「ぎゃぁぁっ!」
男は甘い顔つきに似合わない絶叫を挙げた。
「い、いつからここに……」
彼の目線の先には、袋の中に入った何かがあった。
この『何か』の正体は、パンである。なぜ、何か、なのか。それは、表面をびっしりと、苔のようなものが覆っていたからである。
「カビ……だよな、これ」
彼はそっとその袋を拾い上げる。内側にはどこから出てきたのか、じっとりと液体が染み出ている。
直後、ざしゅり、と肉を引き裂くような音がした。青年は膝から崩れ落ち、その場に倒れた。
「カビかぁ……私のモザイクはこれじゃあ晴れなかったけど、その嫌悪の気持ちは、分からなくもないかな」
うふふ、とドリームイーターが笑う。
「あなた、パンだったの? ひどい臭いだよ……うふふふ……たくさん暴れておいで……」
セリカ・リュミエール(シャドウエルフのヘリオライダー・en0002)は深いため息をついた。
「今度はカビですね」
彼女は暗く落ち込んで、もう一度息を吐いた。
「チーズならまだ大丈夫なんですけど……パンに生えたカビは、食べたくはないですよね……見たくもないですから……」
セリカは咳払いをした。
「エリヤ・シャルトリュー(籠越しの太陽・e01913)さんが予測した通り、今回の敵はカビです。男の人の部屋に落ちていたカビたパン、その嫌悪の気持ちをドリームイーターが具現化したようです。カビたパン自体が大きくなっているようなのですが、カビの臭いもきついようです……。具現化を行ったドリームイーターは魔女集団『パッチワーク』のメンバー、ステュムパロスという奴なのですが、彼女は既に現場から逃走しています。カビたパンを倒せば、ドリームイーターに襲われた男の方は目を覚ますはずです」
セリカは目を潤ませながら続ける。
「今回男の方が襲われたのは、古びたアパートの一室です。被害者の男の人はカビたパンと一緒にそこにいると思われます。家の中は多少散らかっているようです……まあ、知らない間にパンがカビるくらいですから……」
ごほん、と一つ咳をする。
「腐ってもパンですから、攻撃自体は大したことはないと思うのですが……何せカビているので、どんな攻撃が飛んでくるかわかりませんし、こちらのどんな攻撃が有効なのか、よく分かりません。カビたパンには、どんな攻撃が効くのでしょうか……敵は1体だけですので、うまく有利をとってことを進めていってほしいのです」
「普通だったら、カビたパンなんて捨てちゃうんですけど……今回は、そうもいきません……。どうやったらカビをうまく倒せるか、そして、パンを倒せるのか……。カビって、ほっといたら色んなところに増えちゃいますから……うまく退治してください」
参加者 | |
---|---|
蒼天翼・真琴(秘めたる思いを持つ小さき騎士・e01526) |
エリオット・シャルトリュー(イカロス・e01740) |
エリヤ・シャルトリュー(籠越しの太陽・e01913) |
ロストーク・ヴィスナー(庇翼・e02023) |
ファルケ・ファイアストン(黒妖犬・e02079) |
桐屋・綾鷹(蕩我蓮空・e02883) |
コンスタンツァ・キルシェ(ロリポップガンナー・e07326) |
ユエ・シュエファ(月雪花・e34170) |
●何の臭いだ!?
