厳冬の日々から遠ざかりつつある今日この頃だが、灰色の空から降り注ぐみぞれは、じっとりと冷たく人の身体に沁み、芯から冷やす。或いはこの地を去りがたい冬将軍の外套が裾を拡げているのだろうか。
だが、シャッター街と化したかつての商店街に、行き交う人はおらず、みぞれは建物の屋根や庇に溜まってゆく。
その中の庇に溜まったみぞれが、どしゃりと落ちた。散った飛沫が、一際暗い庇の下でみぞれを避けていた3人組にかかる。どうやら彼らはみぞれだけではなく、人も避けている様子のようだ。
3人は冷たい飛沫に構わず、熱心に囁きを交わしている。
「この隣の街が、紙の製造で有名なのは、知っていますか」
螺旋が描かれた仮面を被り、マジシャンのような姿をした女性が同様の姿をした2人の男に問うた。しかしその口調に滲むのは確認の意味合いだ。2人の男は微かに頷きそれを肯定した。
「ミス・バタフライ。その紙作り達の中に、私どもが技術を得、殺す対象となる者がいるのですか」
男の一人が今にも任務に飛び出したそうに、ミス・バタフライに熱っぽい口調で尋ね、もう一人の男に宥められた。それがこの二人のいつもらしく、ミス・バタフライも了解しているようだ。
「急かないで最後まで聞きなさいな。殺すのは特産の紙を使い、豆本を作製する職人です。貴方たちが得るのは豆本作りの技術。得た後は職人を殺し、豆本全てを再生不可能な方法で破壊しなさい。技術を持つのは世界で貴方たちだけ。そうすることで螺旋忍軍に勝機が訪れるのです」
傍から聞くと、前後の繋がりに首を傾げる台詞だが、男2人は納得した様子で、今度こそ任務だと意気込み、庇の下から消えた。
「必ずや吉報をお持ちいたしますとも。貴女の視る勝利の未来の為に!」
「またミス・バタフライだ」
胸やけでも起こしているかのような面持ちで、マグダレーナ・ガーデルマン(ドラゴニアンのヘリオライダー・en0242)はケルベロス達に相対していた。
ミス・バタフライとは、珍しい職業に就く人を狙う螺旋忍軍の一人で、自らは手を下さず、もっぱら手下の二人組の男が作戦を実行している。
その作戦成功が螺旋忍軍の戦況に関わってくるらしいのだが、何分その因果関係を知るのは恐らくミス・バタフライ一人というわけで、マグダレーナの様子は、スッキリできないモヤモヤ感にあるようだ。
「実はな、先に私が予知し、皆が解決してくれたミス・バタフライの事件があったのだが、その事件を糸口に、月井・未明(彼誰時・e30287)が行った独自調査が実を結んだのだ」
未明は『文房具』に対象を絞り、調査していた。その結果が予知へと結びつき、また一つミス・バタフライの陰謀を暴き出したのだ。
「今回ミス・バタフライに狙われるのは、豆本作家の重松氏と彼の作品だ。螺旋忍軍の男2名が、彼に接触し、まず豆本作製技術の伝授を願う。そして技術を得たところで重松氏と作品を葬るという手筈だ。今までも奴は同様の手口で事件を起こしている。ケルベロスに阻まれ、その成果はさっぱりのようだがな」
そこで、マグダレーナは一旦言葉を切ってから、ケルベロス達を順繰りに見た。
「皆には重松氏を護り、2体の螺旋忍軍を倒して貰いたいのだ。ミス・バタフライの目論見が叶うことは、今後もあってはならない」
そして、マグダレーナは鞄から某街の地図を出した。海に面したその街には、製紙会社の大きな工場から始まって、紙漉き職人の工房まで多数の紙生産者がおり、まさしく紙の街と言える様相だった。
それが重松氏が自身のアトリエを構える理由の一つなのは間違いないだろう。マグダレーナは、地図の上に指を走らせ、繁華街と住宅街と工場地帯それぞれに近い絶妙な一点を指し示した。
「ここが、重松氏のアトリエか。俺達はここに行って、彼の護衛に就けば良いのか?」
バルタザール・パラベラム(戦備えの銃弾・en0212)は、 アトリエの周囲の地形をじっと見つめた。
「ああ。重松氏を避難させてしまうと、別の職人が狙われてしまうかもしれないからな。そうだな、彼の身が心配ならば……豆本職人を装い、お前達が囮となる方法もあるぞ。ただし、螺旋忍軍が接触して来るまでに、それなりの技術を身につけなければ、疑われてお終いだ」
