死泣鳥

作者:東公彦

 世界やそれが持ち合わせる摂理というものは、偶然を装ってその実、必然の邂逅を用意している。現在が過去の轍に沿って走る車輪ならば、未来の道行はもう決まっているのかもしれない。
「待っていたぞ、ハル・エーヴィヒカイト」
 肌が総毛立つような凍りついた声。平素であれば人が足繁く行き来する街中に、今やこの異様なほど強い血の臭いを放つ男と、意図してそこへと歩を進めたハル・エーヴィヒカイト(閃花の剣精・e11231)以外、どこを見回しても人影はなかった。
 まるで一つの街が、この死神の手によって、息を引き取ったかのように。
「私の隙をつく機会をむざむざ逃すとは……律儀な男だな」
「こうまであからさまに殺気を叩きつけてくる相手がどんな面か、拝みたかったのでな」
「私は眼鏡に適ったか?」
 答えず、ハルはゆっくりと柄巻に指を這わせた。それでもなお、ヘリオスは槍の穂先を下げたままでいる。それでいて微塵の隙も見受けられない。
「死神とケルベロスが共に闘った……未だに私には信じられない、争いの渦中にあった我々が手を結ぶことがあるなど」
「それがどうした。俺とお前に、なんの関係がある」
 結んだ口元を、小さく歪めて――ヘリオスは問いかけた。
「私が貴様らとの闘いを望まず、共生の道を生きると言うならば……どうする?」


「ハルさんがデウスエクスによる襲撃を受けるみたいだ。現状こっちから連絡を取る手立てがなくてね……こうしてここにいる時間も惜しい、みんなにはすぐに飛んでもらうことになるよ」
 上滑りする言葉を舌で抑えながら、正太郎は続けた。
「この死神の個体名はヘリオス。狩りと称してシャドウエルフを狙う死神の一団に所属していたらしくて、過去ハルさんの故郷が襲われた事件に深く関わっていたと推測されるんだ。それが今になってハルさんを狙う理由……」
 しばし唸ってから正太郎は首を振った。「いや、考えたってわからないことは考えないに限るかな」
「ヘリオスの戦闘方法は主に接近戦みたいだね。気づかない方が難しい、あの巨大な槍を使っての肉弾戦かぁ……ゾっとするなぁ」
 大きな溜息をひとつついて、正太郎は付け加えた。
「それと、今回は街のただなかが戦場になると思うよ。通常なら避難が必要になるけど、死神も余人が立ち入らないよう人払いをしていたみたいなんだ。戦いが始まる時には一般人はいないはずだし、建物もヒールで補うことが出来ると思うから被害は気にせず戦ってほしい」
 正太郎は声をしまうようにファイルを閉じた。同時に、ヘリオンが口を開き、巨大な心臓音が鼓膜を震わ始めた。
「僕はね、たとえ、ハルさんがどんな答えを用意していても戦いは避けられないと思うんだ。けれど心構え一つで変わることもあるからね……ハルさんもみんなも、悔いのないように」


参加者
ミリム・ウィアテスト(リベレーショントルーパー・e07815)
ハル・エーヴィヒカイト(閃花の剣精・e11231)
ステラ・ハート(ニンファエア・e11757)
瀬入・右院(夕照の騎士・e34690)
エリザベス・ナイツ(焔姫・e45135)
村崎・優(黄昏色の妖刀使い・e61387)
青沢・屏(守夜人・e64449)
柄倉・清春(ポインセチアの夜に祝福を・e85251)

