薔薇の垣根

作者:東公彦

 人は日々、否応なしに何かを選択しなければならない。決断と言い換えてもいい。大なり小なり、その決断をせずに人は生きてゆけない。
 安海・藤子(終端の夢・e36211)も決断を迫られていた。
「さぁ、お嬢様。帰りましょう。そのために私――従僕が参りました故に」
 お嬢様、口にする声が藤子にとって不快でならなかった。己の知らない己の事を他人に知られている感覚。それを掻き消すかのように藤子は体を左右に振り、敵の攻撃をかわす。
 敵は一人だが状況が良くない。まず闇夜での奇襲が効いた。元々灯が少ないうえに電灯まで壊されてはまるで盲目である。それに加えて厄介なのが敵の獲物だ。
 黒衣の男は時たま不意に現れては剣を振るう。無手のように見えても、そこには確かに不可視の刃が握られている。暗闇に黒衣、不可視まで相まってまったく間合いが読めない。藤子は獣じみた直感を頼りにして、どうにか防いでいるが、致命傷は時間の問題に感じられた。
 加え、ゆらゆらと宙を泳ぎ仄かに発光する魚。この魚自体に脅威はない。触れれば柔く跳ね返り再び宙を漂う、力ない存在だ。しかし闇に紛れる黒衣の男が指を鳴らした途端、魚は一斉に爆発した。
「――ちっ!」
 藤子は舌打ちをひとつ、爆風に揉まれながらも黒衣の男に肉迫する。
「ああ、舌打ちなど」
 男は藤子の拳を受け止めると、関節をきめに掛かる。だが、藤子も急所をとられぬよう足を動かし、逆に男の襟元を掴んだ。
「ぶっ飛びなぁ!」
 そのまま力任せに振り回し壁に叩きつける。ブロック塀が一撃で瓦解する。だが男は再び暗闇に消えてしまった。
「下品に過ぎます。お嬢様」
 この条件下、敵は完全防護、藤子は丸裸もいいところだった。
 さて、どうしようかねぇ。
 また一つ、藤子は選択をせねばならなかった。


「意図して作られた戦場に死神の襲撃……状況は最悪ですね。安海・藤子(終端の夢・e36211)さんが無事なうち、助けにいかなければなりません」
 セリカ・リュミエール(シャドウエルフのヘリオライダー・en0002)の声から容易に感じとれた。これは厳しい闘いになるだろう、と。
「戦闘場所は街はずれです。元々うす暗い通りなのですが、街灯やランプの類が徹底的に破壊され、辺りは暗闇に包まれています。付近に一般人がいないのが唯一の救いですね。この状況で避難を行なうなんて……あまり考えたくありませんから」
 一拍間を置いて、セリカは胸の焦燥感を吐きだすと手元の書類をめくった。そして再び滔々と話し出す。
「予知から察するに死神の攻撃方法は二つ。空中を遊泳し合図によって爆発する青白い魚。それと見えない剣です。魚は死神が手にする鳥籠の中から湧いているようですが詳しい原理は不明です。見えない剣は不可視故に間合いなどが掴みづらいようですね。武器含め戦場も視界が効きにくい。改めて『見えない』という事が如何に恐ろしいか、身にしみます」
 セリカは急にぞっとして自分の体を抱きしめた。戦場、敵、外的要因、まったく不利な状況である。
「この敵は藤子さんを連れ戻すことが狙い……。ですが、それはこの死神の考えなのでしょうか? この誂えられたような舞台を作ったのが、この死神ではなく他の何かなら。駄目ですね、縁起でもないことばかり考えてしまいます」
 厳しい闘いになるでしょうが、どうかご無事に。
 セリカは顔をあげてケルベロス達を見送った。


参加者
