●ひえひえ
白い漆喰の壁に、黒い瓦屋根。
それから青と赤の可愛らしい雪だるまが一体ずつ描かれた、生成り色の暖簾が掛かる古民家の玄関前で、葎はせっせと雪玉を転がしていた。
しんと静まり返った一帯は、見渡す限りの銀世界。
となれば、やっぱり。
「世界一おっきな雪だるまを作らなきゃ!」
赤いミトンを嵌めた手で、幼い少女はあっちへこっちへと雪玉をころころごろごろ。
気が付けば、葎の背丈を遥かに凌ぐ巨大な雪だるまが出来上がっていた。
「ふふふ、かわいい」
炭を並べて描いたまんまる笑顔を見上げて、葎の顔もふわり綻ぶ。
けれど、歓喜は一瞬。
「……え??」
突然ぽかりと開いた大きな口から、無数の小さな雪だるまが飛び出し、あっという間に葎を飲み込んだ。
「――!!」
赤い花柄の掛布団を跳ね上げて、葎は飛び起きる。それからきょろきょろ、いつもと変りない自室を見渡し、ほっと安堵の息を吐いた。
しかし。
彼女の安堵も、この日は束の間の夢のようなものだった。
「びっくりしたぁ……夢だったのかぁ」
「私のモザイクは晴れないけれど、あなたの『驚き』はとても新鮮で楽しかったわ」
音もなく、巨大な鍵で貫かれていた律の心臓。
そうして葎はまた布団へ逆戻り。
代わりに第三の魔女・ケリュネイアが葎から奪った『驚き』から、巨大な雪だるまな姿をしたドリームイーターが具現化した。
●のち、ぽかぽか
「雪だるまが動き出す夢に驚いた子が襲われて、雪だるまなドリームイーターが現れるかもしれ、ません」
不慣れな敬語に舌を躓きかけそうになりながら、リヒト・セレーネ(玉兎・e07921)が口にしていた不安が的中した。
被害に遭うのはもうすぐ小学二年生になる葎という少女。
「葎さんから『驚き』を奪った方のドリームイーターは既に現場から姿を消していますが、巨大雪だるま型のドリームイーターは近所にいます」
律を無事に目覚めさせる為にも、巨大雪だるまが騒ぎを起こす前に撃破をお願いしたいのです――そう告げて、リザベッタ・オーバーロード(ヘリオライダー・en0064)は知り得た情報をケルベロス達へ語り出す。
葎の家が在るのは谷川が走る山間の町。
近年、温泉街として整備が進んだおかげで観光客も少なくないが、夜ということで人通りは殆どない。
「雪だるま型ドリームイーターは人を驚かせたくてうずうずしているので、近くにいるだけで向こうから姿を現してくれます。誘き出すなら、葎さんのお家の傍にある駐車場が良いんじゃないでしょうか」
序に言うとこのドリームイーター、自分の驚かせが通じなかった相手を優先的に狙う性質をしているので、これを上手く利用できれば戦いを有利に進められるかもしれない。
「辺りには先日降った雪が積もっていますが、駐車場は雪かきも済んでいますし、街灯もありますがら。心配になるような事は特にないと思います」
「それは何より。ところで先ほど、温泉街と言ったよな?」
一頻り説明を終えた頃合いだったのだろう、話に割って入った六片・虹(三翼・en0063)に、リザベッタは特に気分を害した風もなく、「言いましたね」と素直に頷く。
途端、ぱぁっと輝く虹の顔。
「ならば仕事終わりにひとっ風呂浴びて来る事も出来るんだろうかっ」
「残念ですが、夜も深い時間ですからね。普通の温泉は営業終了していますよ」
「……そうかー、そうだよなー……」