そう言ってから、マグダレーナはプリントアウトした数枚の図をケルベロス達に見せた。それらは重松氏のアトリエの写真だった。
広々として開放感のあるアトリエは、壁に作りつけの本棚や、ガラスケースに豆本が飾られており、さながら豆本図書館か博物館かといった様子だ。
アトリエには、手のひらサイズから、ピンセットで頁を開く類の小ささまでの様々な豆本が飾られている。
洋綴じ、和綴じ、物語の本、絵本……題材もそれぞれだ。これらに並ぶものを作る技術の修行を重松氏に乞い、頑張って数日で物にしなければならない。
「護衛作戦、囮作戦、選択は作戦参加者の任意だ。どちらにせよ、ケルベロスの実力なら、螺旋忍軍は撃破可能だ」
バルタザールは、職人技に感心した様子でアトリエの図を見比べた。
「広いアトリエだな。戦闘するに支障はなさそうだが、そうなると本が痛ましい気もするぜ」
彼の言葉に、マグダレーナは息を吐き、腕を組んだ。
「螺旋忍軍は戦闘開始後、初手で豆本に火を放とうとする。グラビティではないが、アトリエを焼失させるには充分だ。どうあっても豆本を消したいのだろうな」
重松氏が存命ならば、また豆本は作ることができるが……。
どうにかならないかと問われ、マグダレーナは組んでいた腕を解き、問うたケルベロスへと向き直った。
「技術で螺旋忍軍を信用させているならば、修行の名目で店から引き離すことも可能だろう……重松氏の豆本は、街の店への委託販売とネットで販売もしていてな。その辺りと絡められるかもしれん。だが、お前達次第で名目は幾らでも立てられるはずだ」
最後に、螺旋忍軍との戦闘だな、と、マグダレーナは己が予知した内容を語った。
「螺旋忍軍は2体とも前線で戦うが、はっきりと攻防に役割が分かれているようだ。それと、戦闘ではより攻撃の効果的な相手を集中攻撃するらしい。手数の少なさをそれで補っているといったところだ。しかし、その対策を念頭に置いておけば、順当に勝てる相手のはずだ。だが油断だけはするなよ」
全てを語り終えたと判断したマグダレーナは、待たせたな、と勇み立っているヘリオンの外壁をぽんと叩いてから、搭乗口を開いた。
「ミス・バタフライの意図は、未だ分かっていない。だが、分かっていることもある。奴の計画を完全に潰して潰して潰しまくれば、どんな高尚な意図があるか知らんが、それはただの能書き垂れよ」
参加者 | |
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花唄・紡(ピティリリー・e15961) |
秋空・彼方(英勇戦記ブレイブスター・e16735) |
ザンニ・ライオネス(白夜幻燈・e18810) |
ローデッド・クレメインス(灰は灰に・e27083) |
エフェメラ・リリィベル(墓守・e27340) |
ダリル・チェスロック(傍観者・e28788) |
月井・未明(彼誰時・e30287) |
トワ・トガサカ(性悪説スケアクロウ・e30469) |
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澄んだ冬の空、淡い空色を縫って、ケルベロス達が人知れず地に降り立った。
そこは高台で、全国でも名高い製紙の街の一切合財を望むことができる。海沿いに並ぶ製紙工場の煙突からは煙が上り、雲と融け合うようにして、空に消えている。
街の全容は、今までデウスエクスの目だった侵略を受けてこなかったのだろうとケルベロス達には想像がついた。
しかし、とうとう螺旋忍軍の一人、ミス・バタフライが、この街に住む職人を標的に選んだ。豆本作り職人の重松氏だ。彼女の動きを丹念に探っていた、月井・未明(彼誰時・e30287)によってその企みが明るみに出たのだ。
「奴らめげないな。これでもう何件目だ?」
ローデッド・クレメインス(灰は灰に・e27083)は、重松氏のアトリエがある辺りを眺めている未明へ、訊くとはなしに訊いた。
「数えてもいないから知らないな。が、この手仕事を殺すというなら叩き潰すまで」
「違えねぇな」
