月を喰む闇

作者:崎田航輝

 澄んだ月光が木々を紺青に彩る。
 街を遠くにした林では月明かりに濁りがなくて、その清廉さが間近に感じられた。だから月岡・ユア(孤月抱影・e33389)はそんな空を仰いでいる。
「最近はなんだか、楽しいなぁ……」
 美しい月が幾度と巡る内に経験した、様々な出来事を思った。
 友人や知人と過ごす代えがたい時間。一緒に創った幾つもの思い出。振り返れば笑顔の溢れる轍がたくさんある。
 ──けれど。
 ふと心の裏側を意識してしまうと、そこに黒い感情も見つけてしまうのだ。
 忘れてはいけない、忘れられない昏い気持ち。過去、復讐、闘争、その衝動。
「うぅん、今日はとにかく……帰ろっ」
 一度瞼を閉じたユアは、明るい笑みを一つ浮かべて翼を羽ばたかせる。
 そこで耳朶を打つ声があった。
「それでいいの?」
 ユアは本能的に振り返った。
 不思議な感覚と共に見つめてしまったのは──そこに立っている人影が、ユアと似た顔を持っていたからだった。
 輝く髪に月色の瞳。煌めくような目を惹く容姿。
 けれど“見目だけじゃない”と、ユアは心の中で直感する。
 自分の中に抑えようとしていた心。笑顔と表裏一体の昏い感情。眼の前の存在はまるで『それ』自体が形を持ったかのような──。
「キミは……」
「ねぇ。自分を抑えるの、苦しくない?」
 もっと“黒い心”を見せて──そして僕に頂戴、と。
 狂気を帯びた笑みで夢喰いは歩み寄る。
 月が瞬いて、ほんの少し翳った、そんな気がした。

 月の美しい夜に、イマジネイター・リコレクション(レプリカントのヘリオライダー・en0255)が浮かべるのは切迫した表情だった。
「月岡・ユアさんが、デウスエクスに襲撃されることが判ったのです」
 予知された未来の出来事、とはいえ時間の猶予は無いと言っていいだろう。
 現在ユアには連絡がつかない状態であり、ユア自身も既に現場の林の中にいる。
 もう間もなく敵も現れてしまうために、一対一で出遭ってしまう状況を防ぐことは出来ないという。
「ですが、今から急行することで戦闘に加勢することはできます」
 合流までは、時間のラグはある程度生まれてしまうだろう。それでもユアを助け、戦いを五分に持ち込むことは可能だ。
「ですから、皆さんのお力をお借りしたいのです」
 現場は街の外れに位置する林。
 森の端の位置でありそれなりに木々深い所ではある。周囲には人も居らず、一般人の流入に関してはこちらが注意する必要はないだろう。
「皆さんはヘリオンで到着後、合流し戦闘に入ることに注力して下さい」
 周辺は静かなのでユアを発見することは難しくないはずだ。
「彼女を襲った敵ですが──どうやらドリームイーターのようですね」
 『月蝕』という名で、ユアと似た容姿を持つ個体だという。
 出どころや目的は不明だが、痛みや寂しさ、孤独感──そういった感情を求める習性があるようだ。ユアを狙っていることだけは確かで、だからこそ放っておくことは出来まい。
「ユアさんを助け、敵を撃破するために……さあ、出発しましょう」


参加者
戯・久遠(紫唐揚羽師団の胡散臭い白衣・e02253)
遠之城・鞠緒(死線上のアリア・e06166)
エアーデ・サザンクロス(自然と南十字の加護を受けし者・e06724)
深緋・ルティエ(紅月を継ぎし銀狼・e10812)
クレーエ・スクラーヴェ(白く穢れる宵闇の・e11631)
月岡・ユア(孤月抱影・e33389)
萩原・雅浩(金銀絢爛なる忌み子・e35820)
ステラ・フラグメント(天の光・e44779)

