精霊馬事件~秘する花心

作者:五月町


「まったくあのクソジジイは」
 暮れゆく夜空に道標を描くように、迎え火の松の香がゆらゆらと漂い出している。
 今年も故人を迎える季節がやってきた。小さな家から迎えに出たのは、腰の曲がった、けれどきりりとした横顔の老女。
「なーにがお前の死に顔拝むまで俺は死なん、だい。あっさり逝っちゃって、格好つかないったらありゃしないよ」
 つらつら溢れる恨み言は毎年のことながら、燻る火を慣れた様子で直す手も、茄子や胡瓜の牛馬を撫でる指先も、言葉とは裏腹に優しく──寂しげでもあった。
「こんなもんに乗って帰ってくるのを待ってるなんざ、あたしの性に合わないのはお分かりだろうにさ。叶うもんならぴんしゃんしてた頃に戻って、どやしつけに行ってやりたいよ」
「その願い、しかと聞き届けた」
 頭上から声が降った。はっと顔を上げれば、人ひとり負えるほど大きな胡瓜の馬が見下ろしている。
 その一瞬。老女の警戒心に、かけられた言葉の引力が勝った。
「あたしの願いが叶うってのかい。あのクソジジイのところへもう一度──」
「二言はない。聞き届けよう。汝が我とひとつになるのならば」
 ギュバラギュバラギュバラギュバラギュバラギュバラギュバラギュバラギュバラ──。
 奇妙な呪言は暗い靄をなし、忽ち老女の時を巻き戻す。若返った老女をいつの間にか背に乗せて、精霊馬は空へ駆け上がった。
「感じる、感じるぞ──流れ込むエナジー、これこそがワイルドの力。死者に会うという不可能な願いが『叶うまで』、我はドリームエナジーを生み出し続けよう……!」
 精霊馬とひとつとなった老女はもう、言葉の矛盾に噛みつくことすらできない。
「待っておいで、今行くからね──」
 凛とした横顔の眼差しだけが年経た風に、虚ろに空を彷徨っていた。


「まずは大運動会、お疲れさんだ。ゆっくり休んでくれ……と言いたいとこだが、見過ごせん事件が起きてるようでな」
 労いもそこそこに、グアン・エケベリア(霜鱗のヘリオライダー・en0181)は顛末を語り始める。
 お盆に故人の送り迎えを果たすと言われる野菜の牛馬──『精霊馬』。その形をとったドリームイーターが、伴侶に先立たれた老人たちの願いを取り込み、合体して暴れ出そうとしているという。
「これまでと違うのは、奴さん、ドリームエナジーを奪うことを目的にしてる訳じゃあなさそうだってことだ。夢の力を生み続ける人間を取り込んで、力を高めようとしてるんだろうよ。実際、老人を取り込んだ個体は耐久力も攻撃力も上昇している」
 うまく強化状態の敵を撃破できたとしても、取り込まれた老人もダメージを受けることは避けられない。大怪我か──歳が歳だけに、悪くすれば死んでしまう可能性もある。
「だが、引き離す方法はちゃんとある。老人がドリームイーターに願ったこと……『死んだ伴侶に会いに行きたい』って望みを、自ら手放させることだ」
 そうすれば、老人から力の供給を絶たれたドリームイーターは、ただの荷物となった老人を振り落とすしかなくなる。
「ただの精霊馬型に戻っちまえば、奴さんの力は八割まで落ちるだろう。そこを叩けりゃ最良って訳だ」
 グアンは漸く牙を見せて笑った。あんた方なら大丈夫だと、当たり前のように信じて。
 敵の攻撃手段は三つ。モザイクを纏う突進で武器捌きを封じるもの、包み込むように響く声で動きを止めさせるもの、モザイクの鍵に変じた前脚で貫き、敵のトラウマを呼び覚ますもの。
 そして老婆を手放せば、弱体化を補う為に自らを癒す技も使用するという。
「会えない人に会いに、か。……こういう願いはきっと、容易く手放せるもんじゃないだろうがな。少々口の悪い婆さんだったが、そんなだから余計に」
 武装する心の奥に、静かに息づく花のような思いがあるのかもしれない。心を寄せる仲間たちの姿に、グアンは頷いた。
「帰ってくる爺さんもさぞかし心配だろう。婆さんをよろしく頼むな」
 そして無論──と見渡す小さな眼に、今度はケルベロスたちが頷いた。
 静かな迎えの夜を、亡き人を待つ人の心を、私欲の為に掻き乱す。そんな無粋な敵には、終焉を。


