罪人の夜

作者:東公彦

「くっそぅ。ムシャクシャしやがる」
 男が蹴ったポリバケツが中身を吐きだしながら宙を跳んだ。飽き足らず、屋台骨のパイプを槍の柄で叩き折る。音を立てて崩れる露店に往来のそこここから悲鳴があがった。
「それでいいんでぇ。それで」
 その声に男は心地よさげに目を細めた。人間共の楽しげな顔を見ていると無性に腹が立つ。ところがどうだ、人間共の困惑した瞳や、悲哀をさそおうとする卑屈な笑いを見るや一転、えらく胸がスカッとするじゃないか!
 男は屋台に槍を突っ込んで商売道具を滅茶苦茶に掻きまわした。店の主が窺うような眼を向けてきたので、
「なぁに見てやがるっ。この野郎!」
 と、殴り倒してやる。地面に膝をついた店主を追いうって何度も槍の柄を振り落とし、男は叫んだ。
「いいかぁ、逃げやがった奴からぶっ殺してやるからな!」
 すると人間共はぴたっと止まる。臆病な鼠共、踏みつぶされてもしょうがねえ連中だ。
「今日は楽しくなりそうだぜ」
 豊かな髭に指を通しながらエインヘリアルの男はひとりごちた。


「横枝市の屋台通りにエインヘリアルが出現するみたいだね。アスガルドでも罪を犯して投獄されていた個体らしくて、うん、見るからに悪そうな顔だね」
「正太郎、人を見た目で判断するのはよくないぞ! 見た目がよくとも中身が伴わぬ者もおるのだ、我のようにな!」
 セナ・グランディオーソ(いつかどこかの・e84733)が歯をみせて大きく笑った。答えに窮して正太郎は渇いた笑い声をあげるとぼやくように続ける。
「個体名は『ラバル』。武具は槍を一本と胸から胴に巻く簡素な星霊甲冑、特別なものじゃなさそうだね。技もケルベロスでいう『ゲシュタルトグレイブ』に似たものをつかってくるみたいだよ」
「我らは現場に降下するか待機をして、敵が姿を現してから戦闘をはじめればよいのだな?」
「うん、セナさんの言う通りだよ。それに日は暮れたとはいえ露天の照明や街灯で視界は十分にとれると思う。ただ厄介なのは……」
 少しばかり言いよどんで正太郎は呟いた。
「屋台通りには人が多いんだ。前もっての避難は予知を変えてしまうかもしれないから一般の方を巻き込まずに戦うなら避難が必要になってくるね。とはいえ、細い路地にゴミゴミと露店が並んでいる状態だからちょっと手を焼くかもしれない」
「うむ、それは問題だな。だが案ずることはないぞ正太郎!」
「おお! セナさん、なにか名案があるの?」
「はーはっはっは、我にあるわけないであろう! がっ、この者達にはあるはずだ」
 セナはえへんとふんぞり返って、集まったケルベロス達をぐるりと見回した。ルーナが額に手をやってかぶりをふった。なんとも個性的な主従である。
「――あっ、そうだ。この個体は何ていうか挑発にのりやすい……いわゆる単細胞ってやつみたい。その点を利用できれば邪魔は入りづらいんじゃないかもね」
 語尾をあげているあたり疑問符のうかぶ提案である。だが正太郎の言葉が単なる憶測に留まらないならば試してみる価値はあるかもしれない。
「小さな事件も放っておけば大過となることもある。どうかみんなには全力で事にあたってほしい」


参加者
奏真・一十(無風徒行・e03433)
新条・あかり(点灯夫・e04291)
ハル・エーヴィヒカイト(閃花の剣精・e11231)
一之瀬・瑛華(ガンスリンガーレディ・e12053)
ラルバ・ライフェン(太陽のカケラ・e36610)
エリザベス・ナイツ(焔姫・e45135)
セナ・グランディオーソ(いつかどこかの・e84733)