■リプレイ

●影
 美しい月夜が一瞬昏くなって、闇の気配が漂った気がした。
 だから藍色の森に降り立った深緋・ルティエ(紅月を継ぎし銀狼・e10812)は全力で駆けてゆく。鋭敏な嗅覚と聴覚が、目的が近いと告げていた。
「この先で間違いない──急ごう」
「うん……!」
 応えるクレーエ・スクラーヴェ(白く穢れる宵闇の・e11631)も迷わずルティエに続く。
 一人で困難に遭っている大切な“にゃんとも”を。これ以上危険な目に遭わせたくはない気持ちだけがあった。
 助けたい想いは遠之城・鞠緒(死線上のアリア・e06166)も同じ。開けた道の遠方に二つの人影を見つけると、虹翼で風を切って急ぐ。
「ユアさん……! 今参りますから……!」
「それにしても」
 と、見えた敵影に戯・久遠(紫唐揚羽師団の胡散臭い白衣・e02253)は呟く。あの場所にいるのは彼女にとってただの敵じゃないと、感覚で理解していた。
「随分と厄介なモノを抱えてるじゃねえか」

「それでいいのかどうか、って?」
 月岡・ユア(孤月抱影・e33389)は目の前の敵に声を返す。
「ははっ、そんな姿でボクの前に現れて、変な質問」
 ユアの顔にあるのは怯みの色ではなく、溢れる戦意。ゆっくりと、月光を宿した刃を構えていた。
「……なぁに? 悪かったら遊び相手になってくれるの?」
「そうだよ、だから僕と戦うんだ」
 応える月蝕は笑っていた。
 まるでユアの敵意を歓迎するように。自身も刀を抜いてユアに切り込む。
 ユアもまた好戦的に刃を受け、斬撃を打ち合った──けれど。
「そう。その気持ちを隠さないで」
 月蝕の言葉に、ユアは微かに唇を震わす。
 ずっと、心は穏やかじゃなかった。その姿に胸の奥がざわついていた。
 直感は間違ってなかったんだ、と思った。
 ──アレは僕の禍々しい心。
 そして全てを壊してしまえる狂気。
「それで終わり?」
「……まさか!」
 月蝕に煽られるままに、ユアは衝動を昂ぶらせて刀を振るう。
 冷静でいられない。攻撃の手が荒々しくなる。
 血が流れる程に狂気が剥き出しになって、己に宿る死の力が心を黒く潰そうとする。
 それを強く意識してしまうのが、不思議だった。
 いつもなら心地よく思い、愉しく戦っている筈なのに、今は──。
「何故、苦しいと感じるの」
 それでも体は衝動のままに動く。自分でも容易に抗えぬ程に。
「その心だよ。僕が欲しいのは」
 月蝕は捕食者の顔で手を伸ばした。
 この瞬間を待っていたとでもいうように──だがその刹那のこと。
「ふざけんな、させるわけないだろう」
 鋭い声と共に、衝撃が月蝕の腕を弾く。
 木々を抜けたルティエが迫り、拳で殴打していたのだ。
 反応が遅れた月蝕。その視界に星光の煌めきがちらつく。
「私の親友に手荒いご挨拶をなさってるわね?」
 それは跳躍したエアーデ・サザンクロス(自然と南十字の加護を受けし者・e06724)。金銀のロッドへ魔力を収束させていた。
「なら、私達もそれ相応のお礼をしないとね?」
 瞬間、放たれた煌めきが命中と共に拡散。月蝕を後退させていく。
 エアーデが着地すると、ユアの前にステラ・フラグメント(天の光・e44779)もひらりと降り立っていた。