参加者
イェロ・カナン(赫・e00116)
クロハ・ラーヴァ(熾火・e00621)
繰空・千歳(すずあめ・e00639)
スプーキー・ドリズル(勿忘傘・e01608)
小山内・真奈(おばちゃんドワーフ・e02080)
大成・朝希(朝露の一滴・e06698)
相摸・一(刺突・e14086)
シエラシセロ・リズ(勿忘草・e17414)

■リプレイ


 偲ぶ煙が薄ら漂う夜の空に、ケルベロスたちは灯りを手に身を躍らせた。
「──あれです!」
 大成・朝希(朝露の一滴・e06698)の凝らす目に、小さな赤い火の色が届いた。その傍らに、今にも虚空へ舞い上がろうとする影がある。
「行かないでください、おばあさん!」
 奇妙に大きな胡瓜の馬、その背の人が虚ろに空を見た。構わず逃れようとする馬の進路の先に、前脚を狙ったふたりの狙撃手──スプーキー・ドリズル(勿忘傘・e01608)とクロハ・ラーヴァ(熾火・e00621)の射撃が突き刺さる。
「淑女を攫おうとはいけない馬だね」
「ああ。この上更に空約束とはね」
 たたらを踏んだ馬の勢いを殺さずに、相摸・一(刺突・e14086)は手加減の一撃で地に叩き落とした。
 起き上がった時には既に、円陣を敷くケルベロスたちが包囲を済ませている。力強く空へ伸ばしたシエラシセロ・リズ(勿忘草・e17414)の翼が、空へは逃さないと告げていた。
「ミセス、御主人は上空にはいないよ。折角我が家に帰ってきているのに、行き違いになってしまう」
「……あ」
 眼差しが震えた。怯えを払うように頷いてやるスプーキーに、朝希と一が言葉を連ねる。
「それと行っても、会いたい人には会えないんです! だってそれは夢を叶えるんじゃない、喰らうモノだから」
「不可能な願いとそいつは言ったのだろう? そのまま行っても貴女に得は無い」
「そうだよ! 死んだ人にはどんなに願ったってあえないよ。生きている間には──」
 敵の動向を油断なく注視しながら、シエラシセロも懸命に援護する。
 或いは、死を再会の機と捉えるなら、戻れずとも良いと思っているのか。ならばと二人はさらに重ねた。
「地上に置いてきた者は? 今はまだ、彼らといるべきなんじゃないか」
「そうです! 会えないあなたを想う人達は──どうしたらいいんですか」
 その人たちに、貴女と同じ寂しい思いをさせるのか。
 老女が心を揺らす間、一体化した夢喰いが黙っていよう筈がない。機敏な頭突き、妖しくささめく声。強烈な力を持つ抵抗に、ケルベロスたちの打つ手は手加減攻撃と治癒術──それだけだ。
 すべては老女を助ける為に、零れる命を守る為に。
「騒がして悪いね。もう少しだけ、家の中で辛抱しててくれるかな」
 何事かと顔を出す見知らぬ老人たちを、イェロ・カナン(赫・e00116)は力ある声で引き返させる。続けて、と瞑ってみせる果実色の片眼に安堵して、ヒールドローンを解き放った朝希はもう一度声を上げた。
「手放し難い思い出は、離れてからの時間にもきっとあった筈です!」
「……それ、は」
「それを捨てても会いたい、っていうのもわかるんやけどな。あの世に会いに行くってのは違うと思うんよな」
 小山内・真奈(おばちゃんドワーフ・e02080)の説く声は、懐かしむように優しい。
 あの人は、寿命を全うすることを望んだ筈だから。半ばで会いに行ってしまったら、きっと怒られてしまう──、
「あんたの旦那もそうやない?」
 幼い笑顔で問いかけるドワーフへ振り下ろされる右脚──鍵の一撃を受け止めて、繰空・千歳(すずあめ・e00639)も思いを尽くす。
「貴女の最後を見届けたいと願っていた旦那さまでしょう? 生きる姿を最後まで、見ていたかったということじゃない」
 死に顔を見せるにはまだ早い。励ます笑顔の強さに、老女の瞳が微かに揺れた。そしてその時が来たら──と、力を抑えた一撃に言葉を乗せるクロハ。
「在るが侭の貴方で会って下さい。夫君と共に重ねた年月を捨てた、ただ若いだけの姿ではなく」
 過ぎた時間の重ねこそ、人を何よりも美しくするのだから。無粋な夢喰いに願いを預け、形だけ叶えるなど勿体無い。
「だから戻りましょう。戻らねばなりません。まだ戻れる道ですよ、貴方ならば」
 力強い声が老女を支える間に、イェロは地上に星図の花の加護を咲かせていく。その輝きに照らされて、熟れた瞳が深く影を含んだ。
 スプーキーも告げていた。目に見える逢瀬ではなくも、彼は迎えに焚かれた火を手繰り、家へ帰っている筈と。それならば、
「折角の逢瀬なんだから、こんな時くらいは待っててあげて欲しいもんだけどなぁ……」
 帰りを待たせ、惚れた相手の方から態々逢いに来させた──なんて、男としては立つ瀬なしだ。軽くも暖かな声音でイェロは語る。
「旦那さんにも格好つけさせてやってよ」
 そう笑ってみせれば、まったく──と老女は眉を寄せた。
「格好ばっかつけちゃってさ。男ってのは本当……」
 ──しょうがないねえ。
 馬の背に涙が弾けた。生前の夫は度々見ていたのだろう、顰めっ面に失敗したような不器用な笑顔に、千歳が頷く。
「先に行ったことを後悔させるぐらい、愉快に生きましょうよ。もう少し焦れさせてこそ、いい女っていうものよ」
「そうだよ。堂々と生きて、私はこんなに頑張ったって言おう? 人を殺す力の一部になんかなっちゃダメ──ううん」
 ボクたちがさせない。強く煌めく瞳で老女を見つめ、シエラシセロは暴れる馬の背へ懸命に手を伸べる。
 背の人の濡れた瞳は、もう虚ろな曇りに囚われてはいなかった。

