風に手向ける花ひとつ

作者:螺子式銃

●海に咲く
 深夜に響くのは波の音。
 月の光もささやかな空と、切り立った崖。そして、広大なる海が眼下に広がる、その場所で。
 寄せては返す水の響き――そして、足音が加わった。
 静謐を乱さぬようにか静かに崖の淵まで歩いてくるのは、黒衣を纏った青年だ。温和そうな印象のある男は、金木犀を一枝手にしている。
「――お盆に還り損ねた死者は、此処に迷っていると聞いたから。
 花を贈れば、還れるのか?」
 哀惜を微かに浮かべた表情で、青年は花を差し出す。見送りの儀式として。
「そこにいるのなら花を受け取ってくれ」
 虚空に探すよう視線を彷徨わせた青年が行き会ったのは、死者ではなく――魔女だった。
 第五の魔女・アウゲイアスは、手にした鍵を青年の胸に真っ直ぐ、突き刺して。
「私のモザイクは晴れないけれど、あなたの『興味』にとても興味があります」
 驚いたような表情のまま、崩れ落ちた青年。それを一瞥もせず、魔女はあっさりと踵を返す。
 魔女によって生み出されたドリームイーターは、純白のドレスに無数の花を散らしたうつくしい女性の姿をしている。
 ドリームイータは瞬きを数度、そうして崖から飛び降りる。深い波間に、沈んでいくように。
 波の音と夜に溶けて消えていくその後には、金木犀の枝が取り残された。
 海風は強く、直ぐにその可憐な花は散らされていく――。

●花に風
「お盆は、もう随分と前に過ぎてしまいましたが。――だからこそ、還り損ねて取り残された幽霊の噂があるようです」
 胸に手を当てて柔らかな声音で語るのは、百鬼・澪(澪標・e03871)。
 たおやかなる花の如く微笑む彼女の傍らには、ボクスドラゴンの花嵐が寄り添う。その、身を飾る花に自然と澪の指先は触れた。
「海辺に集う還り損ねた魂を送るには、花を贈るのだそうです。実際に、近しい方が亡くなられた男性が花を贈ろうとして、ドリームイーターに狙われたのが今回の事件となります」
 お盆には霊が縁者の側へと戻り、また死者の国へとお盆の終わりに還るとされている。
 だから盆を過ぎても還り損ねた魂を見送る機会に、花を贈る。哀しくも聞こえるが、ひとつの区切りをつける契機になっていたのかもしれない。西洋では鎮魂の由来もあるハロウィンが近いとなれば、尚更そのような噂は広がりやすいだろう。
 だが、それはドリームイーターの狙う『興味』だったのだ。
 魔女は姿を消し、『興味』を元に現実化したドリームイーターは次なる事件を起こそうと現場に潜んでいる。
 けれど、と澪はトワイライト・トロイメライ(黄昏を往くヘリオライダー・en0204)を見る。
「興味を奪われた方は、お目覚めになる可能性がありますか?」
「勿論、ドリームイーターを倒せば助かるとも」
 肯定を返されて微笑む澪から、トワイライトは話を引き継ぐ。
「澪君の調査のお陰で、現場は特定出来ている。新しい被害が生まれる前に、そしてドリームイータに襲われた被害者を助ける為に、早急に撃破をしてほしい」
 そして、詳細について説明を始めた。
「ドリームイーターはその存在を信じられたり、噂している相手には引き寄せられるという性質がある。
 今回で言えば、幽霊を想って花を手向ける。――現場である、海に続く崖でね。
 何しろ、相手は断崖絶壁の先である海に潜んでいる。呼び出さなければ、戦闘に持ち込むのは難しそうだ」
 ドリームイーターを誘き出す鍵は、『幽霊』に『花を贈る』こと。
 具体的には、『幽霊』を想定して、その相手に手渡すつもりで海に花を投げる必要がある。花の種類や量は問わない。また、『幽霊』も自分が幽霊になっていると思う存在なら、種族は問わない。
 また、ドリームイーターは姿を現した時、『自分が何者であるか問う』真似をして、正しく対応できなければ殺してしまうという性質を持ち、逆に正しく答えられれば襲わないとのことだが、どちらにしても戦闘を行う必要があるので正答の有無は戦闘には影響しないだろう。
 このドリームイーターは搦め手に長けており、トラウマや催眠、そして氷を操ったりするようだ。
「――還るのを、お手伝いするのね。ドリームイーターが見せる幻は偽物だけれど、送る心は本物だって問題ない筈だわ。私も、お花を持って行こうかしら」
 鳴咲・恋歌(暁に耳を澄ます・en0220)が、いつもより少し静かに頷いて立ち上がる。
「ドリームイーターは本当に様々なことに手を出してくれるものだ。
 だが、『興味』に込められた思いを、君達なら守ってくれると信じている。
 どうか気をつけて、――いってらっしゃい」
 トワイライトはいつも通り、皆を一人ずつ見遣って穏やかに笑う。


