傷痕の境界

作者:東公彦

 崩れかけた築地塀を辿って歩く。すると頭の巨大な唐門が見えてきた。長年風雨に晒されたまま捨て置かれたのだろう、びっこを引くように建っており、いつ倒れてもおかしくないものだ。
 なぜだろう、ハル・エーヴィヒカイト(閃花の剣精・e11231)の足は誘われるように赴いた。
 門をくぐれば、なるほどいわゆる荒れ寺というもので、下草にまみれた境内には小さな御堂だけがぽつねんと建っている。
 御堂に足を踏み入れる。と、どっかと鎮座する本尊の前に佇む影があった。虫食いのように空いた天井の穴から、幾筋も差し込む陽光が彼女の肌を薄暗い本堂のなかで白々と浮かび上がらせていた。
「久しいの」
 記憶の揺り籠をゆさぶる懐かしい声音。それでいて根底を覆すほどに全てが異質だ。
「幻ではないんだな」
「おかしなことを…。ワシはこうしてここにおるではないか」
「そうか」
 ハルは言って、即座に刀を叩きつけた。少しの躊躇もない。
「未熟よなぁ」
 細腕からは想像もできぬ力でそれを受け止め、ユキ・エーヴィヒカイトが唇を吊り上げた。いつの間に抜いたのか、雪のように冴え々と煌めく刀身が、徐々に黒く染まってゆく。姉と同じ構え。似つかわない笑い方が癇に障った。
 ハルは刃を圧し返して飛び退いた。触れることが出来るほどのグラビティを練り上げ、現実の事象に己にとって都合のよい形をねじ込む。殺界に己が心を映し、自らの領域を作り出す奥義。しかし。
「境か――」
「境界」
 刹那、身を切るほどの殺気が伽藍に満ちた。空間を切り裂くように現れたのは無数の白刃。
「白翼千華」
 それらは一斉にハルへと矛先を向けて――。


「予知があったよ。ハルさんがデウスエクスに襲われるみたいだ」
 正太郎が告げた。彼は持参したファイリングからいくつかの資料を抜き取り、眺めて溜め息をついた。
「このデウスエクスはユキ・エーヴィヒカイトと名乗っているんだけど……詳細はわからないんだ。わかっていることは死神であること、その力や戦い方などはハルさんによく似ているという二点くらいだね」
 言って正太郎は目を伏せた。「申し訳ない。僕らの調査にも限界があって…。敵の力量などについてはハルさんに直接聞いてもらった方が早いかもしれない」
「二人が出会うのはとある廃寺だよ。辺りに人影はないし、建造物への被害も考えなくていいと思う、戦闘後にヒールをかけてもらいさえすればね。ただ…」
 正太郎は歯切れ悪く声にした「僕の懸念は、予知が『相手の攻撃』で途切れているところなんだ。みんなが戦闘に介入できるのはこのタイミングになるわけなんだけど……初撃は誰かが防ぐなりしなきゃならないかもしれない。傷が深ければ少し戦線を離れることにもなりかねないから、それを留意した上で行動してくれればと思う」
 さてと。年寄りのように呟いて正太郎は立ち上がった。ヘリオンへ向かい歩きだし、背を向けたままで言った。
「過去のえにしかぁ。それを少しでも理解できるのは一緒に過ごしてきた仲間かもしれない……。みんなのことを頼りにしてるよ」


参加者
相馬・竜人(エッシャーの多爾袞・e01889)
ハル・エーヴィヒカイト(閃花の剣精・e11231)
人首・ツグミ(絶対正義・e37943)
エリザベス・ナイツ(焔姫・e45135)
綾崎・玲奈(アヤカシの剣・e46163)
村崎・優(黄昏色の妖刀使い・e61387)
柄倉・清春(不意打ちされたチャラ男・e85251)

■リプレイ

「境界・白翼千華」
