赫燿たる虚構

作者:五月町

●遠き日の赫
「あらまあ。やっぱりというかなんというか、ねえ」
 予感がした、と言うほかない。
 妖しげな領域とそこに現れるというモノの話を聞いた折、いつもならいい造作だと見上げ通り過ぎるだけの廃墟ビルが、その日は何故か妙に気にかかった――ただそれだけのこと。
 その上層がまさか本当に『ワイルドスペース』なるモザイクに覆われているとは、比良坂・冥(虚の匣は溶鉱炉色した赫の殻・e27529)は思いもしていなかった。実際にそれを目の当たりにするまでは。
「さて、見つけたからにはそのままって訳にもいかないわねぇ。ちょっとお邪魔しますよっと」
 モザイクの壁を通り抜ける頃には、男の眼は獣のような煌めきを帯びていた。噂に拠れば敵が現れるのは確からしいし、それは自身の知る姿であるらしい。それはつまり――容赦なく殴って良い相手だということだ。
 昂りゆく戦意に促されるまま、冥は進む。内部に満ちる液体が体に纏わりつく感覚は決して心地好いものではなかったが、どうやら呼吸は自由になるようだ。
「……へえ、まさかここが見つかるとはね」
 不意に響いた覚えのある声に、足を止める。
 現れたのは、白い片羽を血に染めた青年だった。二十代前後だろうか、声で知れた通り、若い。
「……ふふ、はは、ははは!」
 冥はけたたましく笑った。顔を覆った指先から赤い眼が覗く。
「そうだよねぇ! 現れるならそう、その姿だ!」
「この姿に縁ある者、という訳だ。ようこそ、ワイルドスペースへ」
 かつての冥と生き写しの姿で、青年は薄暗い笑みを浮かべ、告げた。
「そしてお別れだ。この場所の秘密を漏らされる訳にはいかない――ここで死ね」
「いいよいいよ、殺すつもりでおいで。……温い賭けなんて楽しくないからさぁ!」
 振り下ろされる一閃の重さに、冥は笑い声を止めた。反撃を繰り出すその顔に、狂おしい笑みを浮かべたままに。

●留める手の一片
「急ぎ発てるか? 救援を頼みたい」
 グアン・エケベリア(霜鱗のヘリオライダー・en0181)のただならぬ顔つきに、事態を察したケルベロスたちは速やかに集まった。
「救援対象のケルベロスは比良坂・冥。廃墟ビルの高層階に発生したワイルドスペースの探索中に、ワイルドハントの襲撃を受けるようだ」
 モザイクで覆われた『ワイルドスペース』の内部で何らかの作戦を行っているというドリームイーター。その目的は未だ不明のままだが、既に多くのケルベロスたちが調査に向かっていることもあり、討伐報告も増えつつある現状だ。
 そんな動きが生まれていたからこそ、今回の一件も早々に予知に捉えることができた。これからビルの上空までヘリオンで向かえば、冥がワイルドハントと遭遇した直後に援護に入ることも可能だという。
「冥もケルベロスだ、あんた方同様ヤワじゃあないが、強敵相手に単身で戦い続けるのは並みのことじゃない。できるだけ早く加勢してやってくれ」
 ワイルドスペースの内部は粘性のある液体で満ち、廃墟ビルの残骸のようなものが混ざり合っている。奇妙な空間ではあるが、呼吸や動作、戦闘に影響を及ぼすことはないという。
「得物は日本刀だが、知った技だと侮れん威力を持ってる筈だ。身に受けた加護ごと斬り裂いちまう一薙ぎに、敵の急所や弱点を的確に切り裂いてくる一閃。それと、刀を戻す挙動に注意してくれ。奴さんの一番の得手は、拳らしい。血に塗れた一撃は比喩じゃなく、あんた方の体に風穴を開けに来るだろう」
 充分に気をつけると頷いたケルベロスたちの一人が、敵の姿を問うた。グアンは淡々とその特徴を伝える。
 背に負う翼は左の一方だけ。血のように赤い、底光りする眼。きちんと着ていただろうスーツの胸元だけが乱れ、腥い色が散って。まるで若い面差しに不似合いな咥え煙草に合わせたように見えた、と。
 それはやはり、と言葉に詰まる仲間たちに頷きが返った。
「そうだな、まるで冥がそのまま若返ったように見えた。……だが、忘れんでくれよ。奴さんはその姿を奪っただけの存在だ。冥とは何の関わりもない」
 きっぱりと言い切って、グアンはさあと同志たちを促す。
「あんた方の手と心で冥を支えてやってくれ。少しばかり血に逸る兄さんだろう? 無論信じちゃいるが、そういう意味では俺も心配なんだ。少しな」
 その命が夢喰いの手に渡らぬように。その心も、遠き日の暗がりに落ちてしまわぬように。