リザベッタの応えに、虹は背の三枚羽までしょぼんとさせる。それを見て、今度はリザベッタの瞳が悪戯な光を帯びて瞬いた。
「僕は『普通の』と言いましたよね? 実は葎さんのお家は足湯もやっていて。こちらは二十四時間いつでも入れるそうですよ」
しかも足湯から下方に望む谷川は、雪の季節は一晩中ライトアップもされているのだとか。
「戦いで冷えた体を、綺麗な風景を眺めながら足湯でぽかぽかに温めて来るのも良いんじゃないでしょうか」
「よし来た、合点。いざ征かん、巨大雪だるま成敗へ!」
参加者 | |
---|---|
アルシェール・アリストクラット(自宅貴族・e00684) |
アラドファル・セタラ(微睡む影・e00884) |
アレクセイ・ディルクルム(狂愛エトワール・e01772) |
レネ・トリラーレ(花守唄・e02760) |
天見・氷翠(哀歌・e04081) |
リヒト・セレーネ(玉兎・e07921) |
リネーア・フェルンホルム(睡彩・e22178) |
苑上・郁(糸遊・e29406) |
●わくわく
お気に入りの黒コートについたうさ耳を揺らし、リヒト・セレーネ(玉兎・e07921)、はモノクロの世界に凍る息を吐き出す。
「雪だるまが動き出して一緒に遊べたら良いなって、僕もずっと思ってはいたんです」
「ドリームイーターでなければ、一緒に雪遊びを楽しみたいところですよね」
幼い頬を冴えた紅に染めた少年の夢に、レネ・トリラーレ(花守唄・e02760)も春色の瞳を和ませる。
「葎さんの夢の中の悪戯っ子な雪だるまさんも、遊びたかったのかな?」
足元にじゃれる番傘を差すテレビウムの玉響へ視線をちらと馳せ、苑上・郁(糸遊・e29406)は似たフォルムを描くだろう相手の事を思う。
早く会いたいような、そうでもないような。
不思議な心地は、まるでスキップを踏み出す前のよう。けれど髪を浚い耳を痛くする寒風が、真冬の夜の現実を思い出させた。
「雪だるま……温泉に入れたら溶けてくれないかな」
長く尖った耳の先を真っ赤にし、アラドファル・セタラ(微睡む影・e00884)は、そこかしこから上がる湯気に夢を見る。
相手はデウスエクスだ、そう簡単に消えてくれないのは委細承知。後にお楽しみが待っているから、眠い目を擦りながらも頑張れるのだ。
「雪だるまが動くなんて、私の愛する姫はとても喜びそうですね」
鴛鴦の契りを交わした相手、ロゼの陽光紡ぐ金糸の髪をそっと梳き、アレクセイ・ディルクルム(狂愛エトワール・e01772)は満月の瞳に愛しさを溢れさせた――かと思えば。
「しかし、姫を害する事は断じて許しません」
「――……」
不意に変わったアレクセイの纏う気配に当てられて、天見・氷翠(哀歌・e04081)は緩く瞬いた。
アスファルトが敷かれただけの駐車場は、音という音を雪に吸われて静寂に支配されているというのに。車という彩さえない奥まった一角に集う熱のお陰で、感受性の豊かな氷翠の心に様々な色を落とす。
正直、飽和気味な気もしないではないが。雪を好み、故に雪だるまも好きな氷翠の口からも、ぽつりと本音が零れる。
「被害に遭った子は心配だけど。大きな子を見られるのは楽しみ……」
「そうなんです。大きかったんですっ」
そろり大気を震わすだけの小さな呟き。けれど、聞きつけたリヒトが顔を上げて息巻いた。よもやまさかの自分二人分。そんなもの、世に放ったらどうなることか!
