踏みにじられた愛。思い出を汚す者、カリヤ

作者:そうすけ


 夕焼けの下。明かりを灯し始めた高層ビル群を、喰い入るように眺める少女がいた。
 見えない誰かと話をしているようで、茜色した横顔が、時々、唇を開く。
「……はい。……ええ……ですが……わかりました。仰せのままに」
 少女――カリヤ・ユイは唇をかみしめると、深い紫に染まりは始めた空に背を向けた。
 溜息。
 もう一度溜息を落とすと、赤い眼鏡を指で押し上げた。
「あ~あ、残念。せっかくこの皮にも馴染んで……、仕掛けを回収しようと思っていたところだったのに」
 殺して奪った女の皮をかぶり、ずいぶん長い間、地球人のフリをして暮らしきた。我慢に我慢を重ね、不自由を忍んで、今日ま潜伏してきたのだ。それもこれも、絶望と悲嘆のスパイスをまぶして味付けした、極上のグラビティ・チェインを大量に奪うため――。
「ああ、『もったいない』な……って……」
 カリヤ・ユイはぱっと顔を輝かせた。
「そうよ、『もったいない』。わたしったら、いつも子供たちに言って聞かせていたじゃない。『もったいない』って。残していくことなんてないわ。あの子たちのグラビティ・チェインはレジーナ様への手土産にしましょう!」
 気分が上向いたところで、両腕をあげて背伸びする。
「もうすぐお出迎えの時間だし、早く園に戻らなきゃね。うふふ」
 空には一番星が瞬いていた。
 これから潜伏ダモクレスによる大虐殺など起こらないかのように。
 

「大変だよ!! 指揮官型ダモクレスの地球侵略が始まったんだ!」
 ゼノ・モルス(サキュバスのヘリオライダー・en0206)は集まったケルベロスたちを前に両腕をバタバタさせた。
「聞いて。指揮官型の一体『コマンダー・レジーナ』の部下で、ある大手企業の事業所内保育所に保母として長らく潜伏していたダモクレスが、急に本性を表して子供たちや、迎えに来た母親や父親、そして先生たちを次々と殺害していく予知を得たんだ」
 ゼノはここまでを一気にまくし立てた。
 子供たちが犠牲になると聞かされ、ケルベロスたちが一斉にどよめく。それもただ犠牲になるだけではない、親愛の情を寄せていた保母さんに殺されてしまうのだ。
「子供たちは……ショックと恐怖で泣きながら、母親や父親の腕の中で死んでいく。中には大好きだった先生の豹変が信じられないで、自分が悪いことをしたと思い込み、『ユイ先生、ごめんなさい。怒らないで』って謝りながらダモクレスに抱きついて殺される子も……」
 残酷なシーンを思い出し、ゼノは震え出した。固く閉じた目蓋の下から、涙を流す。
「ひどいよね……ダモクレスは、カリヤ・ユイは薄笑いを浮かべながら……絶対に止めて! お願い!」
 事件が起こる事業所内保育所は、ビルの屋上の一角ある。
 カリヤ・ユイはまず、二基あるエレベータを破壊。退路を断ってから虐殺始める。
「いまから向かえば、エレベーターが壊されて、パニックが起こる直前にヘリオンから降下できるよ。屋上の出入り口はもう一か所、非常階段がある。エレベーターがある場所のちょうど反対側にあるんだけど、鍵がかかってるからドアを壊して」
 ただ、一度に階段を降りられる人数はどうしても限られてくる。階段幅は狭く、急なので、パニックになった子供たちが駆け込めばとても危険だ。
「……あと、子供たちが受ける心の傷のことなんだけど。どうにかして、大好きなユイ先生と、みんなを襲うダモクレスは別人だって思い込ませられないかな? もちろん、子供たちや父兄、それに先生たちの保護が最優先だよ」
 できれば、でいいから。ゼノは指で涙を拭った。
「なによりも……コマンダー・レジーナに、これ以上の情報を渡さない為にも、非道なるダモクレス、カリヤ・ユイを必ず撃破して」


