孤高の毒花

作者:五月町


「見たか、アイツらの情けねえ顔! 鼻水垂れ流して逃げてったぜ」
「ホント、あー気持ちよかったぁ! もー茉莉サマサマって感じだよねえ」
 廃墟と化したアパートの最上階。抗争から戻った不良少年たちは、勝利の余韻に浸りきっていた。
「あれ、茉莉は? どこ行ったよ」
「知らね、トイレじゃないの? てか化粧直しなんかすんのって感じだけど、あのナリで」
「ぶっ、おま、聞かれたらどーすんよ」
 形ばかりの制止を追い風に、笑いは悪意あるものへと膨らんでいく。
「実際女としてどーなのよ、あれ。アンタあれと付き合える?」
「ねぇわー。あれは女じゃなくてバケモノ。まあでも、ちやほやして飼っとけばタメになんだろ」
「うわお前サイッテー。……でも確かに、このままアイツに喧嘩させとけば俺ら、テッペン獲れんじゃね……うわっ!?」
 少年の胴に喰らい付いた巨大なハエトリグサが、めき、べき、と異常な音を立てて肋骨を噛み砕く。呻き声はあっという間に尽き、死に絶えた少年を放り出した茉莉は、緑色の頬でにこりと笑った。
「分かってないなぁ……綺麗で何の役に立つの?」
「ひっ……! あっ、ま、茉莉……やめ、て」
 伸ばした腕は力強い蔓となり、少女の首を締め上げる。苦悶の表情を満足げに眺め、
「弱いとこんなに簡単に醜くなっちゃうんだ……かわいそー」
 弱い命を弄ぶ茉莉の邪悪さは、姿ばかりかその心根にも現れていた。
「に、……逃げろっ!」
 出口は茉莉の背後だ。隣室へ続くベランダへ殺到する仲間たちを、茉莉は冷たく見つめる。
 その足元がずぶずぶと床に融け、部屋を禍々しい緑で飲み込んでいく。
「あたしがバケモノだって、心配してくれたんでしょ? ……安心してよ。アンタ達も全員、バケモノみたいに醜くしてあげる」
「わあぁっ、やめろ、死にたくない! 死にたくな……!」
 かつての仲間たちの悲鳴が緑の中に埋もれるのを、茉莉は暗い微笑みで恍惚と見つめていた。


「早速話に入るっすね」
 部屋に集まったケルベロスたちへ、オラトリオのヘリオライダー、黒瀬・ダンテはそう切り出した。自ら予知した事件をケルベロスに伝えることが彼の役割だ。
「最近茨城のかすみがうら市に、半端な不良っつーか、そういう若い奴らが各地から集まってきて、グループ抗争してるらしいんすよ。それだけなら放っときゃいいんすけど、あるグループの中に、デウスエクス・ユグドラシルの力を手に入れた奴がいることが分かったっす。そうなると、ケルベロスの出番っすよね」
 自分の事のように誇らしげに、ダンテは笑った。
「マツリって女で、そいつは自分で攻性植物の果実を体に受け入れて、異形になったっす。だけど、……まあありがちな話で、その外見とか色々を、陰で仲間に笑われてて。それをたまたま耳にして、仲間を皆殺しにしちまうんすよ」
 ただし、これはヘリオライダーの予知能力によって齎された情報だ。止める手立てはまだ残されている。
「事件が起こるのは、グループが根城にしてるボロアパートっす。近くまでは自分がヘリオンでお送りするんで、皆さんには現場に踏み込んで、デウスエクスの息の根を止めてきていただきたいんす」
 ダンテは頼みます! と威勢よく頭を下げた。
「屋上に降りて、そっからベランダに飛び降りれば、戦場まで一歩。敵が不良に襲いかかる直前に踏み込める筈っす。不良たちは黙ってても逃げてくだろうし、放置でオッケーっす」
 黒手袋の指を三本立て、ケルベロス達を見渡す。
「敵の使うグラビティは三つ。ハエトリグサの手で捕らえて毒を流し込む『捕食形態』、蔓になった手で締め付ける『蔓触手形態』、それと足から地面に同化して戦場ごと飲み込んじまう『埋葬形態』っすね。何の力もない一般人には恐ろしい力っすけど、皆さん方ケルベロスなら! 『人類の希望の力』できっと討ち果たしてくれるって、自分は信じてるっすよ!」
 きらきらした目でそう語られては、やらない訳にはいかない。何よりもケルベロスにとって、デウスエクスは倒すべき宿敵であるのだから。
「任せなサーイ! このビアンカお姉さんが出るからには、たとえ火の中水の中、花の中! デウスエクスはこの螺旋手裏剣でモズクにしてやりマース!」
 身軽を極めたいでたちで、忍者ガールが豊かな胸を張る。遥々アメリカからやってきた螺旋忍者、村雨・ビアンカだ。
「うん、惜しい。それ藻屑っすねー」
 この人腕は確かなんすよ、とのフォローをよそに、ビアンカは眼差しを引き締めた。
「人殺しは、よくナイ。子供でも知っていることデス! ワタシも皆さんと一緒に頑張りマス。いざ、参るデスよー!」
 やる気に溢れる仲間と共に、ケルベロス達はデウスエクス討伐へ向かうのだった。


