深奥の燈

作者:五月町

●父の思い出
 数々の品物が眠る、古い土倉の奥。重たいダルマ錠をがちゃりと開けて、梯子を上がった先の小さなスペース。置いてあるのは年季の入った小机と椅子、そして古びたオイルランプがひとつだけ。
 経た年を吸い込んだように古く褪せて、深みを醸す緑色のガラスの油壺にオイルを満たし、初老の紳士は懐かしむように目を細めた。マッチを手に取り、火をつけようとしたまさにそのとき、
 ──がしゃん!
「……な」
 あまりにあっけなく、あまりに簡単に、ランプは粉々に砕け散った。叩きつけられた二本杖のもとを振り返れば、にやりと唇を歪めた女がふたり。
「君たちは誰だ。何故勝手に……いや、それより」
 驚きよりも、困惑よりも。込み上げる思いに戦くまま、紳士は叫んだ。
「どうして──何故、こんなことを……。これは世界にふたつとないものだ。亡き父が私に譲ってくれた、たった一つの──」
 多くの蒐集品の中から、おまえにと選んでくれたのだ。語るほどに声は絞り出すように掠れ、溢れる思いが怒りに変わる。
「……何を笑っている? ふざけるんじゃない、一体どういうつもりで……!」
 詰め寄る紳士の手が二人に触れる直前、交差する二つの鍵が紳士の懐を貫いた。
「私達のモザイクは晴れなかったねえ。けれどあなたの怒りと、」
「オマエの悲しみ、悪くナカッタ!」
 晴れやかに言い放つ女たちの名は、ディオメデスにヒッポリュテ。──パッチワークの魔女、第八と第九に名を連ねるドリームイーター。
 崩れ落ちた紳士の傍らに、吸い取られた夢がふたつの巨大なランプを形作る。
 モザイクの炎を透かすガラスの火屋の表面で、二対のつぶらな瞳がぱちり、瞬きをした。

●燈を絶やさぬために
 篠沢さんと仰るそうです、と火岬・律(幽蝶・e05593)は淡々と続けた。
「彼の父親の蒐集品の素晴らしさは、仲間内では有名なものであったとか。篠沢さんに贈られたものは、そのうちの一つです」
 父亡き後には蔵ごと蒐集品を受け継いだらしい、と調べ得た情報を語る。
 父が唯一、息子のために選んだ品。その価値だけは、他人の評価に委ねられないものであっただろう。それを解することなく、パッチワークの魔女たちは無惨に叩き壊した。
「行きませんか。壊されたものは戻りませんが、取り戻せるものは──まだ」
 思いはあれど、色には表れにくい青年の肩をグアン・エケベリア(霜鱗のヘリオライダー・en0181)はぽんと叩いた。話は律の情報から得た予知へと引き継がれる。
「現れるのは、大きなオイルランプ型のドリームイーターが二体だ。篠沢って旦那の悲しみを語り聞かせ、それを理解しないといって『怒り』でもって殺してしまう。まぁ、こっちがどう共感しようが、受け入れられたとは思わんようなんだが」
 その先の殺戮も魔女の利となる事態も、ここで食い止めなければならない。
 仄暗く透ける緑色の油壺と、ガラスの火屋。双子のような姿だが、子どもの落書きのような黒い目の下に、一方だけが涙のしずくを描かれているという。
 襲撃における役割と能力も異なり、連携して戦闘を行うようだ。
「片方は攻撃に長けた力自慢ってところだ。叩き潰す赤い火の一撃に、触れるだけで相手から熱を吸い取る青い火、毒となる黒い火を使い分ける。そしてもう片方……泣き顔の方だが、後ろで援護する役どころらしい。二種類のヒールと、こっちの回復の邪魔をする呪いの火を使う」
 同じ心から生まれたもの、連携はなかなかのものだと言いながら、ヘリオライダーは口の端を上げる。
「奴さんらに勝る連携、期待してるからな」
「──そうですね。無論、努力はします」
 至極冷静に頷く青年に眼を細め、グアンは同志たちを見渡した。
「律も言ったな。壊れたもんは戻らない。あんた方のヒールで使えるようにすることは可能だろうが、幻想が混じった品を親父さんから貰ったそれと同じと思えるかどうか。あんた方ならどう思う」
 恐らくそれは無理だろう。敵が倒れ、紳士が目覚めても、悲嘆に暮れる現実は変わらない。
「だが、出来ることはあるかもしれんな。あんた方がそれを望むなら」
 あるものは穏やかに、あるものは滾るように。それぞれの瞳に灯る思いの熱に頷いて、口を閉ざす。
 彼らは発つ。いかなる命の灯も絶やさぬために──そして叶うなら、人ひとりの心の奥、思い出の燈をも守り抜くために。