参加者
小早川・里桜(焔獄桜鬼・e02138)
玄梛・ユウマ(燻る篝火・e09497)
夢浮橋・密(シュガーリーズン・e20580)
比良坂・冥(虚の匣は溶鉱炉色した赫の殻・e27529)
赤鉄・鈴珠(ファーストエイド・e28402)
八坂・夜道(無明往来・e28552)
レスター・ストレイン(終止符の散弾・e28723)
狭間・十一(無法仁義・e31785)

■リプレイ


 金色の翼が闇を貫いて落ちていく。
 屋上階にモザイクがないことを目視するなり、レスター・ストレイン(終止符の散弾・e28723)は床に叩きつけた足を翻した。階下へ続く階段の外れかけた扉を蹴り開け、真っ先に飛び込んでいく。
「見取り図などは入手できませんでしたね……」
「この古さじゃあな。だが、あれだけ風通しが好けりゃあ必要ねぇ位か」
 降下中にも抜けた窓、崩壊しかけた壁の数々が目に入っていた。玄梛・ユウマ(燻る篝火・e09497)の背を励ますように叩き、狭間・十一(無法仁義・e31785)も仲間達に続く。
 愛らしい容姿と歳に反して色めく吐息は、種族故か。夢浮橋・密(シュガーリーズン・e20580)は小さな唇をふうと尖らせる。
「わたしたちの助けが来るかも、とか考えてくれていたらいいんだけど……ないでしょうね、冥だものね」
「そうですねえ」
 こくりと頷くのは赤鉄・鈴珠(ファーストエイド・e28402)。大人たちの隙間をすり抜けるようにして駆け下りていく少女の耳は、あどけない表情とは裏腹に鋭く周囲の音を拾おうとする。
 情報を求めて踏み込んだ最上階で、小さな足はブレーキをかけた。
「これがワイルドスペースですか」
 突如目の前に広がったモザイク。先に自身の偽物が守るそれを目にしていたレスターは口の端を上げ、灯りを床に置く。
 奇妙な空間だと知っている。けれど、得体の知れぬ恐怖はなかった。

 かつての自分を映したモノと渡り合いながら、比良坂・冥(虚の匣は溶鉱炉色した赫の殻・e27529)は口許から溢れる笑みを抑えきれずにいる。
 中身が違うと知ってはいるが、憎んだモノの姿が眼前に在れば、狂気は募りゆく一方。
「お前が……俺が堕ちてなきゃおかしいの。あいつが死んで俺が生きてる、なんて──」
「すまないが覚えが無い。だが……俺の姿はそんなに焦燥を誘うか」
 煽られるほど笑いは込み上げる。狂ってる、間違ってる、だけど、だから、
「俺さ──この世で一番殺したい奴に相見えて、とおっても嬉しいの!」
 落ちてよ。スペースの中からは見えぬ奈落へ押し込むように、冥は魔の降りた拳を叩きつけた。命を抉る一撃を受け止めた敵の、間近に見る眼が冥く輝く──。