参加者
三芳・彰彦(迹灯・e00289)
ナディア・ノヴァ(ひなげしの花・e00787)
蒐堂・拾(ひろいあつめる・e02452)
浅凪・菜月(ほのかな光を描く風の花・e02838)
四辻・樒(シャドウエルフの螺旋忍者・e03880)
天蓼・ヒルデガルト(揺る照星・e04195)
足柄山・箱根(暗殺伐採・e04426)

■リプレイ

●悪意の花蕾
 ヘリオンの導いた遙か上空から、ケルベロスたちは次々と古アパートの屋上へ飛び降りた。
 町の寂れた一角らしく、人の気配は希薄だ。とはいえ万一にでも被害が拡大することはあってはならない。足柄山・箱根(暗殺伐採・e04426)と四辻・樒(シャドウエルフの螺旋忍者・e03880)は届く範囲に殺気を張り巡らせ、侵入を拒む。
「こっから先は人外魔境、ヒトはさっさと逃げなさいな!」
 届かない声は歌のように軽い。箱根は仲間に続き屋上の片隅へ一歩を進める。
 落下防止柵や雨樋を手掛かり足掛かりに、ケルベロス達は躊躇いなく階下のベランダへ飛び込んだ。
 ──ガシャ──ン!!
 汚れ放題の硝子が砕け散る。古臭い硝子戸を蹴破って踏み込んだ三芳・彰彦(迹灯・e00289)は、剣呑な視線を巡らせた一瞬で、余すところなく室内を見渡した。
 広さ明るさは十分。不良少年たちは身構えこそすれ、既に腰が引けている。
 ──そして、その後ろで今にも襲いかかろうとしていた『茉莉』も一瞬、動きを止めていた。
「三秒以内に出てけ、死にたくなきゃアな」
 低く這うような一喝と背後を示す視線。漸く事態に気づいた少年たちはひっ、と声を上げ、闖入者たちと茉莉とを見比べる。だん、とナディア・ノヴァ(ひなげしの花・e00787)の拳がじれったそうに壁を叩いた。
「さっさと逃げろ、莫迦どもが……」
 見目は幼くとも、覚悟ある世界を生き抜いてきたナディアの声には力がある。彼女が誘発した七色の爆発は、仲間の背には追い風を。そして少年たちにはその爆音で、竦んだ足を解き放った。
 続いた蒐堂・拾(ひろいあつめる・e02452)は彼らを避けるように道を開ける。
 軽々しく虐げる者、自分とは真逆の位置にある彼らへの苦手意識が役に立ち、少年たちは生まれた道へなだれ込むようにして外へ逃げ出していく。
(「彼女が……彼らの刃か」)
 そう扱って彼女に手を汚させていた彼らも同罪だと思う。しかし、己の手で救える命でもあるのだ。──彼女、茉莉とは違って。
 少年たちに代わり次々に踏み込んでくる仲間を背に、拾は分身術を傍らの彰彦へ施した。
 彰彦の銀色の拳銃が鉛を吹く。灰色の弾丸は茉莉の懐へ、吸い込まれるような弾道を描いた。
「あずき、頼んだ」
 なあん、と短い返事を返し羽ばたいた翼猫。清らかな風は異常を越えゆく力を後方の要、治癒役の仲間へ齎してゆく。
「早く……できるだけ遠くまで、逃げてね」
 祈るように呟いた浅凪・菜月(ほのかな光を描く風の花e02838)が、異常を振り切る虹の翼を拾の背に創り出す。
「情けないもんね。あのビビりっぷり、あの子たちじゃ話にならないわ」
 銃声。凍気を帯びた天蓼・ヒルデガルト(揺る照星・e04195)の射撃が、敵の時を凍てつかせようと駆け抜ける。
 矢面に立つ気もなく、他人の威を借りて強い気でいる。そんなものは仕合いじゃない、ただのお遊びだ。
「ねえ、マツリサン──アンタは本気でやってるんでしょ?」
 草木の肌の緑に同化した頬が、にやりと笑った。
「あんたは話が分かるみたいね。あいつらよりは」
 途端、茉莉の足下がずぶりと地にめり込んだ。同化した床が生き物のようにうねり、前衛たちを飲み込んではその心まで侵そうとする。
 催眠の力が回復手にまで及んではまずい。後背の衛り手を守るべく、ヴォルフディア・クリストフ(金狼・e02620)はすかさず菜月へ分身術を施した。
「皆さん、負けては駄目デス! ワタシもお役に立ちマース!」
 村雨・ビアンカ(en0020)の毒手裏剣が蠢く地面を貫き、続いて一際大きな傷が内側から刻まれる。大地の胎を切り裂いて飛び出した樒は茉莉もろとも刃にかけ、箱根も螺旋を込めた掌底を茉莉の体に叩きつけた。
「無論、負けはしない。茉莉とか言ったな、聞かせてくれないか? お前の本心を──戦いの中で」
 樒は舐めた唇で艶やかに笑う。
 この仕事へと駆り立てるものは、純粋な興味、ただそれだけだ。