参加者
ティアン・バ(さいはてソロゥ・e00040)
蛇荷・カイリ(あの星に届くまで・e00608)
尼崎・結奈(硝子の茨・e01168)
百鬼・澪(澪標・e03871)
イルヴァ・セリアン(あけいろの葬雪花・e04389)
ルイン・カオスドロップ(我が身は主の無聊を癒す為に・e05195)
天野・司(不灯走馬燈・e11511)
ファニー・ジャックリング(のこり火・e14511)

■リプレイ

●花贈り
 これはとある秋の夜。
 花を贈り人を送る物語。

「…この噂が真実だったら、心残りがある人は、花で送ってもらうことができたのかしら」
 尼崎・結奈(硝子の茨・e01168)が呟く声は、何処か淡い。纏うは艶やかな黒、咲かせる花も翼も黒の立ち姿は、まるで存在そのものが葬送の色に沈むようでありながらも鮮やかで。
 抜けるような白い指先から放たれるのは、同じくらい白い薔薇。
 受け取る少女が髪に抱いた花と同じだった。
 三枚の翼もまた白く、結奈と鏡写しの眸は宵の空。花を胸に抱くその姿は――紛い物、その筈だった。
「死んでみないと、わからないわ」
 死した人々が本当は何処にいるかなんて。
 ただ、彼女は生きる、生き続ける。皆が逝って、彼女が生きているのだから。
 人々を守り、生きることこそを己に課しているのだから。
「……その後は、」
 命を終えた後のことは。
 消えゆく幻と目が合う。優しく、柔らかく微笑む表情のまま消えていく少女を見送って、結奈は首を振る。
 わからない、その先のことなんて。

 ルイン・カオスドロップ(我が身は主の無聊を癒す為に・e05195)は、鮮やかに咲き誇る向日葵を海へと手向ける。
 白く細い手が、それを受け取りに伸ばされた。掲げるよう抱くのは、栗色の髪の女性。
 ルインとどこか似た面影を宿す彼女を見た時にも、――その後ろに無数の人影が浮かび上がった時にも、ルインは笑った。
「良かった。ちゃんと覚えてて」
 もう、手元には写真も無い。彼等の顔は世界のどこにも残っていなくて、もしかしたら、ルインの記憶だけが最後のひとかけらなのかもしれない。
 その数は数十を余裕で越えて、入れ代わり立ち代わり消えていく。
 ルインを見て手を振ったり笑ったり、頭を下げたり。
 共通しているのは、誰一人悲嘆にくれず、誇らしげな面持ちであることだった。
 それは誇らしい出来事だった。
 それは素晴らしい出来事だった。
「姿だけとは言え、会えるのは嬉しいっすね」
 ルインの面差しもまた、誇らしげな――狂信者の色を宿して。

 ウラギクの花が舞う。淡く儚い、紫紅。
 天野・司(不灯走馬燈・e11511)が目を凝らしても受け止める姿は確かならず。
「……何一つ、見えやしない」
 家族、友人、関わってきた誰か。見えない、分からない。
 それも、その筈だった。覚えてはいないのだから。
 なにひとつ。
 だれひとつ。
 花を投げた司の手が、おぼろげな影を追いたがって伸ばされると、向こうからも白い手が向けられる。
 その指はけして重ならない距離。
 曖昧なまま、どんな表情を浮かべているかすらわからずに消えていく。
「俺を育ててくれた人も、言葉も、景色も…確かに、あった筈なのに…!」
 悲痛な叫びは喉に籠って、司は膝から崩れるように崖の際へと腰を下ろす。海は暗く、胸は軋んだ。
 過去を忘却した故に、現在は不確かで。
 ならば、未来に今を、友を、皆を――覚えていられるのだろうか?
 己を抱き締めるよう震える腕が肩を掴んで、膝に顔を埋める。
 嗚咽が、波音に混ざった。

