錦上添花

作者:五月町

●添う花の親心
 たとう紙の中から零れ出た彩りに、娘の頬が染まった。
 見つめるだけで心を照らすような、優しい桜色地の色留袖。慎ましい色だが、袖や裾を飾る華やかな紋様が品よく色を引き立てている。
 銀糸を織り込んだ淡い流水紋に、色とりどりのリボンを束ねたような美しい熨斗紋。蛤紋に雪輪、亀甲、伝統模様の輪郭の内を細やかに彩る大小の花々は、贈り主の祝意そのものだ。
 袖を通してみることも、身に添わせてみることもしない。けれど娘がどれほど幸せにそれを見つめているのかは、花咲くような微笑みが語っていた。
 それなのに──突如視界を過った誰かの脚が、柔らかな表情をひきつらせる。
「きゃ……!? だ、誰……!?」
 答えはない。二人の魔女、怒りのディオメデスと悲しみのヒッポリュテは無遠慮に歩み寄り、素早く着物を掴み上げると、娘の視界を覆う綾錦を真っ二つに切り裂いた。
「……!」
 青褪める顔色に構わずひと裂き、もうひと裂き。娘は恐怖を忘れ、掠れる声を絞り出す。
「やめて……やめて! どうしてこんな酷いことができるの……!」
 零れる涙が端切れを濡らしていく。
「父さんと母さんが仕立ててくれたのよ。娘への最後の贈り物だって──幸せな結婚にとびきりの花を添えようって! 酷い……、許せない……!」
 慟哭は誰もが胸を詰まらせるほどの慨嘆で満ちるのに、『誰も』にあたらぬ二人の魔女は愉しげに、泣き伏す背に鍵を突き立てる。
「──!」
「私達のモザイクは晴れなかったねえ。けれどあなたの怒りと、」
「オマエの悲しみ、悪くナカッタ!」
 破かれた袖を握りしめたまま、娘は深い眠りに落ちる。そして現れる、悲憤の化身。
『──許せないの。だから、殺しましょう』
『──悲しいの。だから、壊しましょう』
 燃えるような紅の瞳には怒りを、凍りつきそうな青い瞳には悲しみを宿し、艶やかな着物姿の夢喰いたちは揃いの顔を俯けた。

●慨嘆の具現
「──何も見つからねぇなら、それで良かったんだがな」
 調査の成果を持ち帰った真柴・勲(空蝉・e00162)は肩を竦めた。穏やかな言葉の奥には、家族の絆を踏みにじる者への静かな憤りが潜んでいるのだろう。
「だが、止められなかったもんは仕方ねぇ。最近他家へ嫁いだばかりの呉服商の嬢ちゃんが、パッチワークの魔女どもに襲われると分かった。連中は嬢ちゃんの嫁入り道具……両親に贈られた着物を一枚ズタズタにして、嘆く嬢ちゃんの心を夢喰いに変えちまう」
 続きを頼む、と乞う男に頷いて、グアン・エケベリア(霜鱗のヘリオライダー・en0181)は視得たものを語り始めた。
「嫁入り道具ってのも納得の、素人目にも晴れやかで綺麗なもんだったよ。それでなくとも両親からの気持ちだ、被害者の姉さんは大事にしていただろう」
 金銭には代えられぬものを無惨に破り去られたばかりか、このままでは倒れた娘の命もいずれ尽きることになる。
「その前に、姉さんの心から作り出された夢喰いたちを倒してくれ。撃破すれば奴さんらは夢に戻り、姉さんも部屋で目覚める筈だ」
 敵は攻撃に長けるクラッシャーと援護を担うメディックの二体。娘の思いを映してか、破られた着物と同じものを纏っている。
 鏡合わせのような女性の姿だが、クラッシャーは赤、メディックは青と瞳の色だけが違う。靡く袖を刃に変え、切り裂く攻撃を得意とするようだ。
「夢喰いどもはもう姉さんから離れて、家の周囲をうろついてる筈だ。家は賑やかな界隈からは引っ込んだ場所にあるんだが、近くに何軒か民家がある。奴さんらが人の気配を嗅ぎ付ける前に、なんとか間に合わせんとな」
 極力急ごうと告げるグアンを、勲はもう一つ、と引き留める。
「修復は出来そうにないんだな?」
「……そうだな。あれほど無惨に引き裂かれたら、とてもじゃないが元通りにはならんだろう」
 ヒールで着物としては息を吹き返したとしても、それは娘にとって唯一の一枚ではなくなっている。
 夢喰いの討伐とて決して易い仕事でははないが、失われたものを恋う心にまで寄り添うのは、さらに困難を極める筈だ。
「それでも、ただ依頼を果たすだけじゃあ終わらん顔をしてるな」
 好ましげなグアンに、勲は漸く笑みを見せた。
「手ェ伸ばせばまだ届くかもしれねェもんがあるんだ。なら、答えは決まってる」
「それを聞けて嬉しいよ。人の心のことだ、軽々しく救えるとは誰にも言えんが……傾けたもんは報われると俺は信じてる。それがあんた方なら尚更だ」
 静かな信頼を背に、勲たちは足早にへリオンへ乗り込んでいく。
 幸せな門出に添えられたのは花の心。それまでもが失われた訳ではないことを、技と思いの全てで伝える為に。


