淑女の葬列

作者:七凪臣

●遠きいさり火
 ぽかんと口を開けて呆けた青年は、夢でも見ているのだろうかと思ったのかもしれない。
 輝く白銀の肢体に、金色で刻まれた精緻な文様。テレビで見たどこぞの宮殿のような美しさは、言葉を失い見惚れるに十分で。
 けれど此処は洋上。白亜の城が建つ筈はない。
「くじ、ら?」
 ようやく喉から零れた声が、それの正しき形を示す。そう、形だけ。何故ならそれは、金属の光沢を放ち、海面にふわりと浮いている。
「――ッ、親父!!」
 有り得ない事象を眼前に、ようやく思考回路の繋がった青年は、反射的に叫んでいた。
「こいつ、ヤバい!!!」
「拓、逃げるぞっ」
 生存本能が訴えた声と、船を繰る父の声、それから無線に向けて吼える声を聴きながら、青年は身を翻す。
 だが、次の瞬間。
『殲滅シマス』
 耳に新たな声が入った直後、夜であった筈の彼の世界は真昼の白に染まっていた。
 彼――否、彼らは知らない。
 白銀の機械鯨が、モビー・ディックという名のダモクレスだという事を。
 そして我が身を貫いた灼熱が、モビー・ディックの放ったレーザービームであった事を。
 彼らは知らぬまま、船ごと海の藻屑と化した。

『任務完了。次ノターゲット探索ヲ開始シマス』
 近場で得られる全てのグラビティ・チェインを奪い終えた白鯨は、新たな獲物を求めて陸を目指す。
 一つ、二つ、三つ、四つ、五つ。
 自らが破壊した複数の船が上げる炎の揺らめきに、血の涙のような赤い宝石がきらりと輝いていた。

●海葬の果て
 指揮官型ダモクレスの地球侵略が始まってしまった。
 『ディザスター・キング』もその内の一体であり、グラビティ・チェインの略奪を任務とする主力軍団を率いている。
「そのディザスター・キングが派遣した有力な配下の一体が『モビー・ディック』というわけです」
 真白に輝く、機械の鯨。細部に至るパーツは先鋭的でありながら、総じたラインは美しい流線形を描く。
 さながら空泳ぐ淑女ですね、と敵ダモクレスを評したリザベッタ・オーバーロード(ヘリオライダー・en0064)は、しかし、と例えの優美さとは裏腹な現実を語り出す。
 曰く、ディザスター・キングの指示を受けたダモクレスの襲撃を阻止する事は困難極まりなく。既に回避出来ない被害をモビー・ディックは出している。
「ですがこのまま好き勝手を許す訳にはいきません。幸い……と言って良いのか迷うところではありますが、次の襲撃場所へ移動する時ならば迎撃が可能なのです」

 沿岸で漁をしていた漁船数隻を沈めたモビー・ディックは、更なるグラビティ・チェインを求めて洋上を陸地へ向けて移動してくる。
 予測されている揚陸地点は、夏ならば大勢の人で賑わう海水浴場。水平線の彼方には、未だ燃え続ける船が上げる炎が微かに見える事だろう。
「ですが今は冬です。砂浜に人影はありませんし、他の人が近付く事は決してないよう此方で手配します」
 それくらいはお任せ下さいと請け負い、リザベッタはモビー・ディックに関する情報を詳らかにしていく。
 全長は10メートル強。泳ぐのではなく、低空を浮遊して移動するのは水上に在っても陸上に在っても同じ。
 攻撃は体当たりと、内包した多くの砲門から放つレーザービーム。
「そして人を惑わす美しい歌も謳うようです」
 力任せでないのも、歌を謳うのも。まさに賢い鯨そのもの。
「元は人と縁を結んだ鯨であったという話も聞きました……」
 ぽつりと吐露された憂いは刹那、今はただの破壊兵器と化したダモクレスなのだとリザベッタは表情を引き締める。
「敵の目標はグラビティ・チェインの奪取です。なので迎撃の際は、逃がさない工夫が必要になります」
 多くのグラビティ・チェインを欲するモビー・ディックは、何としても陸に上がろうとする筈だ。だからまずはケルベロスとの戦いを回避しようとする。けれどどうしても戦闘が避けられないと判断すれば、以後は逃走しようとする事なくケルベロス殲滅に注力してくる。
「既に失われてしまった命は還りません。彼らの無念に報いる為にも、そしてこれ以上の被害が出ないよう――皆さん、宜しくお願いします」
 一度、深く頭を垂れ。再び顔を上げた少年は、「さぁ、征きましょう」とケルベロス達へヘリオン搭乗を促した。


