影は嗤う

作者:OZ


 影の中には、何かが潜んでいるという。
 視線を感じる。
 呼吸を感じる。
 足音を感じる。
 人にはそういったものを無意識に感じ取る力がある。だから――もしかしたら『それら』というものは、本当に、いるものなのかもしれない。
 そんな好奇心を、幼い頃から持ち続けていた。
 少年と言ってしまうには育ちすぎ、青年と言ってしまうには、まだ幼い。そんな男子学生はひとり、ぶるりと一度、冬の夜気に身震いした。
 車通りもなかなかない、寂し気なトンネルの入り口。忙しなく辺りを見回し、街灯を見上げ、そして最後に、自分の足元を見下ろす。
 影が伸びていた。
 学生は幾度か咳払いをして、スマートフォンの動画撮影モードを起動する。所謂自撮りを始めた学生は、カメラに向かって笑顔を作った。
「えー、……今日は都市伝説の検証に来ています! 午前三時、この街灯の傍で自分の影を見ていると、『何か』が出てくるそうで。今日こそ都市伝説の尻尾を捕まえたいと思います!」
 片手でピースサインを作った学生は、戯れ半分にそう語る。
「……よし!」
 そう意気込むと、学生はそろそろとスマホのカメラレンズを自分の足元へと向けた。澄んだ夜の中、か細く光るトンネル前の街灯は、それでも十二分に明るい。
 一分、二分、三分。
 五分、十分、十五分。
 じっと待ち、自分の呼吸を聞いていた彼の耳朶を、不意に笑声が打った。
「――私のモザイクは晴れないけれど、あなたの『興味』に、とても興味があります」
 学生が驚きと恐怖、それらと共に振り返るよりも早く、闇夜から――それこそ月夜の影から滲んで出てきたかのような女は、学生の胸を、その手に持つ鍵で穿った。
 アスファルトの上にスマートフォンが跳ねる。学生もまた一拍遅れて、崩れ落ちた。
 その隣に出でたのは、『何か』。
 人の影が実体を得たかのようなそれは、ゆっくりと、はなから存在しないまなこで月を見上げた。


 九十九・白(白夜のヘリオライダー・en0086)の機嫌は、何故かそこそこ良いようだ。
「都市伝説とか、怪談めいた話とか、お好きですか? スレンダーマン的なミームとか、俺は結構好きなんですが」
 そう言って軽く笑った白は、それから表情を少しばかり引き締めた。
「そういった『都市伝説』に興味を持った学生がひとり、ドリームイーターに襲われます」
 そう語られはじめた内容に、ケルベロス達もまた背筋を伸ばす。
「その学生の『興味』を奪った張本人は、既に姿を消しているようですが……奪われた『興味』を元に現実化した怪物型のドリームイーターにより、事件を引き起こそうとしているようですね。……いつもの手段、というやつでしょうか」
 解決に当たって下さい。そう続けられた白の言葉に、幾人かが頷く。
「怪物型ドリームイーターは、人間を見つけると、『自分が何者であるか』といった内容の事柄を問いかけるそうです。そしてそれに正しく応じることができなければ、相手を殺す。……この辺りは、なんと言いますか、本当に都市伝説の定石を踏むようで、ドリームイーターにとって何の意味を成すのかは、解らないんですが……」
 白の視線が、何かを想像しているのだろう、一瞬宙を見つめた。
「今まで起こった同様の事件報告等から考えるに、ドリームイーターは『自分のことを信じていたり、噂している人』がいると、その人に引き寄せられる性質があるようです。それをうまく利用できれば、誘き出すことも特別難しいことではないかと」
 ドリームイーターの撃破、ことの解決、よろしくおねがいします。そう続け、白はふと視線を足元の影へと移す。
「……『存在しないはずのもの』は、本当に存在しないんですかね? 誰かに認知された時点で、例えばそれこそ、時折感じたように思う『何かの気配』とか――存在する可能性は、生まれると思うんですが」
 点と点を結べば線が出来るように。
 そんなことを言ってから、白はもう一度微笑むのだった。


参加者
天壌院・カノン(ペンタグラム・e00009)
ジゼル・フェニーチェ(時計屋・e01081)
レスター・ヴェルナッザ(凪の狂閃・e11206)
黒木・市邨(蔓に歯俥・e13181)
アトリ・セトリ(翠の片影・e21602)
ヨハネ・メルキオール(マギ・e31816)
ウエン・ローレンス(ドラゴニアンの鎧装騎兵・e32716)

