未完・e02567) |
武田・克己(雷凰・e02613) |
奏真・一十(あくがれ百景・e03433) |
レンカ・ブライトナー(黒き森のウェネーフィカ・e09465) |
ヴェルトゥ・エマイユ(星綴・e21569) |
●
敵の繰り出してきた衝撃的な一手に、公園へ駆け込んでいくヴェルトゥ・エマイユ(星綴・e21569)の瞳には危機感が滲んでいた。
(「個々のケルベロスへの襲撃。一つ一つ潰していくなんて……これじゃまるで」)
ケルベロスの取ってきた手立てそのもの。通用すると敵が認識すれば、今後、どんな事態を招くか分からない。
微かに強張った表情が、
「やだわ――。ケルベロス襲撃ですって!」
傍らを軽快に駆け抜けるクロノ・アルザスター(彩雲に煌く霧の剣閃・e00110)の声にふと和らぐ。
「危なくなったらいつでもおねーちゃんに助けを求めるのよ、ルーノちゃん!」
「……その必要があればね」
迎え入れるように伸ばされた手から逸らしたルーノ・シエラ(月下の独奏会・e02260)の視線の先に、園内案内図が飛び込んでくる。
「! 見て、あれ」
通り過ぎる一瞬、フラウ・シュタッヘル(未完・e02567)とマニフィカト・マクロー(ヒータヘーブ・e00820)が野外劇場へのルートを確認する。
「正面の道が最短ルートですね」
「此方は回り込み背面を突こう。君達は……」
「ああ、心得ている! 正面から敵の注意を惹くとしよう」
請け合う奏真・一十(あくがれ百景・e03433)の笑みが頼もしい。自身の行き先を確かめたヴェルトゥは、戦場で耐え続けている仲間を思った。
「無事ではあるだろうが……」
大丈夫だと、一十がヴェルトゥの肩を叩く。
「レンカくんはきっと無事。……僕らが急げば充分!」
戦う彼女を知る人の微笑みに頷いて、青年は自分を見上げる相棒を促した。
「モリオン、皆と一緒に」
微かながらも頼もしいひと鳴きを合図に、彼らは道を分かつ。武田・克己(雷凰・e02613)の険呑な笑みが街灯に浮かび上がった。
「ケルベロスに喧嘩売ってきた事、後悔して退場して貰おうぜ」
弾む息と共にスピードも上がる。一刻も早く、仲間の許へ。
石組みの劇場の上、敵は踊るように近付いた。
避け切れない大鎌が脇腹に刺さり、穏やかな微笑みが目前に迫る。けれど切り裂く痛みは、レンカ・ブライトナー(黒き森のウェネーフィカ・e09465)の胸に走る痛みとは比べものにならなかった。
(「なぁ、いつも言ってたよな……過去のことより未来を見ろって」)
歯を食いしばり放った影が、宿敵・ユリウスにぶつかった。それでも彼の顔には余裕が見え、一方の自分は回復に転じるべきと分かってはいる。だが、
(「そう生きてきた。でもさ、お師――目の前にいるんだよ。奴が」)
忘れられぬ因縁と怒りが、目の前を暗くする。
「クソ野郎が……!」
血の味を噛み締め立ち上がろうとしたその時、
「……全速でぶつけるのみ!!」
突如頭上で閃いた雷光が、目の前を染め抜いた。
一閃がレンカとユリウスの間を切り裂く。湧いて出た助けに目を瞠るレンカをよそに、
「これはこれは……」
間一髪で躱した敵の感嘆に眼を輝かせ、克己は嬉々と腕を振う。敵は無論のこと、仲間の策にすら捉われずに。
「お楽しみの邪魔しちまったな。まぁ、大目に見てくれや」
続く言葉を待たず、襲い掛かる影は鉄の大剣。重い一撃を叩きつけた横顔に覚えがあった。
「アンタは……」
「よく耐えたな、レンカくん。もう大丈夫!」
「無事ね、ブライトナーさん?」
一十に続き、庇い立ったルーノに頷くと、仲間の無事を認めた娘は乱れた呼吸を抑えつけ、息を吸った。
「それじゃ……正義の味方、始めましょうか」
透き通った歌声が夜に沁み渡っていく。
諦めないと謳う歌に敵は眉を顰めたが、レンカの心に兆した影は、その旋律と仲間の助けに薄らいでいく。
