陽のそそぐところ

作者:東公彦

 いったいいくつの夢を枯らしてきただろうか。少女は大輪の花を探しては自分の中に種を見つけようとしてあがいた。しかし元来より水をやる勤勉さは持ち合わせてはおらず、少しばかりの根腐れが起これば、たちまちにしてその根を引っこ抜いた。そして振り返ることもなかった。
 制服姿の少女は深く溜め息をついた。どうしてあんな連中が……。どうしようもない焦燥感や生々しい嫉妬が腹の中から競りあがってきて、不意に少女は叫びだしたくなった。
 世界中の誰もが自分を置いて行く。少女は自分を、日向にあぶれて咲けない花に見立てる、一種ヒロイックな妄想にすら浸った。その度に現実の全てが際限なく嫌らしく価値のないものに感じられた。
「私にだって才能があればいいのになぁ。そうすれば誰にだって好かれて、誰にだって尊敬されて……」
 満たされない欲求を爪先にこめて少女は石を蹴った。石は通学路を跳ね転がりながら、導かれるようにモザイクの足にあたった。ハッとして少女が顔をあげた。途端、西日のまぶしさが目を焼く。
「叶えてあげますよ。あなたの夢を」
 少女はそう声にした誰かを、シルエットでしか窺うことしか出来なかった。そして差し出された手を黙って見つめた。
 バカじゃないの。今時ひっかかる子なんていないのに。
 少女は心のなかで口を尖らせ、怯えを隠すように目の前の誰かを鼻で笑った。しかし言葉に反して視線は伸ばされた手に釘付けにされてしまう。
 一笑に付すような話に、すがりつける希望を見出した少女は、つい手を伸ばしてしまった。そして二人の手が触れ合った瞬間、少女の胸に鍵が突き立った。


 首から下げた懐中時計をぎゅっと握りしめて新条・あかり(点灯夫・e04291)は少女に想いを馳せた。時計の針は巻き戻すことができる、けど流れゆく時間はそうはいかない。狂った歯車を正せば時計は正常に動きだす、けど人の心の歯車に正否はない。狂ってしまえば、それを治すことはとても難しい……。
「僕に何が出来るだろう」
 ひとりごちるようにあかりが言った。かける言葉が見当たらず、正太郎は伏し目がちに説明をはじめた。
「ドリームイーターが一人の少女に狙いを定めたみたいだよ。少女は自分にない才能を持っている人をとても強く羨んでいるみたいなんだ。幸い、まだ少女は夢を喰われてはいないから、みんなには少女とドリームイーターが遭遇する通学路で待機して戦闘にうつってほしい。一つ、気がかりなのは……」
 正太郎が言いよどむ。すると、あかりが後をついだ。
「女の子のこと。ドリームエナジーを奪われれば命に関わる、けど、この子はそれを望んでいるみたいだから……」
「敵はより強大になるためにドリームエナジーを手に入れたいはずだよ。その為なら、嘘くらい平気でつくはずさ。この子を引き離しても、戦闘中のどさくさに紛れて自分から敵に近づかれたらマズイ。とはいえケルベロスがつきっきりってわけにもいかない」
「僕は――」
 あかりは最後まで言葉を続けることは出来なかった。その提案が、さもあれば職務をこなすうえでの障害になりえるかもしれないと思って。
 でも、僕はあの子に伝えたい。
 白衣の裾を握りしめて、あかりは押し黙った。
「……仕事の成否に少女の生死は関係ない、その点は伝えておくよ。さぁ、仕事に行くとしよう」
 正太郎は分別くさい大人の声で言ってヘリオンに乗り込んだ。
 そして振り返ることなく、ぽつりともらした。
「デウスエクスを倒せば全てが解決するわけじゃないし、無理に大人になることが正しいわけでもない……。難しいけれど、だからこそ、伝えなきゃいけないこともあるのかもね」


参加者
琴宮・淡雪(淫蕩サキュバス・e02774)
新条・あかり(点灯夫・e04291)
玉榮・陣内(双頭の豹・e05753)
七宝・瑪璃瑠(ラビットバースライオンライヴ・e15685)
比嘉・アガサ(のらねこ・e16711)
清水・湖満(竜人おかえり・e25983)
款冬・冰(冬の兵士・e42446)
天瀬・水凪(仮晶氷獄・e44082)

