碧玉の迷い仔

作者:小鳥遊彩羽

 白い雪と氷で覆われた釧路湿原の一角に、その姿はあった。
 黒い狼に似た獣の毛皮を被った何者かが、相対するアンドロイド型のダモクレスの少女へ優しく声をかける。
「そろそろ頃合いね。あなたに働いてもらうわ。……恐れも迷いも抱かずに、暴れて来なさい──」
「……お望みのままに、テイネコロカムイ様」
 碧玉の瞳を瞬かせた少女の口から零れたのは、何の感情も窺えない、無機質な声。
 そして、少女はテイネコロカムイより託された魚達と共に、夜明け前の、未だ人々が眠る世界へと繰り出していった。

●碧玉の迷い仔
「すごく寒い中申し訳ないんだけど、釧路湿原に向かってもらいたいんだ」
 トキサ・ツキシロ(蒼昊のヘリオライダー・en0055)はそう言って、とても申し訳なさそうにケルベロス達を見やった。
 ──第二次侵略期以前に命を落としたデウスエクスが死神にサルベージされて暴れ出す事件。まだその全容が掴めぬ中、また新たなデウスエクスがサルベージされてしまったのだという。
 そのデウスエクスは釧路湿原で死んだのではなく、何らかの意図によって釧路湿原まで運ばれたものと見て間違いないだろう。その目的は市街地の襲撃にあるようだが、幸いにして侵攻ルートは判明している。
 よって、湿原の入り口辺りで迎え撃ってもらいたいとトキサは続けた。
 サルベージされたデウスエクスは、バスターライフルを持つアンドロイド型のダモクレスの少女だ。死神によって変異強化されており、そのためか意識が希薄で、逃走の可能性こそないものの、意味のある言葉を交わすことは出来ないだろう。また、配下として少女を守るように動く二体の深海魚型の死神を引き連れているとのことだ。
 一通りの説明を終え、トキサは改めてケルベロス達を見つめる。
「死神の意図はわからないけれど、……一度は終わった命だ。どうか『彼女』を、もう一度皆の手で眠らせてあげてほしい」
 願うようにそう言い添えて、トキサはケルベロス達をヘリオンへと誘った。


参加者
ネーロ・ベルカント(月影セレナータ・e01605)
チャールストン・ダニエルソン(グレイゴースト・e03596)
西村・正夫(週刊中年凡夫・e05577)
マール・モア(ダダ・e14040)
ティ・ヌ(ウサギの狙撃手・e19467)
レイラ・クリスティ(蒼氷の魔導士・e21318)
日御碕・鼎(楔石・e29369)
苑上・葬(葬送詩・e32545)

