裡に籠る

作者:五月町

●誓いを音に
 冬なお緑に彩られた森が、ひっそりと佇む小さな社殿を抱いて広がっていた。
 神主が常駐することもない。けれど、近隣に住まう人々が交代で手をかけ、折にふれ浄め、『神域』として清浄さを保ってきた森。
 不思議と澄んだ気が流れ、現世から切り離されたかのような静謐さが満ちて──だから、神様に声が届きそうだと訪れる人々が思うようになったという話も、確かにありそうなことだった。
「年明けの頃、その森へ向かう橋がデウスエクスの襲撃で落とされたそうだ。修復依頼が届いてるんだが、手を貸して貰えるかい」
 大量の竹箒をヘリオンに積み込みながら、グアン・エケベリア(霜鱗のヘリオライダー・en0181)が手を募る。
「元々、正月参りに参拝客が大挙して押し寄せるような社じゃあないらしい。それが幸いして……というのも妙な話だが、ともかく、人の被害は無しで済んだそうだ」
 大事なくて何よりと一息ついたものの、訪れる者のなくなった社と森の様子が気にかかる。そうして一月ほど焦れた時間を過ごした人々によって、今回の依頼が出されたという顛末だ。
「橋脚なんかは多少残っているようだし、橋自体はヒールで直すことができるだろう。手が足りるなら、社殿や森の掃除も引き受けてやってくれ。必要な道具はこのとおり準備しているからな」
 箒の先にちくちくされ、どこか擽ったそうに見えなくもないヘリオンを置いた手で宥める。自分も掃除なら手伝える、と赤い眼が綻んでいた。
「仕事を終えたら、俺達も森の神さんに一声届けてこようか」
 多くの人がそうするように、自分では叶えられない願いを託すのもいい。自分で叶えたい願いを、誓いとして口に出すのもいい。
 日頃は裡に籠めた思いを敢えて、言の葉にする。その行為そのものが、現に現れる最初のかたちになるのかもしれないと、グアンは笑った。
「正月参りには随分遅れたが、神さんも掃除に免じて許してくれるだろうさ」
 少しばかり綺麗な空気を吸って、身の裡を静かに顧みる。音にする。
 そんな時の使い方も時には、悪くないかもしれない。


■リプレイ


「よーし、これで修復お終い!」
 無造作に投げた月の光球が、触れるそばから草花絡む橋柱に変わっていく。
 癒えゆく橋を渡っていく仲間たちを満足げに見送って、ミリムは竹箒を手に取った。
 常緑の森とはいえ、枯れ落ちた枝葉がないではない。砂埃とともにそれらを掃いながら唇に乗せる最初の願いは、去年よりもデウスエクスに悩まされる人々が減るように――と、猟犬らしく。
「自分の願いは……綺麗なウェディングドレス、け、結婚……」
 いやいや! まだ早い早い!
 一瞬で頬に上った熱を、ざかざかと勢いのよい箒で発散する。――神様もどこかで笑ってくれたかもしれない。
 きらきらと吹き抜けた春告げの風が、橋に残った僅かな瑕疵をも拭い去る。それを認めて、蓮は神域へと歩み出した。
 修復中の賑わいから離れ、聴こえるのは葉擦れと鳥の歌、そして自身の零す音ばかり。不意に訪い来るひとひらの白の使者に、思い出すのは雪の君。
 いずれ知らぬ人のもとに嫁すだろう、大切な人。叶わないと知る想いを口にすることは一度たりとなかった。けれど、聴いてくれる神がいるのなら。
「……彼女の隣に居たい」
 伸ばした手にそっと受け止めた筈の白は、ふわりと冷たく滲んで溶けた。


