手にしたファイルを開く。写真と解説、それから地面を見比べ照らし合わせた。
(「これは……載ってない。こっちはスイセン、それから──」)
この辺りの地図を印刷した頁に移り、確認した花の名を書き入れる。以前の事件でも確認されている花と動物の一覧を見直した後、頁に貼ってある付箋をずらして貼り直し、ファイルを閉じた。地図頁の栞のようになっている付箋達より更に余分に飛び出したこの一枚には、『タカツキ・ケイ』という人名を見出しにびっしりと情報が書きつけられている。
(「多分これだ」)
ここ暫くで溜まった疲労を呼気に紛れて吐き出して、まずは山を下りるべく踵を返す。並行して、空けた片手で携帯電話を確認した後、少しばかり操作をして片付けた。
「……俺の勝ちだ、蒼」
鳴無・央(緋色ノ契・e04015)の呟きは、どこか苦い色を孕み揺れた。
夫を亡くした妻に遺されたのは一人の息子。
深い悲しみに嘆く彼女は息子へと、あなたしか居ないのだと縋る。彼女が悲しみを乗り越えるには、未だ時が足らぬのだろう。
少年は母からの依存の重みに喘ぎながら、しかし母の為に、あなたを愛している、ずっとあなたの傍に居ると囀り続けた。外は危険だと満足に通学すら許されぬ身となってもなお。
そして、そんな少年を攫い蔦の檻に閉じこめた呪花は、彼の愛を偽りだと責め立てる。
重かろう、苦しかろう、母から伸びる鎖など断ち切り捨ててしまえと囁くのだ。
少年が頷いてしまえば最後、彼は鬼灯の白花に憑かれユグドラシルの駒と堕ちる。
「出た後の現場での事は全部あなた達に頼りきりになるわけではあるけれど、その前になるべく準備を調えて行ってちょうだい。わたし個人は、出来るものなら全員無事に戻って来て欲しいと思っている」
拗ねたような顔というのが近いだろうか、口を尖らせた篠前・仁那(オラトリオのヘリオライダー・en0053)は入室するなりケルベロス達へ向けてそう言った。部屋の中ほど、物が載っていない机の前まで来てようやく足を止める。口を閉ざし白い顔を俯けている神宮時・あお(散リ逝ク桜・e04014)の手を引く右手はそのまま、仁那は左手だけで机上に資料を広げた。
央の調査とあおからの情報に依って、近頃頻発している人間に寄生する攻性植物の事件、その一部の元凶──仁那が『主』と仮称していた者の所在と現状が判明した。
「急いで行けば、彼女だけ。そうでなければプラスその配下。あなた達にはそれを倒して来て欲しい。……『配下だけ』は、手遅れ。向こうも無警戒ではないでしょうし、再度の機会は期待出来ないと思っておいて」
今は要らない図鑑類を端へ押し遣り、付箋と書き込みに装飾された地図と自筆のメモ書きを机の中心に広げ、ヘリオライダーは詳細の説明に入る。
向かうのは地図に表示されている山地。山中には『主』──神宮時・緋桜(しんぐうじ・ひいろ)の存在を示す真新しい痕跡が複数見つかっている事、近くの平地に住む少年がごく最近行方不明になっている事などから、現在敵は山奥にある廃屋を拠点にしており、その屋内に少年を捕らえていると割り出された。
名をケイというその少年は、先々月に父を交通事故で亡くしている。その際、父の車に同乗して居ながら奇跡的に助かった彼は、事故での傷を治療し病院から自宅へ戻って以降は家に閉じこもっていたのだという。
「素直で大人しい子、というのが友人も含めた周囲の評価だったようで、近所のひと達の意見は、彼が自分から家出したとは考えにくい、というものが多いみたい。だけど、心に傷を負った母親に依って外出を許されていなかった、というのが実情で、彼の失踪以降、彼女の取り乱しようは酷いものだそうよ。それに、彼にその意思が無かったとしても、少なくとも家内の状況からは、彼が自分の手足を使い家を出たと考えるのが自然だとか」