●『それだけ』の力
 三度目の爆発が戦場に色を咲かせた頃。
「ほぉらどうした、そんなもんで倒されるほどお姉さんは弱かないわよ!」
 ナディアの術に底上げされた力を重たげなルーンアックスに籠め、箱根は素早く斬撃を叩きつけた。仲間が回してくれた異常解除の術が奏功し、抗っていた催眠がふっと解けたのを感じる。
「成る程な。確かにその力、容姿を捨てるだけはあるようだ」
 敵を捉える難しさに笑んで、樒は持ち替えた刀の切っ先でゆるり、月の弧を刻みつけた。命中率を維持するのは思うよりも難く、自身をはじめ仲間も中々当てられずにいる。──それすらも愉しい。
「それだけの力だとしても、何故……それを欲したのには理由があるのだろう」
 地獄の炎を纏う刀とともに、ナディアは茉莉の胸に問いを叩きつける。そう、それに──傷ついた仲間を癒しの極光で包みながら、ヒルデガルトも口を開く。
「その癖お仲間の軽口が気に障ったってコトは、悔いてでもいるワケ?」
 茉莉は笑った。牙持つ草へと変じた両手で、狂おしく樒を掻き抱く。
「理由なんて! 『それだけの力』だからよ──あたしは、誰より強くいたい」
 注ぎ込まれた毒に顔を顰める樒を嬉しそうに見つめ、植物と溶けあった顔を蕩かせる。
「美しさの何が役に立つの。あいつらはそれが分からない馬鹿だから、潰すだけ」
「……力を持ったところで、強けりゃ何しても良いってモンでもないでしょ」
 天使のような造作の、眉間に皺を寄せてヒルデガルトは吐き捨てた。見てくれ以上に裡の方から滲み出る暗さ、醜悪さ。彼女を醜く見せるのはその内面だと気づいて、反吐が出そうになる。
 勿体ねェと軽く嘯きながら、彰彦の爆炎弾は熱を和らげはしない。
 純粋な力の希求が理由だというのなら、弱い者の悪口など放っておけばいい。それでも殺意を覚えたのなら、据えかねる感情は確かにこの娘の中にあったのだ。
 けれど、それは与り知らぬこと。
「火事と喧嘩は江戸の華なンて言うぜ。強さを誇りてェなら派手にやり合おうじゃねェか、食虫植物さんよ」
 ──尤も、恥じる姿ごと灰になるのはそっちだと、彰彦は信じて揺らがない。
 拾の強靱な竜の尾が娘を掠めた隙に、菜月は樒に近づき、巡る毒を素早い治癒術で掬い上げた。月篠・灯音の助けも加わり、樒の体力は大幅な回復を遂げる。
「──我が牙よ!」
 ヴォルフディアの呼びかけに、天井を貫いて現れた魔法の剣が降り注ぐ。しかし、同じ能力値に拠る連続攻撃は見切られつつあることを、ヴォルフディアは戦果から察し心に留めた。
 螺旋の力を帯びて手裏剣が舞う。ビアンカに頷いて踏み込んだ箱根は、空の霊力を満たした幅広の斧を振り下ろした。
 傷を穿つはずの切っ先は逸れる。けれど、心の奥に隠れた傷が見える気がして、箱根は貫くような眼差しで娘の目を覗き込んだ。
 名ばかりの友の皮を被り、覚悟もなく甘い蜜だけ吸う魂胆。腹立たしいのは寧ろ、逃げ出した不良たちの方だ。
 それでも自分に出来ることは、
「可哀想なあなたの首をキッチリ落としてあげることだけ──なのよ」
 苛烈な攻撃に潜む優しさには気づかず、茉莉はあはっと笑った。
「あんたに出来るっていうならね!」
 敵から齎される異常は、まずくなる前に解除できている。回復も現状、不足はない。
 それでも笑う茉莉の様子は、強がりではなく、先刻からさほど変わっていないように見えたのだ。