■リプレイ

「俺は、お前を許すことはできない」
 少しも色褪せぬ生々しく鮮々しい追想。握りしめる掌の痛み。
「だが生憎復讐のために生きるのは飽きた。お前が生者を犯さず死者を冒涜しないというなら背中を斬るような真似はしない。どこへでも行くがいい」
 ハル・エーヴィヒカイト(閃花の剣精・e11231)は重々しく告げた。問いには答えがつきものだ。その答えが問いかけた者にどんな波紋を残すか、それはわからない。どころか自分自身、ヘリオスを生かすこと、殺すこと、どちらを望んでいるのか判然としていなかった。
「それが……それが貴様の答えか!」
 鋭い叫び声をのせて迫る槍の切っ先。
 ハルは重心を後ろへずらしながら刃を抜き打ち、辛うじて一撃を捌く。巨槍は地面を穿ち、物足りないとばかり破片を空に散らす。
 休む間はない。ヘリオスは突き出した槍を脇に引いて、いまにも追撃を仕掛けようとしている。ハルはすぐさまいくつかの対応策を思い浮かべて――頭から消した。どれにしても手が足りない!
 ふと、声が聞こえた気がした。幻聴であったかもしれない、だがハルは手詰まりの状況で耳に届いたそれを信じた。躊躇することなく踏み出して巨槍を掻い潜った。
 ヘリオスが無防備に晒された背に槍を突き立てる。だが予想していた痛苦は訪れず……、
「ハル、大丈夫!?」
 身を起こす反動を利用してハルは刃を薙ぎ払った。自らを救った声に無事を報じるように。
「ああ。君の――いや、君たちのおかげでね」
 きつと細まった翡翠の眼差しを逸らさぬまま、巨槍と打ち交わした大剣を脇に構えるエリザベス・ナイツ(焔姫・e45135)は口の端を持ち上げた。
 そう、彼女だけではない。たたらを踏んだヘリオスに襲い掛かる影が一つ。
「死神……共生という言葉は偽りか?」
 爪を研ぐ獣のように、打ち合わせた双剣を舞い振るう村崎・優(黄昏色の妖刀使い・e61387)。死神に問う声は噴き出す右目の紫炎と同じ激しい憎悪に満ちて。
「私は仮定の話をしたに過ぎん」
「詭弁を……やはり貴様等はどこまでも歪んだ奴ってわけだなぁ!」
 雷煌を纏った斬撃がヘリオスを捉えた。喰霊刀を介して高められた呪詛の力が暴れまわる。地面に炸裂し、雷電を散らしてヘリオスの体を駆け巡った。
 そこへ飛び込んだ瀬入・右院(夕照の騎士・e34690)とステラ・ハート(ニンファエア・e11757)が左右から攻撃を見舞う。
「復讐どうのに関しては俺が口を挟めた道理じゃないですが、仲間の危機をむざむざ見過ごすわけにはいきませんからね」
 右院がぐるりと回れば手にした槍も翻り、旋風を伴って衝撃を叩き込み。
「待たせたのハル。手助け――というよりも、応援しにきたのじゃ! 新たな、守るべき未来を見つけたおぬしのな」
 僅かな隙を見逃すことなく、ステラの小さな拳が的確に痛打を浴びせかけた。
「そうか。貴様らも……」
「うむ、ケルベロスじゃ!」
 抑制のない声は年相応で、戦場にあってもよく響いた。
「余はおぬしらの因縁は知らぬ。じゃが当事者でないからこそ身勝手な願いも出来るというもの。見出した道の先にあるとびきりの笑顔をな」
「ええ。復讐以外に生きる理由あるのなら、私も全力でフォローします!」
 煙をあげる銃口。機敏に動きながらも青沢・屏(守夜人・e64449)は見事な手際で銃弾を運ぶ。『0'O・clock』時を封印する古典時計模様の魔法陣は鈍い光を帯びてヘリオスの足元に展開された。
「あの海上の城も気掛かりです。先輩たちが大きな問題を処理している今、あなたを好きに動かせはしません」
「城か……連中の考えなど興味はない。だが貴様らの観念で大事小事と侮られることは我慢ならんぞ!」
 ぽぅっと、ヘリオスの掌に焔が瞬いた。
「みんな下がって! いくよ、ハク」
 エリザベスが叫んだ。体を縮めて鎧の隙間をなくすと大剣を地面に突き立てて盾とする、同時、小さな篝火であった焔は膨れ上がり波頭のように大地を浚った。
 あらゆるものを灼け溶かし、黒焔は容赦なくそれらに牙を突き立て引きちぎり咀嚼する。だが、
「私がいる限りは、誰もやらせはしません……!」
 焔を割る光の柱。渦巻く熱気が霧散し、降り注ぐ光の粒が癒しの加護を与え熱傷を打ち消す。
「ハルさんもとんだ方に目をつけられたみたいですねぇ。まったく、隅におけませんね」
「まぁ手強いってことは、殺し甲斐もあるってこった」
 呟いたミリム・ウィアテスト(リベレーショントルーパー・e07815)の傍ら、纏わりつく焔を振り払い柄倉・清春(ポインセチアの夜に祝福を・e85251)。
「敵にとっても負けられない戦い、ということでショウカ」
 ゆるり、夫の傍らに立ったモヱが杖を翳せば雷壁が作り出され、内にある者の体のうちで異常への耐性を宿した。
 突如訪れた静寂の底で両者は向かい合う。戦いを告げる鐘を決して聞き洩らさぬようにと。その役目を担う者は唯一人だ。
 皆――ありがとう。喉の奥で反芻する言葉、だが今はただ目の前の敵を。
「……状況を開始する」
 鐘を鳴らすハル。黒髪が剥がれ落ちるように色を失い、灰のような本来の色合いを取り戻す。彼に近しい者なら誰もが知っている、それが戦闘態勢をとった証であると。
 殺界と称される領域から具現化した刃の切っ先に、そして一際巨大な二振りを翼のように背に携えて、死神を捉えた。
「目標、敵性死神の撃破、あるいは撤退。皆全力を尽くしてくれ」