 光柱を注いでユアの傷を癒やすと、仮面の奥には安心させるような麗しい笑み。
「お待たせしました、俺の歌姫様」
「皆……」
「ユアさん無事!?」
 そこへ萩原・雅浩(金銀絢爛なる忌み子・e35820)も駆けつけている。
 倒れていないことに安堵しつつも、気遣う声と視線。ユアはそんな仲間の姿に少し、ほっとした表情を浮かべていた。
「皆、駆けつけるの早いなぁ。……助かったよ」
「当然よ。大事なオトモダチだもの」
 安海・藤子は優しく応えると、心を戦闘へ。魔法陣で治癒と守りを兼ねてゆく。
「ユア、そのまましっかり回復してもらって? それまでは私達に任せて」
 エアーデは微笑んで余裕のウインクを見せると、敵の抑えに向かった。
 言葉を引き受け、久遠は柔軟で慣らしてあった体に力を込める。金色の闘気を全身に纏うと雷光の壁を形成し、ユアの体力も回復させていた。
 クレーエが獅子座の加護を重ねると、鞠緒もまた鈴のような声音で治癒の唄を歌っている。物語を描く叙情的で可憐な旋律が、ユアを含めた仲間の意識を澄みわたらせた。
 月蝕はあくまでユアを狙おうとしている。が、そこにきらりと耀く影。
「邪魔させてもらうよ」
 それは横合いから跳ぶ雅浩。金の髪を風に揺らし、銀粉をまぶしたかのような翼を光らせて。端整な顔で笑んで美貌の呪いを顕すと、その力で月蝕を拘束した。
 そこへステラが肉迫し、拳を喰らわせている。
「というわけで、俺たちとも踊ってくれるかい?」
「……君達の黒い心も、隠した感情も、貰ってしまうよ?」
「黒い心? そんなもの山ほどある。だから、こっちに来い」
 月蝕へ返したルティエは、躊躇わず踏み込んで斬撃を加えていた。
「……そう。なら全ての心を覗かせてもらうよ」
 月蝕は応えるように手を翳す。そしてルティエと、クレーエまでもを影で包み込んだ。
 瞬間、ルティエの意識の奥底が蠢く。
 眼前に見えるのは、故郷が襲われた“アノヒ”の幻影。
 潰えた命、瓦礫の山となった景色。全てを喪った日。
 それは紛れもない漆黒の記憶だった。
 右腕の焔がゆらいで、懊悩に目を閉じる──しかしルティエはそれに完全には喰らわれず、倒れもしない。
 苦悩も怒りもあの日から抱き続けているから。
「……今更、飲まれるか」
 久遠の降らした慈雨で意識を明瞭にすると、ルティエは意志を強く、幻を払ってクレーエに駆け寄る。
「クレーエ──」
「……」
 クレーエは顔を伏せていた。
 元より昏い感情があることも自覚している。クレーエが掘り起こされたのはその過日の記憶だった。
 『顔の良いお人形』として都合の良いように玩ばれ、飽きたら捨てられ、また別の《主》の下で同じように過ごしてゆく。幾度も繰り返された日々。
 長くて苦しい、心を蝕むトラウマ。
 しかし、ルティエに差し出された手をクレーエはしっかりと握っていた。
「……大、丈夫。ありがとう」
 夢喰いの力は確かに強い。それでも、人形から人へと戻してくれた人がいるから。
 ──過去になんて負けてやるもんか。
 クレーエは治癒の霧を撒いて回復。
 同時にエアーデが杖を突き出し、流星の如き光線を発射。月蝕の足元を穿っていく。

