●星群に焦がれて
灯りを消した部屋の中、少年は溜息を零した。
小さな窓に切り取られた空の下、星灯りで見る手許の紙には、外のそれよりもいっそう眩しい夜空の写真が大きく印刷されている。
それは少年――昴の住む街で催される『星燈し』の祭りの報せだった。よく晴れた寒い冬の夜、海に向かう緩やかな風の吹く日を狙って行われる。和紙で作られた大きなランタンに火を点け、空へと放って、託した願いが夜空の彼方で星となるのを見守る、そんな催しだ。
夜空は澄み渡り、柔らかな影をかける薄雲は海に向かって流れている。祭りはきっと予定通り行われるだろう。そんな夜に、昴は部屋の中にいる。子どもひとりで星燈しに出掛けることは学校で禁止されていたし、足の悪い祖母に出掛けようとは強請れなかった。
「……今すぐ大人になりたいな。ぼくひとりで星を燈しにいけるように――誰か、してくれたらいいのに」
呟いたとき、それは昴の願いに応えるように現れた。
広がった鮮やかな羽の模様が、目玉のように昴を見つめる。その中心で、孔雀の顔を持つビルシャナの幻影が優しげに微笑んでいた。
「……そっか、そうだ。ぜんぶ、消しちゃえばいいんだね」
この街の大人たちをすべて。そうすれば、阻むものは誰もいなくなる。
少年の言葉に満足げに頷いて、幻影は掻き消えた。いつのまにか鮮やかな羽に身を包み、瞳に熱に浮かされたような光を燈した少年をひとり、夜に残して。
●願いを燈す夜
新たな敵の出現を告げたグアン・エケベリア(霜鱗のヘリオライダー・en0046)に、シド・ノート(墓掘・e11166)は苦笑いを浮かべた。
「ビルシャナ菩薩『大願天女』……と。これまた悩ましい敵が現れちゃってまあ」
それは幻影でありながら、願いを持つ者に『他者を殺して願望を成就させる』天啓と力を呼び起こすという、極めて大きな影響力を持っている。
「良さげな祭りに妙な邪魔が入らなきゃいいなあって期待しただけなんだけどねー。なーんで本当になっちゃうかな」
「そう言いなさんな、お陰で止めに向かえるんだ。ビルシャナ化した坊主が計画を諦められるよう、このまま手を貸してやってくれるかい」
大願天女の影響下になければ、とてもこんなことを思いつくような子どもではない。そう言い重ねたヘリオライダーに、シドもケルベロス達も分かっている、と顎を引いた。
「で、少年の願いは『祭りに行って、星を燈すこと』でいいんだよね?」
今度はグアンが頷いた。
少年をビルシャナ化から解き放つ方法はいくつか考えられる。例えば、手っ取り早く願いを叶えてしまうこと。そうすれば、少年のしようとしていることは完全に無駄となる。
あるいは、殺戮では願いは叶わないと証明すること。そもそもがグラビティ・チェインを得ようとする大願天女によって歪められた思考だ。穴を指摘し、欠点を挙げることはそう難しくはないだろう。
そして最後に、願い自体を叩き潰すこと。取るに足りないことと説き伏せ、自ら願いを手放させることができれば――あるいは。
「……だが、それは少しばかり後味が悪いかもしれんな」
僅かの間思案に黙するケルベロス達に、グアンは口の端を上げた。傾ける思いがあるのなら、きっと悪いようにはならないと信じて。
説得に失敗すれば少年の意識を保ったままのビルシャナと、説得に成功した、もしくは迷いを生じさせられた場合には、少年の意識を失ったビルシャナとの戦闘になる。後者なら撃破後に少年を取り戻せるが、前者の場合は少年ごと倒すしかない。
「孔雀の翼に気をつけてくれ。煽げば強烈な冷気が襲い掛かるし、震わせれば火を纏った鳥が現れる。それと、坊主が望んでいた景色……ランタンが上る夜空の幻に敵を閉じ込め、惑わす術も厄介そうだ。立ち回りから、異常を与える力には長けていそうなんでな」
