落陽に弔火

作者:螺子式銃

●虚の軍勢
 しんと澄み渡った山の空気を乱すのは、太陽神アポロンの声――。
「朕の臣民共よ、奮励せよ、邁進せよ! 黙示録騎蝗による勝利を、朕に捧げるのだ!」
 ローカスト達を従えるアポロンはひたすらに鼓舞を続ける。黙示録騎蝗は未だ、続くのだと。
「……太陽神様、しかしこれ以上はどうか。皆が飢えております」
 装飾品で身を飾るローカスト達は、おそらく重鎮の位置にあるものだろう。彼等は口々に、ローカスト達の窮状を訴える。願いは一つ、黙示録騎蝗の中断だ。
 既に多くの作戦が失敗し、彼等は既に飢餓の危機に瀕している。方々から聞こえる飢餓と苦痛の悲鳴、理性を失ったローカストの離脱。
 このままでは、種族自体の存亡の危機にすら繋がる。それでも――。
「朕を崇めよ、ローカストを救う事ができるのは、黙示録騎蝗と太陽神アポロンのみであるのだ」
 神たる権威を持ってアポロンが言い放てば、ローカストの重鎮達とて口を噤むしかない。
 権威と言う名の呪縛を持って、彼等は支配され黙示録騎蝗に駆り立てられる。
 解放の手段は、太陽神アポロン直々の黙示録騎蝗中断命令、もしくは死。
 そして、もう一つ。
「…苦しい、エサ…チェイン、…アアアアアア――」
 極限の飢餓により身を捩らせていたローカストの一団から、正気の光が消えうせる。
 グラビティ・チェインの枯渇により理性を失った彼等もまた、ある意味で呪縛から解放されたのだろう。
 己を縛る任務も使命もかなぐり捨てて、茂みを這いずるよう何処かへと向かっていく。
 今の彼等を支配するのはただ、――狂おしいまでの飢餓だけだった。

●飢餓の終点
 鳥取県にある山村。
 山に囲まれた小さな村は、ささやかで穏やかな暮らしを営んでいた。
 ――飢餓に狂った一団が、突如訪れるまでは。
 秋祭りの練習を行っていた広場で、悲鳴が上がる。蛍のような形態のローカスト達が、尾をぎらぎらと光らせながら飛びかかった。
「人間、人間ダ……!」
「餌ヲモット、足リヌゾオオオオオオ」
「喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ」
 餓えたローカストに一般人が太刀打ちできる筈もない。腹に爪が刺さったかと思えば、柔らかな腸に昆虫の顎が食い込む。
 血と肉を咀嚼するのももどかしいとばかりずるずると啜り込む音が響いた。
「いや、いや来ないでええ!!」
 泣き叫んで座り込む少女は頭から齧られた挙句、餌を取り合う二体のローカストに身体を左右から引き裂かれる。
「……僕はいい、なんでもする。だから、交渉を」
 恋人を背に庇い気丈に対話を持ちかけようとした青年の手首が引き千切られ、指輪の嵌まった左指ごと丸呑みされる。その片割れの指輪を嵌めている筈の女性は、眼球を抉り喰らわれているところだった。
 言葉など、通じる筈もない。お互いに意思疎通をしているのかすら怪しい。知性の欠片も、狂気に染まった目から見て取れない。
 彼等はそれほどまでに――飢えているのだ。

