偲ぶの森

作者:五月町

●かなしみは、罪悪
 森の中からつと、天へ伸びる梯子がある。
 それは小さな火葬場の細い煙で、その麓は家族の命を送る人々の涙で包まれていて。
 その中にひとり、頑なに懸命に、そのひと雫を堪える少年がいた。胸にぎゅっと、小さな白い箱に収まるほどになってしまった命を抱き抱えて。
「いい子ね……なんて正しい子」
「……?」
 うっとりと、場に不似合いな笑みを浮かべ、喪服の女が進み出る。後退りする少年の翳った眼差しに照らされて、女は身を震わせ、朗々と謳い上げた。
「亡くしたものを思われるならば、涙など棄てるべき。長々と泣き患うことは、失った方よりも自身の感情を重んずる恥ずべき行為……前を向き笑うことこそ尊く、亡きものを思う行い。それだけが大正義なのですよ」
 濡れた気配に包まれていた人々も、異様な事態になんだ、と顔を上げはじめる。ひとり上擦っていく声、異様な熱の高まりに、少年は怯えた。――ぎゅっと抱きしめても、いつも少年を守ってくれていたあの子はもう、傍らにはいない。
「ああ、もっと正義を、健気なところをお見せくださいな――見せなさい――見せろ……! 皆様の大事な方も、天上で安堵されましょう――!」
 ──その全身が、みるみるうちに純白の羽毛で包み込まれていく。

●かなしみは、生きるために
「煙の梯子を渡った奴が見送る奴の涙を悲しむというなら、そいつは堪えて笑う無理だって悲しむんじゃないかと思うんだがな」
 色々と考えはあるだろうが、とグアン・エケベリア(霜鱗のヘリオライダー・en0181)はひとたび空を仰ぎ、首に手をやった。
「俺は、世界ってのは生きてる奴のもんだと思ってる。笑って乗り越えることも泣いて惜しむことも、誰の為でもない。今を生きてる人間がこれからも生きていくために必要な感情だ。それを無理に身の裡に留めたままじゃあ、うまく生きられんこともあるだろうよ」
 そうでなければ、大切だった筈の感情は毒となり、いつか心を蝕むのだと。知った風にドラゴニアンは語り、笑いながら多弁を詫びた。
「詮無い話だな、すまん。だが、お前さん方にもいつか、そんな思いを持ったことがあったなら……或いは、そんな感情を慮ることができるなら、この仕事、引き受けてくれると有難い」
 火葬場の煙が空に薄くたなびき、樹々に抱かれて閑静に眠るペット霊園でのこと。死した者のために己が心を耐えること、その姿こそを大正義と信じる一人の女が、ビルシャナと化すのだという。
 覚醒したばかりのこのビルシャナは、まだ配下を持たない。だが、いずれ近くにいる人々を教義に取り込んでしまうことだろう。
 ――例えば自身の悲しみを押し殺し、我が子に『そんなに悲しむとあの子も心配するよ』と説く親たちを。大人なのだからと唇を噛み、必死に感情を押し殺す者たちを。
 そうなる前に討伐しなければならない。自らの教義に酔いしれるビルシャナを、元に戻すことはもうできないのだから。
「まずは一般人の退避だな。今まさに納骨に向かおうとしている者もいる筈だが、落ち着くまでは現場から離してやった方がいい。幸い奴さん、自分に対して本気の意見をぶつけてくる輩には反射的に反応しちまうようだ。こっちが戦闘行動を取らん限り、一般人にもあんた方にも攻撃してくることはない」
 誰かが舌戦を仕掛けている間に、他の者が避難誘導を行うことが可能となるということだ。なるほどねと頷いて、茅森・幹(紅玉・en0226)はひらりと手を挙げた。
「よかったら避難は俺にまかせて。皆、言ってやりたいこともあるだろうしさ」
「ああ、誘導にはできるだけ能力を使用しないように気をつけてくれ。戦闘行動と認識される可能性がある」
 気をつける、と首肯する幹に頷き返し、先を続ける。
「周囲を一括りに攻撃する氷の輪と、狙った標的だけを焼き殺す孔雀の姿の焔を扱う筈だ。あやしげなまじないの文句は、耳を貸そうが貸すまいが、こっちの意識を乗っ取りに来るだろう。言うまでもないだろうが、充分に注意してくれ」
 頷く仲間たちの中、その男の子も気になるね、と幹が呟く。
「心は結局、自分のものだからさ。誰かに言われてありかたを変えられるもんじゃないかもしれないけど」
 伝えてあげられることがもしもあるなら、それは全てが終わった後に。仲間たちを見渡して、幹はにっこり笑いかけた。
「だぁれも泣かんでええように――だけどさ。今日は、素直に泣けるといいね」