ちらと未明はローデッドを見上げた。もとより、二人にとって正確な件数などどうでも良いのだ。それら全てが潰されさえすれば。
ケルベロスはミス・バタフライの企みを完全に阻止する。彼女の企みが実を結ぶことは、今後もない。あってはならない。
時刻は昼にはまだ早い。行動を起こすべく、ケルベロス達は街へと足を向けた。
高台から街に入り、ケルベロス達は坂を下りてゆく。この街は全体に海沿いの工業地帯に向け、坂を下りてゆく構造になっているらしい。
「アトリエってここだよね! ほら、本の形の看板出てるよ」
花唄・紡(ピティリリー・e15961)はいち早く重松氏のアトリエを見つけ、仲間達に知らせた。まだ遠いが良く見つけたなと感心するバルタザール・パラベラム(戦備えの銃弾・en0212)に、紡は、だって素敵なお店だから! と応え、ふわふわとした足取りなのにすごい速さで店へと向かう彼女のシャーマンズゴーストを追う。
そしてケルベロス達はアトリエへと到着した。旧い建物を改装したもので、街と共に齢を重ねた周りの家と程よく調和している。ショウウィンドウの名残があるから、かつては店だったのだろう。そこには重松氏の作品が幾つか展示されていた。大きめのもので、ガラス越しからも開いた頁の内容が観ることができる。
絵と文字と、その細やかな手仕事を、ザンニ・ライオネス(白夜幻燈・e18810)は食い入るように見つめた。中身だけではなく、装丁にも施された細工もまた、それぞれに趣向が凝らされていた。かつて勤めていた屋敷にあった品々に勝るとも劣らない芸術品だ。中にはもっと豆本が飾られているというし、しかもその作製を習得できる……ザンニの口元が我知らずふんわりと緩む。
「中にも沢山素晴らしい豆本がありますよ。さ、ザンニ君、そろそろ入りましょうか」 ザンニの思いを読み取ったかのように、ダリル・チェスロック(傍観者・e28788)はアトリエの扉を開けた。開いた扉の隙間から、エフェメラ・リリィベル(墓守・e27340)のウイングキャットがするりとアトリエ内に入る。
「ま。野良猫ははしっこいですわね」
エフェメラの言葉にウイングキャットはうるさ気に尻尾を一振りしただけで、一鳴きした。アトリエの主への挨拶も一番乗りというわけだ。
一通り挨拶を交わしてから、ローデッドは自分達がケルベロスであると名乗り出た。彼の口調に滲む様子から、用件はデウスエクス絡みであることを察したのか、重松氏の目端に浮かんでいた笑みが少し憂い気に曇った。
「螺旋忍軍がきみときみの手仕事を狙っている。だが、心配いらない。おれ達が職人として囮になるから、どうか豆本作製の技を教えてくれないだろうか」
平板な口調で語る未明。だが、アトリエ内の豆本たちが映り込んだ橙色の瞳は、そのちいさな手仕事達を愛おしむ心を雄弁に語っている。いや、それはその場のケルベロス達も同じだった。ただ、それぞれの表現方法が少しだけ、異なるけれど。
「それは、喜んで。私もケルベロスの方々がどんな豆本を創るのか、興味がありますからね。こちらも良いイメージが湧いてきそうだ」
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螺旋忍軍が現れるまでの猶予は長くない。早速職人修業の始まりだ。集中力と根気が物を言う作業……短気を起こしたり、楽をしようとしたら全部台無しになってしまう。細かい手作業に慣れている者も多く、何よりも、皆真剣に修行に向き合っていることもあって、順調に豆本作りの基礎を習得してゆく。
トワ・トガサカ(性悪説スケアクロウ・e30469)は、重松氏の教えにとことん忠実に、一頁分ずつ紙を切り揃えていた。出来上がった切紙は寸分違わず同じ大きさだ。次は、表紙に使う紙だが、何色がいいだろうか。重松氏はアトリエの素材全てを提供してくれたが、選び幅が多いと、駆け出し職人の身では却って迷い過ぎてしまいそうだ。
目の前に広がる紙の色彩と手触りとを見比べ、どれと選びかねている秋空・彼方(英勇戦記ブレイブスター・e16735)に向けて、重松氏は助け船を出した。