 メイの体から伸びた御業が繋いだ道に、小さな袋から冷たい外界へ、アラタにふっと吹かれて飛び立った銀白の綿毛たちが彩り添えた橋。手を繋ぎ渡りきったら、今度は箒がけ。
「メイ、塵取りくれるか?」
「はい、アラタちゃん!」
 ふたり揃えば笑顔も朗らかな声も花咲いて、ふと手袋の手で口をおさえるメイ。
「静けさが好きな神様でも、きっとお掃除してくれる人は嫌がらないよね……気持ちいい、嬉しいと思ってくれているといいよね」
「うん、きっと大丈夫だ! 神様、騒がしいの苦手だったらごめんな。少し我慢してな」
 代わりに手は休めずに、丁寧に。掃った枝葉を纏めたら、ひとつ大きく背伸びして。
「メイは何をお願いする?」
「私のお願い事は、去年よりも皆のお役に立てる事」
 今だって充分だけどと首傾げつつ、広がりゆく親友の世界に目を細める。応援するのは当然のこと――何なら自分も一緒に頑張ろう!
「アラタはな、去年より一人でも多く笑顔にしたい!」
 願い続け叶え続ければ、積み重なった『ひとり』はいつかは『たくさん』になる。
「とっても素敵だと思う! それに私は、アラタちゃんにも笑顔でいて欲しいとすごく思うよ」
「うん、アラタも笑顔で笑顔を呼ぶよ! ――ほら、もう!」
 告げたそばから目の前に、親友の笑顔が咲いた。
 気づけば社殿は目の前で、揃いの動作で振り返れば、後ろに続く成果の路。
「よく頑張ったな、二人共」
「あ、グアンだ! 誕生日おめでとう!」
「おめでとうございます。一緒にお祝いできてよかった!」
 労いに返った祝辞にグアンは瞬いて――ありがとう、と大きく笑った。

 散る葉も寒風ももろともに掃き清め、逆の道を進んできたラウルとシズネも社殿へ至る。
「オレも掃除くらいできるんだぜ」
「ふふ、君と一緒だから早く片付いたよ」
 誇らしげに振り返る少年のようなシズネ。神様に声を届けないとと思い出す声に、躊躇いはほんの一瞬。ラウルは柔い笑みを裡に宥め、真摯な眼差しにシズネの橙色を映す。そう、この色だ。
「俺は……この命がいつ散っても構わないと思ってたんだ」
 けれど出逢って、世界はこの暖かな熱の色に塗り替えられた。この燈火にもっと染まりたい、共に生きたいと願ってしまった。
「……オレも一人で生きようと思ってたけど、今はおめぇが隣にいないとだめなんだ。だから、オレの願いも――」
 隣で一緒に生きること。告げるシズネの笑顔に、薄縹の瞳は瞬いて、笑み零れて。
 凍てる風に冷やされた掌も、重ね合えば途端に熱を生む。
 いつもどおりだけれど、いつもどおりじゃない。伝え合い重ねた思いで、二人は現を歩む。

 ――元々は俺の言葉じゃないんだ。でもね、
 願いを歌った子は今は空と胸にいて、生かし続ける心算の繰り言はいつか自分の望みになったのだと。空へ放った口癖を聞き留められて照れ笑った幹は、遠くで何事もなかったように拝殿のハタキ掛けに勤しんでいる。
 だから、借りた言葉を唇に乗せるあかりは一人だ。
「誰も泣かなくて良いように」
 日常を失った人々も、猟犬たちも、好きな人たちも――殺した人たちさえも、とあかりは思う。泣かないように、泣かせないように、そのために自分は最期まで番犬のままで在る。前を向き、立ち続けることが叶うように。
 塵を掃われた床が、応えるように鈍く光る。見た目ばかり柔らかそうな綿埃に囚われた小さな蜘蛛を、そっと外へ逃がした。

 凍り付きそうに痺れる指先に力を込めて、黒くなるほど時を吸った床を拭く。きゅっ、きゅっ、と歌う雑巾に、哭は頬を緩めた。
 少しずつ曇りが失せ、鏡のように光りゆく床に映した思いを拾っていく。大好きな人を守れるように、その幸せに笑えるように。そう努め、想いもする、けれど神様に伝えもする。
「聞いててね、これは俺の誓いだから」
 視界にふわり、映った白い影に顔を上げれば、対比に目が痛くなる。きらきらして眩しくて、淡く煙る息が和らげた視界に飛び込んでくる雪に思わず笑う。
「俺ね、冬の――この空気が好きっすよ。神様」
 肺の奥まで凍りそうな澄んだ匂いの空気も、呼吸するだけで柔らかな白に染まる世界も。


