妖火灯る宵祭

作者:朱乃天

 太陽が西へと傾き沈んでいくと、青く澄み渡った秋空に、華やかな赤が入り混じる。
 やがて空一面が茜色に染まる頃。街の中から祭囃子の賑やかな音色が聞こえ始めて、提灯の明かりが神社にぼんやり灯される。
 提灯の明かりに囲まれながら、その中心に浮かび上がるのは――。狐顔の化粧を施した、白無垢姿の花嫁さんだ。
 今宵行われるのは狐の嫁入り祭り。契りを結ぶ一組の男女が狐に扮して、お供を従え行列を成して街中を練り歩く。
 この日は参加者も見物客も、皆が狐の化粧をして花嫁達を祝福する習わしである。
 祭りを楽しむ人々の声が満ちる中、時折囁かれるのは祭りに関する噂話だ。
 ――嫁入り行列からはぐれると、おきつね様に浚われて、狐の世界に連れていかれるよ。
 噂はあくまで噂でしかないが、それでも興味を抱かせるには十分な話かもしれない。
「狐の世界なんて本当にあるのかな? でも、あるんだったら行ってみたいよね」
 行列に参加予定の一人の少女が、込み上げる好奇心を抑えきれなくなって、隙を見ながら出発前の行列をこっそり抜け出した。
 少女が足を向けたのは、神社の裏手にある雑木林だ。そこの小路を抜けた先には、小さな古い祠が祀られている。おきつね様が現れるなら、きっとそこに違いない。
 期待に胸を膨らませながら少女が進んでいくと――どこからともなく声がした。
「私のモザイクは晴れないけれど、あなたの『興味』にとても興味があります」
 第五の魔女・アウゲイアスが少女の胸に大きな鍵を突き刺して。少女は意識を失いその場に崩れ落ちていく。
 少女から奪った興味は、黒い毛並みの狐の形を成して、雑木林の中を跳ね回るのだった。

 不思議な物事に強い興味を持った人々が、ドリームイーターに襲われ興味を奪われる。
 玖堂・シュリ(紅鉄のヘリオライダー・en0079)の口から告げられるのは、そうした事件の予知である。
「狐の嫁入り祭りなら、ドリームイーターに狙われそうな噂があってもおかしくないか」
 御堂・蓮(刃風の蔭鬼・e16724)のそうした懸念は、現実のモノとなってしまう。
「うん。だからキミ達に、敵を倒してきてほしいんだ」
 蓮の言葉にシュリは頷きながら、事件の詳細を説明する。
 現場となるのは、狐の嫁入り祭りが行なわれる神社の中だ。社殿の裏手にある雑木林の手前辺りに、被害者の少女が倒れ込んでいる。
 少女はドリームイーターを撃破すれば目を覚ますので、最低限の対応だけで十分だろう。
「奪われた興味は、黒い狐の姿をしているんだ。雑木林の奥に小さな祠があって、その周辺を跳ね回っているみたいだよ」 
 敵は自分の存在を信じていたり、自分の噂話をしている者がいると引き寄せられる性質を持つ。戦う際は、その点を利用して誘き出せば良いだろう。
「戦いが無事に済めば、祭りの方も何事もなく行われるよ。もし良かったら、ゆっくり楽しんでいったらどうかな?」
 説明を終えたシュリが、一つの提案をする。
 ――狐火を模した提灯が宵闇の中で揺らめいて。狐の花嫁がお供を引き連れながら静かに歩き進む光景は、お伽話の世界の中に迷い込んだと思えるほどに幻想的で。
 到着地である広場には篝火が燃え盛り、荘厳とした雰囲気の中で婚礼の儀が交わされる。
「何だかすごく素敵なお祭りみたいだねっ。折角だから見ていこうよ!」
 猫宮・ルーチェ(ウェアライダーの降魔拳士・en0012) が祭りの話を聞きながら、闇夜に灯る幽美な提灯行列に思いを馳せる。
 深まる秋の気配を感じつつ、日常から少し離れて一夜限りの夢の世界に酔い痴れよう。


