●夢の跡
内装は剥がされ、調度品や小物は撤去され、設備もほとんど取り外された。
部屋と一体化しているカウンターと椅子だけが、その場所のかつての姿の名残である。
ふう、と溜息をついて男性がカウンターの席に座った。
どこか遠い過去に想いを馳せているのかもしれない男性の前の壁には、剥し忘れたと思しき一枚の紙きれが張られていた。
『メニュー、ブレンドコーヒーのみ』
おそらく、ここは喫茶店で、男性はマスターで、そして閉店してしまったのだろうとうかがえる。
どんな喫茶店だったのか、それはたった紙一枚からしか測り知ることしかできないが。
「やっぱり、俺が間違っていたのかなぁ」
ぽつりと男性が呟いた。
「後悔、しているのですね」
不意に後ろから声が聞こえた。男性はとっさに振り返ろうとするが、それよりも早く何かが心臓を穿つ。
「え、あ……鍵……?」
「私のモザイクは晴れないけれど、あなたの『後悔』を奪わせてもらいましょう」
胸から突起のついた棒状のものが突き出ていた。後ろから聞こえる声の主の正体も分からぬまま意識が薄れていく。
だが眠りにつく直前、彼は確かに見た。
「お前、は……お……」
カウンターの向こう側でコーヒーを淹れようとする自分の姿を。
●諦念
その店は注文の多い珈琲店と呼ばれていたとセティは言った。
「以前口コミでちょっとだけ評判になっていたみたいです」
すぐにつぶれたようなので、いい評判ではない。
メニューはコーヒーのみ。食べ物はなし、持ち込みも不可、電子機器も使用不可。そのかわりコーヒーには強いこだわりを持っており、あなた一人のコーヒータイムを提供する、そんな謳い文句だったのだが。
「逆にお客さんに聞くんですよ、豆の種類、焙煎具合、挽き方、時間。抽出方法に軟水か硬水まで」
そこまで聞いておきながら、合わない組み合わせをオーダーすると文句を言ってくる。それだけコーヒーに対する熱が強いということだが、客からすれば鬱陶しい。
当然、普通の喫茶店を利用したがる客層は近寄らなくなる。それでもコーヒー好きの客だけが来てくれればそれでいいと思っていた節もあるそうだ。
「でも、そんなにコーヒーにこだわりのある客なら、自分でやりますよね」
かくしてその珈琲店は潰れ、マスターは後悔の念で包まれることとなった。
「お客のニーズというのもあるからそういうこともある。それは仕方ないです」
うんうんとヘリオライダーの茶太が頷く。ここからは説明を彼がするようだ。
「問題は、その元マスターの後悔の感情を利用するドリームイーターがいるということです」
主犯のドリームイーターはすでに姿を消しているが、マスターの奪われた『後悔』から具現したドリームイーターが残っている。
「で、これがどうやってか営業再開してるんですよねぇ」
しかしデウスエクス。やってきた客にサービスを強引に迫り、殺してグラビティ・チェインを奪うというのだろう。
「幸いにして、営業再開といってもまだ看板もかかっていません。一般人が入り込む前に決着をつけてしまってください」
ドリームイーターさえ倒せばマスターも目が覚めるのだから。
「敵のドリームイーターですけど、一般人の後悔が元なだけあってちょっと特殊な部分もあるみたいです」
ドリームイーターの力の源は後悔。
そして、後悔の理由はマスターのサービスが理解されなかったこと。であれば、その無念が多少なりとも解消されれば、敵の力は弱まる。
「具体的にいうと、客としてサービスをうけて、それを心から楽しめば、弱くなります」
逆に楽しまない、あるいは楽しんでるフリだとドリームイーターは更なる牙をむくということだ。
「それに……後悔が薄まれば、マスターも元に戻ったとき多少は前向きになるかもしれないですしね」
そもそも後悔している以上、自分にも落ち度があると感じていたのだろうし。
どうかドリームイーターの撃破をお願いしますと茶太が頭を下げた。
「あ」
といったところでセティが声をあげた。
