●唯一の幸
「王女レリの命により、貴女を迎えに参りました」
常ならぬ姿と言葉にも、ビルの屋上に立つ人の娘は身動ぎさえしなかった。
無感動で無関心。虚ろで感情のないまなざし。そんな娘を見つめ返し、褐色肌の女戦士は語り掛ける。
人前では不条理に詰られ、嗤われ、謂れないやり直しを求められ。人のいないところではなお酷く、こうして帰る電車もない時刻まで独り残されているのもその結果。
「上司であるこの男から貴女が受けた苦痛の数々を、王女はご存じです。恥辱を雪ぐ権利が貴女にはある。――エインヘリアルとなり、この男を殺しなさい」
清廉な白の女騎士が、意識を失った男を地に転がした。娘は顔色を変えぬまま、荒れた唇を開く。
「私、もう救われたくないの」
訴えれば勝てる。辞めて逃げてもいい。貴女は何も悪くない。同情や事実さえ心を潤せないほどに、かさかさに乾いて、渇いて、
「ふたつだけになってしまったの。私が死ぬか、この男が死ぬかよ。……でも貴女たちは、両方叶えてくれるのね」
ありがとう、と。
恋するように微笑んで、娘は選定の刃を受け容れた。復讐の徒として、男の前に生まれ直すことだけを幸いとして。
●心の秤
「あんた方には、シャイターンの選定に応えようとしてる姉さんのもとへ向かって欲しい」
苦い感情を噛み含め、グアン・エケベリア(霜鱗のヘリオライダー・en0181)はケルベロスたちに願い出た。
不幸の渦中にある女性へ、その元凶である男性の殺害を持ち掛けるシャイターンの動きは、既にいくつか耳に届いている。
今回の現場には女性と復讐対象の男、そしてシャイターンと護衛のエインヘリアルがいる。そして、
「厄介なことに、今回は増援までお出ましだ。あんた方の妨害が奴さんらにも効いてきたんだろうよ」
それだけがこれまでと違う。
仲間を案じ、助けようとする王女の気概には敵ながら感じるところがないでもない。しかし、全力で精鋭を仕向けて来るとあっては、ただ感じ入ってもいられない。
「増援の迎撃にはイチが仲間を募ってくれる手筈だ。おかげでこっちは敵二体、状況次第じゃ三体の対応に専念できる。だが、増援の戦力はどうやらかなりのもんらしい。早々にこっちに片を付けて援護に向かわんと、危険だ」
話題に上ったことに気づいた様子のイチへ挙げる手で応え、グアンは仲間の前に地図を広げた。二つの戦場を繋ぐ赤い線、ビルの上を跳んでいくルートが最短。到着までは二分を要する。
エインヘリアルの女、白騎士の能力はさほど高くないが、護衛の立ち位置ゆえ、長引かせたくない一戦においては強敵とも言える。対し、シャイターンの女戦士は幻惑の手練れ。敵味方の判断を奪う砂嵐の幻覚に、躍るナイフは幻の敵を生む。
こちらが踏み込むタイミングは娘が選定を受け容れる直前だ。説得か、それに類する状況が娘を踏み留まらせれば、二体はそれ以上娘に固執しないだろう。しかし、
「その姉さんはな、恐らく屋上に身を投げに行ったんだ」
その一言が、説き伏せる困難を仲間に知らしめる。
上司の男は娘に対し、理不尽かつ凄絶な虐めを繰り返していたようだ。女性の言動からは、自分か男のどちらかが死ぬことが唯一の幸いと受け取れたと、グアンは語る。
敵二体は新たなエインヘリアルを戦場から逃がすのを最優先するだろう。三体を撃破するには相応の作戦を要する。といって、時をかければそれだけ長く、増援を引き受ける仲間が苦しむことになる。胸に痛い判断も時に必要となるだろう。
「秤にかかるのは命じゃなく、あんた方の心かもしれん。思いと現実に折り合いをつけ、選び、決断し、しゃにむに事を成す。それですら天運が伴わんことだってあり得る」
それでも戦う覚悟はあるか。溢れかけた一言を呑み、グアンは頷いた。訊くも無粋。何であれ、悩み下される彼らの決断を自分は尊び、信じているのだから。
「伸るか反るか。思いっきりやっちまえ」
心も、力も、持てる全てを傾けて。
参加者 | |
---|---|
霧島・奏多(鍛銀屋・e00122) |
繰空・千歳(すずあめ・e00639) |
落内・眠堂(指切り・e01178) |
辰・麟太郎(臥煙斎・e02039) |
大成・朝希(朝露の一滴・e06698) |
ソル・ログナー(陽光煌星・e14612) |
フィーラ・ヘドルンド(四番目・e32471) |
レーア・ステニウス(灰獅子・e61519) |
●
名乗る声に、娘の唇は噤まれたままだった。
