多岐亡羊

作者:東公彦

 その女を視止めた瞬間、村崎・優(黄昏色の妖刀使い・e61387)の時間は止まった。そして、神の庭にあって死者を視るのは当然だろうか、とおかしな疑問が頭に浮かんだ。
 蝉の騒ぎも失せた境内において聞こえるのは一つの足音だけ。見えるのは一つの顔だけ。優は耳を澄ました。たとえ幻であっても、その優しい声が聞こえることを願って。
「わからない……わからない……わから――」
 女は虚ろな目をして言った。そこには優の知る面影など欠片もない。女はなおも呟く。わからない、わからない。
「……姉さん?」
「私は、私はどうしてあなたと戦わなくてはならないのかしら?」
 常軌を逸した女の言動、虚ろな表情。それは優の記憶にある姉では、村崎弥生ではなかった。魂の抜けた木偶人形が弥生という女の形を成しているに過ぎない。優にはそうとしか思えなかった。
「私はあの日、殺されたはずなのに」
 言葉を耳にして優の腹の底で激しい憎悪が燃え上がった。まるで炎に包まれたあの日の記憶が甦ったかのように。
 二人の邂逅は白刃の輝きで幕をあけた。


「鳥居は現世と幽世の狭間なんていうけど、本当にこんな事が起きるなんてね」
 正太郎が言った。集まったケルベロスは顔を俯かせる。
「優さんは敵のことを『姉さん』と呼んでいたけど……。本当のところがどうなのか、聞いてみるしかないね。なんだかさ、死神ってデウスエクスのやりかたは嫌な感じだよ」
 姉に似た敵と戦うだけであっても、少なくとも動揺は生まれえるだろうに。これが本当に彼の姉であったなら……。心情を察するにやりきれなくなって、正太郎は苦笑でごまかす。
「なんて、言っててもはじまらないよね。えっと、状況は……」
 正太郎は書類をめくった。
「今回、戦場になるのは小さな神社の境内だよ。本殿に手水舎と鳥居、一対の狛犬くらいでどちらかといえばもの寂しいくらいかな。少し狭いかもしれないけど戦闘するのに邪魔なものはないから特に気をつかって戦う必要はないと思うんだ。建物のことを考えすぎて誰かが犠牲になるのは本末転倒だもんね」
 神社の敷地、その図面を広げて正太郎はいくつかの箇所に指を差した。ケルベロスは頷きながら、それぞれに留意する点を頭に入れ込む。
「敵は脇差なしの一刀流で戦うみたい。太刀筋は優さんのものに似ているのかもしれないけど、二刀でないぶん力と速さには一日の長がありそうだね。基本的には刀をつかって攻撃してくるようだけど間合いに入っていないからって油断は駄目だよ、飛び道具もあるみたいだから」
 説明を終えた正太郎はずんぐりとした体を丸めて剥きだしのパイプに腰をかけた。ヘリポートに吹く風は、この時期はひどく冷たい。
「宿縁っていうのは待ってはくれないね。突然に現れて、心を散々にかき乱していく……。優さんにとって、この邂逅が悲劇でないことを祈るよ」


参加者
玉榮・陣内(双頭の豹・e05753)
空国・モカ(街を吹き抜ける風・e07709)
ミリム・ウィアテスト(リベレーショントルーパー・e07815)
イッパイアッテナ・ルドルフ(ドワーフの鎧装騎兵・e10770)
村崎・優(黄昏色の妖刀使い・e61387)
ディッセンバー・クレイ(余生満喫中の戦闘執事・e66436)
ブレア・ルナメール(魔術師見習い・e67443)
ケル・カブラ(グレガリボ・e68623)

■リプレイ

 言い知れぬ不安に胸がざわつく。村崎・優(黄昏色の妖刀使い・e61387)は目の前の女に心底から憎悪の念を抱くことは出来なかった。
 全く最悪の再会だ。
 『暗牙』が『織心』が神の庭で獰猛に唸りをあげる。黒白一対の刃が空を切った途端、驚くほどの速度で切っ先が眼前に迫る。寸でのところで身をかわし、優は毒づいた。
「ムッカつく。まさに姉さんの太刀筋そのものだ」
 一見して捉えどころのない剣技のくせ、攻撃に出るや疾風怒涛に打ち込んでくる。あの頃の、生きていた頃の姉さんの剣……。
「でもさ、僕だって昔と同じじゃない!」
 優は決意の眦で弥生を見た。刃を擦り合わせるたび紫電の呪詛が弾けては質量を増して刀身に纏わりつく。
 あの日、姉さんは確かに僕の目の前で死んだ。姉さんや村のみんなの仇を討つために僕は今まで戦い続けてきた。どんなに辛い戦いであっても。