 儚燈がゆらゆらとティアン・バ(さいはてソロゥ・e00040)の横顔を照らす。
 小さな手に持っているのは、南国の名残を咲かせる花ひとつ。
 確かに受け止めるのは幻影の男。
 それは、何もかも包み込んでくれるような太い腕。
 それは何もかも守ってくれるような温かな掌。
 海は思い出を想起する。
 腕、掌、背中、それから、それから?
「――、…」
 ティアンの唇が、小さく動く。確かに知っているのに、喉の奥で息が詰まる。音はどれだけ待っても生まれない。
 夢の中なら、呼べるのかもしれないけれど。
 ひゅうひゅうと乾いた空気が、宛てもなく喉から零れるだけで空になった手が喉に触れた。
 俯きがちの眼差しはけしてその顔を見ない。だから、どんな表情は分からないけれど。
 大きな掌に余るような花を両の手で包む所作は、見えた。
 泣きそうに揺れた灰の眸が微かに緩んで、砂漠で水を見つけたように安堵の息が零れる。
 海風が吹くと、髪は遠くたなびいた。おくりびの、よう。

「こんな所で、本当に死人に会えんのかね」
 ファニー・ジャックリング(のこり火・e14511)が両手で放ったヘリクリサムの花が数本、ぱらぱらと海に向かって落ちていく。
 一見は不愛想にも見えるその面差し、けれど切れ長の眸は何かを探すように海を彷徨う。
 そして、その眸は直ぐに大きく瞠られた。
 整えていないぼさぼさの金の髪も、こちらを見つけたら柔らかく人懐こそうに緩む青色の眸も。その、無精髭すらも。
 見慣れたロングコートに収まる体躯は、記憶に焼き付く侭の姿。
 追い続け、辿り続けたそのひとの、幻。
 銜えた煙草から漂う煙の匂いすら、鼻先に香ってきそうだった。
 いつか彼女に伸ばされた手が、今は片手で気安く花を掴み上げて――直ぐに、揺らぐ。
 唇は、少し開くけれど言葉は零れない。
 息すら詰めて、その微かな邂逅を追う眼差しは軋むように切なげに。
 消えていく、消えていく。
 昏い海に飲み込まれるようにその姿が褪せて行けば、後は波が鳴るばかり。
 
 真白の花が、海に落ちる様は雪のよう。
「おとうさん、おかあさん」
 イルヴァ・セリアン(あけいろの葬雪花・e04389)が呼ばわる音の響きはしんと深く、同時にどこかいとけなく。
 あのね、大切な人がたくさんできたよ。
 あのね、命のめぐりを教わったよ。
 イルヴァの眸は、揺れる水面と寄り添う二人の姿を見ている。
 帰ってこなくなった。帰ってくると思っていた。
 帰らぬと分かって刃を取った。
 彼等の影を追い、彼等の願う光を探して。
 けれど、けれど。
「ほんとうは、わかっていたんです」
 ひと時の不在は、永遠の不帰路だと。
 未だ胸は痛む、未だ恋しく、未だ愛しい。
 イルヴァは真っ直ぐ、顔を上げる。紅玉の眸は逸らさず強く、全てを受け止める瑞々しい決意を宿していた。
 幽霊達は、微笑む。彼女の姿を愛おしげに、見守って。
 苦しいことなど何処にももう、無いように。
 良かった、とイルヴァも笑う。彼等に何処か似た顔で。
 お別れは、しあわせな顔がいい。