夜影の中に主の姿を探しつつも、箱竜モリオンは役割を懸命に果たした。レンカを抱く黒い翼から力を注ぎ、痛みを和らげる。
「察しの良いお仲間だね。でも、命拾いしたと思わない方がいい」
ユリウスは微笑み、優雅に一礼した。途端、喝采の如く巻き起こる嵐。幻惑の花弁に切り刻まれ、仲間たちの血が風に舞う。
「あらら、決めつけるのはちょっと早いんじゃないの?」
突如響いた声に振り向いた死神の体が内から爆ぜた。瞠った目に、笑いかけるクロノが映る。
「品のない芝居は終わりだ、下衆め」
また一つ影が差す。力強く跳んだマニフィカトは、月光を放つ斧に勢いを乗せ頭上へ叩きつけた。優美な振舞いに包まれた悪意の塊を暴き出そうとするように。
後方へ退がるレンカを翻る外套で隠したヴェルトゥが、その内から抜き出した銃口を迷いなく敵に向ける。早撃ちの銃声に紛れるように、
「ヘッ……ダッセェとこ見られちまったぜ」
気恥かしげに密やかに唇を歪めた少女を、フラウは差し出す手で導く。
「そんなことはありません。さあ、レンカ様」
施した淡い光が傷口を縫い、みるみるうちに消してゆく。
「思惑の阻止が最優先事項です。――けれど」
整った機械のかんばせが、強く優しく綻んだ。
「レンカ様が望まれるのならば、敵の殲滅まで確り行いましょう」
「……、ああ! 巻き込んじまって悪いが……頼むぜ、皆!」
レンカは叫んだ。猛り咆える声が体に残った力を自ら押し上げ、昂らせていく。
●
月下の舞台を騒がすのは、芝居ではなく本気の仕合い。
「おいおい、そっち見てる余裕、あるのか? 俺が目の前にいるんだぜ」
月光の刃が闇を斬り捨てた。喉元を彩る花は克己の一閃で散らされ、反撃に浮かべた黒刃の群れは、狙いの後衛へ向かう途中で護り手たちが引き受ける。
失礼をしたと笑うユリウスの眼差しは、それでも一点を追っていた。
「だが、苦渋に満ちた声を聞くのなら――気丈な女性のそれこそ甘美だろう?」
「それは世辞にも趣味が良いとは言えぬな。なあ、サキミ?」
緩い笑みに理解し得ない苦みを滲ませ、一十は槍から紫電を奔らせた。翳りなき白銀の槍が描く軌跡は、一筋の光条。愛想なしの箱竜は同意は見せず、代わりに異常を打ち払う力を主へ返す。
「その下卑た性癖は、死なねば治るまい」
それ以上の披歴には及ばないと言外に、刃と化したマニフィカトの脚が襲い掛かる。
「せめて死ぬ迄は、もう少しマシな見世物を願いたいものだ」
斬り飛ばされたユリウスにクロノの拳が迫った。ぶつかる寸前ばちりと爆ぜた稲妻は、
「ほら、あんたの相手は私だっつの、こっち向きなさいって」
深々と突き刺さり、輝く鎖で絡め取るかのように全身へ雷撃を広げていく。
蕩けるような笑みが死神の唇に上った。
「君に悲鳴を上げさせるのも愉しそうだ」
「誰見て言ってんのよ。そんなにレンカちゃんがいいとか……子供か」
反れぬままの眼差しにじとりと目を細めれば、
「女の子を好んで狙うヘンタイなんて、最悪だわ……」
ますます冷える表情に反し、ルーノの歌声が熱を増す。
「こういう手合いは、完璧に叩き潰してやらないと迷惑よね!」
声の魔力が鈍らせた死神の足許に、地を走る鎖が素早く絡みつき、這い上っていく。術者、ヴェルトゥは冷えた瞳で敵を見据えた。
「少し、じっとしていてもらおうか」
蔓めく鎖に、結ぶ花は星色の桔梗。咲いた魔力は鎖へ注がれ、束縛を強めた花は儚く闇へ還っていく。
静やかなが魔法が敵を縫い止める間に、フラウは杖を掲げ、箱竜サキミも倣うように翼を広げる。片手に集う影で敵を狙い撃ったレンカは、もう一方で向けられようとする癒しを制止した。
「オレはもう十分傷だらけだかんな、今更傷が一つ二つ増えよーが……」
「いいえ、レンカ様」
柔らかに首を振るフラウ。戦線を支える意志を秘めた強い微笑は揺らがない。