 呪詛をこめた一撃は重く鋭い。暗牙を振り下ろし、体を回転させて織心を横薙ぎに。踏み出して下段から袈裟懸けにし、休む間を与えずに切っ先を突きだす。
 防ぐことあたわず、弥生は大きくのけぞって後ずさった。再び視線を戻せば、そこに優はいない。
 中空にあって双刀を振りかぶる彼は一気に急降下して姉の抜け殻に刃を叩きつけた。渾身の膂力に加え呪詛の雷撃が襲いくる。咄嗟に差し込んだ刀はへし折れたが、弥生が新たな獲物を手に入れるには僅かな時間だけあればよかった。鳩尾に拳を突き立てて優を蹴り飛ばすと、彼の手中にあった刀を奪い取って弥生は構える。やはり自分の刀は――暗牙は手に馴染む。
「なにか、わかりそうな気が……するわ」
 弥生の声を掻き消すように雷鳴が轟く。
「これは、呪詛なのか!?」
 疑問に答えるように黒い雷は中空から降り注いだ。咄嗟、地面を転がり難を逃れた優だったが、雷には指向性などなく所かまわず落ちてくる。予期しえぬ雷撃に弥生の剣戟。
「マズイな……」
 状況は一転してしまった。
 攻撃の糸口を見つけられず駆けずり回る優であったが、何の前触れもなく頭上の黒雷が打ち払われる。揺れる銀糸、決意を秘めた碧眼が優を見つめた。
「村崎さん、助太刀にきました」
「ウィアテストさん……」
 長剣を構えたミリム・ウィアテスト(リベレーショントルーパー・e07815)を敵と見なした弥生は走りぬけ腰だめに刀を払った。
 しかし切っ先すら彼女を掠めることはない。闘気を纏ったイッパイアッテナ・ルドルフ(ドワーフの鎧装騎兵・e10770)は多少の手傷を負ってでも味方を守る盾となる。
「優さん、こんなふうに考えることも出来ます。これは、あなたの成長を見せてあげられるまたとない機会だと」
「……邪魔」
 この小兵ながらも強靭な戦士を断ち切らんと、弥生は再び暗牙を振りかぶろうとして――何故かしら刀はぴくりとも動かない。
「お初にお目にかかります、村崎弥生様でよろしいでしょうか?」
 平素と変わらぬ口調を通して執事は尋ねた。彼の握る槍の返しが刀の鍔にがっちり食い込み、その動きを封じている。
「ああ、申し遅れました。私はただのお節介な執事でございます」
 にこりとしたまま、ディッセンバー・クレイ(余生満喫中の戦闘執事・e66436)は体を回転させて刀ごと弥生を放り投げた。咄嗟、力に逆らわず宙返りをきめて着地した弥生に立て続け黒鎖が襲いかかる。
 鎖は意思をもつ生物のように様々な軌道をえがいて四方から迫りくる。仲間が危機の最中にあって密かにこれを張り巡らせていたのだからブレア・ルナメール(魔術師見習い・e67443)は年や見た目に似合わず智謀家といえるだろう。
 弥生が素早く刃を返して鎖を切り落としても彼の顔に焦りはない。次手はもう仕込んである。
「ほんとうは感動の再会ムードで大歓迎したいんデスけどネー」
 張り巡らされた黒鎖のうえをケル・カブラ(グレガリボ・e68623)が走り抜ける。軽業師よろしく飛び跳ねると落下際に踵を振り落とした。立て続け拳を打ち込み脚払いをしかけて弥生の足止めにかかる。
 それでも足りない手数は玉榮・陣内(双頭の豹・e05753)とウイングキャット『猫』が補った。さもあればくじけてしまいそうな心をコートに包み黒夜を帯びた冷たい刀身にのせて、陣内は淡々と剣を振るった。
 集中しろ、あれは敵――死神だ。
 目を丸く、唖然としていた優は「立てるかな? 優さん」空国・モカ(街を吹き抜ける風・e07709)に手を貸されて引き起こされた。モカは夜叉のごとく凶刃を振るう弥生を見て、その瞳に憂いの色をたたえた。
「死してなお安らぎを得られる事無く死神に利用される……不憫でならないな。その操り糸、断ち切ってやろう」
 オウガ粒子の銀鱗舞うなかでモカが微笑を浮かべた。孤独であると思っていた戦いに思いもよらぬ支えを受けて優は立ち上がり、再び心に刻み込んだ。
 斃せ、斃すんだ。あれを。


 空が雄叫びをあげるたびボクスドラゴン『クロック』やミミック『相箱のザラキ』は雷撃を受け止めた。その全てを防ぐには至らないが、弥生と直接矛を交えるケルベロスにとっては予測のしようもないのだから、番犬達は幾分も動きやすかった。