展開する光の壁が霧島・奏多(鍛銀屋・e00122)の表情を照らす。敵の殺気を癒しの気配で往なし、二つだけじゃないと告げた。
「ごめん。……でも引き留めるよ。貴女に生きていて欲しい」
闖入者を排除する巨斧を機巧の腕に受けながら、繰空・千歳(すずあめ・e00639)は大丈夫と軽やかに微笑んだ。
「何もかも捨てて逃げちゃいなさい。私たちは味方よ」
幻惑を受けた仲間へ治癒の花を贈りながら、逃げた結果さえ支えてみせるとひたむきに説く。
「邪魔を──」
「ちょいと待って貰おうか」
烈しい砲撃で白騎士を突き放すソル・ログナー(陽光煌星・e14612)。手に取れないから敢えて問う、それは知る意思の表れだ。
「何で死ぬ勇気あんのに、逃げなかったんだ? 怖いだろ、死ぬって」
拒絶や否定を怖れて死に向かうなら、自分達が受け容れる──強い語気に正義が滲む。
伸べられた手の理由は理解でも慈悲でもなく、彼らを利する条件に見合っていただけ。娘に届けたい明けの光を治癒の力に編み変えながら、大成・朝希(朝露の一滴・e06698)は訴えた。
「……いやです。貴女を見ていない人達に、貴女がまた踏み躙られる道を選ぶなんて!」
理屈抜きの駄々っ子でいい、この心が響くなら。切なる声に、よく言ったと辰・麟太郎(臥煙斎・e02039)が手を打った。
生きる為ならまだ頷ける。死して自身の仇を討つなど滑稽も滑稽、故に笑えない。
「恥辱だの選定だの、そんな話は知らん! ただ俺は、一人の男として女に死んで欲しくねぇだけだ」
娘はもう理屈の上に居ない。ならばこちらも我儘に、肚を晒けてみせるだけ。女は笑って生きりゃいい、男はそれを守るものだ。
一閃が白騎士を押し止める。戦意昂揚の煙幕の向こうへ、落内・眠堂(指切り・e01178)は声を張った。
「殺したい、に至る程の苦しみを教えるには、一瞬の痛みじゃ足りんだろ」
報いるなら受けた全てに。与えるなら、死の刹那などでは代え得ない永い呵責を。その喉が枯れたなら、自分が罪を叫ぶから。
「おせっかいなのは、わかってる。でも」
その手を汚さないで。爆ぜる衝撃に戦士を圧倒しながらも、フィーラ・ヘドルンド(四番目・e32471)は娘を見つめた。命絶つことは戻れない険しい道、彷徨い込んで欲しくない。
「これだけ貴女を生かしたがるお人好しがいても、まだ世を捨てたい? 今なら正攻法で勝てそうだけど、この男にも」
レーア・ステニウス(灰獅子・e61519)は淡々と訊ねた。彼女を殺す選択を遠ざけた仲間達。その事実は意味あるものの筈だと。
発火を呼ぶ一撃は妨げず、奏多の慈雨が仲間へ沁み渡る。安らげる未来へ連れていくと約し、ささやかな明日の幸せを語る声は静かで、確かで。敵を蔓に戒めながら、望み多くあった日々を引き出そうとするソルは言葉荒くも、懸命で。
娘はぽつり、言葉を溢した。
何故自分が逃げなければならない、そんな反発心さえ平坦に削られて。声を上げればあいつは咎を受けるだろうか、報われぬ日々の重なりがそれを否定して。気づけば目の前には死だけだった。
朝希の瞳が、引き受けた一撃よりも痛そうに歪む。
「幸せの願い方を忘れたなら、今は下を向いた侭でもいいですから……!」
冷えた心こそ温かい手に引かれていい筈だ。砲射で白騎士を撃ち払い、手を伸ばす。けれど、娘は動かない。
「──頼む」
呪印の高めた一撃には呪を帯びた一閃を。血色の三日月を刻み付けた麟太郎が、下げる頭に戦場で叶う限りの礼を尽くす。
「まずは一緒に逃げようぜ。死ぬより永く、こいつを──」
悪びれた物言いを好む眠堂ではないことを、彼女が知る筈はない。それなのに、
「……っ」
濡羽色の射撃の担い手へ。首を振り制止する娘の視線は、敢えて選んだ言葉の優しさを読み取ったかのよう。
「待って。頑張ったんだもの、もう一歩、逃げる勇気だけ向けてほしいの」
「くるしさを、抱えていなくていい。……もう独りじゃないんだ」
目の前にいるから。一緒に進むから。千歳と奏多の訴えに──ふわり、
「こんな私になっていなければ、きっと嬉しく思えた。それだけは解るわ」
『ありがとう』も微笑みも、敵ではなく、彼らに向けて。それでも娘は敵の手を取る。
切っ先が胸に吸い込まれる。結んだ唇を解き、千歳は逸早くも手荒に足許の男を抱え起こした。
「退避させるわ」
「頼む」
生まれ直した『彼女』が力に目覚める前に。ビルへと身を翻す千歳を、仲間達は敵の視界から遮る。
もう救われたくないと呟いた横顔をフィーラは思い出す。『もう』?
