破戒の猛火

作者:五月町


 夏の光にぎらりと輝くビルの森。燦々と照りつける陽射しは弱まる気配などまるでなく、谷間を行く人々が恨めしげに空を見上げる、いつもの夏の風景が広がっている。
 街路樹にとまった蝉の合唱を、突然轟音が掻き消した。
 ビルのひとつが、唐突に崩壊した。瓦礫が降り砂煙が舞い、悲鳴を上げて逃げ惑う人々の傍らに、落下する建物の残骸よりももっと重い衝撃が踏み入る。恐る恐る見上げた空を覆うのは、
「ど……ドラゴン!?」
 獰猛な眼はぎらりと危うい光を宿し、体表は今にも発火しそうな鮮やかな紅。大きな影を落とす翼をもどかしげに空に伸ばすも、宙に舞い上がる気配はない。
 身を捩り前に踏み出す、ただそれだけで、ドラゴンは進路を塞ぐビル一つ、ぶち当たる尾で薙ぎ払った。艶やかな鉤爪を振り下ろせば、コンクリートの建造物すら容易く砕け散る。
「……グオオオオオォォ!」
 猛夏の熱より熱い息が、ビルの森に火をつけた。
 破壊の限りを尽くしながら、ドラゴンは突き進む。
 こんなものでは足りない。人の持つ力を求め、全てを薙ぎ払っていく様は、奪うものの無慈悲そのものだった。


「はいっ、今日はねむがご説明しまーす! みんな、しっかり聞いててくださいねっ」
 集ったケルベロスたちの前で、ヘリオライダーの少女は元気よく手を上げた。
 笹島・ねむ。髪飾りのようにちょこんと頭の上に生やした黒い耳が示すとおり、パンダのウェアライダーだ。
「とある街に大きなドラゴンが現れて、街じゅうめちゃくちゃにしちゃうことが分かったんです! みんなの力で止めてくれませんか?」
 ケルベロスならそれができる。大きな瞳を信頼でいっぱいにして、ねむはふわふわの髪を揺らして頼み込んだ。
「このドラゴン、昔の大戦の終わり頃にオラトリオのみんなが封印した中の一頭みたいです。復活したばかりでグラビティ・チェインの力が足りないせいで、空が飛べなくて、ちょっといらいらしてるみたいに見えました。……そう、このドラゴンの目的は、街でたくさんの人を殺してグラビティ・チェインを補給すること! これしかないですよね」
 そして力を手に入れれば、翼で空を飛び、どこかへ逃げ去ってしまうだろう。そうなる前に、絶対に止めなくてはならない。
 幸い、ヘリオライダーの予知によって未然に知ることができた情報だ。今から手を打ち、ケルベロスたちかま力を発揮すれば、被害を食い止めることができるだろう。
「ドラゴンは町を壊しながら、ふだん人がたくさんいる街の中心の方に向かっていくはずです。大きさは10メートルくらいで、絵本に出てくるドラゴンみたいな、誰でも思い浮かべそうな姿です。鋭い爪と太いしっぽで攻撃してくるので、気をつけてくださいね」
 目一杯背伸びをして手を広げ、こーんなですよ、と強調してみせる。
「それに、このドラゴンは炎も吐くんです! 目を覚ましたばかりでまだ全力は出せないはずですが、それでも油断できない、強い強ーい敵なのです」
 なにしろビルを一撃で壊してしまうほどだ。戦うとなれば一筋縄ではいかないだろう。街もおそらく無傷では済まない。
「あっ、建物は大丈夫ですよ! もし壊れてしまっても、皆さんのヒールでちゃんと直せますから心配いりません。でも、人はそういうわけにはいかないから、街の人たちにはねむから避難勧告を出して、安全なところに隠れててもらいますね。みんなは戦いに専念してください!」
 頑張って、と励ますねむ。地球人の螺旋忍者、村雨・ビアンカは、青い目を輝かせている。
「ワタシたち、とても小さいデス。大きさでは悪いドラゴンに敵いマセンが、力を合わせて挑めば、きっと倒せる筈デス! さあ皆さん、いざ尋常に、勝負デース!!」
 眠りから覚めたドラゴン。異変の始まりに、ケルベロスたちは果敢に立ち向かってゆく。