●黄昏の頃
「今日もお疲れさま。――じゃあ、始めようか」
 招集に応じてくれた皆へと一礼すると、トワイライト・トロイメライ(黄昏を往くヘリオライダー・en0204)は資料を手に口を開く。今回彼が説明するのは、ローカストの襲撃事件についてだ。
「阿修羅クワガタさんとの戦いも皆のお陰で無事勝利を得ることが出来た。
 先日のイェフーダー大規模作戦の阻止に続いて、阿修羅クワガタさんの挑戦を退けた。――ケルベロス達の活躍は、着実にローカスト残党の勢力を削っている」
 それ自体は、当然喜ばしいことだ。彼等の行動の積み重ねこそが、巨大な敵に対して立ち向かう手段なのだから。けれど、と告げるトワイライトの表情は憂いを僅かに浮かべていた。
「ローカストのグラビティ・チェインの枯渇。これが、今回の事件の原因となる。
 既にローカスト達は餓える程に、チェインが足りない。そして、飢餓により理性を失ったローカストは、食事を求めた。――人の住まう集落への襲撃と言う手段で」
 鳥取県の山村が、今回の事件が予知された現場だ。深い山に囲まれた村は小さく、百人にも満たない住人達はあっという間にローカストに食らい尽くされてしまうだろう。
「だが、これはあくまで予知だ。未だ、君達が覆すことが叶う」
 ローカストの数は六体。蛍のような形状で、全員が飢餓に理性を失っている。強力な個体ではない筈だが、それ故に予想外の強さを発揮する可能性もある。
「ローカストの対処として、二通りの作戦が考えられる。
 一つ目は、襲撃される村で待ち構えローカストに対応する作戦。この場合、ローカスト達は戦闘よりも餓えに駆り立てられる侭、グラビティ・チェインを得る――つまり村人を襲う方を優先する。
 これを防ぐ為、先んじて避難させるのは、避難先や、もしかしたら別の村が襲われる結果を作る可能性がある為行えない。
 結局のところ、村人が近くにいる状況で戦闘をすることになるだろう。
 二つ目は、村に向かってくる途中のローカストを捜索し襲撃する作戦。彼等は一直線に村に向かう為、発見は比較的容易であるとは想定される。だが、万が一発見に失敗した場合はローカストによって村が襲撃され甚大な被害を出すことが予測される」
 どちらの作戦も一長一短だとトワイライトは語る。
 かといって手分けすれば各個撃破の危険性が見過ごせない。理性を失ったローカスト六体は、八人で当たるべき強さだろう。
 合流に時間のかかる戦力分散作戦は失敗につながるだろうと予測は出来る。
「考えるべきことは多い。だが、――君達がこの事件を未然に防げば悲劇は起こらない。ローカスト達から、どうか村を守って欲しい」
 皆を見渡して静かに告げた後、考えるようトワイライトは目を伏せる。
「こんな事件が多数発生するようなら、ローカスト残党の瓦解すら遠くないのかもしれない。事態は、着実に進行しているのだろう。
 だからこそ、一つ一つを守っていこう。この先の為に。気をつけて、いってらっしゃい」
 いつもの穏やかな笑みが、ケルベロス達を見送る。


参加者
安曇・柊(神の棘・e00166)
椏古鵺・笙月(黄昏ト蒼ノ銀晶麗龍・e00768)
メリーナ・バクラヴァ(ヒーローズアンドヒロインズ・e01634)
卯京・若雪(花雪・e01967)
舞原・沙葉(生きることは戦うこと・e04841)
シャウラ・メシエ(誰が為の聖歌・e24495)
紗夜宮・夏希(ハピネスシーカー・e29696)
香島・アリサ(ナーサティヤ・e32102)

■リプレイ

●作戦開始
 夕暮れの頃、ケルベロス達は到着する。紗夜宮・夏希(ハピネスシーカー・e29696)は一度だけ、村の方を振り返った。
「…正直、怖いよ」
 微かに震える指先を拳に握り隠して、呟きも他には届かぬ程に。この作戦が失敗すれば、地獄絵図が村に齎される。少女の細い肩に乗るには、あまりにも重い責任だった。
 それでも、夏希は――皆は、前へと踏み出す。
 悲劇を食い止める為に。
「作戦の最終確認を。――必ず、成して帰りましょう」
 卯京・若雪(花雪・e01967)が手早く作戦を確認する。穏やかで柔和な印象のある青年だが、要点をまとめる声音は静かな強さに満ちていた。
 分断は行わないと改めて口に出す確認、更には携帯番号も希望者は交換、ひとつずつ確かめてメリーナ・バクラヴァ(ヒーローズアンドヒロインズ・e01634)は皆に告げる。
「頑張りましょ! 大丈夫ですよ。…ん! 大丈夫、大丈夫♪」
 ふわりと軽やかに唇の端を上げて。暗さの無い、柔らかな微笑と風のように澄んで響く声。
 作戦、開始だ。
 
