
●絢爛
荘厳な眺めだった。
深山の広葉樹林は鮮やかな紅葉や黄葉に色づいて、絢爛たる秋の錦で渓谷の山肌を飾る。
渓谷から見上げるのは華やかな紅葉の錦に切り取られた真っ青な秋の空。
深い渓谷の底には翡翠色の水面が広がっていて、まるで木の葉のように浮かんだボートやカヌーが柔らかな澪を引いていた。
朽ち葉の匂いを含んだ秋の山風はほんのり甘く、水面を渡って爽やかに澄んだ涼気で頬を撫でていく。それは眦を緩めずにはいられない心地好さだけれども、水面の木の葉みたいな小さな舟から望む風景は、瞬きも惜しいくらいの美しさ。
渓谷の両岸から迫る紅葉や黄葉の錦の森、鮮やかに彩られた山々に切り取られた青い空、複雑に入り組みながら渓谷の奥深くへと続いていく翡翠色の水面。
街の喧騒から離れ、雄大な大自然に心が解き放たれていく心地になるだろう。
けれど此処は、自然そのものではなくひとの手が入った地。
渓谷の手前にはダムがある。
絢爛の紅葉や黄葉と美しいコントラストを織りなす翡翠色の水面は、ダムの建設によって生まれた湖なのだ。水底を見通せぬ翡翠の湖の底には、このダムの建設計画が持ち上がった時にはもう誰も住まなくなっていた村がひっそりと眠っていた。
――けれど、この季節のひとときだけ、湖底の村にひとときのめざめが訪れる。
●絢爛と静謐
紅葉や黄葉はいよいよ華やぎを帯び、深山の空はいっそう青く澄み渡る。
秋の深まる山々。絢爛たる秋の絶景を数多くのひとびとが心待ちにしていたのだけれど、渓谷の入口というべきダムへ向かうための山中の道路が、デウスエクスによって破壊されたという。
「このままだと道路の復旧が冬までかかるって話でね。この渓谷の秋景色を楽しみにしてる観光客も多いからってことで、依頼が来た」
天堂・遥夏(ウェアライダーのヘリオライダー・en0232)はそう語り、挑むような笑みに確たる信を乗せてケルベロス達を見渡した。
「普通なら復旧まで相当かかる案件だろうけど、あなた達ならヒールで難なく修復できる。そうだよね?」
「みんながいるならばっちりなの、合点承知! なの~!!」
迷わず応えた真白・桃花(めざめ・en0142)の竜しっぽの先がぴこんと立つ。
ケルベロス達がヒールで修復するならさほど時間もかからないはずだ。
「ってな訳で、終わったらダムの奥に広がってる紅葉の渓谷の景色を楽しんで来るってのはどう? 湖から眺める景色が一番だって言うし、手漕ぎボートやカヌーも是非ご自由にって話だから、思い思いに湖に漕ぎだしてさ」
楽しげに狼の尾を揺らした遥夏は、竜の翼をうずうずぴるぴるさせている桃花をちらりと見遣り、『飛べるひとは翼で遊覧飛行してもいいんじゃない?』と付け加えた。
「紅葉も黄葉も、秋の青空もいいけど、湖をゆっくり眺めるのも捨てがたいんだよね」
「ふふふ~。青い湖も素敵だけど、翡翠色の湖にもときめくの~」
「いや、実はね、水温や天候やらの関係らしいけど、秋の一時期だけエメラルドグリーンに透きとおるんだって。今がちょうどその時期だからさ、普段なら見えない湖底に沈んだ村を見ることができるって話」
今だけの、特別な光景。
遥夏がそう続けた言葉に、桃花がふるりと尾を震わせた。
「なんでかな……なんだか不思議な心地がするの~」
翡翠の湖深くで静かに眠っていた村の、束の間のめざめ。
厳粛な気持ちになるような、あるいは、畏怖にも似た想いを抱くような。
錦秋の絢爛と、水底の静謐に逢いにいこう。
そうしてまた一歩進むのだ。