「大切なのは、イメージだね。自分が何を作りたいのか、自分にとっての浪漫は何かを心に訊いてみる、物作りに浪漫は欠かせない。少なくとも私にとってはね」
重松氏の言葉を受け止め、本の内容を考えあぐねていたザンニの心に浮かんだのは、星だった。星の絵だけが描かれた本は、読んだ人それぞれが物語を作るのだ。星に願いをかける人は、願いの物語を。希望を託す人は、希望の物語を彼の豆本から紡ぎ出すだろう。
一方、紡はシャーマンズゴーストのマンゴーちゃんと一緒に布を用いた豆本を作っていた。パッチワークのように、幾つかの布地を細かく縫い合わせ、出来上がったのは薄紅色を基調とした表紙だ。マンゴーちゃんとお揃いのような色合いの豆本の仕上げは、マンゴーちゃんが結んだリボンだ。それは紡のリボンとよく似ている。二人のどちらにも似ている、一冊の豆本。暖かみのある風情は、布地の柔らかさによるものだけではないのだろう。
その側では、凍夜色の紙が幾種類かローデッドの手により拡げられている。彼は念入りに見比べて、その中から心に描いた色を選んだ。
濃い闇の時は去り、夜明けの気配が滲んだ瑠璃色のさ中、生まれ出ようとする陽の色が融けて、ひとさしの紫色が混じる。それがローデッドの作っている本の表紙だった。頁を繰ると、色合いは夜明けへと移り変わり、最後に暖かな陽の色が読み手を迎えてくれる。この豆本を贈りたい人がいる。それゆえに造形も彩色も、妥協はできない。己の為よりも誰かの為に。その方が、より身が入るというが、彼もそういう性分のようだ。
ダリルは、繊細な時計の部品を扱うように、毛羽立たないようそっと綴じ糸の撚りを整えた。どうも表紙や頁を作るよりも、糸で綴じかがる方が我ながら得意なような気がする。整えた糸を針に通し、ゆっくりと綴じてゆく。表紙の外側が縹色、内側が鬱金色で、着物の襲ねのように内張りの色が外側に一部見えており、綴じ糸の朱色が際立つ色合わせとなっている。
「皆様の豆本の出来上がりが楽しみですわ。未明はどんな本をお作りですの?」
エフェメラは自分と同じく、一時手を止め仲間達の作業に見入っていた未明の手元を見た。頁に極細の筆致で描かれているのは、鉱物のようだ。未明はその図に彩色を施しているところのようだ。
「鉱物図鑑なんだ。余裕があれば、植物図鑑も作ってみたいと思っている。……時間が、もっと欲しいな」
「本当っすね……あ、でも、螺旋忍軍を倒した後に、お願いすれば重松さんにじっくり教えてもらえるかも……。 うん、そうなれば善は急げ、自分は戦闘できる広い場所を探して来るっすよ!」
ザンニは作業を止め、勢いよく立ち上がった。紡も道具を片づけ、彼の後に続いた。
「それなら、街の工業地帯辺りかな。使われてない工場とかなら、人も巻き込まないと思うし。どうやって螺旋忍軍をおびき寄せるかは、追々考えるってことで。じゃ、行ってくるね!」
●
2人の螺旋忍軍がやって来たのは、修行開始から3日後だった。ケルベロス達は一通りの技術を習得し、重松氏は安全な所に避難済みだ。アトリエにはローデッドと未明が残り、残りの仲間達は事に備え、街中に散っている。
「是非、あなたの技を我々に伝授していただきたい!」
「貴方のお蔭で豆本の世界を知ることが出来ました。私達は豆本を広く世に広めたい……その技術をお教えいただけませんでしょうか」
螺旋忍軍達は熱い口調と静かに説く口調で口々にローデッドに頼み込む。ローデッドを重松氏、未明をそのアシスタントと思っているらしい。ローデッドが肯ずると、2人は喜色を浮かべた。並べている理由は嘘だが、その表情は嘘ではなさそうだ。
実際、豆本修行する姿は真剣そのもので、2人は任務に忠実な者らしい。それ故にここで倒し切らねばならない。
そろそろ幕引きの頃合いだ――。2人に気づかれぬよう秘かに、未明はローデッドへと目配せした。
「注文を受けていた豆本をこれから発送するんだ。倉庫から持ち出すから、手伝ってくれないか」
未明の言に従い、螺旋忍軍達は修行を一時止めた。アトリエを出てゆく3人にローデッドも続く。
「俺も行くぜ。散歩には丁度いい陽気だしな」
てめぇらにはちっと激しすぎる散歩になるけどよ――。ローデッドの左目の奥で、蒼炎が燃え上がり、瞼の内側に熱を伝えひりつかせた。