 村北川の崖に、音も無く舞う舞い上がるたおやかな影ひとつ。
「ふむ…、崖の向こうは見通しがいいざんしな。確実にいない、と言い切れるのは重畳ざんし」
 持ち込んだ捜索道具を揺らして、椏古鵺・笙月(黄昏ト蒼ノ銀晶麗龍・e00768)は翼の向きを変えていく。報告と合流、行うべきことは多い。
「はぐれないように…きをつけましょう、ね」
「え、えっと、はい。が、がんばり、ましょう」
 シャウラ・メシエ(誰が為の聖歌・e24495)が背に負うのは、青みを帯びたヴァルキュリアの光翼。尾を引くように眩しい光は地上からも、そして勿論傍らの安曇・柊(神の棘・e00166)にも目立って届く。
 分断しない距離で地上からと空中からの捜索、地上を歩く人の数は十分ならとそれぞれの捜索に移る。シャウラは低空を、柊はもう少し高く。少し経てば地上にいる仲間との距離を維持する為に、束の間の合流を果たす。
 若雪も彼等の下へ一度戻ろうとした、その時だった。
 ちかりと、不自然な光が瞬く。方角は南西、南の道から少し逸れた森の中。
「あちらを、見て頂けますか」
 囁くような声に、柊が双眼鏡を構える。確かに、光の点滅を追えばローカスト達が茂みに潜り込む姿を捉えることが出来た。
「みんなに、おしらせします、よ」
 手分けして確認と連絡。地上の捜索隊に、その一報は直ぐに届く。
「――連絡だ」
 舞原・沙葉(生きることは戦うこと・e04841)が凛と顔を上げる。地上でも、物音を聞きつけた数人が確認を行っていたところだった。より、確証が手に入れば急く心は深呼吸で押さえて、状況の報告を行う。
「じゃあ、皆で向かいましょうね。ここから、そう遠くない場所みたいよ」
 情報を照らし合わせて香島・アリサ(ナーサティヤ・e32102)が真っ直ぐに視線を向ける。彼等が居たのは、南の道の辺り。直線距離では、さほど遠くない位置だ。
 とはいえ、茂る木々が道を遮るのだが――。
「先に、歩くね」
「おや、間に合ったざんしな」
 踏み出す夏希に、合流が叶った笙月がゆるりと添えば木々は道を作るように首を垂れる。方角さえ分れば、向かうには近く。
 村に虫達が到達するまでには、十分な時間があった。

