六花咲き揃うまえに

作者:五月町

●邂逅
「よし……と、こんなもんか」
 閉めた鞄からは、収まりきらない野草たちが顔を見せている。思わぬ豊作に素直な喜色が表れていた耳は、──ふと、違和感にぴんと立った。
 森での薬草採りに興が乗り、気づいた時にはいつもは立ち入らないほど奥へと進んでいた。普段の十郎ならば、そんな迂闊はしない。思えば、何かに引き寄せられていたような気もする。
「……戻らないとな」
 帰り道に困るほど大きな森ではない。恵みをくれた草木へ眼差しで感謝を示し、踵を返したその時。
 ざわりと肌を逆撫でる殺気が突如、森に湧いた。
 何か来る。近づく気配に身構えて待つ十郎の前へ飛び出したのは、暗い灰色の毛並みを持つ、大きなツキノワグマ。──いや、
「……ウェアライダーだよな? 怪我して……、っ!」
 医術を生業とする彼らしい気遣いに、振り下ろす銀の爪で相手は応える。躱すのが精一杯だった。風圧で切り裂かれたバッグから、薬草が溢れる。
 荒れた毛並み、血の匂い、そして冷えた気配。経験が教えてくれるそれは、死神の。
「言葉が通じないのか……! 頼む、白杜!」
 獣の咆哮が森を揺らす。シャツの中から飛び出してきた小さな家族の力を借りて、青年はツキノワグマへ向き合い、そして目を瞠った。──左耳に付された、破れかけのタグ。
「……お前、まさか」
 問いかけに返るものは、敵意だけ。

●冬至るより早く
「すぐに発てる奴はいるか? すまんが急ぎの案件だ」
 左潟・十郎(落果・e25634)がデウスエクスの襲撃に遭うと、グアン・エケベリア(霜鱗のヘリオライダー・en0181)は硬い表情で報せた。本人に連絡を取れぬまま、その刻限は迫っている。
「まだ猶予はある筈だ。だが、本人に連絡がつかん以上、お前さん方に向かってもらう以外に手立てがない。十郎も一廉のケルベロスだ、簡単にやられはしないだろうが……」
「一人で戦い続けられる相手じゃないってこと?」
「その通りだ。襲撃箇所はこの森の中心部。普段は山菜採りや薬草採りで出入りはあるようだが、今は森の中に一般人はいない」
 茅森・幹(紅玉・en0226)の問いに頷けば、同志たちからは続けてと真剣な眼差しが返る。
「そのデウスエクスは、ツキノワグマのウェアライダーだったものだ。何らかの理由で死んだものが、死神のサルベージを受けたと考えていいだろう」
 見上げるような巨躯。理性はとうに消え果てているようで、意志の疎通は図れない。左の耳にはタグが付され、掠れた『6』の字が辛うじて読み取れる。
「鋭い爪での攻撃が二種。一方は殺傷力が高く、もう一方は威力には多少劣るが、風圧で辺り一帯薙ぎ払える。それと、胸の月の輪が輝いたら気をつけてくれ。治癒の力だが、自他ともに気を昂らせ、力を高める効果があるようだ」
「……自他ともに?」
 一人で何故、との声に首を振り、加えて守りに長けるようにも見受けられたと告げる。
「生前の生き様が関わっているかもしれんし、全くの無関係かもしれん。どちらにしても、今はもう知る余地はないだろうが」
 狂化していると言って差し支えない相手だ。他者を癒す力があったとして、それをケルベロスに使うことはあり得ない。
「森の上空にヘリオンをつける。飛び降りれば、十郎の姿は見える範囲にある筈だ。なんとか手を貸してやってくれ。不器用だが優しい兄さんだ。奴さんとどんな縁があるかは分からんが、心痛めるような事情がないとも限らんからな」
 手を挙げる同志たちに幹も連なった。頷いたグアンは、暖かな色に反してきりきりと冷えた空を仰ぐ。
 冬を前に、冷ややかな心の死を得たツキノワグマのウェアライダーへ、尊厳ある死を。そう願わずにはいられない空だった。そしてそれはきっと同志を──十郎を助けることで叶えられる筈。
 仲間を案じる者たちを乗せて、ヘリオンは一路、紅葉の森へと飛び立った。


