鬼の無い里

作者:藍鳶カナン

●鬼の無い里
 信州長野の地に、鬼の無い里という名を持つ山里がある。
 鬼無里(きなさ)と呼ばれるその地に鬼の伝承はいくつかあるが、その中の最たるものが鬼女紅葉伝説だ。
 時は平安、天暦十年。
 京よりこの地へ追放されてきた高貴な美女、紅葉は、その美貌と教養、そして妖術で病を癒やす施療で里人から貴い『貴女』と慕われたが、やがて京へ上るため付近の山賊を妖術で従え近隣の人々に害を成す『鬼女』となり、終には京より討伐軍を率いてきた平維茂に首を刎ねられて生を終えた。
 この地が鬼無里と呼ばれるようになったのは、鬼が討伐されていなくなった事から――という伝説だが。
『鬼無里でも節分には豆まきするよ~』
『それってつまり、鬼無里って言いつつ実は今もまだ鬼がいるってことじゃね?』
 ネットの波間に何気なく零れた誰かのそんな呟きから、鬼無里には今でも鬼がいるという噂がひっそり流れだした。勿論いるはずもないし、噂もそのうち消えるだろうが、
「鬼無里の鬼! これが逢わずにいられるか!!」
 大いにそう奮起した青年は意気揚々と鬼無里へやってきた。
「鬼無里でも豆まきするらしいしな。折角鬼がいるってのに、すぐいなくなるかもしれん。妖術で人間に害成す鬼でも絶滅の危機に瀕しているなら保護しなきゃな! 鬼無里の鬼なら美女に決まってるし! 絶対美女に決まってるし!!」
 信州名物おやきを頬張りながら眺めていたスマホを防寒着の懐へとねじ込んで、高潔なる決意とともに本音をだだもれにした青年は雪景色に彩られた鬼無里の里の奥、奥裾花渓谷へ向かう。
 けれど渓谷へ入る手前、雪積もる枯草の平原で彼が出逢ったのは、
「私のモザイクは晴れないけれど、あなたの『興味』にとても興味があります」
 大きな鍵で彼の心臓を穿ったパッチワーク第五の魔女・アウゲイアス。
 魔女に『興味』を奪われた青年が意識を失って倒れたその時に――鬼の無い里に麗しくも妖艶な鬼の美女が現れた。

●鬼無里
「鬼の保護活動に乗り出した奴がいるらしいって聴いた時にはなんでまたそんなことをって思ったもんだが……成程、鬼でも美女だってんならそりゃ保護したくもなるか」
 大いにそう納得した海野・元隆(海刀・e04312)は意気揚々と愛刀を肩に担いだ。
「けどその自称・鬼の保護活動家さんがさ、鬼の美女じゃなくてドリームイーター、つまりパッチワークの魔女に逢っちゃったんだよね。魔女はさっさと消えたけど」
 天堂・遥夏(ブルーヘリオライダー・en0232)がケルベロス達へ予知を語り、そんな訳でこの鬼の保護活動家の『興味』から現実化した鬼女のドリームイーターを倒してきてよ、と続ければ、
「ま、当然倒すしかないな。美女らしいが。絶対美女らしいが」
 何やらだだもれにした元隆も不敵に笑んで頷いた。勿論保護してやるつもりはない。
 意識を失ったままの青年も、鬼女のドリームイーターを倒せば目を覚ます。
「今から急行すれば鬼女がまだ枯草の平原――ちょっとした雪原だね。そこにいる間に捕捉できるから、人里に向かう前に倒しちゃって。近隣に避難勧告は出してるけど」
 ゆえに一般人が来ることはないが、早急に撃破するに越したことはない。
 ただ、と遥夏は言を継いだ。
「糸の雲に乗って空を飛んだって言い伝えに関係あるのかな、このドリームイーター雲には乗ってないけど、ふわっと跳んだりひらっと躱したりって感じですごく身軽なんだよね」
「ははぁ、要するにキャスターだな」
「当たり」
 戦術や作戦を確りと練って臨まねば、攻撃がさっぱり当たらないまま敗北した――なんてことになりかねない。
「けれどあなた達ならそんなヘマしない。そうだよね?」
 ばっちりだ、と元隆が自信たっぷりに請け合えば、良かった、と遥夏が狼の尾をぱたりと揺らした。
