オレヲツケテケ

作者:緒石イナ

 少女は、帰宅するなりランドセルを玄関に放り出し、台所に立つ母のエプロンを引いてなにごとか無言で訴えた。
「なあに。いまお料理してるんだけど」
 振り返った母の正面に愛娘がずいと突き出したのは、体操服のジャージ。
「ママ。これ、洗ってちょうだい。すぐ洗って!」
「洗って、って……」
 二本の指でジャージをつまみあげる姿は、いかにもけがらわしいと言いたげな有様だ。嫌悪感に唇をむずむずさせながら、少女はおずおずと事情を話し始めた。
「きょう、みんなで裏山のゴミ拾いをして……終わってみたら、なんか変なトゲトゲの種みたいな物がたくさん、背中にびーっしりくっついてたの! 先生と友だちがぜんぶ取ってくれたんだけど、ぜんぜんキレイになった気がしなくって……」
 トゲトゲの種――そう聞こえたところで、「ああ、あれのことか」と母の声が上げる。
「なぁんだ。それ、ひっつき虫っていうのよ。はじめて見たからびっくりしたのね。まったく、おおげさなんだから」
「おおげさじゃない! ほんっとうに気持ち悪かったんだから!」
 よほど不快な思いをしたのだろう、いよいよ目に涙を浮かべ始めた娘を見かねて、母は小さなおかっぱ頭をそっとなでた。
「わかった、ちゃんとお洗濯しておくわ。その前にご飯ができるから、先に宿題でも済ませちゃいなさい」
 少女は小さくうなずくと、キッチンを出てランドセルを置き去りにしてきた玄関へと廊下をかけていく。その道中を冷たい強風が吹きぬけた。見れば、閉めたはずの玄関のドアが開いている。そこには不明瞭な輪郭の深緑色が立っていた。
「はじめまして。お嬢ちゃん」
 不審な来訪者を前にして、少女は悲鳴をあげることさえかなわなかった。たちまち心臓を貫いた鍵が、彼女の意識を刈り取ったからだ。
「あはは、素敵な『嫌悪』。でも、私のモザイクを晴らすにはまだまだみたい」
 来訪者――第六の魔女・ステュムパロスは軽薄な笑い声とともに姿を消す。その場に残されたのは、床の上に倒れた少女と、そのかたわらにゆらりとたたずむおぼろげな異形だけだった。
 
「まったく。年の瀬というのに、デウスエクスは我々に息をつかせる隙も与えないな……。なに、連中がその気なら受けて立つまでだ」
 ヘリポートに師走の寒風に一瞬だけ肩をすくませたのち、白鳥・セイジ(ドワーフのヘリオライダー・en0216)はふたたび背筋を伸ばしてケルベロスたちへ向き直った。
「以前から行動を続けている『嫌悪』を奪うドリームイーター、第六の魔女・ステュムパロスが、秋田県秋田市郊外に住む女子児童を襲撃したようだ。彼女から奪われた『嫌悪』をもとに、危険なドリームイーターが出現してしまう。さらなる被害が出る前に、これを討伐してほしい」
 少女の自宅で発生したドリームイーターは開け放たれた玄関を出て、離れた最寄りの集落を目指して歩きはじめる。被害に遭った少女の意識を取り戻すためにも、一刻も早くドリームイーターを見つけて倒すしかない。
 事件が起きたのは時刻は午後6時ごろ。ちょうど学生や社会人が帰路に就きはじめ、道に人通りが増える直前の時間帯だ。幸いにも、いまから直行すればドリームイーターが歩きだして間もない時間に現地へ到着できる。視界の開けた田畑ぞいの道をのろのろと歩く異形の姿はあまりにも目立ち、一目見ればあきらかに倒すべきものだとわかるだろう。
「どうやら、このドリームイーターは体に大量の異物がこびりつく嫌悪感をもとにしたものらしい。見た目は2メートルを超える痩せ身の人間だ。ただし全身がモザイク状で、粘液を垂れ流す口のほかは、トゲだらけの微細な黒い粒でくまなく覆われ……いや、あまり想像しすぎないほうがいい。著しく気分を損ねるかもしれない」
 イメージだけで気味が悪くなってきたのか、ときおり唇をひきつらせながらも、セイジは可能な限り平静をつくろって必要な説明を続けていく。
「細長い肢体を振り回す乱暴な攻撃をまともにくらうと、敵の体中についた黒い粒がへばりついてしまう。この粒が厄介だ。びっしり生えたトゲが武具や防具を痛めつけてしまう。かといって、距離をとれば安心というわけでもない。口から粘液にまみれた粒を吐き出してくるからな。こびりついてしまうと邪魔なことこの上ないし……なにより、気持ちが悪いな。さらに悪いことに、この奇怪な粒はいくらでも再生可能なようだ」
 ひとしきり話しきったセイジが肩をもう一度ゆすったのは、きっと寒さのせいではない。
「人々の平和のためにも、対峙する君たちの心の安寧のためにも……こんな敵は、一刻も早く退治してしまおう。さあ、行こうか」
 ケルベロスたちをのせたヘリオンがヘリポートから飛び立つ。怪奇にまみれたドリームイーターに引導を渡すために。


