●バタフライエフェクト
朝露も凍る冬の朝、湖畔に不思議な蝶が舞う。
光の蝶が降りたのは、奇術師めいた衣装を纏い、螺旋の仮面の下で笑む女の指先だ。
だが続く言葉とともに女の指から宙に舞ったのは一枚のカード。
「あなた達に使命を与えます」
「や~ん大感激! 御下命をお待ちしておりました、ミス・バタフライ!」
金の髪の道化の少女が両手で恭しく受けとったそれからは、何処かミステリアスで仄かに甘い、官能的な香りがふわりと昇った。
「この湖の向こうにアトリエを構える調香師がいるようです。その人間と接触し、その仕事内容を確認・可能ならば習得した後、殺害しなさい」
はいよ、と女の命に応じたのは赤い髪の青年。
口振りはぞんざいながらもミス・バタフライの御前で膝を折った姿勢は崩さぬまま、彼が微かに笑めば白い吐息の代わりに赤い炎が小さく揺れる。
「ちゃっちゃとこなしてくるぜ、最初の蝶の羽ばたきってのをな」
理屈はわからずとも、ミス・バタフライが命じるこの一件が巡りめぐって地球の支配権を大きく揺るがすことになるのは、少女と青年にとっては自明の理。
冷たい湖の風が残り香を浚うと同時に、二人の姿も掻き消えた。
●ファインフレグランス
彼の創る作品は、矛盾なくしては生まれないという。
それは数多の香気成分を組み合わせる化学の結晶にして、音階ならぬ香階で奏でる香りの交響曲とも呼ばれる芸術品。香料が使われる品々の中で最も贅沢に香料を配合するファインフレグランス――つまり、香水だ。
南国に咲く花の香、極北の森の香、地中海の風にそよぐ香草の香、大地に眠る香木の香。
「そういった天然香料をこよなく愛するのに、合成香料なくしては自分の香水は完成しない――って前に雑誌のインタビューで言ってたのが印象に残っててね。香芝・シオンっていうフリーの調香師なんだけど」
「はいっ! その調香師さんがねむの予知に引っかかりました!」
昨年の雑誌をぱらりとめくり、ルディ・アルベルト(フリードゥルフ・e02615)が皆へと広げて見せれば、笹島・ねむ(ウェアライダーのヘリオライダー・en0003)が頷いた。
螺旋忍軍、ミス・バタフライ。
その命を受けた配下二名が調香師の技術習得とその殺害のために彼のもとを訪れる。
規模だけで言えば小さな事件だが、この目論見を阻止しなければ、いずれはケルベロスに大きな不利を齎す状況に発展する可能性があるという。
「そんなの困っちゃいますし、殺されるって判ったひとを放ってはおけませんよね!」
だからみんなに、彼を狙ってくる螺旋忍軍の撃破をお願いします、とねむは続けた。
けれどあれだよね、とルディが言を継ぐ。
「ミス・バタフライ絡みの事件って前にも関わったことがあるけど、今回の場合も、事前に調香師を避難させると敵の標的が変わったりするんだよね?」
「そうなんです! なので調香師さんを護りつつ戦うのもありですが、みんなが香水作りを習って、調香師さんに成りすまして囮になるのが一番いいかなってねむは思います!」
実を言えば先方には既に連絡済み。
ルディが気にかけていたため早期の予知が叶い、敵が現れるまでには数日の余裕がある。
本来なら数百や数千の香りを覚えて嗅ぎ分け、成分の特性を頭に叩き込み、数多の香料を自在に使いこなす感性を磨く、気の遠くなるような修業が必要なのだが、
「めいっぱい頑張れば、螺旋忍軍を騙せるくらいの腕にはなれるはずです。調香師さん――シオンくんの話では、まず最低限の知識を叩き込んで、自分でオリジナルの香水を作るのはどうですか? ってことでした!」
「へえ。面倒だけど、楽しそうだね」
柘榴の瞳を緩め、ルディは口許を綻ばせた。
彼のアトリエにはフレグランス・オルガンと呼ばれる調香台があるという。作業台を囲う数段の棚に香料のボトルがずらり並ぶ様はさながらパイプオルガン。その香りのオルガンで彼は心の赴くまま奏でるように、それでいて美しい数式を調えるようにして、数多の香りを絡め重ねて調和させ、新たな香水を創りだすのだ。