参加者
ゼレフ・スティガル(雲・e00179)
レリア・フォーネリー(夜露草・e00527)
カロン・カロン(フォーリング・e00628)
ネロ・ダハーカ(柩の底の・e00662)
サフィ・サルトゥス(フォルトゥナの探求者・e01249)
フラウ・シュタッヘル(未完・e02567)
浅凪・菜月(ほのかな光を描く風の花・e02838)
ロカ・ラディウス(フェレアウリス・e05069)

■リプレイ

●邂逅
 屋上へ降り立ったケルベロスたちを、響き渡る轟音が包み込む。震動の源を揃って辿った視線は、目の前で崩れ去るビル、そしてそれを蹂躙する巨竜の姿をしかと捉えた。
「おお、こりゃ壮観」
「にゃあん。でっかい仔ね、狩り甲斐があるってものだわ」
 頭から尾の先までたっぷりと眺め渡し、素直に感心するゼレフ・スティガル(雲・e00179)とカロン・カロン(フォーリング・e00628)。敵意も露わなドラゴンの眼球がきろ、と自分たちを捉えても、彼らの涼しい眼差しは冷静に周囲の状況を確かめていた。
 避難先が何処かまでは聞かされていないが、この巨体が多少むずかったところで影響のない場所なのだろう。
「……せめて被害者さんを出さないようにしなきゃ」
 眼前の敵を殺すことは避けられないのだから。柔らかな心に痛むものを覚えながら、浅凪・菜月(ほのかな光を描く風の花・e02838)は両手のカードを扇のように広げ構えた。守るべき人々から、少しでも敵の視界を遮ろうとするように。そして、
「腹が減っているのだろう? 存分に喰い合おうじゃないか」
 ロカ・ラディウス(フェレアウリス・e05069)の挑発に引かれたか、ずしん──と踏み出す竜。凶悪な牙が並ぶ口がかっと開かれた瞬間、ケルベロス達の視界が炎の吐息で埋まる。しかし、前に立つ四人は身を灼く炎を突き抜けると、武器を宙に振り翳した。
 ガントレットで固められたロカの指先が、敵の脳天に流れる気脈を正確に断つ。まずは一撃、息をついたロカの背に淡い虹色が咲いた。Alas del arco iris──菜月のグラビティは、虹色の翼とともに与えられる異常に耐え得る術をロカに施す。
 屋上から見つめていたフラウ・シュタッヘル(未完・e02567)は微笑みを張り付かせたまま、穏やかな声で宣告する。
「照準、合いました。攻撃します」
 屋上から虚空へ、滑らかに駆け出すローラーブレードが炎を吹く。履いた熱を巨大な的に叩き込むフラウに、鉄塊剣を振り上げたゼレフが続く。竜の肌を掠めた切っ先を素早く引き取り、飛び込んでくる仲間へちらと目線を切った。
「いきなりお熱い歓迎ねえ」
 声にも眼差しにも戦意を滲ませて、カロンはすらりと伸びた脚を竜の頭上に翻す。刃のように鋭い蹴りは急所を反れ、それでもカロンはにいと笑う。──そうこなくちゃ。
 古代語の詠唱が戦場に流れた。レリア・フォーネリー(夜露草・e00527)の魔道書から放たれた閃光は、貫いたそこから竜の動きを軋ませていく。
「自由にはさせませんよ。村雨さん、あなたも」
「承知しマシタ!」
 村雨・ビアンカ(地球人の螺旋忍者・en0020)が投げ放った螺旋手裏剣が雨のように降り注ぐ。しかし、それらは空しく竜の鼻先を掠めて行き過ぎていく。
「むっ、こ、こんなハズでは……!」
「まだまだ、これからですっ! お願いしますアウラ、頼りにしてますよ!」
 耐性付与を使命に負って、翼猫がゼレフの元へ翔けていく。見届けたサフィ・サルトゥス(フォルトゥナの探求者・e01249)は、御霊を籠めた腕から時を凍らせる弾丸を撃ち放った。
 煩がるように攻撃をかわす竜の威容に一層笑みを深め、ネロ・ダハーカ(柩の底の・e00662)は掌を突き出した。小さな身と知恵を寄せ合い、巨悪を倒す。まるで英雄譚のようではないか。
「悪しき竜よ。このネロの名を冥土の土産に持って行き給えよ」
 紡がれた魔法は竜のかたちをとり、似て異なる姿をしたものの喉笛に喰らいついた。
 ビルを支えに身を立て直す竜の足元を、突如噴き出す溶岩が溶かす。ロカの決意を源とする強熱だ。辛くも逃れたその場所に、流星の重力を宿したフラウがすかさず飛び込んでいく。靡く翡翠色の髪が星のように尾を引いた。
「七色に煌めく翼よ……お願い、癒しと加護を……!」
 菜月の声に、光の翼はカロンの背に宿った。ありがと、と目線を返すカロンの足元を、唐突に衝撃が打ち砕く。
 目の前を鞭のように駆け抜けたのは、鮮紅の尾だった。前に立つ者たちは瓦礫ごと吹き飛ばされ、建物に叩きつけられる。しかし、その程度で怯む訳もない。
「にゃあん、街を壊すなんて悪い仔ね」
 朱の滲んだ唇をぺろりと舐め、カロンは崩れかけた建物を足場に、獣のように跳躍した。風に揺れる金色はカラカルのそれ。
「──ニートの本気、見るがいいわ」
 掴みかかる腕が、竜の巨体から魂を喰らい尽くそうとする。がらりと大きな瓦礫を除け、起き上がったゼレフも軽く血を吐くなり地を蹴った。
「……いいね、ノッてきた」
 背後でビルが崩れようとも気に留めない。炎を纏った大剣で圧し斬れば、猛火の竜は忌々しげな雄叫びを上げる。
 ネロの身体に纏いつく影、ブラックスライムが、禍々しい槍へと変じ空間を貫いた。切っ先は僅かに反れる、けれど次ぐ攻撃は敵に休む暇を与えはしない。
「踊りなさい、氷河期の精霊たち──!」
 魔道書の上でゆびさきを踊らせるレリア。迸った吹雪は竜を包み込み、熱ごと凍り付かせようとする。舞う雪とともに勇敢に爪を見舞うアウラの姿に、サフィの気合いも高まるばかりだ。
「仲間が昔に封印したドラゴン……今度はわたしたちの手で倒します!」
 街も人も、この仲間で守り抜く。旧きオラトリオたちへの敬意と誇りを胸に、サフィはビルからビルへと跳んだ。完全な包囲は成らなくとも、通すまいとする心が少女を勇敢にする。
 御霊を奉る両の手を飛び込んだ竜の懐に叩きつけた瞬間、何かが爆ぜたような感覚があった。
「やったっ」
「すごいデス! わ、ワタシも次こそは……!」
 手裏剣を構えるビアンカの傍らを、
「どれ、一丁初陣に手ェ貸すとするか」
「援護します、頑張って……!」
 白き光線が一直線に駆け抜け、銃声が続けざまにそれを追った。三芳・彰彦と左右都・紫、二人の声に励まされ、ビアンカは螺旋の力を解く。降り注ぐ氷結の螺旋は鋭く竜を切り裂いた。
 竜の眼差しが燃え上がる。苛立ちと怒りに満ちたその眼つきは、さらに険しくなりゆく攻撃をケルベロスたちに予期させた。