●響くもの
「七色に煌めく翼よ……!」
 自身への攻撃を肩代わりした拾へ、菜月は惜しみない祈りとともに、虹の翼の加護と癒しを贈った。受けた拾は目礼ひとつ残し、敵前へと引き返していく。集団を生かす為の盾であることが、拾にとってただ一つの価値なのだ。
 長く虐げられてきた自身。形こそ違えど彼女──茉莉もまた、仲間の目に虐げられてきた一人であるのかもしれないと思う。
「茉莉殿、そのような付け焼き刃では満足に戦えまい……」
 フードから洩れる声と眼差しに表れたのは、哀しい共感だった。それでも繰り出した蹴りは威力を殺がれることなく、刹那のうちに茉莉の臓腑を抉り抜く。
「は……っ、何よ! そんな半端な顔して、笑いたきゃ笑──」
 声が止まる。長く伸ばした蔓触手が空を切った。ここまで重ねに重ねた異常が、心の揺れを捉えたかのように立ち表れてくる。
「あたしたちは笑わないわ。なんせこの今、生き死にが掛かってんだもの」
 この仕合いを、相対するこの時を、逃げ出した連中のように軽くは見ていない。伝え来るヒルデガルトの眼差しはやはり不機嫌で、けれど青く高尚に澄み渡っていた。
 古き言葉が魔法を紡いだ。放たれた光線が触れた胸を抱え、軋む心地に顔を歪めながらも、休ませる気などなく襲い来る彰彦のグラビティブレイクは、すんでのところで躱してみせる。
 間合いに飛び込み、螺旋の力を流し込んだビアンカが後方へ舞い戻る。取って代わったナディアの眼差しが、しんと鎮まった。──触手の鞭も捕虫器の腕もすぐ届く、敵の懐の中にありながら。
「一つ訊く。そうして元の自分を捨ててまで選んだものは、果たして無くしたものより大きいものだったのか」
 刃がふと質量を失った。敵を透かす刀身は、霊魂のみを斬り捨てる。見開かれた目が示したものは、与え続けた毒を与えられた痛苦のみではないだろう。
 肚の内が煮えるようだ。あの馬鹿共、茉莉を利用してきた連中への怒りばかりが胸を叩く。
(「それでも、私は斬らねばならない」)
 決意ごと敵を斬り捨てたナディアとは対照的に、ナイフを手に躍りかかった樒はやれやれと冷ややかに笑んだ。
 攻性植物に身を預け渡してまで得たかった力の結果が、仲間の裏切りと自身の滅び。
「陳腐だな……まるで徒花だ。いや、徒花ですら人の心を打つこともあるか」
 自分には何も響いてこない。困ったように笑み綻んで振り被り、さらなる異常を刻みつける一閃を容赦なく解き放った。
「痛いと思うけど……ごめん……っ!」
 菜月のカードが金色に光り輝く。魔法の竜は虚空に羽ばたき、光を散らしながら茉莉に喰らいつく。何よ、と掠れた声が洩れた。
「可笑しいでしょ──なんであんたが泣いてんの?」
 敵にすら隔てなく向けられる優しさを拒絶する勢いで、帯びた力が解放される。けれど、床と一体化した茉莉の脚は自由にならない。絡みつく異常が重く、体が動かないようだった。
「ごめんね。私は木こりだから、こういうやり方しかできないの」
 詫びる箱根の声は穏やかだった。
 苦痛なく一撃で済ませてやりたかった。けれどそれは無理だから、仲間と共に四方から、傷に傷を重ね、じわじわと弱らせて倒す。──こんなふうに。
 音もなき一閃が茉莉を切り刻んだ。銃口に魔法の凍気を籠めて、ヒルデガルトが囁く。
「茉莉、アンタじゃないわ。あたしたちが許すワケにいかないのは、アンタを笑えなくした奴よ」
 放たれた銃弾は時を止めるに至らない。逃れた娘が振り仰いだ退路に、
「さて、マツリさん……悪いが、その力をこれ以上振るわせるわけにはいかないのでね」
 逃がしはすまい。朗々と響き渡る咆哮は、ヴォルフディアのものだ。大気を振るわす雄々しい声は、娘の足を竦ませる。
 拾が駆ける。足元で振り抜いた尾は植物の侵食を受けた脚を掬い、荒れた床に昏倒させた。起き上がるその前に、彰彦はグリップを鳩尾に叩きつける。熟練の一撃が帯びた冷気が、みし、みし、ちり──とかそけき音を立てて茉莉を凍り付かせていく。
「……っ、あたしは強いんだ! 全部捨てて、強くなれたのに──!」
 ビアンカの手裏剣をものともせず両腕を開く。凶悪な牙を持つ葉が彰彦に食らいつき、熱さを感じるほどの毒に冒す。
 しかしそれも、最後の抵抗に過ぎなかった。
「おやすみ。……茉莉」
 翳す切っ先に炎を携え、ナディアは一閃、振り下ろした。
 胸に飲み込まれた赤黒い熱。重力の鎖が彼女に灯る命の炎を絡め取ったとき、熱に煽られた花が萎むようにふつりと、彼女の命も永久の眠りに落ちたのだった。