参加者
天導・十六夜(天を導く深紅の妖月・e00609)
樋口・琴(復讐誓う未亡人・e00905)
パトリック・グッドフェロー(胡蝶の夢・e01239)
森沢・志成(半人前ケルベロス・e02572)
柳橋・史仁(黒夜の仄光・e05969)
ランドルフ・シュマイザー(白銀のスマイルキーパー・e14490)
リーナ・スノーライト(マギアアサシン・e16540)
折平・茜(モノクロームと葡萄の境界・e25654)

■リプレイ


 
 ―――この世でもう一度逢いたくて、絶対に逢いたくない奴だ。
 
「行こう。子供たちを助けに。彼女を救いに」
 パトリック・グッドフェロー(胡蝶の夢・e01239)に続け。怒号と悲鳴が渦巻くビルの屋上に向かって、ケルベロスたちはヘリオンから飛び出した。
 

 リーナ・スノーライト(マギアアサシン・e16540)は空中で体を起こすとプリンセスモードを発動させた。
 禍々しい凶兆の赤に染まった空が、掲げるランプが発する淡いラベンダー色と夜の衣に包まれて、甘い葡萄色に染め変わる。
 パニックに駆られて逃げ惑っていた子供たちが足を止めた。続いてその親たちが、恐怖に引きつる顔を上げる。小さな子を片腕に抱いた若い男が、空を指さしながら叫んだ。
「ケルベロスが助けに来てくれたぞ!」
 大人たちの口から安堵の溜息が漏れる。だが、子供たちの反応はばらばらだった。
 歓声を上げる子がいる一方で、新たに悲鳴をあげる子がいた。ケルベロスの登場により、今起こっていることが夢ではない、と悟ったのだろう。
 黒衣のプリンセスは小さな銀の星を屋上に降らせながら、園児たちとガトリングガンを構え持つダモクレスの間に降り立った。
「もう大丈夫……みんなを助けに来たよ。何も悲しむことなんてないよ。あの先生は、本物の先生じゃないから……。ダモクレスが化けた偽物……。本当の先生は、貴方達に酷い事なんて、しないでしょ……?」
「あらあら、呼ばれもしないのに。まったく出しゃばりな犬たちね。いまはふれあい保育の時間じゃないの。『部外者』はさっさと出て行ってちょうだい」
「『部外者』はお前のほうだろう。この偽物め!」
 固くとがった言葉をダモクレスに投げつけながら、森沢・志成(半人前ケルベロス・e02572)が屋上に降り立つ。
 志成は足に縋りついてきた園児の頭に手をやると、微笑んだ。
「あのダモクレスは見た目も、考えてることも、持ち物だって全部真似しちゃう奴なんだ」
「ほんと?」
 涙にぬれた小さな目に、ほんとうさ、と力づよく頷く。
「そうじゃなきゃ、先生が君達を攻撃するはずないよ。偽物は、僕たちの仲間が、きっちりお仕置きしするからね。さあ、早く。僕の仲間達の言うことをよく聞いてここから逃げて」
 壊れた玩具が発するような、耳障りな高笑いが響いた。
「嘘よ! 知らない人の言うことを簡単に信じちゃダメ。先生、いつも言っているでしょ? わたしはカリヤ・ユイ。みんなの大好きなユイ先生よ」
 ダモクレス、カリヤ・ユイの目に狂気の光が宿る。
 カリヤの背中から愛らしいぬいぐるみが次々と打ち出され、屋上に降り立ったケルベロスたちと子供たちの後ろに落ちた。
 屋上を囲む柵の根本から真赤な雲が次々と湧き上ったかと思うと、熱を帯びて折れ曲ったオレンジ色の折線となり、次の瞬間にはコンクリートの床ごと粉々に砕けて崩れ落ちる。屋上に太い亀裂が走り、幼子を抱いた母親がバランスを崩して体がビルの外へ落ちた。
 刹那――黒と白の竜の翼が、親子の上で広がった。
「問題ない。なに、避難の順番が一番になっただけのことだ」
 天導・十六夜(天を導く深紅の妖月・e00609)は、親子を抱いたままゆっくりと、天井を失った階下のフロアへ入った。ぶるぶると震える母親を腕から降ろして立たせる。
「落ち着いて。エレベーターは使えないから、非常階段から逃げて欲しい。ゆっくりと、慌てずに」
 十六夜は安心させるように微笑むと、母親の背に手を当て押した。フロアの奥へ去っていく母親をしっかり見送ってから、屋上に戻っる。
「よし、子供を先に下の階へ連れていこう。さあ、こっちへ」