 ハル・エーヴィヒカイト(閃花の剣精・e11231)が動きを止めたのは刹那のこと。しかし生死を分かつ天秤に乗せるならば、あまりに大きな過失である。
 稲妻の煌めきにも似た獰猛さで光刃が奔った。音もなく、事象の始点から終点へ駆け抜ける、人智を嘲笑うような一撃。
 刃が吹き抜けて頬を撫でた。盾となった人物を見るや、ハルは円を描くように足を滑らせ――間合いを詰めて朱光の剣『久遠』を叩きつける。
「邪魔が入ったようじゃなぁ」
 微笑をはりつけたままユキは踏み込み胴を払った。
「……彼はしつこいぞ」
 踏み込みに合わせて身を退き、ハルも同じように剣を振るった。直後、凄まじい衝撃が両者を突き抜けた。
 と、殺気にユキは身を翻した。肩を前蹴りが掠めてすぎる。
「まだまだ!」
 突き出した脚を軸にして腰をひねり、ローレライ・ウィッシュスター(白羊の盾・e00352)は背面から蹴りを繰りだす。靴底に確かな感触……だが浅い。
「ははははっ、惜しいのぉ女!」
 ユキは自ら地面を蹴って力を受け流し、吹き飛んだ慣性のままに漆黒の『輝夜』を躍らせた。剣風が舞い、衝撃波は悉くを断ち切らんと吹き抜ける。ケルベロスであっても例外ではないだろう。
 だけど、引き下がるわけにはいきません。
 綾崎・玲奈(アヤカシの剣・e46163)は挑むように眦をあげると、洋剣の柄をしっかと握りしめて衝撃波に打ちつけた。乾いた音をたてて衝撃波が相殺される。
 同じようにテレビウム『マンデリン』は黙々と、ウイングキャット『ハク』は勝気そうな目を尖らせながら、力をあわせて衝撃波を抑えこんだ。
 そして飛来する一際巨大なそれを打ち砕いたのは一振りの大剣であった。
「あなたが…ユキさんなのね」
 エリザベス・ナイツ(焔姫・e45135)は語りかけるように言った。返答など期待してはいない。死神が体を乗っ取った時点で、おそらくは――。目の前で剣を携えるその人は話で聞いていた姿とは乖離していた。
 ハルはゆっくり立ち上がり振り返ろうと首をめぐらした。と。
「お前に心配なんかされたら気色悪くって却って傷に悪ぃっての」
 血だまりの中で蹲る柄倉・清春(不意打ちされたチャラ男・e85251)が言った。息は荒いがいつもと変わらぬ態度だ。ボクスドラゴン『ネオン』も零下の吐息を傷口に吐きかけて治療に努めている。
「てめぇは自分に出来ることをしろや」
「ああ。そうさせてもらう」
 ハルは小さく息を吐いて刀を構えた。
「皆……ありがとう。だが話は後だ。状況開始。目標は――敵性死神の撃破。遠慮は不要、皆全力を尽くしてくれ」


 村崎・優(黄昏色の妖刀使い・e61387)は石燈篭を蹴って跳んだ。紙一重、燈篭だけが滑り落ちる。優は本能的に剣を振り下ろした。
「ほぉ…やるではないか童」
「相変わらず外道な連中だね、死神」
 空中で切り結んで着地する。血がじわじわと腕を流れはじめた。だが痛みが怒りに火を注ぐことはなかった。紫炎燃え上がる右眼は、どこか遠い出来事のような心持でユキを見やっていた。
 次の瞬間、鉄棍がユキの頭を貫いたように見えた。だがユキは瞬時に加速して、一撃をかわすと刃を掬い上げていた。不意を打った人首・ツグミ(絶対正義・e37943)が目を瞠るような速さだ。
 脇腹に違和感を感じつつも、ツグミはすかさず鉄棍を折りまげて上体を回転させた。伸びた鎖が棍を生き物のように躍らせる。
「少しだけ、気になるんですけどねーぇ。殺した人間の体を奪う。どんな感覚なんでしょうかぁ?」