参加者
鉋原・ヒノト(駆炎陣・e00023)
真柴・勲(空蝉・e00162)
雨月・シエラ(ファントムペイン・e00749)
落内・眠堂(指括り・e01178)
三刀谷・千尋(トリニティブレイド・e04259)
ジルカ・ゼルカ(ショコラブルース・e14673)
白井・敏(毒盃・e15003)
アキト・ミルヒシュトラーセ(星追い人・e16499)

■リプレイ


「秋は日暮れも早いから、はやくお家に帰ってね」
 ジルカ・ゼルカ(ショコラブルース・e14673)の笑顔に頬を染めた子どもたちが、名残り惜しげに帰っていく。
 振り返れば周囲にも通行人を帰す仲間たち。その一人、三刀谷・千尋(トリニティブレイド・e04259)はジルカの背を抱いて、こっちだと促した。
「人の気配の濃い方に向かって来るってんなら、この辺りから家へ遡っていけば」
「……当たりだ。聞こえるか?」
 雨月・シエラ(ファントムペイン・e00749)に倣い耳を澄ませば、微かに届く音がある。地を擦るように草履を鳴らし、人の姿の失せた通りに対の夢喰いは現れた。
 晴れやかな揃いの色留袖。しかし伏した双眸が上がれば、冷たい彩りが敵意を示す。
 アキト・ミルヒシュトラーセ(星追い人・e16499)が殺気の結界を結んだ瞬間、鉋原・ヒノト(駆炎陣・e00023)はいち早く飛び出した。
「その着物、お前たちにはちっとも似合ってないぜ!」
 横一閃、振り抜く杖の軌道の通りにせり上がる光の壁が前衛を守り立つ。その恩恵を確かめるように握り締めた鎚を、シエラは軽々と空に振り上げる。
「紛い物には早いとこ消えて貰うよ。──人のモノに手を出すのって、見るのも聞くのもあまり良い気分じゃないんだ」
 刻まれた竜が咆えた。苛烈な竜気の塊から青い瞳の娘を庇った片割れは、赤い瞳を怒りで燃やしている。
 ジルカの指先から解き放たれた魔力の弾は影に染まり、青の娘を悪夢の中へ引き込んでゆく。悲しげな横顔に過った痛みはバールで振り切って、強かに次の一撃を重ねた。
「ペコラ!」
 歌うような一声で応え、翼を広げるウイングキャット。清らかな風が後方を守る敏へ駆けるうちに、千尋は二刀を抜き放った。
 ──ギン!
 霊体を断ち斬る繊細な一撃を遮ったのは、またも赤の娘。
「へえ、やるじゃないか。だけど──」
 強敵と見れば湧き立つ心を咎めるものは、戦場にない。笑みを浮かべる千尋の前を、鋭い電光が駆け抜ける。
「余所見は感心しない。キミの相手はボクたちだ」
「狼藉の代償、その身で払って貰おう」
 アキトの純白の光線が敵の持つ重力を弱めた直後、唐突に内から爆ぜる衝撃に、赤い瞳が遣い手を探す。落内・眠堂(指括り・e01178)は向けた掌を隠しもせず、表情を変えもしない。
 一枚の着物に集約された技の粋を、侮辱するものは許さない。呉服屋たる青年の鋭い視線は一瞬の隙を捉え、次の手を打った。しなやかな指先の指す方へ、伸び上がった御業の腕が赤の娘を握り締める。
 青の娘の指先が着物をなぞる。剥がれて宙に浮いた雪輪が片割れに吸い込まれると、赤の娘の周囲に現れた刃が強く輝いた。
「! 来る!」
 耐性の加護ごと削り取る、苛烈な刃の嵐。白井・敏(毒盃・e15003)は手慣れた風に杖を巡らせ、前線を指し示した。眼差しは着物の紋を確かめるように辿る。
「性の悪いもんらしく、もうちょっと暴れてくれん? しおらしくされると見えんやろ、その模様」
 敏を護るオウガメタルから、細やかな光の粒子が放たれた。触れた傍から癒え、過敏に冴えゆく感覚が、全力で敵を意識に捉えにかかる。
 そして、癒えゆく足許から湧き上がるのも治癒の光。勲が放った重力の鎖が、共に立つ仲間と自身とを護るように陣を描き、力を添える。
「そいつはお前達が着ていいもんじゃない。袖を通していいのは、この世でただ一人だけだ」
 低い熱で燃えるように燻る思いは、怒りとも違う。強い感情を眼に燈す真柴・勲(空蝉・e00162)を隣に、ヒノトも拳を握り込んだ。
 突き出す両の掌から熱が迸る。それは雄々しき竜を形作り、煌煌と燃えるブレスで青の娘を覆い尽くした。
 力の収束を待ち放たれたジルカの魔力弾。捉われた青の娘が、華やかな袖で顔を覆う。
 見えざる悪夢が、悲しみの化身を苛んでいた。