 身を退かず、ただ一撃を覚悟した冥の前に、ケルベロスコートが翻った。──予期した衝撃が訪れない。
「無事ですね、比良坂さん……!」
 衝撃を受け止めたのはユウマ。驚く男の傍らを、速射の弾丸が次々と駆け抜けていく。
「四十路近いのに無茶は感心しないよ。ところで、──ね」
 笑うレスターの指先が示すまま振り向いた瞬間、
「ぐっ……!?」
 掴まれた頭に走る衝撃は、グラビティに拠らぬもの。ぶつけられた頭が上がれば、苦み走った十一の笑みがそこにある。
「……お、とーさん」
「あ、間違えた──なぁんて。頭冷えたか?」
「出たっ、噂の『精神分析』!」
「小早川さん、気を付けて!」
「大丈夫! 全力で吹っ飛ばす!」
 垣間見る絆に笑む天真爛漫な笑顔。振り上げたバールを思いきりよく振り下ろす小早川・里桜(焔獄桜鬼・e02138)の傍ら、鈴珠も動きを地に縫い止めるような大鎌の一撃を振り下ろす。
「買い物にいったきりかえってこないとおもったら、ぶっそうなみちくさですね」
「もう、危なっかしいんだから。──わたしを置いて逝こうとするなんて本当……何処までもずるい人」
 意味ありげに微笑む少女の横顔が、目の前を駆け抜けた。流星を連れる密の蹴りが敵の姿を照らした瞬間、それとは異なる白い閃光が冥を打つ。
「迎えに来たよ、冥さん」
「夜道ちゃん──」
 血を拭い傷を縫い上げる白雷の医術は、八坂・夜道(無明往来・e28552)から。落ち着いた涼やかな声と呼ばれる名が、過去から冥を引き戻す。
「おいおい、いつまで呆けてる? 俺達で片をつけちまうぞ」
 十一の向けた指先で敵が爆ぜる。反撃が繰り出される前の一瞬で、冥は煙草を吸い捨てる。
「……ありがとね。やっと煙草吸う余裕できたわ」
 それは戦況にも、心にも。薄暗く確かな月光の一閃を自ら受け止めた冥の顔は、常を取り戻したように見えた。
「そうそう。賭けが終わってないのに死なれちゃ困る」
「お礼は後で現物支給でよろしくっ!」
 叩き伏せる縛霊手に宿る炎と、翔るバールが描く軌跡の向こうでレスターと里桜がにっと笑む。その笑みを自分に映し、冥は雷光宿る刀を抜く。
「はいはい、何でもお任せを。──こいつを叩っ切ってからね!」
 滾る戦意は荒ぶるままに。けれど仲間の傍らに在れば、見える景色は明らかに違う。


「ユウマ、こっちも頼めるかい?」
「ええ、任せてください!」
 気弱な質は手馴れた戦いぶりに塗り込め、ユウマは癒しと護りを呼んだ。
 溶けた指輪の輝きがレスターの前に盾を編み上げると、その加護ごと洗い流す敵の剣戟が前衛を斬り払っていく。
「逃がさないって言う割にはお安いベット。もっと本気見せて、吊り上げてよ!」
「その言葉、後悔するなよ」
「後悔? まさか! こんなに愉しいのに──」
 煽り文句に自身すら昂らせ、冥は抜かずの護り刀を振るう。速い軌道で逃げ道を奪うと、唯一残された隙には鈴珠の鎌が光を放ち待ち構える。
「ワイルドスペースってなんなんでしょうね? くろれきしをひっぱりだすのうりょく?」
「あら、胸に痛いわ」
 苦笑する優しいひとは傍らに在る。だから、眼前の敵はやはり鈴珠にはただのよく似た他人だ。倒すには躊躇いはない。
「三分たちました。チョコミントシューいっこだけではもうたりません」
「うふふ、もちろんもうそれきりじゃ済まないわ。ねえ、冥?」
 聞こえぬフリのつれない人をひと睨み、密の胸に降り積もる思いは偽物へ向かう。
「見かけ倒しの虚っぽでも、冥の過去を被るなら受けてもらうわ。ええ、鬱憤なら溜まっているのよこんなにも!」
 魔力を委ねた愛らしき獣が、密の想いを衝撃に換える。彼の心が過去に凍りついた一瞬を映していると思えば、目の前の敵に心は溢れるばかり。──中身は縁なき存在と知ってはいても。
 夜道の灯す魔力の熱が、或いは紅く、或いは金色に仲間の命を燃え上がらせていく。
「偽物さん、希望を失ったから自分を捨てちゃったの?」
「自分なんて端から無かったよ。最初から虚っぽなのは──こいつも俺も変わらない」
 問いに応えるのは敵ではなく、冥だ。夜道は淡く微笑む。彼の叶えられなかった『もしも』が、ここにはあるのかもしれない。けれど、
「彼と冥さんは同じじゃ無いよ。『違う』を知って、あなたは『自分』を見つけるの」
 はっと瞠る気配を横目に、十一はバールを手に敵へ躍りかかる。
「そうだ。こいつはお前じゃねぇし、代わりに罪が雪がれる訳でも赦される訳でもねぇ」
 ──判ってるだろうが。
 強烈な一撃を食らわせながら、叱り飛ばした声は十一自身へも翻る。似たものは似たものだ、代わりにはならない。そう自分は知っている。
 何かが冥の胸に刺さっている。察した里桜はにこりと笑い、敵の視界を塞ぐように緋色の符をばら撒いた。
「顔面は狙わないでおくけど──数撃ちゃ当たる方式だから、あんまり当てにしないでね!」
 じん、と熱を放ち長銃へ変じた符が、床に突き刺さる。炎弾は装填済み、撃鉄は既に起こされた。引き抜いては撃ち、引き抜いては撃ち──降る炎の雨は、当たるまでと言いながら正確に敵を捉えていく。