参加者
月宮・朔耶(天狼の黒魔女・e00132)
巫・縁(魂の亡失者・e01047)
ラハティエル・マッケンゼン(マドンナリリーの花婿・e01199)
周防・碧生(ハーミット・e02227)
武器・商人(闇之雲・e04806)
黒江・カルナ(黒猫輪舞・e04859)
カルナ・ロッシュ(彷徨える霧雨・e05112)
ヒルメル・ビョルク(夢見し楽土にて・e14096)

■リプレイ

●未明の静寂
 人の寄り付かない冬の夜浜を、荒くもないが凪いでもいない波が洗っていた。規則正しく繰り返される水の調べが、うっそりとした地上の静寂を遠ざける。
(「――来た、な」)
 海原が望める送電塔の高みで羽を休めていたラハティエル・マッケンゼン(マドンナリリーの花婿・e01199)は、暗視ゴーグルの視線の先の光景を見定めると、ばさりと翼を広げて仲間へ合図を送った。
 それは『目標』が上陸した合図。受けたヒルメル・ビョルク(夢見し楽土にて・e14096)は手元を確認する事なく、指先だけの動作一つで闇に潜む者たちへその旨を伝達する。
 本文不要の一斉送信メールは、音なき着信の振動が意味を持ち。肌でそれを感じた者たちは、各々工夫を凝らした夜に馴染む装で浜辺を低く走り出す。
 ヴヴヴ。
 ヒルメルに次ぐ、二度目の振動にラハティエルは上空から標的めがけて急降下をしかけようとして――気付く。
 暗がりに妨げられぬ男の眼には、未だ敵包囲の陣を形作ろうと駆け続ける仲間の姿が見えていた。
(「これは……?」)
 どういうことだ、という疑問は、波打ち際と夜を泳ぐ影の間に舞い降りたカルナ・ロッシュ(彷徨える霧雨・e05112)の竜翼が折り畳まれた直後に解消される。
 ヴヴヴ、と再び震えた携帯に成程と察し、酔いどれ天使もまた「Re:」のタイトルだけの合図を放つ。
 同じような混乱は、他のケルベロス達にも起きていた。だが、少なくない戦場を経てきた者たちは冷静に状況を判断し、己の配置完了の意を報せてゆく。
 周防・碧生(ハーミット・e02227)は、最も海に近い場所で呼吸を整えるカルナの二時の位置で。そしてもう一人のカルナ――黒江・カルナ(黒猫輪舞・e04859)は、十時の位置で。
 ヴヴヴ、ヴヴヴ。
 目標地点に到達するのに個人差があるのを示すように、僅かの間をあけて携帯が声なき声をあげ続ける。
(「俺で六じゃの」)
 『最初』と決まっていたヒルメルを一とし、自分で六通目。心の中で指折り数えたカウントを確かめ、月宮・朔耶(天狼の黒魔女・e00132)もメールを送り。波音がバイブレーションの音を消してくれて良かったと安堵しながら、地獄で補う両目を仮面で隠した巫・縁(魂の亡失者・e01047)も七通目を送信する。
 もしこれが、夜のしじまの中であったなら。微細な振動音とは言え、敵に悟られた可能性もなくはない。だが、ここは海辺。寄せては返す波はケルベロス達へ味方し、そして予め準備されていた光源を敢えて断った事が功を奏した。
「久方ぶりだねぇ、白鯨の君」
 武器・商人(闇之雲・e04806)が『其れ』の前に立ってメール送信ボタンを押したのが、最後の合図。
「空を泳ぐキミは海を泳いでいた時と変わらず美しい。我(アタシ)は海を泳いでいた時の方が好きだけどね。さァ、さァ、ともに遊ぼう、いつかのようにさ! ヒヒヒヒヒ!!」
 哄笑、そして一転。
 投光器から放たれた光に夜闇は切り裂かれ、空泳ぐ美しい流線形――機械仕掛けの白鯨の巨体が露わになる。

