残されたもの

作者:東公彦

 うまく呼吸ができない。ひきつけを起こしたように喉が痙攣を繰り返し、急くほどに足は空をきる。滝のような汗が噴きだし、ずきりずきりと胸が痛む。それでも立ち止まろうとは思わなかった。瞼の裏に残る光景が俺を急き立てていたから。
 それは突然のことだった。俺の目の前で、手品のようにして一瞬で同業の男が姿を消した。ほんの瞬き一つの時間だ。抱えていた土嚢が地面に落ちて、間の抜けた音を立てた。
 最初は単なる見間違いだと思った。時に脳は有り得ない事実を否定して、都合のよい結論のみを提示する。だがどんな手品にだってタネはある。今回は不吉なほど鮮やかな血の赤がそれだった。
 血の跡を追って樹へと目線を這わせた時、それと目が合ってしまって……俺は走りだした。男の安否なんてどうでもよかった。あの異常を一歩たりとも日常の域に踏み入らせてはならない、そんな風に思って。
 不意に視界の先で何かが蠢いた気がして俺は息を呑んだ。そして、あっと言う間もなく何も見えなくなった。湿った作業着の不快感も灼くような喉の痛みも消えた。もう何も感じられない。


「先日の大規模戦闘、お疲れ様。でも敵も只じゃ転ばないみたい……どうも撤退する最中に遅滞を狙ってか大阪城周辺に伏兵を残してきたみたいなんだ、この個体達のせいで復興作業の進捗具合が芳しくないんだよね」
 正太郎が唇を尖らせて言った。ティーンエイジャーではあるまいし、可愛げなど微塵もない。注がれる視線を恥じてか、高校生じみた仕草をやめて正太郎はつづけた。
「みんなにはこの攻性植物『スロウン』をいぶりだして都度、駆除してほしい。ああ、復興作業自体は中断しているよ。付近には一般人も立ち入らないようにしてあるから安心して戦ってほしい」
 正太郎が広げた地図にはいくつかのランドマークが印されていた。どれも街を機能させるには欠くべからざる施設だろう。
「スロウンは休眠状態で様々な場所に潜伏している。人間やケルベロスが近づくと覚醒、攻撃を仕掛けてくるみたいだね。成体は成人男性のような背格好の人型だけど、休眠中は形状を変えていたり木に擬態している可能性もあるから小さな空間や狭い隙間なんかにも油断しないでね。力は弱く、知能は単純で『近くにいる生命体を襲う』程度の原理で動いているみたいだね。奇襲にさえ注意すれば個々で対応できると思う」
 とはいえ、死角からの攻撃に注意をする方法を組織は提示出来てはいないようだ。それらの対策や方針は良く言えば現場のケルベロス達に一任されているといえる。
「僕らが受け持った範囲内にいると想定されるスロウンはおよそ30体前後。どこに潜伏しているかわからない以上、点在箇所に多少のバラつきはあると思ってほしい。とはいえ個体自体はさほど強くないようだから、分かれて行動することも考えておくといいかもね」
 一通りの説明を終えると正太郎は暗澹とした空を仰いだ。いつ雨が降ってきてもおかしくない空模様だ。当日も雨になるのかなぁ、ぽそりと呟く。
「骨の折れる割に地味な仕事だけど大阪復興にはとても重要なはずだよ。小さなことからコツコツと、だね。みんな気を付けて、いってらっしゃい」


参加者
伏見・勇名(フルスイングエビマジック・e00099)
セレスティン・ウィンディア(墓場のヘカテ・e00184)
マルティナ・ブラチフォード(凛乎たる金剛石・e00462)
新条・あかり(点灯夫・e04291)
ハンナ・カレン(トランスポーター・e16754)
伊礼・慧子(花無き臺・e41144)
ローゼス・シャンパーニュ(赤きモノマキア・e85434)