「はーい、じゃあ俺も行くよ。キュアの手伝いくらいはできるからね」
拳を持ち上げた茅森・幹(紅玉・en0226)に細めてみせた眼を、シドはさて、と夜空へ向ける。
「しがないおっさんにも叶えられる願いがあるんなら、やらないわけにはいかないよね。ビルシャナの目論見ぶっ潰した上で、少年も交えて楽しんできましょ」
「ああ、どの願いも正しく星の群れに飾られるようにな。――頼んだぞ」
仲間たちの肩を次々と叩き、グアンはヘリオンの扉を開いたのだった。
参加者 | |
---|---|
藤守・景臣(ウィスタリア・e00069) |
キース・クレイノア(送り屋・e01393) |
スプーキー・ドリズル(亡霊・e01608) |
ヴィヴィアン・ローゼット(色彩の聖歌・e02608) |
シド・ノート(墓掘・e11166) |
ハインツ・エクハルト(光を背負う者・e12606) |
ラズリア・クレイン(天穹のミュルグレス・e19050) |
左潟・十郎(風落ちパーシモン・e25634) |
●
「お姉さんたち、は──」
窓辺に現れた四人のケルベロスに、ビルシャナになりゆこうとする少年の虚ろな瞳が瞬く。
舞い降りたヴィヴィアン・ローゼット(色彩の聖歌・e02608)は、怪しい者じゃありませんとひらり両手を上げた。
「あたしたちはケルベロス。昴ちゃんの願いは、あたしたちが叶えてあげる!」
「……ぼくの願いを?」
藤守・景臣(ウィスタリア・e00069)の柔和な笑みが並ぶ。
「折角の良い祭りの夜、行けぬのは勿体無いです。宜しければ一緒に行きません?」
だけどと呟く声が不意に翳った。
「だめなんだ。ぼくは子どもだから──だから」
高まる力の気配。警戒を強めながらも、左潟・十郎(風落ちパーシモン・e25634)とハインツ・エクハルト(光を背負う者・e12606)は語りかけるのを止めない。
「君一人じゃ駄目だってことだよな?」
「婆ちゃんには足が悪いから、連れてってって言えなかったんだな。優しい子だ」
「ああ、小さいのに色々考えてるんだな。しっかりしてるぜ。だけど心配ないんだ、オレ達が一緒に行けば……」
その優しさと思いやりを、悪しく利用されないように。尽くす言葉に、昴はだけど、とまた繰り返す。
「……知らない人と一緒に行くのも、だめだから」
それは彼らの思った通り、しっかりした子ども故の思考。けれどそこには、大人を消そうとしながら、大人の言葉に縛られ続ける矛盾もあった。
「やっぱり、大人を消しちゃうしか──」
ビルシャナの洗脳は、移動を待つ猶予を許さない。頑なな言葉にケルベロス達が身構えたその時、
「気持ちはよく分かった。だけど、本当にそれで願いが叶うだろうか」
「……え?」
十郎の言葉が少年の心を繋ぎ止める。
「大人がいないと街全体も、祭も機能しなくなる。祭りができないってことだ。それじゃ、君の願いは叶わないんじゃないか?」
穏やかに、整然と。誰もが頷ける一言に、昴は息を呑む。険呑な瞳の曇りが解けるように消えて、
「そうです。本当に、それでいいの? お祭り、昴くんも楽しみにしていたのですよね」
「君のお婆さんにはご了承頂いたよ。保護者の役目、僕達でしっかり務めさせて頂こう」
部屋の扉を開け、微笑みかけるラズリア・クレイン(天穹のミュルグレス・e19050)とスプーキー・ドリズル(亡霊・e01608)が説得に加わった。祖母の『知る人』となったことでまた一つ、少年の懸念が消える。
「君の本当の願いは、大人を排除するよりもっと単純な筈だ。今は、オレ達に願いを託してくれないか?」
手を差し伸べるハインツ。弾かれるばかりだった水が染み通っていくように、続く言葉は少年の懐に届き、瞳をどんどん澄ませていく。