参加者
ティアン・バ(なにせかみさまが死んだので・e00040)
落内・眠堂(指切り・e01178)
連城・最中(隠逸花・e01567)
アリシスフェイル・ヴェルフェイユ(彩壇メテオール・e03755)
アラタ・ユージーン(一雫の愛・e11331)
一之瀬・瑛華(ガンスリンガーレディ・e12053)
左潟・十郎(落果・e25634)
八坂・夜道(無明往来・e28552)

■リプレイ


「そのこころは、強いられるものじゃない」
 密やかに、決然と。ティアン・バ(なにせかみさまが死んだので・e00040)の声がビルシャナを貫く。
 引き寄せた注意が再び人々に戻る前に、娘は言葉を継いだ。無暗に抑え込んだところで、心は溺れて潰れてしまう。それを、
「亡くした人は、よろこんでくれるのか。悲しみにくれる程大切に思ったのは、そういう人なのか」
「異なことを。潰れるほどの思い、それこそに価値があるのですよ」
 なんて美しいこと。陶酔を前に、表情を変えずティアンは拳を握る。自分のいない所でのティアンの幸福に意味などない、そう言った人を思い出す。
 その人亡き世界に取り残され、それでもどこか片隅で幸せを感じ求める心は、罪悪感を以て娘を酷く苦しめたけれど、
「それは、違う」
 今を生きる人に貰った否定は、もう借り物ではない。
「自分の歩んだ世界だ。その意味を決めていいのは、自分だけだ」
 繰り返す言葉に籠もる確信は、自分のものになりつつある。敵が次を紡ぐ前に、アリシスフェイル・ヴェルフェイユ(彩壇メテオール・e03755)がそうよと続く。
「泣いて、泣き続けて何が悪いのよ。区切りをつけるのも、つけられないままであっても、人それぞれよ」
 今泣いていたって、いつか笑えるかもしれない。笑えていたって、心が歪んでいくかもしれない。選ぶのは他でもない、自分だけだ。毅然と語る娘の胸には、言葉を交わすことなく別れた両親が浮かぶ。
「心の歪を無くせないまま笑えるようになったって、その在り方をよしとしてくれるかはわからない。死者の思いは知りようがない。だから思い込みかもしれない」
「嗚呼――貴女も耐えているのですね」
 敵の恍惚を金の眼差しで跳ねのける。
「それが何? お前を喜ばせる為じゃないわ! 自分で選んだことだから、『今は』未来に向かって歩いて行けるのよ!」
 強いられる感情ならばそうはいかない。同じ喪失を知る八坂・夜道(無明往来・e28552)は、それを思わせない穏やかさで語る。周囲を案じさせまいと笑みで隠した過去を。
「でもそれは、私自身が望んだことだ。両親のように強くありたいと望んだから」
「それでは結局は自分の為ではありませんか! 私の教義に反します、良くない良くない良くない――」
「そう、自分の為、残された生者の為だよ。それを悪いとは思わない」
 胸に湧く悲しみは、どれほど大切に思っていたかの証。それを取り上げ、笑えと迫るのは、
「あなたの言う、相手を想う気持ちを奪うのと同義でしょう?」
 違うちがうチガウ!
 胸を掻き毟るビルシャナは、しかし攻撃を思い立つ様子はない。戦意を徹底して避け、人々への射線を塞いだ甲斐あって、幹の誘導で逃れる人々のことは気にも留めていない。
「違わねえよ。相手を思うからこそ泣くんだろうに、どうしてそれが去ったものへの不敬になる?」
 静やかに問う落内・眠堂(指切り・e01178)に、ビルシャナは食ってかかる。
「生ける者が去る者の心残りとなるのですよ! なんという罪悪――」
「ふざけるな」
 声音だけは穏やかながら、紡ぐ言葉に籠もる熱は加速していく。
「本当の気持ちを誤魔化して偽るなんて、己はもとより、相手への思いまで無下にしている」