■リプレイ

 まるで、空が哭いているようだった。
 一面の銀世界に降り立ったケルベロス達は、ただ静かにその時を待ち受ける。
「煙草、吸って良いですか?」
 身に沁みる寒さに肩を竦めつつ、西村・正夫(週刊中年凡夫・e05577)が切り出した。
「まぁ、要は大人のおしゃぶりですよね。寒いのはどうにもならないにしても、気は紛れるんですよ」
 白い世界に灯る小さな火。張り詰めたような空気をも紛らわすような軽口と共に吐き出した紫煙は、すぐに吐く息に溶けて消えていく。
 ――そして、『その時』は程なくして訪れた。
 死の御使いである魚達を従え、雪原の果てから現れたダモクレスの少女が、碧玉の瞳にケルベロス達の姿を映す。そして少女はすぐにケルベロス達を排除すべき敵と認識したのか、自身の身の丈よりも大きなバスターライフルを構えた。
 ネーロ・ベルカント(月影セレナータ・e01605)の顔にふと浮かぶ笑み。その秘められた狂気に気づいた者はいただろうか。
「今度こそ、静かに眠らせてあげよう……なんて」
 どこまでも穏やかで優しい声音。けれども、ネーロにとっては眠らせてあげようなどというのは建前に過ぎなかった。
 ダモクレスの少女がどういう経緯で今ここにいるのだとしても、彼女が排除すべき敵──デウスエクスであることに変わりはないのだから。
「安寧の死後に意識さえ胡乱な傀儡とされる、か。……まこと虚しいな」
 苑上・葬(葬送詩・e32545)が少女へと向けた声には、幾許かの憐憫すら込められているように感じた。
「またテイネコロカムイですか。これ以上好き勝手にさせるわけにはいきませんね」
 まるで雪に紛れてしまいそうな真っ白な服を身に纏い、ティ・ヌ(ウサギの狙撃手・e19467)は溜め息混じりに呟く。
 ウェアライダーの先祖まで尖兵として利用する死神――テイネコロカムイに対して、ティは一刻も早く決着をつけたいと心を逸らせていた。
 そんな彼女を案じるようなボクスドラゴン、プリンケプスの眼差しに、ティは微笑んで静かに語りかける。
「……バックアップをお願いね。行くよ、プリンケプス!」
 レイラ・クリスティ(蒼氷の魔導士・e21318)も、叶うならば突き止めたいと思っていた。
(「テイネコロカムイが、一体何を考えているのか……」)
 どこにいるかわからない元凶へ、思うところは多い。だが、まずは何よりも目の前にいる敵を倒すべく、レイラはすぐに意識を切り替えた。
「敵とは言え、命の尊厳を踏みにじるなんて、絶対に許されません。……せめて、安らかに眠らせてあげましょう」
 自分の手を染めずに誰かを使役するなど、臆病のすること。
 だから、日御碕・鼎(楔石・e29369)はそんな死神の手段があまり好きではなかった。
 その『臆病』な死神が様子を見に来てはいないかと青い瞳を巡らせるが、どうやら目の前の少女と魚達以外の『誰か』は見える範囲にはいないよう。
 ――それでも、少しずつ核心に近づけていると良いと鼎は思う。
 この地で望まぬ二度目の生を強いられたデウスエクスの多くがケルベロス達によって再び在るべき場所へ還されていることを、知らないはずはないだろうから。
 チャールストン・ダニエルソン(グレイゴースト・e03596)は碧玉を真っ直ぐに見やりながら、想いの火を煙草ではなく胸中に灯す。
 体に受けた傷は薬やヒールが、心が受けた傷は言葉や時間が癒してくれる。
(「……では」)
 この迷い仔にとっての癒しは、果たして――。
 想い巡らせるチャールストンの思考を、現実へと引き戻す甘い響き。
「さぁ、存分に愉しみましょう」
 マール・モア(ダダ・e14040)の声は、まるでお茶会にでも誘っているかのように柔らかなものだった。
 常に纏うクラシカルでゴシックなドレスも、今日は特に暖かな冬仕様で。傍らのナノナノもまた、マールお手製のお揃い風の衣装に身を包んでいた。
 少女が構えたバスターライフル。その銃口に収束した光が、光線となって放たれる。
 ――空からは、白い雪が舞い始めていた。