■リプレイ

 空から見下ろせば、住宅地に沿って作られた通学路は迷路のように入り組んでいた。黄昏に染まる通学路には不思議なほど人気がなく、身を置くのは少女とギフトだけであった。少女の手が伸ばされた、まさにその時。
「俺が叶えよう、君の願いを」
 声に少女は振り返った。そこには、有りえぬことではあったが、たしかに黒豹が背を伸ばして座っていた。
「君が望むなら、主役にしてあげよう。夢喰い狼に襲われる、憐れな少女の物語の」
 半月のような眼で玉榮・陣内(双頭の豹・e05753)は少女を見据えた。再び視線を戻せば、シルエットは遠く黄昏に照らされて他の影と共に躍動していた。
 あれはなんだろう? 少女はギフトへ目をこらした。そこへふいに橙の空から桃色の花弁が降り落ちてきて、ハッと顔をあげた。冬桜など通学路のどこにもない、それに花弁は冬桜特有の薄い白桃色でなく、大きくはっきりと色づいた桃色であった。
「たとえ膝を折っても、もう少しの我慢で楽になることもありますわ。ねぇ、誰だって挫折はしているもの。あなたも、私も、ね」
 艶やかな角袖袷を纏った琴宮・淡雪(淫蕩サキュバス・e02774)は、少女の目に桜の精のように映った。少女は咄嗟に思った。ああ、これは夢だ、と。
「ううん。夢のようであっても、これは現だよ」
 七宝・瑪璃瑠(ラビットバースライオンライヴ・e15685)が言った。夕陽を象ったような金緑石の瞳が心の内を読んだのだろうか。少女は喉を鳴らして後ずさった。そんな肩にそっと手を置いて、淡雪は語り掛けた。
「失敗することはダメかしら? そんな生き方ってみじめに見えるかもしれませんわね。でも、折れても継ぎ合わせて立ち上がろうとする。それって決してダメな生き方ではないと思いますわ」
「そう、ボクたちは君の『いつか』を護りに来た。君が自分の足で歩いた道を誇れる、自分を好きになれるいつかを。そして君を想ってくれる誰かの来るいつかを、ね。命を差し出してしまえば、それは訪れなくなってしまうよ」
 少女には世界が夢想と現実の二つに区切られたように感じられていた。目に映る彼らは、ケルベロスとデウスエクスのどちらが。少女は決めあぐねて身を強張らせた。肩に置いた手がほどかれた。
「ボクの言葉は希望論かもしれない。けれど誰よりも誰かの才能を信じる君なら、信じられる誰かが君を信じて見つけてくれることを」
「挫折を繰り返しても諦めずに自分の道を進む。此処で負けたらダメだって気持ちは、とても大切なことですわ」
「とはいえ、ときには逃げ、すがるのも悪いことじゃない。だから君は、もっと簡単な道を選ぶことも出来る。俺や奴に手を伸ばせば一瞬でな。まぁ、往々にしてインスタントは味気ないことを覚悟した方がいいが……。選ぶのは君自身だ」
 そして幻のように黒豹も、桜の精も、沈む太陽の瞳の少女も消えた。