参加者
ルトゥナ・プリマヴェーラ(慈恵の魔女・e00057)
真柴・勲(空蝉・e00162)
火岬・律(幽蝶・e05593)
アルルカン・ハーレクイン(道化騎士・e07000)
深鷹・夜七(まだまだ新米ケルベロス・e08454)
君乃・眸(ブリキノ心臓・e22801)
左潟・十郎(風落ちパーシモン・e25634)
比良坂・冥(ブラッドレイン・e27529)

■リプレイ


 敷地を囲む木塀の内に人の気配はなく、ひっそりと静まり返っていた。
 火岬・律(幽蝶・e05593)は木戸に手早くキープアウトテープを施し、辺りを封鎖しながら表通りへ駆け戻る。同じように人払いを済ませた深鷹・夜七(まだまだ新米ケルベロス・e08454)がぐっと親指を立ててみせた。
「──では」
 眼鏡の奥の冴えた眼が入り口を見据えた途端、飛び出してくる二つの炎。アルルカン・ハーレクイン(道化騎士・e07000)は愉しげに目を細める。
「お出ましですね。逃がしませんよ?」
 華やかな剣舞が迎え打つ。どこからか溢れ咲く歌声に躍る切っ先が添えば、白銀から黄金へ移りゆく花々が、後衛に在る悲哀のランプを幻惑する。
 邪魔者を認めたランプたちの、呪いを帯びた二つの炎がアルルカンを襲う。だが、それは守り手たちに受け止められた。
「仲間に手ヲ出すな……ワタシは、盾だ」
 見据える瞳が鮮やかに輝く。君乃・眸(ブリキノ心臓・e22801)の可変機械式ハルバードが、前衛に在る悲憤のランプと激突した。
 大鎌に絡む冴えた炎が火屋を抱き込むと、眸のビハインド・キリノもポルターガイストで狙いを揃える。讃える眸の視線は、共に庇った夜七のオルトロス・彼方へも。
「キミのお相手はこちら。──どちらかの命が破産するまで殴りあいましょ?」
 唆すベットは互いの全て。保身など欠片もない動きで、比良坂・冥(ブラッドレイン・e27529)は臓腑すら突き抜けそうな衝撃を敵へ叩き込み、燻る煙草を押し付けた。
 破壊衝動を滾らせる冥を支えるのは、律の放つ紙兵の守り。まずは抑えへ、と堅く施す加護はさらにはキリノへ、そして本隊の中衛にある自身へも。
「……潰されないでくださいね、先輩」
「アァ? 抜かせ糞餓鬼、手前ェこそしっかり抑えとけよ」
 横目に捉えた後輩へ利かせる睨みは、聞こえほど辛くない。真柴・勲(空蝉・e00162)はその眼差しをより剣呑に悲哀へ向ける。
 後衛の悲哀からの集中撃破を方針とし、前衛の悲憤に抑えを置くも、二体の立ち回りも保つ距離も、近距離の一撃を易く後衛へは通さない。だろうなァと低く笑い、勲は凍えるライフルの光線を迷わず選び取った。
 その動きに、気づいた夜七は一瞬踏み込みを迷った。高めてきた技の全てが、今は後衛へ届かない。
「……みんな、ごめん! ぼくも悲憤を攻撃するね!」
「了解だ、頑張れ」
 足元に展いた白銀の鎖の陣で前衛を守り固め、左潟・十郎(風落ちパーシモン・e25634)は穏やかに頷いた。頷く夜七は今度こそ迷わず鯉口を切る。
 その音が響いたときにはもう、少女は敵の眼前だ。駆け抜ける刃の軌跡が景色を揺らし、結ぶ陽炎の青い残滓が敵を惑わす。その隙に、
「彼方は……行けるよね!」
「ウォン!」
 睨み付けるオルトロスの峻烈な視線が、夜七に代わって悲哀を焼き焦がす。
「頼もしいわ。さ、私も──」
 微笑みに慈愛すら浮かべ、ルトゥナ・プリマヴェーラ(慈恵の魔女・e00057)は掌を持ち上げた。現れる御業の手は艶やかな指先に似て、けれど力強く悲哀を握り込む。
「来ます。回復か」
 律の声に集った皆の意識が、次の瞬間ふっと緩んだ。悲哀から悲憤へ流れる回復の火が──逸れる。