「実はさ避難勧告出した時に、鬼無里のおやき屋さんが『是非ケルベロスさん達におやきを振舞いたい』って言ってくれたんだよね。無事に鬼女を倒せたら寄ってってあげてよ」
 おやきは小麦や蕎麦粉を練った生地に小豆餡や野沢菜などの具を包んで焼いたもの。
 古民家を改装したその店では、皆で囲んだ囲炉裏で焼いたおやきが食べられるという。
 わたしも行きたいの~と真っ先に真白・桃花(めざめ・en0142)が挙手した。
「ん? 何だ桃花、おやき目当てか?」
「ふふふ~。おやきも味わいたいけど、何より浪漫を味わいたいの~!」
 だって鬼無里って地名や由来からしてもう浪漫だもの~と彼女は竜しっぽの先をぴこぴこ弾ませる。浪漫かと元隆も口にして、
「俺はどっちかと言や海に浪漫を求める性質だが――ま、この世界にゃ何処にだって浪漫が溢れてるってこったな」
 磊落に笑って彼は、行くか、と仲間達を見回した。
 この世に満ちる、浪漫のひとつに逢いに。


参加者
ヴォル・シュヴァルツ(花図書専属執事・e00428)
リラ・シュテルン(星屑の囁き・e01169)
ジゼル・クラウン(ルチルクォーツ・e01651)
阿守・真尋(アンビギュアス・e03410)
海野・元隆(海刀・e04312)
勢門・彩子(悪鬼の血脈・e13084)
野々宮・イチカ(ギミカルハート・e13344)
プルトーネ・アルマース(夢見る金魚・e27908)

■リプレイ

●雪の原
 鬼無里の奥裾花には美しい水芭蕉が咲くという。
 冬空を翔けるヘリオンから降り立ったのは白銀に輝く雪の原、春にはこれらの雪解け水に育まれた純白の水芭蕉が咲くとプルトーネ・アルマース(夢見る金魚・e27908)は母親から教わったけれど。
「花ならいいけど、鬼だと怖そうなんだよ……」
「大丈夫、です。皆で、力を、あわせて、消えて、もらい、ましょう」
 桃色テレビウムと夜色ウイングキャットがぽふんと雪に跳ねる様子に微笑みを零したのも一瞬のこと、リラ・シュテルン(星屑の囁き・e01169)が雪化粧の世界に錦の花を咲かせて佇む鬼女の姿を見据えた、そのとき。
 華やぐ錦の打掛が宙に舞い、雪の原に深紅の紅葉が吹雪いた。
 眩暈を誘う紅葉吹雪に儚くも雅な薫物が香ったと感じた刹那、リラ達後衛陣と同じ数だけ現れた幻の美女が後衛を籠絡にかかる。艶やかな射干玉の黒髪と同じ色の濡れた瞳、雪白の肌に映える紅唇が笑んで――。
「これが妖術の誘惑ッてやつか……」
 けれども咄嗟に癒し手を庇ったヴォル・シュヴァルツ(花図書専属執事・e00428)は己を抱擁する鬼の美女に冷めた笑みを返し、
「悪いが、誘惑に乗ろうもンなら相棒に拗ねられるンでな」
「びっくりするよな美人さんだもんねぇ! きれいな鬼さん、こちらへどうぞ!」
 幻を突き抜け跳躍、本物の鬼女めがけ流星となって翔けた。だが彼の蹴撃も同じく流星の煌き宿して空から降った野々宮・イチカ(ギミカルハート・e13344)もひらりと躱されて、地の雪を煌かせたのみ。しかし次の瞬間、舞い上がった雪より清らな輝きが世界を満たす。
「聴いて、いた、とおり、です、ね……!」
「素のままじゃ触れさせてもくれないってわけか。つれない美女だね」
 彼ら前衛陣を抱擁した銀の細雪は、癒し手の浄化を重ねたリラと加護を三重に乗せられるジゼル・クラウン(ルチルクォーツ・e01651)が放った流体金属の粒子。二人がかりでなら少々の列減衰も問題にはならない。
 続けざまに阿守・真尋(アンビギュアス・e03410)が撓やかな腕を寒風に踊らせれば銀の細雪が後衛陣も包み込む。
「ばっちり足止め頼むわね、スナイパーさん達!」
「任せろ、美女の期待に応えてこそ男ってもんだ」
 黒き旗袍の裾を翻した美女から贈られた粒子で超感覚が覚醒すれば、海野・元隆(海刀・e04312)は、そういや男はヴォルと俺だけかとふと気づいた。
 ――俺達が鬼女への人柱になるべきか? 積極的に誘惑を引き受けるべきなのか?