「呵々、そんなことを知っていかにする?」
「興味があるだけですよーぉ。人形であっても模した者に魂を近づける……貴女は、その心根の内はどうなのでしょうねーぇ」
 ユキの相貌が愉しげに歪んだ。刀で鉄棍を払いのけ、反動をつけて一回転、周囲を薙ぎ払う。
「――ぐっ」
 パッと血飛沫が舞う。ツグミを押し出すように両者の間に割り込んだ玲奈はうめき、膝をついた。それを見逃すユキではない。流れるように返し刃が迫る。だがまだ――。
「倒れさせねえよ」
 ずぞぞと地を這う混沌の水が傷口に張りついて同化する。見るにおぞましい光景ではあるが、玲奈は得た活力を注ぎ込み、身を投げた。すぐ目の前を黒刃が通り過ぎてゆく。
 その一手がエリザベスに介入を与えた。体を振って腕を畳む、コンパクトに構えた大剣はごうっと音を立ててユキを弾き飛ばした。直撃とはいかないものの、距離は空いた。
 もっと――もっと距離を離さなきゃ! 追撃に駆けだしたエリザベスを援護するべくローレライは轟竜砲を腰だめに構えた。腹に響く轟音に空気が揺れる。砲火が降り注ぐたびに堪えきれない様子で廃寺のどこかが崩れ落ちた。熱波と爆風が荒れ狂い、火薬と粉塵が押し寄せる。
 黒煙にまぎれるようにして優も果敢に躍りかかる。二振りの喰霊刀を矢継ぎ早に繰り出して、休む間を与えずに斬りこんだ。
「そうだ、まだ死ぬんじゃねぇぞ。みっともなくても足掻いて生き残れ」
 相馬・竜人(エッシャーの多爾袞・e01889)は吐き棄てるように言った。禍々しい髑髏の仮面で貌を隠す彼は、ユキなどよりよほどデウスエクスじみている。
「ケルベロスだからって誰かの為に死ぬことも殺すこともねぇ。ハル、お前もだ。知った顔殴るのが辛けりゃ生き残ること優先でも良いんだぜ。そうならアレは俺らがきちっと殺してやるからよ」
「気遣いには、感謝しておく」
 ハルは竜人の傍らを走り抜けてゆく。己が領域をつくりだし、艶やかな黒髪は頭頂から白々と色を失ってゆく。
 剣が交錯した。己が鍛え上げた剣技を駆使し獣のような敏捷さを以て両者は剣を重ねた。触れれば肉どころか骨さえも易々と断ち切ってしまうだろう二振りの刃。せめぎ合う二つの境界――互いの存在を喰らいながら真紅と月白の光刃が打ち合わされる。何かの拍子で一撃を喰らえば、途端に勝負の趨勢は決まるだろう。
 縦横無尽に駆け回り肥大してゆく剣嵐から飛び退いてエリザベスは思った――いやハルを知る者達は誰しもが理解していた。僅かにユキの方が速い、時折舞う血飛沫はおそらくハルのものだろうとも。
「不味いですねーぇ」
 ツグミが呟く。「下手な援護では巻き込みかねませんし、なにより……巻き込まれかねませんよーぉ」
 口調こそ間延びしたものであるが緊張の色は隠せていない。それを聞いてローレライはぐっと唇を噛んだ。
「けれど、黙ってみていられないわ。私、うまく言えないけれど他人事のような気がしないの……」
 かつて死んだと思っていた者に、血をわけた者に矛を向けられる。自分の手を血に染めて得たものは心臓を抉られるような、今でも思い出すたびに鋭い痛みが訪れる消えない傷だった。
「僕も同じだ。生意気なことを言うようだけどね」
 引き換え同じ状況であっても、かつて優を動かしていたものは純粋な復讐心であった。全てを呑みこみ膨張する感情、それに任せて斬った。斬ってしまった。正気を取り戻しかけた姉を――。
「私は、あの人を斃すしかなかったわ。けれど他の可能性があったらどれだけよかったかって、今でも考えるの。だから――」