参加者
鈴代・瞳李(司獅子・e01586)
藤原・雅(無色の散華・e01652)
アッシュ・ホールデン(無音・e03495)
霖道・裁一(残機数無限で警備する羽サバト・e04479)
鈴木・犬太郎(超人・e05685)
八月朔日・頃子(愛喰らい・e09990)
御堂・蓮(刃風の蔭鬼・e16724)
香良洲・釧(望蜀・e26639)

■リプレイ


 西へ落ちゆく太陽が赤く広がって、 暮れ泥む空に鴉の影が羽ばたいていく。
 宵の訪れを告げる鳴き声と共に聞こえてきたのは、祭囃子に合わせて燥ぐ人々の声。
 今夜は新たな夫婦の門出を祝う、狐の嫁入り祭りの日。神社の境内に集った人々が、今や遅しと祭りの開始を待ち焦がれている。
 しかし祝福ムードに包まれた裏側で、夢喰い共が人々の幸せを奪おうと蠢いていた。
 一人の少女の興味から産み落とされたのは、迷い子を狐が住まう世界に連れ去る怪異。
 些細な好奇心が悲劇を巻き起こそうとする。そうした事態を食い止めるべく、ケルベロス達は祭り会場へと乗り込んだ。
「狐の嫁入りねぇ……同じ言葉でも色々意味があるもんだな」
 人々が賑わう声を背に、アッシュ・ホールデン(無音・e03495)は納得しながら沁々と呟いた。彼が想像したのは、天気雨として知られる方だろうか。
「ま、楽しみにして準備してきたもんを壊させるわけにもいかねぇしな」
 何れにしても、幸せを祝うべき大事な日に水を差す訳にはいかない。アッシュは乱れた髪を無造作に掻き上げて、敵が潜む雑木林の中へと立ち入っていく。
「これだけ沢山の人がいるなら本物の狐がいそうだな。ぜひとも会ってみたい」
 アッシュの背中を見るように、鈴代・瞳李(司獅子・e01586)が後に続いて小路を進む。少しでも戦い易いようにと周囲を見回して、注意しながら開けた場所へと足を急がせる。
「面白い風習だな、こういう伝統は嫌いではない」
 御堂・蓮(刃風の蔭鬼・e16724)は神社を素通りした際に、垣間見えた祭りの様子に思いを馳せていた。歩みを進める度に、祭囃子が耳から遠退いていく。ここまで来れば人が近付くこともないだろう。後は敵を討つのみだと身構えて、噂のおきつね様を待ち受ける。
「狐の嫁入りか……。天気雨やら、狐火やら、人を惑わすことも多いのだから。狐の世界とやらも強ち存在するのかもしれないな」
 おきつね様の噂話に興味を示すかのように、香良洲・釧(望蜀・e26639)が会話に加わり敵を誘き出すのを試みる。
「おきつね様の世界って、どんなものですかしら。浚われて、その先に一体何があるのでしょう? 気になりますわ。行ってみたいですわ」
 八月朔日・頃子(愛喰らい・e09990)も噂話に心躍らせながら、無邪気に声を弾ませる。
「狐のウェアライダーなら幾人か見ましたがね~。彼等だけの世界とはまた別なのか、興味ありますね」
 霖道・裁一(残機数無限で警備する羽サバト・e04479)が笑顔を浮かべながら、噂話への興味を口にする。伝承の真偽がどうであれ、想像するだけで好奇心が膨らんでいく。
 暫く留まり会話を続けていると、一帯に風が吹き抜け木々がゆらゆらと騒めき出した。
「……どうやら現れたみたいだね。噂の『おきつね様』とやらが」
 敵の気配を感じ取り、藤原・雅(無色の散華・e01652)の瞳がその姿をはっきり捉える。先程までにこやかに微笑んでいた雅の表情が、一変して真剣な顔付きになる。
 そこにいるのは、黒い毛並みを持つ異形の獣。禍々しい狐の姿をした夢喰いが番犬達と目を合わせると、低い唸り声をあげて舌なめずりをする。
「狐の世界に放り込まれても、いいことなんか無いのにな。祭りを楽しむ人達を、犠牲になんかさせやしない」
 鈴木・犬太郎(超人・e05685)が武器を持つ手に力を篭めて、正対する妖狐を鋭く睨む。
 宵闇迫る祭り会場の裏側で、一つの戦いが人知れず繰り広げられるのだった。