「子供のうちにもっと大人に甘えればよかったな、なんて、あたしも今になって思ったりするの。昴ちゃん、大人に甘えるのは子供の特権なんだよ」
鮮やかな羽毛に覆われた昴の片手を取って、ヴィヴィアンが微笑む。もう一方を、膝をついた景臣が取る。──幼い頃、娘にそうしていたように。
「ふふ、君は大人をもっと利用して良いんですよ」
「ほら! 君に甘えて欲しい大人たちが、こんなにいるよ!」
朗らかなヴィヴィアン。本当に行けるの、と呟く少年に、ラズリアは優しく頷いた。
「──さあ、一緒にお祭り、行きましょう?」
「……それなら、ぼくは」
大願天女の力には頼らない。
そう少年が呟いた瞬間、天罰の閃光が部屋を覆い尽くした。
ケルベロスたちに動揺はない。スプーキーは素早く電話を手にした。
「会場に向かった三人に連絡するね」
「ええ、お願いします。ヴィヴィアンさん、ハインツさん──」
「うん、任せて!」
身に帯びたオウガメタルの輝きを解き放つヴィヴィアン。煌めく粒子が仲間たちに護りを施せば、ハインツは力強い笑みで応え、掌を空に突き上げる。
「雷雲よ、みんなに力を! 奔れ、研ぎ澄ませ、《閃》──ッ!!』
放たれた雲塊から降る雷が、仲間の神経をより敏くする。人の望みを利用する者を許さない──明るい眼差しは、少年の向こうにある微笑む悪意を確と見据えていた。
●
鮮やかな翠の羽が星灯りにぎらりと光る。
ケルベロスたちの攻撃で窓の外へ押し出されたビルシャナ。燃え盛る鳥が辺りを熱に染め抜けば、十郎は微かに顔を顰めて手を上げる。
「静かにしてもらえないか? その熱は少し……煩い」
指先に集う冴え空の光は、たちどころに青白い隼へと変わる。貫く軌跡、硬直を招く澄んだ啼き声。そこに足音が駆け込んでくる。
「──昴、は」
目の前の苛烈な争いに、弾む呼吸すら後回しに訊ねるキース・クレイノア(送り屋・e01393)。大丈夫、と確かに微笑む景臣に頷いて、地獄の炎を纏うオーラへ伝わせる。
「……良かった」
安堵は一瞬、火花散らす一撃は即座に。青年の冴えた動きにひゅうと口笛一つ、懸命に祈るシャーマンズゴースト・魚さんには癒されつつ──共に戻ったシド・ノート(墓掘・e11166)は、ビルシャナに捉われた少年に目を細めた。
「もーちょっとの辛抱だからね。子供のささやかな願いのひとつやふたつ、叶えられなきゃケルベロスなんて名乗れないからさ──」
翻る白衣の下から奔る光、立ち上がる稲妻の壁。炎に氷、前に立つ者たちを重ね苛む異常を祓う力が築かれて、仲間たちの瞳に安堵が浮かぶ。
「予定通り、茅森さんもおなしゃす!」
「了解!」
茅森・幹(紅玉・en0226)は足りぬ酸素を一息に吸い込み、吐き出す声で仲間の頭上に極光を招いた。二人の術で敵の威圧は揺らぎ、定まらなかった狙いも少しずつ確かになっていく。
「揃いましたね。では、早々に片付けましょう」
美しい夜を浪費せぬように。硝子を通さぬ柔い眼差しにちり、と藤色の熱を乗せ、景臣は炎弾を解き放った。敵の体に熱の花が咲けば、高みから駆け下るスプーキーの流星の蹴りもさながら花火のよう。
「お婆様にご心配をかけたくないのです。昴くんを──返してもらいますよ!」
凛と響くラズリアの詠唱に、闇が張り詰める。星槍の先に現れた魔法陣から溢れ出した輝きは、穿ったそこから石化を広げ、敵を戒めた。その僅かな隙に、果敢に飛び込んでいくのはヴィヴィアン。指を彩る光の輪は距離を縮めるほどに鋭く育ち、眩い一閃のもとに敵を斬り伏せる。
「うん、約束したからね……! 絶対に助けてあげるから!」
蒼と紅、鮮やかに躍動するふたいろの娘たちに、ハインツは頼もしげな笑みを見せる。