 相手が想ってくれた自分の心を、相手への想いだなどと騙り塗り潰すこと。それを正義と呼ぶ方が、
「……傲慢じゃ、ねえのか。去ったものの思いなんて、他人が気安く代弁していいもんじゃねえ」
「この私の教義を、騙りと……!」
 わなわなと震える敵に、一之瀬・瑛華(ガンスリンガーレディ・e12053)が首を振る。
「泣くも笑うも、故人を悼む気持ちがあるのなら、どちらが正解なんてことはありません」
 敵の主張すら呑み込んだ肯定に、眠堂の熱が微かに和らぐ。
 辛い時は泣き、楽しい時は笑えばいい。してはいけないのは、気持ちに嘘を吐き続けて心が疲れてしまうこと。
 過ぎた忍耐に意味が失われ、喪失の辛さすら辛いと感じられなくなってしまったら――ただ耐えることのみを善としてしまったら、
「それはもっとも悲しいこと。貴女の言葉を借りるなら、それこそ死した人への思いを欠くことでは?」
 瑛華の問いに身悶えるビルシャナの姿に、左潟・十郎(落果・e25634)は本質を見た気がした。
「……下手に見ないふりを続けて、本当に見えなくなったんだな」
「何……のことです? 異端者が分かったような口を」
 敵を見据え、指弾する。感情の大波が襲い来るのにも気づかず、突然押し流されて滅茶苦茶に壊れてしまう心。
「お前のことだ。お前も本当は、泣きたいのにそうできなかったんじゃないのか……?」
 ――アアアアアアア!
 甲高い叫びが言葉を掻き消す。痛ましく思えど、十郎は言葉を途切れさせはしない。
「大事に思う相手が嘆く様を見るのは、辛いかもしれない。だが、『泣くな』ってのは無責任だ」
 押し付けられたか、或いは自分でそう思い込んだのか。大人だって子供だって、そんな無理を呑む必要はない。逃れる大人たちの幾人かがはっと振り返る。
「まして他人が横から言うのはお門違いだろう。心は自分だけのものだ」
「そうですね。――悲しむことに、間違いなんてある筈ないんだ」
 ただ確かなのは、誰かを失うことがどうしようもなく悲しく、寂しいことだけ。仲間たちの思いに心を連ねる連城・最中(隠逸花・e01567)に、ふといつかの誰かの声が囁いた。
 ――下手くそな笑顔。
 あれはもしかして、無理な笑顔を咎めたのではなくて――時を経て胸に落ちた実感はあとに、一言一言へ実感を滲ませ、最中は告げる。裡にある感情を確かめながら。
「正しさとかそんな言葉で、人の……自分の心を否定しないでください。自分の為に、誰かを思って生きていくのがきっと、人なんです」
 それは相反するものではないのだと告げる声を、迸る声でビルシャナは否定する。胸に在るたくさんの面影に支えられながら、アラタ・ユージーン(一雫の愛・e11331)はそれを肯定した。
 前を向き、笑って生きるのは尊いこと。けれど悲しみに押し潰されまいと、心を殺し、作り替え、笑顔の仮面を被るのを――失った誰かと生きて育まれた『自分』が壊れるのを、一体誰が望むというのか。
「死者か? 正義か? お前か?」
「亡き人にも! 正義にも! それは望まれているのですッ!!」
「違う。そのどれにも望む資格なんか無い。――泣くのも、笑うのも、選ぶのは自分だ。その人だけだ!」
 強く確信に満ちた少女の答えが、ビルシャナの生み出した空気を覆す。猟犬たちの言葉が響く度、逃れる少年の箱を抱く手に力が籠るのを、幹とあかりは確かに見留めていた。
 あかりの展いた殺界の気配が避難完了の報せ。不意に満ちる戦場の気に総毛立つ喪服のビルシャナを、猟犬たちが包囲する。時間稼ぎは充分だ。
「お喋りはもうおしまい。これ以上、お前に死者の想いは騙らせないわ!」
 アリシスフェイルの右腕に紋章が浮かび上がる。壊れて止まれなくなった心を、ここで終わらせるために。