地図に貼られた正方形型の付箋を埋める情報を読み上げた後仁那は、今回は敵の配下となる前に少年を救出できる可能性がある旨を今一度告げた。
「敵……緋桜、に接触するまでのやり方は、ええと、大雑把に分けて三択。夜になると、今までの事件同様に彼女が居なくなってしまうので、その前に」
その時間切れ直前、夕方まで待って廃屋へ突入する場合、ケイは倒すべき配下デウスエクスとなってしまう。但しこの時、緋桜はケイを取り込むのに忙しく、ケルベロス達が敵の不意を突ける可能性が高い事と、配下を増やすのは重労働なのか、緋桜のコンディションが万全では無い状態で戦闘に持ち込める事が利点となる。
ケイの命を救おうとするならば、昼間のうちに麓から、急いで山を登って貰わねばならない。地図もある事だし、道草をしなければ間に合うだろう。更に所要時間を短縮出来れば、ケイの衰弱度合いが幾らか軽く済むかもしれない。
「但し彼の外傷は結構酷いみたい。前々回の事件と同じでしょうね。なので彼を助けても、そこから一人で逃げろというのは、その場でヒールを掛けられたとしても厳しいと思うわ。それに山中を進む際は、屋外に居る緋桜に気付かれないようにしないと、廃屋に着く前に奇襲を受けるかも」
それはそれで返り討ちにしてしまえば良いのだが、ケイの容態を気にするならば、交戦前に彼を救出する事が望ましい。
「あるいは。とにかく時間を掛けずに、となると、昼間、山道を歩くのでは無く空を飛んで緋桜を誘い出す、という手も無くはない」
こちらは逆に、飛行する者達が目立つように行動する事が必要になる。が、空を飛べぬ面々は地上を進まざるを得ない為もあり、上手く連携出来なくては個別に撃破される可能性があり非常に危険。先に飛行組と緋桜の戦いが始まった場合、徒歩組は音などを頼りに緋桜の居場所へ急ぎ駆けつける事が可能になるが、援護やフォローに関してを事前によく打ち合わせておくべきだろう。
「どれで行くかはあなた達に決めて貰うのが一番だけど……昼間に緋桜と接触する場合、結構な強敵になると思う」
花を操り戦う彼女は物理的に殴って来る事は殆ど無いようで、ケルベロス達が空に居たとて攻撃を届かせて来るだろう。十分に気をつけて欲しいと仁那は言い。
「……あの、ところで、……ボクの、手、は……」
「……ヘリオンを出す段になるまで待って。最長で」
伝え忘れは無いか、何か疑問は無いか、と資料とケルベロス達へ再度目を配った彼女は、少年と現場の詳しい状況を視る為の情報提供を務めたあおの要望を、躊躇いがちなれど一蹴した。
「羽の記録が段々減ってるのは、状態が悪くて種類を特定出来ないままとかそういうの?」
「いや、実際見つかる量自体も少なくなって来てる。おかげでこっちは大分苦労した」
前回、前々回の事件の記録を並べての出口・七緒(過渡色・en0049)の問いに、方々を飛び回り調査をしていた央が答えた。
「以前の事件同様、と考えると、攻性植物が彼女を演じるにあたり最適化した、のではないかと、わたしは考えているのだけれど」
「……だったら良いけど」
攻性植物が寄生先の人間の意識を完全に食い潰し済であるならば、との仁那の推論に緩く首を傾げた七緒の視線が、少年の情報にある『種族:サキュバス』の文字列を辿る。
「──なんにしても、彼女を『緋桜さん』だとは思わない方が、きっと良い」
あれは倒すべきデウスエクスだと、感情を抑えた仁那の声はひどく硬いものになった。