そこで生まれる香水は男性向けに女性向け、男女問わぬものまで多種多様。
シオンはサキュバスで、それゆえか敢えて言うなら官能的な香りが得意らしいが、
「みんなはシオンくんの真似じゃなくて、自分らしい香水を作るのがいいと思いますっ! ねむはまだ香水とかよくわかりませんが……ルディくんは煙草と、あと何か少し甘い香りがしますよね?」
「あ、それは多分棒付きキャンディー」
ねむの言葉に小さく笑みを零し、成程ねとルディは得心した。
誰にでもそれぞれ好きな香りや馴染む香りはあるものだ。
たとえば、薔薇やバニラにラズベリーと好きな香りを集めて香水を作りたいという者も、スズランやラベンダー咲く春の野を水辺の風が吹く様を思わす香水を望む者も、紅茶の香りに杜松の甘さと苦さを含ませ、僅かに煙草も香らせるのが最も自分に馴染むという者もいるだろう。皆それぞれ自分らしい香水を作ればいい。
螺旋忍軍がやってくるのは修業を終えた翌朝のこと。
囮になれる技量をケルベロスが得られていれば、シオンを避難させておいても問題ない。此方を調香師だと信じれば螺旋忍軍達は素直に話を聴くだろうから、
「アトリエのすぐ近くに森があるらしいので、そこに誘い込むのがねむのおすすめです! 何でも、香りのいい水仙が咲いてるって話ですよっ!」
「戦闘でアトリエを荒らすのも申し訳ないしね。水仙の香りをじかに体験してみよう、とか言えばいけるかな」
水仙が咲く辺りは少し開けているというから戦闘に支障はないだろうし、囮以外の仲間が周囲の木陰や樹の上に潜んでいれば、螺旋忍軍達を奇襲し、一方的な先制攻撃からはじめて有利に戦闘を進めることができるはず。
「でも、相手は普通に戦えば苦戦間違いなしの強敵です。たとえ有利な状況に持ち込んでもこっちが気を緩めてたらやっぱり苦戦しちゃいますので、油断せず全力でお願いします!」
「りょーかい。そういうわけだからさ、皆、手を貸してくれる?」
軽くねむに頷いて、ルディは仲間達へ瞳を向けた。
胸の片隅で面倒くさがりの虫が疼かないでもないけれど、螺旋忍軍に好き勝手されるのは癪に障る。それに。
――数多の香りと矛盾を調和させて生まれる香水に、興味が湧いたから。
参加者 | |
---|---|
ルトゥナ・プリマヴェーラ(慈恵の魔女・e00057) |
シエラ・メレディス(夜翔アルビレオ・e00180) |
烏夜小路・華檻(お食事処のアルバイト・e00420) |
灰木・殯(釁りの花・e00496) |
シル・ウィンディア(蒼風の精霊術士・e00695) |
ルディ・アルベルト(フリードゥルフ・e02615) |
イブ・アンナマリア(原罪のギフトリーベ・e02943) |
シーレン・ネー(玄刃之風・e13079) |
●フォーミュラ
香りの交響曲を奏でるためのフレグランス・オルガン。
調香師のアトリエに設えられたそれはパイプオルガンの如く荘厳で、幾多の香料が整然と並ぶ様は西洋の歴史ある図書館を思わせ、シエラ・メレディス(夜翔アルビレオ・e00180)は深い感嘆を洩らす。
「まるで魔術工房、いや、本当にそのものだな……」
「それ初日にも言ってたよねシエラ。まあ解るけど」
元より顔見知りゆえの気安さか、ルディ・アルベルト(フリードゥルフ・e02615)は軽い声音でそう言って、ほんの少し困ったように、けれど何処か眩しげに瞳を細めてオルガンの香料棚を見渡した。
「確かに。知識や理論を学んだ後だとまた違ったところが見えてきますよね」
灰木・殯(釁りの花・e00496)も穏やかな声音でそう紡ぎ、深いというより豊かな吐息をゆるりと洩らす。初めは感嘆するばかりだったそれに、今では一見気ままに置かれたように見える香料の並びの確固たる理論までが見てとれる。
夢と空想だけに見えたおとぎばなしの魔法が、実は学術的に体系立てられた魔術理論だと気づいたような、そんな心地。
――プルースト効果を御存知ですか?