 だが、誰も柵を失ったビルの縁に近づこうとしない。わずかに残る陽の光が、割れたこの場が空中に浮かんでいることを強く意識させ、恐怖をあおっているのだ。
『貴殿の光、我等には不要だ』
 柳橋・史仁(黒夜の仄光・e05969)は、暗闇を孕む薄布を崩れた床や柵の上に広げて覆い隠した。
 たちまちのうちに、柵が柔らかい曲線を描いてビルの縁に生え、幾重にも重なった蜘蛛の巣のタイルが穴を埋めていく。
「避難させやすいように、一部だけ直さず開けておいた。みんな、これなら怖くないだろ?」
 少し大きなお兄ちゃん。史仁のことをそう思ったか、子供たちが次々に「怖くない」と誇るように口にする。
「偉いぞ。じゃあ、半分、半分になって。親御さんたちは非常階段へ――」
「だ・か・ら、余計なことしないでちょうだいって言っているでしょ! このバカ犬!」
 ダモクレスが引き金を絞ると、ガトリングガンが火を噴いた。銃身のしたにぶら下がっているパンダのぬいぐるみが激しく揺れる。
 血が滲むほど強く握りしめた拳を力強く振り抜きながら、折平・茜(モノクロームと葡萄の境界・e25654)が駆ける。
 茜は何のためらいもなく、火を噴く銃口の前に立ちはだかった。無数の銃弾を受けた体がたちまち血で濡れ、赤く染まる。
「あら、自ら進んで……バカじゃない?」
 手負いの羊は食いしばった歯を解くと、無駄でも言わずにいられない言葉を怒りとともにぶつけた。
「え……演技だったかもしれないけど、さ……お前には、情はわかなかったのか……!」
「あら、情ならあるわ。大事に育てたグラビティ・チェインだもの。地球人だって、最後は食べるにしても、家畜は可愛がって育てるでしょ?」
「テメェって奴は!」
 ランドルフ・シュマイザー(白銀のスマイルキーパー・e14490)は、びっしりと身体を覆う銀毛を逆立たせた。
 力強くも優美な巨獣が、茜を庇うように並び立つ。
 カリヤは巨獣の怒気に押されて顔を引きつらせると、再び引き金に指をかけた。
「こっちが先だ!」
 ランドルフは白鎧化させたアスラメタルで体を覆うと、カリヤよりも先に二丁のリボルバー銃を乱れ撃った。
 これにはたまらず、引き金から指を離してカリヤが下る。
 いまのうちに、と史仁があわてて暗夜魔法をランドルフたちに重ねがけした。
 銀狼が吠える。
「みんな、さっきの話を聞いたか! そうだ、コイツは真っ赤なニセモンだ! 本物の先生はもう……せめて、先生の分まで守らせてもらうぜ!!」
 樋口・琴(復讐誓う未亡人・e00905)は、さめざめと涙を流す子供を抱き上げた。
「幼い子供を狙うだけでも許せないのに。こんなに酷い方法を……子供たちの心を傷つけたうえで命を取るだなんて、絶対に許せません。犠牲者を出すことなく終わらせてみせます」
 琴は非常階段をふさいでいたドアの鍵を壊してあけ、保護者たちに連れられた子供をほぼ逃がし終えていた。
「泣かないで。あの先生は偽物のロボット。ユイ先生じゃない」
 あやしながら、指で優しく頬の涙をふき取ってやる。
「本物だって言っているでしょ」
「お黙りなさい!」
 カリヤに向けた指の先から、涙の滴が飛ぶ。
「貴方がこれ以上、子供たちの気持ちを傷つけることを許しません」
「はっ! おばさんが、なにいってんだか。子供に嘘を教えちゃダメじゃない、私は間違いなくユイ先生なの!」
 抱いていた子供を降ろすと、手で後ろへ押しやった。深まりゆく闇の中を滑るようにして、ダモクレスとの距離を詰める。
「黙れ、といいました」
 カリヤが腰に巻いたリボンを硬化させてドリル化した。
 迫るドリルの先端を交わし、間から気を纏った指を突き出す。
 喉を突いた指がダモクレスの体に流れていた気脈を断ち切ると、リボンは回転する力を失って垂れ落ちた。
「う……ぐぐっ……ン…」
 琴は袖をひるがえすと、子供たちをつれて非常口へ向かった。
 銀狼の後ろから、剣気を帯びたパトリックがカリヤの前に姿を見せる。
「久しぶりだな、ユイ。再会出来るとは、夢のようだ」
「え? まさ、か……お前、は仕留め、損……ねた……この皮、の……?」
 