 風を切り裂くように黒い狐が疾駆する。口を開いて唾液を滴らせ、剥き出しになった牙で喰らいかかろうとするが。
「そう簡単にはやらせない。仲間の命は俺が確り守ってみせるさ」
 その前に立ちはだかったのは犬太郎だ。ドラゴンの牙で生成された巨大剣を盾にして、狐の噛みつき攻撃を微動だにせず受け流す。
「悪いですね狐様。俺、お揚げよりもたぬきそばの方が好きなんです」
 裁一が両脚に力を篭めて跳躍し、不敵に笑んで重力を纏った蹴りを叩き込む。着地と同時に裁一は後方に飛び退り、入れ替わるようにアッシュが間合いを詰めて回り込む。
「さて、後は任せな。此処は戦場、綺麗事で生き残れるほど甘かねぇよ」
 瞬時に放たれた斬撃が、おきつね様の腱を断ち斬った。更に塗り込まれた毒が体内を駆け巡り、敵に痺れを及ぼし機動力を封じ込む。
「お伽話から現れたにしては少し野蛮かな。残念だが、在るべき世界に還ってもらおうか」
 瞳李の腕に巻き付いた攻性植物が、触手のように伸びて波打ちながらおきつね様を捕縛する。絡まる蔦がじわじわと締め付け、敵の動きを鈍らせる。
「折角の祭りに水を差す輩には、早々に退散願おうか。祝いの席で無粋な真似はさせない」
 今はまず足止めすることに専念すべきと、蓮は心得て。加速を増した流星の如き蹴りが炸裂し、おきつね様を奥へと押しやっていく。
「いつまでも野に放っておくわけにはいかないからね。手っ取り早く排除させてもらうよ」
 雅が語る言葉には抑揚がなく、人形のような色白の容貌と相俟って、与える印象はどこか無機質さを感じさせる。一寸の無駄もない動作で敵を狙い、霊体と化した斬霊刀を振り抜くと、鮮やかな軌跡を描いて化生の狐を斬り祓う。
「悪しき狐の姿をした夢喰いには、さっさとご退場願おうか」
 全身にオウガメタルを纏った釧が腕を振り上げ、鋼鉄の拳をおきつね様に打ち付ける。鎧の如く強靭な釧の一撃に、敵は脅威を感じて警戒しながら後退りする。
「皆様の怪我は頃子が治してみせますわ!」
 頃子の攻性植物からは癒しを齎す眩い光が溢れ出し、仲間達を聖なる力で包み込む。彼女の隣では、テレビウムの『じょーかー』が勇気を奮い立たせる動画を流してエールを送っていた。
 盤石の態勢で戦いに臨んだケルベロス達に隙はなく、攻撃を緩めることなく手数で押して敵を追い詰めていく。しかし夢喰い狐も、必死に抵抗を見せて食い下がる。
 夢喰いの全身から漆黒の炎が燃え上がり、蓮に目掛けて炎の塊を投げ飛ばす。黒い狐火が纏わり付こうと襲い掛かるが、瞳李が咄嗟に間に割り込み、闘気を帯びた全身で燃え盛る炎を受け止める。
「蓮、空木との絆見せてやれ!」
 自分のことは心配いらないと、瞳李は気丈に振る舞いながら蓮を鼓舞させる。
「……どうも、借りは必ず返します。空木、やるぞ」
 瞳李の言葉に小さく頷いて、蓮が相棒のオルトロスと共に打って出る。古書に宿りし思念を解き放ち、己の霊力を触媒として具現化させていく。
「喰らえ、そして我が刃となれ」
 思念は赤黒い鬼の姿に変貌し、鋭利な爪を振り翳すと風の刃を巻き起こして、夢喰い狐を薙ぎ払う。そこへ空木が駆け寄って、口に咥えた剣で斬り裂き追い討ちを掛ける。
「いつもみたいにモザイクを作るのなら……いつもみたいに退けるだけだよな、俺たちは」
 犬太郎はここが勝負所と判断し、地獄の炎と降魔の力を練り上げ拳に纏わせる。
「一撃だ、俺のたった一撃を全力で完璧にお前にブチ込む」
 全ての力を一点に集束させて、犬太郎が渾身の拳撃で夢喰い狐を激しく殴打する。大一番まで備えておいたとっておきの一撃は、会心の手応えを残して敵を打ち伏せた。
「狐の嫁入りって言うには狐火足りねぇだろ。手伝ってやるから、派手に逝くといい」
 アッシュは深手を負った夢喰い狐を一瞥すると、煉獄を帯びた鋼の拳を繰り出して、抉るように敵の脾腹へ捻じ込んだ。
「地の底、大樹の根、虚の精神。――全て覆い尽くしてしまえ」
 釧が呪文を詠唱すると、掌の中で白い炎が煙霧のように渦巻いた。夢喰い狐に掌を翳して念ずれば、炎が吹き荒れ敵を飲み込んでいく。
 ――灰になると良い。釧が最後にそう言い終えると、炎に灼かれた夢喰い狐は跡形残らず消滅し、忘却の眠りに誘うように――全てを無に還したのだった。


