まあたらしい日に茜差す

作者:螺子式銃

●夜を越えて
 昼は人気のハイキングコースであっても、夜ともなれば人の気配はない――筈だったが。
 一人、暗闇の中を歩く者がいる。
 星明かりとランプだけを頼りに、息を切らしながら懸命に山頂を目指す男は、どうみても登山を楽しんでいるように見えなかった。
 縋るような眼差しが見ているのは色づいた紅葉でもなければ、土と木々の甘い匂いにも気づかない。
 ただ、上だけを見据えて呟く。
「……朝日と共に現れるという獅子に食われれば、本当にこの苦しみから逃れられるのか? あいつのことは、忘れられるのか? 生まれ変われるのなら、」
 その時だった。背後から、巨大な鍵が彼を貫いたのは。
「私のモザイクは晴れないけれど、あなたの『興味』にとても興味があります」
 囁くような声と共に現れるのは、第五の魔女・アウゲイアス。
 そして、崩れ落ちた男の傍らには、仄かな燐光を纏う黄金の獅子の姿をしたドリームイーターが生み出されていた。
 まるで太陽の具現のように鮮やかな鬣を持ったドリームイーターが山頂に向けて駆け出す頃、丁度夜明けが訪れようとしている。

 空には、薄くたなびく雲。眼下には紅葉に彩られた稜線も鮮やかに、遥か下方の湖は黒く。
 その全てを染め上げていく最初のひかりは、茜色。
 息を飲む程に強い光輝は鮮やかに赤く、地上はその色に満ちていくのに未だ上空には夜の名残の濃紺。
 最後のひとつまで、星は淡く瞬いた後、とうとう空全体が白み始める。
 雲に差す色は複雑な彩、ラベンダーのような淡い紫から温かみのあるピンク、夢から覚めたばかりの空の色。
 次第に、景色もまた露わになる。
 紅葉が織り成すは、秋の錦。胸に焼き付く紅と橙が見事に山を覆い、澄んだ薄氷色の湖は紅葉とひかりを映しこんでいる。

 今日も、朝が来る。

●夜から続く物語
「今日もお疲れさま。――じゃあ、始めようか」
 招集に応じてくれた皆へと一礼すると、トワイライト・トロイメライ(黄昏を往くヘリオライダー・en0204)は資料を手に口を開く。今回彼が説明するのは、第五の魔女・アウゲイアスが引き起こしたドリームイーターの事件だ。
「不思議な物事に強い『興味』を持って実際に調査に赴いた人間が、ドリームイーターに襲われ『興味』を奪われた。
 この『興味』を元にして現実化したドリームイーターが、事件を起こそうとしている。
 ドリームイーターが一般人を襲う前に、どうか撃破してほしい。
 そうすれば、『興味』を奪われてしまった被害者もまた、目を覚ますことだろう」
 静かな口調でトワイライトはケルベロス達に説明をしていく。
 敵のドリームイーターは一体。信州のとある山頂に現れたのだという。
「紅葉が有名な山でね、道中はケーブルカーも完備しているからそこまで本格的な登山じゃなく山歩きを楽しむといった体のハイキングコースなんだが。
 この山では朝日の頃に黄金の獅子が現れる。黄金の獅子は、人を喰らうが次は幸福な生に転生させてくれる、という噂が近頃流れていた。
 それで、ケーブルカーの止まっている明け方前の時間に登山をした者がいる。そこを、ドリームイーターに襲われた」
 本人は登山に慣れている為、ケーブルカー無しでも問題がなかったとのこと。ただ朝日を見たいだけの気持ちで山を一心に登ったのだろう。
 そう説明していくトワイライトは、嘆息じみた呼吸を挟む。
「ドリームイーターはその存在を信じられたり、噂している相手には引き寄せられるという性質がある。広大な山を探し回るのは大変だろうが、今回はこの山に朝日を目指して登ればそれだけで誘き出す条件は成立するだろうね。近場までは輸送できるし、登山自体は簡単な筈だ」
 また、ドリームイーターは姿を現した時、『自分が何者であるか問う』真似をして、正しく対応できなければ殺してしまうという性質を持ち、逆に正しく答えられれば襲わないとのことだが、どちらにしても戦闘を行う必要があるので正答の有無は戦闘には影響しないだろう。
 このドリームイーターは攻撃力に長け、炎を操ったり霧で幻惑したりするとのことだ。
「朝日を浴びれば生まれ変わったような気持ちになる、とは言うが。襲われて死んでしまうというのは、過剰に思えるね。ただ、実際、朝日はとても見事ではあるようだよ。天候も晴れの予報だ」
「そう、それに紅葉がとても綺麗で素敵だわ。折角だもの、山頂で少し待てばきっと朝日が見れるわね。温かい飲み物を持って行っても良いし、ハンモックなんかも楽しそう」
 鳴咲・恋歌(暁に耳を澄ます・en0220)が横合いから弾む声で口を挟むのに、トワイライトも頷いて見せる。
「確かに、君達が楽しめるのなら少しはのんびりしてきたらいい。それくらいの時間も偶にはあっていい筈だ。
 楽しんで、何より無事に帰ってくるよう。いってらっしゃい」
 トワイライトはいつも通り、皆を一人ずつ見遣って穏やかに笑う。