「もう、じゃない。あなたはまだ、」
なにも救われていないのに。
悲鳴のような稲妻が白騎士を貫いた。女戦士は混迷を招く流砂の幻にケルベロス達を巻き、
「機会はまた訪れるでしょう。行きなさい」
剣を振り下ろす相手を見失った娘に告げる。させまいと踏み込むレーアの咆哮を、白騎士は身を震わせて受け止めた。舌打ちが零れる。
「……余裕のあることで」
重い一撃を受ける間にも離れていく背中。重なる何かを、奏多は瞬きで瞳の奥へ追い遣った。
鼓動、涙、言葉。手放せば楽になる、けれど時に愛しさを伴う生の全てを、彼女は棄てた。
「先ずは、一体」
変革の魔弾はレーアの受けた衝撃を巻き戻す。瞼の熱に歪む世界を捉え直し、朝希は騎士の懐へ飛び込んだ。
この軽蔑が針の一刺しにも及ばなくとも、
「……思い知って貰います!」
触れる掌は温もりではなく、絶対零度の凍気を伝う。
千歳の代わりに憤りを撒き散らす鈴、苛立ちを怒号に映すソル、
「傷つき迷う人を惑わす悪しき者どもは、この俺が許さんッ!」
漆黒の面に覆いきれない感情は、取り回す鎚に溢れた。
「眠堂」
「ああ、分かってる」
あの微笑を忘れない。据える眼差しの先に眠堂が招く爆発に、麟太郎は渾身の斬撃を連ねる。
届かないかもしれないと知っていた。それでも、
「アンタ方に躙られる謂れはねぇんだ」
轟音とともに白騎士の鎧が散り落ちた。報いるべきは、もう一体。
●
「あの娘は救われた。必ずやレリ様に報い、いずれ復讐を──」
「もう、黙ってちょうだい」
薄笑みを浮かべた戦士の剣舞を、戻り来た千歳の鎖が弾き飛ばした。
「私たち、暇じゃあないの。悪いけれど、さっさと終わらせたいのよ」
秘める憤りに吹き荒ぶ甘やかな花。癒術が仲間の戒めを解く間に、フィーラは雷撃に溶け駆け抜ける。
「繰り返すことに、なってしまうのに」
一度手を汚してしまったなら。記憶にはなくも知っている気がして、槍を取る手に力が籠もる。
燃え上がる機巧を敵に叩き込み、レーアは薄ら笑った。
「これで手っ取り早く、貴女たちを叩きのめせばいいって訳だ」
敵に先んじて娘を殺す方が早いと思っていた。では、この苦みは何なのか。
「……本当に気に入らないわね」
けれど仲間たちの苛烈な攻防──お人好し達の悲しみや怒りだけは、不思議とレーアの胸を打つ。
「……やりきれねえな」
代わりを担うと告げた喉から、やっと零れた掠れ声。導かれる爆破音に零れる眠堂の悔しさに、荒々しい幻竜の炎で敵を捉えたフィーラが応える。
「そう。でも、少し、ちがう」
手を伸べたケルベロスたちへ、ありがとうと彼女は言った。
「手は、とれなかった。……でも」
あの笑顔。終わりは少しだけ暖められたと思うのは、勝手だろうか。
胸を衝くものを、睨む眼に、噛み締める奥歯に誰もが抑え込む。けれど、
「く……!」
「ほら。最期まで抗ってみせなさい?」
惑わしの刃を受けながら、事もなげに一撃を擲つレーアも、噴き出す凍気に敵が凍てつく間に、幻視を解く雨を手招く奏多も。
誰一人、その痛みを放棄しない。
「……ただ、一言」
助けてと言ってくれたら、その手を掴んで離さなかった。彼女にそうさせなかった現実の痛みを知って、奏多の雨は一際優しい。
「あんな哀しい選択で──利害の一致だなんて言わせません! 貴女達が現れるまで、彼女には……!」
人を殺す選択はなかった。それより己を殺すことを選んだほどなのに。選定が、救われるべき娘を悪意へ堕とした。