天崎・祇音(霹靂神・e00948)
戯・久遠(紫唐揚羽師団の胡散臭い白衣・e02253)
四辻・樒(黒の背反・e03880)
月篠・灯音(緋ノ宵・e04557)
安海・藤子(終端の夢・e36211)
アルシエル・レラジェ(無慈悲なる氷雪の白烏・e39784)
エリザベス・ナイツ(スターナイト・e45135)
村崎・優(黄昏色の妖刀使い・e61387)

■リプレイ

 暗闇から飛び出してきた賢木が不意に動きを止める。逡巡したが安海・藤子(終端の夢・e36211)は前進、槍の如く貫手を放った。
 指先が脇腹を抉る。僅かに遅れて賢木は飛び退き、地面には黒羽の矢が残る。それだけで藤子は思い至った。
 ああ、そうか――みんな来てくれたんだ。
「何者です?」
「そうさな……まっ、誘蛾灯ってとこだ」
 近づいてくる仄かな灯――戯・久遠(紫唐揚羽師団の胡散臭い白衣・e02253)が答えると月篠・灯音(緋ノ宵・e04557)が頬をふくらませ銀槍を振るった。
「むぅ、月ちゃんはキラッキラのお月様なのです!」
 同じように久遠も腕を振るうと、生みだされた間断なき雷壁が魚の進路を塞ぎ、周囲を照らしだす。僅かに賢木の姿が覗いた。
「藤姐ーっ。毎回誘拐されると思ったらお嬢様だったのだ? まさか身代金目当て? ハッ、駆け落ち希望!? だめなのだ。藤姐はまだお嫁にはやれないのだ!」
「灯、落ち着いて」
 ヒートアップする灯音を宥めながらも四辻・樒(黒の背反・e03880)は弓弦を弾き矢を打ちだす。迫る黒羽の矢を切り落としながら賢木は後ずさるが、村崎・優(黄昏色の妖刀使い・e61387)が投げ込んだ光球によって戦場は幾分も白んでいた。
「さて、この前の借りを返さねばいかんのぅ」
 たすきを咥え、天崎・祇音(霹靂神・e00948)は一直線に突き進んだ。ボクスドラゴン『レイジ』が先行し身を以て罠の位置を知らせると、着物の肩口を縛りあげ一息に間合いを詰める。そのまま大地を蹴り上空から闇の中へ拳を叩きつけた。はじける雷撃に賢木が身を抱えて飛びずさる。すると続けざま銃声が嘶いた。
「――っと、祇音は仕掛けが速ぇな」
 アルシエル・レラジェ(無慈悲なる氷雪の白烏・e39784)が愛銃を片手に呟く。オウガメタルで装甲された弾丸は衝撃と共に剥離しオウガ粒子を散らす。粒子は光をうけ輝きながら中空に漂った。
「これなら!!」
 駆け抜け、優が上段から刃を落とす。牙を研ぐように二刀を擦り合わせ次は下段へ。干戈を交えるたび刃に宿った呪詛が得物を伝い賢木の肉体を蝕む。
「そんなに帰りたいなら自分ひとりで地獄へ帰れ!」
 牙を剥き右目から紫炎を放って、沸き上がる憎悪を抑えることなく優は踏み込んだ。
「まるで狂った犬ですね」
 水平の太刀をどうにか受け流し、賢木は言葉を吐き捨てた。指を鳴らし至近距離で魚を爆破させ、爆風にのせ剣を投擲する。と、即座に飛び退く。一拍遅れて砲弾の雨が降り注いだ。
「もぉ、すばしっこいんだから!」
 外壁に身を隠していたエリザベス・ナイツ(スターナイト・e45135)は粒子漂う戦場によくよく目を凝らす。賢木はまたも闇に添い、認識しにくい。
「でも……何処にいるか、なんとなくわかるかも」
 オウガ粒子が引き水となる第六感。仄かな灯に味方の位置、それらから割り出した地点へとエリザベスは砲火を放った。爆風が吹き荒れ、着弾のたびに業火があがる。