「過ぎた悪戯には『めっ』のお仕置きなので――」
と、そこで都の声が途絶えたのは。首を捻った玉響の視線を追って、絶句したせい。
「ひえぇ」
「わあぁ!?」
いつの間にか出現していた雪だるま。その巨大さに、郁とリヒトは素で驚嘆の声を上げた。
●どきどき
『ゆっきーン』
ぼぉんと弾んだ巨大雪だるまに、ぼふんと舞う雪煙。
不意の登場に、氷翠の背からは普段は仕舞っている薄く青みを帯びた白翼が飛び出し、レネは「まぁ、凄いです」と目を丸くして。そんな中、ロゼが真っ先に駆け出した。
「雪だるまが動くなんて素敵ですね!」
甘やかに天使の詩を謳いながら、ロゼは巨大ゆきだるまに飛びつく。それはいつも守って貰っているアレクセイの事を護りたいという少女の献身。されど彼女の笑顔を守るのが我が役目と自認する過保護な騎士の心配は、見る間に極地に達する。
「ロゼ! その雪だるまに近づいてはいけません!」
サキュバスの角に月下美人を飾る優美さも形無しになりかねない程に慌てた男は、思い出したように巨大雪だるまを仰ぎ見た。
「本当、雪だるまが動くなんて夢のようですね」
凄い凄い、と拍手を添えて竜砲弾を放ったアレクセイ、何処からどう見ても冷めて見えるが、本人曰く『ちゃんと驚いてます』とのこと。だが、巨大雪だるまは判断に迷ったらしく、狙いをどうしようかと特大人参な鼻をひくりと蠢かせた――その時。
「……」
絶対零度を下回りそうな視線で、アルシェール・アリストクラット(自宅貴族・e00684)が巨大雪だるまを一瞥し、さも残念そうに肩を竦め。彼に付き従う女性型のビハインド、その名も『執事』は全くのノーリアクション。
更に。
「……」
アルシェール同様、無言と無表情で雪の化身を見上げたリネーア・フェルンホルム(睡彩・e22178)は、白い髪をさらりと揺らし、こてりと首を傾げた。
――何、こいつ。
――不思議なものが、いるのね。
リネーアがつれたウィングキャットが飛び上がって驚いたせいで、多分に呆れを含んだ少年と執事と少女の態度はより鮮明に。しかも何一つ意に介した風もなく仲間へ加護を授ける力まで練り上げたものだから。
『ゆユッきーン!』
結果、巨大雪だるまは超奮起。タイヤの眼を剥き、ぽかりと開けた口から無数のちび雪だるまたちをアルシェールを中心に吹き掛けた。
「わっ」
纏わりついて来る小だるま達に、アラドファルは眠たげだった目を瞠って飛び退る。大きなリアクションはあまり得意でないから、自然体を心掛けるのも忘れずに。そして囮なアルシェールやリネーアから敵の視線が動かぬのを確認し、アラドファルはすかさず唱える。
「眠り、無になる喜びを」
開いた掌から滴り伸びる、内なる闇の黒。蔓でもあり、弦でもあるそれを聖なる斧へ纏わせ、アラドファルは巨大雪だるまとの距離を一気に詰めた。
「雪だるまさん……」
出逢えた歓喜は胸に仕舞い、氷翠は翼を広げたまま思念で来る黒鎖で最前線に立つ者たちを守る魔法陣を描き上げ。
「これは大変です」
続いたレネも、雷の壁を夢喰いと仲間の間に構築する。
「ユラも、キリッとしていてね」
盾の位置へ駆け征く玉響へ一声かけた郁も一気に加速。忍びの技を受け継ぐ血に相応しいしなやかさで低く走り、抜いた白刃を月弧に薙ぐ。
「一緒に遊びましょう?」
そう誘って女は雪橇が如き軌跡を雪の肌に刻んだ。
「うう、ちびだるまは可愛いけど……!」
先ほどの驚きは『フリ』だと自分の中で主張するリヒトも、黄金の林檎を掲げて未練を断ち切る。だって、これは敵。倒してしまわねば先がない。