参加者
アイン・オルキス(矜持と共に・e00841)
楡金・澄華(氷刃・e01056)
羽乃森・響(夕羽織・e02207)
茶菓子・梅太(夢現・e03999)
帰月・蓮(水花の焔・e04564)
藍染・夜(蒼風聲・e20064)
エレオス・ヴェレッド(無垢なるカデンツァ・e21925)
左潟・十郎(落果・e25634)

■リプレイ

●澄華、アイン
 途切れ途切れの過去が、眼前に在る全てで繋がったように思えた。
「……そうか。お前も彼岸へ旅立ったのか」
 懐古と慚愧の混じる左潟・十郎(落果・e25634)の呟きに、死神の獣が耳を貸す素振りはない。舞い戻った白杜を庇うように触れた、その時――声が届いた。
「誰であろうと、翳ると悲しくなるものだな。これも何かの縁だろう」
 上空から降るアイン・オルキス(矜持と共に・e00841)の影を認める間もなく、背後に閃いた七色の煙。同時に身に漲る力は、明らかにケルベロスの助力。
「アイン・オルキス、勝手ながら手を貸させて貰う」
「……感謝する! それに――」
「ああ、私たちも居るぞ」
「初めまして、十郎に所縁ある者よ。何方と呼ぶべきかな」
 傍らに聞こえた声には覚えがあった。振り見る左右には漆黒と群青。白い肌に血色の紋を鮮やかに浮かべ、警戒する楡金・澄華(氷刃・e01056)の傍ら、黄泉への導きを敵前へ解き放った藍染・夜(蒼風聲・e20064)が涼しげな視線で頷く。――途端、十郎の前へ立ち上がった光輝に、おやと夜の口許が笑った。
「想い託すだけでは足りなかったようだ」
「だって、笑って帰ってみせる人にハンカチは不要でしょう? ……だから今、力にならせて。十郎」
 前衛一線を掻き切る斬撃を、アイヴォリー(e07918)の築いた光が緩和する。口を開く間もなく訪れた第二の輝き、メロゥ(e00551)の治癒術が、傷を一瞬で縫い合わせた。
「メロにも手助けさせて。あなたが、メロにそうしてくれたように」
「――ありがとう」
 今はそれで充分。微笑む淑女たちの気配に振り返ることなく、十郎は癒しの加護を後背へ。受けるはアイン、そして、
「有難うございます、十郎さん。記憶が……完全に戻ったんですね」
 さらなる加護の盾を十郎の前へ重ねつつ、労りを滲ませるエレオス・ヴェレッド(無垢なるカデンツァ・e21925)。ああ、と短い頷きが返った。
「彼の名はロク。――小さかった俺を、ずっと……ずっと守ってくれた恩人だ」
「ロク。あの人がジュウロウの兄貴分……」
 色には出さない思いを振り切って、サイファ(e06460)の術が前衛の感覚を目覚めさせてゆく。駆け付けた仲間に届く十郎の声は、仲間たちの理解に充分足りた。
「あの手は、傷つける為にあるのじゃない。ロクの望まない在り方を、俺は……ここで止める。絶対に」
 それが何を意味するのか。握り締めるように付した左耳の『No.10』の標に、滲む赤。その傷よりも胸を痛ませる決断を、迷いなく下した強さに、彼を知り、想う仲間たちが力と心を添わせない訳もない。
「……十郎さん、任せて。みんなで、かならず――」
 一緒に帰ろうね。その穏やかな声が吹き抜ける竜気に掻き消されても、戦鎚を振り抜いた茶菓子・梅太(夢現・e03999)は知っている。頭上の軌跡を仰ぎ見た十郎には、想いが届いていることを。
「微力ですが、自分も全力で……! 依頼でお世話になったことを忘れてはいませんよ」
 その身と剣を盾にユウマ(e09497)が守りに立てば、癒しの細雨が戦場を濡らしていく。紡ぐアウレリア(e26848)が望むのは唯一つ。
 ――あなたの声が、大事な人へ届けられるように。
「背中を押しに、来たつもりだったのだけど。……そうね、貴方はそういう人だわ」
 迷わず、退かず。悲しみを前にして臆せぬ友の背に、羽乃森・響(夕羽織・e02207)は力を託した矢を放つ。護りは手厚く。在るべき最期を、友が心のまま見届けられるよう。重なる思いを示す代わりに、帰月・蓮(水花の焔・e04564)もさらなる光を十郎の前に喚んだ。
「いかな恩人であれ譲るまい。お主がおらぬとつまらぬ。私の人生、半分以上が色を無くしてしまうからな」
 茅森・幹(紅玉・en0226)はそうだねと頷いた。蓮も集った皆も、自分も。そして、
「十郎くんにとっても、だよね。ロク、キミがいなくなるだけでひと色欠ける。それ以上は失くさせないよ」
 かの恩人に不要な苦しみを与えないようにと、伝えてくれた梅太に視線で了解を告げ、祝福の一矢を放つ。軌跡を見送ったアインは、倒すべきデウスエクスを確と捉えた。
 あれは自分たちの敵。紛れもない事実だが、『それだけ』ではない。これは、我先にと逸る一撃が相応しい戦いではないのだ。
 十郎の背に薄い唇を微かに和らげ、アインは紡ぐ術で背中を押す。
「成したいことを成せ、十郎。そのための支援は任せろ」
 色鮮やかな鼓舞の爆煙が、今度は後方で花咲いた。それを背に、刃を携えた漆黒の影が駆け抜ける。
 仕事は仕事、それ以上でもそれ以下でもない。けれど並び立つ友の眼差しに、この一戦は忍びとしての在り方を曲げるに価値あるものと、澄華には信じられたから。
「そうだな。――左潟殿、あなたの大切なものを護りにいこう」
 纏う風が痛いほどの冷気を帯びる。人の目には留まらぬ斬撃が、ケルベロスたちの目には刃の放つ光の華を見せる。
「……ありがとう、皆」
 返る十郎の声だけが凪いだ。藍玉の瞳に映るロクへ、揺らぎない思いを跳ね返して。