「このお店があったところの近くの大通りに人気のコーヒーチェーン店が出来てますね。盛況らしいですよ?」
たとえ前向きになっても同じ場所での営業は絶望的だった。
参加者 | |
---|---|
ダレン・カーティス(自堕落系刀剣士・e01435) |
オルネラ・グレイス(夢現・e01574) |
リリウム・オルトレイン(星見る仔犬・e01775) |
ハチ・ファーヴニル(暁の獅子・e01897) |
長船・影光(英雄惨禍・e14306) |
ジェミ・フロート(紅蓮風姫・e20983) |
スピノザ・リンハート(忠誠と復讐を弾丸に秘め・e21678) |
雪城・バニラ(氷絶華・e33425) |
●たった一つのメニュー
シックな内装の店内に流れるレコードの曲。
町中にあって静かな雰囲気に浸れる場所だったことがよくわかる。だが今は強引に開店したせいか、内装は崩れ、レコードもなんか嫌な音を立ててる。
「……注文は?」
生気の失せた様子のマスターが聞いてきた。
「我こそは紅茶よりも珈琲党の英国男子……なンだが淹れ方は正直イマイチだ、ってコトでお任せで頼みたいね」
細かく聞かれるより先にべらべらしゃべりだしたのはダレン・カーティス(自堕落系刀剣士・e01435)だ。
「気分? 気分はそーだな……」
聞いてない。
「寒空を夜通しバイクでかっ飛ばした後、とびっきりの絶景で昇って行く朝日を眺めて新しい1日の始まりを楽しむ……そんな時に飲む珈琲的な……」
「何言ってるのかよくわからないので、深炒りのマンデリン、細挽きでお願いします」
「アッ、ハイ、俺も同じでいいです」
話をぶった切ってきたセティ・フォルネウス(オラトリオの鹵獲術士・en0111)に何故か頭を下げるダレン。よわい。
他の者はだいたいお任せのつもりのようだ。とはいえ気分や嗜好はある、各々がそれを伝え始めた。
「苦いものを」
長船・影光(英雄惨禍・e14306)はただそれだけを指定した。するとマスターは何やらすごく言いたげな顔をした。
「……」
「……」
「黙っちまったぞ」
一体何が起きたのかとスピノザ・リンハート(忠誠と復讐を弾丸に秘め・e21678)が怪訝な目を向ける。だがマスターは動かず、さりとて語るわけでもない。
「ああ、もしかして……あまり喋られない、とか?」
口元に指を添え、雪城・バニラ(氷絶華・e33425)が考えを述べる。このマスターは本物ではなくドリームイーターのはず。あまり余計な言葉は使えないのかもしれない。
「まぁ、ここは店の作法にのっとっておくべきかしらね」
その言葉に影光は小さくため息を吐いた。
「……やりたくも無い事をやり続けたせいで、今、やりたい事がやれないでいる……それだけの、詰まらない人生だ」
さらさらとマスターがメモしていく。こんな感じでいいらしい。
「次は俺だな。俺はガキの頃から、命のやり取りを仕事としてきた。仕事前の一杯はいつも、これが最後……そんな気分で飲むんだ」
ずいっとスピノザが顔を寄せる。
「人生で最後の味になっても後悔しないくらいの、最高の一杯を頼む」
マスターが何やら微妙な顔をしつつメモをしていく。
「私も珈琲は詳しくないからお任せ。でもそうね……寒いせいか、なんだかテンションが上がらないわ」
だから、とバニラは付け加えた。
「心が温まってテンションが上がりそうな珈琲とかあるかしら……」
テンションが低いのは元々なのではといいたいところだが、彼女自身が寒さのせいというので、そうに違いない。
「ふふふ、ついにわたしのばんですね」
今日はやたらおとなしいと思いきや、席に着くなりずっとドヤ顔をしていたリリウム・オルトレイン(星見る仔犬・e01775)である。
「わたししってます。はーどぼいるどな朝にコーヒーはますとあいてむです。だからわたしもコーヒーのめます!」
「……注文は」
スルーされた。
「わたしはちがいがわかるおんななので一味違うコーヒーがいいですね!