この世界を、デウスエクスの脅威より解き放たれた――真に自由な楽園にするために。
●真朱
深山に聳えるダムを越えれば、絢爛の世界が一気に開花した。
華より鮮やかな紅葉や黄葉に彩られた山肌が澄んだ青空へ両腕を広げるように開け、懐に抱かれた翡翠の湖は翠玉の如く透きとおる。潤う風を翼に受け舞い上がれば、メリルディの眼下に広がる湖面に誰かの舟が柔らかな澪を描きだした。
彩溢れる景は皆と過ごすこの日々そのもの。
かつて病床で憧れていた世界に、手が届く。
空の遊覧が道中の癒しの労い代わり。永遠の少女たる友を抱き上げればヴィルベルの頬は知らず緩んで、間近に見たそれをナディアが抓れば、軽やかに笑った竜の男が飛び立った。
飛翔とともに視界を流れる絢爛の彩。
紅葉と黄葉の錦、秋の錦が切り取る空の青、今だけの彩をナディアは瞳に焼きつけ、風と戯れるよう湖上を旋回したヴィルベルは水底の光景に瞳を奪われる。
透明な翠の宝石に閉じ込められたような、営みの跡。
宛ら此処が、生と死の分水嶺。
「……綺麗だね」
彼の言葉が染み入る心地で、彼女も湖面に言葉を落とす。
「――あぁ、とても」
綺麗だ。
破壊の痕を潤す癒しの雨、降らせた恵雨の先に開けた絢爛の秋すべてを受けとめる想いで薔薇色の翼を広げ、ゼルダは鮮やかな世界に解き放たれた。
恩師が愛したこの国の四季。
胸に迫るのはそれに出逢えた歓びと――。
淡い寂しさを抱えて振り返れば、柔く笑んだ桃花が彼女の手を掬った。
櫂が波紋を描けば水鏡に映る錦が揺れる。
船頭を買って出たのは殯のほう、突然の誘いの詫びはこの景色で、と笑みを向けたなら、釣り銭は持ってねーからな、と八重歯を覗かせシュリアが笑み返す。漕ぎだした湖から仰ぐ紅葉の錦も舟縁から覗き込む湖も、修復依頼の報酬には申し分ない絶佳。
酒が美味くなるぐらい綺麗だと彼女が双眸を細めれば、帰ってからの楽しみにしますかと打てば響くよう彼が応え、
「一杯くらいは奢れよ?」
「おや、一杯だけで良いのですか?」
戯れめいた声音を交わし、再び水鏡を揺らす。
皆で道々に癒しの花を咲かせたのも、代わる代わる操る櫂の雫が水面に花を咲かせるのも楽しくて、少女達の笑みも花と咲く。
いち、に、いち、に。
梅のリズミカルな声に合わせ、手慣れたクアトロリッツァに教わり一緒に漕げば、初めて櫂を握ったフェリチタにもコツが掴めてきた。櫂の波にくるり回る湖面の紅葉、跳ねた雫を追って見上げる渓谷の錦。
紅葉狩りというのよね、と年長の乙女が口遊み、
「春には桜を狩るのかしら。それとも――『梅』?」
「梅狩り……! わたくしが狩られてしまいます!」
「ワ、ワタシ、頑張るして、梅様、守るマス……!」
悪戯な眼差し流せば、震えあがった春花の少女に人形の少女が抱きついた。
次いで弾けた彼女達の笑声。楽しげなそれにハルトはいっそう心を弾ませ、櫂を漕ぐ手に力を込めれば、力強く流れだす絶景に瞳も心も奪われそう。仲間との紅葉狩りに胸躍らせていたのはメリノも一緒。
先ゆく舟の澪に揺られた紅葉を掬えば湖底に揺蕩う時まで掬えた心地で、
「えへへ、想い出に、如何でしょう、か?」
「イイネ! 栞にするのはどうだろうカ?」
「素敵ですね。それならこれも是非一緒に」
仔羊の少女が掬った鮮やかな茜、水先案内人が声を弾ます様に夏維も眦を緩ませて、指貫グローブから覗く指先を澄んだ湖水に浸し、暖かな黄が燈る水楢の葉を捕まえる。
滴る雫とともに仄かな緊張も水面に融けた。
●鬱金
癒しを紡ぎ辿りついた深山の湖。
全然疲れてねぇよと嘯く柊一郎と漕ぎだせば、さくらの眼前に絢爛の彩が広がった。
