凍てつく星に希う

作者:犬塚ひなこ

●凍て星は空の彼方
 星に願うのは、もう止めた。
 少年は白い雪原を踏み締め、吹雪の中を一歩ずつ進んでいく。
 激しい風と雪は辺りを真白に染めあげて星空を見えなくしていた。これほどに寒い夜はきっと、雲の向こうの星々も凍て付いて震えているに違いない。
「……願いを叶えて貰うんだ、絶対に」
 目指すのは深い樹氷が織り成す森の奥。其処には不思議な噂がある。
 吹雪の日にだけ、森にあるものが現れるという。雪のように白い髪と肌。生気の無い銀瞳のそれは美しい雪女の姿をしているらしい。
 いくら美しくとも彼女の正体は出会う者の命を奪う怪物だ。されど怪物は死と引き換えにひとつだけ願いを叶えてくれるとも語られていた。
「僕はどうなったって良い。母さんの病気さえ治れば……」
 かの怪物や願いの話は誰もが本当には信じない荒唐無稽なものだ。しかし、少年だけはそれを必死に信じて縋っていた。噂は噂にしか過ぎず、吹雪の中をどれだけ探そうとも怪物が現れることはない。そんなときだった。
「私のモザイクは晴れないけれど、あなたの『興味』にとても興味があります」
 彼の背後にパッチワークの魔女、アウゲイアスが現れたのは――。
 
●雪の森と願いの果て
 そして、少年の『興味』が奪われ怪物が生み出される。
「皆はもう聞いたかい? また魔女アウゲイアスの仕業らしいな」
 ヘリオライダーによって予知されて纏められた資料に目を通し、クラレット・エミュー(凍ゆゆび・e27106)は集った仲間達に問いかける。ふと傾げた首に合わせて頭の枯木角が揺れ、凪いだ双眸が向けられた。
 今夜は吹雪。凍て付く寒さの中で具現化したのは、雪女の姿をした怪物だ。
「私達の任務は夢喰いを倒すことだ。それから夢の主となった少年を助けることも含まれる。違いないかな、ノーレ」
 クラレットは今回の自分達の役目を語り、傍らに控えるネモフィラの花冠で目元を隠した少女――ビハインドのノールマンに確認する。すると少女は、ぐっと掌を握って同意するようにこくこくと頷いた。
「既に魔女は去り、森に居るのは雪女の夢喰いだけだ。辺りはまだ吹雪が収まっていないうえに足元は雪。移動には注意しないとな」
 戦場は雪深い森の中となるがケルベロスならば戦闘に支障はない。
 敵は雪女らしく魔力の氷や吹雪を模した力を振るってくる。敵は一体なので全員で協力し、油断さえしなければ勝てる相手だろう。
 また、ドリームイーターは自分を信じていたり噂をしている人物の方に近付いてくる性質がある。その為、開けた場所に陣取って誘き寄せればいい。
 クラレットが説明を行っていく声に合わせ、ノールマンは身振り手振りで以て一緒になって戦場や状況の解説を行っていた。その姿に微笑ましさを感じたクラレットは薄く笑み、それから、と話を続ける。
「少年は運良くも吹雪が凌げる木の影に倒れている。戦いが終わったら彼もしっかりと保護して手当てをしなければいけないな」
 興味を奪われて意識を失っている以外は大事はないとはいえ、この吹雪だ。戦いが必要以上に長引いたり、そのまま放置しておけば少年も無事では済まない。
 頑張ろう、と仲間に語り掛けたクラレットはふと考える。
 噂を信じたとはいえ、こんな吹雪の中に自分を顧みず飛び出した少年。その願いはよほど強く切実だったのだろう。
「もし、自分の命と引き換えに願いが叶えられるとしたら……いや、何でもない」
 クラレットは不意に零れ落ちた言葉に首を振り、口を噤む。
 星に希い、どれほど祈っても叶わないことはある。この手を伸ばすことが出来るのは儚い願いではなく、目の前にある命の灯火だけ。今度こそ、救える命と想いをこの手で、この指先で掴む為に――今こそ番犬としての使命を果たす時だ。