 轟竜砲が星のように降り注ぐ中を藤子とオルトロス『クロス』は突き進む。砲火に身動きが取れぬまま賢木が剣を突き出したが、刃は藤子のこめかみを掠め仮面の紐を断ち切るだけにとどまった。藤子は賢木の腕を掴み、引き寄せると同時に腹部へ膝をつきたてる。
「帰るわけないだろ、あんなところ」
 えづく賢木をクロスが小太刀で斬り抜け、大身を逸らした藤子が勢いのまま殴り飛ばす。
「上辺だけの言葉に騙されるかよ。お前は私に忠誠など向けていないくせに……」
 はらり、仮面が落ちると燃えるような緑眼が覗く。
「連れ帰りたかったら、俺を殺してからにしやがれ」
「――かしこまりました。では、存分に……」
 パチリ。遊泳する魚が一斉に破裂する。轟音と爆風が一時戦場を支配した。
 ケルベロス達は咄嗟に身構えたが賢木の狙いは人ではない。光球が断ち切られ雷壁が徐々に消えてゆくと、再び辺りには掴めるような濃い闇が広がる。
 こうなると剣の罠も相まってケルベロス達は身動きが取りづらい。唐突に襲い来る刃をいなすのは至難の技である。
「うーっ、月ちゃんは暗いのあまり好きじゃないのだ」
 迫りくる不可視の刃に幾つもの切り傷をつくりながら、喘ぐように灯音が声を出す。アルシエルは御業によって生み出した炎弾を放っては応戦していたが、どうしても反応が遅れる。炎弾は敵の姿を照らすことさえなく彼方で破裂をつづけた。
「各々、油断ないよう――っと言いたいところじゃが! これでは警戒も何もあったものではないのぉ」
 裂傷をつくりながらも、祇音は黒刀を払い打ちにし二刀目を退ける。だがいつまでも防ぎ続けることは出来ない。
 こうなりゃしょうがない。囮の役割を果たすとするか。
 思い、久遠はなりふり構わず動き出した。光源代わりのロゼットランチャーを流れるように連射。弾頭が進路を煌々と照らし出し、敵を燻りだそうとする。
 賢木にとっては目障りでしかない。不可視の剣が振るわれるたび白衣に新たな血が滲み出す。不可視の剣が肩を刺し抜き、久遠はくぐもったうめき声をあげた。
「そろそろお休みになっては如何です?」
「いいや。まだまだやらせねえぜ」
 剣の嵐の只中、久遠は闇からの声に笑ってみせた。体に纏わせた黄金の闘気に加え、人体を知る医師故だろう。久遠の信じられぬほど続く抵抗に、徐々に攻撃の手が緩んでゆく。ようやく一息つけるか。思ったその時、久遠は不意に閃いた。
 敵の目的は『戦場での優位』だが根本的には『藤子を攫うこと』ではなかったか? つまり攻撃の手が緩んだのは作為的なもので……。
「くそっ!」
 久遠は踵を返して、まるで体当たりをするように藤子を突き飛ばした。背に灼けるような痛みがはしる。
「あなたにはうんざりですよ」
 賢木は溜め息をひとつ吐いて、素早く刃を返した。この邪魔な男を今すぐ消してやる。剣が久遠の首を刈ろうとした、まさにその時。剣は何かに弾かれ手から失せる。
「久遠、伏せろ!」
 巨大な炎弾が直撃し膨張した爆炎に賢木は吹き飛んだ。アルシエルが駆けつけたそこには、もたれる久遠を抱える藤子、粒子化を始めている謎のオウガメタルがあった。
「無茶ばっかりしやがって……」
「お前になぁ、何かあると、しらべが泣くんだよ……。ついでにバカ騒ぎするダチがいなくなるのは、嫌だからな」
 荒い呼吸で絞り出すように久遠が返した。苦しいはずの久遠が笑うので、藤子もどんな表情をすればいいかわからない。
 こいつはいつもそうだ。あいつが悲しむ、あいつが泣く……少しは自分のことも考えやがれ!