 幾つも、幾つも花が舞う。
 百鬼・澪(澪標・e03871)尊いもののようその光景へと見入る。
「死した人を見送るのは、今命ある者の務めと、――彼も、そう思ったのでしょうか。だからこそ、返して頂きましょう」
「迷わずに、安らかに……想い人が皆静かに、帰れるように、ね」
 寄り添うように傍らに立つ、蛇荷・カイリ(あの星に届くまで・e00608)と二人、たおやかにあるいは鮮やかにそれぞれに装いの違う彼女らこそが匂い立つ花の如く。
 澪は、幾つもの花束を。
 小さくもそれぞれに違う花束達は、先に逝った友達へ。
 カイリは、紅い菊を。
 遠き日に亡くした祖母に、祖父の思いを託した花言葉。
「……ふふ、お爺ちゃん無口だからねぇ」
 浮かび上がる老女は、まるで幼い少女のように初々しく頬を染めて花を胸に掻き抱く。
「カイリさんはお祖母様へ、ですか?」
 カイリがうん、と頷けば澪は胸に手を当てて微笑む。
「きっと昔も今もずっと、傍で見守ってくれていますよ……大切な、孫娘ですもの」
「うん、――見えないけど。確かに、感じるから」
 添えてくれる言葉の柔らかさが嬉しくてカイリは大事にもう一度頷く。
「澪ちゃんはお友達に、かぁ」
 今度は、澪が頷く番だ。
「澪ちゃんみたいな優しい子が願ってるんだもの、きっと安らかにって、祈りは届くと想うわ」
「――ありがとう」
 ふわりと花咲くように澪は微笑む。
 澪の目には花束を受け取る幾人もの姿が見える。
 五人の子供達が、お互いが貰った花を自慢するよう無邪気に抱えて消えていく中、ひとりぶっきらぼうに向日葵を掴んで目を逸らす。
 照れ隠しの癖だなんて当たり前に覚えていた。
 たおやかな中に、揺るがない強さを込めて。ずっと、見つめている。
「取り戻すことはできなくても、いつか必ず」
 その横顔をカイリは見て、強く掌を拳に握る。
(……こんな私でも、少しでも澪ちゃんを友達として支えてあげられるように……もっと、もっと、頑張らなきゃ)
 其処にあるのもまた、強い決意。

●人送り
 風に乗って花が散る、海に向かって花が落ちる。
 呼応するよう、海が鳴った。
「――お出ましだな」
 余韻は淡く、ファニーが暗赤色の銃を取り出せば自然と表情が引き締まる。番犬達は灯りを燈し、敵襲に備える。
 ごうごうと鳴るのは、波の音、人の声。
「私は、だあれ?」
 問いにティアンは口を開くけれど、声を忘れたように閉じてしまう。答えない、応えられない。
 結界を巡らせながら進み出るのは、イルヴァ。いつもの強さ、いつものひたむきさで。
「あなたは夢を糧に命を奪うもの」 
 告げる声にようやっと海より現れ出たのは、純白のドレスを纏ったドリームイーター。
 視線が交わる。けして、相容れぬ夢喰いと――打ち倒す者達の。
「おいで、おいで」
 手を差し伸べる。
 苛むのは、耳に響く音。身体の底から冷やされるような。
 後衛を襲う攻撃は鋭く、ルインを守る位置に司が駆け出して滑り込む。一瞬、歯の根が合わぬほどの寒さが襲う。この寒さ、この冷たさは。
 孤独に、似ている。
 怯えの色が束の間その面差しに浮かぶけれど、無色の炎を宿した指は躊躇わず先へ。
 記憶の底から抉り出す、巻き戻して思い起こさせる。異形の女が炎に触れた時、嫌がるように首を振るのを確かに見た。
「守りに来たの、返してもらうわ」
 肌が、髪が、冷え切っていく。結奈は表情を変えずに敵を見据え、指揮するように指を揺らすと身体に纏った黒から槍が突き出て鋭く異形を抉っていく。
 ナハバール――隣人と彼女が呼ぶ、その願い、その誓いは何よりも強く。
「――お守りします」
 花嵐にはファニーを守らせ、澪も恋歌を庇って前へ。ひどく寒い、震えそうになる息を笑みに隠すと、カイリが肩を寄せて体温を分け与えるように笑う。
「終わったらあったかいの、飲みたいねぇ」
「熱燗、美味しい季節ですよね」
 触れる箇所から、灯る熱。
 軽口を告げる次の瞬には、カイリは自然体でふらりと木刀片手に戦陣へ躍り出る。目にも止まらぬ突きが異形の喉を穿っていた。
「ティアンは、うしろからいく」
 ティアンが差し伸べた君影草は白く、鈴なる花は歌うように黄金を散らす。なら、と澪が頷いて雷鳴の力を前へと伝えていく。恋歌の支援も重なり、傷は少しずつ癒えて。
「aC--$i-&'---o*w**khl-#N----!!!!!」
 文字にならぬ音、声にならぬ響き。涼しげな表情のルインは、その存在を知らしめることこそ誇らしいとばかり、吠える。神の祝福を。
 常人には直視も出来ぬその威容は、狂気と昂揚を齎してくれる。
 支援を受けて、イルヴァはぶん、とハンマーを振り翳す。全くもって重く巨大な武器なのだが、操る本人は如何にもやる気で、踏み込みと共に真横から叩きつける!
 ぐら、と傾いだその姿にファニーは迷わず銃を突きつける。塵旋風の威を辿り、真正面からすらりと立つ姿、瞼の裏に翻るコートの代わり、迷彩のジャケットがその背を飾る。
 愚直なまでの真っ向勝負、だから届かせるのは小細工ではなく本人の技量だけ。
 銃弾は標的の肩を捉え、銃声は己の心を貫く。
 届いても、届いても、その先へ。