参加者
朝霧・美羽(そらのおとしもの・e01615)
暁・歌夜(ヘスペリアの守護者・e08548)
月霜・いづな(まっしぐら・e10015)
サフィール・アルフライラ(千夜の伽星・e15381)
フェリシティ・エンデ(シュフティ・e20342)
バジル・サラザール(猛毒系女士・e24095)
天羽生・詩乃(夜明け色のリンクス・e26722)
ダリル・チェスロック(傍観者・e28788)

■リプレイ

●夜明け前
 深い暗闇の中、揺れる光と同じくらい明るい声が響いた。
「わぁわぁ、ここからすごい坂道なのよっ」
 急斜面に差し掛かる手前、朝霧・美羽(そらのおとしもの・e01615)が知らせる表情に憂いはない。番犬達には、実際のところ容易な道のりだった。その先に鮮やかな光景が待っているのだから、尚更。
「…せおうてのぼるのは、さぞおつらいでしょうね」
 だからこそ月霜・いづな(まっしぐら・e10015)が呟くのは、背に負うつづらの話ではなくて。紅葉すら見る余地の無かっただろう人に添おうとするもの。
 吐いた息はあっという間に白く、冴え冴えとした空気に溶けて消える。
「それでも縋るしかなかったのなら、余りにも」
 寂しい、とサフィール・アルフライラ(千夜の伽星・e15381)の唇が音なく動く。その眼差しは少しだけ伏せられて、――けれど、前方から伝わる気配にゆっくりと引き上げられる。
「来た、みたいね。どうか、気をつけて」
 バジル・サラザール(猛毒系女士・e24095)もまた襲来に気づけば警告を口に。手早く足元に青の灯を置いて、張り巡らせるのは冷えた殺気。万が一にも、紛れ込む人の無いように。
 最初は小さな光の点だった獅子は稜線を一跨ぎに疾く駆ける。ぐんぐんと接近するその様は解き放たれた矢のよう。
「まあ、なんてりっぱな、たてがみかしら!」
 いづなの感嘆と同時、背から和箪笥のようなミミックが滑り降りて俊敏に跳ねる。皆が素早く迎撃の体勢に取るその刹那、黄硝子の向こうでダリル・チェスロック(傍観者・e28788)が興を楽しむよう微かに目を細めた。
 獅子が、吠える。
「問おう、我は誰だ?」
 威圧を放つ問いに答えるダリルの声は、けれど笑みを孕まない。それは誰かの切実な願いが生み出した夢だと知っているが故に。
「人の苦しみを喰らう獅子、とでも答えようか」
 次いで届くはフェリシティ・エンデ(シュフティ・e20342)の軽やかな声。指先を立て、首を傾いで見せた。
「神々しい姿はしているけれど、まるで死神みたいじゃない」
 一方で、見据えるようにしてしんと返すのは天羽生・詩乃(夜明け色のリンクス・e26722)。
「あなたは朝陽の使者、かもしれないね。でも」
 詩乃が口を開き終えるより先、三者三様の言葉ごと圧し折ろうとするかのよう獅子は大きく開いた顎から炎を撒き散らす。荒れ狂う紅は一瞬、前衛を完全に飲み込んでいく。
「そば粉、任せたよ!」
 フェリシティの声は炎に遮られず響いて、白の翼が風を切りサフィールを炎の中心点から押し出すように舞う。そば粉は毛皮を焦がしながらも、得意げにフェリシティを振り返る。だから、フェリシティも褒める笑顔で頷いて吹雪を短い詠唱で呼び起こす。
「有難う、――行く」
 吹雪の勢いに作られた隙を逃さず、サフィールが音もなく闇に紛れる。気づけば彼女の体は獅子の真後ろを取り、その足に撓むは堕ちた祈り星の破片。届くようにと一心に行く。
「――夜に祈りを」
 傷ついたものに、戦うものに添えるのは、美羽の軽やかなステップだ。雲を踏むように軽やかな足取りが生み出すのは舞い上がる待夜の花。空に五線譜を描くように散りゆく花弁は地から生まれ天に燈って祈りを届ける。淡く無数に彩る光をサフィールは纏い、渾身の一蹴を獅子の首筋に叩き込んだ。
 詩乃を庇う形に立ちはだかるのは暁・歌夜(ヘスペリアの守護者・e08548)で、膨れ上がる熱に髪先も白い肌も容赦なく炙られていく。
「大丈夫!?」
「はい、まだ守れます」
 バジルが咄嗟に雷の壁を操ってくれるのに、歌夜の従えるドローン達への指揮は揺らがない。炎を切り裂き、薄くなった場所から無傷の詩乃が飛び出す。表情は決意に満ちて、強く。
 でも、の先の言葉を詩乃は持っている。だから、ダリルは先んじて駆け、脚を撓らせたかと思えば獅子の顎を思う様蹴り上げた。いづなが操る炎が追い込まれた獅子の眼前で弾けて、闇夜が束の間金色に染まる。その光の中心に、詩乃は狙いを定め、身を庇うこともなく仲間を信じて突っ込んでいく。
「人の命を、生を、簡単に、途切れさせていいわけないんだ」
 叩きつける言葉と同じくらい、ハンマーは重く獅子の真芯を捉え大きく黄金の体が跳ね飛んだ。