「──覚えの無い感傷も感情も、そろそろ食傷気味だ」
 付した傷が忙しい回復の光に拭い取られていくのを無感動に眺め、敵は嗤った。
「勝手に比良坂さんの姿を借りたからには、そのくらいは利子の内です! ……あ、貸借ではなくて賭け、でしたか?」
 回復の手を休めぬまま、ユウマは言い返す。仲間から返る笑みが背を押した。
「暴走した比良坂さんなら確かに手強そうですが──中身に『覚えのない』貴方も、果たして同じで在れるでしょうか!」
「……言ってくれる」
 下弦の斬撃が、戒めを重ねるのに専念する密へ向かう。しかし、
「冥……!」
「余所見する余裕があるなんて嬉しいわ。──もっと追い詰めてあげる」
 昂る熱を赤い瞳にそのまま映し、割り込んだのは冥。傷口に疼く熱も痛みも、戦の実感を高めるだけだ。
「だから無茶するなって。命落として勝ち逃げなんて許さないよ、俺」
 背の翼が眩く空間を照らし、レスターの笑みが輝きに溶ける。いつか興じた箱遊戯の果てに知った冥の秘密が、眼前の刹那的な戦い方と重なった。
 ここで一人、戦っていた時もそう。自身を酷く厭い、自分を虚ろと呼び、殺したがっていたように見えた。けれど今の彼は?
 仲間の声に、揺れ出す心が見えたと思えたのは気のせいだろうか。
「五分たちました。げんていのおかしが五つ。たのしみです」
「お、お手柔らかにしてあげてくださいね……!」
 広がった巫女服の袖から、御業の腕がぶわりと飛び出していく。敵に掴みかかる激しさに反して無邪気な鈴珠に、ユウマは戦慄せずにはいられない。──比良坂さん、お財布の中まで助かるだろうか?
 心配をよそに、闇を斬り剥がすように放たれる冥の斬撃。駆け抜ける鋭い雷霆、庇ってくれた大切な人──砂糖衣を纏った甘い色の瞳がゆらりゆらり、愛憎に翻る。
「ねえ偽物さん。あなたの所為で冥はわたしを見てくれない。わたしはこんなに大好きなのに──ねえ、どうしてくれるの!」
 責めを歌った唇は一転、睦言めいた囁きを『ふたり』へ届ける。
「いいの、たとえ虚っぽでも……それでも、わたしがあなたを見つけてあげるから」
 偽物へ伸びる両手が、明晰夢へと誘い込む。それだけしか聞こえぬほど鮮明に響く胸の音、囚われた敵が耳を塞ぐ。
「ねえ拒まないで、聴いて? 受け止めて、蕩けて朽ちて──」
 ワイルドハントは膝をついた。燃える瞳が冷たく密を見つめ返す。
 鮮やかな殺意に、僅かな翳りが見え始めていた。