 流水紋から溢れた光が届いた瞬間、赤の娘は風の刃を勲へ向けた。
「ヒノト!」
「……っ、大丈夫だ!」
 先の戦いで見た勲の大きな背と、今日は一緒に並んで戦える。心強さが、一撃を受け止めたヒノトに頼もしい笑みを浮かばせる。
 傍らをアキトの光線が駆け抜けた。重力を打ち消された青の娘が萎れると、
「青の嫁御が止まったよ。今のうち──」
「ああ、そのつもりだ」
 飄々と涼やかな眠堂の眼差しの前に、炎の符が熱く爆ぜ散る。流れ躍る火花が描いた紋を抉じ開けるのは火竜、その咆哮は色と熱に染まる。そして、
「お前の相手はまだ先だ、もう少し待っとけ!」
 業火を恐れることなく娘を穿つのは、勲の音速の一撃。強化を焼き切り、耐性を吹き飛ばす連携に、敏は暗く沈んだ眼に笑みらしきものを浮かべる。
「その調子で頼むんよ、兄さん方」
 魔道書に求めるは禁術の一節。低く強く、泥の底から這い上るような詠唱が高めてくれた力を杖に、ヒノトは思い切りそれを振る。
 手掛けた職人たちも、心贈り合った親子も──そして呉服を愛する眠堂も。夢喰いの暴挙は誰ひとり幸せにしない。
「行くぞっ、アカ!」
 ファミリアロッドがかたちを変える。
 ネズミのアカ──父から受け継いだ大事な相棒で、絆を絶つものを倒す。熱い思いを託されたアカの突撃に華を添えるように、勲は指先を敵へ向けた。
 内から起こる爆発に、青の娘の身体が跳ねた。悲しみに満ちた顔が色なく消えて、風に閃いた着物もふつと失せる。
「待たせたな、相手になるぜ」
 残された娘の手に稲光が走った。刃を勲が受け止める間に、シエラは幻影の竜を喚ぶ。
 敵の向こうに透かし見るのは、不愉快な愉しみの果てに去った二人の魔女。どんなに取り繕おうと癒えぬ傷、戻らぬ品、
「……許せる訳が無いさ」
 静かな怒りは火力に映るようだ。吹き荒れるブレスに続く千尋は、艶やかに揶揄う。
「怒ったのかい? 夢喰いにも相方を大事に思う心があるのか、もっとよく見せておくれよ」
 質量を失い揺れる刀身で、魂そのものだけを斬る。大切にされた衣の写しをこの手では傷つけまいという一心で。
 ペコラの呼ぶ風の中をジルカが駆ける。戦うことに恐れがない訳ではない、けれど守りたいもののために強くなると決めたから、
「俺、ね。──おねーさんが着たトコ、見たかったな」
 キミじゃなくてと囁いて、怒りの眼差しが返る前に振り抜くバール。裂かれた護りにもう一閃、夜の夢のような大鎌を振り下ろす。
「同感だ。夢喰いに縁あるもんに、その彩で身を飾る資格はないだろ」
 表には顕れぬ熱はマグマのよう。心に滾る熱を術に代え、眠堂は呪を放った。
 符より出でた御業が、鋭く辛辣に娘を絞め上げる。