●綻び
 少女の性に生まれ、けれど繰る言葉は男勝りに。砂状にふわりと浮く鯨と同じ色の髪を風圧に翻し、朔耶は凛然と金色の果実を掲げた。
(「はて、」)
 果敢に前へ前へと出る者へか、はたまた後ろで強かに状況を見極める者へか。何れにその加護を授けるかを悩んだのは刹那。後の策を鑑み、朔耶は最前線へ立つ同胞を聖なる光で照らし出し。早速その恩恵に与った竜翼持つロッシュは、朔耶が連れたオルトロスのリキが刃を咥えて走るのを眼下に、すぅっと泳ぐように中空へと舞い上がった。
 より近くなる、真白き肢体。施された金の文様は、さながら瀟洒なドレス。
(「空泳ぐクジラとは、何ともロマンティックです」)
 世間知らずでマイペースなのはいつも通り。陸上で鯨と戦うという稀な機会に、カルナ・ロッシュの胸はときめきに浮き立ち。その心地の侭、少年は他者の手が加わる以前こそより優美であったろう鯨へ流星の蹴りを喰らわす。
 巨大な敵との戦いは、知らず心が騒ぐもの。
「さぁ……私を、楽しませてくれよ?」
 フッと短い吐息を添え、ラハティエルは今度こそダモクレスめがけて急降下する。
「我が名はラハティエル、ケルベロスが一員。白き大海の巨獣よ、我が黄金の炎を受けよ……そして、絶望せよ!」
 頭を下に、風を切り。ラハティエルは抜いた高密度ヴォルフラム鋼合金をクロム隕鉄で鍛えたカタナに地獄の炎を纏わせて。そのまま、一閃。僅かにぶれかけた手元にひやりとしたが、その瀬戸際感をも男は愉しみに変えて口の端を吊り上げた。
(「元はただの鯨だったという話だが――」)
 商人が語り掛けた詞を裡でなぞり、縁はただ眼前の敵を斃すだけの鉄塊剣を手に走る。
 そう、経緯はどうれあれ今はただのダモクレス。
「……止めなくては、な。これ以上、罪を重ねてしまう前に」
 腹は既に決まっていた。だから縁は迷わず、白鯨の横っ腹に重厚無比な一撃を叩き込み。相棒たる白のオルトロス、アマツも神器の瞳で敵をねめつけた。
「さて。無作法は、作られた淑女ゆえでしょうか」
 付き添いもなしに夜分歩き回るとは、淑女の名折れ。とある富豪に家宰として仕えるヒルメルは、大人の面差しに薄い微笑を刻んで敵を一瞥すると、
「……同情は致します」
 伸縮自在な黒鎖で白鯨を締め上げる。
『邪魔ヲスルナ、ケルベロス!』
 ヒューイと鳴いて機械で駆動する鯨が身を捩らせたのは、退路を求めての行動だったろう。だが、ヒレが中空を掻くより早く、橙色の双眸を輝かす少女――自らも球体関節を持つカルナがダモクレスの進行方向へ回り込む。
「おいで――」
 短い唱に、喚ばれ出づるは黒猫の幻影。小さくも鋭敏な狩猟者はすぐさま翔けて、砂浜に落ちた影を縛めることで、白鯨自身を地面へ縫い留めた。
 その勇猛な有り様に、圧倒的な敵の姿に萎縮しかけていた碧生の心に戦意が灯る。同時に、眼鏡に長い前髪、そして帽子でまで隠した眼に飛び込んできた赤い煌きに、少年の決意も固まった。
(「人と縁を結んだ存在に……こんな、残酷な」)
 一度、親友でもある黒きボクスドラゴンと視線を交わす。自分たちは、孤独の底から助け合って来たのに。真逆を強いられる白鯨めがけて、碧生はケルベロスチェインを繰る。
「終わらせてあげましょう、リアン」
 それが、誰にとっても唯一の救いだから。
 共に戦場に立つ者たちからの想いを苛む力で受ける白鯨。その様に、商人は『白鯨の君』と名を呼んだ。
「おかえり。愛してあげる」
 お還り。
 きみ、の音に、特定の誰かではなく、遍く生命への想いを籠めて。商人は白鯨のウタを謳い、機械鯨の裡を満たす。かつて彼女が歌っていたものは、もっと優しいものであったと思い出しつつ。
「――」
 偲ぶ音に、白鯨は身動ぎ。そうして逃げるのを諦めたように、ケルベロス達めがけて返歌を奏でた。