 伸べる手と心が冥の深淵のみならず、ワイルドハントの命運をも揺らしている。
「そろそろ潮時、かな」
 淡い色眼鏡に笑みを透かし、レスターはライフルに口付けた。右腕の刺墨がじんと疼き、ライフルと青年とのはざまを融かす。──片割れのような存在を自ら葬った過去が、目の前の冥と敵とに重なった。
「残念、勝ちの目はこっちにあるみたいだ。この涙は罪を穿つ──地に堕つ蝶を断つ!」
 解き放たれた涙の弾丸が炎を噴いた。穿つ傷口から蝶たちが夢のように飛び発っていく。
「最後まで油断は禁物です! 援護します……!」
 ユウマの指先から光が伸びていく。偽物と冥とを明確に分かつように紡がれた盾は、最後まで立ち続ける力をその脚に注ぎ込んだ。
「……私達も手伝うよ、冥さん」
 それぞれの手に、異なる色の魂の炎が咲いた。死に抗い生を望む熱は、隔てなく冥のもとへも。その温かな色に、死線の中で夜道は微笑む。
「違いを見つけて、数えて、一緒に匣を満たしましょう? ──共に生きたいの」
 十一の低い笑いが同意を示す。
「自分を知るまいが関係ねえ。比良坂冥は、この世でたった一人。代りは何処にもいねぇんだ」
 喪わせるものか。笑みの形に歯を噛み締めて、十一は照準を似姿へ向ける。外れを知らず、百発百中と謳われる一弾が敵の懐を貫いた。
「……ッ」
「偽物如きにくれてやる無駄弾はねぇんだ。──行け、冥!」
 仲間の視線が背を押した。冥は風を受けたように飛び出していく。
「災厄のすべてを詰めた匣……なんて言ったっけなぁ。なんて俺なの、って思ってた」
 大事な人に全ての厄を吐き出して。それより質の悪いことには、底に残る希望すらありはしない。
「……何を、言っている?」
「──ッ、分からなくていいよ」
 追い込まれて尚淡々と、偽物は太刀を叩きつけてくる。痛みごと受け止めて笑った。
「厄を吐いたお前は確かに虚っぽだ。でもさぁ、どうやら俺はもうそうじゃないらしいの」
 行ってこい。負けるな。忘れないで。愉しんで。
 投げ込まれる声、心、絆が、戦の狂乱とは違う熱を胸に生む。嫌いと信じていた鮮紅の花が、意思を持って髪に咲く。──これが自分だ。
「胸躍る勝負だったけど、御愁傷様。チップは全部頂くわ」
 開かずの鞘がきんと歌ったのを、ケルベロスたちは聞いた。初めて風に触れた刀身を、冥は体ごと偽物へ叩きつける。

 吹き飛んだ敵の背景がふつりと割れた。唐突に解かれたモザイクのその先は、奈落のような夜の闇。
 澄んだ夜風に眩まされる前に、その姿は消滅した。追いかけるように傾いた冥を、
「……ちょっと、もう! 偽物と心中するつもりなの!」
「──っ、心臓が止まるかと……!」
 腰と腕に抱きついた密とユウマが引き止める。敵性の気配がかき消えた静かな闇に、仲間たちが齎した灯りだけが暖かく広がっている。
「最後までひやっとさせてくれるねぇ」
「らしいといえばらしいのです。でも、まだへるぷのお代をいただいていませんよ」
 詰めた息を解いてレスターが笑えば、助け起こす鈴珠の神妙な瞳がなんだか輝いていて。里桜はここぞとばかりにアピール。
「そうだそうだ、甘味、甘味だー! えっと、比良坂にゴチになりまーす!」
「そうよ、遠慮なしね。えーっと、チョコミントシュー何個になったかな! 同じのじゃ飽きちゃうかしら、わたし追加するけど異論ないわよね冥おじさま!」
 うって変わった賑やかさに一瞬呆け、──ふっと口許が解けた。
「さ、流石にこの人数分は、比良坂さんも……僕も生還祝いにご馳走しますからっ」
「あー、いいのいいの、ユウマちゃん。助けてもらったんだもの、この位はね?」
 お財布吹っ飛んでないかしら、といつもの調子でへらり笑う男の頭を、十一が叩く。
「きっちり背負えるじゃねえか。その花が証だ」
 父代わりの男はくるりと背を向けた。
「気が済んだなら、一緒に帰るぞ。待ってる奴もいるからな」
 くすり、風のような声を溢して夜道が腕に触れた。夜風の中、掌も表情も仄かに暖かい。
「うん。おかえりって言いたい人達が待ってるよ。でも、その前に……」
 ──おかえりなさい。
 暖かく吹き寄せる言葉に、腕に絡み付く人が、背を押す人が、先で振り返る人が──皆が唱和する。これが、あの姿を経て歩き続けてきた自分が得たもの。空の匣を埋めるすべて。
 ただいま、と冥は笑った。
「……ひとりにしないでくれて、ありがとね」

作者:五月町 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年10月28日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 6/感動した 1/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 6
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