 この皮。
 カリヤが吐いた言葉に強い衝撃を受けて、歩みが止まる。
 固くまぶたを閉じて体の震えを押さえつけていると、気遣うように小さく鼻を鳴らしたボクスドラゴンの、柔らかな前髪が頬に触れた。
「ティターニア。ネックレスを一旦返して貰うぜ。オレの彼女……ユイの形見の」
 赤い宝石のついた鎖をボクスドラゴンの首から外し、自分の首につけかえる。
「ど……んんっ、くそ、あの女! ごめんね、声が出なかったの。それで、どうしちゃったのぉ、その姿。スカートなんかはいちゃって。皮を剥された彼女の死体を見て気が変になった? 俺が皮のない君の代わりにお洒落してあげるよ~って? あはは、かわいそー」
 カリヤがケタケタと狂気に満ちた笑い声をあげる。
「私をまだ愛しているなら、ここで死んで皮を残して頂戴!」
 ブラウスが破れて胸部が開き、出現した発射口から憎愛に満ちた必殺のエネルギー光線が解き放たれる。同時に、カリヤはガトリングガンを左右に振って、火玉を乱れ撃った。
 友の前に浮ぶティターニアの隣に、非常階段から駆けてきた志成が立ち、壁になって光線と散弾を受け止める。
 まともに攻撃を浴びてしまった小さな体が、空中でびくりと震え、きゅっと小さく鳴いて落ちた。
「ティターニア!!」
『大丈夫。恵みの雨は欲しい時にこそ降るよ』
 自称、半人前のケルベロスは全身に満ちるグラビティ・チェインをかき集め、特殊弾丸の中に込めた。バスターライフルを空に向けて撃つ。
 グラビティ・チェインが弾けて空気が膨張し、雲が作られた。降り出した癒しの雨は、夜の中でビルの明かりを弾いて仄かに銀に光りながら、傷ついた仲間の上に落ちていく。
 銀糸の雨をついて、流星を纏った蹴りの一撃が飛んだ。
「夢は夢でも、とんだ悪夢だけどな! 仇をとるぜ! ……ユイのな!!」
 パトリックが放った重い蹴りが、カリヤの胸の銃砲を砕いた。
 口から血のようなオイルのような、粘りのある体液を吐きながら後ずさる。
 火花を散らす胸に手をあてるカリヤの後ろに、いつの間にかリーナが回り込んでいた。魔宝刃ファフニールの刃に月の光を乗せて、顔を上げたカリヤの白い首の前に回す。
「……貴方の事はパトリックさんから聞いてる。今回の事といい、貴方が模してるユイさんへの事といい……。わたしは……絶対に許さない……。死で償うといいよ!」
 素早く横にファフニールを引く。掻き斬られた喉から、ごぼごぼと苦痛の喘ぎが漏れた。
 カリヤの長い髪の向こうに、悲しみに顔をゆがめたパトリックが見えた。違うと分っていても、かつて愛し合った人の姿が傷つくのは辛いのだろう。
 刃についた穢れを払い落して、ごめん……、と小さく唇を動かした。
「……お、おのれ! よくも大事な皮を傷つけてくれたな!」
 カリヤの腰のリボンが唸りを上げて回転し、後ろに立つリーナの両脇腹を抉った。
「正体を現したな、ダモクレス!」
 空を流れる銀の彗星のごとく、ランドルフがカリヤの足を狙って蹴り込む。
 向けられたガトリングガンの下を滑りくぐりながら脛を砕き、落ちてくる砲身に腕を伸ばした。白い糸で結わえられたパンダのプチぬいぐるみをつかみ取る。
「これは返してもらったぞ。お前には「もったいない」ものだからな!」
 史仁は魔導書を繰って、禁断の断章が描かれたページを開いた。指で禁術のスペルをなぞり、光の波に変えて立ち上げていく。魔導書から放たれる周波数は破滅の666。
「生くることは死にゆくこと。死にゆくことは生きくること……」
 滅びの力を転じて再生の力に換え、コンクリートに伏した黒衣のプリンセスの脳幹へ再生の周波数を送り込む。
「回復? ふざけるな、てめぇらそこで死ね! 死んでグラビティ・チェインをぶちまけろ!」
 狂気を宿した目でカリヤが振り返る。
 プチパンダを右手に、左手にリーナを抱いた銀狼の胸にガトリングガンの照準を合わせた。唇を醜くねじりあげて、引き金を絞り込む。
 次の瞬間、ガトリングガンの銃口が斜め上に跳ね上がり、群青色の空に砲火の筋が引かれた。
「なにぃ!?」
 竜氣を纏わせた絶刀【布津乃御霊】が、カリヤの左腕に巻きついていた。
「此奴の用途は色々でな」
 十六夜が再び布津乃御霊を手繰り寄せると、カリヤが独楽のように回った。
 今度は神刀【雷斬り】の柄に手をかけて腰を捻り沈める。敵に背を見せる独特の構え。
『さてここでもう一体の竜技を御見せしよう……なに遠慮は要らん……』
 十六夜は脚に溜めた竜氣を一気に増幅させ、膝を伸ばすと同時に抜刀すした。
「蹴り斬る、天導流絶技・刃技一天!」
 腰ごと回転した切っ先が、カリヤのリボンを切り落とし、右わき腹から右の肩へくるりと廻って血の弧を描く。
「こ、こんなところで……そうよ、私、レジーナ様の元に戻らなきゃ」
 カリヤはケルベロスたちに背を向けると、よたよたと走りだした。
『逃げるな、こっち向けえええっ!』
 茜は叫びながら、自身の血と羊毛を織り込んだ作り上げた赤い鋼線を逃げるダモクレスに向けて放った。
 鋼線がユイから奪った皮膚を切り裂き、剥きだしになった機械の表面を錆びつかせる。
「結局、わたし達ができるのは戦うことだけなんだ……。ユイさんの姿を血で汚させたまま、行かせていいわけないじゃないですか……! さあ、トドメを……貴方の手で!」
 パトリックは血まみれのカリヤ――いや、愛しいユイの姿を見ていた。恐怖と悲しみで胸がふさがり、逆上せんばかりの激昂に目がくらむ。
 