「オレも負けちゃいられないよな……! チビ助、行くぜ!」
癒し系の相棒も戦場には勇ましい吼え声を上げ、瘴気を纏い駆け抜けていく。ビルシャナには悪意苛む毒の靄、ならば対する仲間には、
「ここからが本番だ! ──皆に、力を!」
握り込むスイッチ一つ、色鮮やかに咲き誇る爆煙で追い風を生む。
「うーん、天女様の力ってのも案外大したことないかなあ」
「お前……。これは皆の説得の」
「分かってるよ。最善の形にしてくれたお蔭で、早めにカタが付きそうだ」
苦笑いのスプーキーを横目に、皆へはありがとうございますと人好きする笑み。けれどシドの繰り出すバールは、熟達の手捌きで酷薄の冷気を叩きつける。
浄化の極光が拭う傍から、ビルシャナは凍てつく嵐で新たな術を重ねにかかる。けれどそれも、辛抱強くかけ続けた戒めに一度、二度と逸れ始めた。そして、
「星見の邪魔はさせないよ。──もう、二度と」
トリガーを引く指に失われたものへの愛情を込め、スプーキーは甘い銃弾を撃ち込んだ。深紅の毒林檎めいた鮮やかな甘露が、敵の体の内で弾ける。衝撃に散った羽吹雪が敵の視界を奪う間に、星の光を纏った脚が一瞬で距離を詰める。
落ちる踵、散る星屑。その残滓ごと飲み込むように、槍の一閃が襲いかかる。
「あんなまっすぐな子に、哀しみなんて似合いません。……もっと笑っていて欲しいのですよ」
ラズリアの心のように清廉な光。苛烈な一突きに頷いて、ハインツはもう一度、仲間の技を高める爆風を齎す。
「君はもっと子供らしくはしゃいでいいし、我侭も言っていい。オレ達がそれを叶えてみせる!」
その決意を、相棒の咥える刃も映し出す。連携に目を細めたヴィヴィアンは、冷たい空気をすうと吸い込んだ。
──新しい扉を、今日も開けて進もう──。
細い喉から豊かに溢れ出す歌声が、薫る。冬には咲かぬ筈の花が舞う。希望に溢れる歌声が敵の動きを止めると、薔薇色の娘は微笑んだ。──この歌が、少年のこれからを変えてゆけばいい。自分が辿ったこれまでのように。
少年に向かう仲間の想いに、景臣は隙なく連ねる刀で共感を示す。ケルベロスとして、子を持つ父として、永く続きゆく筈の彼の未来を斬り開くのは、空の魔力をひと雫借り受けた一閃。
優美な所作そのものの艶やかさ、裏腹の苛烈さで敵の命を削ぐひとに、星満ちる幻術が襲いかかる。けれど、
「……させない。その空は、まやかしだ」
妖しく手を伸ばす闇の前へ、染まらぬ眼差しをひたりと向けてキースが飛び込んだ。旋回する足許、ブーツで蹴り出す星の一撃が偽りの空に光を穿った。魚さんもうんうんと頷きながら、回復の祈りで友を支える。
少年のかたちを残す存在に刃を向けることに、戦いを好まない十郎は微かに躊躇う。けれどそれは、胸の中だけのこと。
「──もう少しだ。待っていてくれな」
穏やかな声に反して、翻す刃に宿る力は、敵に刻んだ術を幾重にも増やしていく。
回復は十二分。ならばと含む笑みでキュアを幹に委ね、シドは杖を翳した。夜空を切り裂く光の奔流が、激しく散らす羽毛の翡翠色をより鮮やかに浮き上がらせる。
「だいじょーぶ、君はもっと大人に甘えていいんだよ」
燈に託すことなく、その手で叶える大団円の為に。終幕へと張り詰めていく空気を、凪いだシドの声が解した。微かに和いだ唇は残像に、一瞬で距離を詰める景臣の横顔は冴える。
「彼を放して頂きましょう。そして狼藉の対価には──」
その狂おしい熱を、僕に。敵の喉に静かに触れた刀から、冷たく澄んだ熱の色が駆け抜ける。持たざる温もりを敵の命に求めるかのような烈しさで。
紅が景臣の体に収束すれば、今度は冴えた青のひかりが辺りを染める。ラズリアの差し出した両の手に、応えて現れるのは虚無の槍。
