時に因りて溶け

作者:東公彦

 リーズレット・ヴィッセンシャフト(碧空の世界・e02234)が一定の間隔を保って影のようについてくる気配に気づいたのは、明けた梅雨空に待ってましたとばかり現れた太陽が無邪気に振りまいた陽気を、爽やかな青嵐が攫っていった時のことだった。
 したたる汗を拭って、何事もなかったかのようにリーズレットは歩き出した。気取られぬよう足を早め――不意を突いて走り出す。
 ぐんぐんと雑踏を引き離して、人気のない方へと舵をとり足を踏み出す。細い路地を抜けて小ぶりな広場に入った時だ、「無駄だよ。僕らが目的を諦めたと思った?」気配は実在の形となってすぐ後ろにあった。
 声は、変声期を経ていない、中性的なものだった。観念したように振り向いたリーズレットを迎えたのは幼さのこる面立ち、一見して華奢な印象を与える少年だ。
 だが安易な推測は危険だろう。デウスエクスは時の腕から逃れた存在なのだから。
「それとも単に忘れていたのかな。ああ、責めはしないよ。君たち常人の、思慮に欠けた頭じゃこんな状況を想像すら出来なかったろうからね」
 押し黙るリーズレットをよそに、少年は得意げに続ける。
「次期幹部候補のこの僕がやって来た。その意味を理解させてあげよう、君をこの世から消してね。誘い込んだ、この場所で」
 少年が手を一振り。それだけで周囲の空気は凍りついた。奇術師さながら、手には大鎌が握られていたからだ。しかし、
「――ぷっ、あはははっ」
 リーズレットの笑い声が空気を融解させた。少年の眉間が不快そうに歪む。
「……何が可笑しい」
「だって、まだ気づかないのか、私はお前の誘いにのってやったんだぞ」
「なっ、負け惜しみを!」
 明らかにうろたえる声に、リーズレットは不敵な笑みを返した。
「ふふーん、だったら試してみろだぞ!」
 かっと少年の顔に朱がさした。
「出てこいビスオ、ビスコ!!」
 少年――テオドーラの叫び声に応じるかのように、広場に無数の影が降り落ちた。


「リーズレット・ヴィッセンシャフトさんがデウスエクスの襲撃を受けるみたいだ。いま連絡をつけようと力を尽くしているけど状況が状況だからね、楽観はできない。僕らは一刻も早くリーズレットさんのところに駆けつけなくちゃね」
 正太郎は一息に告げて、喉を缶コーヒーで満たした。額を落ちてくる汗を袖口でよけるのも、いかにももどかしい動作だが、焦っても仕方ないことは誰もがわかっていた。
「ふぅ……。不幸中の幸いと言うべきかな、襲撃現場は僕らのいるここからそう遠くはない。リーズレットさんの言葉が本当なら、相手がまんまと引きこまれた形になるね、戦いが始まる直前にはみんなを連れていけると思う。僕も運転に集中するよ」
 これも飲んだしね、と正太郎は缶をふるってみせる。
「個体の死神の名前はテオドーラ。次期幹部候補を自称しているけれど、リーズレットさんを襲ってきた今までの幹部より格下ってことかな? 少なくとも予知で喧伝していたほど、頭の回転が早いわけでも冷静でもなさそうだね。それでも襲撃してくるからには、敵なりの勝算があるのかもしれない。みんなも気を抜かずにね」
 正太郎は、作戦区域は……と鞄に手を突っ込んで引っかきまわし、ようやく折りたたまれた地図を卓上に広げた。