参加者
ガド・モデスティア(隻角の金牛・e01142)
源・那岐(疾風の舞剣士・e01215)
凪沢・悠李(想いと共に消えた泡沫の夢・e01425)
アバン・バナーブ(過去から繋ぐ絆・e04036)
源・瑠璃(月光の貴公子・e05524)
ジョー・ブラウン(ウェアライダーの降魔拳士・e20179)
リー・ペア(ペインキラー・e20474)

■リプレイ

●歩く不快感
 芽吹きの季節を待つばかりの静かな田園風景のなかで、ひょろりと高い上体を不安定にゆらしてあぜ道を歩くその姿は、遠目から見ても強烈な不快感をともなう存在感を放っていた。
「うわ、ほんとうにくっつき虫だ……形だけなら、だけど」
 黒い人影が一歩進むたびにぼろぼろとこぼれ落ちる塊を見やり、源・瑠璃(月光の貴公子・e05524)はおもわず眉をしかめた。カギ状のとげをくまなく生やした形状は、姉とともに暮らす森林で見慣れたの種と瓜二つだった――その一粒一粒が握りこぶしほどもある巨大さで、けがらわしい黒光りを放ってさえいなければ。
「もとはただの種でも、馴染みがない子にとっては気味の悪いものなのでしょう。……いえ、なにより不快なのは、人の感情を道具のように扱う敵の方です」
 弟に続いて上空からあぜ道に降り立った源・那岐(疾風の舞剣士・e01215)は敵への嫌悪感を殺気に転換し、人をはねつける殺界を解き放った。これから始まるのは汚物処理と呼ぶにはあまりに危険な戦闘だ、守るべき一般人を近づけるわけにはいかない。夕陽に照らされた集落の影を背負い、ケルベロスたちは着地の衝撃をそのまま推進力に変えて前線へと飛び出していく。
 ジョー・ブラウン(ウェアライダーの降魔拳士・e20179)は、後衛に下がらせたビハインドのマリアを片目で振り返った。
「あんまり近づくんじゃねえぞ、マリア! こんなのに触ったら、お前の手が汚れるからな!」
 その声にあわせるように、腕になる果実が警戒的な光を放つ。マリアがちいさくうなずいた直後、彼女の背後を勇壮な煙幕が彩った。
「残念やったなドリームイーター、本物のくっつき虫なら散々見とるんや! ここから先には行かせへん、ばっちい外見ともども消えてもらうで!」
 ガド・モデスティア(隻角の金牛・e01142)が打ち上げたブレイブマインだ。戦線の最後部を覆うあざやかな煙の壁は、彼女が高らかに宣言した決意の表れだ。
「まったくだ。わざわざ人の嫌いなものを具現化してくれやがって、悪趣味にもほどがある。早々に片づけてやらねえとな!」
 バスターライフルの照準ごしに見える醜悪な姿へむけてアバン・バナーブ(過去から繋ぐ絆・e04036)がついた悪態は、フロストレーザーが空を裂く音にまぎれた。黒くぬめる体表の一部が白い氷に覆われたところを、リー・ペア(ペインキラー・e20474)が遠心力をのせて振りあげたドラゴニックスマッシュが荒々しくかち割る。
「っ……!」
 砕いた氷の下から油まみれの虫を思わせる黒い塊が大量に吹きあがった瞬間、自身の心にわきあがった感情に彼女はハッと息をのんだ。
「……なるほど。触れたくない、遠ざけたいと思わせるこの感覚が嫌悪、ですか」
「そうそう。イヤなものには近づきたくない……そういう気持ちだよねっ♪」
 言葉とは裏腹に、凪沢・悠李(想いと共に消えた泡沫の夢・e01425)の剣撃は軽やかにドリームイーターの表皮を切り払っていく。飛び散る粒やヘドロじみた粘液などものともしないかのように。
「ハッ、どんなにえげつなかろーが関係ねーな! 答えはひとつだ――ぶっ掛けられる前にブチのめす!」
 カルナ・アッシュファイア(炎迅・e26657)はブレイズキャリバーもろともに高く飛び上がった。進化さえ凍結させる一撃と爆炎をともなう突撃が衝突し、激しい水蒸気が周囲を覆った。
「これで黙ってくれたらいいのですが……!」
 瑠璃が照らす太古の月光が、白く煙る視界を晴らしていく。その先に立つドリームイーターは……健在。深くえぐられた体を倍増させた粘液と粒子で埋め、大きな腫瘍をかかえたような、いっそう不気味な様相と化して立っている。やはり易い敵ではない――認識を新たに、ケルベロスたちは各々の得物にグラビティを込めた。