 加えて、弥生の刀の冴えは暗牙を握ってからというものいや増す一方であった。それこそが本来の実力と言わんばかりに。
 モカは仲間の動きを効率よく繋ぐべく俯瞰的に戦場を捉えようと努めていた。故に敵の挙動がよく理解できたものの、全く弥生という個人の強さはそら恐ろしいものがあった。
 血染めの包帯を血槍のように手繰ってケルが突きだす。更に後方からは『セブンアームズ』の頭をもたげさせ斧頭に変えたディッセンバーが走りきていた。弥生はそれらの対処を冷静に行う。
 まず正面に刃を向けておいて瞬時後方へ体を回す。大身の斧を振るうべく体をひねっていたディッセンバーの胸へと飛び込むようにひじ打ちを出して、返す刃で正面より迫るケルを薙ぎ切った。
 迫る陣内の剣を足をさばいてかわすと彼の背にもたれ、突っ込んできた優と干戈を交える。
 剣先で小さく輪を描き織心を跳ね上げ、柄で陣内の背を打ち、引いた刀をそのまま優のがら空きの胸へ、目にも止まらぬ速さで突きだした。
 ずぶり。切っ先は優の盾となったイッパイアッテナの肩に喰らいついた。抜いた暗牙を流れるように上段へ。薄く微笑む弥生、その瞬間、彼女の側頭を疾風の勢いでモカが蹴り飛ばした。地面を弾んで転がる弥生、だが同時に雷鳴が轟き黒雷が幾条も降り落ちた。
「警告、警告」テレビウム『イエロ』が忙しなく駆け回ると「みなさん下がってください! 援護します」
 ブレアが叫びやり、魔方陣から幾多もの黒影弾を撃ちだす。それらは的確に弥生へ押し寄せ、態勢を立て直す時間を稼いだ。効果のほどは期待できるものではなかったにせよ、貴重な攻勢である。
「いたた……もー、雷も刀も面倒デスネ」
「凄腕というやつだね」
 手傷を負った仲間達を守護方陣の中におさめてモカが呟いた。よくよく観察するほど、背筋が寒くなるような腕だ。
「でも、私達が諦めるわけにはいきません」
 ミリムが口調を強くして言った。
 全ての傷を癒すことは出来ない、体は勿論、心の傷を塞ぐのは更に難しい。幾度かの激突において明らかにケルベロス達は憔悴していた。無論、敵よりも。
 黒雷に打たれ震える膝を叱りつけるように叩いて、ミリムは眦をあげた。慣れればこれくらい耐えてみせる……!
「そうですね、ミリムさん。諦めません。道を作るのは私の得意分野ですし」
 ミリムの言葉にイッパイアッテナが頷いた。優さんに何かを掴んで欲しい。怒りと復讐の心休まることのない道を行くのなら、せめて、供とできる何かを。
「村崎様へのご恩返しは長期で計画を立てていたのですが……まぁ、これはこれ、それはそれという事で。私も全力を尽くして貴方のお手伝いをさせて頂きます」
 背筋を伸ばして綺麗に腰をおるディッセンバー。ケルは手を後頭部に回して空を仰いだ。「いい具合に落ち着くようにやるしかないデスネー。まっ、これだけのケルベロスがいればなんとかなりマスヨ」緊張感に欠ける仕草も、どこか心強い。
「村崎さん」
 集中を切らすことなく黒影弾を撃ち続けながらブレアが横顔を優に向けた。
「止めたりはしません。心のままに戦ってください。それでどんな事態になっても僕はあなたを責めません」
 優はゆっくりと息を吸って大きく吐き出した。頼りになる仲間達が自分の言葉を待っている、死地に飛び込む覚悟を決める一言を。
「みんな、頼む」
 優が声にすると一同は体を奮い起こした。中でも今回の戦いにおいて援護に回っていたモカはいち早く弥生のもとへ飛び込んだ。しなやかに四肢を躍らせて肉弾をしかけ、僅かでも弥生の隙を作りだそうと捨て身の攻撃を繰り出す。
「――っ空国さん!」
 優が叫び声をあげた。熾烈な攻防によって血にまみれていても、モカは至って平静に返す。
「優さん。貴方が本当に戦うべき相手はお姉さんを操っている者だ」しかし傷を負いながらもモカの掌底は弥生の胸を確実に捉えた。
「それを見誤ってはいけない」
 胸を突き抜けた衝撃に弥生はたたらを踏む。すると、
「こういうの、あまり慣れていないんですけどね」
 弥生の後方でブレアが影のように立ち上がった。
 ナイフを振りかぶるも、その動作は緩慢にすぎた。体を傾けたまま無理矢理に弥生は刀を振るって、彼の手からナイフを弾き飛ばす。返す刃でブレアは唐竹割りになると思われたが――やはりというべきだろうか凶刃を阻むものは小さな守護者であった。