「貴女の傷も皆様の傷も、です。癒す手立ては十分に備えています──誰一人果てることなどありません」
サキミの力がレンカに溶けるのを確認し、視線と杖を翻す。手向ける癒しの慈雨は、最前線を支える者たちにとって異常に抗う心強い盾だ。
一方で──怒りを強いられ、動きを縛られ。自ら解く術を持たない死神の眼は、いつしか侭ならなさに険を帯びる。
「僕を仇だと言いながら、仲間の陰に隠れんぼかい? 内気なお姫様だ」
「はっ、口の止まらねえ野郎だな!」
空の霊力を宿し、流し斬る一閃で克巳が遮る。そこへ迫る焔弾は、業火の中に喰らった力を術者である一十に還した。
「だが、陳腐な挑発だ」
大海を思わす深い蒼の瞳が輝いた。マニフィカトの体内から響く、空気を震わす音の群れ。魔力を纏う百もの雀蜂たちが、一斉に襲い掛かる。
「安い文言しか紡げぬ思考が証しているのだよ。如何にデウスエクスが強力な存在であろうとも、精神的には我ら一人にも及ばぬと」
そうだろうと向けた視線にレンカが頷く。
「好きにほざいてろ。──誰の力を借りてでも、オレはテメェを倒す!」
差し伸べてくれる手と、心までも繋げられること。それが敵と自分たちとの違いであり、強みでもある。
狙い澄ました銃口が眩く闇を貫く光を放つと、射抜かれた死神は舌を打った。ユリウスが振るう黒霧の鎌は、狙ったクロノの体力を殺ぎ取ることなく躱される。
「よーしよし、やっとこっち見たわね! さあ、あんたの目には何が映るかしら?」
翳したナイフに映ったものが、死神の顔色を変える。クロノには知る由もない『何か』に抗うユリウスへ、ヴェルトゥは影色の鎖を解き放った。畏怖を嗅ぎ付け縦横無尽に伸びる鎖は、猟犬のように敵を追い込んでいく。
「厄介事の芽は、ここで摘ませて貰うよ。レンカの為にも、俺達ケルベロスの為にも」
それは、彼らにとっては常のこと。
底光りする銀の瞳に見つめられ、鎖の先が僅かに余裕を失くした死神を締め上げる。
●
重ね重ねた異常に縛られながらも、血色の花弁は風に鉄の匂いを滲ませ、幾度となくケルベロスたちを切り裂いた。
「この力、錆び付かせておく理由はありません」
仲間にとって、悪縁を断ち切る為の助けになるならば。心持つ機械の体は健気に一心に力を捧げる。その思い故か、力を増したフラウの薬液の雨は、人柄に似た暖かさで仲間たちをしとどに濡らし、痛みを洗い流していく。
小柄な身を敵の懐に躍らせて、ルーノが大鎌を振るう。軽い足取りが反動で振り抜く刃を生かし、速く、重く凪ぎ斬る一撃に、死神は喉を震わせた。
「……ッ、屍一つでは済まさないよ」
掌に溢れる霧が、ルーノの得物をなぞるように大鎌を形作った。黒く澱んだ刃は強い悪意と力を灯し、待ち構える青年へ深々と突き刺さる。
「克己!」
「は……っ、いいねえ、やるじゃねえか!」
猛々しい笑みで仲間の心配を振り切り、克己は咆えた。敵の一撃に強さを感じる程、血は滾り戦意は昂るもの。
「そんなに飛びたいなら、飛ばしてやろう――『破邪剣聖・一天』!」
踏み込みは一瞬。両手に構え直した直刀は、次の瞬間には敵の頭上にある。光の如く振り下ろした一閃は、目を見開いた敵を薙ぎ斬った。
「クッ……!」
「演者は自ら幕を引くものだ。それが出来ぬなら、僕達が力になるとしよう」
帯電する槍が、一十の涼しげな笑みを照らし出した。空気を貫く白い光が敵を穿つのには構わず、箱竜サキミは克己の傷を癒していく。目に見えずとも、一つの目的を果たそうとする心は繋がっていた。
「君も頼むよ。最後まで繋ごう」
戦列も意志も崩させはしない。言葉少なに預けたヴェルトゥの思いを受け止め、箱竜モリオンは癒しを重ねた。主の冴えた眼差しが狙い定めた通り、撃ち出した銃弾は外れることなく死神へ吸いこまれていく。
「ほらほら、こっちよー?」