それは初日の香水知識講義でイブ・アンナマリア(原罪のギフトリーベ・e02943)が、
『僕、シオンさんがどんな思いで香水を作ってるのか聴きたいな』
と願った時に彼が応えた最初の言葉。
忘れてしまったはずの庭の光景が薔薇の香りひとつで鮮明に思い浮かんだり、古書の匂いひとつで祖父の書斎で読んだ物語の感動が胸に蘇ったり。
香りにより過去の記憶や感情が蘇る、それがプルースト効果で、自分の香水もそんな風に幸福な想い出への扉になれるよう――と語られた彼の話がイブの胸に光を燈した。
脳構造の関係上、喩えではなく本当に、香りは感情へ直接届くのだ。
彼女が創りたいのは白薔薇と赤林檎がハーモニーを奏でる香り。
言葉より表情より、歌で己が感情を皆へ伝えるイブがボーカルを務める音楽アーティスト[Raison d'etre]のイメージ香水だ。
僕の歌を聴いた人が、この香りを感じた人が。
「優しい希望を抱く気持ちに包まれますように……って、そう思って」
存在そのものを懸けて歌に生きるイブの言葉に、素敵だ、とシオンは顔を綻ばせ、
「製品化して物販――ということでしたら、香料のコストも考えて調整しましょうか」
「あ、成程。けどやっぱ薔薇と林檎は最高級の香料に拘りたいしな……悩むぜこれは」
髪に咲く白薔薇が揺れぬ表情の代わりかのようにふるり震えた彼女のため、極上の薔薇と林檎の香りを優しく溶けあわせるための合成香料を選び始めた。
「職人さんっていうより、デザイナーさんって感じだね~」
「ええ。一つ一つ手作りの香水だけで生計を立ててる調香師ってそういないと思いますよ」
シーレン・ネー(玄刃之風・e13079)の言葉にシオンが微笑する。
個人客相手にオリジナルの香水を調香することも勿論あるが、企業の依頼で調香し、彼が創りあげた香水の処方をもとに企業が製品化するというのが収入面では主であるらしい。
世界的な有名ブランドの名香水のなかにも、案外そのブランド専属調香師でなくフリーの調香師による作品があったりするのだ。
「香水ってほんと、大人の秘密の迷宮って感じ……!」
深く奥深く、めくるめくような世界にシル・ウィンディア(蒼風の精霊術士・e00695)は胸を高鳴らせ、三月生まれの大切な子へ贈る香りに想いを馳せる。
爽やかで、けれど暖かなおひさまみたいなマンダリンと。
「シオンさん、春っぽい香りってどんなのがいいかな」
「春の感じ方もひとそれぞれですよ」
訊けば調香師が眦を緩めて笑んだ。
たとえば雪解け水とヒヤシンス、たとえば春薔薇と春紅茶。
「シル様自身の春か、相手の方の春か……悩ましいところですわよね」
「迷っちゃうわよね。春の想い出の花とか、その子の誕生花なんてどう?」
悩める少女の様子に微笑み交わした烏夜小路・華檻(お食事処のアルバイト・e00420)とルトゥナ・プリマヴェーラ(慈恵の魔女・e00057)の言葉にシルの笑みが咲く。
「そっか! 梅の花だと少し大人っぽいかな、なら誕生花で……」
誕生日そのものの誕生花は香水には難しそうだから、三月全体の誕生花の――。
「……フリージア……!」
決まったみたいだね~と彼女の様子にシーレンも楽しげに笑って、試香紙に落とした柑橘香料を試してみる。柑橘をメインに涼やかで爽やかに仕上げたいのだけれど。
助言を請えば、レモンやライムはパスしましょうかと返った。
「着ければ、貴女自身の爽やかさとの相乗効果で涼やかすぎる感じになりそうですから」
「ふむふむ。自分との足し算や掛け算みたいな感じなのかな?」