 それもありだな、と口の端で笑んで狙いを研ぎ澄ませ、一気に跳躍した男が鬼女へと星の重力を蹴り込むと同時、
「元隆! 口には出てないが何かこう、気配に滲み出てるぞ!」
「だだもれなの~!」
 面白がるように笑った勢門・彩子(悪鬼の血脈・e13084)が豪快に揮った竜の槌が咆哮、格上キャスター相手でも命中率150%超を誇る轟竜砲を叩き込んで、もふもふキャリコや夜色翼猫が仲間達へ贈る清らな風の加護が届かぬところへ真白・桃花(めざめ・en0142)が自由の輝きを注ぎ込んでいく。
 雪を風を銀に輝かせ、前中後衛に満ちて皆の命中精度を高める流体金属の粒子。涼やかに輝くその中から砲撃形態の竜の槌が幾つも咆哮し、幾人もが雪風に翔けては幾条もの流星となって鬼女へ降る。
 この日つどったのは桃花を除けば皆精鋭と呼べる手練れ達、その多くが徹底して足止めを叩き込んだことにより、ひらりと攻め手を躱す敵の動きが早々に鈍ってきた。
 だが凛と凍える大気に琴めく音を奏でて舞う糸の斬撃、鮮やかな紅葉を吹雪かせる誘惑の妖術といった鬼女の攻撃は依然として冴え渡る。キャスターとして雪を駆けるプルトーネも格上の相手からは逃れられず、
「……!!」
「屈んで! プルトーネ!!」
 少女の眼前で喜色満面の笑みを見せた鬼女が牙を剥いた瞬間、間一髪で飛び込んだ真尋が牡丹咲く胸元に鬼の牙を受けとめた。熱く咲いた血潮の花。肉を食み血を啜る鬼女は凄絶なほど妖艶で、戦慄にも官能にも似た何かがぞくりと真尋の背筋を撫でた、そのとき。
 炎を纏い猛然と突撃したライドキャリバーが鬼女を弾き飛ばした。
「ダジリタ! 助かったわ……!!」
 荒く息をつきながら握るは小鳥が変じた杖、意識を凝らせると同時、爆ぜるような勢いで眩く輝く魔法の矢が無数に溢れだす。
 苛烈なる光の驟雨、それが一矢残らず敵を直撃する様は――。
「おっと。自分で妖術使うくせに理力攻撃を躱すのは苦手らしいな」
「りょーかい! そんじゃびしばし攻めてっちゃうよ!!」
 不敵な笑みを覗かす元隆が雪原に舟幽霊を顕現させれば、イチカが己が心音を手繰るよう気の光を凝らせた。
 ――そら。そいつを連れて行け。
 跳躍で躱さんとする鬼女の脚に抱きつき雪の波間へ引きずり込まんとする舟幽霊、それが生んだ好機に撃ち込まれた気咬弾が強大な威で鬼女の鳩尾に喰らいつく。
 雪を七色に煌かせ、真尋を癒したのはリラが咲かせた爆風の星雲。
「真尋お姉ちゃんありがとうだよ! 怖かったけど頑張ろうね、いちまる!」
 桃色テレビウムと一緒にほっぺをぺしぺししたプルトーネは雪原を蹴って鬼女の許へ飛び込んだ。蹴撃の軌跡に連なる炎が敵の腿へ燃え上がれば、
「良い女と言や確かにそうなンだがなァ……」
「鬼でドリームイーターとなれば仕方ない。厄払いの季節だ、確り鬼やらいと行こうか」
 琥珀煌く手首を一閃させたヴォルの許から鮮やかに雪上を翔けた影の弾丸が白く仰け反る鬼女の喉へ、黒の三日月を戴くジゼルの杖から迸った雷撃が金の三日月の双角を戴く鬼女のこめかみに爆ぜて強かに打ち据える。
 光揺れるモザイクの羽衣翻し、啜った鮮血を唇から滴らせて雪風に舞う女は美しかった。
 だが、姿がどれほど美しかろうが所詮はひとの夢を喰らう腹黒の化け物だ。
「この地は鬼が討伐されるべき里だ。お前にも消えてもらうとしよう」
 凛と揺るがぬ青の双眸で彩子が鬼女を見据えた刹那、極限まで凝らせた魔力が相手の肩で鮮烈に爆ぜる。すかさず放たれた反撃の糸も、ジゼルの刻んだ三重の麻痺で雪ひとひらすら弾くことなく風に消えた。

●鬼の里
 雪の輝きに映える深紅の紅葉吹雪。
 瞳も心も眩むような彩の世界に現れた幻の美女が、慈愛の微笑みを浮かべ鮮紅の唇で血のくちづけをねだる。貴女の優艶と鬼女の妖艶、ドリームイーターは伝説どおりに表裏一体な貴女と鬼女を顕現させていて、