「えっと、この通り、山麓の街の一角だよ。周囲に人はいないし、よほど大きなことをしなければ損害も考えなくて大丈夫だ。なんでも、近くに廃教会があるらしいけど……まず戦火はそちらまで及ばないと思うから安心を」
 さながら巻き戻しのように同じ仕草で地図をしまって、立ち上がる。
「相手はリーズレットさんの事を色々と知っているようだし、言葉を選べば、うまく情報を引き出すことも出来るかもしれない。その辺りはみんなの機転に任せるとするよ。さぁ、準備がいいならすぐに出発しようか」


参加者
マルティナ・ブラチフォード(凛乎たる金剛石・e00462)
リーズグリース・モラトリアス(義務であろうと働きたくない・e00926)
癒月・和(繋ぎなおす絆・e05458)
玉榮・陣内(双頭の豹・e05753)
七宝・瑪璃瑠(ラビットバースライオンライヴ・e15685)
村崎・優(黄昏色の牙・e61387)
青沢・屏(光運の刻時銃士・e64449)

■リプレイ

「私もお前に聞きたいことがあるからな、ありったけの情報吐いて貰うぞ!」
 リーズレット・ヴィッセンシャフト(碧空の世界・e02234)は退かず、むしろ踏み込んでみせた。ちょうど降下してきた戦闘員に狙いを定め、まとめて一蹴。そのまま勢いを殺さずに半回転、軸足を変えると回し蹴りの要領で魔力の光弾を蹴り出した。
「へぇ、思ったよりもトロくないわけか。でも……無駄だよ!」
 テオドーラが一息に間合いを詰める。咄嗟、リーズレットは上体を反らせた。
 水晶の鎌が煌めく。切っ先が豊満な体を抉った、かのように見えたが、たたらを踏んで下がった彼女には傷一つない。まるで衣服そのものが意思を持ち強度を変えたかのような……。
 舌打ち、テオドーラは返す刃で鎌を掬い上げた。
 リーズレットは動けなかった。否、動かなかった。眼前に金色の風が吹いたからだ。
「来てくれると思ってたぞ、みんな!」
「リズが誘いに『乗ってやった』と言ったのだぞ、指を咥えて見ているわけにはいくまい!」
 肘で剣の腹を支える、少々荒っぽいが実戦的な剣捌きは、大鎌の身動きを許さなかった。マルティナ・ブラチフォード(凛乎たる金剛石・e00462)は瞬間身を引いて、体を鞭のように柔軟にしならせると刺突剣を唸らせた。
 衝撃音が周囲を震わせ、弾かれるように彼我の距離が開く。
 その隙にリーズレットのもとに駆け寄ったリーズグリース・モラトリアス(義務であろうと働きたくない・e00926)は、傷口を見てすぐさま怪訝そうに眉をひそめた。
「オラリズ、傷が、ない?」
「ん、そうなんだ。何かに守られたような……」
「でも念のため治療はする、よ」
「くそっ。お前らっ――」
 顔をあげたテオドーラが突然言葉を切った。いや、その目は二刀を振りかざし飛び込んできた村崎・優(黄昏色の牙・e61387)を捉えたのだろう。
 鎌が薙がれる。優は足を踏ん張らせてどうにか腰をおった。首筋を駆けるゾッとする悪寒。首は繋がっている、ならばとばかり、体を捻り無理矢理に双刀を叩きつけた。
「っうらぁ!」
 鋭く重い一撃を受け止めきれず、テオドーラの腕が跳ね上がる。刹那、がら空きになった懐へ癒月・和(繋ぎなおす絆・e05458)が肉薄した。
「せぇーの!」
 和の拳が炸裂する。速度と重力をのせて叩きつけた一撃は、軽々とテオドーラを吹き飛ばした。
 思わず玉榮・陣内(双頭の豹・e05753)は口笛を吹いた。
「本当にブランクがあったのか?」