「守り切ります。絶対に!」
 両腕を頭上で組んで一撃に拮抗してみせたイッパイアッテナは、そのまま一歩踏み込むと大振りに拳を振るった。無論、簡単に見切られてしまう性質のものだが兎に角、弥生はその攻撃を避けるために万全でない体勢のまま更に足を動かさねばならなかった。
 即座に優が襲いくる。彼は姿勢を低くして掬い上げるように刀を突きあげた。刃は惜しくらむも弥生の首皮一枚のところを通り過ぎる。髪を結んでいた白紐がとけて黒髪が風にあおられて広がる。
 優はもう一歩間合いに踏み込んで白刃を叩きつけた。弥生は器用に刀を動かし、力を流しつつ飛びずさった。自らが檻に入ったとも知らずに。
「ようこそ、おいでくださいました」
 弥生の影が他のそれと重なると影は途端に膨張して地面に広がった。実体なき影は尋常のものではない。ディッセンバーの足元から彼女に繋がった影は、境内に刻まれた戦いの事象を疑似的に再現する。雷撃が地面から天へ降り落ち、鋭い刃が地中から切っ先をもたげ、黒鎖がうねり飛び交い、槍斧が至る所から突き出る。
「この境内は既に私の領域です。逃がしません」
 彼自身は一歩たりとも動かずに、しかし確実に敵を追いこんでゆく。ガジェット『深淵の納骨庫』の巨大な口は遂に開いたのである。
「囮になった甲斐がありました」
 ブレアがほっと息を吐いた。そして事なさげに、過去の事象ではない正真正銘の黒鎖を伸ばして弥生を打ちつけた。
 こうなると弥生は防戦に回るほかない。そこで頼りにするものといえば――。
「雷撃ですよね。そう何度も当たりません!」
 ミリムの長剣が輝く星々を光の行路で繋ぎだし中空に幾つもの星座を描きだした。星の加護は楕円の形状でケルベロス達の頭上を覆った。
 黒雷が星の天蓋に阻まれて散る。口をあけた闇のなかを黒豹は潜行した。
「憎む権利か」
 人殺しのライセンス、疑問符のつくその権利。だが優の立場に立ってみれば、きっとそれはあるのだろう。彼女は俺が殺した。俺も殺されて当然だ、と。
 弥生と切り結ぶも殊剣にかけては分が悪い。しかし番犬達は手をこまねいているばかりではない。陣内の肩を台にして跳び、血槍で弥生の剣を弾いたケルは着地際に腰をふるって弥生の腹に拳を突き立てた。
「憎む権利、にくむけんりー。ありマスネ! 権利ぐらいはネ」
 ケルはここぞとばかり、礫のような拳を続けざま落とす。息をつかせぬ連打に弥生は苦し紛れ刃を横薙ぎにしたが、ケルは優勢に固執せずさっと身を翻していた。
 いま弥生に射抜くような視線を向けているのはただ一人、村崎優のみである。
 彼は諸手で刀を握る。昔に習った基本の型。幾度も繰り返してきた日々の結晶。
 織心と暗牙が一際強く打ちあった。同じ型から繰り出された剣戟、ぶつかり合った双刀は宙を舞って地面に突き刺さった。皮肉にも互いの獲物が入れ替わる形で。
 咄嗟。優は暗牙を、弥生は織心を手にして振りかぶる。相剋相打つ、まさにその時。
「ダメよ」
 眼前を覆った碧の羽々、耳朶へ囁くような声に弥生は足を止めた。
 織心が淡く光りを放った。常に優と共にあって彼の心を宿している刀身、その光を感じて弥生は何故かしらん理解した。ダメ、彼を――優を斬ってはダメだ。
 しかして、暗牙は以前の主の体を喜悦のままにむさぼった。柔らかな乳房を引き裂き、白い肌を汚して、胎の傷痕を抉り返しては滴る血を啜る。
 弥生と同じく天使の声に身を竦ませていた陣内は目の前の光景に酷い近視感を覚えていた。翼を血に染める姉、死神と月の灯。そして彼女の二度目の死。咎人の記憶は背の傷痕、拭えぬ罪悪感と共に否応なく呼び起こされる。
「優、考えなくていいの。何も思い出してはいけないわ」
 弥生が慈愛をもって語り掛ける。しかし言葉は優の耳に入ることはなかった。織心が弥生の理性を引き戻したのと同じように、極上の呪詛を求めて暗牙は優に真実の過去を見せていた。
 焼き尽くされた故郷。突如訪れた別離。最悪の外敵。それでも立ち向かうしかなかった。目の前で誰かが死ぬのも、自分が死ぬのも怖かった。敵うわけなどなかったのに。そして僕は「――暴走した」この手で「姉さんを……殺した」
「う、嘘だ。そんな、そんな筈はない!」
 いいや、自分でもわかってたはずだろ?