あとちょっぴり甘くてまろやかだと嬉しいですー」
マスターがメモする。そしてハチ・ファーヴニル(暁の獅子・e01897)は目ざとく見てしまった。
「さとう、の文字が見えるっス……あ、今日の自分の気分は、修行! って感じっス!」
いつから修行は気分を表す言葉になったのか。
「ああ、修行……厳しくも味わい深く、終えた後には爽快感と余韻が広がり更にもう一セット筋トレしちゃおうかな的なやみつき感もまた……」
「つまり、筋肉ということねっ」
「だいたいそんな感じっス」
割り込んできたジェミ・フロート(紅蓮風姫・e20983)に頷く。
「私は至高の体作りを目指すアスリート」
ダモクレスの指揮官機として造られた彼女は、師匠に助けられて新たな道を得た。
「それは自分を高め続けること――そう、筋肉!」
「えっと、筋肉派のふたりにはクロロゲン酸の多い浅炒りでも出したげて下さい」
「筋肉派っスか、いい響きっスね」
「私の筋肉もすっかり認められたものね」
またセティがぶった切ってきた。けどハチもジェミもなんか喜んでるからいいとする。
さて、最後はオルネラ・グレイス(夢現・e01574)だが。
「ベンティアドショットヘーゼルナッツバニラアーモンド……」
なんか呪文が始まった。
「……メニューはブレンドだけ」
「じゃあ、私の気分でお願いするわ。どんな気分かは聞かないで頂戴ね? そこはあなたの腕の見せどころよ」
何も言わずにマスターは背を向けた。ああこれめんどくさい客だ、と思ったのかもしれない。
●私の時間
まずは出来上がった珈琲の香りを楽しむ。それから一口。
「素晴らしい味だな……オーダー通りだ」
少し離れた席でマスターを模したドリームイーターの動向を観察していた柚月も珈琲を味わうなりそんな感想を漏らした。
(「しかし、ドリームイーターが珈琲を淹れるとは……」)
と思いふけっていたところで陣内とアギーが絡んできた。
「お、そっちのもうまいのか。どんなの頼んだんだ?」
「あたしら普段インスタントしか飲まないから細かいことよくわからなくてさ」
「豆はコロンビアをベースにブラジルとマンデリンをそれぞれ2割程度、焙煎はシティロースト、中細挽きにしてペーパードリップ、95℃の硬水で抽出」
「お、おう……」
コク重視、甘みを前面に出しつつ酸味と苦味でバランスをとってるイメージ。
「そっちは?」
「あたしら実は親戚同士でさ、沖縄出身なんだよね」
「いとこだっけ、はとこだっけ?」
「どっちでもいいよ。それで沖縄の海を連想させるようなブレンドって頼んだんだけど、よくわかんない」
これまた無茶ぶり。ただ、その珈琲は南の海のように澄んでいた。
「って、すっぺええええ!!」
一口含むなり、スピノザが大声をあげた。
「なんだこれ、どーゆーこった!」
「おぉ……いまのとれんでぃはすっぱいこーひーなのですねっ」
「いや、違うと思うぞ……」
おこさまリリウムが誤解しそうなので否定しておく。
「何かのミスかしら」
そう言いつつバニラも一口。
苦くなく酸っぱくもなく、甘めの風味が広がって余韻になっても体に巡っていく感じがする。
「……とても素敵ね。温かくて、心が高ぶる様な気分になるわ」
「なんで俺のは……ってそういうことか!」
マスターと目線をかわしてスピノザは何か悟った様子だが、バニラは首をかしげるばかりだった。
なお、リリウムは砂糖いっぱいの珈琲を啜るたび、顔をしかめていた。訓練の成果はいずこ。そしてオルトロスのルシエドに差し出そうとしている。犬にコーヒー与えちゃいけません。
「ま、まあ……確かに客を見てオーダー替えてる様子はある、よな……」
テーブルに突っ伏してぴくぴく震えるダレンの隣で、セティは平然と味わってた。
「ちょ、あの、セティさん。これ苦くね? 死ぬほど苦くないすか?」
「ダレンさんはもっと知っておくべきです。珈琲と人生は苦いものだと」
「最近辛辣すぎませんかねぇ、マイエンジェルッ!」
そのやり取りを聞いてか、影光が手を止めた。
「相手を見て、変える……か」
そしてもう一度珈琲を傾ける。自分は苦いもの、と注文したはずだ。
「……甘い」
カップを戻す。ふと、今そこに自分のどんな表情が映っているのかが気になった。
「うーん、私のはもっとパンチ力があってもいい気がするのだけど」
おいしいけどどこか物足りない。ジェミは思わず手をひらひらと動かした。
「ん、なんか体が軽いような……まさか、代謝が上がってる!?」
「分かるもんっスか、それ!?」
ハチが驚くがまあそこはレプリカントだし。
「レプリカントに代謝が関係してるかどうかはさておき、代謝ねぇ……」
「ん、なんスか?」
なんかオルネラが近寄ってきた。じろじろ見てきた。
「お兄様とは今、どこまで行ったのかしら」
ぶふーっ!