●嫌悪に折れない心で
 敵に身を護るすべがあるなら、こちらはそれを引きはがせばいい。シンプルだからこそ有効なアイデアをもって、ガドの振りあげた脚が暴風をまとう。
「ただのでかいひっつき虫……要は、見かけ倒しっちゅうこっちゃな! ぜんぶ吹っ飛ばしたる!」
 増殖したぶんの塊をまるごと吹き飛ばされ、もとのやせぎすなシルエットに戻ったドリームイーターがぐわりと背筋をゆがませる。さては体勢を崩したかと見て取るや、リーは自身の制御機構をためらいなく手放した。
「セーフティ、解除。仕掛けます」
 より速く、より重く。質量攻撃の根源を極めた一撃に、2mを越すドリームイーターの肢体はより大きくしなった。まるで釣竿か、あるいは鞭か――鞭だと?
 那岐が直感した時には、バネのように弾き上げられた黒い腕の先は軌跡の最高到達点に達していた。気づくが早いか、あるいは体が動きだすほうが早かったか。いずれにせよ、彼女はすんでのところで、仲間を容赦なく打つ攻撃に身を挺して盾となった。
「間に合って、よかった。枯れ木ほどしかない痩せ身、そう利用するなんて……!」
 交差させた腕を伝ってぞわぞわとつきまとう粒子の嫌悪感を振り払い、那岐は冷静さをたたえた視線を後ろにむける。凶腕が姉を襲った光景に、思わず身を硬くする弟のほうへ。
「――わかってるよ、姉さん。僕は、僕のやるべきことを……!」
 そのまなざしから託された信頼で心を振わせ、瑠璃は鎖の魔法陣を拡げた。いまここにいる全員で、力を合わせて敵を倒すために。彼の役目は、仲間を支え、前線を維持することだ。
「たいした絆じゃねえか。俺たちだって負けてらんねえ、なあ、そうだろ!」
 漢牙龍震脚――大地を打ったジョーの脚を伝わり、激しい振動が足元からドリームイーターを突き上げる。崩れた足場を狙うかのように、マリアの念で弾き出されたカカシの束が横殴りにぶつけられた。さらにブレイズキャリバーのキャリバースピンが加わり、機動力が殺がれた敵の顎に稲妻突きが突き刺さる。体内に詰まっているであろう無数の粒がぶちぶちと潰れる感触に、カルナは唇を思いきりゆがめた。
「うへえ、中までたっぷりかよ。これも子どもの発想力の産物ってヤツかねえ」
「どうなんだかな。まあ、ドリームイーターの考えることなんてわかりたくもねえ。それでもひとつ言わせてもらうとだな……」
 黒い粘液でなまる彼女の武器をルーンで研ぎなおし、アバンは改めてバスターライフルを構えなおして銃口の先にいる敵に啖呵をふっかける。
「出るなら出るで場所を選べ! 畑が荒れるだろうが!」