「警告」
 予期せぬ闖入者を見るや、ギフトは少女に腕を伸ばした。命を求めて蠢動する魔手は、しかし少女に届くことはなかった。
 藻草のごとく地面から生え出た異形の腕の数々が、ギフトの腕に足にと絡みついていた。
「行かせん」
 天瀬・水凪(仮晶氷獄・e44082)が呟くと、彼女が『喚起』させた無念怨念の腕は、身じろぎ一つさせんとばかり己を強く絞めあげた。
「……各自、作戦通りに。行動開始」
 青白い刀身を掲げた款冬・冰(冬の兵士・e42446)の命に従い、甍の上、塀の角、草木の茂る中などから一斉にオートマトン『オプリーチニキ』が姿を現した。この一様に黒いスーツを纏った氷像の一群は、搭載された武装を集中させた圧倒的な火力を解き放った。
 ゴーストタウンのような街は一瞬で戦場に変わった。ギフトを木っ端同然に吹き飛ばしてなお攻撃は止まず「そこまで」と冰の声がかかる頃には、粉塵に包まれて視界は利かなかった。
 指令を終えれば即座に撤退をはじめる。決して便利使いできぬ高価な一軍である、一機の損失も看過できなかった。と、
「排除」
 声がしたと同時、粉塵の中からモザイク片が飛んできた。ギフトは己の傷口を切り離すようにモザイクを飛ばした。弾丸のように射出されるモザイクのなかで比嘉・アガサ(のらねこ・e16711)は手を打ち鳴らした。
「さ、こっちはたっぷりと働いてもらうよ」
 呼び出された大量の紙兵が飛来するモザイク片の前に展開される。一枚では頼りない紙兵は、体を重ねることで厚みと強度を増し、風にのって舞いくる桜色の花弁を武具のように張り付けて前へと勇み出た。
 清水・湖満(竜人おかえり・e25983)はそんな紙兵達を盾として、時たま直撃するモザイク片に顔をしかめながらもギフトに肉薄した。
「人の弱みにつけ込むなんて許さへんっ」
 鋭く息を吐き『静令』を振り下ろす。潰れた無骨な槌頭がギフトの肩を打ち砕き、二振りで腕が千切れとんだ。衝撃点から絶対零度の氷が生まれ出て、黄昏に不思議な光を放った。
 新条・あかり(点灯夫・e04291)は走った。白衣の裾をなびかせて、冷たい空気に喉をさされながら懸命に走り抜けた。堅く尖らせた耳は手にするナイフの切っ先に似た確固たる意志を持っているようにもみえた。
 彼女は僕だ。十人並みの容姿と才能に「僕なんか」と悪癖をついていた頃の。そんなコンプレックスはアイロンでシミを落とすようには消えなかった。ケルベロスは真面目にやってきたけど『誰かの為に死ぬこと』で特別な自分を認識したかった。夢だ、とてもヒロイックな夢。
 思いながら、あかりは跳躍した。中空で体勢を整えて惨殺ナイフをギフトの傷口に差し込んだ。渾身の力で手を動かし、刃を挽き回す。
「苦痛、苦痛!」
 少女を誘っていた時の甘い声は一変して無感情な響きをおびていた。モザイクの腕がうなりをあげ、あかりを横殴りに打ち据えた。腕は不気味な大口にかわり、歯を剥きだしにして迫ってくる。
 しかし噛みあわさった歯はあかりの皮一枚かすめることはなかった。巨大な口を陣内と『猫』が両側から押しとどめている。
 上空から降ってきた瑪璃瑠が上顎に踵を落とすと、大口はだらしなくひしゃげた。
「ここにお前の手にするものは一つもない!」
「あかり、彼女なら後ろにいる」
 あかりはさっと視線を走らせた。少女は確かに電柱の影に隠れつつ、こちらを覗きこんでいた。決心がつかないのだ。彼女は迷っている。
 湖満は少女をたしなめるように声をあげた。
「夢と、それを叶えるための才能。誰だって欲しい、あたりまえやね」
「清水様、傷が……」
 振りかぶられたモザイクの剣に息を合わせるように湖満が打ちかかった。
 自分に才能があるかと問われれば首を捻りたい気持ちがあった。血のにじむような努力に費やした青春の十数年を犠牲にせねば自分はここまで来られなかったのだから。
「希う夢には叶うものもある。全部とは言えへんけど、それも死んでしもたら意味があらへん。産まれた時にもらった才能(ギフト)が、あなたにも必ずあるの。まだ気づいてへんだけで、みんな必死にそれを探しとるんよ?」
 剣が鞭のようにしなって槌をすりぬけると湖満を切り裂いた。開いた着物の胸襟から艶めかしい肌が覗いて、淡雪は咄嗟、快楽エネルギーの霧を凝縮させて飛ばした。霧は流体のように傷口に癒着し固まってゆく。
「そうですわ。私だって、まだ恋の一つも成就させていませんもの。まだつかめそうで、掴めないものばかりですわ」
 湖満の必死の形相を見て、大口と格闘する仲間達を見て、淡雪は強く願った。少女を救たいと。
「そうやね。それも生きてなきゃ味わえないんよ?」
 ふと薬指の指輪を思い出して、湖満は微笑んだ。
 うん、生きていればこそだ。どんなに絶望しても、命の炎だけは絶やしてはいけない。
「あなたのたった一度きりの人生を、投げ捨ててええの? そんなの駄目。だから、その道は、いかないで」
「その通りだ。己で選んだことならまだしも、利用されることを望んではいかん」
 水凪が疾風のように駆け抜け、ギフトの側頭を蹴り飛ばした。炎を生み出すほどの速さで蹴りつけられたギフトは地面を弾み、電柱を横倒しにしてようやく止まった。
 考えても答えの出ぬことなら、いっそ仲間達に。そう考えていた水凪だったが、こういう時ほど、語る言葉を持たないことを、歯がゆく思うことはなかった。
 だが言葉は輩が代弁してくれるだろう、ならば私は戦うのみ。立つ旗の下を決めた武士のように水凪は戦いにのみ意識を集中させた。
「あたしも一つ言っておきたいけどね。あんた、ほんと、バカじゃないの?」
 意識と体は起き上がらんとするギフトに向けつつ、アガサは声だけを後方に投げた。