「あんたが死んだって泣くだろうが」
 結果、言葉は尻すぼみに終わるが藤子の中にはまだ渦巻く感情があった。下がってろ。言い放って藤子は大股で歩き出した。血の出るほど拳を握りしめて。


「んー、久遠に当てるのも難しいでありんしな」
 ブロック塀に腰かけ椏古鵺・笙月(蒼キ黄昏ノ銀晶麗龍・e00768)はひとりごちる。
「今回の救助班もツワモノ揃いでささんすなぁ。わっちの出番はなさそうでありんす」
 それにしても厄介そうなお迎えでありんしな……安海よ。
 笙月は、瞳に強い意志を秘めた藤子へ心中で声をかけ、闇の中を見透かすように目を細めた。


 賢木は闇の中から藤子を狙う。邪魔者は消えた。さて、次はどこから……。考えたところで、
「闇を打ち消せないなら、こちらが闇に溶け込めばいい」
 怜悧な声が届いた。いや、声だけではない。暗闇を宿したようなナイフ『闇夜』は己の領域と言わんばかりに闇に溶け、賢木に牙を立てた。慮外の一撃に対応など出来ない。腕一本という大きな代償を支払って闇から抜け出た賢木は、そこに潜む者へ憎悪の視線を送る。
「闇にまぎれるなら、私も多少は心得がある」
 闇の帷から顔を覗かせた樒には驕りもなければ気負いもない。それはどこか『無』に近く、故に賢木からの憎悪など気にもかけない。そこがお前だけの居場所だと思うな。瞳で語り掛け、再び闇に消えてゆく。
 キツと眦をあげ、賢木も闇に溶けた。
「樒かっこいいのだ~~っ!!」
 灯音は皆にともった希望の灯を絶やさぬよう槍を振るい輪を描く。輪は戦場に広がり慈愛の雨を降らせた。雨粒は傷ついた者を癒し、静々と地面を流れてゆく。辺りに耳を澄ませていたアルシエルは、ハッとして一人笑みを浮かべた。傷ついた体から流れ出る血液で一つの弾丸を形成し、突然に飛び退き、白銀の銃を構えた。
「――な!?」
 闇への咆哮。しかして鮮血の弾丸は賢木の体を貫いた。賢木は動揺した。この男も私が視えるのか? そんな心理を読んだかのように、アルシエルは美貌の顔を歪め嗤う。
「なぜって? 音だよ。いま気づいた、見えなければ別の所で感じればいいってな!!」
 崩れかけた体勢から地面を蹴って、賢木を蹴り飛ばす。
「祇音、突っ込め!!」
「アルシエル殿、どういうことじゃ?」
「俺の匂いを辿って行け!」
「――っ心得た!!」
 祇音は走りだす。犬のような扱いは少しばかり気に障るが……なるほど理に適った戦法じゃな。
 心中でひとりごちると、祇音は大きな耳をそばだて、匂いを辿ったその先に黒刀を振り下ろした。刃鳴りが響く。そこには確かに何かがいる。
「アルシエル、見事じゃ!」
「まぁ……な」
 満面の笑みである祇音。あえてぶっきらぼうに返すアルシエル。凄まじい剣圧に圧され、賢木が光の元に追い出される。
「ハッハー! やるなぁ二人とも!」
 もはや感知できぬ敵ではない。藤子は今までの鬱憤を晴らすかのように鎖を伸ばし、賢木の手に繋げた。そして凄まじい膂力で引き寄せる。動いたのは藤子だけではない、防衛に徹していた優やエリザベスも好機を逃さんと動いている。
「どうしたっ、小細工までした割りには太刀筋が鈍いぞ!!」
 賢木の腕の動きに合わせ優が地面を蹴った。不可視の剣は空を切り、優の踵がしたたかに賢木を打ち据える。
「これならぁぁぁ!」
 同時にエリザベスは体全体を使い踏み込んで重心を前へ、巨大な鋼鉄剣を振るった。大剣は賢木のそれを容易に砕きなお止まらず、真一文字に斬りつける。賢木は迫る脅威に舌打ちをし指を鳴らした。魚の爆発に紛れ距離を取ろうとするも、
「そいつは下品なんだろぉ!?」