●終わりの始まり
「エサ…チェイン、…エサの、…ニオイ」
 異形達が村へ向かおうとした、その眼前に現れるのは容易に喰らえる餌ではなく番犬達だ。それでも、ローカストは侵攻を止めず、駆け抜けようとするが――。
「この先に、行かせるわけにはいかない」
 禍々しく異形の口が開き、咄嗟に立ちはだかる沙葉へと噛みつく。鋭い牙がずぷりと音を立てて白い首筋へ埋まるが、沙葉は一歩も退かず、強い金色の眸が哀れな異形達を射抜くよう見据える。
 たとえ彼等が、ある意味の被害者だとしても。このまま行かせれば、多くの命と笑顔が失われる。それは、どうしたって許せなかった。
「食事は必要でしょう。然れども、この先にあるのは罪無き命です」
 一匹が動けば、残りも一気に襲い掛かる。若雪は刀の柄でいなしながらも、更に柊まで喰らおうとする蛍までを引き受ければ、流石に無傷ではいられない。それでも、彼の表情に浮かぶのは苦痛や怒りではなく、むしろ悼むような澄んだ色だ。
「ジャマ、邪魔邪魔邪魔邪魔」
 呪詛の如く口走りながら、異形は笙月へも襲い掛かる。沙葉が肘を割り込ませ難無きを得たが、未だ控えているのは中衛達。
 リィイイイイン、と翅が震える音が響き渡り、脳髄を直に掻き回すような嫌な感覚が、後衛陣を襲う。二重奏のよう、
 ウィングキャットのオライオンが振り向くと、シャウラは首を傾げるように笑う。だいじょうぶ、と唇が動いた。
 羽根の先だけシャウラに触れさせ、彼女の前を素通りするとアリサへと襲い掛かる音をその優しい羽ばたきで遮る。代わりに、音波を真正面から浴びる羽目になっても。
「わらわらとイナゴの集団かってーのよ」
 目礼で応じ、アリサは嘆息する。飄々とした語り口はまるで危機感の欠片も無いようではあるその実、ひたりと見据えた眼差しは状況を測っている。
「これはもう、災害ね」
 表出し、侵略する。現象の如く世界を揺るがす存在を、彼女はそう定義づける。そして、――立ち向かう。災害は、命を奪うものだから。
 掲げた杖は、命を護る道標。雷の力が、仲間達を覆っていく。
「…飢えて理性を失うなんて、嫌な仕組みですね」
 鮮やかな夕暮れ、優しい木々の色。もう、その全てをローカスト達は見ていない。ただ、餌だけを求める。世界のうつくしさすら、知らず。
 胸の奥にちくりと刺す痛みを、けれどメリーナは笑顔に変える強さを持つ。よく通る声が禁断の魔術を紐解き、沙葉の傷を癒すと共に新たな力を添えていく。
「構えろ。遠慮は無用だ」
 受けた沙葉はその力ごとを練り上げていく。全身を包む鮮やかな紅、――華奢な少女の肢体は今や炎を従え、陽炎のように淡く揺らめく姿で。炎の弾丸が飛び出す勢いで低く駆け、辿り着きざまジャマーの一体に炎を纏わせた刃を抜き打ちする。横腹が、袈裟懸けに切り裂かれた。
「まずは、つかまえやすくです、ね」
「そうね、頑張ろう!」
 シャウラと夏希は互いにオウガメタルに呼びかける。――具現化するのは、絶望の黒。鮮やかな太陽に比べて、照射される黒は際立って昏い。これが、彼等がずっと見ていた景色なのだろうか。
 柊がすかさず巨大な光弾を練り上げる。縛霊手から輝く冴え冴えとした光は、全てを絡め取った。不調こそ植え付けられはしない個体もいるが、上々だ。けれど、と油断を見せず柊は告げる。
「あの、…はやくはない、です」
 会心に近い手応えを差し引いても、異様な回避能力を持っている敵はいなさそうだと言葉少なに告げる。
 ひとつずつ、実地でしか分からないことを声を掛け合い積み上げる。
「――分かりました、注意して臨みます」
 若雪も頷きを落して、愛刀を片手に敵陣へと切り込んでいく。踏み込んで薙ぎ払う、その白刃に舞うは桜吹雪。幻惑の桜が世界を覆うその瞬に笙月が目を細める。
「さぁ、哀れなローカストに慈悲を」
 鉄扇の先端は、艶めく唇を微かに覆うその姿だけを見れば、しなやかな腕の動きに袂が揺れて綺麗な立ち姿は芯を通したように鮮やかな静止。舞が始まるその一手前のような艶やかさで、――けれど、その藍が見据えるは飢餓に苦しむ異形達だ。
「唸れ! 地龍よ…解き放て!!」
 束の間の静謐を裂帛の気勢が破る。螺旋の力は笙月の中を巡って、地脈に突き立てられる。途端、衝撃波は地を揺るがし敵へと襲い掛かるその様は、見えぬ爪が地面ごとを抉り抜いたかの如く。
 異形達は体を砕かれ、のたうち回る。だが、戦意の喪失は見られない。
「――防衛本能すら打ち砕く、食への欲求。確かに、狂気ね」
 アリサが紡ぐ通り、彼等は完全に歪み、狂っていた。生きる為に食べるのか、食べる為に、食べるのか。
 絶望に満たされた戦いは、終わらない。