限りなく透きとおる翠の水鏡、湖面に映り込む紅葉黄葉もまるで澄んだ水に紅や金の光を融かしたようで、華やぐ秋に誘われ歌いだしてしまいそう。
「聴かせてくれたら良いのに」
「えへへ、今日は人も多いし恥ずかしいから」
誘うよう笑う彼に擽ったく笑み返し、膝に舞い降りた紅葉をその耳元へと飾れば、黄葉を掌に受けた柊一郎がさくらの髪にも秋色を飾る。
二人一緒に、絢爛の秋に融け込めた心地。
季節の移ろい、時の流れ。
早瀬みたいなそれにぽっかり生まれた淵に憩うよう、穏やかな湖面で鬼人は櫂を繰る手を緩めた。ひときわ柔らかな流れに蕩ける心地で、ヴィヴィアンがふわりと笑みを咲かす。
澄みきった空、鮮麗な紅葉、神秘的な湖。
「どうしてこんなに綺麗なんだろうね」
「綺麗だよな。ゆったり眺めるのも悪くない」
恋人達は絢爛の秋に浸るけど、互いに何より相手に見惚れていたのは内緒。
櫂漕ぐ様もそつない夜散が、サヤを彩なる秋へ導いた。
湖の中ほどへ舟誘う澄んだ風。秋が一番好きだと彼が呟けば、春も夏も冬もすきですよと秋色ストールにくるまれた少女が笑む。
「誰かと、やちるとすごせるなら、いつだって」
「嗚呼。サヤはいい事を言うなァ」
一緒に寝転べば、すべて二人だけのもの。
華やぐ紅緋、眩い鬱金、常盤の緑。こころからゆびさきまで満ちてゆく。
俺が帰りも漕ぐから、なんて夜散の声にくるまれ、それじゃあと柔らかにサヤが紡いだ。
――お返ししたいと思うのは、乙女心ゆえ。
羽休めの響きに惹かれ、竜の娘が巴の手を取った。
迎えて漕ぎだす舟から見霽かす絢爛、人手と自然が創る絶佳に巴が吐く息も、遥かな風に融け湖の彼方へ向かう。
彼方此方と探す時間も一興と悪戯に笑って、
「どれ、真白さんの眼で見つけ出してくれるかな」
「合点承知! 絶景スポット見つけますなの~!」
秘密のめざめを探す、舟の旅。
湖水の揺らぎとともに、絢爛の秋景色を振り仰ぐ。
「――錦秋の候、とはまさにこの事ですね」
「きんしゅうのこう? ベルさんは綺麗な日本語を沢山ご存知ね」
漕ぐ手の危うさを誤魔化すよう渓谷を見上げたベルノルトの言葉、そして一緒に見上げた華やかな光景に息吹は感嘆を咲かせた。
湖渡る風を胸に満たせば小さなくしゃみ。
けれど、彼が黒の外套を白銀の少女にふわりと掛けたから、もう少しこのままで。
――湖底に遊んでいるかもしれない人魚を、探しにいこうか。
並んで漕ぐ舟が引く澪は、翠翼の絆の軌跡のよう。
湖両岸から迫る絶景。歓声を上げる鳳琴に眼差し誘われれば、錦秋を背にした彼女にこそシルの瞳は奪われる。どうしましたか、と声が届けば、
「ううん、何でもないない」
頬に熱を燈したままかぶりを振るけれど、
「ねぇシルさん、私は――……」
櫂を離して、鳳琴はそっと彼女の手を取った。
言の葉は途切れても、手が重なり合えば互いのぬくもりとともに、想いも融け合う心地。大切なあなたとまたひとつ想い出を重ねて。
きっと、どこまでも。
何処までも深い翠、浮葉の如く揺らぐ舟。
あなたを測りかねる気持ちに似てる、と呟いた瞬間、大きく舟が傾ぐ。
「ムゲット!」
焦燥も露わな声とともに扨に引き寄せられて、抱きしめられたムゲットの鼓動が跳ねた。翠に揺蕩う紅葉に手を伸ばしたのは、
「……葉室井の髪にも合うかもと、思ったのよ」
胸に落ちた呟き、腕の中の熱。
凪いだ湖面に安堵し、測りかねるのはお互い様、と苦笑して、扨は風が連れてきた紅葉を少女の耳元へ飾る。ボクより似合うひとを、見つけたよ?