●心
「やっぱり“ユア”の仲間だね。簡単にはいかない」
 月蝕は一度飛び退きつつも、それでも変わらずユアを見つめていた。
 ユアは戦線へ戻りながら、一瞬目を伏せる。
「皆、気をつけて。アレは……あの敵はきっと」
 そして月蝕の事を皆に伝えた。
 それを聞いて雅浩が見せたのは恐怖でも戸惑いでもなく、好戦的な色だ。
「人のもの……それも感情を奪おうなんてとんでもないヤツがいるねえ」
「この怪盗の目の前でこの子から何かを盗み出そうなんて、いい度胸してるよな」
 ステラも僅かに声を低める。
 怒りにも似た感情があるのは、何よりユアが大切だという想いがあるから。
「──誰にも、盗ませねぇよ」
「そういうことだ。悪いが大事な友達でな。こんな所で失う訳にはいかねえんだよ」
 久遠も一歩前に出る。月蝕は笑みを返した。
「ユアは愛されているね。でもその心は、僕の欲しいものとは関係ないけれど」
「関係あるよ。心はその人だけのものなんだから……それをどうこうしようとか、オレ達が許さないからね?」
 舌なめずりして見せた雅浩は、光球を生成。蹴り出して月蝕へ痛打を与える。
 そこへ奔る銀色の影は、ルティエ。神速の拳を打ち込むと素早く視線を横へ流す。
「クレーエ」
「任せて」
 クレーエは月夜が暗む程の漆黒の刃で連撃。鴉が羽を踊らせるように、縦横に斬閃を奔らせていた。
 月蝕はそれでも楽しげだった。それは攻め込んでくるユアの心を見たからか。
「もっと黒い心を、溢れさせて」
「──」
 月蝕の生む闇に、ユアは包まれる。
 暴れる衝動を感じながら、ユアはその言葉に自覚した気持ちだった。
 ──僕に宿る力は、気を抜いたらこの魂をも侵食しようとする。
 心は常に禍々しい衝動で満たされていて、それが溢れないよう、自分は楽しい思い出で心に蓋をしていたのだと。
 故に強い衝動と力は、その楽しさとは裏腹に心を孤独にしていく。
「……だから、君は現れたんだね」
 月蝕はそれに微笑んだ。
「僕に飲まれなよ。そのほうが楽だ」
 闇が強まると、ユアの視界が黒色に染まる。ユアはそうなのかもしれないと思いながら、それでも心の苦しさは消えなかった。
 そんな意識さえ、月蝕は喰らおうとしたが──。
「甘く見ないでほしいわね! どんなに闇が声をかけてもここにいる仲間達が光の下にユアを連れ出すわ!」
 星海色の光が飛来する。エアーデが煌めく流体で闇を切り裂き、月蝕を打ち据えていた。
 ふらつくユアは、未だ黒い心の流動を感じながら、それでも優しい声を聞く。
「──私はね。その狂気も闘争心も、恥じるものではないと思うの」
 闇に虹を架けるその声音は、ロゼ・アウランジェのもの。
 私は目を背けてばかりだから、と小さく呟くと、微笑んだ。
「ちゃんと向き合える事はすごいと思う。何より……どれだけ黒く染まろうともユアちゃんは、ユアちゃんだから!」
 その凛とした歌が、ユアの心を鎮めていく。
「ああ。いつか君の力が君に牙をむいたとしても、その時は俺が守るよ」
 ステラは誓って言った。
 ユアの心の中全てを見通すなんて出来ないけれど、少しでも寄り添いたいと思うから。
 平静を取り戻していくユアを、遊戯宮・水流は見つめる。
 彼女と自分は似ていて違うんだと、少しそんな事を思いながら。穏やかに言った。
「無理しちゃだめだよ? 普通に人間で、限界もあるんだから」
「苦しい時は手を伸ばして。大事な大事なにゃんともだもの、僕らは何時だって君の味方だ」
 クレーエも真摯な思いにも、ユアは頷いた。
「……うん」
 月蝕は再度の攻撃を狙っている。が、走り込んだ久遠が刃を受け止めていた。
「回復とカバーは任せな。しっかりユア嬢ちゃんを守るぜ」
 勿論皆もな、と。声音はあくまで飄々と、魔力の小刀を奔らせてユアの傷を癒やす。
 頷くエアーデは杖を握る。
 大切な親友を簡単に闇に渡しはしない。皆だってきっと同じ心のはずだから。
「行きましょう」
「ああ」
 ガジェットを手に取るステラは、微かに空気を異にする。
 なるべくならば紳士的でいたかったけれど、ユアを傷つけるなら──。
「狂月の力を使ってでも、喰らってやる」
 Danza di stelle──星々の如く耀く砲弾が、月蝕を貫いていく。同時にステラ自身も駆け込んで、蹴りを叩き込んでいた。
 月蝕は影を放つが、ルティエの小竜の紅蓮、ステラの羽猫のノッテ、そして鞠緒の猫であるヴェクサシオンもまた羽ばたいて治癒に回っている。
「ありがとうございます、ヴェクさん」
 鞠緒は労うと、ふわりと飛んで月蝕の胸に手を伸ばしていた。
 月蝕はその手を掴もうとする。
「君の心も覗いてしまうよ」
「いいえ、逆です。わたしが──“あなた”を歌いましょう」
 鞠緒はレチタティーヴォ「同一であり相反する二つの書」を月蝕から取り出していた。
 それはレゾンデートル、その希求の根源を記した本。
「私が罪であるなら、全ての命よ、等しく無に還れ」
 月蝕を表したそれを詠えば、全てが無に帰し凶月のみが笑う情景が浮かび上がる。
 それは自身と世界の全てを呪う歌だ。
「これ、は……」
「月蝕、あなたはただの欠片。あなたのためにユアさんがいるのではない!」
 抗うように手を伸ばす月蝕は、しかし体を蝕む旋律に苦悶し膝をつく。