●落陽に寄せて
 冥府の深層より至る冷えた空気が、シャウラの手に纏わりつく。
「おねがい、ね」
 オライオンが先んじて飛びかかり、顔を引っ掻く後ろからシャウラはきんと冷えた指先で触れていく。その氷結が形を成したと知るや、笙月が鉄扇を鋭く閃かせジグザグに切り裂き傷を広げる。
 戦いは長期戦の様相を呈していく。刃を振り翳し、一気に襲ってくる四体を、若雪と沙葉が文字通り盾として食い止めに回る。
 特に、ジャマーからの集中攻撃を受けてもいる沙葉の傷は濃い。紙一重で笙月を庇い殆ど無意識に振るった槍で、異形の中心を貫き一体を仕留めるものの、背中はずぶりと刃に刺し貫かれ、喉から鮮血が溢れ出た。
 細い膝が折れかける、一瞬、意識が途切れた気さえした。けれど、彼女を駆り立てる想いは、肉体の損傷すら凌駕していく。
「最後の一体を撃破するまで倒れるつもりはない…!」
 奮い立つ満身創痍の身体をアリサが癒していく。傷の深さに眉が揺れるのは、少しの間。本格的な治療が必要だと、術式を展開する。慣れた手捌きは、切開を伴う手術の行使――医者たる故に持つ、人を活かす力で。
「あたしの目の黒いうちはやらせないわよ……って、元々黒くないけど」
 灰の眸を間近に寄せて、沙葉に向け軽口を叩くのは医者が患者にそうするような柔らかさで。
 隙を突くように牙を剥き出しにする一体を、若雪が自ら腕を差し伸べ喰らわせることでさらなる致命を防ぐ。噛まれた場所から黒い液体が滴り、彼の肌を薄く石が覆っていくとしても毅然と前は見据えた侭。
「重ねるも添えるも、必ず致しましょう。――着実に、削れはしています。勝機は、直ぐに」
 其の侭動かぬ腕を引き抜こうとした矢先に、メリーナが鎖に絡む十字の白花を高く掲げる。
「私たちの大地に、幸いを祈ります」
 囁き声は地を渡る風のように遠く近く響く。広がる白の花は黄金の果実を宿し、聖なる光は不調を包み込み癒していく、その清らかさ。
 若雪の腕が動き、雷の霊力を帯びた武器を万全に扱うことが叶った。その速さは神速の如く、ローカストの装甲を剥ぎ取り、契機を切り開く。
「我が声に応えて来たれ破壊の王 闇裂き出ずる光の竜 天より下る輝ける鉄槌 我が剣に宿りて 裂いて喰らいて暴れて狂え!!」
 雷が、更に爆ぜる。夏希は真っ直ぐ背筋を伸ばして、正眼に構える。構えた剣に光の竜の如く雷が降り、若雪のそれと重なり光輝を増す。躊躇わない、真正面の太刀筋。
 腹を大きく刺し貫くと、火花が弾け雷が轟いた。内側から食い尽くす程の熱量に耐えられず更に一体が四散する。
 戦場の、流れが変わる。
「…えっと、もう、行きます。行け、ます」
 着実に不調を重ねることに専念していた柊が、大きな両翼を広げる。見果てぬ白、果ての無い青。
 阻止しようとでもいうのか飛びかかる虫の動きは速く、鋭い足が柊の腹に食い込み皮膚を破る。それでも、彼は踵と腹に力を入れて、下がらない。茶の眸は涙を湛えて揺れ、痛い、と弱音みたいに声は零れる。目の前の虫の顔は、怖くない訳なんてなくても。
 殊更に、翼を差し伸ばす。光は、彼の意志を映して何処までも真っ直ぐ立ち向かう。敵を縛る不調を拡大させ、仲間を傷つける手を止めるように。
 ジャマーを縛ってしまえば、数に劣る虫達は次第に劣勢へと追い込まれていく。癒しと盾の厚さは長期戦を生むが、同時に持久を助ける手を取れるのだ。
「<其は昏き場所><其は静寂なる場所><凍れる大地に命は無く><凍った時間は動かない><氷の国に、生ける者は踏み込むべからず>」
 祈りの形に、シャウラは静かに指を組む。口にするだけで冷える心地のする古き詩。全身を楽器のように、喉から溢れた音はただの歌ではなく、世界にすら干渉する。
 魂まで凍り付きそうな底冷えの中心で、身体ごと凍り付かせた一体が弾けて割れ消え、辛うじて命を繋いだ一体に柊が囁く。
「…最期の日に、あなたは誰を想いますか…?」
 淡く光を放ち魔導書の頁は勝手に揺れる、捲れる、終わりの時まで早回しに。最後のひとひらに記された古代文字は、真白のひかり。差し伸べる手に宿って、終焉の矢を番える。
 放つ瞬間に顔を上げるのは、見送る為。――その、最期まで。
 気づけば、残っているのはもう二体だけだった。絶望の状況でも自らを癒すことはせず、鎌が若雪を揃って切り刻もうとする。だが、その傷は片端からアリサが癒していく。指先は手早く動き、適切な治療を。癒しの様子を窺っていたメリーナに、頷いて見せた。
「大丈夫よ、――行って」
 はい、とメリーナは微笑む。悲しみと苦しみとその全てに向かい合って、胸に手を当てる。敵に向き直り、色を知りたがる。
「ながむ世にちる、花がちる。せめてその散り際は、鮮烈に」
 発声に慣れた響きは朗々と、映し出すは咲き誇る花々のゆめまぼろし。包み壊れて、散る儚くも美しい花弁のありようを、妨げず際立させるのは若雪の軌跡。
「――咲き誇れ」
 凍り付き弾けていく鮮やかな瞬に、花は咲く。閃く刃の作る傷の痕に、尚馨しく優しく、美しく。幻惑と氷結。
「どうか安らかに…お休みなさい」
 命終わるその時だけが、飢餓に狂った異形の眼差しが鎮まる時。
「おいで…私の可愛い相棒」
 虫達の終焉に笙月が呼ばわるのは、三位一体のオウガメタルだ。花開くように腕が差し伸べられると、心得た様子で銀は彼に纏わりつく。不定形のその姿は、銀の彩なす羽衣の如く。音を立てず、静謐を縫う舞のひとさしに似た姿は落陽に映える。
 潰える命に送る、最期の舞のよう。
 銀が閃いたその先に、残った一体は首から袈裟懸けに切り裂かれ――命を終えていた。