 ――やれるのか、俺に。ユイの姿をしたアレが倒せるのか?
 
 握りしめた拳から、血がしたたり落ちる。
 琴がそっと後ろから近づいて、強張った肩に手を置いた。
「ユイさんは、一刻も早くあなたの元に帰りたがっているはず。あの外道を討って、彼女を取り戻しなさい」
 パトリックは形見のネックレスを握りしめた。
「……ユイ、いま解放してやるからな!」
 目を見開き、崩天偃月刀を構えた。冷気を帯びた刀身が薙がれ、斬撃のすぐ後を追って冬の嵐が巻き起こる。
 凍てつく波動はダモクレスがまとった偽りの姿を凍らせて砕き、スターダストに変えて空へ吹きあげた。
 一拍の静寂ののち、大音響とともにダモクレスの体は四散爆発した。
 

「頼む。一人にして欲しい」
「ちょっと待ちな。これ、持っていけよ」
 ランドルフは振り返ったパトリックの鼻先に、プチパンダのぬいぐるみをぶら下げた。
「子供たちが、ユイ先生が一番大好きだったお友達に渡してあげてって……」
 目の前で揺れるプチパンダを虚ろな目で見つめたまま動かないパトリックの手を、志成が取って強引に指を開かせる。
 手のひらの上にプチパンダが落とされた。
「では、私たちはこれで……ここの修復を頼みますね」
 
 慟哭――愛する人の喪失を嘆き流す涙が体を突き震わし、胸を締める悲しみがあふれて喉をついた泣き声が、傷ついた男を一人残して立ち去るケルベロスたちの耳に、いつまでもいつまでも響いていた。

作者:そうすけ 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年2月5日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 10/感動した 2/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 0
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