戦場を休みなく駆けるクロノの影を、死神は忙しく追いかける。しかし、懐に流れ込む力をひとたび許せば、突如内から爆ぜる一撃から逃れることなどできはしない。
レンカの放った黒い影がユリウスを捉えた。影に侵され、塗り潰される視界の端に神々しく輝くものは、肉薄するマニフィカトの斧に刻まれた文字。
強い呪力を放つ一撃が振り下ろされた。光を描く杖先で克己への癒術を紡ぎながら、フラウは静かな厳しさで死神へ語りかける。
「予定通りになると思われては困ります。ここは戦場であり、劇場ではないのですから」
「そう、デウスエクスの思い通りになんてならないわ。他の誰かがピンチになっても、その度に私たちは助けに行くもの」
知らぬ人であろうと、仲間であろうと変わりなく。それが侵略者、デウスエクスと自分たちとの違いだ。目端に過ったクロノの笑みに力を貰い、ルーノは戦いへの恐れを掌に握り込み、声を上げる。
諦めない――もう一度流れ出す歌声が、思いが、死神を追い詰める。
「……ッ、そんな甘いことで僕を殺せると……!」
髑髏が吐き出す霧を空へ散らし、余裕なく上摺る声でユリウスは呪いを叫んだ。死相を帯びた凄絶な微笑みが、ケルベロスたちを射る。
「泣き叫べ、そして……死へ向かえ!」
夜空に浮かぶ無数の黒い水晶が、一斉に襲い掛かった。だが、貫かれ穿たれながらも崩れ落ちる者はない。
「さあ、誂え向きの大舞台である! 偉大なる魔女の本領、見せてやれ!」
槍を収めた一十の声に導かれるように、最後の一撃はレンカの手へ。交差する掌の中に燃え立つ焔が、具現化した鉄の靴を裡に抱き、赤々と焼き染める。
「……『貴方の為に、とっておきの靴を用意したのよ。さあ、素敵なダンスを見せて頂戴』……!」
敵に利用された『芝居』が、敵の息の根を止める。純白の姫君の如く微笑みかけた瞬間、何時の間にかユリウスの足許を彩った赤は、見る間に敵の全身を焔の中に呑み込んだ。
この終わりは、自分だけの手で果たされるものではない。仲間たちの思いに感謝し、レンカは宣告する。
「これがテメェが殺してきた人たちと……お師と、同じ末路だ。Auf Wiedersehen──さようなら、ユリウス・プリンツ!」
悲鳴が尽きる。焔が消える。
宿敵の仕立て上げた舞台の幕が引き下ろされる。華やかなカーテンコールのひとつもないままに。
「怪我は大丈夫? 隠してないわね?」
「へ、平気だってば……」
一戦の後、纏わりつくクロノを拒む元気はルーノには残されていなかった。案外、嫌がっている訳でもないのかもしれない。
「……終わったね、無事に」
相棒を労わるように撫でたヴェルトゥは、ぽたりと地に落ちた小さな丸い影に息を呑んだ。石組みに吸い取られた雫は、傍らの少女のもの。
「我慢なさらないで下さい、レンカ様」
ハンカチを差し出すフラウの控えめな笑みも、
「存分に泣くといい。君の涙を喜ぶ者はもう居ない」
向けられたマニフィカトの大きな背も、
「うむ、仇討ちは果たしたのだからな。見事だった」
肩を叩く一十のやけに明るい声も──仲間たちの優しさがレンカの胸に沁み込んでいく。
大切な人は還らない。喪った痛みが消えることはない。けれど、あれほどに憎んだ相手は、もうこの世にはいないのだ。
「──っ……わああぁぁっ!」
尽きるまで溢れ続ける慟哭に、思いの総てが溶け流れていった。
作者:五月町 |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2016年6月16日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 3/感動した 0/素敵だった 4/キャラが大事にされていた 1
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