■リプレイ


 見て取れるトンネルの中の蛍光灯の間隔は離れていて、浮かび上がるような光の隙間には、容赦なく夜が入り込んでいた。
 とろけるような、しみいるような闇夜だった。
 身体の芯まで凍えさせるような気温もまた、そう感じさせる一因となっていたかもしれない。
 ほうとひとつ白い息を吐いて、アトリ・セトリ(翠の片影・e21602)は仲間達と共に、寂し気な道をぽつんと照らす街灯の下に立った。深い森色の髪は冬の夜気に晒されて、頬にかかるたびに冷えた温度をアトリに知らせていた。
「――では、」
 短くそう告げ、アトリは一瞬瞳を閉じた。次の瞬間凛と開かれた瞳と共に、ひとを寄せ付けぬ殺気が放たれる。
「さて、何かが出てくる、ですか。……果たしてどの様な化け物が現れるのでしょうね」
 ハティ・フローズヴィトニル(蝕甚・e21079)は柔らかく微笑んで街灯の光を見上げた。
 どこか寂し気に、時折弱く明滅する青白い光は、どうやら未だに、流行りのLEDのそれではないらしい。
「都市伝説や怪談の類は信じちゃいないが、話を聞くのは嫌いじゃない」
 言いながら胸ポケットから一度は煙草を探そうとしたが、レスター・ヴェルナッザ(凪の狂閃・e11206)はその手を止める。
「ま、自分の影が動き出すのなんてのは勘弁願いたいが」
「……午前三時」
 ぽんぽんと胸ポケットを払うような仕草を見せ、手を下ろしたレスターに一度視線を投げてから、ジゼル・フェニーチェ(時計屋・e01081)は足元に言葉を落とした。
「曖昧な時間。だからこそ、何かがいてもおかしくない。あたしはそう思う」
 それがひとならば瞳のあるべき場所に。頭の影まで視線を滑らせ、ジゼルは言った。
「何かがこちらを見ている視線って、たまに感じる。もしかするとこの影だったのかもしれない。よ。この影がいつもあたしを見てても全然不思議ではない。もの」
「そう、ですね。……僕もその不思議を信じています」
 ウエン・ローレンス(ドラゴニアンの鎧装騎兵・e32716)は陽光のような瞳をゆるく細めた。
「人が無意識に『何か』を感じ取る力、……僕にもありましたから」
 ウエンは微笑んで続ける。
「扉の少しの隙間から覗く視線とか。……そう、今日のこの伸びる影。呼吸を合わせて引き摺るそれ――。……見えないだけでもしかしたら、自分達の知らない世界の人達が居るのかもしれません。ふふ、僕は信じていますよ? 面白いですし、僕は知っているんです」
 何を、と問うような瞳を向けた天壌院・カノン(ペンタグラム・e00009)に、少しばかり悪戯に、ウエンは表情を変えた。
「現実は『奇』そのものだって事を」
 そんなウエンの言葉を聞きつつ、ヨハネ・メルキオール(マギ・e31816)もまた、自身の影に視線を落としていた。
「未知の存在か……。幽霊の正体見たり枯れ尾花なんて言葉もあるな」
 何かを考えるようにほんの僅かな間を置いたヨハネは、再び口を開く。
「人や物は認識下に置かれて、初めて『そこに存在している』と言える……と俺は思う。そうであるからこそ、どんなものであれ存在を認めてしまえば、そこに在ることができるのではないだろうか」
 するりと首筋を走るやわらかな冷たさに、ヨハネは小さく微笑む。ヨハネの首から肩にかけてを、気まぐれに滑るように移動する白蛇は闇夜の中、細く降る街灯を照り返して、ほんのりと光っているかのようだった。
 ちろちろと舌を出して主人の様子を楽し気に伺うような白蛇の様子に、ヨハネは指先で応えてやる。
「存在しない物は認知出来ない。然し……認知出来ないから存在しないかと言えば、必ずしもそうではないでしょうね」
 ハティは微笑んだ。
「人には抗い切れぬ好奇心があるが故に如何しても認知せずにいられない。だから……居なかった筈の物が顕現するのかもしれません」
「自信が無意識の内に抑圧している……若しくは自身と正反対の性格が溢れ出たモノが『何か』の正体、とかね」
 いろいろな考え方があるけれど、とアトリは続けた。
「真偽はどうあれ……一度はお目にかかりたいね」
「――午前三時の、『存在しないはずのもの』」
 不意に黒木・市邨(蔓に歯俥・e13181)は僅かに目を細め、穏やかに告げる。
「ようこそ、現世へ」
 気配が濃くなったことに全員が気付いたのは、そのときだった。