●偽りの金
「けずりに、まいります!」
 裂帛の声音と共に、いづなが身軽に飛びかかる。和箪笥のつづらは俊敏に地面から、足を薙ぎ払ったところに重力を撓めた膝蹴りが獅子の首へと着地する。
 負けじと首を振る獅子から幾度も炎が舞い上がる。精度と威に満ちた暴虐の紅はいづなが与えている威圧のお陰か、致命的な一打を生み出せない。それでも重い一撃に美羽は真っ向から恋歌を庇いに飛び込んでいく。バジルの方は歌夜が白刃で切り裂くも炎は未だ濃く最後はその身をもって盾となる。
「あまり無理はしないでね」
 心配げに眉を下げるバジルに、歌夜は柔らかく微笑む。その白い肌も、煤に汚れていたけれど。誰かを守ることに、躊躇いはない。
「前衛の護りを厚くしていきます」
「――傷が深いわ。なら、私は集中治療を」
「恋歌は皆をお願いするのよ」
 癒し手と庇い手が手早く分担を行っていく。庇った恋歌を振り向いて美羽が笑うと、ええ、と頷いて癒しの歌を奏で美羽も合わせ音を重ねて、炎を宥めていく。
 どれだけ炎が彼女らの喉を焼こうとも、声はけして枯れやしない。バジルの癒しを主軸に圧倒的な威力に対する立て直しは早く、攻勢に集中できるフェリシティやダリルの連携が状況を優位に積み上げつつあった。
「もっと、いっぱい邪魔なのつけちゃおう!」
「なら仕上げと行きましょうか」
 楽しげに声を弾ませるフェリシティに、伊達男の佇まいにバールのようなものを肩に担ぎ上げたダリルが悪い顔で笑う。
 視線を交わし合って動くのは彼女が先。飴玉でも差し出すような気軽さで差し出した掌から、ドラゴンが生まれた。幻影の竜は獅子と絡み合い、炎を吹き付ける。火の粉が舞う刹那を狙って、大量に釘をぞろりと生やした鈍器をダリルは振り被る。
 踏み込んでからの、遠慮の欠片もないフルスイングは見事に獅子の頭部へと突き刺さり、滅茶苦茶に引っ掻いた傷から炎が伝播し、あっという間に獅子が火達磨になって身悶える。シルクハットを目深に直す当人は涼しい笑みで。
「足裏から毒素を取り込みましょう」
 好機とみて重ねるのは、バジルだ。頬にかかった緑の髪を掻き上げると白い手に絡みつく一筋は蛇のよう。そして、影を縫い止めに打ち込まれる弾丸もまた忍び寄るように。じわりと影を飲む侵食が始まっていく。すかさず、歌夜が影のように駆け、急所へと刃を逆手に差し込む。捩じる動作で、傷口が広がり。
「グ、アアアア――!!!」
 獅子がせめてとサフィールを目がけ突進するが、美羽がその顎に自ら腕を捻じ込み、真っ直ぐ見据えて見せる。
「絶対、させないのよ」
 肉を噛む傷口は痛いより、熱い。けれど、耐えれぬ筈も無かった。美羽は強く、――もっと強くなるのだから。
 獣に押し倒されながらシホ、と美羽は何でもないように笑う。見えないビハインドの顔が頷いて、金縛りを放つその隙に、真下から腹を蹴り上げたその足裏で摩擦の熱が獣の毛皮を焦がしていく。
「おおかみさま、大神様! 願い奉ります!」
 いづなの舌は、祝詞となればすんなりと動く。高らかな拍手を鳴らせば現れる二頭の子狼が応じて、獅子よりも更に疾く駆け抜ける。一陣の風は金を跳ね退ける銀。美羽から、獅子を引き剥がす横凪ぎの力。
「よく頑張ったわね。すぐ、痛くなくなるから」
 バジルが躊躇わず美羽へと駆け寄り、炎に未だ包まれている少女の火傷を癒し、それでも足りぬとばかり緊急の手術を展開していく。
 その声を背後に聞きながら、詩乃は兵装を装着する。コードの解放までは一瞬、魔術回路と神経回路が繋がり、まるで腕がそれ自体巨大な一つの回路になったように圧倒的なエネルギーが流れ込み。その間も、駆け抜ける足は止まらない。ブーストの機動力に彼女を中心に流れる蒼の粒子が残像のよう煌めいて、瞬く時間もあればこそ至近で刃が獣を薙ぐ。
「……これが私の全力。行くよ、ムーンライト!!」
 光の爆発、そして収束。身を立て直す間もなく獅子を照らすのは、頭上遥かに輝く色とりどりの魔石達。祈るように組み合わせた手は胸に、サフィールの囁きはしんと響き渡る。
「――どうか謳って、星の聲」
 その呼びかけに答えるよう無数の光は流れ星のよう眩い尾を引き、地に伏す金の獅子へと降り注ぐ。無数の光、無数の色。千の夜を越えた幽けき光は、消え行く獅子の道標のよう儚く共に散っていく。