■リプレイ

「なぁに見てやがるっ。この野郎!」
 槍の穂先が煌めく。と、予期せぬ手応えにラバルは顔をしかめた。
「驚いたかな? ……しかし、ほんとうに悪そうな顔をしているな。ハハ、わかり易くて良いことだ」
「なんだテメエ!」
 怒声を駆って打ちかかる槍を鉄塊剣『ヘルヴェテ』で打ち返すと、奏真・一十(無風徒行・e03433)は朗らかな笑みを貼りつけたまま指を鳴らした。ボクスドラゴン『サキミ』は威嚇するように体を膨らませながら、ラバルの視界を塞ぐように飛びだした。
「くそが!」
 羽虫でも払うように腕を振るいサキミを打ち払う。しかし突如明らかになった眼前に既に敵の姿はない。
「暴れたいなら相手してやるぜ、お前が動けなくなるまで俺達ケルベロスがな!」
 声は空から降ってきた。咄嗟に顔をあげたラバルの顔面をラルバ・ライフェン(太陽のカケラ・e36610)の拳が打ち抜く。
「おぉらよ!」
 踏み込んでもう一撃腹に叩きこむと、ラバルの体がくの字に折れた。すかさず一之瀬・瑛華(ガンスリンガーレディ・e12053)の放った気咬弾が炸裂すれば巨体は吹き飛び、頭から屋台に突っ込んだ。
「今宵は君にとってたのしい夜にはならないだろうなぁ」大の字になったラバルに一十が告げる。と、
「ざけんじゃねえぞお!」
 獰猛に咆え散らかして、巨漢はすっくと立ちあがる。
「あら、元気な方ですね」
「そーこなくっちゃだな。弱いものイジメの口だけじゃないとこ、見せてみろよ」
「言いやがったな小僧ぉ!」
 耳をつんざく怒号に咄嗟瑛華は跳び退いた。槍の穂先が僅かに体にかすめる、壁に背が叩きつけられて一瞬息が詰まった。同じように吹き飛ばされたラルバは口中の血を吐きだして呟く「すげぇ馬鹿力だな」
「単純なぶん馬力がある……まるで暴れ馬ですね」
 瑛華は素直に頷いた。なんとなし誰かさんのヴァンキッシュを思い出したが、いつまでも話しに興じている暇はない。
「みんなの笑顔は奪わせねえ!絶対にな」
 ラルバは唇を舐めて、グラビティを練り上げる。どこまでも強固に、堅牢に。それは霊獣と称される玄武の甲羅さながらに形をなして戦う者達に加護をもたらした。
「さぁ、いこうか」
 再び駆けだした三人を視線の先に納めながら、セナ・グランディオーソ(いつかどこかの・e84733)はゆっくりとグラビティを制御し、矛を交える者達へオウガ粒子を降らせた。これが少しでも立ち上がる力になれば……、
「まぁ、我の力ではたかが知れているがな!」
 明るく言い張ってはみたものの、状況に笑い声がひきつる。だがビハインド『ルーナ』はそんなセナの肩に手を添えて静かに微笑みかけた。
「うむ、そうだなルーナ。無才であっても我もケルベロスだ、それにひとりではないしな!」
 ルーナがこくりと頷いた、その時だった。
「まずいっ!」
 誰かの叫び声がし、セナの視線の先を一筋の白い光が駆けていったのは。


「落ち着いて避難してね。デウスエクスは私達が必ず倒してみせるから!」
 戦闘が始まってすぐに避難誘導を開始したエリザベス・ナイツ(焔姫・e45135)は声を張り上げながらも密かに汗を流していた。
 道は細く、人の流れは停滞しがちだ。そのうえ戦場にいる緊迫感がいつ惨事を起こすかわからない状態では気の休まりようなどなかった。
「大丈夫よっ、絶対に上手くいくから。だから落ち着いて」
 投げかけた声は自分に届けようとしている気すらした。と、
「問題ないか?」
 後ろからかかった。首をひねれば、ハル・エーヴィヒカイト(閃花の剣精・e11231)が諸手を組んで立っている。
「ハルさん……避難は――」
「終わった。どうもこちらは人が多いようだな……手伝おう」
 二人は声をかけ、時に身振り手振りを交えて避難をすすめてゆく。そんな中ぽつり、ハルが呟いた。
「エリザ、時に感情は力になるが心乱れれば刃は曇る」
 胸中の不安を言い当てられたような気がして、エリザベスはハッとした。
「だから感情は全て鋼に込める。『心頭滅却』心は不動にして刃に乗せた感情を解き放つ……と、そこまでいかなくてもいいが心を乱すことだけは禁物だ」
「……うん、ありがとうハルさん!」
 何故だかひどく安心してしまって、エリザベスは子供のような笑顔を浮かべた。ハルは強いて感情を殺せと言わなかった己の判断は正しいと確信した。……この笑顔が見られなくなってしまっては、困る。
「お二人とも順調のようですね」
 小さく呟きながらレフィナード・ルナティーク(黒翼・e39365)が路地に降り立った。この細い路地では長身かつ精悍である偉丈夫が仇となっているようで、窮屈そうに体を斜にしている。
「こちらは無事完了です。それと、ご老人や子供はひとまず先までお送りしましたので、問題ないと思われます。私が訪ねた時点ではあかりさんも問題ないようでしたが……」
 と語りながら新条・あかり(点灯夫・e04291)のいる方向へ顔を突き出したレフィナードの目に、飛来する一本の槍が映った。
「――まずいっ!」
 叫ぶやいなやレフィナードは地獄化した翼をはためかせた。翼は一瞬で主を風にのせて路地を滑るように滑空する。しかし――、
「くっ、これは……」
 屋台の枠組みや屋根、旗や幟に綱渡りの綱よろしく頭上を飾る電球など、十全に飛行できるスペースは限られている。度々バランスを崩しながらも進み、レフィナードは必死に手を伸ばした。だが――届かない。
 飛来した槍が突き刺さる。押し寄せた衝撃に転げまわりながらも赤髪の少女は、胸に抱いた少年に訥々と語りかけた。
「もう大丈夫、ケルベロスが来たから。落ち着いて、でも出来る限り急いでこの場から退避してね」
 あかりは少年を見送り、自分の肩に突き立った槍を迷いなく引き抜いた。僅かに呻き声がもれて、白衣を血が濡らした。駆け寄ったレフィナードは何も語らず、ゆっくりと傷口にグラビティを注いだ。
 きっとこの少女は己の命よりも大切な何かの為に行動したのだろう、それはどこか自分と重なる所がある。
「ありがとう、レフィナードさん」
 あかりは小さく告げて立ち上がった。多少、おぼつかない足取りだが瞳はしっかりと前を見据えている。
「少しだけ、力を貸してね」
 白衣から取り出した薬草やハーブに語り掛けて、それらをひと掴み投げた。それは意思を持ったように渦巻き、やがて何処かへ風とともに消える。
 布石は打った。あとはラバルを追い詰めるだけだ。