「陰から現れるとは面白いね、中々におどろおどろしくて。冬の怪談も悪くない」
 いのいちに気付いた市邨は小さく笑った。ひとのかたちをしたそれは闇夜の中でも確かな質感を持っていた。輪郭こそ闇に融けて見えないのだが、そこに、確かに、居る。誰にでもそれが解った。
 ぼそぼそと濁るような音がした。
 それが、『何か』の発した音なのだと、ケルベロス達は理解し、その言葉を聞いた。
 タ、ソ、カレ。
 カ、ワ、タレ。
 そう言葉を並べた『何か』は、頭を上に向け、月を見上げているようだった。
「今は夕暮れでも明け方でもありませんが、夜の闇もまた、人が何者なのかを解りにくくする……」
 ウエンは僅かに首をかしげて笑った。
「つまるところその問いは――自分は何者か、……ですか」
「そんなことを問うの」
 市邨はウエンの言葉を引き継ぐように目を細める。
「……何にでも成り代われる筈の陰。けれど自分が何であるかも解らぬ故に、決して何にもなれない、哀れな怪物」
 ぱっと、光が散った。
 仲間達が点灯させた光が、『何か』を照らす。
「あなたは何者でもない、ドリームイーターです」
 カノンは迷うことなくそれに向け言い放つ。
「人々の心を糧に悪事を働こうとする者を、許すことはできません。――参りますッ!」
 闇夜の中で、光を受けた翼が、白く、赤く艶めいた。
「さて――月夜の影踏みといくか。鬼はどっちか分からんがな」
 ホルダーからリボルバーを引き抜いてレスターが告げる。
「影は影、光が無きゃ現れねえもんだ。もうとっくに陽は落ちてる」
 お前は消えているべき時間だ、と。
 ことのはと共に電光石火で放たれた銃撃が、それの足元を縫い止める。
 それは一拍を置いて牙を剥いた。
 例えるならば、潰えて存在を成さなくなった深海魚の眼。その在るはずもない視線が、ヨハネを射抜く。くらりと回転するような一瞬の眩暈こそ覚えれども、仲間の癒し手がそれを拭う。ヨハネはふと笑った。
「――お前の正体なんざ知るもんか。だが俺たちはお前を認識してしまった。そうなった以上、放っておくわけにはいかないのさ」
「そう。『あなた』が――影であろうと何であろうと、斬れるものならば」
 闇の中をハティのナイフが一閃する。
「斬り伏せてやるだけです」


「お前様はなんて不思議な力。あたしも『興味』がある」
 灰色のジゼルは表情も変えずにとつりと言った。
 そのままに細腕を前へと差し出せば、そこに絡みついていた攻性植物が、黄金の果実を生み落とす。ポケットの中の懐中時計が、ジゼルが動くたびに重さを主張した。
 ジゼルの動かない表情とはまた別だろう。市邨は先ほどまでの笑みをひそめ、鋼をかんばせに張り付ける。
「――蔓」
 その呼び声に、心得たとばかりに飛び出すのは白の勿忘草を咲かせる、新緑の蔓。
 奔った一撃を、『何か』は滑るように避けた。それにより生まれた新たなる隙を狙い、仕掛けるのはアトリだ。
「噂をすれば影が差すとは、良く言ったものだね」
 挟むは呼気ひとつ。
「その影に実体はいらないのだけれど」
 しゅっ、と刹那のうちに空を裂く音。
 力強く鋭くアスファルトを蹴ったアトリの影が、一層濃さを増した。
 アトリの動きに合わせるようにハティもまた飛び込む。ナイフを翻すたびに踊る光が、瞳に反射して凶暴な色を見せていた。
 おとを奏でるときのそれのように、ヨハネはファミリアロッドを振るう。
「お前に耳があるのなら。――聞こえるだろう?」
 ヨハネが歌うように紡ぎあげるのは光そのもの。
「これは、光の魔法。……光が強いほど闇が深くなるのは真理。闇を内包するのは必然だな」
 解き放たれる魔力の奔流は、あらゆる光の濁流にすら似ていた。闇で、影で出来上がっていた『何か』を一瞬で飲みこんだその流れは、眩さをケルベロス達の網膜に焼き付ける。
 気配が膨らむのが解った。
 夢で出来上がったはずの影の身体から、夢を喰らう一撃が飛ぶ。
「良いですね、――……とても面白い」
 ウエンはその一撃を受けて尚、噛みしめるように笑った。
「遅れましたが、僕はこう答えましょう。『あなた』が何であるのか。そして自分は何者かなのか。僕は『ケルベロス』。そして『あなた』は――」
 続けざまに飛んできた攻撃に、ウエンの言葉は掻き消される。
 カノンが入れ替わるように斬りこみ、ウエンは飛び退いた先で告げる。
「この答えが正しくなくても、これが僕の応えです」
 仲間のその声すらも灰塵と帰すかのように、銀の炎は燃えていた。
 骸と名付けられた無骨な得物。それを振るうのはレスターだ。
「月が恋しいか、それとも恐いか」
 間合いに踏み込んだレスターを迎えるのは、魔力。得物を絡めとらんとするその力を、力で真正面から薙ぎ払い、レスターは再び攻撃に転じる。
「何れにせよこいつは月光より眩しいかもな。――掻き消えちまえ」
 苛烈に燃え盛る銀の炎は、陽を照り返した月の光よりも確かに、『何か』を灼いた。