■リプレイ

 デウスエクスの侵略において空白地帯となっていた大阪緩衝地帯に、人類の活用できる機能はほとんど残っていないようだ。崩落した建物と副次的な瓦礫片の山。その下から力強く芽吹き妨げられることなく繁殖を続けた植物たち。
 驚異的な成長はかつて一帯を支配していた攻性植物の影響だろうか。人の手を加えずにあと数年も経てば、この星の原風景というものが見られるのかもしれない。
 ふとそれを視てみたい気分にも駆られたが、ローゼス・シャンパーニュ(赤きモノマキア・e85434)は己の思案を否定するように首を振った。自らには――セントールには持ちえない再起の力への憧憬があったから。
 そんな夏の若緑色づくなかを少女は油断なく目を光らせながら慎重に、しかし早足に歩を進めていた。周囲から動きを阻害されず、とはいえ離れず、絶妙な速度だ。
 不意に灌木の繁みが揺れた。風にそよがれたような微かな葉の動き。しかし少女――新条・あかり(点灯夫・e04291)は即座に身を投げ出し、獣のように駆けだした。
 一寸遅れて地面が破裂する。あかりは姿勢を低くしたままスロウンの足を蹴り払った。刃物のように鋭利な一撃に相手はもんどり打つ。
「あばよ」
 一瞬のうちハンナ・カレン(トランスポーター・e16754)は背後に回り込み、吐き棄てた。腰だめに振りかぶった拳が一瞬煌めきを放ったかと思うと、直後、業火が吹き荒れた。地獄の炎に身を焼かれ一瞬のうちにスロウンが朽ち果てる。
 しかしスロウンは一体だけではない。生命を探知した別の個体が瓦礫の下から這い出る。舌打ちを一つ、ハンナが身を翻す。その瞳に映ったのはスロウンの姿だけではなかった。視界の端に異形の騎士がいる。
 ローゼスは微塵も慌てることはなかった。スロウンに弱点と呼べるものがあるのならば二つ。行動も思考も単純にすぎ、かつ、強靭ではない点だ!
 厚い鎧に包まれた巨躯が躍動する。一から百へ、信じられぬほどの加速度を以て、ローゼスは瞬きする暇もなく両者の間に割って入った。勢いを殺すことなく、そのまま槍斧を振るる。
 二つの力が真っ向から衝突する。乾いた枝を折ったようにスロウンの腕が砕け散った。本能のままにスロウンは動きだしたが、次の瞬間、二本の剣が腹を貫いた。仄かに光りを放つ洞の顔を伊礼・慧子(花無き臺・e41144)は覗きこむようにして凝視めた。そこには何ら感情の色はなかった、慧子の眼と同じように。
 体を回転させると、剣は猛禽の爪さながらにスロウンを引き裂いた。
「…これで5体ですね」
「この調子ならば復興の妨げになる遺恨も無事除くことが出来そうです」
 ローゼスはひさしを上げた。少しでも涼を取らんとしてのことだが、吹いてくるのは色濃くなった緑の匂いと肌に濡れ着くような熱気を孕んだ風だ。熱気に嫌気がさすといった風にシャツの襟ぐりを広げながらハンナは煙草に火をつけた。
「まぁ、奇襲さえどうにかなりゃ、大した敵じゃなさそうだな」
 慧子は頷いた「炎にも弱いようですし……油断をしなければ、ですね」
 人道的にみれば最低の手段だ。だが、なるほどスロウンは道具としては優れていると言わざるを得ない。大抵の生物が持つ生理現象にさえ煩わされず只々息を潜めて機を待つ存在。生来の暗殺具と呼べるかもしれないのだから。
「行こうか」
 あかりは呟き、再び先導を務めた。この街を作り直す、明日を作るために――。言葉にはしないものの小さな背中からは強い意志が感じとれる。ピンと張った耳はどんな小さな兆しでも逃すまいと時たま素早く動いた。
「おいおい、焦んなくても逃げやしねぇだろ……ったく」
 すぐさま追随する仲間達を見て、ハンナは革靴の底で煙草をもみ消して髪をかいた。
 一服する暇もありゃしねえ。冗談ばっかりじゃ胸やけするが、こう真面目一辺倒っつーのも疲れるモンだなぁ。
 的確に仕事をこなす味方を有能と思う反面、どこか落ち着かなくもある。思いながらハンナは回線を繋ぐ勇名に連絡をとった。
「敵には炎がよく効くみたいだぜ。ぼーぼー? なに言ってんだぁ勇名」