「狙いは違ったが大当たりだぜぃ」
 得意げに投擲した槍を引き寄せるラバルを見て、カッと頭に血がのぼった。
「おまえぇ!」
 切り結ぶ一十の頭上を飛び越し、ラルバは鎌のように足をもたげ一息に振り抜いた。鋭利な刃物さながら蹴撃は空気を切り裂き、敵の頭を跳ね上げる。
「もらった!」
 一十も流れるように大剣を薙いだ。刃が甲冑に傷を残す。大剣の慣性に逆らうことなく体ごと一回転させて、がら空きの腹に蹴りを叩きこむ。
 ラルバは敵の後方に回り込み更なる攻撃を仕掛けようとして、
「良い蹴りだったぜ、ガキ共ぉぉぉ!」
 稲妻のように素早い一撃に刺し抜かれた。
「――ぐっ。褒められても嬉しくねえよ、暇潰しに暴力振るうヤツとなんざにな! 何よりその名前、紛らわしいっつの!」
「そうかよ、素直じゃねえクソガキが!」
 ごうっ、風が悲鳴をあげた。同時に恐ろしいほどの衝撃が体を襲い、脚が地を離れる。よしんば空間が十分に拓けていれば大した脅威でなくとも、今はただ力任せに振り回される一撃が厄介である。
 さて、どうしようか……いっそこちらも力比べといこうかな?
 疼く炎を一十が解き放とうとした次の瞬間である。頭上から燦然と光線が降り注いだ。
 瑛華はつい、あっと声をあげてしまった。隙をついた攻撃は体勢を立て直すには十分な時間が稼げたものの、射撃はお世辞にも精確とはいえない。
 見るにラバルも呆れたように口を開けて空を仰いでいた。なにせ幾条も降り注ぐ光線の一つすら立ち止まった敵に命中しないのだ。これでは下手に動かない方が得策と誰もが思うだろう。だが――中空に跳ぶセナの顔は自信に満ちていた。
「はーっはっは! 我の攻撃が当たるわけなかろう」
 ぬっと、声に応じてラバルの影が隆起した。影は音も気配もなく女の姿をつくる。ハッとして振り向いた時には、ラバルの眼前に三日月の刃が迫っていた。
「おおおっ!?」
「どうだ! 我は無力だが我が従者は優秀だぞ!!」
 振りかぶられた鎌が星霊甲冑を切り裂くと、ルーナはすぐさま闇に溶けた。
 あれが狙ったフェイクなら大したものですね……。瑛華が思った一瞬の後、別方から熱弾が飛来し、ラバルに炸裂した。途端、熱い風と衝撃波が吹きつけた。正真正銘、狙い澄ました一撃だ。
「こんどはなんだぁ!?」
 ラバルの声音に動揺がにじむ。敵が黒煙を振り払うなか、ハルは壁を蹴って刃を振るった。しかし急所を狙った一撃は予想に反して弾き返される。どうにも勘がいい。
「ふむ……教えるには丁度良い相手だ」
「舐めてんのかテメェ!」
「いや、侮っているわけではない」
 干戈を交えれば個体が戦いに熟達していることはよくわかった。戦場が敵にとって利点となっていることも。だが――、
「ならばこちらも利用させて頂きましょうか」
 レフィナードがハルの心を読んだかのように呟いた。今まで戦っていた者達を押しのけるように前へ進み出て、ラバルの間合いに入り込む。
 レフィナードは小さく腕を畳んで拳を打ちだした。いわゆる牽制の攻撃で、拳が鼻っ面を捉えるたび小さなうめき声があがった。狭い足場を駆使してハルもどうにか攻撃を続けるが、こちらも牽制の意味合いが多分にあった。そもそも中空にあっては敵の攻撃を避けることも難しいので容易には手を出すことができない。だがラバルの癇癪を煽るには都合が良かった。
「ざけんじゃねええええ!!」
 ラバルは大きく踏み込んで槍を上段から振り下ろした。唸りをあげて槍の柄がレフィナードの背を打つ。たたらを踏めば、ここぞとばかり攻め立てた。
「オラオラオラァ、さっきまでの威勢はどうしたよ!」
 だがレフィナードはあくまで冷静に、口角をあげてみせた。
「私が追い詰められているように見えるのなら、どうもあなたは目もおかしいらしいですね。墓標に向かっているのはあなたですよ」
「クソがああ、逃げ場はねえぞぉ!」
 一際大きく振り薙いだ一撃が近くの屋台を粉砕し、レフィナードを吹き飛ばす。額から流れる血を拭って、レフィナードはぞっとする声音をあげた。
「逃げ場? まだ見えないのですか、あなたに捧げられた十字架が」
「ああ、逃げられないのは貴様だ!」
 全く予期せぬ方向から声が届いて、ラバルは周囲を見回した。四方に道が拓ける十字路の中心にいつしかラバルは誘い込まれていた。
 ステレスリーフの迷彩が剥がれ落ち、突如としてセナの姿が浮かび上がる。傍らには弓を構えた従者の姿があった。
「息つく暇もないほどの矢の嵐、今こそ見せてやろう! 我が従者がな!!」
 セナが腕を振り払うと空を覆うような矢の雨が降り注いだ。咄嗟、逃げようと足を浮かせるも、地獄の炎を撒き散らしながら迫る影がそれを妨げた。