4人がアトリエから出て来る姿を、向かい側の路地に潜んでいたダリルは視認した。懐中時計を開き、携帯で工業地帯の倉庫で待機中のトワに連絡する。
「今、アトリエから全員出てきました。まずは誘き出し成功です。あの歩きなら到着は10分後位でしょうか。私はこのまま追尾し、変わったことがあれば連絡します。では、後ほど」
手早く通話を終え、ダリルは路地伝いに4人を追尾する。螺旋忍軍は、素直に未明に着いて行っているようだ。疑念を抱かれぬ為か、時折彼女が何か説明している。先程の通話で、他の仲間の配置は完了しているとトワは言っていた。このまま順調に行けば、先手を打つことも打たれることもなく、戦闘へ移行できるはずだ。
そうして辿り着いたのは、レンガ造りの旧い倉庫前だった。趣を持つこの空き倉庫は、紡達が見つけてきたものだ。扉を開け、中へと踏み込んだ螺旋忍軍を、待ち構えていたケルベロス達が包囲する。
「! 謀ったな!」
「……そういうことか」
反応は違えど瞬時に状況を悟った螺旋忍軍達はすぐ戦闘態勢に入った。と同時に、トワが街の人を遠ざけるため、殺気を放つ。
螺旋忍軍は2人とも、ケルベロス達に迫る間合いにいる。近接戦闘の構えだ。そのどちらかが攻撃手であると予知されていた。潰すとすれば攻撃手からだ。それはケルベロス全員の共通認識であった。
螺旋忍軍を注視しつつ、エフェメラは仲間達をカバーする立ち位置を保つため、螺旋忍軍の動きにゆっくりと追従していた。少し鼻がむず痒い気がしたと思ったら、案の定すぐ側にウイングキャットがいるではないか。
「野良猫、後追いは止めてくださらない? わたくしが猫アレルギーなのを知らないわけではないでしょう」
見下すエフェメラの視線を、それは自分の台詞だと言わんばかりの目で撥ね返し、ウイングキャットは護りの位置を維持し、背中の翼を羽ばたかせた。羽ばたきが発した清らかな気流は、エフェメラ含む前衛の仲間達の間に流れてゆく。その幾ばくかは邪を祓う守護の力となってそのまま戦場に留まった。
螺旋忍軍2人は、相次いで忍術を使った。分身の術だ。現れた無数の残像は、術者が抱える不調を代わりに受け止め、消失させてしまうという。攻め手からすると面倒な術だ。
しかし、それはケルベロス達には織り込み済みだった。ダリルは魂寄せの歌を歌う。哀惜に満ちた抑揚は、満たされぬ戦人の魂を戦場へと誘った。魂と化しても失われぬ戦意は、後方で狙いを付ける仲間達の得物に宿り、敵に宿る如何なる加護をも砕く力となる。螺旋忍軍の残像もまた然りだ。
螺旋忍軍の腹を探りつつ、ケルベロス達は十重二十重に加護の力を用いていた。高めた戦闘力で短期決戦を図るのだ。その流れを脱し、トワは距離を詰め、日本刀二刀の螺旋忍軍に手刀を叩きつけた。
「空却」
だが、手刀は手傷すら螺旋忍軍に与えていない。が、空に翻り再び距離を取るトワの口元は、顔の多くを隠す灰色の髪の下からもそれと見える笑いを浮かべ、うっすらと頬には紅がさしている。これは攻めの技ではなく、シショウから伝授された、言霊を用いた自己強化の術なのだ。何の変哲もない攻撃に名を与え現世に存在を得る。その存在力を術者は己の糧となし、戦場に活きるのだ。
一瞬だけ呆気に取られたが、直ぐに気を取り直した日本刀の螺旋忍軍を、ローデッドの一撃が今度こそ迫る。
「細かい作業続きでよ、そろそろ暴れたかったんだよなァ」
彼は蒼炎を纏った両手のエクスカリバールで力任せに思うさま殴りつけた。その過程で炎が燃え移り、螺旋忍軍の身体中を舐めるように燃え広がる。
その炎を消させはしない。彼方は軽く跳び、上方からドラゴニックハンマーを強かに叩きつけた。だが、その一撃をその身で受け止めたのは、狙った相手とは別、螺旋手裏剣を持ち、エアシューズを履くもう一方の螺旋忍軍だ。
これで攻守の担い手の別はわかった。
「攻め手は日本刀の方っす!」
仲間達にザンニは告げ、空を裂く蹴りで攻め手を襲った。蹴りの衝撃と地からの重力が引き合って、攻め手の動きを縛める。
「おのれケルベロス! 我々を謀ったつもりだろうが、返り討ちよ!」