朝希は冷え切った怒りを杭に預け、射出する。凄烈な氷の侵食を、千歳が放つ加護の銀光と鈴の散らした幻惑の黄金の輝きが冴えざえと照らす。
冷気を重ねにかかるソルの戦鎚を躱す戦士。だが、
「いや、まだだ! 麟太郎ッ」
「応よ」
巨鎚の陰から飛び出した影が、瞬く間に距離を詰めた。激情を秘めた鋭い眼差しが敵に迫る。
「皮肉なモンじゃねえか、ええ? 救いたかろうが欲しかろうが、取れねえ手がこの世界にゃあるんだからよ」
「ッ!」
振り斬る一閃に集約する力の粋。崩れ落ちる戦士を見据え、漢は告げる。それでも手を伸ばすことはやめないと。
そう、差し出した手を悔やむ者はここにない。彼らの天秤は幾度だって同じ答えに傾くのだ。
他の道が見えないほど追い詰められた娘。だから彼女を引き留めたかった、生きて欲しかった。顔には見えぬ思いが、仲間へ渡り行く奏多の気に移る。だからこそ報われて欲しかった、手を引いてあげたかった。堪えた涙が、朝希の熟達の一手を研ぎ澄ます。
「──来るぞ、レーア!」
命を啜りにくる刃の切っ先は、眠堂の一声に反応した朝希に阻まれた。
「っ、させませんよ。これ以上、一人だって」
「ああそうだ、てめぇらにやる命なんてどこにもねぇッ!」
激昂。憤る声とともに空に駆け上がる黒き魂が、撚られて槍と化す。軌道を分け、全方位から降る槍の雨が、戦士を屋上に縫い留めた。
「とらえる。……どうぞ、おわりへ」
伸ばすフィーラの腕から、透き通る掌が分離する。身を起こす女を地に縛りつけ、花紅の瞳が仲間を促した。それを受けるより速く戦斧は奔り、麟太郎の頷きが、符を構えた青年を決着へ誘う。
「あの男もだが、あんたもだ。……交わすものもねえよ」
匿われた男も眼前の女も、眠堂の胸の裡を解しはすまい。苦く痛いものを符に束ねれば、夜より黒い三ツ足の鳥となる。
「髄を射よ、三連矢。──自分のしたことくらい解っとけ」
欠片の罪も見逃さない。戦士を見据え翔んだ烏は、命の芯を捉えた。悲鳴すらなく戦士は息絶える。
だが、立ち止まる猶予すら彼らにはない。
「──8分! 撃破の連絡は」
「……駄目だ、妨害されているのかもしれない」
電波不通のメッセージを無常に繰り返すスマホをポケットに押し込み、奏多は振り切るように駆け出した。
「急ごう」
ビルの森を蹴る流星が、夜空に幾つもの弧を描く。──今も耐え続ける仲間達に、その手を届ける為に。
●
「その一撃、“無かったこと”にさせて貰う」
青白い魔力の尾を纏い、銀の弾丸が戦場に突き刺さる。
敵将ミュゲットが与えたばかりの傷を消し去る、冷ややかな魔術。振り返ったいぶき達に安堵が広がった。
「なかなか来ないので何かあったのかと……杞憂だったようですが」
「心配をかけた。——あと一体か」
表情に察した彼らは、何も訊かない。頷く視線一つに感謝し、千歳はぐっと声を張った。
「さぁ、もうひと仕事しましょうか。悪いけれど、これ以上は許さないわ」
「ありがとう、助かるよ」
頭上に伸びる手と揃い咲く、飴色の花傘が癒しを差しかける。受けたアトリは鈴に続き、影の斬撃を鋭く繰り出していく。和の仕向ける爆発に、戦鎚を並べたソルが吼える。
「てめぇらだけは逃がさねぇ!」
「ええ。あなた方の動く先々に、あんな選択が生まれるのなら……!」
痛みを握る左手に溢れた光を、朝希はココの盾として編んだ。
目にも留まらぬ連撃に敵将を捉える麟太郎。力強く巧みな攻撃に、さらなる追い風招く眠堂の爆煙。
「歩みを、とめてもらうわ」
音もなく踏み出すフィーラの掌のさきを、巨竜の幻影が炎の吐息で塗り潰す。もっと燃えなさい、レーアの囁きと籠手とが敵将に触れた途端、爆炎は荒々しく空へ逆巻いた。