参加者 | |
---|---|
花凪・颯音(欺花の竜医・e00599) |
鬼屋敷・ハクア(雪やこんこ・e00632) |
シグリッド・エクレフ(虹見る小鳥・e02274) |
神宮時・あお(散リ逝ク桜・e04014) |
鳴無・央(緋色ノ契・e04015) |
椿木・旭矢(雷の手指・e22146) |
ジャスティン・ロー(水色水玉・e23362) |
シエラ・ヒース(旅人・e28490) |
●白き二輪の寄り添う如く
彼らが麓に着いたのは陽の高い時間。少年の命を救う為にも急ぎ山に入るべく、まず装備を確認し、地図や双眼鏡等を各々準備し、ジャスティン・ロー(水色水玉・e23362)が持参した通信機はシエラ・ヒース(旅人・e28490)に預けられた。
「……あ、の」
片手だけで器用に道具を受け渡した少女と、ロゼを抱き込んだ外套を同じく片手だけで整える花凪・颯音(欺花の竜医・e00599)に、挟まれる形の神宮時・あお(散リ逝ク桜・e04014)が戸惑いの声をあげる。
「ん?」
「なーに?」
「…………」
それもその筈、小さな手はどちらも、顔馴染みの二人に依ってしっかりと握り繋がれていた。この後登山ですよね、と言いたげな、しかし言い出し辛そうな彼女の様子を見、二人が再度口を開く。
「……ああ、このままだと転んでしまうね」
「でも迷子になると大変だよ? あおちゃんが、僕からはぐれませんって約束してくれるなら放してあげる!」
山道を先導する係の一人である少女は、繋いだ手を小さく引いた。
(「……どう、して」)
既に汗ばむ程に温められた手にあおの視線が向く。結局ずっと手は解放されていない。
だが、今は問答をしている時間は無い。相手を傷つけてまで振り払う気になど最初からなれない。とは、颯音などは全て承知の上かもしれない。観念してあおは頷いた。
「通信は正常。全員居るし、忘れ物も無いわね?」
可能な限りの詳細情報を載せた地図を手に、ナビゲート役のシエラが確認を取る。草木を避け先導し得る者達がまず前へ。警戒の為双眼鏡を持つ者達を外側に、背の高い者達を後ろに配し、ケルベロス達は山へ入った。
●毒孕む強かな桃花に似る
山は奇妙に静まっていた。動物の気配はひどく薄く、何より耳につくのは己の呼吸。
緊張の中、音を殺し木々に溶け込み歩く。肉声すら厭い、ナビ役と先導役は通信を介し必要な情報の遣り取りも囁き声で済ませる。
(「前の方に岩が見えるよ。避けられそう?」)
(「こちらは見通しが悪いな」)
双眼鏡片手に前を行く鬼屋敷・ハクア(雪やこんこ・e00632)の問いに、左方面を警戒する椿木・旭矢(雷の手指・e22146)が首を振った。
(「そちらは急斜面のようね、逆から行った方が良さそうだわ」)
(「解った、任せて!」)
その後ろ、足を緩めざるを得なくなる前にと地図に目を落としたシエラが言えば、片目を瞑ったジャスティンがその斜め前方で頷いた。加護の衣を纏う三名の前に草木は障害とならず、枝を踏み折る音も生じず。仮に付近に山の動物が居たとて、彼らに気付く事は容易く無かろう。山を登るに従い、地を這う虫も見なくなりつつあったが。
例外は、鳴無・央(緋色ノ契・e04015)の調査にもあった痕跡だろうか。元より朽ちつつあったそれらの分解は順調なようだ。新しいものがあればすぐに判る筈、ではあるが、此方も見つからない──自生する植物達の存在ゆえもあろうが。異質の徴は濃い匂いを伴っている筈とシグリッド・エクレフ(虹見る小鳥・e02274)は懸命に過去の事件の記憶を辿る。一連の事件の為に近頃花に関する知識を詰め込み過ぎてその頭はパンク寸前ではあったが、看取った記憶は埋もれる事無く鮮明だった。