●朝日に寄せて
「お疲れさま。痛む場所はもうない? 風邪、ひかないようにね」
 戦いの後、山頂で各々に夜明けを待つ。バジルが心配そうに皆を何度も確かめて、人にも草木にも癒しを施したら毛布等の防寒具も、仲間達へと手渡していく。
「有難う! バジルさんも温かくしてるかしら?」
「勿論、医療従事者こそ健康は大事だもの」
 肩に毛布を掛けて笑う恋歌からの問いに、ゆっくりとバジルは頷く。細やかな心遣いを絶やさない彼女は、だからこそ己の身を気遣うことも知っている。ミルクティをいれたマグを持ち、指先も身体の芯も温め毛布にくるまってその時を待つ。
 眩い光が降り注ぐ、新しい一日の始まりを。
「いつもと変わらない朝のはずなのに……本当に、生まれ変わった気分だわ」
 洗われたような清々しい表情でバジルはゆっくりと目を瞑る。細胞の一つ一つが呼吸をしているような感覚は悪くない。凛と顔を上げた時には青の眸が鮮やかに微笑む。
 でも、彼女は生まれ変わらない。今生きるこの世界で、己が望むことを果たす為に。

 温かなスープに稲荷寿司、おばあちゃんが作ってくれた心尽くしは詩乃の身も心も温めてくれる。食べ終わったら、待ちきれなくて立ち上がった。山頂はいつもより空に近く、立ち上がったら更に空へと届く気すらする。
 晴れ渡る空は、宵闇の藍から燃え立つような茜へと揺らめいた。
 ひと時も同じ色は其処に無く、淡い紫は薄桃色に。きらきらと眩い陽光は澄み切った青を届けてくれる。無数の虹を、その内側に秘めて。
「――この、色だ」
 詩乃の名に由来する、彼女が恋い焦がれた夜明け色。0と1の世界から抜け出した先、記号や映像で表しようもない空を、彼女の生まれ立ての心が見つけた。自然に、体が後ろへと倒れて柔らかな草に埋もれれば本当に視界は、その色だけになる。彼女は、知っている。
 光が、闇を拭うことを。
 齎された空が、泣きたい程に愛おしく眩しいことを。
「皆に、見せたいな」
 もっと、強く。もっと、鮮やかに。
 空に焦がれた少女は、いつか夜明けを齎す光になれるだろうか。
 誰の手にも、朝を。

 とろりと甘い眠気に美羽は目を擦る。心地良い場所を探して座り込んだ切り株、凭れるものが欲しくて近くにはシホの姿がある。昔と変わらない優しい腕も、受け止めてくれる胸も。けれど、美羽は少し考えてから水筒を取り出す。近くの木の幹に肩を預け、湯気を立てるコーヒーをカップに注ぐ仕草は丁寧に。ひとつひとつ、刻んでいく。
 心の奥底に沈めたじくりと鈍く重い言葉をもっと奥に落とし込むよう、深くて黒い夜みたいな液体を口に運ぶ。