 私は任務を完遂できるだろうか?マルティナ・ブラチフォード(凛乎たる金剛石・e00462)は言いようのない不安に駆られた。
「みてみて、マルティナさん! リュックinひびちゃん可愛くない?!」
「――今は任務中だ」
 遠足さながらの歓声をあげるリーズレット・ヴィッセンシャフト(碧空の世界・e02234)を落ち着かせ、マルティナは平常心を努めた。響がいかに可愛いかなんてことは承知だ、あわよくば存分にもふり――。
 いや、落ち着け。そもそも懸念はそれだけではない。
「何か見つかったかしら、勇名さん?」
「……むぃ、なにも」
 時たま、伏見・勇名(フルスイングエビマジック・e00099)がぼぅっと立ち止まりしゃがみ込んでしまう。物珍しいのか足元には大抵小さな花や雑草の類があった。
 それを先頭をゆくセレスティン・ウィンディア(墓場のヘカテ・e00184)が気にかけて振り返るたび、歩みが止まってしまう。というわけで市役所周辺の捜索は遅々として進んでいなかった。
 私は任務を完遂できるだろうか……。頭を抱えたくなった。と、
「クゥー!」
 突然ボクスドラゴン『響』が甲高く鳴いた。途端、空気が張り詰めた。次の瞬間、横薙ぎに払われた腕がケルベロス達に迫り――マルティナは誰よりもはやく剣を片手に飛び出した。
「っく――!? 」
 強い力に膝をつきそうになる。剣を盾にしたとはいえ腕からじんと痺れが広がった。だが稼いだ時間は無駄にはならない。先と見違えるほど俊敏に勇名が駆けだしていた。
 小さな体でステップを踏み、わずかな凹凸など歯牙にもかけない軽やかな足取りだ。瞬時にスロウンの懐に潜りこむと、貫手で胸を突き上げた。どっと重い音がしてたたらを踏むスロウン。セレスティンは追い打ちをかけようと地面を蹴って――即座に身を投げた。頭上を巨腕が通り過ぎる。さっと視線を巡らせれば、そこここで何かが蠢くのが見えた。
「運がないというか、間が悪いというか……」
 どうも偶然に囲まれたらしい。いかに警戒していても点在するスロウンの居場所がわからない限り、起こりうる状況だ。焦る思考を抑えこみセレスティンは冷静かつ迅速に、まずは孤立する勇名の背を補う形で立ち位置を定めた。
 鞭のふるうような敵の攻撃は予備動作も目立つ、セレスティンは僅かに引き付けてから地面を蹴った。振り下ろされた腕は彼女を捉えることなく瓦礫を粉砕する。
 そうね、見てから反応できなくもない。そして避けられないような攻撃は――。
 セレスティンは体を半身に開いて、腕が衝突する瞬間に飛びずさった。重い一撃が体を襲うが、勢いは殺している。
 見れば勇名も同じようにしてスロウンを相手どっていた。時にヒールドローンを盾にしながら俊敏に体を跳躍させては地面を転げまわる。瓦礫の隙間や足元にスロウンが潜んでいれば奇襲は避けられないような動きだったが、勇名はしゃがみこむたび『予め安全を確認していた付近』を足場にして敵をひきつけていた。
 それに気づいたマルティナは舌打ちをした。私は何を見ていた、皆が皆、出来うることを完遂していたのだ!
 不意に勇名と視線が合う。すると彼女にしては珍しく強い口調で声をあげた。
「まるてぃな。ん…と、ぼーぼーだ!」
「なんだ、どういうことだ!?」
「むぃ……え、と。めらめらー!」
「お、わかったぞ。答えは炎だな!」
 こくり頷く。受けて、リーズレットは羽を広げ空を飛んだ。中空で両掌を突きだすと、巨大な魔方陣が展開される。濡れ羽の翼が一層黒く染まった。それは魔法を使う対価の証、だが命の灯火というには炎は膨大すぎた。
 一筋の炎が曇天を裂くように空を流れた。マルティナは瓦礫に足をかけて高々と舞い上がった。掲げた斬霊刀に炎を纏わせ、長大な一個の大剣と化す。
「マルティナさん!」
「ああ――灼き斬る」
 衝撃波が一閃する。スロウン達を炎が呑みこむと、周囲は嘘のように静けさを取り戻した。
「さっそくのピンチだったけれど、これが乗り越えられたんですもの。これからも安心して良さそうね」
「うんうん、みんなで警戒していくぞー!」
 リーズレットが元気よく飛び跳ねた。どこかホッとする反面、なぜか心配にもなるマルティナであった。