●エレオス、蓮
 緩やかに広げた翼が、枝々から覗く空に真昼の星を生む。
 しなやかな梅太の蹴撃がロクを地に縫い留めるも、両の腕で風を掻き切るロクは止まらない。それでも、
「……強い、ね。でも、だいじょうぶ。……俺たちは、負けない」
 心苛む術、身を蝕む異常がなくともまだ、立ち向かえる。傷を得た互いを慮りながらも彼らは頷き合う。
「大丈夫か?」
「大事ない。左潟殿こそ、愛すべき毛並みが乱れてしまったな」
 蓮の唇に乗る言葉は軽くも、労りに満ちている。切り裂かれた袂を無造作に放り、草履履きの足を踏みしめ飛び出す。
「……つらい時間は、短い方がいい。お主もそう思うだろう? ロク殿」
 かつてはと思い出す日が来るならば、それは温かく、優しい記憶に溢れたものであって欲しい。共に四季を愛で、食を共にしては笑い合った友の顔が曇らぬように。
 穏やかな思いと続く一撃は裏表。森の気を鋭く引き裂く雷の一閃が、黒々としたロクの毛皮を眩く貫いた。
「夕暮れの月、拓いて――」
 月と星が彩る書を響が繰れば、頁から枝を伸べる銀の月花。優しい輝きにフォンの喚ぶ風が絡んで、仲間たちを優しく癒した。幹の下ろす極光の天幕が、戦場を可憐な一皿と化すアイヴォリーの甘い癒術、星を連ねるように地を走るメロゥの銀の鎖を照らし出した。
「翻弄しろ、コンドル。――往け」
 回復は充分と頷き、アインは戦場へ絆持つ友を解き放つ。翼の一閃を受け止めたロクの獣腕が仲間を捉えるより早く、十郎はその狙いの先へ身を滑り込ませた。
「……できれば、心穏やかに逢って話をしてみたかったが」
 歯噛みして耐える友の横顔を見れば、叶わないことがなお悔しい。厚い毛皮の護りを裂いた澄華の一閃が、ロクの左耳を掠める。そこへ常の涼やかさに、今日は僅かに熱を帯びて駆け抜ける青深い影。
 一閃に連なる白い雷撃がロクの視界を灼く。放った夜の招く視線に、物言わず十郎も応えた。
 古木の杖が獣の気質を纏う。獣に還ったかのような獰猛な一撃を繰り出しながら、心は決して今を離れない。
 ――大丈夫、皆がヒトの世界へ連れ帰ってくれる。
「……ダメ、許さない。連れていかせない。オレにはこの人がまだ必要だから」
 サイファの賦活の一撃がそれを裏付ける。アウレリアの雨が戦線を潤していく。
「……たとえ、思い出せなくても」
 ロクの心は、魂はもう失われたものだから。目の前に残るロクの影に、エレオスは穏やかに語りかけた。
「人を形作るのは大切な誰かの存在で……貴方は、ずっと十郎さんの中に居たんですね」
 十郎に貰った沢山の優しさに、温もりを持つ言葉の中に、彼の存在があった。振り向く十郎に泣き顔めいた微笑みを向け、エレオスはロクの裡に自身の魔力を集中していく。
「私に掛け替えの無い友人をくれた貴方へ、叶うならもっと……他のもので報いたかったです」
 穏やかな終わりだけが唯一、贈れるものとなる前に。
 指揮するように指先で導いた魔力の粋。与えた衝撃に揺れる巨躯は痛ましくも、エレオスは目を逸らさない。
 友を無事に連れ帰ると誓ったのだ。――大切な思い出を携えたままで。