 血を伝わせたような点滴台が敏の杖。ぐんと大きく振れる動きに誘われ、立ち上がった紫電が烈しく勲を打ち、癒し上げる。
 その力を取り込んで、勲の拳に絡みつく稲光が高まっていく。頂に達した光輝で貫く一撃が擲たれれば、赤の娘は後方の護り手たちへ刃の嵐を向けた。
「! させるか」
「一緒に守り切る……っ!」
 飛び込む盾はふたつ。食い止めた勲とヒノトが頷き合う間に、シエラの巨鎚が竜気を轟かせ、二刀から解かれた千尋の斬撃が逃げ場を塞ぎ、空を舞う。
「スリ傷なんて手早く治してやっておくれよ、兄さん?」
「──まぁ、ここらが踏ん張り時やね」
 広げた敏の白衣の内に、無数に現れる注射器たち。横殴りの治癒の雨が継戦の力を繋ぐ僅かな時すら、隙にはすまいとアキトが術を謳い上げる。
 魔女に引きずり出された心。娘がその具現であるのなら、
「ボクたちは親御さんの心を示しに来た。無理やり作られた感情なんかに負けたりしない」
 未だ悪夢に眠る彼女もきっと。
 絡め取る石化魔術に、ヒノトの手が紡ぐ光が沿ってゆく。精神力と魔力の全てを注ぎ込み、編み上げた光の槍は、星を散らしながら娘の体へ。
「修行の成果、見せてやるぜ!」
 全身を染める紫電が娘の動きを鈍らせる。吐息を一つ、冴えた視線をくれた眠堂が符に黄金を宿した。
「存分に暴れたろ。引き際だ──終わらせてやろう」
 集い輝くエネルギーは憤怒の竜の輪郭を描き出した。悪意を掻き出すように襲いかかる凶爪、振り払おうと敵が放った風の刃は、届くことなく消え失せる。
「キミはこの世界にはいられないんだ。おやすみ……風が欲しいなら、これを」
 シエラが風を束ねていく。微風から暴風へ、瞬く間に育ったそれごと大剣を叩きつければ、防護どころか魂までも砕かれる。そして、
「アタシの持てるもん全部で送ってやるよ。──三本目の刀、受けてお還り」
 二刀を構える腕に浮き上がる刃は、光の翼のよう。形あるものもないものも、全てを断ち斬る鋼の花。眩い一閃は一瞬で娘の胸を貫いていた。その姿が、空気に解けるように消えてゆく。

「──還ったかね。さて」
 眠堂は思案げに瞬いた。敏は静かに目を伏せた。
 激しい戦いの間を縫って目に焼き付けた紋様を、少しでも正確に持ち主の許へ届けられるように。


「気が付いたか」
 娘──優花が身を強張らせたのは一瞬のことだった。
 ケルベロスを名乗る声に胸を撫で下ろした娘は、自分が握り締めていたものを目にしてさっと青くなる。
 目の縁に盛り上がる雫を溢すまいとするのは、人の目があるせいか。心の傷を隠して背ける横顔に、シエラは無意識に自分の腕を引き寄せていた。古傷が共鳴するように痛む。
「嬢ちゃん、優花って言うんだってな。いい名前だな」
「……?」
 勲の声に娘が顔を上げる。ヒノトが同意を示す。
「うん、いい名前だ。……『優しい花』の名に相応しい、綺麗な着物だったんだな」
 床に散らされたままの着物へ、皆の視線が集まる。
「……悲しいよな」
 大丈夫、と首を振った顔はまるで泣き笑いだ。気丈な姿から目を背けることなく、敏は何でもないことのように告げる。
「アンタは何もなくしてないよ」
「……え」
 瞠る瞳に返す視線に、冗句の気配はない。
「破れたんは目に見える物だけや」
「うん、そうだ。籠められた想いまでは引き裂かれてない。ちゃんとそこに残ってるんだ」
 悲しみを解してなお前を向くヒノトの声に、娘はゆっくり瞬く。
「一色、一糸、篭められた気持ちは、ひとつだって失われてなんかないと、思うんだ。……上手く言えないケド、片方じゃなくて──」
 優花を見つめ、打ち明けるようにジルカは告げる。
「着物とおねーさんとの間にずっと、あるよ。絆と想いの糸が織った錦だから」
 ジルカの宵の色の髪をくしゃりと撫で、勲は実感を込めて諭す。
「巣立つ娘に贈った、最後の贈り物だ。託した思いまで散る事はない。形を失おうとも、持つ意味には変わりはないんだ」
 誰よりも幸せにと願って贈った花。そこに在る心までは、誰にも奪えない。
 震える娘の肩に、アキトが手を伸ばす。泣き虫を隠している彼女にはよく分かった。──時には溢れさせて、負けてしまいたい思いだってある。
「負けないで欲しい。でも……今は、我慢しなくていいよ」
 抱き締めた腕の中で嗚咽が零れた。声は心を撫でるように優しく、
「目の前で大事な物を守れなかったのも、きっと辛かったよね」
 ……──わあああん。
 小さな子のように溢れ出す感情。抱き留めるアキトに、シエラもたまらず手を伸ばす。
 伝えたいことがあるのに、言葉が浮かばないのが悔しくて。添えた熱で伝わるように願いながら、約束する。
「きっといつか……仇は討つから」
「……っ、お願い、します。しかえしなんて、醜いって、わかってるけど──」
「そんなことない」
 伝播する涙の気配に、千尋は眼差しを柔らげた。裂かれてなお美しい錦に、変わらぬ親心──それを説くアキトたちの善美の心こそが、花だ。