 夜陰に紛れて敵を包囲。多方向からの一斉攻撃を仕掛ける事で、敵の逃亡を阻止する。
 ケルベロス達の最初の策は、見事に成った。
 しかし――。
「っく」
 巨体の突進に骨を軋ませ、縁は懸命に歯を食い縛る。敵の意識を引き付ける技を成した縁だ、集中砲火を浴びるのは覚悟の上。となれば、敵が広範囲に届く攻撃を仕掛けてくれば、彼に並ぶ者にも累が及ぶのは必定。結果、リキの瘴気がアマツに及んだのを機に、戦線は思わぬ混乱を来した。敵が得手とする行動阻害因子のばら撒きへの対策が、十全には今少し不足していたのだ。
「ヒルメル、手を貸してくれんかの」
「お任せ下さい」
 縁へ送る癒しの力を練りながら、朔耶はヒルメルへ浄化の助力を求め、
(「もう少し、一度に大きく回復させられたら……いいえ」)
「リアン、頼むよ」
 叶わぬ望みを脳裏から振り払った碧生は傍らの箱竜へ、自浄の力を持たぬラハティエルへの予防の重ねを頼み。
「大丈夫でしょうか?」
「何てことない」
 気遣う黒江・カルナの声に、縁は抱えた痛みまで消し飛ばすように献身を応え、自らを癒す為の気力を溜めた。

●燃ゆ
 降り注ぐ光の雨の中へ、黒い円らな瞳のリキが飛び込む。巻き上がった砂埃が収まれれば、力なく頽れた白いオルトロスの姿が浜辺にぽつり。
「悪いな」
 リキに庇われ時を凌いだ縁に詫びられて、朔耶は「いいや」と首を横に振った。リキはリキの仕事をきっちり成しただけ。常に攻撃を浴び続けている縁自身だって、荒い息を繰り返している。
 縁も、リキも。そしてアマツも。護りに特化してはいるが、蓄積するダメージだけは防ぎようがなく。懸命に堪えているが、縁の持久力も既に限界が近かった。
 ピンと張られたピアノ線のような戦況が、カルナ・ロッシュの肌をひりつかせる。
(「ここ、に居れば。僕は……」)
 ふっと過った何かに心だけ飛ばし、魔法使いを自認するはずの少年は拳を固めて白鯨に肉薄した。
 ぶつけるのは、纏う鎧を砕く力。飛び散る白銀片に、肉弾戦も随分様になるドラゴニアンのロッシュは、翼を広げて上空へ飛び退る。
「そろそろ淑女らしくなって頂きませんと」
 薄い笑みは崩さず、ヒルメルが水際を駆けた。そうして至近距離から見舞う影の如き斬撃に、散る火花。硬い手応えに見合い、ダモクレスの胸鰭がずぅんと地面へ落ちる。
(「……憐れだな」)
 関節一つ動かすのにも苦痛を覚えながら、縁は『敵』を振り仰ぐ。他の誰にも窺い知れぬ、縁の表情。だが、彼の中には冴えた怒りがあった。
 ――美しき白鯨の運命を捻じ曲げたデウスエクスへの。
「一は花弁、百は華、散り逝く前に我が嵐で咲き乱れよ。百華――龍嵐!」
 せめて、安らかに眠れ。
 祈りを込めて縁は刃なき鞘で大地を打ち割る。爆ぜた衝撃に巻き込まれ散った金属片が光を受けて煌く様は、夜の海の頭上で謳う無数の星々のようだった。

『逝ネ!』
 向けられる慈しみに気付けぬ機械鯨は、計算回路が弾き出す解に従い、幾度目かになる突撃を縁に喰らわせる。
「……あとは、頼む」
 吼えず、けれど眼光強くするアマツに後を託し、ついに縁は砂に沈んだ。
「なかなかやってくれるではないか」
 失われた二枚の盾。けれどラハティエルはどこまでも余裕を崩さず、灰と歴青に塗れた翼をはためかせる。
「たかが鯨の一頭、我がカタナで斬り伏せるのみ! 行くぞ、天魔必滅!」
 地上すれすれを低く翔けた男の一閃が、月の弧を描き敵を縛め。
「黒江さん!」
「碧生君、」
 わかりました、とまでは続けず、碧生は何処か似通う部分のある少女の背を目で追いながら杖を小動物へ転じさせた。
 指輪より出でる、光る剣。その軌跡を見つめ、碧生は小さき獣に己が魔力を授け飛び立たせる。
「お見事ですねぇ、周防の旦那に黒江の方」
 二人の連携を、商人は男とも女ともつかぬ声で讃え。気付けば、元の動きをすっかり失った白鯨へ水平に飛翔し。かと思うと、気紛れに上へ跳躍。
「そろそろ、終わりましょう。白鯨の君」
 更に重力に引かれるかにみせかけての再飛翔という不規則な動きの果てに、商人は翼から光の雨を降り注がせた。