 藤子が一気に鎖を引き寄せる。拳が賢木の鼻頭を叩き折り血が舞う。応酬に蹴りが側頭を打ち抜き藤子はたたらを踏んだ。顎が跳ねるような膝蹴りを出せば、胸倉をつかまれて地面に叩きつけられる。立ち上がり際に頭突きをぶちかますと、雨のように拳がふってくる。掌底、足払い、手刀、ひじ打ち。余人が入り込む隙のない肉弾。もはや洗練された戦いではない。言うならばそれは古代の死闘であった。
 不可視の剣が唸ると、避けきれず藤子の胸元から腰まで深く切り裂かれる。コップ一杯をぶちまけたような血が流れ、藤子の肌が露わになる。だが恥じる素振りさえなく、藤子は戦いを続けた。
「顕現せよ馮龍!!」
 藤子が掌を地面に叩きつける。冷気が周囲に満ち満ちて中空に巨大な氷が形成された。氷は独りでに姿を変え、翼を持った双頭の氷竜となり天へあがる。はらはらり、暗い空から白雪が散る。
 背筋が凍りつき、無意識に賢木は後ずさった。ために追撃を許してしまう。
「ここまで耐えた甲斐があったみたいだな」
 久遠は金色の闘気を拳の一点に集束させ打突の瞬間に放出した。打ち込まれた気は循環する気の流れを破壊する。ひいてはそれが目に見えぬ深い損傷を負わせ、賢木の膝が落ちた。久遠が飛び退くと、氷竜が天空から舞い降りて賢木目掛け地面に衝突した。魂まで凍るような冷気が轟と周囲に流れ込む。雪は振り続け闇を白く覆った。いや雪ばかりではない、吹雪の中には朱色も混じっている。
「汝、我が盟約に応えよ」
 凛々しい戦士としての声。灯音は胸の前で手を組み祈った。祈りは桜の花弁を生みだし、花びらは風に踊る。傷口に触れば貼りつき傷を癒し、同時に罠の剣に貼りつくと不可視という利点を拭いとる。雪の勢いも増すと刃の上に薄く積雪し、罠の在り処は一目瞭然となった。
「万策尽きたようだな」
 突然に闇の中から樒が現れ、灯音の肩に触れた。灯音が耳元で囁く。
「樒は暗いの得意だろうけど、気を付けてね」
「そっちこそ。闇に目が慣れてきたら、今度は強い光には気をつけるんだぞ」
 大きな爆発に氷竜が破裂し、打って変わって静寂が訪れる。樒はゆっくりと手を放した。
「じゃあ少し行ってくる」
「無事でね」
 力強く樒を抱きしめて、灯音は彼方を見た。


 もう隠れる必要もないのだろう。体をズタズタに斬り裂かれ片腕もない、見るも無残な姿で賢木はそこにいた。だが少なくとも目は死んでいない。藤子は目の前の男が『不死』に近い存在であると悟る。
「いま一度だけお伺いします。お帰りになるつもりはございませんか?」
「……俺には――私にはあの場所は必要ない。ただの道具として扱われる場所なんて、地獄よ。私を殺すような場所に……あの子が居ないあの部屋に! お前はいらない。安海藤子の帰る場所は別にある」
 藤子の挑むような瞳が賢木を射抜き、クロスが歯を剥きだしに唸る。
 ああ、もはやお嬢様はご両親の手の届かぬ所にいるのかもしれません。感じたものの、賢木は口にはしなかった。それが従たる者の務めだ。
「では私も、使命を全うしましょう」
 賢木は斜になり剣を構えた。切っ先はぴくりとも動かない。藤子の眼には賢木が力を溜めているように見えた。これからの数分間の死闘を戦い抜く為の力を。
 応じて藤子も身構えた。迎え討つだけの力を引きだすために。
 大粒の雪が藤子の視界を遮った刹那、賢木の姿が消えた。同時に樒も動く。樒は闇夜を手に風のように駆けてすれ違いざま賢木の首を掻き切った。だが賢木は応戦すらせず、疾く々走り抜ける。
「こんのぉ!!」
 大剣はいなさねば! エリザベスの振りかぶった大剣に刃を合わせ、矛先を滑らせるようにしてあしらう。ついで滑り込むように繰り出された優の二刀は受け、オウガメタルを纏ったアルシエルの拳は体を回転させ上手くかわす。
 だがなお最大の難関が立ちはだかった。