 少女の光線はティを狙ったものだったが、受けたのはすぐさま身を翻したマールだった。
「ナノちゃんも同じように。仲間の防護と回復を重視して立回って頂戴な」
 指示を受け、ナノナノがハートのバリアでマールを包む。
「皆さんは、私が守ります!」
 一方、青睡蓮の意匠が施された金の雷杖をくるりと回し、守りの壁を編み上げたのはレイラだ。
 雷杖の力も、オラトリオの翼も。そして、鹵獲術士の傍らでウィッチドクターとして磨いてきた腕も。
 どれも、誰一人として仲間達を倒れさせることなどしないという、レイラのひたむきで強い意志の現れだった。
「――お手をどうぞ」
 一人、魚ではなく少女へと向き直ったマールが構えるのは、少女と同じバスターライフル。銃身と引き金、両方に添えられた手には凍て空の雪白を模した革手袋。愛用のそれに眦を和らげ、それから引き金を引いた。放たれた光線もまた、ゆらりと現れた魚に吸い込まれていった所までもが同じようで。
 怨嗟の声が伴奏なんて無粋だけれど、雪舞う氷の舞踏場は風情があるもので。
「少しでも貴女の心に近付きたくて同じ得物を選んだの。素敵でしょう? ねぇ、お揃いってどきどきするわよね」
 親しい友に語りかけるように少女の気を惹こうとするマールに、碧色の瞳が揺れたようにも見えたのは気のせいだっただろうか。
 残るケルベロス達もまた素早く散開し、二体の魚達へと向かっていく。
「……少しは、楽しませてくれるのかな?」
 穏やかな声音とは裏腹に、無慈悲に刻まれるのは星の煌めきを宿す重厚な蹴り。ネーロの攻撃に跳ねた魚を、チャールストンが間髪入れずに自らのグラビティ・チェインを絡めた黒鎖で打ち据える。
 吐き出した白い息が風に紛れていく様を視界の片隅に捉えながら、チャールストンは胸中に浮かんだ想いを掬い上げた。
 碧色の瞳が見た世界の景色は、果たしてどのようなものだったのだろう。
 生を終えた後の世界も、『ここ』のように――雪と氷で閉ざされた寒くて寂しい所なのだろうか。
(「だとすれば、そのような世界に行くことは」)
 ――果たして、癒しとなるのだろうか。
 北の大地に棲まう死神の噂が広がり、事件が起きるようになってからもう随分と経つが、ここまで黒幕たる死神――テイネコロカムイの姿が見えてこないのも、些か不気味だと正夫は思う。
「少しは尻尾を出してくれた方が可愛げもありましょうに……」
 ぼやくような声を一つ、怪魚めがけて正夫が放ったのは、生命を喰らう地獄の炎弾だった。
 正夫はちらりとダモクレスの少女を見やる。
 意思の疎通が出来ない以上推し量ることしか出来ないけれど、意に沿わないことのために無理矢理動かされるというのも、哀れだと思うから。
「……今はただ、壊しましょう」
 願わくはそれが、『貴女』の望みでもあるように。
「魚料理は得手だ。三枚おろしかブツ切りか、好きな様に捌いてやろう」
 そして在るべき場所へと送ってやると、葬は緩やかな弧を描く斬撃で魚を斬る。
 これまでにいくつもの『死』を葬送者として見送ってきた葬は、今回もそのつもりでここに来た。
 死を招き、運ぶ者。その思惑を推し量ることは出来なくとも、一度送られた命を呼び戻すなどあってはならないと思うから。
「――ここで再び死地へと還れ」
 三度惑わされることのないよう、せめてもの餞に。碧玉の君へ続く道を拓くべく、葬は再び地を蹴った。
 白くて大きな兎耳を揺らし、ティは魚達の元へ一気に加速し肉薄した。
 猛る暴風の如き動きで、魚達の動きを乱すティ。そこにすかさず狙いを定めたプリンケプスが勢い良くブレスを吹き付ける。
「……――」
 ふと湿原を見やったティの瞳に映る、どこまでも白く、――白い世界。
 その『白』が、魚が放った怨嗟の黒色によって束の間、塗り潰される。
「――癒しの、堺」
 ぬかるみのような澱みを払おうと、鼎は呪術の札を用いて結界を張り巡らせる。
 命の息吹が感じられない世界はどこまでも寒くて。
(「早い処終わらせたいです、けど」)
 難しいかもしれない、そう思いかけて、鼎は小さく首を横に振った。
「……いえ、きっちり終わらせましょう」
 それこそが、自分達の役目だから。