「きみには一緒に、この旅路を往ってもらうよ!」
 踵から地獄の炎を噴射し、一十はラバルを盾にする形で矢の雨のなかへ飛び込んだ。逃げ場のない嵐のなか微笑を浮かべたまま突き進んでいく。
「がぶっ! てめえ正気じゃねえぞ!」
「ははっ、正気か。それ、どこにいってしまったんだろうなぁ」
 血を吐くラバルに剣呑な様で返すと、一十は急に体を入れ替えて大剣を振りかざした。
「これは旅のおみやげだよっ」
 中空から一撃を叩きこむと、ラバルは再び十字路の中央へうち戻される。
「おかえりなさい」
 鈴を転がすような女の声に反応したラバルはすぐさま槍を構えたが、瑛華はそれを待っていたかのようにゆったりと構えた。
「少しばかり、遊んでください。こちらは穂先がついていませんが……まぁ、問題ないでしょう」
 瑛華は腕を引くと同時、如意棒を振り上げた。途端、吸い込まれるようにラバルが間合いに入ってきて顎が跳ね上がる。互いの腕をグラビティの鎖で繋げたまま瑛華は敵を『決死戦』に引きずりこんでいた。
「このアマあ」
 単調に槍を振り下ろすラバルだったが、瑛華が強く腕を上げれば鎖に阻まれて矛が止まる。その隙、如意棒の先端が胸を穿ち、膝ががっくりと落ちる。
「……なら、これでどうだ!」
 閃いて鎖を力一杯に引けば、それはあっさりとほどけて、ラバルは無様に尻もちをついた。くすりくすり、瑛華の忍び笑いが頭上から降ってくる。
「あなたの胸に引き寄せられるのは遠慮しておきます……恨まないでくださいね、女心と秋の空と言いますし」
「っぁざけやがってえええ!!」
 即座に立ち上がり追いすがるラバルだったが、瑛華の姿は木の葉に隠され幻のように消えてしまう。
「フラれた相手をつけまわすの、かっこわるいよ」
 あかりが呟くと、ラルバがからからと笑った。
「ああ、ダッセーの」
「黙りやがれっ!」
 あかりは唸りをあげて迫る槍から器用に身をかわした。この小さな番犬にとって路地は窮屈な籠のなかではない。屋台の柱を蹴り、旗を掴んで跳ね、時に滑り込むように敵の股下をぬける。
 意識があかりに向いている間、ラルバは地に足をつけて十分な力で攻撃を繰り出すことができた。
 が、不意にあかりの膝が折れた。肩から血が滲みだして痛苦の声がもれる。少し無理をしすぎたかな? 後悔の念も虚しく、醜く相貌を歪めたラバルは一直線にあかりに駆け寄った。
 その時、刺すような殺気がラバルに突きつけられた。暗いビルのジャングルをブッシュにして潜む黒豹の殺気。なぜだろう、あかりにとっては恐ろしいだけではない、どこか心地よさも感じてしまう気配。
 首筋に牙を突きつけられた捕食者のごとく、ラバルはほんの一瞬、怖気づいてしまった。動きの止まったその一瞬の間隙にレフィナードは滑り込み、
「屋台の出し物にしてはいささか不釣り合いですね。営業妨害にはご退場願いましょう」
 車輪のついた小ぶりな屋台を力一杯に蹴りだした。屋台は跳ね上がりラバルを巻き込んで横転する。
 すかさずエリザベスは駆けだした。
 心乱すことなく……。幾度となく呟きながらエリザベスは大剣を握りしめた。白い髪を振り乱し紅刃を振るうハルの背を補うように大剣を振るう。大剣が槍を弾き返せば、紅刃は生き生きと鋭さを増す。
 その呼吸、瞳の動き、しなやかな四肢の行き着く先、全てを余す事なく洞察せんとエリザベスは刃の舞に加わった。大剣が唸りをあげて敵が退けば紅刃が瞬時に肉を切り裂く。手負いの獣が白髪鬼に気をとられれば大剣が横っ面を打ち砕く。
 一つの意思を以て一対の刃が剣戟の嵐を生み出す。戦いの中で彼の剣を学ぶのは、まるで彼の者を知るかのごとく。その刃の流れる様はどこまでも快く、エリザベスは不意に笑みを漏らしていた。
 きっと不謹慎だ。でもしょうがない。楽しい――この一瞬が、剣を交わらせて語らい合う時が、どうしようもなく嬉しくてたまらない。
 私もいつか、ああやって戦えるように――。
 大きな背中を熱く見つめて、エリザベスはぐっと腰を落として踏み込んだ。振り落ちてくるラバルの矛先に飛び込むように、それはまるきり自殺行為に見えたが、蓋を開ければ拍子抜けなほど計算された行動であった。
「エリザ、いくぞ――」
「目の醒めるような……一撃っ!!」
 ハルが切っ先を跳ね上げて槍の穂を払うと、二人は十字を描くように剣を振り抜いた。
「ハルさん、ありがとう。私ね、なんだかね、すっごく舞い上がっちゃってっ」
 エリザベスが頬を上気させて満面をほころばせた。
 この善意の笑顔相対する術を私は持っていないのだろうな。浅ましいとすら思える自分の打算では……。黒に染まる髪、輝きをうしない失せる刃にそんな気持ちをしまいこんで、ハルは困ったように笑い返した。