 厚い雲の天蓋に覆われた街は、暮れる日がなくとも黄昏に燃えていた。
 膨大な焔を切り裂いて、清春が飛び掛かった。
「悪いがオレはテメェみてーに馬鹿正直じゃねーんでな。なんでもありでいかせてもらうぜ」
 主の動きに追随して鈍器を振るうテレビウムの黒電波くん。互いの隙を消しあうように機敏に打撃を重ね、多少の手傷は構わずしゃにむに肉弾戦を繰り広げる。
 闘いとなれば容易に雑念を放りなげる、友人の危機であっても、迷いや感傷など役に立たないとばかりに。
 それが正しい、これは自分の因縁ではないのだから。判ってはいても優は思わずにはいれれなかった。ハルの出した答えがあの時の自分にあったなら彼女は生きて――。
 ぐっと、噛んだ舌から血が流れて女々しい劣等感を鋭い痛みで塗りつぶす。
「過去に縛られてる僕に出来ることは一つしかないだろ……!」
 未来を切り開くために。優が地を這うような姿勢のままヘリオスの足元を切り裂いた。
 機と見て攻勢に出る右院。が、不意の悪寒に身を委ね数歩後ずさった。巨槍が鼻先を掠めてゆく、避けたものの悪足掻きといった感は否めない。
「甘い!」
 ヘリオスは一回転させた体を前のめりにし迫ってくる。だがまるきり無策というわけでもなかった。
「させぬぞ!」
 寸前のところで巨槍の一撃をステラが受け止める。華奢な体のなかで脈打つ鋼のように硬い意志。痛みに顔を歪めてなお退かぬ覚悟を示すように、一歩踏み込み、細い指をヘリオスの胸に這わせた。
 『クリュティエの嘆き』――惑わされた感覚が一つのイメージを視界に刻み込む。勝気そうな紅瞳、燃え盛り波打つ熱波の金髪。太陽を宿した少女の幻影は、蜃気楼さながら突然浮かび上がってふっと消えた。
 次の瞬間、ヘリオスの視界を遮っていたのは月のように怜悧な相貌で――。
「はぁっ――!」
 懐に飛び込んでいた右院が槍を振るった。先端から蛇を象った光刃が迸り、鞭のようにヘリオスを打擲した。
 苦悶の声をあげ、ヘリオスの足が止まった。それは短い攻防を切り取ったほんの一瞬、ケルベロス達が動き出すには十分な一瞬だ。
 攻撃の流れが断たれた。なら今度は――。
「こちらの番です、覚悟してください!」
 発した気勢を力にかえて。屏が中空から蹴り出した星々のオーラは炸裂と爆散と繰り返し、敵の視界と動きを封じる。一際大きなオーラが爆砕し、思わずたたらを踏んだそこへ。
「やらせない。ハルは絶対に――」
 エリザベスが大剣を振り下ろした。力を籠めたが故の緩慢な動作にヘリオスがさっと身を翻し切っ先は空をなぞる。隙だらけの少女を貫かんとする巨槍。だが反動に逆らうことなく彼女が腰を捻れば、振りあがった足が動き出したヘリオスの顎を跳ね上げた。
 間隙を作ることなくハルは空を蹴った。デバイスが振動して力場を形成し、ハルを加速させる。羽ばたくというよりも浮遊している体に指向性を与えて滑っているといった感覚だ。
 懐に潜り込む寸前、体ごと横に反転し間合いをずらすと一気に加速。僅かに躊躇したヘリオスの脇腹を斬り抜けた。
 対抗出来ていると感じる。最初は攻撃の兆候を読み取り、防ぐだけで手一杯だったものが、いまは確かな手応えで反撃を行えている。このまま行けば――、
「おおおぉぉ!」
 思考は咆哮によって中断された。ハルが咄嗟急上昇したのと、ヘリオスが羽を豪快に回転させたのが同時だった。
 衝撃波が吹き荒れる。小さな瓦礫程度なら軽々粉砕し、壁面のガラスを粉々に割って、荒れ狂う殺意の奔流が街を呑み込み、ケルベロス達へ憎悪もろともに叩きつける。
 瞬発力や体捌きといった点においては積み重ねた攻撃が消耗を強いた結果、明らかに鈍くなっている。だが行使する力は相変わらず強力だ、桁外れなまでに。
 烈風が耳を劈き、巻き上がった悲鳴すら掻き消した。したたかに背を打ち付けて、清春は血を吐く。
「ククク、やってくれるじゃねぇか……」
 闘志は折れず、肉食獣のように獲物の動きを探って。盾にしていた黒電波くんを放った。
 エリザベスとウイングキャットのハクは互いに衝撃波を分散させはしたものの、傷は浅くない。大剣にもたれるようにして立っていた。
 とりわけ我流での一撃を受けていただけにステラは重傷だ。折れた電柱に腕を絡ませ、息を上下させてもがき、血の滴る体をどうにか支えている。
「ステラさん!」
「なに、気にするでない。これでも心身ともに健康優良児なのじゃ、これくらい……っ任されよ」
 先よりも弱々しい少女の声に駆けつけたミリムの心が揺らぐ。
 だが、ハルの答えを聞いたいま後ろに下がってなどいたくない。体を張ってでもその未来を守りたくなったと。眼差しから強い想いを読み取って――。
「勿論です。次の一撃を十全にするために。今は私を信じてください」
 言い含めるように体を抱きかかえて、ミリムは指先を滑らせた。緻密に描かれた『コルリ施療院の紋章』から癒しの力を引き出し分け与える。傷はゆっくりと口を閉じてゆくが完治には至らない。
 決して万能ではない歯がゆい治癒の技、だがそれは人間と神の境界線でもある。死を弄ばず、限りある生を全うするための。
「死だ」
 ヘリオスが陰鬱に呟いた。
「貴様があの方に、お前の姉を現世の器としたあのお方に死を与えた時から死と憎悪ばかりが私を苛んだ。知り得なかった感情だ、身を焼かれるように体が疼き一睡も出来ずに全てを捨てて槍を振るう。わかるか、ハル・エーヴィヒカイト!」
 露わになった激情。鋭い眼光に胸を貫かれたかのようにハルは目を見開いた。そこに幼い子供の姿が重なっていた、双眸に憎悪を湛え血の海で嘆く子供の。
「そうか」ようやく腑に落ちた気がした、自らの望みが何であるか。
「ならば決着をつけよう」