「ふふ。ボクらの大切な友達を襲う常識知らずの坊やには、お仕置きが必要だからね」
 とはいえ……和は知れず拳を撫でた、硬いものを殴った独特の疼き、どうにも直撃してはいないようだが。
「なんなんだ、次から次へと!」
 苛立ちを滲ませた叫び声が広場を震わせた。召喚された戦闘員達が一斉に駆け出す。
「簡単なことだ。召喚なんて芸当はお前だけのものじゃないってことだよ」
 陣内が軽く指を鳴らした。空が瞬きをしたかに見えた直後、振ってきた何かが戦闘員に突き立った。鏡のように磨かれた刀身、鈍色の尾を引いて、文字通り刺すような雨が降り注ぐ。
 そこから逃れてもなお安息はない。銃火があがり、破裂音が幾度となく響く。最後の戦闘員が倒れたところで、青沢・屏(光運の刻時銃士・e64449)は硝煙を吐く6連発の引き金から指を離した。
「全弾命中、ですね」
「あれ、もう護衛がいなくなっちゃったみたいだね。幹部『候補』さん」
 七宝・瑪璃瑠(ラビットバースライオンライヴ・e15685)が言葉に潜ませた棘は、テオドーラの自尊心を刺したのだろう。ぴくり、神経質そうな眉が動いたのを彼女は見逃さなかった。
「痛い目を見ないうちに降参しておく?」
「……はっ、それって挑発のつもりかな」
 テオドーラは鼻で笑った。なるほど、この程度で血が上るほどの器ではないらしい。小さく唇を噛む、もう少し単純な相手なら楽だったのだけれど。
「どうも、自称幹部候補様もただの阿呆ではないらしい」
 陣内が耳打ちした。瑪璃瑠は思った。たまにいは本音の方が効果があるかもしれない。
「一つだけ聞きたい」
 沈黙を裂いて声をあげたのはリーズレットだった。彼女は頭の中で用意していた言葉をかなぐり捨てた。自分が腹芸に努めたところで、みんなの足を引っ張るだけだろう。
「私の体は……っ、このまま朽ち果てていくのか」
 身一つの言葉に、少しの躊躇もなくテオドーラは答えてみせた。
「教える義理はないね。でもそうだとしたら……ハハハッ、ざまーみろだ!」
「この下衆が……!」
 殺気だったマルティナの声を前に、テオドーラは相貌を歪めた。
「やれ、ビスオ」
 途端に夥しいほどの戦闘員が空間をこじ開けて広場に押し寄せた。


 忙しなく視界が巡る。気を抜けば足がもつれそうで、一瞬も油断はできない。ケルベロス達はリーズレットを中心とした一つの円を組むようにして、大量の戦闘員とそれを自在に指揮するテオドーラと交戦していた。
「リズさん!」
 どっと何かが背中にぶつかってきた。つんのめるのを堪えたリーズレットの頬に生暖かい血飛沫が散る。痛みはない、これは誰の血だろう。
 リーズレットは唇を嚙みしめた。見えなくとも理解は出来た。同時にココで足を止めてしまえば敵の思うつぼであるとも。
「メリリル、なごさんを!」
 叫ぶと同時、攻撃のあった方向に跳躍し、大きく鎌を振るう動作の影で左手を突き出した。
「見えなき鎖よ!」
 対象の身動きを封じる不可視の魔法『黒影縛鎖』は、ほんの僅かテオドーラから自由を奪った。それで十分だ。
 マルティナが戦闘員の波をかきわけ、雷光のように素疾く剣を一閃させた。が、切っ先はテオドーラが召喚した戦闘員を断ち切るにとどまる。
「危ない危ない」
 嘲笑が降り落ちてくる。和は小さく呟いた。
「エリートは伊達じゃないってわけかな」