異質の中、しかし何事も無く、彼らは件の廃屋へ辿り着いた。辺りは変わらず静かなままだ。
敵は屋外に居るとの事ゆえ、この近くで遭うものと考えた。少し辺りを探すべきと判断し、念の為、屋内へ向かう予定の面々は離れた位置で潜む事とする。
(「では俺達は、そちらが敵と接触した事を確認し次第建物へ入ろう」)
(「なら私はひとまず彼らの護衛に。皆、無理し過ぎないようにな」)
段取りを確認し、グレッグ・ロックハートが頷く。サフィール・アルフライラは探索に動く面々を案じ、特に知人達へは、約束だ、と念を押した。
──尖った白、円い紫、殻めいた楕円の黄。多様な花弁の降り積む中に佇む緋桜の姿は、廃屋の裏手に回ってほどなく見つける事が出来た。表情こそ窺えないものの、傍の枝葉を仰ぐ彼女に、こちらに気付いた様子は見えない。
であれば、気付かれる前に仕掛けるべきだろう。建物から彼女を引き離したくはあったが、機を逃す手は無い。彼らは目線で意思を交わし、まずジャスティンが踏み出した。音無く路を作る彼女に続くは颯音。各々解放した小竜を供とし、間合いを詰め。
響いたのは雷撃と砲撃音。叩く如く空気を震わせ、敵が息を呑む音を掻き消した。地を埋める花弁が衝撃に荒れる中、顧みた彼女はすぐに状況を解したか忌々しげな顔を見せ舌打ちを一つ。
「今回は随分早いのね」
応答を期待するでも無い独言。終える頃には整ったその顔は、殺意に笑んだ。
●熱情は無垢な水花めいて
建物さえ震わす音に開戦を知った。
敵は屋外。皆が標的の注意を惹く間にケイを救出せねばならない。潜める必要の無くなった身で、彼らは急ぎ廃屋へ向かう。
草を蹴立て扉を開く。前々回の件を知る者達は、よく似た悪臭に眉を寄せた。おそらくあの時と同じで、しかし今回は血の匂いがより強い。急がねば、と手分けして探索に当たる。
匂いゆえもあろう、少年を見つけるのは容易かった。呼び掛けても反応は無い。蔦に囚われた彼を下手に動かすのは危険と、グレッグがまず光盾に依る治癒を施す。
「……目が覚めたか?」
やがて少年の瞼が震えるのを見、彼の声に安堵が滲んだ。その声を聞きサフィールが、薄く覗いた幼い瞳へ微笑み掛ける。
「よく頑張ってくれたな、もう大丈夫だ。お兄ちゃん達が治してくれるからな、あと少しだけ待っていてくれ」
「もう動かして大丈夫そう? 蔦……は、切って良いかな」
「ああ、頼む」
グレッグが少年の体を支える。出口・七緒(過渡色・en0049)がナイフを抜いた。ほどなく倒れ込む小さな体を抱き留めたグレッグはその冷たさにぞっとして、外套で包むよう抱き込んだ。決して強くは無いけれど、少年の心臓は確かに脈を打っていて、彼はそっと息を吐いた。
その傍に膝をついた七緒が治癒を重ねた。その間も屋外で続く戦闘音に、サフィールが警戒に当たる。此処も危険だろうが、傷こそ塞いだものの数日に渡る監禁で衰弱しているケイを連れての離脱よりはマシだろう。少年の意識はあるものの、語り掛けへの反応は未だ鈍い。彼を休ませる為にも暫しこの場に留まる事に決め、サフィールは口を開く。
「七緒さんは外を頼めるか? 皆を助けてやってくれ」
「……まあ、的くらいには」
少年の命の無事は確保出来た。ゆえもあり、交わす声には少しだけ余裕が滲む。曖昧な応えを返した青年に少女は苦笑してその背を見送り、少年達へと向き直る。薄着の上に着せられる物をあるだけ重ねられた少年は、寝入る寸前だろうか、静かに目を閉じていた。非常時にも対応出来るよう、彼を膝上に抱えたグレッグは、言葉を紡ぐ代わりに祈る。