 ローレライが言い澱む。玲奈がそっと肩に手を置いて、ゆったりと微笑みかけた。傷だらけであっても気品は少しも損なわれていない。
「ええ、せめてハルさんが十全に選択を出来るよう尽力しましょう」
「もちろん私も見過ごすつもりはありませんよーぉ。ですが何の算段もなしでは死んでしまいますからねーぇ」
「算段か…」優がひとりごちる、と。
「算段ならあるわ」
 エリザベスが胸を叩いた。「時間さえ稼げれば…ハルなら絶対追いつくはずだもの!」
 誰もが呆気にとられた。一時、時間や戦場の空気までも遠ざかった気がした。くっくっ、竜人がくぐもった笑い声を漏らした。仮面の奥から響く声は一瞬でケルベロス達を現実の戦場に引き戻す。
「お前さんがそう言うなら、そうなんだろうよ。おいっ」
 声にマンデリンが顔をあげ首をこくりと振った。言われずとも、そんな態度で。竜人も別段気にすることはなかった。やることは最初から決まってる、ハルを守り敵はぶっ殺す。それだけだ。


 ハルとユキは、ほぼ同じスピードで攻防を繰り広げていた。二人の間で景色はパノラマのように流れてゆく。
 剣閃が更に速度を増して襲いかかってくる。目で追えば即座にやられる。ハルは、半ば感覚的に足を運んだ。
 幾度も干戈を交える。裂けた傷口から血が噴き出す。着物のうちをべっとりと血と汗が這ってゆく。
 後の先をとって足払いをかけると同時、腰をひねり柄打ちを放つ。どっとユキの胸を打ったが、同時に腿が切り裂かれた。
 浅い手傷ばかりではあるが、傷は徐々に徐々に、焼けるような熱と痛みを伴って増えてゆく。ハルは砂利を捲き上げようと足を蹴り上げた。が、次の瞬間。がっくりと膝が落ちた。
 油断した。流れ出た血が靴底を滑らせたのだ、ユキの眼下、まるで首を差しだすような形で。
 ハルは不意に眼を閉じた。しかし。
「させないっ!」
 その眼を開かせたのは力強い少女の声だった。大剣が黒刃を受け止める、エリザベスはそのまま境界に踏み止まった。激しく体を上下させて光刃を掻い潜り、ユキの刃をどうにか受け流す。いや、一人であれば数合で斬り伏せられていただろう。
 相互に隙を補うことで、彼らはユキの動きに追随していた。
「キミは何を望む。僕たちはそれを叶えるために戦おう!」
 敵を決して自由にはさせない。優は四肢に闘志を滾らせ、己の手傷を顧みることなく双刀を振るい続けた。刀身で雷吼が爆ぜて、触れたものを焼き尽くす。ばちり、ばちばちり、ユキの耳元で双刀が咆えた。
「五月蝿い刀じゃの」
 ユキは優の腕を掴み、振り回して自らの後背へと突き出した。
「――っ!?」
「呵呵々、おしいおしい」
 背後から迫っていたエリザベスの剣を『暗牙』で抑えこみ、更に体を開いて輝夜を薙ぎ払う。黒刃が一閃、飛び込んできた玲奈の胸元を深く切り裂いた。
「……その動き、封じさせてもらいます!」
 唇を噛みしめ、剣を地面に突き刺し支えにすると、倒れ際、玲奈は足を鞭のように跳ね上げた。ユキの顎が跳ね上がる。直後、射竦めるような気配を感じたユキは、そこへ向かって境界の刃を放った。
 刃は肩に突き刺さり、脇腹を貫いた。だがツグミは止まることなくユキの体を抱くようにして御堂に突っこんだ。機械化した右腕でユキの喉元を握り掴み倒す。血が伝って彼女の白い顔を汚した。
「くふ。あなただけの為に――お聞かせしましょーぅ」
 次の瞬間、機械義肢から音の洪水が溢れだした。呪奏に合わせてツグミは呪歌を謳った。途端、二つのメロディが複雑に混ざり合う。魂を無理矢理に繋ぎとめて、別の肉体に縫い合わせたようなチグハグな旋律。狂おしき不協和音。