●英雄譚の結末は
「みんな! ロカさんっ──!」
 菜月の悲鳴がビルの森に谺する。
 燃え滾る灼熱のブレスが狙ったのは、前に立つ者たちではなく、後方で攪乱するサフィたちだった。自分を庇ったロカに、菜月は悲痛な声を上げる。
「大丈夫!?」
「大した傷じゃない。ロカも、踏ん張る。菜月も……踏ん張ろう」
 幼い声に強い意志を乗せ、ロカは妖精弓をきりりと引いた。
 強くなりたいと思う。安心できる場所があるなら、そこに帰るのが一番の幸せだから──街の人々も、自分も仲間も、皆の帰る場所を守りたい。
(「その為に、盾として在るんだ」)
 放たれた矢が的を追う。痛みに吼えた竜の頭上に、炎を履いたフラウが踵を振り落とす。
「初めてのお仕事です。確り完遂して帰還しましょう、皆で」
 機械的な微笑みが少し和らいだようだった。戦い続ける仲間の声に、菜月も力強く肯き返す。
「うん──そう、だよね。私も頑張る……!」
 ロカへ駆け寄り、魔術切開を施す手に迷いはない。その間にも、仲間たちは次々と竜の身体へ飛び移っていく。 
 竜の腕を駆け抜けるゼレフが長剣を引き抜いた。抜いた、と思った時にはその一戟は終わっている。
「まだ戦らせてくれるんだ……斬り甲斐があるね」
 天穿と名付けたその技に、口笛吹いた娘へ男は目を向けた。来い、と告げる視線ににっと目を細め、カロンは崩れかけの一角を蹴って跳んだ。
 軽々と飛び乗ったのはゼレフの背。男のバネを足掛かりに、カロンは生き生きと、さらに高い宙を舞う。
「体が大きいって、どういう事かわかる? ──殴りやすいって事よ!」
 拳の代わりに振り下ろした脚が、竜の脳天を揺らす。ぱちんと手を打ち、ネロは笑った。
「お見事、お見事! ならば遅れは取られまい──さて、ネロも英雄になれるだろうかね?」
 きららかに謳い上げ、掌を翳す。再び姿を現した幻術の竜は、熱度を増す炎でまことの竜を焼き尽くした。
「熱いのなら、冷まして差し上げますわ」
 レリアの氷精が暴れ、熱と冷気がぶつかり合う。続くサフィの氷弾が突き刺さると、鮮紅の腕はほの白く凍り付いた。
 冷え切った光線と幻影の竜が駆け抜ける。頼もしい援護を横目に、ビアンカは力強く手裏剣を空へ放つ。降り注ぐ刃の雨をかい潜って、フラウは流星の蹴りを竜の懐に叩きつけた。
「ああ──動けるとは素晴らしいことですね」
 機械の身から心に目覚めた実感に微笑む。目覚めた竜も同じように、空へ羽を伸ばそうとしただけなのだろうか。
「それでも、あなたの自由を許す訳にはいかないのです」
「そう──悪いがね」
 ロカの滾る決意が地表に溢れ出る。どろりと足を捉える溶岩に耐えかねて、竜は凶悪な爪を高く翳した。菜月やウイングキャットたちが一人ずつ掛けた守りの術は、今や仲間たちの多くに行き渡っている。忌々しいそれを切り裂き、破壊してしまいたい──しかし、身に纏わりつく数々の異常は、鋭い一撃を振り下ろすことを許さなかった。
「皆さん、好機です! 行きましょう……!」
 レリアの声に、ゼレフはいち早く飛び出した。振り上げた大剣はたちまち炎を帯び、荒削りな一撃を喉笛に見舞う。
「火加減はどう? 地獄の炎よりはまだ温いっすよ──多分」
 仲間の迷いのなさに、レリアは手の中の魔道書を抱き寄せる。