「死を司りし忘却の王よ、我が呼び声に応え給う。深淵より生まれし崩壊の槍を持て、汝が敵を貫き葬れ……!」
優しい笑みは、優しいひとときの為に今は身の奥へ。古の剣姫もかくやの凛々しさで、真直ぐに敵を刺し貫く。
ビルシャナの鮮やかな羽が吹雪のように散り、散るそばから消えていく。未だ僅か、少年の体に残る気配に向けて、キースは指先をゆるり動かした。
見えざる軌道に従うように現れた氷の鰭。身を捩る度にしゃらしゃらと奏で往く魚が誘う先は、絶対零度の眠りの淵。
降らす飛沫に凍りついた翼が、一瞬で砕け散る。
「おやすみ。それと……──おかえり。昴」
伸ばした手に倒れ込んでくる少年は、温かかった。体を揺らして喜ぶ大きな友と、白い安堵を溢した仲間たちの笑顔に、青年は掠める笑みで応えてみせた。
●
「わあっ、綺麗!」
「ランタンのお星様がたくさん……!」
ケルベロス達からの連絡で、速やかに再開された星燈しの祭り。冷たく澄んだ夜空へふわりと旅立つ、幾つもの願い星の出迎えに、娘たち二人は歓声を上げた。
「私はね、少しでも平和になりますように、哀しむ人々が減りますように、ってお願いするつもりなのですよ。だから、今日──」
昴くんを助けられて、願いが少し叶いました。にっこりとそう囁くラズリアに、少年は気恥ずかしげに頬を染める。
耳にした彼女の願いは強く、優しくて。思いもよらないと目を細めたヴェルトゥ・エマイユはランタンを空に翳した。
「じゃあ俺は……君が何時迄もその心の輝きを失わないように」
尊き願いが叶うものであるように、願いに支えられた穏やかな世界が永く続くようにと祈りを込める。
思いを託した小さな光が昇ってゆく。輝きが空に飾られるのを待って視線を下ろせば、傍らに柔らかな二つの笑顔が灯っていた。
怖々火を手にする少年にラズリアが手が添えると、薄紙のランタンは十郎とヴィヴィアンが支え持つ。目を閉じ、願いを込めた昴がもう一度目を開いた時には、ランタンは熱と光と願いでしっかりと膨らんでいた。
「良さそうだね。それじゃ、行っちゃう?」
「──うん。せーの、」
ぽんと背を叩くシドの掌が合図。皆に見守られ、届くようにと祈られながら、願いは小さな掌を離れていく。
彼方まで見送って、キースは自身の願いにもそっと火を入れた。
「……願いが叶うまで、皆を見守っていてくれな」
流れ星になって落ちてきてはいけない。見上げればいつも輝く、さやけき光の一つであって欲しい。
網膜に灼きつく煌めきと、焔とともに胸に宿る祈りを、キースは静かに瞼の裏に溶かした。
心優しい少年が、心も命も歪められることなく健やかに成長していくように──ここにはいない息子の分まで。
そっと手放した燈に切なる願いを預けるスプーキー。その光が天頂に至るのを待って、シドはその背を景気よく叩いた。
「っ、お前……」
「また家族に誕生日を祝ってもらったこととか思い出してるでしょ」
独り身が堪える季節に生まれるもんじゃないね、と笑う声で、シドはスプーキーの送った光にもうひとつ願いを乗せた。彼が淋しくないように──泣き虫さんの視界が、心が、夜影の深くに落ちていかないよう。
「……憶えててくれたんだね」
「えっ、スプーキーくん誕生日なの? おめでとー!」
耳聡く空気を読まず踏み込んでくる幹に、仲間たちからもおめでとうの笑みが返る。シドは咥え煙草をにっと持ち上げた。
そう──願いの燈る祝いの夜を湿らせるものなど、海風だけで充分だ。
そんな暖かな歓声や、さざめく光と波音を主役とする夜のこと。ささやかなれど輪郭の確かな歌の響きはそぐわぬものと、歌い手故に解したシグナは、会場の片隅を選んで風に口ずさむ。
けれど、誰の耳にも届きそうもない微かな歌声に、耳を留めた娘があった。