「うぐっ……!」
蒼天翼・真琴(秘めたる思いを持つ小さき騎士・e01526)は思わず袖で鼻を覆った。
「なんだこの臭いはっ……」
現場となっている青年の家の扉は、まだ閉まったままである。いくら古い建物だとは言え、部屋の前に立っただけで、これほどまでに強烈な異臭が漂っているのは、尋常ではない。
「耐え難いですね、コレは」
ユエ・シュエファ(月雪花・e34170)もそれに同意する。8人全員がこの扉の前で、まったく同じことを思っていたのだ。
「まずこれを開けたら、俺が窓を開ける。そんで、エリヤがここにキープアウトテープ。それでいいんだな」
エリオット・シャルトリュー(イカロス・e01740)はよく似た双子の弟を見た。
「ああ、いいんじゃないかな」
エリヤ・シャルトリュー(籠越しの太陽・e01913)は静かにうなずくと、連座の面々に目を配る。
「入る前からこんだけって、ありえないっすよ……」
コンスタンツァ・キルシェ(ロリポップガンナー・e07326)は顔をしかめてファルケ・ファイアストン(黒妖犬・e02079)の腕を抱きしめている。
「まさか、被害者は室内で死んでいた、なんてことはないだろうね」
ロストーク・ヴィスナー(庇翼・e02023)はあまりの異臭に顔から血の気が引いている。
「どんだけ汚い部屋かは知らねえが、死体とゴミの区別くらいは付くだろ」
桐屋・綾鷹(蕩我蓮空・e02883)の声に、一同は覚悟を決めた。動物性たんぱく質の腐敗臭は一度嗅いだら忘れられない独特のものがある。様々な作戦をくぐってきたケルベロスたちは、それぞれにその臭いを記憶している。この一室の前で感じるそれは、彼らが個別に記憶していたその臭いに非常に近かったのだ。
「開けるぞ」
綾鷹はドアノブに手をかける。ずぼらな男らしく、鍵は掛かっていない。ガチャリと冷たい音がして、中から強烈な異臭が一同を襲った。
「ぐっ……!」
ファルケは顔をしかめ、声を漏らす。だが、あまり大声を出してドリームイーターに気付かれてしまってはいけない。彼らはそれぞれに必死の形相で、室内へと潜入していった。
先頭を行く綾鷹は、部屋の隅に大きな塊を見た。そしてそれを目の端に映したまま、静かに窓を開ける。冬の冷たい風が吹き込んでくる。その塊がぶるりと体を揺すったかと思うと、あたりに緑とも白とも言えない埃が舞った。その埃は、紛れもなくカビの胞子だった。マスクも何も持たずに、潜入した彼らは、極力大きく息を吸わないようにこころを落ち着ける。
青年の上半身をエリオットが、下半身をロストークが持ち、静かに運び出していく。意識を失った人体は泥のように重たく、呼吸を抑えながら彼を運び出すのは至難である。青年が部屋の外へと運び出されたのを見届けて、エリヤがそこにキープアウトテープを張る。
この間に、部屋の空気は少しずつ入れ替わり、まだ息をすることもできるようになってきた。胞子のせいで霧がかった室内が徐々に晴れると、あたり一面にごちゃごちゃと汚いものが散乱し、しかもそれらがすでにカビだらけにされているのがわかってきた。
「……さっさと片付けよう」
真琴は怒りともとれる声でそう言うと、想蟹連刃で床に蟹座の紋様を描いた。ケルベロスたちはあらかじめ話し合っておいた通りに陣形を組み、それぞれの武器を手にした。
●殺菌開始!
ユエの手に握られた半透明の御業が炎弾を放つと、悪い意味でふわふわとしたパンの表面を焼く。腐ってもパン、ではないが、焼けた小麦の香ばしいにおいがあたりに漂う。
「!?」
その熱に驚いたのか、ドリームイーターがごそごそと動き始めた。どうやら今の今まで、部屋の奥にある台所の方を向いていたらしい。彼が動くとばさばさと胞子が舞い上がり、空気がよどむ。
「熱いかい? じゃあ、いま冷ましてあげるよ……謡え、詠え、慈悲なき凍れる冬のうた」
ロストークは氷霧を纏ったледниковを振り下ろす。その大斧の姿は『氷河』の名にふさわしい。カビの胞子が舞い、斬られたパンの一部が凍った。
ドリームイーターの表情は読み取れない。痛がっているのか、あるいはまったく効いていないのか。パンの投げ飛ばしたモザイクがエリヤを襲ったが、大きなダメージにはなっていないようである。
「これくらいのダメージなら、どんどん押し込んでいったほうがいいね」
エリヤは余裕の表情でそう言った。そのことばを聞いて、ファルケは脚に纏わせた炎でパンに蹴りこみを入れる。さらにコンスタンツァがその炎が建物に移らないようにと氷で鎮火する。パンはどんどん冷凍トーストと化していく……もちろん、食べることなど到底できないのだが……。
「よっしゃ、じゃあ次は解体だな」
エリオットはチェンソー剣を手にすると、パンを切り刻んでいく。さらに、綾鷹の斬霊刀がその切れ込みをなぞるように広げた。
「我が邪眼よ、仇なす者の力を奪え、術を奪え、歩む足を奪え」
エリヤの詠唱によって黒い鎖が現れ、パンに突き刺さる。そして稲光のような青白い光を放った。
「グオォォォォォッ!!」
パンは、体を大きく震わせる。あたり一面にカビ胞子がまき散らされる。
「なんだっ!?」
次の一撃のために剣を振りかぶっていたファルケは、後ろへと飛びのいた。パンが振りまいた胞子が、この部屋の主の持ち物に降りかかっていく。そこから、また大量の胞子が噴き出す。あたりが一気にもやがかる。