 ビルの森は、住み慣れた緑深い森とはまるで違っていた。対するデウスエクスの強大さにも、身は引き締まる。それでも頼もしい仲間がいるから、大丈夫だと思えた。
(「私も、皆の足を引っ張らぬよう──」)
 滑らかに紡がれる古き言葉が、石化の光を呼び覚ます。竜の身は貫かれた部位から強張り、多くの異常に絡め取られた竜はビル群へ倒れ込みそうになる。それを、
「……直るとはいえ、街を壊しちゃうのは心が痛むわあ。あなたもちょっと自重なさいな」
 ビルと竜との隙間にすかさず滑り込んだカロンが、降魔の力を宿した脚で真逆に蹴り飛ばす。その先に回り込んで待ち受けるのは、刃もかくやの力を宿したネロの脚──竜はがぱりと口を開け、襲い来る斬撃を鋭い牙で荒々しく受け止めた。
「ふふ、そうだろうとも! 良いな、悪しき者とはそうでなくては!」
 易くは倒れぬ有り様を、昂揚するネロの声が讃える。脚を畳み身を引き戻すと、仲間の歌声が柔らかに場を呑み込んだ。
「せめて最後に眠りの歌を──遠い遠い、虹の彼方へ!」
 溢れ煌めく花々の幻影が、熱っぽい世界を染め変える。虹の花唄を歌い上げるサフィのもとから虹色は敵の懐まで広がって、深い眠りへ包み込む。
(「──せめて、せめて安らかに」)
 敵であろうと、幸せな最期であるように。そう願わずにいられない少女の優しさが、色と音になりかわって竜を包み込む。
「かなり弱っているようデス! 皆さん、ココが勝負ドコロデスよ!」
 気合一閃、ビアンカの放った手裏剣が戦場に渦を描いた。低い唸りが竜の喉を震わせる。
 ──……グオオオォォ……ン!!
 喉から吐き出された炎が前衛を呑み込んだ。決して浅くはない傷も痛みも、菜月が展開した癒しの極光が穏やかに拭い去っていく。もう少し、あと少し──炎を逃れ、鋭い蹴りに熱を纏わせたフラウが微笑む。
「皆様、行ってくださいませ」
 ロカが放った追尾の矢を、打ち払う尾が相殺する。睥睨する目線の先に、無遠慮に飛び込むカロン。悪戯めかして目を細め、忍びきれない笑いを零した。
「ねえ、もう少し遊びたかったわあ。でももうお終いみたい、ね?」
 構い立てするなら最期まで。くるりと宙を舞った脚は、竜の眉間へ鋭い一閃を叩きつける。
 竜自らが放った炎の色は、すでに翳りを見せはじめていた。終わりゆくその色はゴーグルの右目の琥珀色を透かし、銀の瞳に映り込む。見据えたゼレフの意識が澄んでゆく。ひたすら静かな、戦いへの執着で。
 鉄塊の剣が竜の胸を破った。一瞬遅れた剣風が、その傷跡へ次々と突き刺さる。それでもなお立ち続ける威容に見上げたものと呟いて、ネロは笑みを深めた。
「さあ、往っておいで──我が力」
 傍らに招いた、善なる竜。顎をくすぐるように撫でてやれば、幻影の竜は大きく羽ばたき、敵には目指すこと叶わなかった空へと舞い上がった。
「眼前の万象を、君の炎で焼き尽くしておやり」
 苛烈な炎を身に帯びて、魔法の竜は主の言葉を真にするべく突き進む。
 天高く燃え上がる火炎。組み伏せられた竜は、めろめろと燃え盛る熱の中に朽ちていく。
 ──オオオォォ……──ン……。
 轟く咆哮が尽きたとき、戒めを破り捨ててこの地へ現れた猛火の竜は、ケルベロスたちの前に顎を落とし、鼓動を止めたのだった。