「『鬼女』がひっくり返って『貴女』だったら、保護もありだったかもしれんがな」
 惜しいと思いながらも元隆は祭祀服の護りで妖術の幻をいなし、迷わず抱き寄せた本物の鬼女の鳩尾、高速演算で導き出された弱点を痛烈に穿つ。途端、やはり面白がるよう降った声音は彩子のもの。
「野暮ですまんな、頭上から失礼するぞ!!」
 同じく祭祀服の護りで紅葉の妖術をすり抜け、冬の空高く舞った彩子が煌く流星となって鬼女を星の重力で雪原に叩きつけた。同時に閃いたのは金色のフォーク、
「ああん、いちまるちゃんてば素敵なの凛々しいの~!」
「頑張ったねいちまる! わたしもめいっぱい頑張るの!!」
 ――今日の予報はビリビリ痺れる矢の雨だよ☆
 桃花を庇ったテレビウムが凶器を手に馳せるのに続き、プルトーネが雪原に降らせるのは青く煌く無数の矢。桃花の放つ炎弾の輝きに透ければ青矢は光の雨に似て、きれいだねぇと笑んでイチカは跳ね起きて跳び退った鬼女の懐へ躍り込んだ。
「行くよ鬼さん、鬼は外――ってね!!」
 一気に伸びた如意棒が吹き飛ばす勢いで鬼女の腹を突く。
 流体金属の粒子を纏いクラッシャーの破壊力で三種のホーミングを駆使するイチカは実に頼もしい攻撃手だ。瞬間、凍える風にびぃんと鳴った糸が襲い来たが、迷わず雪原を蹴ったヴォルが彼女を庇いきる。
「女の子を斬らせて堪るかッての!!」
「わ、ヴォルくんありがとね! リラちゃんお願い!」
「はいっ! すぐに、綺麗に、塞いで、みせ、ますっ! ――ベガ、一緒に!!」
 夜色翼猫の羽ばたきの中で展開される魔法手術。リラは共鳴で大きく彼の痛手を癒して、深い裂傷を瞬く間に縫合する。
 翼猫とともにメディックとして皆の支えに徹し、ヒールに特化した武器を手に惜しみなく癒しを揮うリラの治癒力は、鬼の牙のように強力な攻撃をディフェンダーが幾度か肩代わり出来ていることもあり、精度の高い敵攻撃にも十二分に抗せていた。
 無論彼女が催眠に惑わされる危険性はゼロではないが、
「オレ達が誘惑から庇ッちまえば済むことだよな、攻めるぜハル! 踏むんじゃねェ!!」
 遠慮なくふみっと主の頭を足場にし、大きく跳躍したもふもふキャリコな翼猫が鋭い爪を閃かすと同時、ヴォルは砲撃形態のハンマーを振り抜き竜砲弾を叩き込む。
「キュアの補助が必要な時には私が担おう。マヒロ達は護りを固め、一手でも多く攻撃を」
「ええジゼル、わかったわ。ダジリタ! 私達も!!」
 緊急の浄化には三重のキュアを揮えるジゼルが当たるのが確実だ。だが幸い、緊急事態は訪れていない。ばね仕掛けの骨董医師が魔力を紡げば、淡桃の髪が雪花の風に舞った。
 ――来たれ冥府の獣。終わりの日に始まりを告げ、長き夜を駆けよ。
 旧き精霊魔法に招かれたのは不可視の獣、北欧の祝祭を彩る風を連れ、蹄の音と疾駆した獣達が鬼女に幾重もの氷を贈る。あとでたくさん歌ってあげるわと囁けば、真尋の手の杖が小鳥に戻って嬉しげに鳴き、ライドキャリバーの激しいスピンで足が止まった敵をめがけて鋭く翔けた。
 艶やかな紅葉吹雪が舞い麗しき鬼女が牙を剥くが、もはや戦場の追い風はこちらのもの。鋭く風を裂いた糸が自身を狙う様にプルトーネは痛みを覚悟したが、
「このお気に入りのお洋服、破ったら怒るんだからね……!!」
 だが少女をクールに彩る衣装のその敏捷耐性こそが、糸の魔手からプルトーネを逃がす。反射的に跳んだ少女を捉えきれず糸が空を切れば、
「畳み、かけ、ますっ!」
 ――鬼さん、こちら、手のなる、ほうへ。
 攻勢に出たリラが星屑きらめく夜空の迷路を雪原に織り上げ鬼女を誘い込んだ。
「お、随分いいとこへの御招待じゃねェか」