●響、梅太
「フォン、守って」
 揃いの夕焼け色の毛並みを戦がせ、ウイングキャットが苛烈な一撃を引き受ける。代わりに傷を得た小さな姿に唇を噛む十郎へ、響の声が柔く笑む。
「大丈夫。あの子も皆も守ってみせる。十郎、貴方も」
 ここへ立つのは恩返し。心温める優しさや熱を、幾度くれたか分からない。そんな大切な友への。そして、彼と出逢えた今を紡いでくれたのだろうロクへの。
「尊厳のある最期まで――誰ひとり、倒れさせはしないわ」
 生を言祝ぐ矢を番え、相棒へ向ける。狙いを違えず吸い込まれた癒しの力に小さく息を零し、見据えた先でロクが吼えた。
「大丈夫ですよ。彼の勇気と優しさを、命を損なうものにはさせません」
 穏やかなエレオスの声が心強い。取り回す杖の先がフォンを示す。鋭く駆け抜ける紫電の花で施した癒しは、小さな仲間の支えとなる。
「さあ、こちらですよ!」
「油断召さるな。こちらからも往くぞ」
 巨剣の一撃を以てユウマが左に気を惹けば、右からは蓮が。指の根からゆらりと立ち上がる燐光は、掴み直せば刃と化す。
「今の内に回復を」
「了解!」
「ええ。十郎の声が、届くまで――」
 幹の命を祝福する一矢に、アウレリアの分かつ気が連なった。小さく頷いたメロゥが、手向ける癒しに祈りを籠める。
 ――彼が大切な人に、ありがとうとさようならを伝えられるように。
「援護、感謝する」
 短い言葉が七色の煙幕の中に消える。アインの巻き起こす爆煙は、終幕への力を確実に高めていく。
「もう一閃、受けて貰おう。左潟殿――」
「ああ、続く」
 澄華の大太刀『凍雲』が凍りつく。冷え切った空気ごと掻き散らす斬撃の華が目を惹くうちに、十郎は空へ身を躍らせた。暮れの色を帯びた青空から一転、白衣が星の残像のように降り落ちる。
「止まってくれ……!」
 絞り出した願いはまだ届かない。繰り出す蹴撃は確かに、一歩ずつそこへ近づいてはいるけれど。
 自責、悔恨、洩れ聞いたその響きに眼差しを歪めることはなく、ただいつもの在り様で夜はそれを受け止めた。
「群れ咲くは花か翼か……――君へ伝わると良いのだけれど」
 相対する十郎の想いが。ここに駆け付けた友の想いが。それを託すのは隼たちの描く終焉の道標、ただ一つ。その語られない心を、彼の半身が祈りの言の葉に代える。
「ロク、わたくしの友人へ――十郎へいのちを与えた貴方に感謝します」
 大切な人を大切にしてくれた彼が、自分もとても大切だから。
 魔力とともに紡いだ思いは隼たちの追い風となり、ロクを終焉へ大きく近づける。
 ロクの胸に三日月の光が眩く輝いた。十郎が語った、他人の為に紡がれてきた優しさ。それを体現するような輝きは、彼自身を癒す力でありながら、確かに他を救うための光でもあって。
「……やっぱりあんたは、ジュウロウの兄貴分だ」
 重ね見れば切なくなるけれど、だからこそサイファは譲らない。指先一つで重く粘つく空気は、ロクを引き留める。――そこにいて、ジュウロウが終わらせるまで。
 そして、また少し引き延ばされた終わりに梅太は微かに心痛める。――長く苦しませたくはないのに。
「……あなたは、十郎さんの大事な人だから」
 どんな在り方でも生きていてほしい。十郎がそう呟いたなら、或いは迷いも生まれただろうか。けれどそれはない。梅太にとっても大事なその人は、言い切ったのだ。ここで止める、と。
「俺は……護るよ。ふたりの想いも、絆も」
 体より早く空へ還ってしまった心も、きっとそう願っている。
 取り回す得物を想いが伝う。指の先から鎚の先へ、流れ出る気が獣のようにロクへ喰らいつく。間髪入れず、揺れた敵の足許に噴き出した溶岩の熱が、梅太の決意を映していた。