きっと良い方向へ向かう。悲劇はもう終わる。信じてくれ。信じている。無駄にはしないし、させない──黄薔薇の悲劇を知る彼が目を伏せるその姿は、懺悔にも似ていた。
香りは予兆、花弁は呪詛、花粉は霧、葉は刃。敵の攻撃は鋭く重く、盾役達の負担は極大。支える癒し手達もまた同じ。加護を乞う祈りは、詩は、繰り返し紡がれる。
「足止めは引き受ける、あいつの術を弱めてくれ」
「解った、そっちは任せる」
カードを切る村雨・柚月の要請に頷き央が銃を構える。花嵐に呑まれるわけにはいかない。光が緋桜を撃ち抜いて、小竜達のブレスが呪詛を重ねる。主の指示で単身前へ出たドラゴンくんは同族達のそれすら塗り替え焦がす如き黒灰を散らし熱をくゆらせ、舞い散る花は爛れ行く。
彼らの働きゆえもあり、敵は現状既に、自由に動けるとは言い難い状況にあった。補助の鷹目越しに見て取り旭矢は籠手を構え踏み込む。敵が身を退くより速く、ただ一点へ打ち込んだ。
揺らぐ痩躯は長髪の尾を引くも、傾ぐより先に手を伸べた。スイセンが吐く毒を受けシグリッドは、増した四肢の重みに抗いつつ、纏う銀流体を御した。鋼纏う拳が敵の花を──その身を床に次々咲く、終わり無き如き花を、それでも散らし行く。
敵の、緋桜の肌に血管めいて這う茎の様に、ハクアが重く、口を開く。
「あなたの事を、他人を傷つける事でしか自分を守れない、弱い人だと思っていた」
今も、思っている。けれど、自傷にも似て開く花に違和を抱いた。
その言葉に、何を思ったか緋桜は笑う。
「ええ、『私』は弱い。でも、ヒトとはそういうものでしょう」
彼女の眼前でヒトを喰らったのは、白い拒絶の花、黄色い妬みの花。それから、
「……アレも、逃げたわ」
かつて女の手をすり抜けた、白く咲く、蒼の花──昏く翳る笑みを目にして、あおがびくりと身を竦ませた。それに気付いてか否か、緋桜は朱に燃える金眼でケルベロス達を睨む。
「だからこそ私が在る。だから……あなた達は死になさい」
橙花の憎悪が、灼熱を拡げた。後衛を焦がすそれに盾役達が走り、傷の深い小竜は喘ぐ事となり、ハクアが治癒の気弾を撃ち、シエラが歌声を張り上げ、ジャスティンとピローが急ぎ癒し手達の手伝いに回る。同じく補助に雷撃が飛んだ。
「こっちは済んだよ」
合流した七緒が短く報告する。かざした杖が激しく瞬いた。
「彼らは?」
「ああごめん、初期位置」
「そうか」
詳細を察して数名が、痛ましげに顔を曇らせた。頷いた旭矢は、凛々しい顔を崩さぬままに敵との距離を更に詰めた。
すべき事は、変わらない。屋内に居る少年を護り抜くべく、その身を、戦意を、殺意からの盾と成す。
●別れは雨に散る夢のよう
呪詛を重ねてなお敵の攻撃は苛烈。ゆえ彼らはより攻撃に注力する。削り合う中で小竜達は友を、あるいは主を護り、戦線離脱を余儀なくされて行った。
「──遥かな過去から、遥かな未来から、現在のあなたの隣に寄り添い歌う──」
「羽ばたけ、瞬け──」
盾役の数が減るに伴い自陣の被害は拡がるが、癒し手達が懸命に阻む。シエラの歌がふらつく央の身を支え、翻るハクアの手に踊る白が前衛達を包んだ。
「あなたの攻撃なんか、痛くない!」
治癒を受け踏ん張って、ジャスティンは緋桜を睨んだ。きっとあの子の方がずっと、もっと、痛かった。防御を抜けた敵の攻撃は後衛に少なくない被害を与えたが、出来る限りに護ってみせると盾役達が猛る。たとえ疑いの桃花が呪いを撒いても、堪えてみせると。