「ふふ。あなたも気が利いてるじゃない、ヴォル」
 星屑迷路に迷う鬼女へ追撃をかけたのは一条の流星となって敵を直撃したヴォルの蹴撃、悪戯に笑んだ真尋が翳した杖から迸る魔法の矢も流星雨めいて降りそそぐ。
「だが迷ってばかりもおれんだろうしな。送り出してやろう!!」
 恐らくは終わりが近いだろう戦いの高揚を味わいつくすよう彩子が轟かす竜の槌の咆哮、敵に猛然と撃ち込まれた砲撃の余波で若紫に銀の花紋咲く羽織の着物を波打たせ、ジゼルは冷静に鬼女の様子を見定めた。
「そろそろ消えてもらう頃合だね」
「ああ、こいつが世に放たれたら……きっと多くの男が惑わされたことだろうしな」
 真直ぐジゼルが撃ち込むのは鮮烈に輝く雷の魔法、雷からも星屑迷路からも逃れんとする鬼女の肢体を、元隆が奔らせた攻性植物の蔓が搦めとって締めあげる。
 俺も危ないところだったと戯言めかして彼か洩らした言葉に、相変わらずだなぁと小さく笑み零し、心電図めいて踊る炎を連れてイチカが駆けた。
「ほら、つーかまえた!」
 ――その手ははなしちゃいけないよ。
 彼女の胸へ届く炎のうで。掴みとったのはきっと奪われた興味そのもの。
 耀う炎が消えれば鬼女の存在すべてが霧散して、この地は再び『鬼無里』に戻った。

●炉の家
 雪積もる里に佇む古民家を改装したおやき屋さんは、風情も風格もともに満点だった。
「ハル、お疲れさまです。ヴォルはまあ平気でしょう」
「それが一仕事してきた奴への言葉かよ!」
 飛び込んできた翼猫をもふもふしたのはヴォル達を出迎えたメルキューレ。オレも労えと主張して頭を撫でてもらう若人を見遣り、未成年が多いしなと元隆は笑って、
「この面子だとちと酒宴とはいかないが、ま、たまにはそれもありか」
 そう続ければ、彼の荷から覗く幾つもの酒瓶を目にしたジゼルが感心したように呟いた。
「それだけ酒を持ってきておいて、随分と潔いな」
「あらホント、大吟醸」
「何か生殺しな気分なの~!」
 彼女の肩越しにひょいと覗いた真尋が面白がるよう瞬いて、桃花が尻尾の先を震わせる。この辺りは成人組である。
「だーいじょうぶ! お酒じゃないけどとうかちゃんにはわたしの林檎餡わけたげるよ!」
「ああん、イチカちゃんてば天使なの、茄子味噌とわけっこなの~!」
 弾む足取りで飛び込むおやき屋の中では暖かな橙色の炎が熾る囲炉裏が皆をお待ちかね。ほわりと暖気に包まれ、靴を脱いで磨き込まれた板の間に上がり、
「囲炉裏! 囲炉裏! はじめて見たよ!!」
「私もなかなかお目にかかったことはないが、何故か懐かしい気分になるのが不思議だな」
 瞳を輝かせたイチカがいそいそと囲炉裏の傍に腰をおろせば、眦を緩めた彩子もすっかり寛いだ心地で火の傍へ。日頃馴染みがなくとも、やはり日本人にとっては心が還る場所。
 温かに漂う香ばしい匂いは囲炉裏にかけられた鉄の平鍋で焼かれるおやきのもの。けれどおやきの仕上げは鍋ではなく。
「灰の中で蒸し焼きするのだね。これは宝探しみたいで楽しいな」
「ほんとなの。あ、見つけた……って、熱い! すごく熱いよおやき!!」
 顔には出ずとも眼差しだけは興味津々で、火箸を手にしたジゼルが灰の中を探れば熱々のおやきがころり。プルトーネも見つけて取れば、あまりの熱さに両手の上でおやきが踊る。
 綺麗に灰を落として割れば、勿論ふわっと湯気が溢れだした。
 艶々の小豆餡もしっとり美味しそうで、
「ふふ。中身も、あつあつ、です、ね。ちゃんと、ふーふー、して……あっ、ベガ!!」
 我慢できずぺろっと舐めた翼猫が熱さにびっくりしてリラの隣をころころ転がり、ぽふっと桃色テレビウムに受けとめられる。ベガちゃん大丈夫? とプルトーネが覗き込み、