「ご……めんなさい、みっともなく泣き喚いてしまって……」
「なぁに、今は存分に泣けばいいさ」
 ひとしきり泣いた優花はふたりを放し、こざっぱりと笑う勲に恥ずかしげに頷いた。
 落ちた着物の一片はまだ直視するには辛く、不自然に外した視線を敏が掬い取る。
「……見るに耐えんなら、貸してみ。全く同じにはならんけど、着られるようにはできる」
「えっ……?」
 ヒールでは元通りにはできないことを告げ、眠堂はちょっと失礼、と手にした一片を預かった。不安げな娘に口の端を吊ってみせる。
「御両親とは同業のもんだ。安心してくれ、扱う品への敬意を失するほど堕ちちゃいない」
 検分する眼差しは専門家らしく、状態を現実的に測る。真剣な横顔に、ヒノトは密かに息を零した。着物を愛する眠堂も辛くない筈はないのに、見せない強さが眩しい。
 眠堂はその視線に気づかぬまま、
「直すにも手段は様々だ。俺達のヒールに任せるか、専門の人の手に預けるか……」
 幻想に柄を委ねるも、在りし姿を確り残して繕うも。選ぶのはこれだ、と華奢な手を取る。
「どうであれ持ち主のアンタが選ぶなら、着物も浮かばれるだろ」
「私が……」
「ああ。託してくれるなら俺達も誠心誠意させてもらうし──或いは」
 繕いもんは得意か、と勲は訊いた。
「いや、……なんだ。あんた自身が繕ってやれたなら、親御さんも、その着物自身も喜ぶんじゃないかと思ったんだが」
 娘の瞳に光が宿ったのを、千尋は見逃さなかった。ねえ、と肩を押す。
「やりたいんだろ? 善は急げだ。持っておいでよ、裁縫箱」
「……はい!」
 答える声に力が戻る。慌ただしく部屋を出ていく背を見送った皆の顔には、安堵があった。

 一片一片集める作業は涙の気配を引き寄せて、手伝うジルカの瞼もつい熱を持つ。
 夢喰いたちの観察の甲斐もあり、敏と勲はスムーズに断片を引き合わせていく。優花は時間をかけて、丁寧にそれを縫い合わせた。その道の専門である眠堂に助言を受け、傍らで見守るシエラたちの手を借りながら。
 着物が形を取り戻すと、優花はそれを愛おしげに撫でる。その顔は、雨上がりの空のように澄みきっていた。
「流石に外には着て行けないねぇ」
 覗き込む千尋の声は寧ろ好ましげだ。はい、と答える声も同じ色を帯びている。
「それでも──いいんです。私がこうしたくて選んだから」
「うん。貴女のタメに、生まれてきたんだもの。戻れないから、生まれ変わったんだね。……また、一緒にいられるようにって」
 継ぎ接ぎの着物をふわりと羽織ってみせた娘に、ジルカは目を細める。
「とっても、きれいだよ」
「うん。──やっぱりそれは、優花の着物だ」
 ヒノトが並べた笑みに、
「……ありがとう。私もそう思います」
 傷を胸に抱いたまま、娘は笑う。そのしなやかさな強さは、一人では叶わなかった──ケルベロスたちが導いたものだ。
 その顔だ、と勲は眩しげに目を細める。
 喪失を嘆いて泣き暮らす未来など、心を贈った両親はきっと望んではいない筈だから。

 悲憤の全てを拭うことはできなくとも、胸の傷ごと少しずつ繕って、花は眩しく咲き誇る。
 彼らが添えた心の花ごと継ぎ接ぎにした、大事な着物をこれからも纏って。

作者:五月町 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年11月7日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 4/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 0
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