 二班に分かれてスロウンを虱潰しにしていったケルベロス達は区画中央付近の校舎に辿り着いた。合流した時点で残るスロウンの数は7体。彼らは効率的に仕事を成したと言えるだろう。
 学校近辺は瓦礫などが少ないため視界が確保でき割合と探索もしやすい。当然樹木は繁殖しているが、校舎内にまで進出していないようで、そういった点でも奇襲の危険は今までよりも少ないといえた。
 かつん。こつり。足音が埃まみれの床を叩く。音は等間隔に並んで、時折思案するように止まった。そして再び動き出す。入念に何かを探すように。
 リーズレットはごくりと唾をのんだ。長年放棄されていた校舎内は昼間でも薄暗く、ねっとりとした空気が纏わりついてくる。長いこと放棄され閉ざされていたのだから無論、生物の痕跡などどこにもない。それでいて何かが潜んでいる、そんな気配だけが濃く漂っていた。
 ハッとして、リーズレットは腕を振るった。袖口から鎖がひとりでに奔りだす。それは蜘蛛の巣を描くように広がると、奇襲の衝撃を分散させた。
「――っ。みんな、上だ!」
 鋭い声にセレスティンが視線をあげた。飛びずさり一撃をかわすも、続けざま放たれた攻撃には対処が遅れる。セレスティンはぐっと歯を噛みしめた。が、寸前のところでスロウンの腕は弾かれた。
「二人からアプローチとはずいぶん人気みたいだな。美人も時には損ってやつかね」
 ハンナは言って微笑をたたえた。
「あら、羨ましい? なら」
 セレスティンは返すと――どうぞとばかり身を翻した。宝石を飾るような薄いレース地が大胆に揺れる。ツンとした香草のような香りがハンナの鼻をついた。天井に張りつくスロウンを視止めて、ハンナは地面を蹴った。
「お生憎。好みのタイプじゃねぇな!」
 中空において無防備な彼女をスロウンが襲う。が、腕は唸りをあげて壁に叩きつけられた。彼女の姿はどこにもない。
 文字通り空を蹴って方向を変えたハンナは、その勢いを利用して回し蹴りを放った。大きく円を描く類のものではなく、鋭く角度をつけた教科書にはないだろう実戦的な蹴りだ。
 スロウンが天井から払い落される、依然、もう一体は張りついたままだ。校内で派手なグラビティをそう使うことは出来ない――逡巡してリーズレットは叫んだ。
「ひびちゃんっ」
 待ってましたと響が身の丈ほどもある翼をはためかせた。弾丸のように空を翔けてどっかと体当たりを仕掛ける。スロウンの体がよろめく、だがまだ足りない。
 緻密に力と方向を制御して……「これでどうだ!」リーズレットは気咬弾を解き放った。光球は狭い廊下のなか螺旋を描くように飛来し、スロウンを打ち落とす。
 図ってのことか、スロウンは重なるようにしてくずおちていた。一度踵を返したセレスティンはすかさず廊下を走り抜ける。
『枯骨の夢の鍵』を振り上げると、王笏の先に鎮座する漆黒の宝珠をスロウンに押し当てた。それは攻撃とよべるものではない。如いて言うならば、幼子をあやすような。
「起きてすぐにでは味気ないかもしれないけれど、もう一度、今度はゆっくりと眠るといいわ」
 宝珠から粉骨が噴き出た。掬い上げた砂に息を吹きかけたように、ぱっと舞う。それがスロウンに触れた瞬間、空間が削り取られたかのようにスロウンの体が消失した。
「死は存外、優しいものよ」
 セレスティンが囁いた。
 他人事とは思えずリーズレットは小さく自分を抱きしめる。漆黒の翼は否応なく現実を突きつけてくる。時計の針が止まったその時に、死は優しく自分を迎えてくれるだろうか? 少なくともあの人が寂しい思いをしませんよう。リーズレットは祈り、顔を上げると校舎内の捜索を再開した。