「なら僕はどうしてあの子を殺したんだ。今までの僕の怒りは憎しみは……」
 つまり、お前は最高の道化師ってことさ村崎優。なにせ友と呼んだ少女の心を潰したうえ――。
 弥生の目から光りが消えた。優の頬を撫でようと伸ばした手がだらりと垂れる。その真実を目の当たりにした彼に暗牙が囁いた。
 二度も姉を殺したんだからな!
「黙れ……黙れえええ!!」
 優が叫ぶ。右眼から紫炎が噴きだし、暗牙の呪詛とまじりあって彼の体を炎で包んだ。
「これは……暴走!? ダメです、村崎さん。落ち着いて!」
 ミリムは暴走を抑えるべくありったけの力を込めて復讐の炎に対抗した。指先で描き出すは尊き命の紋章。光は燃え盛る紫炎を消し去るが、炎は止めどなく溢れだす。
「っ――抑え、られない……!」
「村崎様、貴方が見るべきは過去ではありません。未来のはずです。以前に貴方からいただいた光を、未来への希望をお返しします!」
 ディッセンバーのたぐる闇が紫炎を呑みこんでゆく。ケルは業火のなかに身を投げて血槍を振り回した。
「馬鹿野郎、死に際に恨むくらいなら命を賭けたりしねえさ。でも庇った。そんなやつがおまえを憎むはずがねえだろ!」
 紫炎にまかれつつも、彼は槍を旋回させて炎を散らす。そこへ一つの旋風が加わり、紫炎に対抗する風の流れが作られた。モカが旋風の中央にあって声を張り上げた。
「人生の壁。私たちは貴方が乗り越えるのを手伝う事しかできない」
 勢いを弱めた紫炎、そこへ追い打ちをかけるように特大の黒影弾が破裂した。ブレアは加減せずに全力で魔術を打ち続ける。
「なぜでしょうね。こうなることを僕は心のどこかで感じ取っていた気がします……。だからでしょうか、こう思うんです。村崎さん。あなたはそちらに行ってはいけない人です。あなたも僕も生きてしまっている以上は、この世界にいなければいけない」
 番犬達は濁流のように止まらぬ紫炎を抑え込むべく全力を注いでいた。その中でイッパイアッテナは織心を弥生の手からそっと受け取り、茫然と立ち尽くす陣内に手渡した。
「これを任せました」
 弥生さん。どうか私に全てを討ち返す力を。心中で祈りをささげ、イッパイアッテナは紫炎のなかに割り入ってゆく。闘気を纏わせた腕を紫炎に突きさし炎の壁を強引に開いて、遂に僅かばかりの道を作った。
 そこに織心を伴って陣内が飛び込んだ。
「俺は……どうしても姉を斬れなかったよ」復讐の炎はどこまでも熱く体を舐める。だがあともう少しで優に届く。
「姉が死んだときもそうだ。真実から逃げた。自分の所為だ、俺が殺したってな。でもな、そうじゃなかった」
 そうだよね、姉さん。織心の刃を掴み、陣内はさらに歩を進めた。
「守った相手が達者にしていることに恨み言を吐く人間なんかいるものかよ! なぁ、優。命を賭けた甲斐があったと、あの世で胸を張らせてやれ」
 強い奴だろ……お前は逃げるな。織心の柄頭が優の額に当たった。それは弟をたしなめる姉が額を小突くように優しく、どこか厳しく。織心のなかにある全ての想いが優のなかに広がる。想いこそが復讐の炎に耳を塞がれ、目を閉ざされていた優の意識を揺り起こした。
 本当に強くなったのね、優。
「……姉、さん?」
 優が崩れ落ちる。その拍子に姉の手が頬に触れて、それがあまりにも心地よくて、優はただ子供のように眠りにおちた。

作者:東公彦 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2019年11月30日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 4/感動した 1/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 3
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