●夕影に零る
 アパートの影に潜むようにして、恋人たちが抱き合っている。
 大事な人の援護に感謝を告げ、樒は温もりに身を任せた。支える娘もなされるままに目を閉じる。
 その遥か頭上、戦いの実感が薄れぬままの部屋で、ビアンカはほうと溜息をついた。
「終わったのデスね」
 拾は静かに頷いた。──そして恥ずかしげに目を逸らし、風邪を引かぬよう、と言い添える。
「? ワタシはいつでも元気一杯デース! ……、……っくちゅっ!」
 言った側からくしゃみをする娘に、慌てて上着をかけてやる。破れ窓から忍び込んでくる風は夜の気配を連れ、ひやりとケルベロスたちの戦熱を冷ましていった。
 いつから廃墟であったのか、施錠も機能していなければ立て付けも随分ガタがきている。せめてもと、彰彦は硝子の砕け散ったベランダへの扉を付け直した。厳密には彼の所為ではなかったのだが、思いを整理するように淡々と、作業に没頭していく。

「……ごめんね」
 去り際に、箱根はもう一度詫びた。生の終わりを刻まれた娘から、答えはもう帰らない。彼方を眺めるヒルデガルトは、仲間たちに背を向けている。不機嫌そうな背中だが、頬にまで同じ感情が上っているかは分からない。
 密やかに涙する菜月の背を、ヴォルフディアはぽんと叩いた。
「向かう先を見失った力ほど、哀れなものもないものだね」
 ヴォルフディアの吐息に、暫し沈黙していたナディアが顔を上げる。
「知っているか。……ハエトリグサは、真っ白で可憐な花が咲くと聞く」
 ほう、と窺う眼差しに、続きは返らなかった。──そうなりたかったのだろうかと、今はもう誰も知り得ない想像が満ちるだけ。
 拾はフードを緩め、空を見上げた。柔く橙に染まっていく空の彼方に、一羽の鳥が飛んでいく。
 終わった命、終わらせた命。けれど少なくとも、彼女はもう心を苛まれることはない。それだけに柔らかな息を零して、ケルベロスたちは帰路に就いたのだった。

作者:五月町 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2015年9月7日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 7/感動した 1/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 3
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