瑞々しいピンクグレープフルーツもいいし、スイートオレンジに透明感あるグリーン系を合わせるのも楽しそう。
香水は香水だけで香るわけではありませんものねと瞳を細め、華檻は芳醇なガーデニアに複数のジャスミンの中から特にグリーン寄りで上品なものを合わせてみる。
理想は自身の肌の香りに馴染み、ラブフェロモンが引き立つもの――と語れば、調香師の瞳に悪戯っぽい光が宿った。
「香水は少し上品すぎるくらいに仕上げましょうか。貴女の肌の香りが蠱惑的だから」
「ふふ。どなたにでもそう口説いていらっしゃるのでしょう?」
「まさか。魅力的な方だけですよ。……この上なく、ね」
「ええ、そこまでがシオン様の常套句ですわよね」
耳朶を擽る彼の囁きに華檻も吐息の笑みを洩らす。
けれども華檻が愛するのは数多の美女と美少女で、彼女と同じサキュバスであるシオンも相手の性的嗜好を察するのに長けているはず。
だからこれは戯れですらなく――生まれつき性愛に縁深い者同士の、ただの、挨拶。
「ひゃ~! 大人だねー!」
「うう。わたしもいつかあんな風になれるかな……!」
「大丈夫。シーレンちゃんもシルちゃんもきっと魅力的な大人になるわ」
息を呑んで見守ってしまったシーレンが倒しかけたボトルをそっと支え、自分の胸元へと手をやるシルには片目を瞑ってみせ、やはりサキュバスたるルトゥナは可愛らしい仲間達へ幼子を慈しむよう笑んだ。
柔らかな花のように綻んだ気持ちのまま選びとるのは、近縁種ゆえに似た香りの、けれど初夏の爽やかさが華やかに立つジャスミンと、秋の豊かな甘さを思わす金木犀。
仕事中にも使える優しい香りを、オードトワレ辺りに仕上げるのがきっといい。
誰かと擦れ違った時にふわり風に溶け、気づいてもらえるかもらえないか。
――想いも、それくらいが素敵だと思うから。
「そうか、金木犀のような……ではなく、金木犀の香りを使えばいいのですよね」
漂ってきた香りに殯は淡く苦笑し、香りで奏でたい情景を胸に描く。
秋の鮮やかな色彩が、冬の雪原に舞うような。
たとえば紅茶を金木犀に重ね、枯草の香調を忍ばせて――。
「そこでスッと冷たく透明なスズランへ抜けると、冬の朝の新雪っぽいかと思いますよ」
差し出された試香紙から昇る透きとおった香りは言われればそう感じられ、
「成程……! ピリリとスパイシーな香りが抜けるのも考えたのですが……」
「ああ、それも素敵ですね。できればラストにはレザーノートをお勧めしたい」
落ち着いた秋色のブーツがお似合いですから、と続いた師の言葉に殯は軽く瞳を瞠って、試してみますね、と笑み返した。
――何かを一つだけ、選ぶのは下手なんだよ。
自身の意志で香りを選びとっていく仲間を見遣りつつ、ルディは己が胸の裡を淡い溜息に溶かす。好きなものをどうぞって言われるとかえって迷うよね、と言うわりには。
「可愛らしい香りのブーケが出来てるけど?」
彼の調香した香りを試したシエラが悪戯な笑みを向ければ、ルディは観念したように肩を竦めた。
春のマルメロの花に初夏のジャスミン、この近くに咲く、冬の水仙。
愛らしく誘惑的で、猛毒持ち。それはまるで誰かさんのようで。
「それにほら、香水を作るのってフォーミュラ……つまり処方だしね」
そう、どんな材料をどんな割合で配合したか。
香水のそれを記したものは成分表とは呼ばず――処方箋と呼ぶのだ。
だから尚更、香水で『彼女』を連想しないはずがない。
「……なーんてね。ま、適当に似合いそうな誰かにあげるよ」
軽い調子で彼はそうはぐらかしたけれど、