 まだ生々しく痛む傷口を強く圧迫する。幸い、押し寄せてくる戦闘員は優と屏が蹴散らし、その死角をりかーが守ることで時間は稼げそうだった。
 優は纏うロングコートで手荒に血脂を拭った。刀身が再び輝きを取り戻せば、即座、双刀の間合いに踏み込んだ愚か者を切り捨てる。
「みんなそのままお願いなんだよ!」
 中空から瑪璃瑠は叫んだ。小柄な分に身軽な彼女は、はだかる戦闘員の頭を足場よろしく蹴り跳ねて和の傍に着地した。つぶさに傷口を調べ、ヒールグラビティを施す。瑪璃瑠を通して流れこむ大自然の持つ生命力は、みるみるうちに傷口をふさいでゆく。
「敵の数が多い……!」
「休む暇も、ありませんねっ」
 銃弾を牽制のためにバラ撒いて、屏が荒く呼気を繰り返した。
「けど、まだ集中、切らしちゃダメだ、よ」
 一瞬でも糸が切れてしまえば押し切られるかもしれないと、リーズグリースも肌で感じていた。故に意識を強く繋ぎとめるべく、オウガ粒子で各々の五感を鋭敏に保つ。
 陣内はその超感覚を駆使したうえで直感的に動いた。猫の攻撃をわざと見せて、死角を突く形で飛び込み、蹴りを見舞う。
「圧倒的な物量……こいつが勝算か? 今までの幹部が一人で戦いにきたあたり、時期幹部候補様とやらにしては念の入った話だ」
「ふんっ、そいつらが間抜けだっただけだね。組織の力、自分の権限、彼我の状況……それら全てを行使した上に本当の実力があるのさ!」
 テオドーラは体を回転させて足を振り払った。たまらずよろけた陣内を殴りつけ、流れるように鎌を振り下ろした。
 切り裂かれた体が鮮血を散らし、音を立てて滑り落ちた。咄嗟引き寄せていた戦闘員の躯の奥で、陣内は冷や汗を拭った。
「君達ってさぁ、ほんっとお気楽な連中だよね」
「どういうことだっ」
 リーズレットとテオドーラの言葉が交差し、ぶつかり合った鎌が火花を散らす。
「病気が治ったと思っているんだろ」
「なっ――」
 一瞬の動揺は空気を通して伝わったのか、テオドーラは隙をついてリーズレットを蹴り飛ばした。
「ははっ、治るわけないだろ! いまは潜んでいるだけ、君は死ぬ運命にあるのさ」
「そ、そんなのあんまりだ、よ…」
 リーズグリースが肩を震わせた。怒りのためか、それとも悲しみか。いや、それらの入り混じった感情だからこそ、あてどなく体内を巡るばかりで、体を震わせるのだろうか。
「あははは! ほらほら、絶望してみせてよ」
「――っ、みんな危ない!」
 誰よりも早く和が叫んだ。職業柄、植物の匂いには敏感だ。甘い芳香が香ってくる、戦場のなかにあっても安らぎを想起させる、それゆえに危険な香り。
 飛び跳ねた和の足元から茨が突き出した。それは触手のようにうねり、命ある者に襲い掛かる。
「情報にはあったけど、こんな広範囲に…!? もお、聞いてないんだよ!!」
 クリフォトを手に瑪璃瑠が茨を薙ぎ払う。だがいくら振り払おうが、生命を貪らんと、茨は貪婪にその身を伸縮させる。
「冥途の土産に教えてあげるよ。薬は存在する。それがないと僕らも目的を果たせないんでね。だからさ……さっさと死んでよ堕天使!」
 茨に足をとられたリーズレットの顔に恐怖の色がはしった。見逃す敵ではない。
 ぎらりと狂猛な光が瞬く。風を裂き嘶きをあげる刃は――だが、望んだ結果を得ることは叶わなかった。
 テオドーラは目を大きく見開いた。奴を庇える位置には誰もいなかったはずだ、動くだけの余力があったとも思えない。ならば、どこに――?