囁かれた耳まで、紅葉の彩。
渓谷を仰げば、昨秋の紅葉が二人の原点なのだと確信できた。
湖渡る舟の上で交わしたのは寒いという言葉だけ。でも、陣内も同じ想いを抱いているとあかりの胸には信が燈る。
紅葉の紅を映す翠の水面。
林檎色の髪の彼女をずっと見つめる己が翡翠の瞳と同じ、なんて心は言葉にできなかった陣内だけど、
「――竜田姫」
漸く紡げた一言。唯それだけで、きっとすべて伝わった。
堰を切って溢れだす愛おしさ。満たされたあかりに大輪の笑みが咲く。
「僕だけの、比古神さん。ずっと傍に置いていてね」
千年の、先までも。
●翡翠
透きとおる翠の底に、古き集落があった。
漕ぎだした湖を覗き込めば、眠りからめざめた村の姿。澄んだ水面に触れた指の先から、冬真の胸の芯まで伝わる震えは何だろう。
心地好い余韻が渇いた心を潤してくれる気がして、深い吐息で水面を揺らす。
水底から仰ぐ光景はどんな風だろう。
――同じくらい美しく、愛しいものに見えていたらいい。
息するよりも自然に手を取った。
抱き上げられたクィルだけの特等席、ぎゅうっと抱きつく少年を抱いてジエロは黒き翼で一気に空へ舞い上がる。吹き降ろす風と見下ろせば美しい翡翠色。
足元に光る翠碧、透きとおる湖。
「ね、ジエロ。すごくすごく、綺麗だね」
「綺麗だね。とても」
彼に贈られた翡翠と湖の彩を見比べたクィルが輝くよう笑うから、ジエロの心もほどけて頬には柔らかな笑みが燈る。あなたの黒い色も、僕は好きなんだよ。そんな声が届けば厭う翼も好きになれるから。
この先も、どうか一緒に。
絢爛の秋に春色誘って彩は舞い上がる。空から望む湖には翠の琥珀に護られたような村、遠い記憶が流れ込む心地さえするのに、触れることは叶わない。
「……あなたは、寂しくない?」
「寂しくはないの~。けど」
響いて震えて、めざめる心地。秘密を明かすような桃花に彩も囁き返す。
あたしは寂しさ半分、後の半分は――。
天つ風に舞うのは叶わずとも、溢るる湖の息吹に浸る心地でイェロは水面を覗き込んだ。光跳ねる水面は絢爛を映し、かと思えば不意に遥か水底まで彼の眼差しと光を連れていく。
透きとおるエメラルドグリーンを隔てた底の、静謐の村。
誰にも侵されぬ、世界。
凛と澄む水に指先を浸せば、風がそこへ紅葉ひとひら連れてきた。
緩やかな櫂捌きで漕ぎだせば、亜嵐の心は絢爛の渓谷渡る風に乗る心地。ゆうらり浮かびあがるような乗り心地に彼の気遣いを感じて、エヴァンジェリンも瞳を細めた。
見渡す世界。湖を覗けば、流れる紅葉が描く透明な波紋の、遥かな底にも、世界。
――神様の目線って、こんな風なのかしら。
呟く声に誘われ、彼が眼差し向ければ、舟縁から手を伸ばす友の姿。
「落ちないようにね?」
「……そんなに、ドジじゃないわ。もう」
冗談めかして笑いかければ彼女は唇を尖らせたけれど、すぐに柔い笑みが咲き綻んだ。
思い出そのものが沈んでいるみたい。
湖面から水底の村を覗き込めば、ヒノトの胸に望郷の念が込みあげた。あの地も誰かの故郷だからな、と眠堂が微かに笑む。
自然と語らう互いの故郷。
暖かな声音でヒノトが語る緑豊かな地、幼い彼が遊ぶ様が目に浮かぶ心地で眦を緩めて、長閑で退屈で、けれど大切な町を語る。
「眠堂は帰りたくならないか?」
「――……」
俺はいつか帰ってみたいんだ、と笑う少年の問い。
俺は故郷から逃げてきたんだ――とは、答えられずに微笑んだけれど。