「燃えろ、太陽!」
旭日昇天――バレンタインが放った太陽の欠片を「すごいね」と讃え、しかしアルシェールはすぐさま睥睨の面を作る。
「いや、むしろ。シェルの方が、すごいんだぞ」
バレンタインも感服する、しゃくった顎に梅干しを作ったかのような表情。
「任せてくれたまえ、こういうのは得意なんだ。貴族的にね」
自宅警備を通り越し、自宅貴族と化した少年は、巨大雪だるまを煽るだけ煽ってカラフルな爆炎を巻き起こした。さすればムキになった夢喰いは、アルシェールを見据えて六花の息を吐く。
「本当に綺麗ですね……けれど」
街灯の光をキラキラ弾く攻撃に暫し見入ったレネは、緊急オペの仕度をしながら傍らをちらり。
「うん、だな」
皆まで言わぬ同意を返し、クレスは得物を手に敵の間合いへ入り込む。
(「偶にはレネに、カッコイイ所見せないとな!」)
彼岸の花を散らす太刀筋は、鮮やかに。されど――。
「おてても、あしも、ひえひえなのじゃー!」
手袋を忘れた肉球の手をむにむにさせる綾の訴えに、クレスもレネも無言で首を縦に振る。
そう、夢喰いの攻撃はどれも美しいが、肌に染み入る冷たさなのだ。
「もう暫くの辛抱だからな。すぐ、終わらせるからな」
懸命に癒しの力を繰る義娘でもある綾を宥めつつアラドファルが抜くのは、影の刃。
夢喰いの身に宿った縛めは既に十分。頃合いを見定め、親ばか男は勝負を決めにかかる。
●ばいばい
「……争いに舞い落ちる悲しみは、命の糧へ……生きて欲しいと……」
僅かに俯き、藍の瞳に憂いを滲ませ。そうして氷翠は敵味方問わぬ命の奇跡を願い舞い、形作った淡く輝く雪の結晶で、リネーアの傷を癒やす。
「絵本のような光景で、とってもめるへんちっくですが。悪い夢は冷え冷えに凍らせて、熱いお湯で融かしちゃいましょう――夜さん」
行きますよ、と郁が発した合図に、夜は佩いた月の閃華描く太刀を手に笑みで応え。その笑みに力を貰った郁は夜と並び走って、雷宿した切っ先で巨大雪だるまの腹部を貫く。
驚かぬ者を狙う夢喰いの特性を存分に活かし、敵が付する行動阻害因子にも自浄の加護で備え。策を盤石に固めた戦いは、ケルベロス有利で凍夜を駆けた。
「、よしっ」
運命の階の頂きを察し、回復に徹したリヒトも様々な進化を遂げる戦闘植物を繰る。
(「リィ、頑張ってるなぁ」)
反動に踊る黒いうさ耳を眺め、リヒトの双子の兄であるルースは穏やかに微笑み、此方は白いうさ耳を揺らして古代魔法後を唱えた。
敵も味方も愛い戦場に、感情薄いリネーアの白い頬も淡く色付く。
「可愛い雪だるまさん、もっと遊びたいけれど――もう、夜も遅いわ」
――おやすみなさい、良い夢を。
杖から迸らせた稲妻が、雪を灼く。されど、デウスエクスは足掻く事を止めず。
「リネーアちゃん!」
華奢なリネーアを壊してしまいそうな体当たりに、メイが悲鳴をあげる。
「大丈夫よ、メイ」
しかし耐えたリネーアは、癒しの力を練るメイへ向けて口元を微かに綻ばせた。
これが初仕事。胸にあった緊張は、友や仲間の姿に解けていて。その安堵を象徴するかのように、マンチカンの子猫によく似た翼猫も悠々と巨大雪だるまに爪をたてる。
「我が姫には手出しさせません」
焦れる時をじっと耐え、ここぞとばかりにロゼを背に庇ったアレクセイは、艶やかに微笑み敵を一瞥すると、
「雪は雪らしく、溶けて消えてしまいなさい」
漆黒の茨を夢喰いに絡みつかせ、麗しい棺として黒薔薇を咲かす。
もがく巨大雪だるまは、必死に小さき現身たちを放った。