「人の嫁に手え出してんじゃねぇよ、クソガキ」
 鍔鳴・奏はリーズレットを抱いたまま静かに着地した。
「か、奏くん~~!」
「遅くなったな、リズ」
「ううん、わかってたぞ。奏くんがここに、誰よりも早く駆けつけてくれたことは……」
 諾うことはせずとも否定もなく、奏は曖昧に笑んだ。それだけで通じ合う、魔法のような沈黙。それを引き裂いた嘲笑は、
「ふは――あははははは! カッコよく登場したはいいけどさ、お前みたいなの一人でどう――」
 吹き荒れた爆音が遮った。白煙を夏空に描いて、ミサイルがそこかしこで爆炎をあげる。
「これだけいると、どこに撃っても当たるものだね」
「いやいや、幾つかはオレが雷管がわりだったぜ」
 ベルフェゴール・ヴァーミリオンの言いようにレヴィン・ペイルライダーが頭を掻いた。よく手入れをされた、銀色に光る銃は一仕事終えたとばかり白煙をあげる。
「まぁさ、どっちにしろ、そろそろモブには退場してもらわないとでしょ」
 グレイシア・ヴァーミリオンが氷槍を敵群に撃ち込めば、月岡・ユアは妹のユエを伴って怯む相手から攻撃を見舞ってゆく。
「まだやる? リーズレットさんを狙う悪い子だれかなー」
 突然乱入したケルベロス達の存在に戦闘員達はあたふたと足並みもおぼつかないようである。
「さ、こっちは全員この通りだ、雑魚は任せとけ」
「――うん、行ってくる!」
 最愛の人をぎゅうと抱きしめてから、リーズレットはもう一度強く大地を蹴った。


「さあ、邪魔者は消えたぞ」
 マルティナは先頭を切って駆け出すと、迷うことなくテオドーラの間合いに足を踏み入れた。腰を回転させながら剣を抜き打ち、身を翻しながら次々と剣戟を放つ。
 友の恩に報いるべく、決して額づくことのない盾であり、立ちはだかる壁に一穴を穿つための矛でありたい。鋼よりも堅固、剣光よりも鋭い意志を秘めて、刃は更に勢いを増す。
「はぁっ!!」
 裂帛の気合を発したマルティナの一撃は、衝撃波となってテオドーラを直撃した。そこへ和が戦闘態勢をとったので、数体の敵をまとめて薙ぎ払いながらディオニクス・ウィガルフが首だけで振り返った。
「病み上がりだ。あんまり無茶すんじゃねェぞ、なごさん」
 声をかけられて、くすぐられたように和は破顔する。
「いつまでも怪我人扱いは止めてよね。ボクがどれだけ聞かせてあげる。いくよ、りかー!」
 一息に空気を吸い肺を満たすと、転じて余さず絞り出すように雄叫びをあげた。黒漆を纏う獣の哭き声、聞くものの魂までも振るいあがらせる咆哮、その片鱗が広場にこだまする。更にりかーが喉を震わせると、増幅された音の暴力が鼓膜を突き破った。
「このっ、獣風情が」
「同じ手はくわないんだよ!」
 水晶の薔薇が首をもたげた刹那、混沌の水が燃え広がった。波濤を巻き上げて荒れ狂うそれを御するだけの強い決意を、瑪璃瑠は持ち合わせていた。
 薬が実在したのならば在処など関係ない。作ればいいのだ。例え日進月歩であっても少しずつ歩みを止めなければ、
「ボク達は、いつか君達に追いつくんだよ」
「一秒ごとに世界は変わってゆく。それを為そうとする意志に、私は手を貸したい!」
 屏は銃身で狙いを定め、一箇点に精神を集中させた。極限まで高められたグラビティが何もない空間に突如爆発を引き起こす。
 テオドーラがまごついているうち、陣内はその懐に飛び込んだ。
「くそ、こんな隠し玉があったなんてね。人を騙すのが上手いみたいだね!」
「人聞きの悪いことを言うなよ、勝手に8人と思い込んだのはそちらさんだ。それに『全てを行使した上に本当の実力がある』んだろう?」
 髭を揺らし、唇の端をめくらせる。それはテオドーラの頭に血を上らせるには十分な仕草だった、死角に紛れ尻尾をしならせる猫の姿を意識から失くすくらいには。
 頭を衝撃が襲って、テオドーラはたたらを踏んだ。
 白煙を突っ切って優が駆け抜ける。
「その腐った根性、焼き焦がしてやる!」
 未だ態勢を崩す敵に、渾身の力を籠めて太刀を振り下ろした。
「っ――ビスコ!」
 呼び出された戦闘員が身を呈して主を守るが、一撃に纏わせた呪詛の電煌は、それらを容易に突き破った。眩むほどの光が迸り、呪詛が体中を駆け巡る。それでも、迫りくる二太刀目の攻撃に反応したところは流石といえるか。