「これが、コイツの回復方法……!」
真琴は目を見張った。確かにカビらしくはあるが、そのおぞましい光景を、ケルベロスたちはただただ見守るしかなかった。
「くそっ……!」
綾鷹はその霧の中に刀を構えて飛び込むと、一撃を与えた。
「……!!」
そして、見てしまった。
「傷が……全然付いてねえっ……!?」
超自然的回復で、ケルベロスたちが何撃も与えた傷が、ほとんど消えてしまっている。部分的に焦げたパンの部分は残っているが、切れた部分を、見事にカビが覆ってしまっていたのだ。
「ウガァァァァァァァッ!!」
パンが飛ばしたモザイクがユエを襲う。敵の攻撃力は確かに決して高くはない。だが、これほどまでの回復をされてしまっては、打つ手がない。ロストークと彼のボクスドラゴンであるプラーミァが、ユエの傷を癒す。
「大丈夫です、ありがとう」
ユエは自身の傷がそう大きくないということを確認して、ぎりっと巨大なカビをにらんだ。
「それよりも、一気に押し込みましょう」
「行くっすよ……!」
コンスタンツァはありったけの力を込めて、バイオレンスギターでパンを叩く。彼が逃げようともがき、反撃を試みるたびに焦げ跡がじわりと広がっている。
「そのまま焦げながら凍れっ……!」
エリヤが放った氷塊がパンの足元を凍りつかせる。さらに、ユエのシャーマンズカードから冷たいエネルギー体が現れ、カビを襲っていく。
「こいつを喰らえッ!」
エリオットはパンに向かって小さなカプセル体を投げつける。それはパンにぶつかると展開し、彼の体を覆った。
「グギィィ……」
パンは悲鳴ともとれる声をあげながら、もう一度胞子をばら撒こうとしたが、エリオットの薬剤が効いたのか、うまく回復ができないようである。
「この一撃から、そう簡単には逃がさねぇよ!」
真琴の放った気弾がパンに風穴を開ける。
「絶対強えやつには絶対治らねえ一撃、ってのは、当たり前だろ?」
綾鷹が太刀を振るうと、空間ごとパンが切れていく。
「ガァァァァァァ……!!」
「なんだ、トーストが足りないのかい?」
ファルケがやかましく騒ぎ立てるパンに、さらに炎の一撃を加える。
「遠慮なく凍りなよ」
ロストークはファルケの攻撃に重ねるように、氷の斬撃を加えた。
「ぎぃーっ……ファルケといい連携っすね……」
コンスタンツァは眉間にしわをよせ「GO、ロデオGOっす!」と叫んだ。嫉妬めいた力のこもった魔法の弾丸が、パンの耳を粉砕する。
「黒炎の地獄鳥よ、我が敵を穿て!」
エリオットの炎を纏った一撃が、とうとうパンを消し炭に変えていく。胞子まで真っ黒な炭と化しながら、ようやくパンは力尽きた。
●お説教
「お説教っすよ!」
コンスタンツァは息巻いていた。しかし、彼女が説教している相手は青年ではなかった。
「アタシというものがありながら!」
腕を絡み取られたファルケは口元に薄っすらと笑みをたたえたまま、「ごめんごめん」と言う。
「ロスも! ファルケと仲がいいのは嬉しいっすけど……!」
「あの……僕が、何かした?」
ロストークの鈍感さに、ファルケはコンスタンツァに気付かれないよう、小さく噴き出した。
ロストークの傍らで、プラーミァが焦げてしまった壁紙や天井にヒールをかけると、元の壁紙よりずっと白く綺麗なものに変わってしまった。
「ですから」
ユエが意識を取り戻した青年を正座させている。
「二度とこのようなことが起こらぬよう、部屋の片づけは毎日行いなさい」
「ま、毎日!?」
「当たり前です。今日だけは僕も手伝いますが」
青年は自分が招いた問題がどれほど大きい出来事だったのかをようやく理解したらしく、首をがくりとうなだれて「ありがとうございました」と力なく言った。
「俺は手伝わねえぜ。じきに業者が来る」
綾鷹はそう言うと、大きく深呼吸した。
「ゴミっぽいものは全部出したが、これ以上は自力じゃ無理だろ」
「確かにそうかもしれないな」
真琴は呆れたように同意した。外の廊下に今出ている「ゴミらしきもの」の総量を、彼も十分理解していたからだった。
エリヤはそのゴミの山を見て、首を回していた。
「あーあ、疲れた。まるで兄さんの部屋みたいだったね」
「なんだ? お前もひとのこと言えないだろ」
「まあ、そうだけど」
エリオットのことばに、エリヤは苦々しく笑った。
遠くから、車のエンジン音が聞こえる。業者がそろそろ到着するのだろう。一同はその音を聞いて、部屋から続々と出ていく。
「二度とカビなど出さないように気をつけなさい」
ユエが青年にきつく言った声が、狭い部屋に響いた。
作者:あずまや |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2016年11月30日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 1/感動した 0/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 2
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