「力が失われていく……! ち、役立たずめ」
「あっ……!」
 地を蹴り上げ、大きく跳ねた精霊馬の胴から華奢な体が振り飛ばされた。
「任されよう。──行ってくれ」
 あるべき姿を取り戻した老女に、傷ひとつ許すまいと一は駆ける。間に合うか否かの距離を埋めたのは、普段は衆目に晒すことを避ける黒い翼のはばたき一つ。
「ナイスキャッチや。これで思う存分」
 確りと抱き留める気配に、棘だらけのバールを掲げた真奈が笑う。
「……殴れるってわけやな!」
 棘持つ凶器の一撃を合図に、加減を捨てたケルベロスたちの攻撃が一斉に降りかかる。
「まったく、悪趣味だわ。──あなた、無事で帰れるとは思わないでね」
 千歳の眼差しが冷える。言い放つ言の葉と切れ味を同じくする斬撃が、敵の懐を掻き斬った。


 クロハの指先へ滑り込んだ流動体が、一瞬で槍に編み上がる。
「他人の夢に依らなければ強くなれないというのなら──此処で果てなさい」
 胴を穿つ漆黒の突きに、馬の動きが一瞬迷う。その一秒を逃さず懐に飛び込めば、しなやかな脚が陽炎を纏う。
「その前に一曲、お相手を」
 重ね繰り出される蹴撃は敵の目を騙し、避けることを許さない。
 苦しげな馬の嘶きがぼうっと歪む。耳に絡みつくように響いた妖しい声は、
「……ッ、これは」
 スプーキーの眼にしか映らない、重く垂れ込める霧雨の日の光景を呼び込んだ。刻まれる心の痛みは体をも侵すけれど、不意に足許まで伸びた澄光が苦痛を和らげる。
「よくできた幻さ。ほんとの痛みは自分だけのもの──誰にも侵せねぇよ」
 イェロが描く星々の加護に、続くは甘く優しい飴の雨。
「甘く見ないで。こんなものじゃあ私たちを倒せないわよ」
 傷に溶けゆく千歳の術が、男をたちどころに包み込む。
「……はは、すまないねお二人さん」
 返る笑みに支えられ、持ち上げた銃口も眼差しも迷わず敵を見る。遠き妻子の為、強がり続けると決めたから──今は、
「守らなければね。彼女の御主人に代わって」
 銃声は一発。その軌跡が紅の一線で男と敵とを繋いだ瞬間、甘くとろりとした赤が敵の上に飛び散った。瞬時に堅く結晶するそれが自由を奪う間に、朝希のヒールドローンが隊列を組んで駆け抜ける。
 敵がいかに強靭であろうと、長く耐え抜く覚悟ならとうに終えている。
「さあ、行くよ! 生き抜くんだ──おばあちゃんも、ボク達も!」
 白銀の鉄槌が放った竜気に身を任せ、シエラシセロは高く跳んだ。靡く蜜色の髪は敵前まで真直ぐに軌跡を描き、携える槌の一撃が雷霆の如く敵を叩き飛ばす。
「そうやな。うちもまだ、あの人に叱られたないからな」
 舌に乗せる詠唱が熱を生む。真奈の背後に立ち上がる幻術の竜が、逆巻く炎を吹きつける。ごうと吼える竜を往なして、
「おつかれさんな」
「大事はない。──行くぞ」
 影のように戻り来た一の腕のひと振りで、現れた仕込み刃が敵を指した。武闘で慣らした男の動きに無駄はなく、意思持つ鋼に強化された一閃を敵の面に叩きつける。
 弱体化してなお、敵の護りは堅い。だがそれも想定の内のこと。
「守りというなら、此方も不足はありません」
「うん、頼もしい護り手がいるからね!」
 擦りつける大地から熱を得て、暗く燃える炎を宿すクロハの蹴撃。涼やかな白刃の気を帯び、空を貫く一閃となるシエラシセロの蹴撃。
 振り返らず背を預ける信頼に、紡ぐ術だけで朝希たちが応える。一は口の端だけで微かに笑った。射るような視線が敵を貫く。
「騒ぎの責を負うのはお前一人でいい。此処で沈め」
 三度目の蹴撃が重なる。冷淡に真摯に、志なき武器のように。