 轟々と耳元で風がなる。暴力的とさえ言える速度と振動に体が浮き上がりそうになるたび、あかりは必死に足を踏ん張った。視界の植物が、ずぞぞぞ、と蠢き道をあける。期待していたものとは色々と違ったが、残るスロウンを燻し出すのにこれだけ効率的な手段はないだろう。
 頑なに居場所を変えない樹の根を見つけてあかりは言った。
「ローゼスさん、足元」
「押し通ります!」
 盛り上がりつつある大地に挑むように、ローゼスは足を止めず駆け続けた。駆動鎧から煙が噴出される。巨躯に秘めた膂力を余すことなく体に伝え、立ちはだかるスロウンの手前でローゼスは前脚を高くあげた。あかりは咄嗟に背から飛び降りた。
 次の瞬間、空間が揺らいだかと錯覚するほどの衝撃が訪れた。俗に『震脚』と称される体系の技術であるGiino deos。その見えざる刃は、スロウンを真っ二つに切り裂いた。
「主人に捨ておかれ、主人すら果てた今貴様らに最早役目無し。目覚めと共に刃の露と消えよ」
「単独先行は危険だと思っていたが……騎士の力、見せてもらった。私も守るものと矜持のため刃を振るおう」
 軍服がはためき刃が煌めく。彼女が歩を進めれば、剣戟も手を伸ばす。まるでマルティナ自身が一己の白刃のように刃の嵐が吹き荒れる。
 しかし慧子は二人の言葉に疑問を禁じえなかった。
 違う。スロウンが至上とするのは主でも矜持でも、ましてや何かを守りたいという使命感ではない。あくまで下された令そのものだ。私は――瞬時にそんなことを推察してしまう私は本質的にはスロウンと変わらないのだろう。
 いつか騎士足りえるのだろうか? 彼らのように守りたいという想うものは現れるのだろうか。
 慧子は跳んだ。スロウンの腕が空を切る。木立の幹を蹴りつけると、三角飛びの要領で背後に降り立ち、がら空きの首元に手刀を叩きこんだ。
「私は――」
 わからない。今はまだ、仕事として敵性存在を斃すだけだ。
 流れるように足を振り上げて追い打ちをかける――と、同じタイミングで飛び込んできた影が放った蹴りが交差してスロウンは鞠のように吹き飛ばされた。
 一見無関心を装いながらも、あかりには痛いほど彼女の心情がわかる気がした。
 この街も、住んでいた人々も、喪失したものを埋めるために途方もない力や時間を捧げてきた。そして……ようやくここまで来たのだ。
 だから、止めさせない。この歩みは絶対に。
 あかりは『タケミカヅチ』を地面に突き刺した。ぱき、ぱきり。小気味よい音をたてながら緑の大地に凍土のような霜がおりる。渦巻く『氷河期の精霊』を解き放つ。つよく風が吹いた途端、スロウン達は一瞬で凍りついた。
 ぼんやりとしているようでいて勇名の判断は素早かった。それを誰かに伝えることには慣れていないが、こと戦闘においては思考と行動が直結していると疑うほどには無駄なく行動を開始する。ためにあかりの考えをすぐに理解した。
『一通り校舎を巡って3体のスロウンを始末した。そっちはどうだ?』
「と…。まだいっぱい。でも」
 ハンナの通信に返して勇名は砲台を持ち上げた。成人男性でも一苦労するような巨大なコンテナを年端のない彼女がひょいと持ち上げる。
 ピンを引き抜くとアームドフォートの外装がはじけ飛んだ。露わになったミサイルポッドの標準を身動きのとれぬスロウン達に合わせ……勇名はゆっくりと引金を絞った。
 間抜けな射出音に比べるとナパームミサイルの熱量は凄まじいものがあった。弾頭が目標に触れた途端、荒れ狂う炎の渦にスロウン達は呑みこまれる。
 本来であれば大量の空気を燃焼させどこまでも燃え上がる炎は、しかし絶対零度の方円の中では横に広がることはできず、喘ぐように空気を喰らって高く高く背を伸ばしていた。
「んぅー……」
 黒煙と爆塵に晒されたスロウン達が朽ちてゆく姿を凝視めながら勇名は指を折って数えた。1、2………。
「どっかーんで、いっきにぜろ」
 通信に応えて勇名はその場にへたりこんだ。頭がゆっくりと船をこぐ。
「きょーは、くたくただー」


 仕事が終わってなお数人のケルベロス達は区画に留まっていた。
「改めてだけれど、すごいわね。まるで樹海みたい」
 セレスティンがひとりごちて振り返る。
「ねぇ狼、廃墟の散歩付き合わない?」
「どっかの誰かみたいに乗せたりはできねぇぞ」
「……危険ではないでしょうか」
 慧子が首を傾げた。提示されているスロウンは全て駆除したものの、万が一という可能性もある。そんなところだろう。だがセレスティンはふんわりと笑んだ。
「大丈夫よ。ヘリオライダーの予知だし、子犬みたいに弱いとはいえ彼もケルベロスですもの」
「……見逃しがあっても困るから僕も少し、その辺りを歩いてみるね」
 あかりが言った。ご一緒する? セレスティンのそんな視線に彼女は首を振るう。
「ううん。僕も、大丈夫だから」
 ついとあかりが顔を逸らしてこちらを見た。……バレていたようだ。とはいえ今頃のこのこ出ていくのは躊躇われる。俺はひとり離れてゆく彼女を追って、音もなく木々を跳びうつった。
 ケルベロス達が取り戻し、守り抜き、これから変わりゆくだろう街の姿をひっそりと目に焼き付けながら。

作者:東公彦 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年7月26日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 4
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