●淑女の葬列
 縁が倒れたのを境に、ケルベロス達は攻勢に転じた。浄化の不安も、縁が耐える間に解消されたのだ。逆に今は、ダモクレスの方が様々に縛められている。
「おかえり、あいしてあげる」
 再びそう歌った商人へ白鯨は謳い返そうとして――しかし声帯器官の損傷で歌えず、ずしりと巨体を砂地に横たわらす。
「ポテさん」
 一気に仕留める。その流れを悟った朔耶は癒しを断ち、コキンメフクロウから変じさせた杖から、数え切れぬ魔法の矢をダモクレスへ射掛けた。
 次々に直撃し、上がる爆炎と、散る光粒。合間を縫って駆けたアマツも刃をつきたてる。
 終焉は近い。
 本能で察し、カルナ・ロッシュは左手を伸ばす。
「舞え、霧氷の剣よ」
 掌を起点に時限圧縮され凍てた大気で八本の刃を成し。
(「願わくば、来世ではこの様な形以外での縁が結ばれん事を」)
 密やかな祈りの下、牙獣の如く白鯨へ襲い掛かった刃がダモクレスの体表を氷で覆う。
「我が鮮朱の炎こそ、殲滅の焔! 揺らぐとも消えないその劫火は……地獄の中でも、燃え続ける!」
 継いだ勢いに体を乗せて、ラハティエルも宙へ躍る。足を着けたのは、金彩の上。そして男は二枚の翼を大きく広げると、目もあやな鮮朱の炎を羽ばたきで放射した。
『……ッ』
 鮮烈な一撃に、機械鯨が爆炎の潮を吹く。最初は眩く見えた白も、黒い煤で汚れてしまい。浮遊機能も死んでしまったのか、地を這う様は丘に上がった魚の如く。
 途絶える間際の命の気配に、ヒルメルはふっと周囲を眺めやる。
 ただ着実に、主より言い渡されたケルベロスとしての役目を果たすのが己が務め。故にこそ、彼の白鯨に憐れは覚えど、感情を揺らがせない自分こそが引導を渡す任を担うのが相応しいと思っていたが。
「お願いします」
 思念で操る黒鎖でデウスエクスを縛ったヒルメルは、碧生と――白鯨とは表裏一体な種に属すカルナに後を託す。
 皆、屠る覚悟は出来ていた。だからこそ、震え、戦いても此処にいる。
(「私も元は、略奪の為の虚ろな人形だった……けれど、今は違う」)
 じくりと疼いた胸を押さえ、鋼のカルナはガトリングガンを構えた。
 彼女は人との縁を得て、命と温もりを識った。それはかつて白鯨も持っていたはずのもの。
 失いしものは、災禍へと堕ち。得た者は、破壊の力を守護の力へと変え。
(「平穏も、縁も、心も、何もかもを自ら葬り壊して行くだなんて……こんなに哀しい事はない」)
 だから。
「冷たい機械の体から――その殺戮の役目から、解放を」
 刹那、瞳を閉じて。それから再び捉えた世界の中心に白鯨を据え、レプリカントの少女は無数の鋼の礫でダモクレスを穿つ。
「宜しいですか?」
「はぁい、遠慮なく」
 最期の確認。碧生が投げた問いに、商人はあっけらかんと笑う。
「わかりました――我が敵を、捉えよ」
 その磊落さに背を押され、碧生は月光にも似た魔力を白鯨へ向けた。直後、其れを追う影が一つ。
「……お休みなさい」
 召喚されたのは、月をも喰らう狼。
 音もなく駆け牙を剥いた獣は碧生の別れの言葉に導かれ、機械鯨の命を飲み干した。

 ある者は撤収の準備を、ある者は関係各所への連絡をする最中。
 商人は足元に転がっていた青い欠片を見つけると、何の気なしに拾い上げる。
「楽しかったねぇ」
 男の言葉に嘘はない。
 喪われてしまった命や、深く傷ついた同胞らには申し訳ないけれど。
 彼は楽しかったのだ。
 まるで本当に帰って来ただけのような昔のトモダチとの一時が、彼女と戯れるように過ごした一時が。
「我はこれで、満足なんだよ」
 四散し失われた元の形。遺った欠片を握り、商人はやっぱり「ヒヒッ」と笑った。

作者:七凪臣 重傷:巫・縁(魂の亡失者・e01047) 
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年1月28日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 5/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 1
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