 泣かせて貰ったことがある。
 その涙は、今のイェロを確かに支えるもの。偲ぶ想いにすら、飽和し溢れ出す寂しさや悲しさを許されないなんて――大人の身にすら切なく、それこそかなしいことだろうから。
 あの幼い少年も、大切な思いに心から泣けるよう。青年の展いた星の聖域が優しく戦場を包み込むと、
「おなじ夢を。己が彼を亡くした時の絶望を――生を、幸を、望んでしまった時の痛みを」
 共に見よう。誘うティアンは如何な幻影を招いたものか、ビルシャナは技を放つ暇もなく術に縛られる。
「……鉛から天石に至り、情に餓えた獣よ喰い破れ」
 アリシスフェイルの詠唱に、右腕に逆巻く冷気が獣と化した。飛び掛かる氷霧の狼の牙は、壊れかけた心を穿ち、砕きながら、魂まで冷気を伝わせていく。
「寂寞敷きて氷り花、悔恨滲みて冱てる霧、心は永劫充たされる事無く――!」
 氷花が咲く。振り払う不死鳥の炎熱にもお構いなく、冴え冴えと。燃える翼を身を以て受け止めたアラタは、紙の兵士を素早く仲間たちの前へと展開させた。ひらり揺らぐ紙の身で、先刻の言葉の強さを思わせるしなやかな守り。
「あの方々はまだ、弔いの途中です。邪魔はさせませんよ」
 練り上げた重力の鎖が戦場を駆け巡る。一端は術者たる瑛華に、もう一端はビルシャナへ。淑やかな動作に反し、逃がさぬ意志を力強く映した戒めが敵を縫い止める。その間に、十郎の放つ光り輝く粒子が仲間たちの感覚を目覚めさせ、最中の発する七色の煙幕が戦意と力をも押し上げた。
 悲しみは好きではないけれど、その否定は、もっと。在るべき弔いと祈りを邪魔された人々に、少しでも早くその時を返すために。
 風が巻き起こる。強いうねりの只中で敵を見据えるのは、眠堂。奏す言の葉に喚ばれるものは、真白の護符を包み込む奇蹟の彩雲。
「急ぎ来れ、疾く来れ。――汝が猛々しき鼓吹を授け給い、あれなる蹂躙の輩、颶風の威に暴き給え!」
 朗々と響く詠唱に、憤りに。威力を増して逆巻く風に、眠堂は苦む。人の持つ素直な感情は、誰にも踏み躙られてはいけないものだ。あのビルシャナにも、誰にも――眠堂自身にも。
「他の人間に強いさえしなけりゃ、否定されるもんじゃなかったのにな」
 救えない。その事実が胸を突く。後衛にありながらも仲間の痛みに心を並べ、夜道はアラタの為に自らの生気を編んだ。
 放たれる生の輝きを支えに、仲間たちは攻めを連ねていく。

 重なる戒めに怒声が上がる度、その心が壊れていることを知った。
 怪しげな経文の響きに籠もる、怨嗟を知った。
 そこに幾許の同情が混じろうとも、猟犬たちは手を緩めない。
 ――強いられる正義に殺される心を許す訳にはいかないから。