 夕暮れの中、シャウラは木々を確かめて癒していく。傷を負ったもの、薙ぎ倒されたもの。全て、愛しい命だ。
 守るべきものは、多く。その為に失うものも、また多い。
 柊は泥だらけの指先を強く握り締め簡易の墓前へと立っていた。手向けの花、冥福の祈り。
「恨みっこなしの生存戦争…ううん、恨んでも良いよ」
 それでも、と夏希はあくまで凛と顔を上げる。起こる全てを受け止めて、その恨みすら向き合って、守ると決めた強い決意を宿して。
「破れかぶれの行軍を、いつまで続ける気か…」
 その寂しさ、寒々しさに若雪は目を伏せる。そうして、呟く音は。
「愚神の暴虐――早く、止めねば」
 この地獄に、終わりを。
「調査を、行わねばならないな」
 止める為に沙葉には行いたい案もあった。柊も、また頷く。
「は、はい。えっと、……帰ったら、調査、ですね」
 この場で出来ることには限りがある。ならば、自分達の手で掴み取るしかない。

 沈みゆく夕日、一面のあかいろ。
 太陽の行く末は、彼等に委ねられている。
「――私たちの未来に祝福あれ」
 メリーナの囁きは、暮れる世界に響いて。

作者:螺子式銃 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2016年10月31日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 4/感動した 0/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 1
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