「一気に蹴りをつけよう」
雪童を避け、アラドファルは重い刃を振り上げ間合いを詰める。動き続けて体温を保ってはいるものの、そろそろ足湯に入りたい。可愛い綾を凍えさせない為にも。
「見切った処で躱せるもんじゃない」
呪を輝かせ敵のまろい肩を砕いたアラドファルの一撃を追い、アルシェールも空気を圧縮させる事で生んだ白熱の炎を纏った拳で、人参鼻を叩き折り。従う執事も背後から夢喰いを縛めた。
レネが心貫く矢を放ち、氷翠が半透明の御業で頭部を鷲掴めば、もう命運は決する直前。
跳ねて巨大雪だるまの肩に飛び乗った郁は、そのまま螺旋の力を籠めた掌で敵を撫でる。
「――今度は楽しい夢で会おうね」
『ゆっきーン』
爆ぜる力に、塊は瓦解し。暫しケルベロス達と戯れた巨大雪だるまは、雪煙と化し谷川に消えた。
●すよすよ
肌を刺す風が大気を洗えば、残るのはしんと冷えた夜の静寂。
「アレくん大丈夫? 凍ってない?」
鈴を転がす音色でロゼがアレクセイを気遣うのと、アレクセイがロゼの手を取るのはほぼ同時。
「ロゼ、寒かったでしょう?」
愛しの姫に怪我がないか一頻り確認した男は、羽織っていたコートを脱ぐとロゼの肩にかける。
「一緒に足湯で暖まろう」
目的地の足湯までは数十メートル、相愛の二人は手を取り歩き。幼い少女は、義父へと手を伸ばす。
「おてて、冷たいのじゃ!」
「わっ、本当だ」
精一杯に背伸びして、綾が冷え冷えの両手で包み込んだのはアラドファルの頬。素直に驚くと同時に、その可愛さにまたしても心奪われた男は、小さな手を大きな手で包み返した。
「手は握って温めないとな。足は温泉だ」
「温泉、温泉!」
バランスを崩さぬよう握った手をそろりと引き、男ははしゃぐ黒猫少女を足湯へ誘う。
「……出来た」
自分の腰より少しだけ背の高い雪だるまを完成させ、氷翠はアイオライト色のため息を零す。
ごめんね、と、おやすみなさい、の気持ちを籠めて作ったのは、さよならしたばかりの巨大雪だるまの、いつかの未来。ただの雪だるまとして、穏やかな時を過ごせるように。
目標は、寂しくないようもう一つ。けれど着手に取り掛かる前に、朗らかな声に背を叩かれた。
「氷翠さんも完成させたんですね」
「……え?」
振り返ると、そこには郁と夜。葎が目覚めた時、悪夢の記憶が残らぬように。二人も雪だるまを作っていたのだ。
「可愛い……」
小さい雪玉で目口鼻をも象られた雪だるまに、氷翠が漏らす感嘆。それに郁と夜は笑みを見交わし、序に戯れる。
「まぁ、冷えたついでだ」
「手袋も濡れてしまったけど、心は温かいですしね」
「――そう言う事なら」
夜は郁の手を取ると、自分のコートのポケットへ。
「身体も温めようか……何てな」
オトナな男の、悪い笑み。けれど郁も雪を放って応戦し、空いた手で氷翠を招く。
「さぁ、一緒に足湯へいきましょう!」
「へぇー、足だけ温かくするんだ」
見た事だけはあった温泉の新形態に感心しきりなバレンタインの様子に、アルシェールは素足を湯に浸してフフンと鼻を鳴らす。
「それなら、バレット君には温泉の作法を伝えておかないとね」
一つは、脱いだ靴下はきちんと畳むこと。そしてもう一つは――。
「ウワッ」
肩を跳ねさせたバレンタイが、そのままぴこんと立った長い耳を抑えたのは、音程の狂った旋律がアルシェールの鼻先から紡がれたせい。
「すげえヘタだぞ……」
けれど聞き続ければ、不思議とつられるもので。それに慣わしなら仕方ない。
ビバビバフンフーン♪
フフーン!