「その曲……! あなたの曲、ですか?」
幼いヴィヴィアンの心を掴んだ、ラジオから流れる意味も知れぬ歌。それが音楽の、歌の道を歩む標となった。もっと人の心に残る歌を歌えるように──空にそう願い託すほどに。
輝く瞳で語る娘に、
「随分昔の曲だが……よく知っているね」
シェレトワレ──星はいつでも君を見守っている、そういう歌だと一言告げて。
「星……」
見上げた娘の眼差しが隣へ戻った時には、その姿はとうに消えていた。
夜の夢のような邂逅に、ヴィヴィアンは瞬く。優しく落ち着いた彼の声の余韻だけが、心の奥に残っていた。
冷たい空にふわりと熱を浮かべ、ハインツは穏やかにその行く先を見送っている。海へ向かう背に吹く風は底冷えがするようで、けれど放った熱の代わりに、自分を暖めてくれるものもある。篁・悠、大切な人の掌だ。
「どうか1人でも多くの人を助けられますように」
「この街角を守れますように。未来が明るくありますように──」
続く戦いの先に二人で重ねたものは、願いであり、決意でもあった。
「願い、もう決めました?」
朧な願いの容はいかにもゼレフらしく、景臣は目を細める。既に場所を得て高みに留まる幾つもの星々は、いつかの誰かの願いなのかもしれない。そう見上げた彼の眼差しはすぐに地に下り、景臣に願いを問う。
「そうですねぇ。僕は──ゼレフさんと共に居られます様に」
贅沢でしょうと微笑めば、見開かれた瞳は柔く解けて、もっと贅沢で良いのにと笑う。
旅立つランタンに左手から伝う焔を託し、意図を問う眼差しにか、それとも自分自身にか、ゼレフは恋うように囁いた。
「多分、こいつの行けないところだからね」
「……きっと、上の景色も綺麗でしょう」
そっと支えを離れた願いが、寒空を暖かく照らしながら上っていく。煙る呼吸も冷えゆく指先も構わずに、二人はそれを見つめていた。燃え尽きるその時まで、彼方へ馳せる輝きを見送って。
育ての親に友人たち、大切な人──全てが幸せでいられるようにと、ひとり静かに願いを見送った十郎が振り返る。
そこには、空を見上げたままの昴。灯った願いのすべてが叶えばいいと、隣で静かに見入っていたキースは、ふと少年に語りかけた。
「君の願いはかなったか?」
うん、と頷く声は小さくも、漆黒の瞳にはきらきらと光が宿っていた。そうか、と頷き返すキースの傍らに戻り、十郎が首を傾げる。
「どうしてそんなに祭りに行きたかったんだ?」
もしかしたら、家には姿がなかった両親に関わることだろうか。漠然とした推測は当たり、昴は少しだけ笑う。
「お父さんとお母さんに、ぼくは元気だよって教えたかったんだ。空にいるから」
連れてきてくれてありがとう。そう呟く子を間に座らせて、二人の青年は言葉もなく、不器用に、その頭を撫で続けた。
冷たく冷えた手を引く帰り道。杖をさし、家の前まで出迎えに立つ老婆の姿を認め、スプーキーは少年の背を押した。
「今夜の感想をお伝えしなくては。きっと喜んでくださるよ」
「──うん」
和やかに睦み合う祖母と孫。悪意から守られた暖かな絆を背に感じながら、ケルベロスたちは穏やかな帰り路に就いた。
作者:五月町 |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2018年1月31日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 0/感動した 2/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 8
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