その意思の加護を受けながら、その意思を護る為、攻撃役達も手を緩めない。痛みをと黒弾をぶつける颯音に合わせ、央の竜鎚が敵の身を凍気に包む。柚月の術が繰り返し敵の目を灼き、相手の隙を捉える事も既に困難では無い。
「止めさせて、頂きますわ」
そして敵を苛むのはそれだけに留まらず。シグリッドの杖が放つ雷は敵の腕を撃ち、旭矢の蹴り技は敵の脚を薙ぐ。
「一つずつ、折り取られる気分はどうだ? ──お前がしたのと同じ事だが」
花弁は今も舞い散り続ける。銀流と銃光に護りを崩され牙を手折られ、最早術の行使すら妨げられて顔を歪める敵を見下ろし告げた旭矢の声は硬い。
「……エクレフ様、お支え、します……」
「まあ、有難う存じます!」
それでも術の残滓は今も彼らを害す。前衛達を優先せざるを得ない癒し手に代わり、あおが治癒の気を練った。敵の攻撃を脅威と判断しての事もあろうが、度々手を休める彼女は、仲間達が傷つく事をひどく厭うているようで。此度ばかりは、顧みず攻めに徹しろというのは酷だろう──その分を補う為にも、シグリッドは明るく微笑み礼を返して今一度拳を握り、果敢に攻撃を続けた。
やがて、緋桜も己が不利を危機と察したのだろう、圧され退がる彼女は後方を窺った。ケルベロス達の包囲を抜ける隙を探す仕草。
「……今回、は……、」
ならばとオラトリオ達が追撃の意思を示し翼を出した。じっと緋桜を見つめたあおの、五枚羽が目に入り、目を瞠った後に敵は、ああ、と息を零す。
「そうか、お前が盗人か」
次いで。彼女の笑みは自嘲に似た。言葉に逸らされたあおの瞳には痛み。颯音が彼女へ手を伸べるが刹那躊躇いに揺れ、ジャスティンは彼女の盾となるよう敵の前へ。ハクアが憂うよう眉を寄せ、央の顔からは表情が消えた。シグリッドは案じるよう皆を見て、旭矢は結んだ唇の口角を常以上に下げて、シエラはただ癒しを歌い続ける事を選んだ。
「私は『私』になれなかった。……あるいは、お前を手折ってしまえば」
叶わぬ夢を見た女。それになりたかったと、しかし理解し得なかったと、攻性植物が言った。『語り掛けるよう』あおを見つめるその様に、少女は実感を伴う理解に至る。
(「姉様、では……無い」)
胸が苦しくて、掌で押さえた。
「……弱い人」
「そうだね、君もまた──」
敵を見つめ、ハクアが再び断ずる。『緋桜』の影響か本来の性質か、己が足のみでは立ち得ぬ敵の姿を颯音が憐れむ。
同時に彼らは、怒りに似た色を胸に灯す──そんな存在の為に、彼女は。事情の全てを知らずとも、あおが痛みを抱えている事など判る。
「逃がしてはやらん。足掻くな」
旭矢が喚んだ雷が閃いた。陰る山に光が満ちて、幾重にも敵を害す。灼き焦がされた死に掛けの肉体に、央が銃口を突きつけた。
「『アレ』だの『盗人』だの、うちの家族を悪し様に言うのはやめて貰おうか」
冷たい声には、緋桜より先にあおが反応した。驚いたように目を見開く。
「……なんだ、他にいきたい所があるなら後で聞くぞ」
「え……、あ、」
「まず今はこっちだ。蒼」
動けぬ敵を威嚇するまま、彼の目は少女を射抜く。
「お前が選べ」
突き付けて、迫る。彼女を殺すか殺さぬかでは無く、己で看取るか目を背けるか。
緋桜がたとえもう『緋桜』で無くとも、その瞳は血を分けた同じ色、その腕は脚は妹を虐げたそれ──其は、少女を縛る枷。ゆえに、皆があおの答えを待った。
彼女の望むように。それが、彼女を案じる者達の想い。踏み出し歩むのならば供となろう、恐れ逃げるのならば盾となろう。
だけど。たとえ彼女が望んだとしても、緋桜の贄にだけはさせられない。
「あおさん。たとえ君が未だ解らなくても良い、何度でも言おう。君が居なくなるのは寂しいし哀しい。君は独りじゃない」