「今時こんな胡散臭い奴が言うことを、あ、陣みたいなのも含めてね。そんなアテにならない言葉に騙されるバカなんているはずない、って断言しておきたいんだけど……ホイホイ騙されちゃうおバカな奴がこの世には大勢いるんだよね」
 アガサは如意棒を自在に手繰り、上下左右からギフトを打った。足を払えば、肩に振り落とし。脛を打って、胸を突く。そして彼女の言葉はギフトを打ったと同じほどの強さで少女の胸をも打った。
「だったら、邪魔しないでよ。あたしはっ――」
「最後まで聞け、意固地になるな!」
 アガサは少女を一喝した。頬をモザイクの鍵がかすめてゆくなか、トドメとばかりギフトの首元を打つ。ギフトは踵が浮くほどの衝撃に大きく仰け反った。
「あんたは騙されなかったじゃない。寸前で迷って立ち止まった。それだって実はすごいことだよ。ちゃんと自分で自分を見極められる目をもってるんだからね」
「アガサの言を肯定」
 冰はひとりごちるように口にするとα-CMi『色白』を解き放った。自律して動くこの粘体生物はドリームイーターにも劣らぬ異形の形となり、餓えた猛犬のごとく犬歯を突き立てて敵に喰らいつく。
「貴女の夢は叶えられると断言。現実的な要因。多くの才が備わずとも、貴女には何より鍛えられたものがある。目。才を見る力」格闘を続ける色白をよそに、冰は感情の色がないモノクロームの目で少女を見た。
「対象を正しく認識出来ている、よって貴女はルサンチマンではないと判断。人の才を羨望してきた貴女だからこそ出来ることがある。周囲の未だ見ぬ埋もれた才を見つけ出し、導くこと。それもなくてはならぬ才」
「ほら、さっそく一つ見つかったよ。例え一つの太陽が沈んでも、月が君を見守ってくれる。そしてまた太陽は昇るんだから」
 瑪璃瑠は剣に組み替えた『二律背反矛盾螺旋・現・セフィラ』の柄頭で地面を叩いた。カツン。不思議なほど音は澄み渡り、一瞬にして辺りに闇が訪れた。夕陽を隠した闇夜には月が輝き星がきらめいている。
 ―わたしが見つけたヒト。ボクたちを見つけてくれたヒト。『月よりも美しいヒト』きっとあなたも見つけられる―
 少女はぽかんと口をあけたまま、突如として現れた満天の星空に手を伸ばした。目の前で輝きを放つ星を掴んだその瞬間、通学路には夕陽が再び昇っていた。
「これは現。君が命を抱えるかぎり、いつかやってくる夢じゃない未来だよ」
 瑪璃瑠が言った。再現された月の光、星の瞬きはケルベロス達に戦う力を与える。
「そうだ。僕なんかじゃない――」
 あかりは拳を握って振りかぶった。
 タマちゃんが教えてくれた。僕が誰かの支えになれることを。僕なんかじゃない……「僕の言葉を届けるんだ!」
 拳はギフトの顔面に突き立った。全身の力を込めて振るわれた一撃に確かな手応え。だが同時に、あかりの動きも緩慢になる。吹き飛びながらもギフトは腕を伸ばした。蛇のようにのたうつ切っ先を。しかし少しも恐くは思わなかった。自分の後ろには必ず彼がいるから。
 突然に、槍のように鋭いモザイクの腕がぼとりと落ちた。
「行ってこい」
 もたげた腕を『ウビンジャスン』で両断した陣内は言葉すくなにそれだけを言った。それだけで十分であった。
 今になって正否や善悪を語るほど我武者羅な若さを持ち合わせてはいない。ただ陣内は、それを行なうべく希望を持つ者を笑うことはしなかった。むしろ自分が手放した物を拾った誰かに対する恩義すら感じて。
 少女の耳には誰の言葉も届かないかもしれない。だが、伝えなければいけない。お前の言葉で。
「憧れは自らの背を押す、何にも勝る原動力」
 その見本だ。冰がひとりごちるなか、あかりは少女を両の眼でしっかりと凝視めた。
「君から見た僕はどう見える?」
 疑問に答える必要はなかった。その顔が語っていた『ケルベロスという生まれ持った才能に恵まれた人間だ』と。
「――違うよ。ケルベロスだっていっぱいいて……ほんとうに沢山の人がいてね。僕がもっと綺麗だったら、もっと強かったら。惨めな自分を見ないで済んだらって思ったりするんだ」
 夕暮れのなかで燃えるような赤い髪が揺れた。喜びを知れば悲しみも訪れる。憧れを抱けば嫉妬ものしかかる。愛に気づけば恐怖も顔を覗かせる。かつてからっぽであった少女の心は今は実に様々な感情に彩られていた。無論、善いことばかりではない。感情というものは光と影の関係に似ているのだから。
「どうしようもないことにだって嫉妬したりするんだ……」
 僕じゃ届かない黄色の花弁。あかりは懐中時計を握りしめた。願わくば醜い僕を見ないで欲しい、汚れた声を聞かないで欲しい。けれどそれを隠せば言葉は伝わらない。
「でも、あなたにも僕にも居るんだ。こんな自分でも好きだって、大事だって言ってくれるひとが。僕たちは世界一にはなれないかもしれない、ううん、誰かの一番になるのだって難しいもんね。でも、かけがえのないあなたを、自分自身を手放さないで」
 お願いだから。小さく言ってあかりは振り返った。戦う仲間たちを。
 瑪璃瑠の解き放った雷撃がモザイクを散らした隙に、湖満は音もなく死角に滑り込んだ。
「ああ、せや。あんたに贈り物をあげようか。私らにしか与えられないもの。『死』を」
 全ては刹那のなかの出来事だった。ギフトがそれを認識できたか、誰にもわからない。ただ真っ二つに別たれた体をひきずってまで少女に近づく妄執には背筋が冷える思いがした。
 やがて手を伸ばせば触れられるほどの距離にまで近づくと、
「ねぇ、もう一度だけ聞かせて。あなたは本当にこの子の夢を叶えてあげられるの?」
 あかりがしゃがみこんで聞いた。
「叶えてあげますよ。あなたの夢を」
 一言一句変わらぬ答え。しかし少女は手を伸ばさなかった。夢を抱けない存在が、どうして誰かの夢を理解して叶えられるだろうか?
「『Liar(ウソツキ)』」
 言葉と共に数千もの氷針がモザイクの体を刺した。