「リラお姉ちゃんもあんこ? 私もなの。桃花お姉ちゃんの茄子味噌も食べてみたいな」
「ふふふ~。茄子はちょっと大人味なの、プルトーネちゃんも大人の階段に挑戦なの~!」
 まだ熱々のおやきを桃花とわけっこ。
 熱々おやきを頬張れば、外側はぱりっと香ばしいのに中はもっちりふんわりした皮が素朴ながらも美味で、溢れだす小豆餡は思わず顔も綻ぶ優しい甘さ。茄子味噌は熱々とろとろの茄子の甘みが辛めの味噌と溶けあう様が絶品で、
「あまいのとしょっぱいの交互にたべるのっておいしいよねぇ……!」
「これはいけない誘惑なの、永久運動になってしまうの~!」
 林檎餡と茄子味噌をわけっこしたイチカと桃花が顔を寄せ合ってくすくすと笑みを零す。
 瑞々しさ残る煮林檎を白餡とたっぷり詰めたおやきは、かぶりつけばじゅわりと溢れだす熱々の林檎果汁がたまらない。
「林檎も美味しそうだが、野沢菜も絶品だぞ」
「おやきも初めてだが、そう言えば野沢菜も馴染みがないな」
 大いに悩んだ挙句彩子が灰の中からクジ引きの心地で選び取ったおやきは、甘辛く炒めて鷹の爪でピリ辛に仕上げた野沢菜が実に美味。ミンスパイのようなものかなとお試し気分で林檎のおやきを齧っていたジゼルが興味を示せば、食っとけ食っとけと元隆も御推薦。
 小麦粉と蕎麦粉を練って作られた生地は主食みたいなものだし、甘い具は勿論だがおかず風の具にこそ本領を発揮するようにも思えてくる。
 あったかくて、素朴で、けれど飽きなくて。
 からだだけでなく、こころまでもあたためてくれる美味。
「特別な菓子ってよりは日常の郷土食だろうな、昼飯にいい感じで美味いのがありがたい」
「茄子味噌もそんな感じね。林檎もあんこも美味しいけどこっちもどう? ジゼル」
 満足気に元隆が野沢菜おやきを頬張ったなら、桃花推薦の茄子味噌を味わっていた真尋も頷きひとつ。ふむと頷き返したジゼルにわけっこするうち皆ともわけっこの輪が広がって、
「皆様と、楽しく、食べる、おやきは、格別、です、ね」
「まったくだな。どうせならもっと食べたいところだが……欲張りすぎかな?」
 翼猫を撫でつつリラが微笑み彩子がそう洩らせば、『皆さん御自身で焼いてみますか?』と店員からかかる声。
 勿論たちまち歓声が沸き、皆で和気あいあいと焼き始めれば、ばふっと小爆発を起こしたおやきから餡が溢れてひときわ大きく楽しげな笑い声が咲き満ちた。
 翼猫のベガがリラの膝でぴゃっと飛びあがったり、テレビウムのいちまるがプルトーネを護ろうとしたり、ライドキャリバーのダジリタが真尋を案じるようそっと店の入口から顔を覗かせたりしたが、
「何でお前はメルンとこに逃げ込ンでンだよ! ハル!!」
「人徳でしょうね」
 もふもふ翼猫が飛び乗ったのはヴォルではなく、彼の相棒の膝。しれっとメルキューレが応えるのに剥れつつ茄子味噌を頬張れば、思わず『美味ェ』と感嘆が洩れた。
 素朴ながらも極上の美味は、囲炉裏の灰の中での蒸し焼きが決め手。
 作り方のコツを聴いて旅団で振舞ってみたかったけれど、
「何処でも極上のが作れンなら、そら商売あがッたりだよなァ……」
 お手軽にフライパンで焼いてみッか、と呟いた彼に、林檎餡のおやきに舌鼓を打っていたメルキューレが瞳を細め、くすりと笑みを零した。
 ――期待してますよ、相棒。

作者:藍鳶カナン 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年2月9日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 5/キャラが大事にされていた 0
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