●悪夢の大掃除
 さらに何度目かの打ち合いを経て、周囲はもはやコールタールをスプリンクラーでぶちまけたようなありさまだ。ディフェンダーとして矢面に立ち続けるジョーの毛皮は、もとの麦色からほぼ漆黒と化している。サーヴァントと共にあるために残る体力もけっして多くないはずの彼の覇気が燃え上がるばかりなのは、ドリームイーターの吐きかける粘液が危うく後衛を襲いかけた一件のせいだ。
「てめえ、どこ狙ってやがった……俺がいる限りそう簡単に攻撃を通すかよ!」
「僕たちは大丈夫です、だから落ち着いて、あと少し一緒に踏みとどまりましょう!」
 瑠璃は粘液の跳ね返りがかすめた程度で、いまも大きな被害はない。戦場のもっとも後ろから戦況を注意深く見てきた彼には、敵の力が大きく殺がれている様子がはっきりと確認できていた。
「『あと少し』なんだね? なら、もうひと頑張りしちゃおうか!」
 べたべたと足を引っ張る粘液を振り払って、悠李はいまいちど刃を鋭くひらめかせた。敵の魂を虚無にいざなう弔いの剣技が長い胴に深い傷を刻む。際限のない粒子はもはや再生産されない。もう生み出す余力もないのか、それとも防御を捨て反撃に全力を傾ける気なのか。
「出し惜しみはしてらんねえな。きたねぇ汚物ごと、まとめて吹き飛びやがれ……!」
 カルナのグラビティがこじ開けた空間から、ガトリング砲にレーザー銃にミサイルポッド、あらゆる銃口がずらりと馳せ参じる。そのすべての照準が、仰角が、ぴたりと一点に定まった。
「遠慮はいらねぇぜ。たらふく喰らっていきな――デッドマンズ・ファイヤー!!」
 壮絶な爆炎が吹きあがり、ドリームイーターの姿が隠れる。それでも、敵の命に鎖をかけて死に引き下ろす瞬間まで、ケルベロスは手を休めない。外見からは目の所在を確認できないドリームイーターにもし視覚があるならば、炎と煙で完全にふさがれた視界が、全身をうつ衝撃波とともに一瞬で吹き開けられたように見えただろう。
「よし、やっぱり『ここ』やったな!」
 科学と直感の合わせ技であるガドの黄金の衝撃が、爆炎もろともに敵の体を吹き飛ばしたのだ。虚空を舞うドリームイーターの上に、三つの影が落ちる。焦げ落ち、砕かれた顎をいまいちど大きく広げ、敵は一矢報いようと最後の粘液を吐きかけようとした。しかし、それもかなわない。先に極太の銃口が喉の奥深くに突き込まれたからだ。空をも絶つグラビティの奔流を銃身に込め、アバンは冷徹に言い放つ。
「……あばよ」
 ごしゃり、とスイカを砕くような音を立てて、吐き出されるはずだった黒い液体が引き裂かれた喉からてんでバラバラな方向へ吹きだした。恨みがましげにうごめく手足に、那岐は影の刃を突き立てる。
「これで最後です。消えなさい、悪夢」
 刃はとうとう大地に突き立ち、片腕を地面に縫い付けた。反撃も、立ち上がることさえ許されないドリームイーターの心臓へ、屠る龍の鉄槌が下される。
「あなたとの戦いから得られた『激しい嫌悪感』、とても興味深い情報でした。代わりと言ってはなんですが――『死』を、あなたに」
 ずん、とリーの一撃が深く響く。それと同時に、ケルベロスたちの体や周囲の田畑にまき散らされた黒い汚れが、ゆっくりと色を失いはじめたのだった。

●来た時よりも美しく
 ドリームイーターがまき散らした汚れは消えたとはいえ、激しい戦いの余波で穴のあいた田畑や崩れた堤までは放っておいても元にはもどらない。それでも、ケルベロスのグラビティさえあればきれいに片づけられる範疇だ。
「……あー。田んぼに立つには、いささかおめかしが過ぎるな」
 元の位置に戻ったカカシを見上げながら、アバンはやや所在なさげに頬をかいた。砕けたカカシにヒールをかけたはいいものの、白いレースのエプロンをかけたカカシになることまでは想像できなかったらしい。周囲のヒールや片付けを終えて戻ってきた悠李やリーも、ファンシーなカカシを見上げてぽかんと口を開けた。
「なんだか、鳥さんも寄ってきそう……って、それじゃダメなんだっけ」
「こればかりは、私たちに制御できるものではありません」
 カカシを前に微妙な顔をする面々の背を、ジョーはバシンと叩いて笑った。
「こいつはえらくオシャレになったな。どうしても気になるなら、このへんの地主か誰かに話してみるか? なんせ事情が事情だ、きっとわかってくれるだろ」
 気になると言えば、と声をあげたのはカルナだ。
「被害にあった子の家、近いんだっけか。娘がいきなり倒れたとなりゃ、親御さんだって気が気じゃないだろ」
「もう起きてくれとるやろうけど、ウチもちょっと心配や」
 ガドも大きくうなずく。それもそうだね、と顔を見合わせた瑠璃と那岐は、いつも見る互いの顔に疲れの色が見えることにほぼ同時に気がついた。
「心配事が晴れたら……ご飯、どこかで食べていく? もう日も暮れたし」
「そうだね。夜ご飯、食べよっか」
 戦いを終え、それぞれの日常に戻りつつあるケルベロスの様子を、すっかり夜の色になった空で一番星が静かに見守っていた。

作者:緒石イナ 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年1月9日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 2/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 1
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