戦況の変化は加速する。多数に包囲されてなお、ミュゲットは退きも癒しもしない。ふんと零れた麟太郎の息に微かな賛嘆が混じった。
「見上げた心意気だ。だが、今の俺達にゃ、アンタの望みを通す道理がねぇ」
呪詛を乗せた戦斧が描く三日月の軌跡。白靄を纏って続く、ソルの凍結の一撃。着実に命を刈る連携を横目に、眠堂はブーツの一歩をついと進めた。
懐から抜き出す扇、戦線を守る仲間たちを舞の所作になぞれば、わっと湧き上がる花色の癒しの光。その美しい光景にも今はまだ、心は動かないけれど。
「——行っちまえ」
終わらせる為に。零れた声に籠る願いを、駆け抜ける稲妻が連れていく。
「救われて、ほしかったの。フィーラも、皆も」
闇を貫く白銀。幼げな囁きは戦の音に溶けたけれど、それで構わなかった。届けたい相手はここにはいないのだ。
「本当に人が好いのね」
呆れる視線にごく微か、好ましさを滲ませ、レーアは咆哮する。声の魔力が夜気ごと敵を戒める。癒しは足り、持久戦を支え続けた響も迷いなく攻撃に転じた。傍らの御業がミュゲットを抱き込んだ一瞬を、いぶきは逃さない。
右手に理想、左手には幻想。重ねた傷をさらに抉る短剣の切れ味に、ミュゲットが叫ぶ。
「このまま逃げるなんて、できるわけないのよ!」
ひと欠片の理解を示すも、蹴撃を緩めないミルフィ。御業の隙間を縫って襲いかかる敵将の弾丸は、戦場を縦横無尽に駆け巡った。前列を越え行くそれらを、朝希と鈴が身を以て阻む。
迷わず回復を択んだ奏多の眼差しは変わらない。心の中に寄す波は、彼だけが知るものだ。
「——頼む」
器用な指先が紡ぐ銀の軌道が、射抜かれたユーシスに力を贈る間に、地に浮かび上がる影の刃が、リリエッタの意のままに急所を掻き斬った。
心に落ちた影、夜の昏さの中で、朝希も癒しの輝きを仲間のもとへ喚ぶ。——夜明けまではまだ、遠くとも。
優艶に舞う千歳を辿り、降り注ぐ光の花。金の鈴音がきらきらと最期を歌っていた。
「任せたわ。いってらっしゃい」
力と想いに見送られ、ユーシスは紫電纏う竜を招く。大地より天を目指す幻影に貫かれ、揺らぎながらもまだ、ミュゲットは立っている。
しかし——敵意が煌々と灯る眼に、終わりを齎す者が映る。
「やっ……レリ、さま……! たすけっ」
「ミュゲットさん……終わり、です……!」
降る獣腕が王女の花を手折ったとき、漸く。
一度たりとも逸らされなかった朝希の瞳から、熱が零れていった。
「お疲れ様、奏多さん」
いぶきの軽やかな労いが降る。ああ、と色薄い奏多の返事は常のことと知る彼ゆえに、気を張る必要がないのは有難かった。
届かなかった掌は、仲間の窮地に届いた掌でもあった。それでも、
「……苦い煙草じゃあるがな」
この味を忘れまいと、麟太郎は顔を上げる。
煙管にくゆる煙の影が遠い空に滲んでいくのを、彼らは静かに見送っていた。
作者:五月町 |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2018年10月5日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 11/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 0
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