「たまたま飲みにきたら騒ぎを聞きつけてね。……何かあったみたいだな」
 少しも酒の匂いのしない恋人は、そんなふうに声をかけてきた。うねうねと揺れる尻尾を隠しきれておらず、あかりはくすりとしてしまう。黒豹が差しだした手をそっと握りしめた。
「頑張ったご褒美だ、何かうまいものでもご馳走しよう」
「うん。飲みなおすには、ちょうど良い気候だもんね」
 じゃれついてくる猫に顔をすり寄せてあかりは小さく呟いた。ありがとね、タマちゃん。迂遠な言葉の方がこの人には、きっと伝わるはずだから。


「ルーナ。我は……」
 セナは肩を震わせてラバルの亡骸の前に立っていた。多感な時期の少年である、感じ入るところもあるのだろう。ルーナはそっと肩に手を置いて心の中で呟いた。
 この者は黄泉の道を歩くでしょう、刻み込まれた血の十字架を抱えて……。セナ様、死というものは――「見ろルーナ! あの射的を、我はあれが欲しいぞ、あれが!」
 どうも視線は全く違う方向を見ていたらしい。となると、これからどんなグラビティよりも得意なお小遣い催促口撃が繰り出されるのであろう……。
 まぁ、感傷に浸るのはらしくないものね。ルーナは小さく微笑んで、優しげな表情とは裏腹、口撃に備えて財布の口をしっかと閉じた。

作者:東公彦 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年5月11日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 1/感動した 0/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 4
 あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
 シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。