「死して死屍となるも、なお志士たる獅子よ! 我が四肢にその力を宿せ!」
 二色の勾玉が神たる力を引きだす。岩石が甲冑のように祇音の肌にとりつき、溶岩が流れるごとく炎が燃え上がる。白狼は一足で間合いを詰め、賢木の懐に潜り込んでみせた。
「牙皇・戦神灰塵撃!」
 祇音の一撃は賢木の半身を抉りとってみせた。だが結論を言うならば賢木の賭けは成功したと言える。
「無傷で通れるとは思っていない!」
 賢木は背に潜ませておいた魚を爆発させ、強力な推進剤として祇音を飛び越した。その先には腰だめに構えた藤子の姿。眼光鋭く嗤う藤子は、賢木が自分の元に辿りつくのをどこか望んでいたかのようにさえ見えた。
 もはやただ一塊の剣となった賢木が藤子に襲いかかる。藤子は到来する死神へ決着をつけるべく、踏み込んだ勢いのまま貫手を突き出した。
 二つの力が激突する。
 藤子の腕が、賢木の剣が、互いの胸を貫いた。
「ぐっ――ああああっ!!」
 賢木は満身の力で剣を動かし藤子の体内を掻きまわす。
「賢木いいいっ!!」
 だが藤子も血のあぶくを吐きながら、突き刺した腕を蠢かせた。不可視の剣を強引に掴み、賢木を押さえ込む。指が、腕が落ちようと構わない。その前に敵の命を奪う。藤子は体内に突き入れた腕を捻り、指先が賢木の命の象徴に触れると一息にそれを握りつぶした。
 糸が切れた人形のように、賢木は音を立てて血だまりに倒れる。藤子は胸に突き立った紅の剣を引き抜いて捨てた。
「私の主はあなたではありません……」
 息も絶え々に賢木が声をあげる。
「ですが、あなたの大器には期待していました。いずれ、我々の理想を叶えてくださると」
 答えず、藤子はネクロオーブに魔力を注いだ。まだ……やることが残っている。
 ネクロオーブが巨大な球体に膨れ上がる。どくり、不意に球体が鼓動した。やがて球体の膜を突き破り、何かが抜け出た。
 人間だ。しかし歪にすぎる。魂もつぎはぎされたものならば肉体もまた造られた不完全なものだった。しかし在りし日の面影が確かにあった。着物姿の少女は首を傾げ、長い絹のような黒髪を垂らし、うろんな瞳で賢木を見ている。
「――私を殺すならばあつらえ向きでしょう」
 賢木が目を閉じ、ぽつりと呟いた。
 藤子は踵を返した。賢木の末路は明らかだ。しかし姿が見えないと却って過去の情景が思い出される。
 薔薇の垣根に腕など入れてはいけませんよ。ほら、腕が傷だらけです。花が欲しいのであれば仰ってください、他の者が取ります故に。
 でも私は――棘の道であっても自分の選んだ道を歩いて行きたい。
 そこには、自分のことはおざなりで人ばかり救っている自称ヤブ医者や、
 老成しているようで人並みの弱さを持っている大神――狼の少女だとか、
 藤姐、藤姐と人懐こい陽だまりのような子、
 孤独から解放されつつある可愛い天使の弟分もいる。
 そして共に戦った人々も歩む道に加わって……。
「お別れの時まで、この陽だまりがアタシの居場所。ね、くーやん」
 クロスが藤子に身を寄せた。
 服を引き寄せ仮面をつけなおし、藤子は仲間達に微笑みかける。
 そう。私は大丈夫。まだ、わらえるんだもの。

作者:東公彦 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2019年3月2日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 1/感動した 0/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 3
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