これまでの応酬で攻め手は狙う相手を吟味していたのだろう。二刀で目の前の空を十字に切り裂いた。そこから発した衝撃は、トワを狙い飛ぶ。避けがたい速さで放たれるそれの軌跡に、ふわりとマンゴーちゃんが立ちはだかった。凄まじい衝撃がマンゴーちゃんを襲うが、その全てを受け止め、耐えきった。
「頑張ったね、マンゴーちゃん!」
紡は魔力を指先で編んで創りだした銀色のリボンをマンゴーちゃんに結んだ。何もかもが綺麗に整った夢の世界へと繋がる銀色の一筋から流れる魔力は、現世もかくあれとばかりにマンゴーちゃんの傷を修復してゆく。だが全てを修復する前に、一時の虚実の絆は宙へと融けた。
まだ相当の傷が残っている、そう判断した未明は、ウィッチドクターのみが扱える少々荒い施術を行うことにした。治療ではなくむしろ攻撃ではないかと思われる程の切開と殴打の連続は、不思議なことに終わってみると確かにマンゴーちゃんの傷痕を減らしているのだった。
ケルベロス達の戦法を受け、守り手は暴風を孕んだ蹴りで近接する者達をなぎ払っていた。主目的は損傷を与える事ではない。ケルベロス達が纏う加護の力をはぎ取る為だ。今も、加護が幾つか、暴風に掻き消された。
「ええい、やり辛くてかなわん!」
攻め手は、護りに入るケルベロス達に阻まれ、思うように攻撃が入らず苛立ちの声を上げた。攻撃を当てやすいと見てトワとダリルを狙っているのだが、ケルベロスは総勢5人もの護り手を配している。
「私達の戦術を見抜いていたとでも……」
守り手は怖気が走った目でケルベロス達を見た。彼らは格下のはずだ。だがどうだ。攻め手の負った傷はもう、回復しきれない程だ。勝利するには相棒が尽きるまでにケルベロスを皆殺しにするしかない。が……結論が守り手の心臓を冷たい手で掴む。それは無理だ、と。
「一人でも多く、連れ去るのです。逝きますよ、相棒」
なりふり構わぬ攻勢を仕掛けて来た螺旋忍軍に、ケルベロス達は彼らの覚悟を見た。終わりを目指し、双方の攻勢が激突する。最初に斃れたのは攻め手だ。守るべき者を失った守り手は、それでも螺旋手裏剣で抵抗を続ける。そして遂に、その虚ろなる盾も砕かれる時が来た。
激しく噴出するドラゴニック・パワーに身体を振り回されながら、彼方はドラゴニックハンマーで守り手の正面から挑む。その精神に呼応するように左手のガントレットに嵌る宝石が光を放った。
「ここで終わらせてもらう! 鎖よ、地獄の鎖よ、デウスエクスの心臓を絡み取れ!」
彼の呼び声通り、地獄の鎖は守り手の心臓に叩き込まれ、その命脈を断った。終始冷静だった守り手の表情は悔し気で、それに対して攻め手の表情は満足気であるのが、対象的であった。
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「後の片付けは俺がやっとくからよ、皆は早く重松さんとこ行って安心させてやんな」
しばらく倉庫に残るというバルタザールに先立ち、ケルベロス達はアトリエへの帰路につく。道すがら、ダリルは未明へと語りかけた。
「未明君、実は、我ながらこれという品が出来上がりましてね。日頃のお礼にお渡ししたいのですよ」
「奇遇だな、おれもだ。こちらこそいつもお世話になっているからな」
二人の側では、もう少し重松氏に豆本作りを習いたいと、ザンニが屈託なく笑っている。そんな仲間達の様子を見た紡にも、笑顔が灯る。
(「素敵な技術はみんなで共有した方がやっぱりいいよね」)
紡は足を速め、仲間達を追い越し先頭に立った。
「みんな、早く戻ろ!」
彼女の笑顔につられるように、ケルベロス達の足取りが少し、早まった。
作者:譲葉慧 |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2017年3月5日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 2/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 2
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