「鈴さんっ、大丈夫!?」
 攻撃の要として在るシエラシセロを、高く振り上げた鍵の脚が踏み抜こうとする。それを防ぎ止めたのは、踊るように踏み込んだミミックの鈴だった。
「大丈夫、頼もしいのよ。ね、鈴」
 笑み掠める千歳にひと跳ねで応える間にも、
「御心配なく、支え抜きます!」
 戦医を見据えるものの矜持にかけて、朝希は指先に紡いだ癒術を仲間へ放つ。走る紫電は鈴の体をすり抜ける一瞬のうちに、得た傷を縫い上げた。
 追い上げる攻撃にも易々とは揺らがない敵の強靭さに、真奈は思わず息をつく。
「確かに固いな。でもこの炎はその身を焼くで──お返しや!」
 削り合いの中で受けた敵のグラビティ。それを束ね返す一撃は、灰すら残しそうになく鮮やかに燃え盛る。
「送り火としては少々、火力が過ぎますか」
 だがそれをさせるのは貴方だと、クロハの蹴撃も緩まない。右を叩きつければ翻る左、また左と、守りの垣間を潜って穿つ炎の蹴りが馬を焦がす。
「何故夢に屈しない。こうもあの老女に執着するのだ。お前たちにもあるのだろう。逢いたい者が、手を伸ばしたい者が!」
 強烈な頭突きの前に飛び出す千歳。痛打を受けたそこから力が流れ出していく心地がする。けれど、
「ええ、あるわよ。だとしたら何だっていうのかしら」
「何もないよね。だってあなたには、ボクらの望みを叶える力なんてない!」
 跳ね除けるシエラシセロの言葉も強い。
 過ごした歳が、経験が、姿が。並び立つに相応しくなれたその時はきっとと、千歳は今も思っている。守れなかった人達、逢いたい人達、故郷を目の前で失った自責の念はシエラシセロの胸に今も刻まれたままだ。
 遠い再会を夢見はしても、
「その日はまだ遠いのよ。私も、皆も」
「うん、あのおばあちゃんも!」
 傷に沁みゆく蜜の雨が降る。悲しみを秘めて生きる強さを踏み躙る無法者に、誰ひとり屈しはしないと示すように。
 優しい天気を横切る二羽の鳥が、羽ばたく娘の爪先に溶け、刃と化して紅に染まる。優しく悼む夏の夜を、ひとりの老婆に返す為に。
「あの花が枯れるのは今じゃないんでね。あんたの背を飾るだけには惜しい花だ」
 空を巡るイェロの脚を星がなぞる。敵の身に叩きつけるまでの短い旅路、美しく燃え尽きる星のかけらに手を伸ばしかけ、止めた。
 夏の宵の僅かな時、迎えることが許される人々を羨んで──切ない幸であれ、自分には許されないからこそ守りたいと、彼は願う。
 風を乱すように躍った脚が、夢喰いの身に火花を散らした。敵が傾いだその瞬間を、狙い澄ますスプーキーの眼が捉える。
 掬うように低く、地上に月輪を描くような軍刀の一閃は、馬の四肢を彼方へと斬り飛ばした。回り込んだ一の腕に、鈍銀の刃がぎらりと光る。
「潮時だ。これ以上付き合う気は無いが、どうする?」
 どこまで耐える。堅い守りを鋭く切り裂き分け入りながら、眼差しが問う。その静けさの底深くには諦念がある。──会えるものなら会いたい、だが会ってどうする。叶ったところで、生死の溝は埋まらないのに。
「そろそろ限界なんやないか?」
 荒々しく吼える竜の吐息に巻かれながら、精霊馬は真奈の声に首を擡げた。煽りに殺気を増した嘶きは、黒衣を翻した一に阻まれる。