 その力は、森に坐す神様への挨拶だ。護身刀から零れ落ちた光の花弁は、恭志郎の裡なる炎と響き合い、白炎に災禍の跡を包み込む。
 兄と共に癒えた橋を検分し、力を箒へ持ち替えて掃き進む。さなかに零れ落ちるのは、友人と行った初詣のこと、大学で育てたキャベツを褒められたこと、他愛のない話ばかりだ。
 弾む声に冬真はひそかに安堵する。いつだって懸命で――けれど自分の優先順位が低く、頑張り過ぎてしまう弟が、先の戦いの疲労を残していないものか。少しでも目に留まれば休ませる心算だったが、どうやら大丈夫そうだ。
 そんな気遣いを察した訳ではなかったが、
「兄さん、俺、しわしわのお爺ちゃんになるまで長生きしたいんです!」
 弟の力強い宣言に、兄は目を瞠る。
 本来はないはずの命だと、生の後ろめたさに背を押されるまま、命を誰かの盾となし戦ってきた恭志郎。それが大切な人や友、他ならぬ兄自身にも心を掬われ、周囲を案じさせた生き方を変えられたことをその声音が証す。
「皆で笑い皺がそのまま取れなくなるまで笑って生きたい。それを毎年毎年、大切な人達の側で願っていたいんです」
「――じゃあ、僕も一緒に長生きしないとな」
 年を取っても、こうして共に過ごせるよう。
 繋がりから生まれる幸いを知った恭志郎の頭をくしゃりと撫で、冬真は白い安堵で空気を染めた。

 時の中に沈みかけた道が、森の中にふたたび拓かれていく。心の籠った箒使いでひと掃き、ひと掃き掻き重ねて、ふと息を吐いたエレオスが笑顔で振り返る。
「ヴェル、とっても綺麗になりましたね」
「そうだね」
 軌跡を共に振り返り、綻ぶヴェルトゥに問いが重なる。願い事は決まりましたか、囁く友に銀の瞳が揺れる。全くない訳ではない、けれど顧みる心の裡に、自分の為の願い事は簡単に浮かび上がってはこなかった。
 友人の迷いを見留め、エレオスはそっと瞳を閉じる。自分も迷い続けてきた。願っても良いのかと秘めてきた、その言葉をいま、音に。
 ――どうか、探し人に再会できますように。
「……エレには会いたい人がいるの?」
 深くは問わない友の優しさを映し、肯く代わりに微笑むエレオス。それならと、ヴェルトゥの中で揺れるものはひとつに定まった。
「じゃあ俺は、エレの願い事が叶いますように。そうお願いしてみようかな」
 叶えば自分も嬉しい。だからこれは、自分の為の願いでもあるのだと。聞き届けられるだろうかと窺う耳に、木々のざわめきが返事のように心地好くて。
「優しい願いですね。……この想いは神様に届いたでしょうか」
「ふふ、きっと届いているさ」
 励ます掌さえも優しい。二人見合わせる顔に、微笑みの花が咲いた。

「合格、合格、合格……」
「あはは、アルさん、そんなに呟いたら森の神さまがびっくりしちゃうよ」
 春乃の頑張りを傍らで見てきたから、運に頼む必要などないと知っているけれど。頑張った分の全力が出ているように――そう願うアラドファルに、春乃はだいじょうぶと笑う。
「君がそんなにも願ってくれるのなら、頑張った分だけの結果は出ると思うよ?」
 学校でもやっているからと手慣れた箒捌きに、感じ入った白い吐息が辺りを染める。冷たい風に吹き戻されても根気よく作り続ける道は、願いを抱えて訪れる人々の為。
 ふと――足を止めた気配に振り返る春乃の前に、
「春乃、きっと森の神様が見ていてくれる」
 わくら葉から覗く灰の眼差しと目が合って、思わず笑い零れた。――こんなにも優しく強く、自分以上に望まれた『願い』。彼に映った神様はきっと聞き届けてくれるから、
「今日のわたしの願い事。君の願いが叶いますように、なの」
「俺自身の? ――それなら、俺も一緒の願いかな」
 いつだって君とずっと一緒にいること。神様の目を外してふたり、笑い合う。