「結局、あの子は手を握ることはなかったな。デウスエクスとも、わたし達とも」
 水凪は遠くを眺めるように少女を見ながら口にした。わかりあえそうな気がした分、それが実に口惜しい。
「言葉は尽くした、これからは彼女次第」
 対して冰は正反対の考えを持っていた。ケルベロスの才、力と言い換えても良い。それが少女の目にはどう映っただろうか。もしやすれば少女の心に影を落としたのではなかろうか、と。
「とにかく生きていてくれるだけで十分や」
「……コミチの安直な思考を、今は推奨」
 そう、物事は。特に人間の感情機微を完璧に計ることは出来ない。考えの放棄ではなく個人の勝手な願望、それも一つの答えだ。

 ケルベロス達には被害ヶ所へのヒールが残っていたので、少女を家まで送り届ける役目は支援要員として仕事に赴いていたイッパイアッテナ・ルドルフが請け負った。
 手を引かれて少女が遠ざかってゆく。すると、ずかずか少女の前へ歩み出て、アガサはいきなりその手にケルベロスカードを手渡した。
「今日あったことを思い出す時に必要だろ。なんなら自慢してやりな、ケルベロスに守ってもらったってね。これがその証明になる。……あんたがやるべき事を見つけた時にも、きっと役にたつはずだよ」
 と、少女の手の中にもう一枚のカードが投げ置かれた。
「例えば布のかかったキャンバス、置いたままにされた詩集、埃まみれのグローブ。捨てたものも、そう悪いもんじゃない。そういうものも大事にするといい」
 イッパイアッテナはくすりと笑ったが、少女は言葉の意味を呑みこめないようだった。とにかく礼をして立ち去ってゆく。
「それって誰への言葉かなぁ、陣?」
「たまにいってほんとに回りくどいよね」
 アガサの鬼の首をとったような声に瑪璃瑠もつけ加えた。
 兄様とたまにいはいつもは全く違うのに、時々驚くくらい似ている。優しさの形って案外どれも一緒なのかもしれない。
 さあね、と風が陣内の声を運んだ。

「ねぇ、あかりちゃん。今日は本当によくやりましたわ」
 少女の背中を見送るあかりに淡雪が語り掛けた。赤い髪を自分の懐へ大切にしまうように抱いて頭を撫ぜる。
「僕、嫌われたりしないかな……」
「そんな小さな男なら私が張り倒してあげますわ」
「それはダメ」
 消え入りそうな声に少しばかり調子が戻った。
「なんだか今日の淡雪さん、お姉さんみたい」
 胸に甘えた少女に、淡雪は聖母のごとく慈しみの笑みをむけた。
「一人より二人、いざという時は一緒に彼氏を探しましょうね」
 ひどく煩悩にまみれた聖母ではあったが、その胸が少女には心地よかった。

作者:東公彦 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年1月1日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 2/素敵だった 5/キャラが大事にされていた 1
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