「それで終わりか」
「……馬鹿、な。こんな筈、では──」
 死の影に落ちゆき、翳りかける夢喰いの生気を、イェロの掌に脈打つ命の光輝が眩く照らした。
 歩み寄る足許にさざめくのは金の砂、翳す火に遠く煌めくのは陽炎の海。涯の空の星を渡り、その先の天に辿り着けたなら、繋ぎ止めるざわめきは消え、命は安息の中に還るから。
「迎え火に惹かれて来たんだから、最期は送り火で還してやるとしようかね。……おやすみ、よい夢を」
「アア、ァ……!」
 煌々と燃える命の火に囚われた馬。照り返しに甘く煌めくイェロの視線を受け止めて、朝希は両の掌に、冷気に白く煙る結晶を捧げ持った。
 喪うことを知る仲間たちの心が、あの老女に沿うのを見た。けれど知らない心なら、それだけ強く引き留めることができる。
「貴方を──ここで倒します!」
 いつか来る本当のその日まで、あの人に生きてもらう為に。濁りない決意で繰り出す熟達の一撃は、盛る熱にも溶けぬ氷を馬の体に育てていく。
 そして結晶が押し広げる傷口に、千歳は雪色に染まる刀身を深々と突き刺した。
「今よ、スプーキー!」
 どこか憂いげな微笑みを湛え、男は地を蹴った。胴の中心を間違いなく穿つ一点を見出した瞬間、指は迷わずトリガーを引く。
 銃声とともに爆ぜた甘美な赤が、夢喰いの最期を染めた。それもまた、熱の色。
「手折らせやしないさ。番犬の名にかけてね」
 ケルベロスの眼に看取られて、無粋な夢喰いの命は空に送られる。
 ──あとには静かに、弔いの香がくゆるだけ。


 受け止めた一の手で治癒が施されてはいたものの、畳の間に横たえられた老女の身には僅かに消耗が残っているようだった。
 縁側から心配げに見守るケルベロスたちへ、老女はごろりと顔を向ける。
「そんな辛気臭い顔が並んでたんじゃあ、良くなりゃしないよ。しゃんとしな、若いもんが」
 この分なら回復はそう遠くなさそうだ。ほっと笑み溢した朝希とシエラシセロに、そうその顔だと老女は頷く。
「どうかしてたね、あたしは」
「そんなことない。どうしても会いたい人、いるよね。……ね、おばあちゃん」
 そんな人を偲ぶ大切な時間だから、気分が悪くないのなら──と、シエラシセロは話をねだる。旦那さん、どんな人だった?
 なんだいと照れながら並べる悪口は、どこか愛しげな響きを含んでいた。

 穏やかに耳を傾けながら、許しを得た真奈とスプーキーは仏壇に向き合っている。
 在す御魂はきっと、閑やかなひとときを共に過ごして帰っていくのだろう。
 彼らの届けた無事の報せに安堵して──迎えたくれた愛しい人に、同じ思いで送られながら。

作者:五月町 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年8月25日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 1/素敵だった 8/キャラが大事にされていた 0
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