参加者
ベルノルト・アンカー(傾灰の器・e01944)
ジエロ・アクアリオ(贖罪のクロ・e03190)
アリシスフェイル・ヴェルフェイユ(彩壇メテオール・e03755)
アニー・ヘイズフォッグ(動物擬き・e14507)
雪白・メルル(雪月華・e19180)
クラレット・エミュー(凍ゆゆび・e27106)
テト・アルカマル(死者の翼・e32515)
巡命・癒乃(白皙の癒竜・e33829)

■リプレイ

●願いの欠片
 星の視えない吹雪の夜。
 夢を奪われた少年の願いは儚く、この寒さの中で凍り付いてしまいそうだった。
 吹き付ける風と雪の中、森の一角に仄かな明かりが灯る。
 アニー・ヘイズフォッグ(動物擬き・e14507)は寒い寒い、と身を縮こまらせながら、仲間達を見渡す。これから語るのは、自分の命と引き換えに叶う願いのこと。
「どんな願いが良いだろう! 願いが沢山あって一つに絞れないんだ」
 皆はどうだろう、とアニーは呆気らかんと問いかける。その視線を受けたベルノルト・アンカー(傾灰の器・e01944)は、そうですね、と軽く考え込む。
「……願わくば、人々の幸福を」
 恐れるのは望まれぬ死。焦がれるのは赦された名誉の死。
 しかし、それは過ぎた大義だとベルノルトは理解していた。故にそう語るしかないと感じつつ、彼は先程に保護し終わった少年を気にかける。
 離れた場所で眠っている夢主の少年には、既に懐炉や防寒具、毛布などがかけられている。もう暫くは何も問題ないだろうと感じ、クラレット・エミュー(凍ゆゆび・e27106)は皆の話に耳を傾けた。
 願いを叶える雪女と、命と引き換えに叶えたい願い。
 そのことについて考えた巡命・癒乃(白皙の癒竜・e33829)は、ぽつりと口にする。
「何でも願いが叶うのなら……命と換えられるなら、その願いは……過去の自分を救う事だろうね……」
 それは選ばれなかった未来を選んだ、今の癒乃の願い。
 選ばれざる過去そのものである今の自分が、あの時に選んだ本当の自分を救うという事は、今の『もしも』という蜃気楼のような己をかき消す事。
 その願いは夏の終わりの魔術を以てしても叶えられない、空虚な願望だと彼女は――小さな竜の子は知っている。
 そして、アリシスフェイル・ヴェルフェイユ(彩壇メテオール・e03755)は思いを巡らせ、やや躊躇した様子で願いを口にする。
「私の命を差し出す代わりに、家族を生き返らせて欲しい、なんて」
 だが、それを本当に願えば自分を逃がして死んだ家族も、今まで育ててくれた叔父も大切にしてくれている恋人も友人達も皆が怒るに違いない。だから、仮定としてよ、とアリシスフェイルは付け加えた。
 分かっているよ、と薄く笑んだジエロ・アクアリオ(贖罪のクロ・e03190)は、自分の願いを考えながら今と過去を思い比べる。
「昔なら、『自分の代わりにあの人を生き残らせて欲しい』だったんだけど。……いま願うなら、そうだな。『君の幸せ』かな」
 その足元ではボクスドラゴンのクリュスタルスが静かに控えていた。
 ジエロには大切な人が居るのだと感じたテト・アルカマル(死者の翼・e32515)は、成程、と頷く。そうして、テトは願いを叶える化け物への否定を紡いだ。
「俺は正直、ちょっとごめんですね」
 せっかく願いを叶えたのに、自分が死んでしまったら意味が無い。
「でも……どうしても死ねって言うなら、俺の願いなんて――」
 吹雪く風に掻き消されそうな声で呟き、テトは何でもないと首を振った。雪白・メルル(雪月華・e19180)も複雑そうな表情を浮かべ、そっと俯く。
「自分の命と引き換えに願いが叶う……純粋には喜べないおはなし、なのです」
 誰かの幸せのために犠牲があるのはかなしい。
 メルルは傍らのウイングキャット・ソウェイルに、頑張りましょうねと告げた。少女がそうした理由は、此方に近付く何らかの気配に気付いたからだ。
「命と引き換えにする必要はないさ。……さて、御出座しかな」
 クラレットはメルルの言葉に答え、森の奥を見遣った。
 そのとき、吹雪がひときわ強くなり、アニーとベルノルトが身構える。同様にクラレットも武器を構えて傍らのビハインドに呼び掛けた。
「それでは供をしてくれ、ノーレ」
 はいっ、という元気な声が聞こえてきそうな勢いでノールマンが敬礼の仕草をする。
 そして――ケルベロス達の前に吹雪を纏う雪女が姿を現した。