 悲憤のランプが撒き散らす黒炎の呪詛を弾く程に、律の差し向ける紙兵たちの厚い護りが前衛へ重なった頃。
 悲哀のランプの癒しがひとたび、悲憤の身に届いた。
 夜七が抑えに加わり、より消耗を深める相方へのヒール。それは冥へ向かっていた怒りこそ晴らしたが、重なる制約を全て解くには至らない。
「冥、もう少し耐えられるカ」
「おっと、ありがとね。オジサンまだ殴り足りなくってさぁ!」
 庇い続ける自身の消耗もあれど、眸は慣れぬ立ち位置で奮闘する冥へのヒールを優先させる。眼前に浮かび上がった光の盾に、冥は笑った。感謝は握り込む棍に込め、敵の防御を捌ききると、確かな一打を叩きつける。
 見えざる力で悲憤を縛るキリノの前を、冷気が駆け抜けた。アルルカンの練り上げた氷結の螺旋が、熱を帯びる空気を凍らせていく。そこへ、
「悪いな君乃、迷わせた」
「謝る事など。大事は無イ、感謝すル」
 新たな盾は十郎の指先から眸の許へ。護り固めるのはもとより補い合うため、何の気兼ねがあるかと口の端を上げる。
「備えは……こんなところでしょうね」
 後顧の憂いを絶つべく、万全に。律の紙兵たちは今や後方へも厚く連なって、仲間の全てが護りを得るまでだ。
 常と熱量の変わらない後輩の声に笑い含み、勲は昂る熱そのままに吠えた。
「……ならそろそろ、一体くらい仕留めねぇとな!」
 バスターライフルが火を噴いた。熱線が硝子の顔を撃ち破ると、彼方が放つ瘴気の渦がその傷へ流れ込んでいく。
 相棒の活躍ににこり、夜七は刀に重力を注ぎ込んだ。狙撃の力も乗せた一閃はより正確に、鋭い傷と毒を悲憤に刻む。
「嘆きから生まれたあなた。いい子だから、夢にお還りなさい」
 身の丈よりも大きな鎚を、舞うように優雅に翻すルトゥナ。鎚の口から竜気の砲弾を解き放つと、貫かれた硝子の緑が亀裂に濁る。
「大事なものを、二度とは戻らぬものにした……その咎を、壊されたことで生まれた貴方がたが負うのも皮肉なものですね」
 アルルカンの『牙』は、その程度では揺るがない。刃に跳ね返る鏡像は見えざる攻撃を悲哀へ与え、ひびを増やしていく。
「……何故でしょうね。火を灯す筈の貴方がたには」
 黒手袋の掌を天に翳し、律は呟いた。虚空に現れる幾つもの渦、覗いた幾つもの切っ先が一斉に煌めく。
「光を、感じない」
 刃の雨は容赦なく硝子の身を砕ききる。かのランプが打ち壊された時を再現するように。
 消え失せた相方を惜しんでか。悲憤の名に駆られるように、ランプは律へ蒼炎を向ける。しかし、
「バイタル測定……Refined/gold-heal……承認。──通しはしなイ」
 それを阻んだ眸の損傷は、彼自らが掌より溢れ出させたコアエネルギーによって、たちまち修復されていく。
 澄みきった治癒の光に怯む敵の懐めがけ、稲妻の霊力を受けた切っ先が迫る。一突きに敵が竦んだ一瞬を逃さず、夜七は刀を素早く返した。
「この刀も大事なものなんだ。大切な人から預かった、誰にも譲れないもの。──だからこそ」
 壊したことも、その怒りと悲しみを利用することも、
「……ぼくには許せない!」
 雷から一転、三日月の一閃。
 傷口から暗い炎を噴き出しながら、ランプはまだ立ち続ける。