 幾度めかの氷の輪に、猟犬たちの歩みと心を止めるだけの呪は残されてはいなかった。
「畳みかける」
「はい。鎮めて、沈めて――浮かばぬように」
 十郎の足許に集う熱。蹴り出した魔力の流星に貫かれた敵に、惑わしの力を逸早く見抜いた最中が肉薄する。近距離で放たれる一閃に続く紫電は、心の影すら掻き消すよう。
 眩まされた敵のもとへ、長柄の斧を手に踏み込むは眠堂。刃に刻まれた文字の一つひとつに魔力が灯り、一撃を白々と輝かせる。万一の備えにと援護に徹する夜道の杖の、なぞるとおりに立ち上がっていく光の壁。前線の眩い光の中、輪郭も鮮やかに躍り出る灰色のティアン。
「こんなに辛いなら死ねばよかったと、ティアンも思った。そんなに昔のことじゃない」
 自分の世界を決める強さを示してくれる人が、お前にもいればよかったのに。心臓から伝う獄焔を掌に、押し迫り、叩きつける。喰らった命には心の残滓すら感じるよう。アリシスフェイルの餞刃の突きは、それすらもきっぱりと突き放す。
「お前の教義には染まらない。私は、お前とは違うわ」
 愛されて、大切にされた自覚に胸を張れる。幸福な生を願われていると信じられる。いいことだ、と微笑んで、アラタは両腕に遊ぶ星彩に祈りを込めた。
「姉妹たち。力を貸してくれ」
 叩きつける祭器から放たれる霊力の網が、逃れようもなく敵を掻き抱く。壊れる前の心を、少しだけ抱きしめてやりたい気がした。けれどそれは、もう叶わないから。
 幕引きは瑛華へ。微かな憐みの滲む微笑で、掌中に集約する気の流れをふわり、指先に転がしたら――最後。
「壊れた心さえ擦り切れてしまう前に、おやすみなさい」
 撃ち抜く一射が、その命を空へと還す。


「怪我はないな? ……よし、無事でよかった」
 仲間の報せに戻った人々の中に、少年はいた。目線を合わせ、眠堂は人好きのする笑みを浮かべる。頭を撫でる大きな手に、少年は瞬く。
「怖かったな……もう大丈夫だからな」
 大人に縋ることなく、ひとりで――いや、抱えた大事な子とふたりで立っていた気丈な少年を、アラタはきゅっとひとたび抱きしめた。
 言葉を選んで語り始めたのは、亡くしてしまった大切な姉妹たちのこと。
「骨は無いけど、毎日ちょっと想いだす、そうすると、アラタの中に居るなって感じるんだ」
 ここに、と胸を示せば、少年はまた箱を抱きしめる。
「……心の中?」
「そう。アラタが覚えている限り、姉妹達も出逢った皆も、全部、一緒に泣いて笑って生きている。忘れたりしない。いなくなったりしないんだ」
 ――だから、生きているその存在ごと、大事に愛してやってほしい。
 もう一度抱きしめ、ぽんぽんと背を叩く。姉のような仕草に目を細めた幹は、
「茅森……幹も、ありがとうな」
 呼ばれた名には少しだけ驚いて、こちらこそ、と口の端を上げる。
「アラタちゃんも皆も、ありがと。イェロくんとあかりちゃんもね」
 労いの輪の中に、安堵を湛えた控えめな笑みのふたりも混ざる。