今はもっと沢山、話をしよう。
癒しの雨に虹をかけた先に、満開の笑みを咲かす。
澄んだ風に潤され、漕ぎだした湖で纏が声を上げれば、釣られて澪が身を乗り出した途端舟が傾いだけれど、それも御愛嬌。
波打つ湖面が凪いで澄み渡れば、ひときわ透きとおった翠の底に静謐の村。
ふるり、と纏が翼を震わせた。
「何だか、空を浮遊する感覚に似ているわ」
「あなたの瞳に、世界はこう映るのね……」
彼方から此方を視れば、わたし達はきっと鳥。
翼持つ友の言葉と、俯瞰する世界を胸の芯に閉じ込めるよう、澪はゆるりと瞬いて。
きっと、ずっと、忘れない。
●青碧
華やかな錦秋に彩られた空に舞いながらも、幼い天使はぴっぴと指差し確認を忘れない。どっちが良く見えると問う声にここカナーと応え、シアは社が漕ぐ舟に舞い降りた。
遥かな湖底に、幾つもの古民家。
――どうして水の中におうちがあるのカナー?
不思議がる愛娘の様子に、ダムのお勉強は後にするかと声なく笑って、問いひとつ。
「シアはなんでだと思う?」
「ここのひとが人魚さんに、おうちを水族館にしてーってお願いしたからカナー?」
夢いっぱいの答えに社は破顔して、可愛い頭を撫でくり回した。
透きとおる水底に音まで沈んでしまったよう。
呼吸も忘れリーズレットが見入る世界。綺麗、と呟いたうずまきはそっと手を伸ばして。
ぱしゃり。
途端に広がる波紋、止まっていた時が動き出すように湖面が波打ち、水底の景色が揺れて踊って光と遊んで、万華鏡みたいと二人で飛びきりの笑みを咲かす。
「リズ姉とのおでかけも久しぶり……!」
「確かに……って、つい最近一緒におでかけしたばかり、だよな?」
再び弾ける笑み。
久しぶりと思ったのは、一緒にいないと落ち着かなくなってしまったから。
花火の夏に想い通わせ、紅葉の秋へ羽ばたいた。
湖渡る風に天使の翼を遊ばせ、絢爛たる渓谷を舞う初デート。羽ばたきが重なるかの如く寄り添うセレシェイラとの近さ、その歓びに唯覇が微笑すれば、桜姫の笑みも咲く。
――お手をどうぞ。
「……なんて、君と居ると俺は浮かれてしまうみたいだ」
「ふふ、私もとても幸せ!」
唯覇の笑顔に眩しげに瞳を細め、その手を取ったセレシェイラは絢爛の秋と恋人達を映す湖面で軽やかに回る。いつか貴方の歌で踊れたら、もっとしあわせ。
だからきっと、また一緒に。
艶やかな紅葉錦を映す水鏡、湖面すれすれの飛翔は氷上を滑るのにも似た楽しさだけど、竜翼の羽ばたきが描く澪が消えれば、水底から冷たく蠱惑的な何かが背筋を昇る。
桃花が攫われてしまう前に行こうか、と誤魔化せば、翠の瞳がまっすぐ彼を見返した。
「スプーキーさんのほうが、攫われそうな顔してる」
「……参ったな」
吐息で苦笑し、湖底に囁きを落とす。
おやすみ。
静謐に抱かれる湖底の眠りに惹かれたけれど、
「沈んだ死体は膨らんで大変ですよ」
「もう! お兄ちゃんてば浪漫がない……!!」
そっけない声で紡は湖上の現に引き戻された。だけどふふりと笑み、お兄ちゃんも可愛い妹に会えなかったら寂しいもんね、なんて言い返せばもう機嫌は上向き。
その自信どこから来るんですかと嘆息しつつ螢が舟縁に背を凭せれば、舟が揺れた拍子に空色リボンが踊る。
これさえ手放せば、彼女は――。
己がそれを望むのか、望まないのか。
揺れる思索は自称妹が漕ぎだした舟の揺らぎに融けた。
懐郷、思慕、そして、怖れ。