「最初から手の内を明かすやつがどこにいる。そいつの鮮度の管理には、気をつけた方がいい」
 陣内は言葉だけを投げて、飛び退くテオドーラを深追いはしなかった。自分の役目はここまでだろう、そんな予感が足を止めさせたのである。
 最後に、遠ざかる天使の背中を押し出すように、激励の言葉を絞った指にのせて放った。
 弾かれるようにして、リーズレットは大地を蹴った。
「頑張って、オラリズっ」
 リーズグリースの与えた雷撃の加護が、体に満ちる。より大きな膂力を以てリーズレットは鎌を振りかぶった。
「テオドーラ!」
 振り返ったテオドーラの瞳は怒りに燃えていた。再び、二つの鎌が交差する。
「おまえ……邪魔なんだよ!」
 テオドーラは刃を引き、鎌で斬りつけると思わせきや、足払いを仕掛けた。リーズレットは素早く反応してみせた、鎌の石突で迫る足を打ち払い、間髪いれず蹴りを叩きこむ。
 怯むテオドーラの懐に潜り込み、鎌を振るう。一撃、更に一撃。湾曲する刃はそのたび勢いを増し、巻き起こる旋風がごうごうと唸る。
「だぁぁぁ!!」
 背中を見せるほど体を引き絞り、気勢をあげてリーズレットは鎌を薙ぎ払った。甲高い音を立てて水晶の鎌が砕け散った。それは誰もが理解する形での決着と言えただろう、だがテオドーラだけは敗北を認めていなかった。
「――」
 窮したテオドーラが配下を呼ぼうとした、その時だ。銀色の光が一閃した。それは敵の虚を完全につく、瑞澤・うずまきがこの時のために研ぎ澄ました一撃だった。
「いまだよ、リズ姉ぇ!」
 視界いっぱいに響の姿が広がり――テオドーラは地面に叩きつけられた。直後、高速で飛来した光の矢が四肢を地面に縫い止める。
「うあっ」
 全身を貫いた衝撃に声が漏れた。苦しい、痛い、初めて感じる死の、吐き気を催すほど不快な感覚。
「さぁ答えろ。お前たちの親玉はどこだ、薬はどこにある……!」
 リーズレットが声を突き付けた。声音はいつもの彼女らしからず一種凄愴である。
 抗うようにテオドーラは笑った。端正な顔を恐怖に引きつらせながらも言い放つ。
「っあははは! 紫乃さんに失望されるくらいなら死んだ方がマシだ。本当に病が根絶したなんて思ってるのか、精神に根付く病があるように、魂に組み込まれた宿命がある! 死が濃くなれば発症する、あの薬がなければ完治など出来るものか。精々自分の運命を呪――」
 紺碧の瞳が末期の声を射竦めた。ひとたび歯車が回転すれば断頭の刃は鎌首をもたげる。
「Auf Wiedersehen」
 さようならと、冷たい声が落ちた。意識が切断される寸前、テオドーラはすべてを理解した。
 ああ、そうか。お前がスミェールチ。


 消えたはずの花弁が赤い地面に点々と白く、手向けを散らしていた。それは逃れることの出来ない運命、一度逃れたと思っていたそれに、もう一度腕を掴まれたような。
「皆、有難う」
 リーズレットは一言、皆へと声を絞り出した。すれば、立つこともままならず、奏が支えなければ頽れていたかもしれない。
「なぁ……奏くん」
「ん、なんだ」
「きっと、これで終わりではないな…。私な、私の進む道が、また一つ見えた気がするよ」
 そーか。小さくひとりごちて、ひょいと小柄な体を胸に抱くと、
「リズ、その道ね。俺の歩くところも残しておいてほしいな」
 口づけのような言葉をかけて、奏はニッと笑った。
 自ら求めることはあまりに罪で、何よりも欲しかった言葉。
 リーズレットは柔らかな匂いのなかに頭を埋めた。他のどこよりも落ち着く、自分だけの場所に。

作者:東公彦 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2021年8月8日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 3/感動した 0/素敵だった 5/キャラが大事にされていた 0
 あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
 シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。