「No Way……ちょー苦い」
 ブラックは、美羽の舌には渋みが強い。眉を下げて、砂糖とミルクを持ってこればなんて呟く。ビハインドは、声に出して何かを伝えることはしない。美羽も、今は静かに口を閉ざす。決まり文句のあのね、の代わり苦い飲み物で体を温める。
 それでも、彼女等は一人と一人でなく、二人寄り添って。
 夜を見送り、朝を迎える。
 いつかの何かに、備えるよう。
 シホに伸ばした手は、ふと方向を変えて傍らの紅葉を掴む。想い出は、またひとつ。

「熱いから、気をつけて」
 お疲れの言葉と共に、シェーロが用意したのは温かなココア。歌夜は両の手で大事にカップを包んで甘く優しい香りへと意識を傾ける。
「はい。……温かい、です」
 木々に背を緩く凭れさせて、心まで寛げてくれる甘さに吐息を落す。その間にも、太陽の気配に歌夜は眩しそうに目を細めはするけれど、けして金色の日差しに身を晒すことはしない。冷えた影の中で、取り留めない話を交わす。戦いの話、金色の獅子の話。
「転生というのは、過去に戻ることではないのですね。新しい命に、生まれ変わるのなら」
 呟く歌夜の肩は、落胆を示すように少し落ちる。指先が知らず、ひと房だけ染めた髪へと触れた。
 本当にやり直せるのであれば、過去に戻れるのならば。
 けれど、この仮定は意味がない。噂は噂に過ぎず、その噂すら彼女の夢想するものではないのだから。
 うん、と頷いたシェーロはふと、顔を上げた。
「歌夜姉ちゃん。――夜明けだ」
 金色を浴びて、シェーロは踏み出す。一歩、先に。

「ねぇ、梵は生まれ変わっても忘れたい思い出ってある?]
 囁くようなサフィールの問いに梵は肯定を返す。そうして付け足す言葉もまた意志をもって強く。
「が、例え生まれ変われたとしても、今在る後悔を忘れてはいけない」
 凛々しく引き締めたサフィールの横顔は、青の眸だけ儚く揺れる。上掛けを差し伸べてくれる手はあまりに細い。全てを、支えるには。
「大事な思い出の分だけ、その重さに潰されそうになる夜もある…」
 夜気に混ぜ込まれた弱い音に、包み込むよう、寄り添うように梵は微笑む。
「…現在が辛いなら、その分を覆い尽くすほどの幸せで埋めればいい。――その為の手伝いなら、喜んで引き受ける」
 真っ直ぐと届けられる言葉に、朝日を見るに似てサフィールの眼差しは細められる。唇が、苦さを乗せずに自然に笑えた。
「…わ、凄い綺麗。落ち着いて朝日を眺めるの久し振り」
「あぁ、見事な暁だ」
 心から寛いだ声に頷く、その裏側で願うのは。年を越したその先にまた、――二人で。