「わたしたち、何時でも貴女を支えるよ」
「……あおちゃん」
颯音が、ハクアが、ジャスティンが、彼女を覗き込む。央は静かに待ち、旭矢と柚月は敵を牽制し時間を稼ぐ。祈るように手を組んだシグリッドは、少女を見守った。
「いつか荒野に還るあなたの詩を、風は遊び歌う。悠久に埋もれたあなたの詞を──」
シエラの声が、静寂を埋めるよう響く。猶予は、敵が立て直すまで。
「ボ、クが、……し、ま……す」
急かされて、それでも自分で、震える声は選んだ。
「──風が、紡ぐ、不可視の、刃」
突きつけた銃を退く必要など無い。重なる詩が、何より速く宙を駆けた。
風が渦を巻く。音が荒れる。花が、散る。
肌を斬る。肉を裂く。花抱く異形は花へと変ず。ユリの黒と橙、シクラメンの赤が風に踊る。その向こうにはマリーゴールドとオトギリソウが見る者の視界を眩く埋めた。
「優しくも、鋭い、久遠の、詩──」
「──時の流れに全ての人が忘れても、風はあなたの詩を歌うだろう──」
黄の嵐が過ぎた先、霞のように揺れたのは紫のフリージア。その一輪も間を置かず溶け消えて。
「……姉、さ……」
幼い唇が零した吐息に、どこからか舞い落ちたタンポポの綿毛がふわり、踊った。
●種は未来を
深くなった呼吸にあおは、咽せる喉を押さえ涙を零した。乱れる心は迷子のよう。姉を恐れ、脅えながらそれでも、己はいつか彼女の為に死ぬのだと思っていた。汗に冷えた指に伝う脈が、背いた事実を突き付ける。
(「どうして、ボクは、未だ……生きて」)
選んだのは己。しかし容易く割り切れるわけも無く。声をあげぬ、子供らしくない泣き方をする彼女の傍に、友人達が留まった。
「──ケイくんが気になるわ。手を貸して貰えるかしら」
少女へと声を掛けようと開いた口はしかし何をも紡げずに瞳を揺らしたシグリッドを、シエラが促した。あお達には時間が必要だ。手当を手伝っていた旭矢と調査結果を纏めていた柚月を伴い、彼女達は廃屋へ向かった。
サフィールの出迎えを受けた彼女達はケイの容態を聞き、安堵の息を吐いた。暫し休養は必要だろうが、命に別状は無く、意識も確かだという。ほどなく己が目でそれを確かめたシエラは、少年の翼に残る傷の跡に眉を顰めたものの優しくケイの手を握り、不足していると思しき水分と糖分を摂らせた。
少年は、矛盾を抱えながらも母を想っていた。己がそうした記憶は無くとも母の元から逃げ出した事を罪と嘆いた彼の声に、耳を傾ける者達は胸を痛めた。
(「わたくしには、解る、などとは申せませんけれど」)
「……あなた達にも、きっと時間が要るわ」
戻らねば、と言う彼へ、シエラは己のケルベロスカードを持たせた。元はつややかであったろう少年の髪を撫でる。家に帰す前に病院へ診せるべき、とはグレッグの言。大事を取って数日入院、くらいはあってもおかしくない。
「家に帰ったら、お母さんとちゃんと話せるかな」
少年の問いは、意思。逃げないと、前を向いていた。
作者:ヒサ |
重傷:出口・七緒(過渡色・en0049) 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2016年11月21日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 1/感動した 4/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 5
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