 文字通り、魂を抉るような音色にさしもの死神であっても痛苦に顔を歪ませた。
「貴様ぁ!」
 低く呻いてユキは膝を突きたてた。嘔吐き、ツグミの腕がゆるむ。瞬時体を入れ替えるとユキは御堂から飛び出た。
「ったく、面倒かけんなよ。くだばりてぇのかお前は」
 ツグミを抱え起こし竜人が頭を掻いた。歯止めがぶっ壊れてるのはわかっているつもりだが、常にそれでは困る。傷口に気をおくり込む。蒼白の顔にわずか血の気が戻ったようだった。
 どいつもこいつも…だがまぁ、こっちも仕事だ。きっちりやりたいことをやらせてやる。
 相馬が手中でスイッチを弄び爆風を起こした。生み出された気流にのってローレライは弾丸のように突き進む。
「たああああ!!」
 燃え盛る紅輝の剣を振りかぶり、中空のユキへ叩きつけるように振るった。『Twilight Crimson Flame』が煌めく。体系だった騎士の技というよりは実戦で磨かれた荒っぽい一撃だ。それは強烈にユキを打った。
「く、くはははっ!」
 ボールさながら地面を転がりながら、ユキは鋭く左手を振るった。急接近するハルへと光刃が横殴りに押し寄せる。同じように素早く腕を振るえば、再び境界の刃がぶつかりあった。
「期待していた通りじゃぞ。やはり戦うならお主じゃ、この肉体が血をわけた貴様よのぉ」
「どういうことだ」
 つば競り合いの状況、負けじとハルが刃を圧す。「お前の目的は一体――」
「あの不気味な女のいう通りじゃよ。ワシはこの体に魂を引かれておる。当初は只腹を満たすことのみを考えておった、しかしこの肉体は戦うたび、草花が慈雨に蕾を開くがごとく強くなってゆく……。ワシはな、鍛錬の喜びをえたのだ。死を使役し、確固たる肉体を持たぬ虚ろなワシが、人間のみが持つ比類なき進化の力を!」
 ユキがけたたましく笑った。輝夜の背に肘を当てて押し込み、ハルを払いのける。再び互いの境界が広がってゆく。二人を除いて誰も立ち入ることの出来ない領域。
 そこへ一つの影が割って入った。
「真打は遅れて登場ってなぁ。ハル。手伝ってやる」
「またお主か、だが――」
 ハルの剣を間近で見ているとはいえ、清春の動きは雑多にすぎた。急所のみを上手く外す、つまりは戦い慣れているだけだ。
 ユキはこの邪魔者から消すことにした。体を右方へ振っておいて、一瞬で懐にはいる。水平に寝かせた黒刃は、さしたる障害もなく、ずぶりと清春の腹を貫いた。
「お主はワシらの戦いに立ち入る資格はないぞい」
「ククク……男に抱かれたことねぇだろ?」
「なにを――」
「簡単に男の胸に飛び込んでくるようじゃ危ねーってことだよ」
 清春は掌に巻きつけた鎖で黒刃を掴んだ。ユキは刀を引き抜こうとするも、筋肉で締められてぴくりともしない。
 ユキは清春を殴り倒して飛び退いた。手が放れた瞬間『輝夜』は白雪のような本来の姿を取り戻す。跳躍したハルの剣閃が僅かにユキの長袴に触れた。
 二人が着地したのはほとんど同じ瞬間だった。しかし動き出しは、僅かにハルが素早かった。
「呵呵々ぁぁ!!」
 ユキは嬌声をあげながら境界の刃を手にとった。長袴の裾が割れて、白い太腿が剥きだしになる。髪を振り乱して肢体を露わにさせるその姿はゾッとするほど狂気に満ちて、なるほど剣鬼である。
 やはり姉さんとは似つかないな。ハルは鋭く息を吐いて刀を握った。布を絞るように柄をとり、肩に担ぐようにして峰を据える。