恋しさも懐かしさも胸奥の震えも瞳の奥の熱さえ全て自覚しながら、アリシスフェイルは瞬きひとつせず遥か水底を見つめた。
死せる村の、ひそやかなめざめ。
遠い日に故郷を包んだ焔が胸奥を灼く。水を、過去を求めるよう伸ばしかけた指先を強く握り込む。
代わりに、蜂蜜の彩を映して落ちた滴が、湖に触れた。
●花緑青
波紋がゆるりと融け、微睡みから解き放たれる。
湖上で瞼を開けば透きとおる青空と秋の絢爛、深呼吸で瑞々しい翠の息吹にゆびさきまで満たされ、レンカは誘われるよう水底の静謐を覗いた。
湖とともに瞳まで澄む心地。
遥か水底の世界、はらり零れた髪先が水面を撫でれば掬って口づけを落とし。
隅々まで満たして、連れていく。
――おはよう、家々。
遠く透きとおった翠の底、嘗てあの村から絢爛の秋を見上げて愛でただろう誰かを想い、湖面に浮かぶ紅葉ひとひらをティアンはそっと沈めた。
指先から生まれる波紋。舟から生まれる波紋。
揺らぎに身も心もゆだね、微睡みに沈んで。
故郷の静かな眠りを祈り、遠い日の、もういない皆の夢を見る。
絢爛の渓谷に満ちる翡翠の湖に澪を引きつつ渡れば、夜は絵画の中に入り込む心地。私も漕ぎたいと意気込む宿利に櫂を渡し、可愛い奮闘を眺めるうち、ふと湖に瞳を惹かれた。
凛と澄んだ水の底の、村。
古き家々から少し離れた丘に佇む、木造平屋の校舎は。
「――あれ、小学校かな」
「……ん。きっとそうね」
柔く綻んだ夜の唇から紡がれる秋の童謡、胸の奥から溢れくる不思議な懐かしさのまま、宿利もふうわり歌声を重ねていく。心地好い眠りの波がひたりと寄せてきたから。
膝を貸しますよと微笑めば、彼に嬉しげな笑みが燈った。
華やぐ絢爛に誘われ翡翠の湖に漕ぎだすけれど、澄み渡る湖水に瞳を落とせばミアの心も静かに澄んでいく。
どうしようもない透明度。透きとおった心の芯に、光る気持ち。
私、イヴリンが好き。
森色の瞳をまっすぐ見つめて想いを打ち明ける。希う。
「私の、恋人になってくれますか」
途端に、イヴリンの胸の芯に燈った熱が瞳に満ちて溢れだした。
心なんてわからない。なのに頬を濡らす熱が涙なのだと識っている。滲む視界、眼の前の空色の瞳が曇れば痛いくらい胸が締めつけられ、やっとの思いで震える声を絞りだした。
「私を、ミアの恋人にしてください」
翡翠の湖に奏でる水音が心地好い。
心のまま澪を描き続けていた景臣は、止まってみようと耳に届いた友の言葉に櫂を置く。気侭に光を躍らせ紅葉を映し、やがて波紋が消えれば、遥か水底に村が見えた。
「……何故、こんなに美しく感じるのでしょうか」
ぽつり零れた友の声に、ゼレフは呑まれかけていた静謐から解き放たれる。
永遠にも似た静謐だった。廟を訪れたような、奥津城を覗いたような。
竜と、対峙したかのような。
日本の秋は如何ですかと訊かれ、胸に満ちた透明な空気を溢す。
「そうだねえ、枯れ行く終わりへ向かう前の一番鮮やかな季節だ」
目の覚めるような、ね。
軽くそう笑って、櫂を引き受ける。
――さあ、この先へ漕ぎだそう。
作者:藍鳶カナン |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
![]() 公開:2016年11月27日
難度:易しい
参加:68人
結果:成功!
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