「さて、どうだか。私は惚気を聞かされたようだしな」
楽しげに喉を鳴らしつつ笑って、シエラは限りなく澄んだ小さな水晶を自身の織り上げた香りの中へそっと落とした。何故か甘さが増した心地。
初めに香るのはベルガモットと星の煌きのごとく微かなカルダモン、肌で温まれば甘くも清らに澄んだジャスミンとアイリスの香りが咲いて、やがて穏やかに残るサンダルウッドとバニラがゆったり心を安らがせてくれるはず。
――数週間の熟成を経る頃には、きっと誰よりシエラに馴染む香りになっている。
●フレグランス
――さあ、心を魅了する魔法を護りぬこうか。
湖からの朝靄と森の香りが冷たく満ちる世界のなか、そこにだけ光がつどったかのように咲き溢れる水仙の香りを胸へ満たした次の瞬間に、戦端は開かれる。
「や~ん大感激!」
「ああ、大したもんだ……!」
光と香りの花園へ少女が駆けだし、青年が香りを堪能するよう立ち尽くせば、
「それは良かった。何せお前達の企みも命脈もここで絶たれるのだからな」
「うん! 速攻で絶っちゃうんだからねっ!!」
調香師として螺旋忍軍達を誘いだしたシエラの星剣が輝くと同時、朝靄のヴェールを翻す森の風に乗ってシルが花園の空へ舞った。空靴に煌く白銀の翼が流星の輝きを帯び、
「花の香りも香水の香りも君達はもったいないしね!」
「ふふ。この子には甘い香りを差し上げたいところですけれど」
星の重力が道化の少女を花々の中に沈めれば、溢れるよう強まった甘い水仙の香りの中心目掛け樹上から跳んだシーレンが、木陰から一気に躍り込んだ華檻が、これ以上ないほどの精度で氷結の螺旋を撃ち込み少女を抱き起こすようにして鮮烈な一撃を鳩尾に見舞う。
「やああぁぁぁぁんっ!」
「そうか、ケルベロス! 待ち伏せしてやがったのか!!」
「ええ、お待ちしておりましたよ。お相手ください、火吹きの方」
爆ぜるよう鮮血をしぶかせた少女の許へ駆け寄らんとした青年は、流水の如く彼の眼前にするりと割り込んだ殯とその手の杖から迸った雷撃ゆえに踏鞴を踏み、完全な狙撃を決めた華檻とシーレンを狙って吹きだされた炎は、殯と夢魔の角と夜色の翼を咲かせたルトゥナに受けとめられる。
朝靄を溶かして肌に燃え盛る炎も、シエラが重ねた星の聖域とルトゥナが舞わせた紙兵の紙吹雪によって夢の如く消えた。
――弛まぬ訓練で研ぎ澄まされた調香師の嗅覚は、常人の百倍にもなるのだという。
数日の修業でそこへ至れるわけはなく、突貫の集中講義で叩き込んだのも基礎知識。
「けどそれで騙されてくれるなんて、螺旋忍軍も結構可愛いところあるんだね」
「そこは私の真摯な姿勢と努力の賜物だというべきところだろう?」
あっさり罠に嵌まってくれて、動揺ゆえかでたらめに攻撃を撃ち出し、あげく分身を纏う癒し一辺倒に追い込まれた少女へ迫るのはルディ。地獄の焔で強めた力ごと高速の重拳撃を叩き込んだ彼の言葉に抗議しつつ、シエラは魔導書の術式に導かれるまま彼の力を更に賦活する魔術を解き放った。
追い込まれる少女の姿も響く悲鳴も華檻の胸を震わせる。
――ああ、可愛らしいこと。
「ミス・バタフライにお逢いするのも楽しみですわ、さぞや魅力的な方なのでしょうね」
「なんでケルベロスがあの方の御名前を知ってるんですかー!!」
高揚によって胸元からひときわ艶やかに匂い立つのは香水と華檻自身の香り、上品な花の香に蠱惑を秘めたそこへうずめるよう少女を抱き寄せ、一片の容赦もなく首を折る。
「感じますもの。いずれ必ず出逢うことになる――そんな運命を」