 時代劇で見るような派手な動きはいらない、激しい動きはそれだけ体力を奪う。まずは速さ、そして正確に刃を通す。最小限の動きで最大の破壊力を得る。剣術の基にして秘。ハルの動きは、その理想を見事に体現していた。
 一方でユキも比類するほどの動きを見せた。即座に腰を沈め刀を倒して下段に構える。呼吸を細く長く吐き、間合いを計る。今やハル以外の何者も目には入らなかった。
 ほんの瞬きほどの差で全てが決まる。刹那遅くとも速くともどちらかが地に伏すことになるだろう。
 深緑の羽織に白髪をはためかせハルが迫る。変化する速度と歩調、間合いを見切るのは至難の業だ。ユキはじっと待ち構えた。
 ――ここだ! ハルの気配が揺らいだのを見逃さずユキは刃を振り上げた。僅かに遅れて上段から久遠が降り落ちてくる。もはや月白の光刃を止める術はない――はずであった。
 光刃がハルを両断するより一瞬はやく、影が躍り出た。引き絞った矢のように、微睡む空気を切り裂いて。その瞬発力だけは両者に劣っていない。
 金髪の少女を――傷痕の境界を踏み越えてきた者を視止めて、ユキの瞳は大きく見開かれた。その動きは紛れもなく両者の剣筋に通ずるとこがあったから。
 ユキが動きを止めたのは刹那のこと。しかし生死を分かつ天秤に乗せるならば、あまりに大きな過失であった。
 ガラスが割れたような音を立てて境界が崩れてゆく。白昼夢であったかのように白月の光刃がふっと消えた。
「おやすみ――姉さん」
 頬が触れ合うほどの距離でハルは囁き、久遠を払い抜いた。全く同じタイミングでエリザベスが大剣を振り払った。はじめ剣戟は一重に見えて二つの軌跡を描いた。『合の剣』とでも言うべきか。
「ハルはね、私の剣の先生になるくらいとっても強くなったから。もう、安心して…ください。どうか、これ以上苦しまずに……」
 エリザベスが言った。するとユキはにっこり笑って。
「ああ、よかった――」
 それが戦いに満ち足りた死神の言葉なのか、復讐に囚われずそれ以外の道を見出すことが出来た弟へ向けたものか。声を聞いた優には判別しかねた。
 ただ、大切なものを見つけたハルの背中は、優の眼にはどこか眩しく見えた。とはいえ声をかけるのは無粋に思えて……結局何も言わずに立ち去った。


「ユキさんのお墓を作ってお花をお供えしようよ」
 彼女にそう言われた時、そんな当たり前のことも考え付かなかったのかと酷く狼狽えた。今まで剣のために生きてきた、おそらく今日明日でそれを変えることは出来ないだろう。
 だが振り返ってみれば……どうやら俺は復讐以外のものとも縁を持っていたようで、それを新しい指標とするのは、悪くない気がした。
 例えば仲間や隣にいる彼女の存在を。ハルは輝夜を手にして立ち上がった。今日はこれまで。また来るよ、姉さん――。
 人の心も季節も巡る。決して一所に留まることはない。それらは厳しい風雪を堪えて、やがては必ず芽吹きの季節、春を迎えるだろう。

作者:東公彦 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年8月16日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 3/感動した 0/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 3
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