●帰り来る夏
 命尽きて消えた竜の為に、菜月は一粒の雫を零した。
(「ドラゴンさん……ごめんね……。助けてあげる方法がなかったの」)
 デウスエクス・ドラゴニア。翼持つ強き生き物は、これからもきっとケルベロスたちの前に敵として立ち塞がるのだろう。それでも菜月は、潰えた命に祈りを捧げずにはいられなかった。
「お仕事が遂行できてなによりです。皆様の傷が癒えましたら、街の修復に参りましょう。菜月様もご一緒に」
 こちらが本業、と惜しみないヒールグラビティで仲間を治癒しながら、フラウは励ますようにそう笑いかけた。

(「……最終手段、使わなくて済んだな」)
 ほっと安堵の溜息を零すのはロカ。彼女の誇る必殺のグラビティは、もう暫くは切り札として取っておけそうだ。
「心おきなく壊しちゃったっすね」
 でも結構楽しかった、と素直なゼレフに、カロンはさも愉快そうに同意を示す。
「元通り、にはならないところが面白いわあ」
 視線の先には、空へ編み上がるように美しく蔦の絡んだ、ちょっと不思議な建物へと生まれ変わったビルの一角。
「……私の育った森の植生に、どうしても似てしまって。でも、このくらいはご愛敬、ですわね」
 頬をほんのり赤らめたレリアは、困った風に微笑んだのだった。

「見回ってきたぞ。どこも巧く直せたようだな」
 人目の届かない死角まで癒しの力を向けていたネロが、仲間の元へ戻ってきた。
 障りなく修復されていく街を、ゼレフはぼんやりと双眸に映す。
「……これなら喜んでくれるかな」
 誰が、とは言わなかったけれど。
「……よしっ、もう大丈夫!」
 アウラを抱き上げ、サフィが無邪気な歓声を上げた。
 万事片付いたと連絡が届けば、人々も帰ってくるだろう。そうすればいつも通り、当たり前の夏の風景がこの街に戻るのだ。

 守り抜いた世界を、ケルベロス達はビルの森の底から見上げた。気が付けば、蝉の大合唱が街に戻っている。
 じりじりと、焼けるように暑い。仰ぎ見た空は狭く遠くて、──それでも酷く美しかった。

作者:五月町 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2015年9月1日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 8/感動した 0/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 3
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