 それはケルベロス達に問いを放ったよりこちら、音を発することはなかった。
 存在しないはずの眼から気配という名の視線を放ちながら、何がためか己がためか、それはひたすらにケルベロス達に向けて攻撃を続けていた。
 その姿は、何かの抜け殻のようですらあった。
(「埋められないもの、僕にもあります。……――でも」)
 攻撃の手を緩めずに、ウエンは思考する。
「――奪っていい理由にはならない。それが他の人の夢なら尚」
 呟きにも似た声は、誰に届いたかも解らない。
「恐怖とは、意外と身近に潜んでいる物かも知れません。……『あなた』にとっての恐怖とは何でしょうね?」
 ハティの刃が踊る。切り裂かれたひとかけらの影が、闇に融けて消えてゆく。『何か』の周囲を、仲間達の間を縫うように駆け、アトリは仲間達を守護する魔法陣を描く。
 操り、同時に信を置き、市邨は幾度目か、蔓を『何か』へと嗾ける。普段の人懐っこさはなりをひそめ、緑蔓は主のために牙を剥いた。
「どうしてかな? そうしないといけない気がするんだよ。ね」
 ジゼルが言葉を漏らした。
「お前様の事はあたしが覚えておくから」
 ――あるべきばしょへ、おかえり。
 ジゼルの静かな瞳とことのはが、時計を巻き戻すように紡ぐのは誰かの思い出。それは力となって、魔力となって『何か』を襲う。
 後方に退いたカノンの援護を受けながら、レスターが重い一撃を叩き込む。
「人の足元で踏まれ続けるのにも飽きたんだろうが、そろそろ影に還ってもらおうか」
 幾度か受けた攻撃に、裂かれた頬からは血が滲んでいた。
 聞こえこそしない。だがヨハネの中には確かに音が在った。
 彼のファミリアロッドは、魔力を奏でる。
「……俺の魔術とお前のあり方は似ているな。光がなければ影は生きられない」
 高い位置に掲げられた杖先が、ひとつの音楽の終焉を示すように、下へと振るわれた。
「影は影らしく、光の下へ戻るがいい」
 そうしてうたいあげられる光の魔法に、度重なるケルベロス達の攻撃に、その輪郭をぶれさせていた『何か』は終ぞ掻き消える。
 幾人かの上がった呼吸音と、冷えた夜気だけがその場に戻ってきていた。

「そういえば学生さん、こちら側にはいませんでしたね?」
「そういえば確かに……。トンネルの、向こう側でしょうか」
 ハティがふと上げた声に、カノンが応えた。
「この寒い中眠っては風邪を引いてしまいます」
「今回は保護するまでを仕事にするか」
 続けられたハティの言葉にレスターもまた軽く応じて、やはり人気のないトンネルを見遣った。今度は探り当てたらしい煙草に火を寄せれば、身に纏うそれとは違う炎の色が、ほんの小さく灯った。
 市邨は小さく笑って、蔓に向けて語り掛ける。
「――あの陰は、昔の俺に少し、似ていたね」
 歩き始めた仲間達を数歩遅れで追うアトリは、ふと一度、自身の影に目を落とした。はじまりと何ら変わることなくぽつんと立っている街灯は、ケルベロス達の影を、頼りなげな光の中に伸ばしていた。

作者:OZ 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年1月25日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 5/キャラが大事にされていた 0
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