●夜、十郎――そしてロク
 善戦する仲間たちに、ユウマの一撃が連なった。
 絡まる術の合間を縫って、苛烈な攻撃がケルベロスを襲う。けれども祈りを乗せたアウレリアたちの力が、戦線の維持に努める響を充分に援けていた。
 若緑の瞳が十郎へ届けるのは、一瞬の白昼夢。心安らがせるそれは過去か現在か、梅太には分からない。けれど、痛ましい現実に立ち戻れる人であると知っている。
「……ちゃんと、伝わってるよ。俺たちの力も、……十郎さんの気持ちも」
「同感だ。あとわずか……左潟殿、その機を逃さぬようにな」
 眼前を掠めた蓮の音速の突きが、迷いのなかったロクの挙動を一瞬、鈍らせる。束ねた二弓に狙い定めた相手の変化に、今、と幹が叫んだ瞬間、杖より変じたコンドルがアインの手甲を飛び立った。
 風に乗り馳せた大きな翼が、ロクの視界を塞ぐ。
「左潟殿、伝えたいことがあるならば、この時に」
 澄華が刻み付けた月一閃は、ロクの胸の月にも見劣りしない。頷き、しゃにむに飛び出していく十郎の瞳に、一際大きな咆哮を轟かせるロクが映った。
「! 来るか――」
「否、躱すには及ばない」
 烈しい戦音の中、夜と十郎の間に言葉は多く交わされなかった。眼差しだけで計り得るものを知らない仲ではない。今、冴え冴えとした夜の瞳はいち早く術に縫い留められた敵を見抜き、短い一言を十郎は信じる。
 焼け石に水の回復で術を解き凌ぐより、身に余る一撃で薙ぎ払うしかない。そんな局面まで追い縋られたロクの攻勢が止まる。
「その生も、死してからも。……苦しかったのだろうね。君自身は自覚しては居なかったのだろうが」
 護るに尽くしたという生き方、死神に弄ばれた命の終わり。けれどその苦しさも、もう終わる。終わらせる。外ならぬ十郎によって、彼を想う自分たちによって。
「鮮烈に美しき紅葉燃ゆる此の季を以て、仮初の生を燃やし尽くし、終いとしよう。……ああ、ロク、視えているかい?」
 君の救った命は、こんなにも――こうして目に映るほどの絆を編んで、生を歩いている。それこそが君にとっての救い、誇りだろうと。
 終わりゆく者へ語りかける声に、赤い熱を滴らせる友の耳が微かに揺れた。宵闇を裂き不可侵の黄泉国へと、金色の道を拓く隼の羽音も、声を掻き消すには及ばない。
「尊厳のある最期を。その安らぎは……貴方が守ってくれた者の手で」
「ええ。その眠りが、安らかなものであるように――」
 別れは一度で確実に。閑やかに響の編み上げた一矢、祈りを託したエレオスの賦活の一撃が、終焉を加速させる。
「……、なぁ、ロク。あの日お前が道を切り拓いてくれたから、今の俺が在る」
 在り続けるよと、十郎は誓う。エレオスが語ったとおり、自分の中にロクが在るのなら。心も体も全て無くなっても、『十郎』という存在がロクを生かすなら。
「俺が、お前の生きた証だ。この足は絶対に止めない。悔やんでも惜しんでも、折れないし潰れもしない。……今、そう決めたんだ」
 紅朱の森に、清浄なる藍が群れ咲いた。これ以上冥いところへは行かせない、行かないで。語り掛け追い縋る花蔓に、花が零れる。溢れる。自我なく暴れる四肢を鎮め、緑と青とに包み込む。死でしか終わらせられないのなら、せめて見送りは群れ咲く花で。
 そして力の気配が尽き、波のように退く花々の中。開かれた緑の檻に残されたのはただ一つ、『No.6』と記された耳標だけ。
「痛みは露の間。後は……――きっと、花色の夢だ」
 ――枯れ行く紅葉の生、真白の雪の仮初を越えて、本当の安息へ辿り着ける。