●月
 注ぐ月光に影が伸びる。
 地に手をついた月蝕は弱った顔を上げた。
「違う。僕は心から生まれたんだ」
 だから心を喰らうことが許されているのだと言うように。それは鞠緒の言葉への反抗でもあったろうか。
「……ユアの心の欠片を喰らい形を得たからといって、そう得意げになるものではないわ」
 シャーリィン・ウィスタリアは深い夜の声音で月蝕を見下ろす。
「ユアの痛みも狂気も、全て……彼女だけのもの。わたくしの“月”を侵していいのは……少なくとも、貴方ではないわ」
「……僕以上にユアを知る者なんていない。ユアは本当の心で居るべきなんだ」
 抵抗する月蝕は光の花でユアの衝動を煽ろうとする。
 けれどそれを超える慈しみが、ユアを満たす。
 鞠緒がユアに手を伸ばし、彼女を表す書物を高らかに歌っていた。
「暗い闇の中でも君の魂を照らし寄り添う、優しい月の歌を捧げよう──」
 誰かと共にある事に喜びを感じて、その希望が心を癒す歌。
 そこに見えるのは優しい月明かりの情景だった。
「月蝕と似たメロディも、純粋に生きることを楽しむリズムも。どちらもユアさんの中にあって──それをひっくるめてユアさんなんです」
 迷いも葛藤も。
 鞠緒はそんなユアが好きだ。
 きっと皆だって、同じ。だからこれは希望の歌。
「本当の心は、ユアさんだけのものです」
「そうだな。少なくとも戦いで勝とうなんて甘いぜ」
 久遠は月蝕のゼロ距離に迫っていた。
「死の力は生を知ることで深みが増す。死の力に固執するアンタには、ユア嬢ちゃんの伸び代には敵わねえよ」
 刹那、『万象流転』。拳に込めた陽の気を撃ち込む。
「ユア嬢ちゃんはまだまだ成長過程でもっと力をつけるんだ。──つまんねえ足の引っ張りしてんじゃねえよ」
「……っ」
 強烈な衝撃に吹っ飛ばされて月蝕は地を滑る。
「……君達は僕を否定するんだね」
「黒い感情そのものを間違ってるとは、言わないよ」
 呟く雅浩にとって、その感情は反骨的な生きる糧になっている。自身の中に揺らぐ怒りや憎悪の根底が愛であるとも、自覚していた。
「けど、ユアさんを襲うなら許さない」
 ──だから逃げないでよね、と。
 歌うように囁くのは『逃避を禁ず』。血染めの包帯で月蝕を拘束し、命を削ってゆく。
 月蝕はあくまで影を展開する、けれどラルバ・ライフェンの放出したオーラが聖龍となり、仲間を覆う黒色を打ち消していた。
「こっちは大丈夫だ、行ってくれ!」
「うん」
 頷くクレーエは、美貌の歌姫を現出。歌声で月蝕の精神を瓦解させてゆく。
 ルティエは『紅月牙狼・雷梅香』──地獄を纏わせた刃を叩き込んでいた。
「にゃんともに手を出した時点でアウトだ。潰えろ」
 地獄は大狼の形を成した紅の飛電となり、月蝕の四肢を食い破る。
「さぁ、いってらっしゃい。みんなで見届けるわ」
 エアーデの言葉に、ユアはゆっくりと月蝕へ歩み寄っていた。
 この敵が現れたから、自身の事を見つめられた気がした。
 ──楽しい時を好きだと思えて、目を閉じて感じる黒い力に心は苛まれていた。
 そして、過去とは違う優しいこの世界に怯えている。
(「いつか僕は自分の力に××される」)
 きっとそうなのだろう。
 それでもユアは、今がその時じゃないと知っている。
「まだ僕は、君の望む通りに堕ちるわけにはいかない。僕が黒に染まる時は”アイツ”と邂逅叶う時だ」
「……」
「でも、ありがとう。心の限界を教えてくれて」
 美しく甘い声で唄う『月魄ノ夢』は、虚無を与えてゆく。
『満ちる月と共に深く、ゆるやかに堕ちてゆけ。せめて、この月の腕で眠らせてあげる』
 月蝕はユアの言葉の一端に、そっか、と微笑んでいた。次には、まるで影が光に照らされるように消滅していた。