「――目標補足」
 より高い精度でティが放った質量弾が、魚の片割れに突き刺さり爆ぜる。
 命を砕かれ、ただの肉と骨の欠片となった魚が地面に落ち、雪に溶けるように消えていった。
「すぐに後を追わせてやろう」
 片割れへと迫った葬が、魂を喰らう降魔の一撃を放つ。流れ込んでくる力に、普段からあまり動くことのない表情に薄く笑みが浮かんだ。
 両腕の黒鎖を魚へと絡めながら、チャールストンはふと思う。
 死者を悼めるのは、生きている者だけ。そして、死者を冒涜する者を倒すのも、生きている者だけだ。
 だからこそ、自分達は『それ』を追い、そして倒すのだ。
 眠りについた彼らが、これ以上誰にも利用されることのないように。
 鼎の手によって戦いの序盤に皆の攻撃力が大きく底上げされていたことが功を奏し、残る一体の魚も相応に弱っていた。
「雪原、だけど。氷漬けにしてやるよ」
 魚の体を覆っている氷は、巡る攻防の最中に鼎が喚び出した氷結の槍騎兵によるものだ。そして鼎はこの氷を、今度は魚を蝕む足止めや捕縛ごと空の霊力を帯びた攻撃で一気に増やしたのである。
「随分と寒そうですね。とは言え我々も寒いことに変わりはないですから、早めに終わらせて頂きますよ」
 正夫はぶるりと肩を震わせ、それから巨大な竜槌を軽々と振り抜いた。
 生命の『進化』の可能性を奪うことで凍結させるという超重の一撃が、身を翻そうとした魚を捕らえ、強かに打ち据える。
「早く、楽になってしまいなよ」
 跳ねて地面に落ちた魚を、ネーロの掌から踊った竜の炎が容赦なく包み込む。
 畳み掛けられた攻撃に魚は完全に抵抗する力を失い、やがてその場から消え失せた。
 ――雪原に残るは、少女ただ一人。
 戦いの終わりも、そう遠くはないだろう。ならば一刻も早く終わらせたほうが良いと、それまで仲間達の癒しに徹していたレイラが精霊魔法を展開させる。
「あなたに、永遠の安らぎを授けましょう……氷の精霊よ、彼の者に手向けの抱擁を――」
 レイラの凛とした声が響き渡った直後、紡がれた言葉は巨大な魔法陣へと姿を変え、少女の足元に現れた。次の瞬間、魔法陣から噴き出した無数の氷柱が、少女の体に突き刺さる。
 全身に傷を負い、既に満身創痍といっても過言ではない少女は、けれどまるで痛みを知らぬかのように抗うことを止めなかった。
 傷ついた少女のバスターライフルからネーロを狙って放たれた凍てつく光を、斜線上に飛び込んだ葬が受け止める。
 身体だけでなく心まで凍らされてしまいそうな痛みをやり過ごし、葬は再び、拳に命を喰らう力を集める。
「これくらいで倒れてしまうほど、柔ではないからな。……二度と操り人形にならぬように、天上への道を示そう」
 帰る道を忘れた迷子へ、奮われる葬の拳。
 その後ろから、謳うかのような高らかな声が響いた。
「――イスラーフィールの奏でる音色はすぐそこに」
 ネーロの声に呼応するように、太陽とは違う、けれど雪原を照らす光が浮かび上がった。
 少女を取り巻く悪を浄化せんと突き刺さるそれは、裁きの光。
 その光の中に舞う雪が、ちらちらと瞬いているように見えた。
 ダイヤモンドダストと呼ぶにはささやかすぎる煌めきはとても儚くて、悲しいもののように正夫の目に映る。
 それでも、これが迷う御霊を送る慰みになるのであれば、ここで美しく終わらせてあげることこそが弔いに他ならない。
「おじさん、ちょ~っとカッコつけますね……」
 正夫は真っ直ぐに少女を見据え、スーツの上着を脱ぎ、シャツの袖を捲った。
「六道輪廻に絶えなき慈悲を――」
 少女の懐に潜り込み、正夫は拳を繰り出す。一見何の変哲もないように見えるそれは、愛する家族を守る力を求めて大岩撃ち千日行を行った男の拳だ。
 抉るような拳に、少女は辛うじてその場に踏みとどまった。だが、バスターライフルを支えに立つのがやっとのようで、左腕は既に上がらなくなっていた。
「さぁ、――召し上がれ」
 震える少女の唇へ、マールは黄金色の林檎から滴る蜜を落とす。
 それは、天上の園へと至るための導。
 願わくは彼女の行く先が、あたたかな光と花に満ち溢れた場所であるように。
「君にも自分の意思はあったのかな」
 鼎は何気なく少女へ問う。答えなどないとわかっているけれど、それでも問わずにはいられなかった。
「でも、もう少しだけ待って。解放してあげる」
 ――此れは、俺の我儘。
 囁いた鼎の手により、再び張り巡らされた結界。それは、確かな力を刻むもの。
 その力を受けたチャールストンが、自らのグラビティ・チェインを小さな弾丸へと練り上げた。
 例え、この先に待ち受けているものを眠りと表現しようが、永遠の静寂と、永遠の安らぎと言い換えようが、――それが意味するものは、ひとつだけ。
「アタシたちがアナタにあげられるものは……これしかないのですよ」
 紡がれた力ある言葉が落ちると同時、生成された弾丸が少女へ向けて放たれる。
 それは、ひどくシンプルな技だった。ゆえに、少女を襲った衝撃も、ひどく小さなものだった。
 けれどその衝撃により仮初めの命を砕かれた少女は地に倒れ、やがて再び、在るべき場所へと還っていった。

 刺すような冷たい雪が、ケルベロス達の頬を撫でる。
 少女が辿ってきた足跡は、おそらくもう真新しい雪に覆い隠されてしまっているだろう。少女自身の亡骸も、砂のように崩れて雪に溶けてしまった。
 ここで戦いがあったという痕跡さえ、失われてしまうまでにさほど時間はかからないはずだ。
 元凶たる死神――テイネコロカムイを追いたいと願うのならば、この後、然るべき手段で情報を集める必要があるだろう。
 どこまでも白く染まった世界は、生きとし生けるものを全て受け入れ抱きしめるような雄大さを孕んで、ただ静かに来たるべき時を待ち続けている――。

作者:小鳥遊彩羽 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年2月3日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 1/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 6
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