「その言葉を待っていたぞ!!」
 血の臭いが立ち込めるなかに死神の叫び声がこだました。
 死がやってくる。ステラと屏の放った氷弾・銃弾の嵐を掻い潜り、優の剣戟と打ち合っていなし、途方もない憎悪を秘めた剥き出しの刃のように近づく者すべてを宿命に巻き込んで。
 そこへ地を蹴って右院が突撃した。刹那の交錯。死角から象牙の槍が一閃、寸分の狂いもなく躰を切断した。かのように見えたが。
「それなら……くれてやる!」
 音立てて落ちたのは死神の片翼だ。殴り飛ばされた右院は歯を噛んで叫んだ。
「――っ、ハルさん!」
 声をうけて、ハルは一気に駆け抜けた。
 ミリムが放った光球が宿す満月の魔力は剣の翼をより巨大なものとし、清春とモヱが呼吸を合わせて撃ち込んだ賦活の爆雷が爆発的な加速を生み出す。
 さぁ戦友よ拳を握れ。
 たとえ形がなくとも掴む何かがある。
 夜が天を覆うとも 君は独りではない。
 薄暮の空 光が導き 星は輝く。
 また、あなたの笑顔を見られるようにと。
 いかに距離を隔てていようと『煌めきの歌』は何物にも遮られずハルの耳に届いた。澄んだ、穏やかで優しく耳朶を撫でる旋律。だがエリザベスの歌に秘められたエネルギーはあくまで猛々しく、ハルの鼓動を打つ。
 歌声に反応するかのように、ハルの心に呼びかけるように輝夜が震えた。
 ここには姉がいる――たとえ血の繋がりはなくとも妹と呼べるひとも、そして仲間たち……。
 ゆっくりと目を見開く。視線の先にいた男は体中を己の血潮に染めてなお、執念によって倒れることを拒んでいた。
 視線が交差する。何故だろうか、互いの思惑が手に取るように理解できた。
「ブレードライズ――」
「我が声に応えよ――」
 膨大な力が大気を揺らす。溢れ、渦巻き、押し寄せる。途方もない力のすべてを注いで最強の形を創造する。決して負けることのないイメージ。一であって全なるものを。
「白翼千華」「神槍」
 解き放たれた力が衝突した。たった一振りの白刃と巨槍。それは同時に戦場を埋め尽くす無数の存在であり、ぶつかりあって消滅を繰り返す。
 在れと思えば顕現して現実を打ち砕く力。デバイスが倍増させ仲間たちが与えた加護による一時的な奇蹟の法。
 ハルの手にした光刃がヘリオスの掲げた巨槍と打ち合った瞬間――全ての現象が収束し一つの結果を導いた。滑りおちる槍の穂、降り注ぐ赤い血飛沫。
 ヘリオスは頽れた。自らの血が流れ出てゆく様を他人事のように見やって呟く。
「万策尽きたか――殺せ」
「あの日、俺は誓った……命を捨ててでもお前を討つと」
 輝夜は死神の首にある。少しばかり手首を捻れば悲願が叶う。復讐の旅は終わる。だが……、
「だが今は生きたいと思う。恨みを晴らすためではなく、かつての俺をつくらないために」
「綺麗言を……!」
「姉の死を悼むことが出来るのが俺だけであるなら。生きて、あの死神を悼み寄り添うことが出来るのはお前だけではないか」
 ヘリオスの顔に動揺が走った。それは死や憎悪と同じく、彼にとって知り得なかった概念であった。死が生み出し、人だけが引き揚げることの出来るもの。
 ハルが下した決断。誰もが息を呑んでその趨勢を凝視めていた。
 エリザベスは思った。私はきっと許せない。自分の師が、幼い頃の友人が、血をわけた存在が殺され、あげく肉体までも弄ばれたなら、容赦も恩赦も抱かないかもしれない。
 イング、アイシャ、ユキ……彼が手にかけてきた彼のよく見知った形をした者達。その全てを斃してなお、過去の面影すら秘めていないこの男を赦すと、他の誰でもないハルがそう言った。私は貴方を許せない――エリザベスは唇を噛んだ。でも一番あなたを許せないのはハルだから。
「今度は俺が問おう。お前が人間に害をなさないならば今回だけは見逃す、と言ったら……どうする?」