「ユアさん、大丈夫?」
 静けさの中、雅浩はユアに駆け寄っていた。
 ユアは頷きつつも、少し気が抜けて座り込んでいる。
「……はぁ。柄にもなく疲れた」
「ユア、お疲れ様」
 ステラはその心に寄り添うように、優しく抱きしめて頭を撫でた。
「君が、無事で、良かった」
「本当に。ユアさんが無事で良かった」
 ルティエもほっとしたように、ユアの頭にぽふりと手を置く。
 ユアはうん、と少し目を細めた。
「皆、ありがとうね」
「……忘れないでね? 貴女は一人じゃない」
 エアーデはそんなユアの手を取って、軽く背中を軽くトントンと叩く。
「孤独を感じたら貴女の大切な人達を思い出して。そうしたら闇に包まれそうになっても、強く優しい光が必ず貴女を温めてくれるから」
「いつでも、声をかけてくださいね」
 鞠緒が笑むと、ユアは視線を巡らせた。
「そう、だね。こうやって今ここにいるのは、皆のおかげだ」
 だからありがとう、と言った。
 クレーエは手を伸ばす。
「それじゃあ、一緒に帰ろ?」
「そうだよ、帰ろうぜ、ユア。またみんなで楽しく過ごせるように」
 ユアはラルバの言葉にも首肯した。そして、クレーエの手を取って歩み出す。
 クレーエも歩みながら、自身の事を思った。
 見たくない物に蓋をして、心にまで仮面を被ってた頃が自分にもあった。けどそれを越えて今の自分がある。だから立場も状況も違うけど。
 ──どうかゆあさんにも救いが訪れますように。
 それは心からの願い。
 久遠は皆を見回す。
「どうだ、皆で旨いもんでも食うってのは」
「いいですね。ではその後にでも、みんなでにゃんこに癒やされに行きませんか?」
 ルティエも提案すれば、ユアも微笑んで頷く。
 それから月を見上げた。
 あの眩さが翳ることが、またあるのだろう。でも今は美しいその光を背に浴びて、前へ歩いていった。

作者:崎田航輝 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年12月11日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 1/素敵だった 7/キャラが大事にされていた 0
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