●命を賭して
「――うふふ」
 先ず聞こえたのは美しい声。手招く形で腕を差し出した雪女は、まるで心臓まで凍り付かせるような、冷たい微笑みを浮かべた。
 刹那、激しい吹雪が周囲に広がる。
 アリシスフェイルは先手を打たれたと感じ、自分に向かってくる氷の衝撃を覚悟した。だが、すぐに癒乃がシャーマンズゴーストのルキノに仲間を庇うように願う。
「ルキノ、頼んだよ」
 飛び出したルキノが少女への一撃を肩代わりし、痛みに耐えた。癒乃はその間に守護の雷壁を戦場に張り巡らせて援護に入る。更にクラレットとジエロ達が防護の態勢に入り、敵の動向を窺った。
 アリシスフェイルは癒乃に礼を告げた後、敵へ刃を振り下ろしに向かった。
「自分を犠牲にしてでも救いたい気持ち、とてもよく解るわ」
 少年を思ったアリシスフェイルが白銀の片刃を振るえば、蝶と星が涼やかに跳ね、雷の霊力が迸る。其処にベルノルトが続き、達人の刃捌きで以て氷撃を齎した。
 ベルノルトと雪女の視線が交差し、氷色の眼差しが鋭く細められる。ジエロも同様に静かに雪女を見据えた。
「どんな事をしてでも叶えたい願いがある人にとっては、甘い甘い誘惑だね」
「願いを叶えてくれる雪女さん……彼女にも叶えたい願いがあるのかな」
 同様にメルルも敵を見つめてドリームイーターを思う。されど敵はただの化け物。思いも願いも、叶える力もないのだと感じた二人は其々の力を揮ってゆく。
 メルルが黄金の果実を実らせて仲間を援護する中、ソウェイルが清浄なる翼を広げてゆく。そして、ジエロはクリュスタルスと共に攻勢に繰り出した。水瓶の杖より放たれし白黒の蛇が敵を穿ち、間髪入れずに飛翔した匣竜の体当たりが見舞われる。
 雪女は僅かに揺らいだが、口元の笑みは張り付いたまま。
 テトは美しさの中にぞっとする何かを感じ取った。震えたのはこの吹雪と寒さの所為だと頭を振ったテトは氷結の螺旋を渦巻かせ、ひといきに敵へと放つ。
「こっちは寒くて気が立ってるんだ。悪いけどさっさと死んでくれないかな」
 願いを叶える、と聞いた時からそれを受け入れられなかった。
 そんなもの、と唇を噛み締めたテトは自らに宿る叶えてはならぬ願いを押し込める。アニーはそんな仲間の様子に気付いたが、こてりと首を傾げた。
 アニーにとって、命を捨てて叶えたいことはたくさんある。しかし、それは彼女自身が心というものが分からず、無邪気な子供のように考えているだけ。
 そして、アニーはぐっと拳を握る。
「あの子が寒さでたいへんなことになるのはいけない。今日もがんがん行くよ!」
 雪の中で息をひそめ、彼女は獲物を狙う。まるでそれは雪原で獲物を狙う獣のように、静かに、それでいて素早く。瞬時に鋭い一閃が雪女を襲った。
 だが、敵も更なる攻撃を放とうと動く。
 微笑む雪女がベルノルトに指先を向けた瞬間、それを察したクラレットが仲間の前に立ち塞がった。途端に幻惑がクラレットを襲い、脳裏を揺さぶる。
 雪の幻影が引き起こす力によって、視えたのは――。
「いや、然し。ああ、そうだ……もしもほんとうに願いが、そんなことができるなら……君を、私と引き換えにしてでも」
 救いたかった。
 零れ落ちた言の葉にクラレットがはっとする。それは、いつの記憶だったのか。何の光景だったのか。気付いた時には記憶の断片は思い出せなくなっていた。
「大丈夫? もう治したから、頑張って」
 心的外傷が消えたのは癒乃が即座に癒しの力を施したからだ。しかし、クラレットは胸のざわつきを消しきれない。そのとき、背後からふわりとした感触を覚えた。
「ノーレ?」
 それは伴の少女がクラレットを後ろから抱きしめた感覚だった。すぐに離れたノールマンは淡い笑みを浮かべ、主の背を押す。
 ――あなたを許します。
 少女の花冠が揺れ、声が聞こえたような気がした。
 されどそれも一瞬。今は考えるべきではない、とクラレットは凛とした佇まいで体勢を立て直す。仲間を気遣いながら、メルルは時空を凍結させる弾丸を撃ち放った。
「私も叶えたいことは、思い出したいことがあります、けれど……」
 過去の自分を知る為に命を引き換えに渡すことなんて、出来ない。寒さの所為か、考えの所為か、ふるふると首を振ったメルルの様子に気付き、ジエロは穏やかに語った。
「屈してはいけない。失っては、何も叶わないのだから」
 それは自らにも言い聞かせる言葉だったのかもしれない。ジエロは仔猫型の病魔を召喚し、痛みを受けた仲間を癒した。
 その通りだ、と頷いて同意を示したテトはエクスカリバールを握る手に力を籠める。
 次の瞬間、遠慮も衒いもない一撃が雪女を穿った。
 ベルノルトも刃を斬り返し、絶空の斬撃を放ちに駆ける。心なしか吹き荒れていた吹雪は少しずつ弱まり始めている。
「貴女に願いを叶える力など無いと、知れて良かった」
 命を賭す事は切なる願いにもまた等しく。もしその力が本物なら、と何が待っていたのか。ベルノルトの一閃は敵を切り裂き、体力を奪い取る。
 戦いは続き、仲間達は果敢に立ち向かい続けた。
 幾度も交差する攻撃。癒しの力が放たれていく中、アリシスフェイルは攻撃手としてこれまで以上の猛攻を仕掛けようと心に決めた。
 少年の願いは叶わない。少なくとも、目の前の敵に叶える力などない。
「願いが本当に叶えられるのなら悩みもしたかもしれないけれど、きっと私の答えは変わらない。命がけで守ってくれた家族の想いを無為にはできないわ」
 そう、少年も家族を想っている。
 ならばきっと自分と同じだと感じ、アリシスフェイルは左腕を天に掲げた。
 繰り出されるのは狂葬の翼。敵に突き刺さる刃から流れ込む魔力が巡り、弾ける。それが大きな転機となり、戦いの終わりが見え始めた。