 動くべき足を縫い留める一撃、身を縛り自由を奪う一撃。
 あらゆる術を帯びた攻撃を一身に受けた悲憤のランプに、攻撃から逃れる余裕はほぼなくなっていた。
 撒き散らす黒い炎は、前衛の一部を捉えきれずに地に落ちる。運悪く受けてしまった者からは、式神のような律の紙兵たちがたちまち毒を吸い上げる。
 そして疲弊そのものは、
「悪いが、誰一人譲る気はない。お前らの後始末まできっちり果たさないといけないんでな」
 十郎の巡らせる銀鎖の魔法陣が、包み込み癒していく。
 命の旗印のように翻る白衣も、大切な人に譲られたもの。見知らぬ者に手荒く扱われる心痛は、察して余りある。
「ねぇ、どこ見てんの? 余所見なんてつれないことしないでさぁ……ちゃんと俺見て殴ってよ、……っと!」
 回復の光へ逸れた敵の意識を、冥が怒りに引き戻す。傷を負おうと負けが込もうと、自身が倒れようと構わない。守るべき者を守り、『皆』が勝てればそれで良い──血走った眼に狂気を燃やし、体ごと突き当てた拳は、流れる赤で染まった。
「はっ、やるねぇ……!」
 高揚が伝播するようだ。鋸刃を翻し躍りかかる勲を、溢す吐息で見送る律。さも堅そうな金属部を鉤裂きにする一瞬、横顔に煌めいた熱にルトゥナが微笑む。
「幾つになっても男の子たちはやんちゃね。可愛いわ」
「ハハ、あんたのお転婆も中々だぜ?」
 嫋やかにしなやかに、女は荒々しい巨鎚と踊る。撃ち抜く竜砲弾の苛烈さでは、男たちにも引けを取らない。蕩ける眼差しも、戦意を巧みに秘めるもの。
「──詰めル」
 瞳の冴えた輝きに敵だけを映し、眸は鎌を振り下ろした。澄んだ炎の刃が悲憤の炎を呑み込むと、無駄のない挙動で刀に霊力を降ろした律の一閃が、すかさず炎の戒めを増やし、燃え上がらせる。
「先輩」
「ああ、黙っとけ!」
 言わずと呼吸は繋がった。右腕に渦巻く重力の気配、噴き出す電霆の鎖を、勲は心の澱ごと固めた拳に巻き取り、叩きつける。砕けた硝子の内側を白いプラズマが駆け抜けた。
 反撃の炎は、ひとたび揺らいで立ち消えた。敵の力強さに翳りを見出せば、その機を逃すケルベロスではない。
「狩りは最後が肝心ですよ」
「うん! ──その間合い、ぼくが貰った!」
 より強かに、容赦なく。力強く穿ったアルルカンの拳を風切る音が追い、清白の雷光を含んだ夜七の突きが眩い白線を引く。その足元に、地を破って首を擡げる六つの頭。
「皆の口に合うかしら……さあ、いらっしゃい?」
 ルトゥナの指先から零れた血が、大地さえ抉り喰らう雄々しき竜を喚んだ。敵を咬み砕く巨影の間に、十郎はオウガメタルの助力で強化された拳を滑り込ませる。
「もうちょっと楽しみたかったけど、そちらさんのチップが尽きそうねえ?」
 殴りつけるように荒ぶ冥の一閃が、僅かに残った火屋を砕き割る。挑発に俄か燃え上がる青い炎は、冥から生気を奪い取ることも叶わない。ただ力なく揺れるだけだ。
 優しいひとを亡くした時からずっと──今も、傍らにはキリノの気配。それを確かに感じながら、眸は跳ぶ。右目に強く光を滲ませて。
「悲しみも怒りもヒトの欠片。ワタシは大事に思ウ。──だかラ」
 これ以上傷つけさせはしない。最後は攻める盾として、眸は聳える光を振り下ろした。金色の閃光が悲憤のランプを両断する。そして、
「終わりましたね」
「ああ。だけど……まだ」
 アルルカンの吐息の向こうに、十郎は視線を投げた。
 二体の夢喰いは消え去ったけれど──彼らを生んだ悲しみは、消えた訳ではない。