●海に寄せて
 吹雪がごうごうと吹き荒れる。一際尖った氷柱がイルヴァを襲おうとすると、司が咄嗟、声を張り上げた。
「俺が行く!」
 真っ先に動けた故に、少女の胸が貫かれることはないが代わりに肩が冷えた苦痛を響かせる。そこに、澪が手を翳して。
「誰も、手折らせなどしません―花車、賦活」
 吹き散らす嵐をこの手で留めるように真白の電流は傷を癒していく。その後ろから、結奈の操る黒い影とファニーの銃弾が異形を喰らい、抉る。
 庇いと狙撃、更に海音が誘うとやんわりと遮るようルインが薬液の雨がを降らせる。
 敵の性質故に積み重なる不調は、ルインを主軸に癒していく為大事には至らない。ティアンが生み出す黄金の光も立ち位置を活かして有効手を取り、庇い手達の元、遠と近を兼ね備えた高い火力は危なげなく事態を進めていた。
 それでも夢喰いは、心の隙に潜り込む。
 ティアンにだけ見える太い腕は強く、体を抱きすくめられる。何も見えない程、息すら途絶える程に強いのに、振り払う気にはなれなかった。
「さ、もう少しっすよ!」
 その姿を知ってか知らずか、あくまで明るくルインの声が響く。オーラが大きく膨れ上がり、ティアンを包んでいくその瞬、明け方の夢を見たような顔でティアンが瞬き、――解けるように無邪気に笑う。
 ふふ、と細い腕を自ら差し伸ばして異形へと絡みつく。まるで、死にたがるみたいに。
 明け方の夢は、喪失をあまりにも強く刻むから。
 異形もまたそれを愛でるように触れる、束の間の拘束。契機、と結奈とファニーが目線だけで合図をする。
「そろそろ、お終いにするよ」
 巨大なガトリングガンをファニーが構え、先駆けとばかり無数の弾丸をばらまく。暴風の如く吹き荒れる弾幕はしかし、味方の進路を妨げぬ技量でコントロールされており。
「さぁ、貴方はあなたの行く場所に帰りなさい」
 詠唱を結奈が口遊めば、真実と虚構は翻る。降り注ぐのは、氷の雨。輝くのは、幻の月。 終わりと始まり、破壊と再生は繰り返し繰り返し、敵を苛む威と化して。 
 縛られた異形に注ぐ攻撃は半ばを削り、だがまだ諦めず海の音は鳴る。寄せては返し、引き込もうとするその白い腕。
 攻撃手に降り注ぐ筈の衝撃波に背を切り裂かれたのは、司だった。カイリを庇い真っ直ぐと異形を見据える。
「後、すこしだ。――頼む」
 告げて己は先駆けのよう夜空の如く星々を煌めかせたオウガメタルを纏い、装甲を打ち破る。
 カイリが頷いて振り返った先、イルヴァの目は大きく瞠られている。彼女を苛むのはきっと、残酷な事実。失われたものが、帰ってこない。ただ、それだけの。
 けれど、その背に添える掌がある。澪が降らせるのは、優しい雨。苦痛を癒し、トラウマを振り払っていくのは容易いと分かっていた。イルヴァはけして、負けやしない。
「――頑張りましょう」
 微笑みはいつも、皆を見て。この哀しみと戦っていく為に。
「――凍て尽くすは闇をこそ。謳い奏でるは冬をこそ。静夜の氷聲、天極の終響。吹き荒び、奪い尽せ!」
 イルヴァが謳うはまじない唄の一説。張り詰めた冬の空、静止の瞬は僅か、無音の空間に氷雪が吹き荒れる。
 学んだ暗殺の術は、今――誰かと共に、前に進む為に使われていく。
 氷は、雪は、けして己を傷つけやしないのだ。カイリはそう、信じているし分かっている。
「我が腕に宿るは双頭の煌龍ッ!その魂全てをッ、喰らいッ、尽くせぇッ!」
 だから吹き荒れる凍てつく空間で、木刀を強く空に掲げる。輝く竜が風雪を照らしながらその手へと降りていく。
 作る構えは、正眼。
 息を吸い、吐く瞬間には最後の一歩を踏み込んで。
 それもまた嵐の如くしなやかな腕が木刀を繰り、最後は氷雪を纏いながら横凪ぎに切り払った。
「――…て、おいで」
 最後まで誘う弱い声を、耳鳴りのように残して夢喰いは消えていく。