「本当にあれで良かったのかねぇ」
「そう、ですね……ケルベロスの使命は人類の守護者たること。けれど、たった一人のちっぽけな人間としての観点からすれば、今日の私たちが為すべきはハルさんの答えを見守ることだったのではないかと思います」
 ぼやいた清春に対して、一つ一つ、胸中から言葉を拾い集めるようにミリムが紡いだ。正しさの秤など必要ない。ただ一つの物語が結末を迎えるだけだ。それが例え、どんな最期であれ。
 右院はそれに頷き掛け、同時に思った――おそらく、あの傷では長くはないだろう。
 死地において沁みついた経験則と光の翼がもたらした、残酷な世界の仕組みを汲み取るには十分すぎる直感。
 果たして、命を掬う業を背負った者の魂は……赦すことによって救われたのだろうか? 願わくばそう信じたい。


「優」かけられた声に振り向いて、澄んだ紫水晶の瞳がまたたく「君は……君の答えを探せばいい。その決断には君にしかない価値があると、俺はそう思う」
 ハルは静かに、似た境遇の少年に言葉を届ける。
「だが一人で答えを出すことが手に余ると思ったなら……」
 ぱちくりと、驚いたように優が瞬きをして。言葉の意味を咀嚼すれば、ふっと小さく吹き出した。
「――ああ。その時が来たなら」
 僅かばかり視線を交わし合うだけで二人は別れた、今は別々の方向へ。きっと、再会の約束など不要だろう。それを待ち構えていたかのように(事実、待っていたのだろう)ハルの傍ら、ひょこりとあどけない少女の顔がのぞく。
「ねーねー、ハル。村崎さんと何を話してたの?」
「そうだな……男同士の秘密の話だよ」
「あ! 隠し事してるんだー。いいよ、私も良いことがあったって教えないから」
 エリザベスはにっと歯を見せて声を弾ませた。不平を鳴らしながらも楽しげに、顔をほころばせて。木漏れ日のような笑顔がじわりと胸が暖かくし、凍えきった過去すらも淡く蕩かせる。自然と生まれる感情を、もう復讐のために殺す必要はない。
「聞かなくても君はひとりで喋りだすだろう」
 そう、春疾風のような笑顔で言って。
 あと幾度か吹けば花の季節も盛りを迎えるだろう――。

作者:東公彦 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2021年3月20日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 4
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