「ふふふん、迎えに来たのじゃよう!」
 梅子が声をかけるとフェリシティも華やいだ笑い声を立てる。傍目には少女達がじゃれ合うよう話すうち朝日を語ったフェリシティが悪戯気に告げる。
「一緒に見て梅子も新しく生まれ変わろう! お肌とか」
「失敬な!わしだってお肌はピチピチじゃわい!」
 ドワーフたる梅子と、罪の無いじゃれ合い。二人、楽しげにハンモックに揺られていたらフェリシティの小さなくしゃみに、梅子は準備よく柚茶を差し出す。
 冷えはもう何処へやら身も心もぽかぽかの優しいお喋りに瞼は重い。
 朝を告げるのは鶏ならぬそば粉の鳴き声で、二人を夢の世界から連れ戻してくれた。
 わあ、と感嘆に瞠った目許はどうしてかじわりと熱くて。傍にいる梅子に首を振る。
「――大丈夫」
 昔見た朝日を、思い出しただけなのだと。
 その柔らかな心を、瑞々しい眸を、くるむような和らいだ声で梅子は微笑んで見せた。長く年輪を経た故の優しさで。
「なんだか違う世界に来たみたいじゃのう」
 囁き合って、今は同じ空を見る。

「ウェアライダーの本領発揮かな」
 先を揺れる未明の耳を追って、ダリルは笑う。山頂に辿りついた頃には空は未だ明けていない。
「茜、というと夕方のようだけど古くには朝日の色のことだったみたいだね」
 染め始める最初の赤に、好きな色だ、と未明は見入る。温かな紅茶は渡したけれど、彼女には温度が足りていないとばかりマフラーを未明の首へとかけた。
「……きみは相変わらず子どもに甘い」
 橙の眸がダリルをじっと見て、小さな呟き。温かな首元の返礼は、掌に差し出す幾つかのチョコレート。温かいものに、甘いものを。
「恋歌君も、良ければ如何ですか」
「あら、嬉しいわ。――ねえ、もうすぐ夜が明けるのね」
 毛布を羽織った恋歌も加えて紅茶を楽しむうち、光は眩く降り注ぐ。金の光は獅子の鬣に似て鮮やかで、眩しげに未明は目を細める。
「成程、これもひとつの救いか」
 独り言めいて呟くダリルに、未明はゆっくり口を開く。
「――おはよう」
 今日も良い日でありますように。

 周囲には紅に橙、赤、それから、それから?
 太陽の訪れと共に鮮やかに照らし出される光景に、いづなは堪らなくなってまずマフラーを解き落とす。それから、コートも。重い布を脱ぎ捨てたら、肌を刺すような冷気はあるけれど不思議と気にならない。温めるように陽の光が降るからだろうか、それとも思わず跳ねるように駆け出す己の身体が、暖かくなるからだろうか。
 眩すぎて細く落とした瞼の向こう、獅子の名残のような鬣のひかりが燃え立つからだろうか。
 深く、深く息を吸う。澄み切った森と太陽の匂いが胸に満ちて、吐き出す頃には指先まで染み渡るよう。陽光は身体のどこもかしこも照らしてくれて、映える紅葉の織物は開いた眸の一番奥深くまで届く。
 生まれ変わったような、その心地。
 けれど。
「ああ――わたくしは、わたくしのままでした」
 それは、嘆きではなく愛おしむよう。己の心を、生を、その道のりを抱いた侭。
 新しく、真っ白に。苦しみも喜びも引き連れて。


 夜は、明ける。立ち会った者にしかその奇跡の景色は見られない。
 けれど。
 眩い光輝を、清冽な空気を、彩なす紅葉を、その眸に、或いは体の隅々まで行き渡らせて歩んでいくのなら。
 奇跡は彼等の軌跡に宿り続ける。
 きっと、ずっと。

作者:螺子式銃 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2016年12月1日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 8/キャラが大事にされていた 0
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