「夢……では、なかったんだな」
 無惨に砕け散ったランプの破片は、紛れもない現。夢から覚めた老紳士の嘆きは深かった。
「……大切なもの、だったのね」
「亡き父が選んでくれたものだ。この蔵には他にも父のランプがあるが、これだけは……」
 黙り込む篠沢を、ルトゥナは少しだけ羨ましく見守る。先刻まで、亡くしてなおその手に残るものがこの人にはあったのだ。
「こんなことになって、さぞ無念だろうと思うよ。だが、……あー、上手く言えないが」
 もどかしげに伝えようとする十郎に、篠沢は顔を上げた。真直ぐに見つめ返す。
「それが壊れたことで、貴方の心が悲憤に囚われてしまったら……ご父君はそのランプを遺したことを悔やみはしないだろうか」
 見開かれる目。穏やかに耳を傾けていた勲が口を開く。
 形あるものはいずれ失われる。けれど、思い出そのものが壊れる訳ではないのだと。
「灯りを入れる火屋が失われたとしても、あんたの胸を温かく照らす家族との記憶までは……消えやしないだろう。消せやしない」
「……君にも事情があるのだな」
 気遣いを帯びる篠沢の声に、勲は緩く笑ってみせた。
「形見になるような物は何も持ち出せなかった。でも、忘れてない」
 流れる血、生きる自分が、両親の在った確かな証だと。
「ランプのことは本当に残念だけど……ねえ、篠沢さん。ぼくはあなたに、このランプと一緒にいてあげてほしい。思い出す縁として」
 無意識に刀を抱き、夜七は続ける。忘れなければきっと、心に継いだ燈火は消えることはないから。
「……そうですね。姿は確かに一度喪われましたが、選び託した親の想いまでもが喪われる訳ではない」
 ──のだろう。実感には薄く、けれど傍らの勲の言葉の確かさが背を押した。律の実直な眼差しに、篠沢の目がくしゃりと崩れる。
「……ああ、そうだな。形こそこうなってしまったが……何も、変わることはない」
 砕けた欠片を慈しむ手、悲憤を越えて凪いだ瞳に、律は眩しげに目を細める。悲しみと怒りの具現たちに──そして自分の内にも見出せなかった光が、ここにある。
「例えば……だけれど。私達の力でランプを直すことは、出来るわ」
 ルトゥナは続ける。それは『元の通りに』直すものではない。グラビティを使う以上、そこには幻想が含まれてしまうのだと。
「或いは、復元ができる職人もいるだろう」
「ええ。ここまで壊れてしまえば、完全に元通りにはならないでしょうが……」
 十郎と律が頷き合う。どちらにしても完全はない。けれど、灯りを燈した姿が父子の絆であるのなら、試みる価値はある筈だ。再び火が燈るよう。
 急くでもなく、強いるでもない。穏やかな逡巡を見守る空気に、冥が笑みを添える。
「……いつかどこかでお父様と逢われる時に、携えてるのがどんなランプであれ、喜ばれるんじゃないかなぁ」
 壊れたままのそれ、継ぎをあてたそれ、生まれ変わったそれ。或いは別のランプかもしれないけれど、
「それは、あなたが生きた道筋を現わすんですから」
 上辺ではなくそう言えたのは、入り組み荒んだ冥の道筋に火を掲げてくれた人たちがあったからだと、本人はまだ気づかない。
「……そうか。ならば、私は選んでいいんだな」
 君たちの手に委ねることを。そう呟いた紳士は、驚き顔のケルベロス達に微笑みかける。
「……いいのかい?」
「私が死ねば、記憶の父も死んだろう。父の灯を守ってくれた君達のことを、いずれこのランプで父に語ろうと思うのだ」
 いけないだろうかと問う人に、眸は薄く微笑んだ。持ち込んだ工具箱を開く。
「金具ならば、手でも直せル。出来る限り元の姿に近づけルよう、努力しよウ」
「よし! じゃあ残りはヒールだな」
「ええ。──責任重大ですが」
「こればかりは思い通りにならねぇからな……」
「形ハ選べなくとモ、今日ワタシ達と出会った事ヲ、このランプの歴史として誇って貰えルようニ」
「ふふ、ロマンチックね」
 言葉の色は様々に、向き合う目は真剣に。篠沢を包む温もりに、アルルカンは微笑む。これが彼なりの答えなのだろう。
(「さて、私が知りたかったのは──どちらでしょうね?」)
 壊れないものか、壊れた先にあるものか。
 どちらにしても、それらが含む思い出は揺るがない。そう、目の前の景色が告げている。

「血が憶えている。……そういう、ものですか」
「そういうもんだ」
 迷いのない勲の声に点った熱。篠沢の裡に見えた光。仲間たちの語りに籠められた温もり。
 ──灯り続けろ。
 煙草の煙を並べた帰路に、律は願う。
 自分の中に見つけた気がする小さな灯りも──或いは、きっと。

作者:五月町 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年9月24日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 5/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 5
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