やっぱり温泉はこうでなくちゃ。ぽかぽかを堪能する貴族と仔ウサギは、揃って調子はずれの鼻唄を奏で。そんな二人を執事は少し羨ましそうに見守る。
「あ」
「ん?」
「いえっ」
郁や氷翠に見張りお疲れ様と労われ、リネーアやメイに呼びこまれた虹から、リヒトは慌てて視線を逸らす。
(「……本当に、溶けた!」)
虹の防寒具は、雪だるまの着ぐるみ。足湯を堪能すべくそれを脱ぐ様は、虹だるまが溶けていくようで。
「リィ、どうかした?」
「ううん」
挙動不審は刹那の間だけ。気遣う兄の声に我に返った弟は、温もる足の心地よさに身を任せた。
「沁みるねぇ……」
「ルゥ兄、おじさんみた……、!」
言い掛けて、知らず兄へもたれかかっていたのに気付いたリヒトは、慌てて身を起こす。
「ねっ、寝ないから大丈夫っ」
「疲れただろうし、仕方ないよ」
弟の挙措に、ルースの頬は緩む。身を寄せられる温もりは、嬉しくも愛おしいものだから。
「リィ、寝てもいいんだよ」
クレスから貰ったホットチョコレートに浮かべた雪だるま型マシュマロ。ほろり溶ける様に、レネもほこりと微笑む。
膝下を浸けるくらいの湯量なのに、足先から伝わる熱で全身ぽかぽか。でも、それ以上の温かさを感じるのは――。
「また、貴方と……温かなひと時を過ごせたら嬉しい、です」
大切な友人へ贈る、素直な言の葉。受け取ったクレスも、同じ温度の笑みを返す。
「俺もレネと緩やかな時間を過ごしたいと思うよ」
だって君と眺める雪景色は、不思議な温もりを感じられるから。
郁が用意したチョコチップクッキーとココアに、ロゼが振る舞うフォンダンショコラ。深夜の足湯は、バレンタインフェアのよう。
「寒かったぁ」
「お疲れ様です、ロゼ」
華やかな菓子も素敵だが、愛しい人の笑顔の方が幸せで。アレクセイは握った手から、足湯よりも甘やかな温もりをロゼへと伝え。一番奥に座っていた郁は、夜へ胡乱な眼差しを向けていた。
葉のない木々に、大小さまざまな厳つい岩たち。流れる清水に雪が真白く浮かび上がる谷川の景色は美しく。
その風景に見入るあまり、郁がバランスを崩しかけたのは数瞬前。その動き方が小動物のようだと思った夜が、支えの手を伸べたのはその一瞬後で。お礼代わりにと差し出したクッキーを、『礼は十分堪能している』と口に押し込まれたのがついさっき。
「足湯って最高だね?」
「――何処見てるんです」
晒した足に向けられた視線に郁がむぅと頬を膨らませれば、何故か氷翠からもらったオレンジピールを「美味美味」と食していた虹が笑い出す。
「出せるのも、愛でられるのも。若さの特権だ」
チラリ馳せた視線の先には、お肌つるつる~と喜ぶメイ。そんな友を眺めて和んでいたリネーアは、ふっと思い出したように翼猫を抱き上げた。
「ねぇ、メイ」
「なぁに、リネーアちゃん」
「私、この子に名前を付けてあげようと思うの」
名付け親になるのが怖くて、名無しだった子猫。でも、今は。特別な名前で呼びたくなって。
「『昴』……どうかしら?」
言って指差す、真冬の夜天の淡い輝き。
「昴ちゃん! とっても可愛い」
想いから生まれ出でた名は、空から見守る星々に倣ったもの。これからも宜しくね、と翼猫と握手を交わすメイに、リネーアは「ありがとう」と綺羅星の如く微笑んだ。
湯に浸かった部分と、そうでない部分。アラドファルのくっきり分かれた赤白に感激した綾は、自分の足を見て――ふかもこの毛がぺしょりとなっているのに、ちょっとしょんぼり。でも、ぷるぷるっと水を飛ばす姿さえ、親ばかにとっては堪らないもの。
「はぁ……かわいい。ぽかぽかだし、今夜もぐっすりだな」
誘い来る睡魔は抗い難く。しかし存外しっかり者な娘は、義父をぽこぽこ。
「ととさまはいつもぐっすりなのに、もっとぐっすりしちゃうの? お家に帰るまで寝るのは……」
だーめ、と続く筈だった綾の言葉は、しぃっと指を口元に当てた氷翠に遮られる。
「ね?」
「すよすよなのじゃ」
いつの間にか、黒うさ白うさ双子は肩を寄せ合い夢の中。その睦まじさは、先ほど並べてきた二体の雪だるまのようだった。
作者:七凪臣 |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2017年2月3日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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