●「おかえり」
 遺された存在の欠片の前に膝をつき、澄華は物言わず合掌した。
 ひとり、ふたり。形は違えど心からロクを悼み、惜しむ心が添う。
 そこにそっと、存在の欠片を拾う手があった。
「貴方は彼を救った。苦しみからは救えたのだと、わたしは思う」
 撫でるように土埃を払い、ハンカチに包んだ耳標を差し出す響に、十郎は漸くありがとう、と目を細める。
「……おやすみは、言えた?」
「皆が背を押してくれたからな。梅太も、ありがとう」
 その声は変わらずに優しいけれど――梅太は少しだけ翳った十郎の顔を控えめに見守る。こんな時まで他人ばかりの彼の頭上に、不意に影が伸びた。
「――」
 『No.10』として『No.6』に向き合った青年を、『十郎』に立ち戻らせる穏やかな指先。傷に障らぬよう耳標を外した夜は、ロクへの感謝も、生きて戻った十郎への安堵も、全てをただの一言に込めて微笑んだ。
「――お帰り、十郎」
 それを合図に、溢れる言の葉の温度。
「……ええ、お帰りなさい、十郎さん」
「待ってたよ、十郎くん」
「左潟殿、おかえり」
 ――おかえり、おかえり、おかえり。
 違う熱がこみ上げるのを堪えきれないのも仕方のないことなのだ。こんなにも、抱えきれないほどの絆が迎えてくれるのだから。
「……っ、はは、うん。――ただいま、皆。ありがとう」
 せめてもと男らしく、ぐいっと拭った一滴が地を濡らす。
 雲は遠い暮れの空。そのどこからか舞い降りたひとひらの六花が、滴の跡に重なり溶けて、滲んだ。

作者:五月町 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2019年1月19日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 6/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 3
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