●叶わぬ夢
 敵の力もあと僅か。
 誰もがそう感じ取り、終幕に向けての力を揮っていく。アニーは足元の雪を蹴飛ばす勢いで駆け、雪女との距離を一気に詰めた。
「少しあったまってきた所だけど、さっさと終わらせよう!」
 機械の腕を突き出す様すら、しなやかな獣の所作のようにアニーは鋭い一閃を打ち込む。雪女は尚も妖しい笑みを浮かべているが、弱ってきているのは一目瞭然。ジエロはクリュスタルスに攻勢に入るよう願い、自らも気咬を練りあげた。
「命と引き換えに、なら……」
 ふと思うのは先程の自分の言葉。大切な子が悲しまないよう自分の存在もなかった事にしたい。だが、共に居たいと願う気持ちの方が、今は強かった。
 仲間の攻撃が敵を穿つ様を見据え、テトも追撃に向かう。
「大体、願い事を叶えるなんて大きなお世話なんだよ」
 そんな都合の良い話、あってたまるかと一蹴したテトはエクスカリバールを大きく振り被った。放たれた一撃の衝撃が敵を揺らがせ、其処に隙が出来る。
「ノーレ、やるぞ」
 主の声に応じたノールマンが先んじて敵に金縛りを仕掛ければ、クラレットが指先を雪の化身に向けた。凍てるゆびの魔力によって縫い込まれた禍は敵の中で芽ざし、鋭利な氷柱となって迸る。
 アリシスフェイルは掌を強く握り締め、鋼の鬼をその身に纏った。
「思う事は色々あるけれど……今やるべき事は、決まっているわ」
 それは――手を伸ばせば届く、救える可能性のある命を救うこと。超鋼の拳が衝撃を散らす様をしかと見つめ、メルルは姉妹のように慕う相棒猫に呼び掛ける。
「これが最後。イル、お願い。一緒に――」
 翼の羽搏きを頷き代わりとして、ソウェイルが尻尾の輪を飛ばした。それに合わせてメルルが雷撃を撃ち放つ。
 ベルノルトは仲間達の連撃に、硝子の奥の目を細めた。そして、終わりを齎すために刃を敵に差し向ける。
「どうか安らかな眠りを」
 別れの言葉と共に霧放たれるのは、天つ冥定。
 霊力を帯びた刃が雪女の髪を、肌を切り裂いて致命傷を作り出した。
 敵の最期を悟り、癒乃はルキノと視線を交わしあい。駆けたルキノが神霊の一撃を見舞う最中、癒乃は吐息を吐いた。
「きみも、もう休むといいよ、真っ白な世界の中で……ね?」
 それは儚げに散る氷のように、世界を冷たく、真っ白に彩っていく。ただ静かに、誰にも見咎められる事無く世界を侵食していく白雪のように――悪夢はそっと、葬られた。