「なら、そこに至る路に生えた茨は淘汰されるしかないな」
面識はないという。
だが、彼女は宿命的な絆を確信しているのだろう。
茨を斬り払って進む路、散りゆく茨のひとつたる道化の少女を見遣れば、イブの唇からはどうしようもないほどに透きとおった歌声が溢れだした。
森の中の水仙の花園が壮麗なステンドグラスに彩られた大聖堂に変わる。
――誰もがそう錯覚するかの如き歌声。痛いくらいの慟哭をどこまでも透明に凛列に歌いあげ、絶大な破壊の力を手向けにイブは、道化の少女を世界に還した。
「くそっ!!」
焔を操る男はイブへ炎弾を撃ち込まんとしたのだが、
「おや、水仙の香りに惑わされでもしましたか?」
「てめぇが言うかよ!!」
雷撃の魔法と稲妻の槍撃で重ねた麻痺で男の炎弾を妨げた張本人、殯が不敵な笑みで更に煽る。激昂させれば青年の技も更に乱れるだろうと読んだ。
「御存知ですか? 水仙の花言葉は神秘、そして――うぬぼれ」
「それ言っちゃ可哀想よ殯ちゃん。この火吹きちゃん、まともに戦ってたら凄く強いもの」
瞬時に距離を殺し至近で敵の瞳を捉え、触れた殯の掌中に相手の血も命も啜ったかの如き真紅の花が咲き誇る。鮮やかな紅のその氷華が砕けた刹那、ルトゥナが身の丈を越える長斧を打ち下ろす。
「まあでも、油断大敵火がぼうぼうって言うんだっけ? ほんとぴったりだよねー!」
黒き斧が打ったルトゥナの影から奔る影の獣が青年へ喰らいつけば、黒き影犬を追うよう宙を翔けたシーレンの黒影弾もまた彼を直撃した。
火が亡々――火が消えてしまうという言葉どおり、最早青年は炎一つまともに操れない。
「頼むぜマルス」
白き髪に白薔薇咲かせ、葡萄酒色の双眸で敵を捉えたイブが掲げるのは、純白の鱗と葡萄酒の瞳を持つ蛇が変じた杖。鮮烈に輝き無数に迸る彼女の魔法の矢とともに飛び込む心地でルディが男へ肉薄する。
――さあ、地獄の蓋が開くよ。
途端に溢れたのは冴ゆるほど青い炎、氷粒めいて零れた炎が翡翠に揺らめき燃え上がり、思わず仰け反った男の胸元を這い昇ってその喉元へと喰らいついた。
「――……!!」
青年の叫びももう声にはならなかったが、迷わずシルは精霊魔法を織り上げる。
騒がせてごめんね。もうすぐ終わるから。
故郷の風景を思わせてくれるこの地へと語りかければ、地も水も風も力を貸してくれる。敵の口から散った、火花さえも。
火よ、水よ、風よ、大地よ。
「混じりて力となり、目の前の障害を撃ち砕けっ!!」
収束する力、凝縮する輝き。
朝靄すべてを輝かせるような絶大な光が爆ぜて消えれば、命尽きた男も霧散する。
芝居がかった所作でルディが一礼した。
「さあ、楽しいサーカスの時間はこれにて終い」
――おやすみ、良い夢を。
作者:藍鳶カナン |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
|
種類:
公開:2017年1月31日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
|
||
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 4/キャラが大事にされていた 0
|
||
あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
|
||
シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。
|