派手に噴き出した。傍にいたウイングキャットのノイアさんもさっと避難。
「い、いや、それはその、っスね……ああそうそう、よ……」
こきゃ。
後ろから腕が生えてきたかと思うと、ハチの口をふさいだうえで顔を傾けさせた。なんか嫌な音とともに珈琲がこぼれる。
「ん、んんっ」
後ろになんかさりげなくいたシグリットは咳ばらいをしてごまかすと、そそくさと離れて行った。
そして、周囲の者たちが何が起きたか把握しないまま、突如気配が大きくなる。
「……きさま、俺の珈琲を……」
マスター、いやドリームイーターが戦慄いている。
「粗末にするなどゆるさんッ!!」
叫んで飛び出してきた。その本性をついにあらわにしたのである。
●夢の終わり
戦闘態勢に入ったマスターもどきのドリームイーターがその手に珈琲豆を握り、腕を振りかぶる。
「うおおおおコーヒィィィィ!!」
だがそれよりも早く、柚月の放つ光がドリームイーターの目を焼き、死角となった両横からアガサと陣内が交差際に一撃ずつ加えた。
「ぬぐっ」
よろめいた体勢から投げられた珈琲豆はばら撒かれるように乱雑に散っていく。その中で仲間に当たりそうなものだけ叩き落し、ジェミとバニラが駆けた。
叩いた豆が爆発を起こすが、その程度では止められはしない。
「こんな豆で私たちを止められると思わないことね、すべて真っ向から受けきってやるわ!」
ずずいっとジェミが腹筋アピール。身体のあちこちを多少焦がしながらも、腹筋は美しいままだ。
「なんだか今日は身体も軽い気がするし、筋肉もいつも以上に硬いわよ!」
そう言って珈琲豆爆発の煙幕を払いのけたところでバニラが割り込む。
「……私も多少はわかるけど、そこまでではないわね」
突き出した槍がドリームイーターの身体を掠め、背負った珈琲豆の袋を大きく薙ぐ。
「はぁ……珈琲のお陰で少しはテンションが上がったけど、やっぱり貴方を倒さないと盛り上がらないわね」
ぼろぼろ零れ落ちる珈琲豆に目を遣りながら、彼女はアンニュイに呟いた。
ふたりが盾となってくれたおかげで他の仲間たちが攻撃しやすい環境が生まれた。多少の粗相はあったものの、皆が珈琲を味わい、楽しむなりマスターの心に触れるなりしたためか、ドリームイーターの動きはかなり鈍い。
前線で頑張る仲間にオラトリオヴェールで援護するセティがちょっと一息。
「ふぅ」
「……どうした」
同じポジションながら余裕があって攻撃に加わっていた影光が刀を納めて戻ってきた。
「いえ、最近ちょっと前線に立たされることが多かったので」
「……無茶な」
「無茶ぶりしてきたのは裏の仕事を生業にしてるドワーフで、ライドキャリバーさんに跨った女性なんですけどね」
「……」
「どうしました」
「……いや」
すごく心当たりがあった。でも言わなかった。
「うおおーッス!」
守りから攻めに転じる、攻撃の活路を開く要として、ハチが斬りこんだ。若干首が曲がってるけど。
「やっぱり愛刀、こいつがいないと落ち着かねっス!」
滑り込むように低い位置から一気に敵への距離を詰める。
「うおおおお、修行っスぅぅぅぅ!!」
円を描く軌道から、突き上げるような鋭いけりが炸裂、伝わる衝撃がドリームイーターの身体をしびれさせる。
「オォイ! 刀は!? ねえ刀は!?」
麻痺のおかげもあって、ダレンの目にも留まらない一撃はスムーズにドリームイーターの身体を貫いた。
「これも修行っス!」
「いやいいけどね、戦術的にありがたいし!」
惜しむらくはハチに気を取られ、ダレン自身でさえ自分の見せ場を逃した点かもしれない。
「おまたせですー、きょうはまたこのえほんですよー!」
リリウムが開いた絵本から、一様におさかなを咥えた猪頭の獣人たちが現れた。
荒野で細々と生き延びる猪頭たちが、わずかばかりの食料を得ようと人間に挑戦していく限界ファンタジー。つまり食い逃げ。
「ふごー!」
「ふごふごご、ふごー!」
集団でタックルのごとく駆けだし、ドリームイーターを弾き飛ばし、轢いていく。なんでかルシエドも混じって、ついでに斬り刻んでいるのはご愛嬌。
そしてその猪頭たちは壁をぶっ壊し、いずこかへ消えていった。
「あらあら、仕方ないわね」
変な倒れ方をしているドリームイーターをぺしぺししているノイアさんの横で、オルネラが余裕の様子で頬に手を当てた。
「あとで修理しておかないと……」
「ぐおぁぁぁコーヒィィィ!!!」
「みんなももう少し……」
急に立ち上がり、珈琲豆を両手に掴んで襲い来るドリームイーターだが、オルネラはまだ余裕の表情。
しかし吹っ飛んだのはドリームイーターの方。いつの間にか彼女の突き出した拳が敵の顔面を捉えていたのだ。
「落ち着かなきゃダメよ?」