●凍て星
 いつしか吹雪は止み、しんと冷えた空気が辺りに満ちていた。
 戦いは終わり、夢は少年の元に還った。仲間達はほっと息を吐いて一先ずの安堵を覚え、保護した少年の元へ向かっていく。
「彼は無事だろうか? 凍えていないだろうか?」
「無事です。体調の心配は要らないようですね」
 そわそわと少年を気にするアニーに、ベルノルトが声をかけてやる。見れば少年の肌の血色はよくなっており、凍えてもいないようだ。
 そうして、お疲れ様、と翼猫を撫でたメルルは少年が目を覚ましたことに気付いた。
「こんばんは、何処か痛かったりさむかったりしますか?」
「ううん……大丈夫」
 少年はそう答えた後、不思議そうな顔で此方を見遣る。
「安心して呉れ。私はケルベロスをやっていて……それで本業は、ただの医者だ」
 クラレットは彼の頭をそっと撫でてやり、事情も境遇もわかっていると話してやった。そして、癒乃はふと問いかける。
「お母さんの病気は? 私は治癒者だから助けられるかもしれない」
「折角お医者さんが揃ってるんだし、お母さんも診てもらったら?」
 テトも仲間達を示し、治癒の可能性があるかもしれないと語った。だが――。
「駄目なんだ。お母さん、もう意識が無くて……今夜が、峠だって」
 其処で癒乃達は気付く。少年が噂を信じ、命を賭してまでこの場にやって来たのは相応の状況と事情があったからだ。いくらケルベロスとて、死に向かう者を完治させる力を持っているわけではない。
「そう、なの……? でも、ううん。それなら早く戻りましょう。今すぐによ!」
 アリシスフェイルは絶句しかけたが、気を取り直して少年の手を取る。テトも頷き、自分のマフラーを少年に巻いてやり、早く行こう、と森の出口を指さした。
 たとえ何もかもが絶望的でも最後の最期に傍に居られない事の方が辛い。
 今、出来ることは少年を母の元へ帰すことだ。メルルとアニーはこれが自分達の役目だと感じ、先導するベルノルトも街までの道を拓く。
 ジエロは少年の背を支え、仲間と共に先を急いだ。
「一緒に居られる方が、幸せなんだ。最後の幸せを、手放さないで」
「……うん」
 ありがとう、と少年は答える。哀しげで儚いその横顔を見つめたクラレットは、少年が両手を重ねて祈り始めたことに気が付いた。
「そうか、結局は――」
 雪景色の中、クラレットが零した言葉の先が紡がれることはなかった。
 すべての願いが叶うわけではない。
 叶わぬ思いは、祈りに変えるしかない。
 そうすることしか出来ぬ故に――少年はただ、凍てつく星に希う。

作者:犬塚ひなこ 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年2月6日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 1/素敵だった 6/キャラが大事にされていた 0
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