 あのな、と。
 語り掛けるティアンに、少年はぱちりと瞬いた。濡れた気配のない瞳に、強いこころだ、と内心で頷く。――でも、我慢を抱えたこころだ。
「泣きたい時には泣いていいんだ。かなしい時には、かなしんでいいんだ」
「……、ありがとうございます。ですが、それでは……」
 この子はいつまでも、と止めに入る親に、ティアンは透徹した眼差しを向ける。
「あの鳥の姿を、見たな。それでも、まだ、そう思うか」
 それはと言葉を失う弱腰に、諭すでもなく、叱るでもなく、穏やかにティアンは続ける。
「……ありのまま受け容れて、いいんだ」
 この子も、お前たちも。付け足された言葉に、両親が顔を上げる。
「……うん。この子だけじゃないよ、あなたたちも」
 大人たちを見つめ、夜道は語った。今の自分が笑えるのは、重圧と疵を知り、寄り添って支えてくれた大切な人達との出逢いのおかげ。
「天国から見守ってくれてるなら、望むのはきっとこの子の……あなたたちの『幸せ』。あなたたちにとって、嘘の笑顔は本当の『幸せ』かな?」
 ――強さも幸せも、誇るのは笑えるようになってからでいい。
 経験を越えてきた夜道の言葉は、暗い迷い路に光燈すようで――大人たちは堪らず顔を背けた。雫がぱたり、と地に染みを作る。
 目を瞠る少年に、いいんですよ、と瑛華が微笑みかける。
「大人でも、子供でも。無理をし続けると、だんだんと気持ちが動かなくなってきますから」
 自分がそうだったから、わかるのだと。仄かに困ったように微笑み、眼差しを伏せた瑛華の頭に、少年はそろりと手を伸ばす。思いがけない労いの手に、今度は瑛華が目を瞠って――笑った。
「ありがとうございます。……ね、貴方も、貴方自身の思いを、大切にしてください」
 どうしたいですか? 問われる言葉にはまだ迷う少年の前に、十郎は膝を抱えてしゃがみ込む。
 その子、名前は? クロ。クロか、俺の大事な人とちょっと似てる。大事なひと? うん、俺も亡くしたんだけど。――穏やかな遣り取りに悲壮はなく、穏やかな笑みすら浮かべて。
「……俺も滅茶苦茶泣いたなぁ」
「……大人なのに?」
「うん、大人なのに。……周りに心配かけたくなくて、一人の時にこっそり、な」
 内緒だぞ、と立てた指を唇に当てる。
「でも、素直に哀しむことで、伝わることもあるんじゃないかな。君が大好きで、大切で、掛け替えのない存在だって」
 そうしていつか、哀しみは涙に洗い流されて、優しい気持ちだけが後に残るのだと。だから今は、痛みを我慢しなくていいのだと。その言葉に少年の顔がくしゃりと歪み、
「今は……寂しい、ですよね」
 一言だけ。けれどそこに籠もる最中の共感が、あどけない瞳を浮かぶ雫に波立たせる。困ったように少し笑って、最中は少年を撫で――小さな箱をも、撫でた。
「その痛みは、大切だった証です。どうか心のままに」
「ええ。君が在りたいように在れたらいいと思うのよ」
 泣きたいなら泣いていいし、我慢したいならしたっていいわ。敢えて快活に微笑みかけるアリシスフェイルに、少年はでも、と口ごもる。
「……クロ、心配しない?」
 大丈夫、と何の迷いもなく、二つの声が重なった。
「君の気持ちはきっと、その子が一番知っている筈だから」
「そういう君を、その子は好きだった筈だもの」
 そうだよと、三つめの声を胸の内に重ね、あかりは瞳だけで微笑む。君の愛したその子は、きっと笑顔も泣き顔も全て愛してくれていたから。君の心からの気持ちを、きっと一番に思うから。
 猟犬たちの暖かな肯定が自分を包み込むのを感じて、ようやく。
 ……ふやぁ、と、始まりは弱々しく。少しずつ力強く、泣き声と雫が溢れ出した。

 無理をするなと言われようとも、誰かのためと思えばこその無理をする。その思いもまた、正否をつけられないもの。――たとえその先で壊れたとしても。
 わかっているつもりだった、と眠堂は眼を伏せる。
「……言い過ぎた、のかな」
「違うよ。あの時はそれが必要だった。だから眠堂くんは、心に背いてでも口に出した。それだって正しいも間違いもないんじゃない?」
 人の心の在り方を否むことなく、万別のものと受け容れる眠堂だからこその内省だ。振り向いた彼の隣で、幹は口の端を上げる。罪悪感は消えなくとも、釣られ出る笑みに、男は自分の思いを仕舞う。
「――泣けてよかったな」
 どこかで見ていてやってくれ、と空を仰ぐ。晴れ渡る空に、煙の梯子が返事のようにゆらりと揺れた。

作者:五月町 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2019年3月17日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 7/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 0
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