「ま、おれは落ち着いているがな。この弾のように、な!」
構えたリボルバーから、スピノザが凍結弾を撃ち出す。それは宙を舞うドリームイーターの心臓の位置を正確に貫いた。
「さすがに、今の気分じゃあ死ねないんでね」
スピノザが軽やかに銃をホルダーに戻すのと同時に、ドリームイーターが床に落ちた。その姿は凍結どころではなく、すでに完全に停止していた。
●夢の続き
奥の方で倒れていたマスターが目を覚ました。
そして目を見開いた。
「壁が……壁が、変な人型に!?」
穴の開いた壁をヒールで直したら、猪頭獣人模様になってしまった。
「ボアカフェを始めるしかないわね」
「勘弁してください」
オルネラの言葉をそっと却下。
「経営のことはわからないけど、それでも言わせてもらうわね」
これは本心、と前置きするようにオルネラが言う。
「珈琲は、おいしかったわ」
そしてなぜかノイアさんが肉球で叩いてきた。
「あ、ありがとう……」
マスターはきょとんとしていた。そう言ってもらえたのは初めてなのかもしれない。
「しかし今更やり直すことは……」
「……例え、結果的に間違っていようとも。己がそれを楽しむ事が……好きでいる事が出来ていたのなら」
普段は無口な影光が語る。あるいは先ほど飲んだ珈琲で感じたことがあるのかもしれない。今ならば言える、と。
「決して無駄な時間では無かったのだと、俺は、思う」
思えば、苦い苦い世界を生き続けてきた自分は、世界そのものが苦いと思い込んでいたかもしれない。実際は甘さも深さももっとあるのだろう。
「……だから、それは誇ってもいいのではないか」
「そっスね、よくわからんスがうまかったっス!」
どこまでに素直に言うのはハチだ。
「みんなにわかってもらうには……やっぱ修行っスよ!」
「いや、それは経営の問題だと……」
「自分はちょっと甘いものも欲しいっスね!」
「聞いて」
全力でマスターを無視。
「そうだなァ。そういう歩み寄りも必要なンじゃねぇかな」
顎に手を当てて、語るようにダレンが言う。頭をリリウムに、足をルシエドにかじられながら。
「あまいものー、がうー、ぐるるー」
セティがにこりと笑う。
「ダレンさんは相変わらずモテモテですね」
「モテてるようにみえるんですかねええっと、今回は犬っぽいの達対策はバッチリだぜ。そらっ、お前達の大好きなドーナツだ!」
すぽーんとドーナツが投げ放たれた。アホ毛とわんこの注意がそちらへ向く。
ひょいぱくもぐー。
しかしセティがインターセプト。あむあむ頬張る。
「はあ、美味しい……」
「……」
「ぎゃおー、がおー! きしゃー!」
リリウムとルシエドはさらに荒ぶった。
「ま、まあみんなが楽しめるっていうのが重要なのよね、うんっ!」
手を叩いてジェミがまとめた。その背後では甘いものに餓えた獣たちが荒れ狂っていてなにか犠牲が出てるけど。
「自分もあまいもの欲しいっスー!」
なんか犬っぽいの増えてるし。
「なるほど、こうして何かが犠牲になると不幸になる人が増えてしまうのか」
「……これで理解するのか」
納得した様子のマスターに、影光が怪訝な様子で返す。
それで正しく考え直すのであれば、いいことなのだろうがなんかもやっとする。
「さて、ひとつお願いがあるのだけども」
目の前で繰り広げられる悲劇はひとまずスルーして、バニラがマスターに話しかけた。
「ドリームイーターではない、本当のあなたが入れた珈琲が飲みたいわ」
祝勝替わり、あるいは気分がすっきりした今であればまた別の味わいがあるのかもしれない。
「そうだな、俺ももう一杯頼もうと思っていたところだ」
ニッと笑ってスピノザも頷いた。
「さっきはとんだ偽物掴ませられたちまったからなぁ……」
「偽物?」
そういえば、先ほど珈琲を飲んでいた時に何か思うところがあった様子だったとバニラが首をかしげる。
「ああ、そうさ。だからよ……今度こそ本物を味わわせてくれよ?」
そう言って笑いながら、スピノザはマスターの肩を叩いた。
「生きててよかった、そう思えるような最高の一杯をな」
後悔しないよう前向きに進む、そんなマスターの心意気があの珈琲には込められていたのだった。
作者:宮内ゆう |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2016年11月20日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 0/感動した 2/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 3
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