 ――神前へ航る道を落とされてなお、静謐さを保ったまま在り続けた神域。
 人々の祈りや願いが形作るその概念を、掃き清め守ろうとする人々の、仲間たちの手。社の側に立つ身にあれば、その思いは深く夜の身に沁み入った。
 ふと傍らの君を振り返る。深森の閑けさ、ひたと逼るこの寧静に、アイヴォリーは覚えがあった。遠き故郷を見出して彷徨い出す心、それが、
(「自分のものか、それとも、この身に宿す神の――」)
 心の境界に揺らぐ娘を確かな熱で繋ぎ止めれば、此岸へ立ち戻った眼差しは何でもないのと微笑み、粛然と社の前に背を正す。かたちは違えど神へ向き合う者同士、互いの業の全てを知るには及ばない。
 願いはとうに決まっていたと、臆すことなく娘は言った。胸に灯る想いの熱を知ってしまった瞬間から、それ故に負う罪も厭いはしなかった。
「貴方のものに、なれますように」
 傍らに聴く男が目を伏せる。娘の見上げる顔には微笑みがあった。
 永遠も来世もない、瞬きの生の間。神の御饌ではなく、自分のものになってくれるというのなら、この身も等しく捧げよう。
「――現世にありて必ずや君のものに」
「ええ、必ずや、現にして差し上げる」
 神坐す場所に響かせる二つの誓い。零れかけた熱を仰ぐ空に堪えて、声は微笑んだ。


 神域に連なる橋を落とすような不届き野郎を殴れなかったのは悔しいが、と勲の言葉は血に逸り、しかし声音は軽妙で、全くだとグアンも笑う。
 ギャンブルでボロ儲――もとい、勝負運が上がりますように。神頼みとはそういうモンだと口先尖らせながら、ふと笑みを消した眼差しは木漏れ日照らす掌に落ちた。
 今度こそ、大事なものを一つも取り零すことなく、この手で守れるように。それを果たすのは神ではない、己だけだと心に刻む。
「お前さんの在り様は好ましいな、勲」
「あんたは何を願ったんだ?」
「俺か? そうだなあ。……叶わんと分かっている願いだ、恨み言のようでどうにも気が引けていたんだがな」
 俺も猟犬になりたかった、と。だから猟犬たちの背に送る全てを惜しまないと誓ったのだと、穏やかに笑む男の肩を勲は叩く。
 進む道は定まらずとも、揺らがぬ信念が二人を歩かせ続ける。――分かれた道の先にある、同じ高みへ至るまで。
「俺は……そうだな、今日のような日が今後も続けば、それでいい」
 人前で口にするのはどうにも気が引ける、とおおらかに笑った晟の無私に、グアンは目を細める。
「そのためにはまだ、やらねばならんことは山積みだがな」
「それでも、自分で叶える心算でいるんだろう?」
「ああ、勿論だ」
 思いまでは匿さない。可能性のある誰かの未来が、もう拾うことの叶わない過去へ転じる前に――最善を。結果はどうあれやらねばならぬと、笑う眼が語っていた。
「あんたの望みに敬意を。俺もその願いに邁進しよう」
「ああ、頼むよ。……いやはや、真面目なことを言うとこそばゆいな」
 破顔する竜人たちの傍らを、清められた風が吹き抜けていく。

「なんだよ、こんくらいなら俺だって出来るって」
 がさがさと少々賑やかに箒を歌わせながら、譲葉は森を行く。ありのまま、道ならぬ道の風情も嫌いではないけれど、綺麗な方が見下ろす神様も落ち着くだろうとも思う。
「なあ、神様。俺もいつか、アンタと同じくらい高い場所に行きたいんだ」
 一度は背を向け、放り投げた。あんな修行は二度と、とは未だに思う。
 ――けれど今、力が欲しい。強くなりたいと心から願っている。
 不意に浮かんだ真面目な顔に、自分で噴き出した。らしくない。掃除もだ。
「慣れないことはするもんじゃないな。さっさと終わらせて、賽銭でも投げて帰るか!」
 そう悪びれてはみるけれど。
 慣れない願いを口にするほどの熱量は、確かに胸の裡に息衝いて、その思いが駆け出す時を待っている。