●花に風
「――目を覚ましたようね」
 夢の終わりと共に、青年も目を覚ます。結奈は人知れず、小さな息を吐いた。彼女に課した、守ること。それは、今日も叶ったのだ。
「なんだかすっきりした顔、してるわん」
「さようなら、どうか、道中気をつけて」
 満足そうに笑うカイリと共に見送る澪の眸は柔らかに伏せられる。声にならない唇が、有難うを紡ぐ。ひと時の夢に寄せて。
「戻るっすか!」
 元気よく声を上げるルインは、常と変わらない。何処までも明るく、己が神を心に抱いて。
 イルヴァもまた、歩き出す。最後に、一回だけ水面を見遣る時は、問うみたいに確かめるみたいにしてから。
 強く、なれただろうか。ふたりに、負けないくらい。
 海を見ているのは、ティアンもまた。
 かつて溺れようとした場所に向き合って。
 追っても、泣いても駄目なのだと。
「わらって、みおくらなくちゃ」
 きちんと声にしたのに、さみしい、と響いた。
「……音が、まだ残ってるみたいだな」
 耳鳴りが僅かに残る気がして、司が耳を抑えた。確かな形にはなってくれないのに、寂寥と郷愁を誘うような響きは海の所為だろうか。
 愛銃の具合を確かめ一撫でして腰に収めたファニーも、少し不思議そうに瞬いて顔を上げる。とはいえ、異変は察知できない。
 これはただの残滓だろうと結論付ければ、皆は踵を返す。もう、花送りは終わったのだ。
 彼等は彼等の、道を進む。足掻きながら生きる、この世界で。

 夢喰いの最後の声は、或いは海鳴りに、或いは誰かの囁きに聞こえたかもしれず。
 それは夢喰いの幻、もしくは海の見せる声。

 おいで、おいで。
 どうぞ、どうか、ゆっくりおいで。

 異形に立ち向かい、人を守るケルベロス達の生き様はあまりにも眩しく、あまりにも疾く。
 生など一瞬で駆け抜けてしまいそうな、その煌めきを宿すからこそ。
 海の境目を越えてやがて命を終えることこそが定めならば、どうぞなるべく、どうかゆっくり。
 彼岸に辿り着く時まで急いで駆けてしまわぬよう。

 遅れておいでと、海は鳴る。
 

作者:螺子式銃 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2016年11月13日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 8/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 1
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