「片手間に出来っからヒールよか断然楽だな」
「この森で口にした事は聞こえてるらしいぞ」
 咎めの色もないティアンの声に肩を竦めつつ、サイガの箒は存外に働き者だった。
 願いを問う声に晩メシはうまいラーメン食いたい、と口にしたのには建前も嘘もない。その日一日『生きる』ならその程度の継ぎ足しで十二分、そう語る声の迷いのなさに、ティアンは成程と白い息を吐いた。
 自身はといえば、ひととせ巡る前ほどには己の為の力を必要とはしていない。それでも、
「強くありたいな、もっと」
 ――傍を行く早さで歩いていられるように。その声に低くも確かに灯る熱量に、ほお、と口振りだけが冷やかす。
「随分ワガママになったじゃねえの。もう全部いらなーいつってたのが別人みてえ」
「……そういえばサイガは、どうして?」
 聞いたきりにしていた問いに怪訝そうな間が空くも、逸れぬ眼差しに敏く察して、男は頭を掻く。なぜ、強くありたい。
「アンタのソレが二度と喪わない為だと云うなら、俺ぁいつでもかわいいかわいい自分の為だ」
 己が望みの為でも他人を傷つけぬ為でも、根は同じ。誰だって生きていたいからだと。
「そう。そうだな」
 冷たい空気を胸に呼び、ティアンはゆっくりと一つ、瞬いた。
 今なら、今だから頷ける。――はじまりも今も、自分は生きていたかったのだ。

「これも言えば現になるでしょうか?」
「おいおい、なって貰っちゃ困るぞ。もう数十年は現役でいるつもりなんでな」
 何時かの装いなら『ご隠居さん』のようで様になりそうだと笑み零す朝希の髪を、グアンはにやりと笑って掻き回す。
 枯れた枝葉を掃う箒の音は、心の裡まで梳いてゆくようだ。紙垂の掛かった大樹へ辿り着く頃には、心の綿埃もすっかり穂先に攫われていた。
 ――どこまでもゆきます。どこにだって、あのひと達の征くところへ。
 他愛ない日々を愛する、普通の人間故に。それは胸の裡の口癖のように、ごく近しい誓い。だから掬い上げてくれなくていいのだと、少年は微笑む。
 たとえこの身から奇跡が零れ落ちる日が来ても、戦う『あなた』がいる限り。
 その決意を、翼も持たずと笑うものはここには、ない。

 知る人は他に必要ないと思っていた。
 今もまだ、『本当に?』と宿縁の問いかけが脳裏を過る。追い遣ったつもりの望み、我儘で、身勝手だと自分では思っていて、けれど実は誰より人らしい望みを、深く根付いた悔恨を、神様にならと千歳は口にする。一掃き毎に己の心へ引き寄せるように。
 あの日あの人を終わらせたのは、自分の心だったのだと。
「いまでもそう思っているんです。でも――」
 聞き届けてくれなくていい、聞いて貰えるだけでいい。――叶わなくてもいいから。
「……また、隣で笑えますよう」
 癒しの飴のようにころりと頬を転がる滴は、ない。それは未だ心の裡に。
 ――どこか遠くで鈴が、りんと歌った。

 心に鎖したモノが戻ったのは、鍵を掛けた自身の弱さに向き合えたから。
 暖かな装いの木々が未だ残る頃、十郎はそれを知った。
 故なく追い遣っていたモノではない。未だ痛みは健在、見据えるのを躊躇うこともないとは言えない。それでもこの落葉のように、自分の力で整えられるモノへと変わった。――降り積もる記憶に箒をかけ、調えていける自分に変わることができたのだ。
 不信心な自分の声も拾ってくれるのなら、証人になってほしいと瞳に空を映す。途中で逃げ出さず、投げ出さず、皆に呼ばれた名で前を向いて、
「進むよ、前へ。一歩ずつでも、必ず」
 喉許へ擦り寄った白杜を撫でる。降り来る応えのような風花を見上げる顔を、しなやかな笑みが彩っていた。

作者:五月町 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2019年2月8日
難度:易しい
参加:25人
結果:成功!
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