 夢喰いの脅威を退けて、戦いを終えた戦士達。そんな彼等を労うように、祭囃子の軽やかな調べが出迎える。
 ふと足元を見やると影が長く伸びていて、辺りはすっかり茜色の世界に染められていた。
 折角なので祭りでも楽しんでいこうかと、ケルベロス達は人々の活気に導かれるように、会場となる神社にふらりと立ち寄った。
 社殿の前には、狐顔の化粧を施した子供達がいて。彼等が手にした提灯に、仄かな明かりが灯り出す。そして提灯の灯火に照らされて、登場したのは白無垢姿の花嫁だ。
「花嫁さんとっても綺麗だねっ! それにみんな狐顔して、何だか不思議な感じだよっ」
 猫宮・ルーチェ(ウェアライダーの降魔拳士・en0012)が大きな目をクリクリさせて、祭りの開始を待ち侘びる。かく言う彼女も、狐顔の化粧を描いてもらっていた。
「正に初々しき愛の門出でありますね。自分の胸はずっと高鳴ったままでありますよ!」
 バンリもルーチェと同じお狐メイクを施して。狐の仕草を真似して気持ちも盛り上がり。神聖なる儀式の冷厳とした雰囲気に、息を呑む程見入ってしまう。
 提灯の明かりが行列を成して生み出す幻想的な世界。ラグナシセロも狐の化粧をしながら世界の中に入り込んでいた。
「この独特の雰囲気は、真に素晴らしゅうございますね……」
 初めて目にする光景に胸躍らせて、これから花嫁が素敵な人生を歩むようにと、心の中で祝福するのだった。
 嫁入り行列はやがて神社を離れて街へと繰り出していく。狐の化粧をしてもらった雅の顔は、普段の温和な表情に戻っていた。
 雅は一人ベンチに腰掛け、遠ざかる行列を静かに眺めながら物思いに耽る。
「……このような祭事が執り行われているということは、起源を辿ればお狐様もきっといたんじゃないのかな」
 古来から続く摩訶不思議な風習も、遡れば何かしらの由来があるのだろう。夕闇に浮かぶ幻想的な提灯行列は、想像力を一層掻き立てる。
 犬太郎は木に凭れるようにして、神社から去り行く行列を見送った。誰も犠牲者を出さずに、こうして無事に神事が行われたことに安堵の溜め息を吐く。
 それにしても今回のような事件はいつまで続くのか……。夢喰い達と決着を付けるのを待ち望み、犬太郎はその日が訪れることを空に祈った。

 見上げた空は藍色が少しずつ溶け込んで、時の流れが夜へ移ろい変わろうとする。
 時間が経つにつれ、提灯の火はより鮮明に浮かび上がって。まるで本物の狐火と見紛う程の、幻想的な光景が展開されていた。
 リューデとアルベルトは顔に狐の化粧を塗り合って、一際異彩を放つ祭りの空気を満喫中だった。
 周りを見渡せば、擦れ違う人も狐の化粧をしている人ばかり。異界に迷い込んだと錯覚するような、この場にいるとそんな感覚に囚われる。
 顔を見合わせ別人みたいと思ったのも束の間で。ふと目を離した瞬間、噂のお狐様に浚われたかのように、互いの姿を見失ってしまう。
 不安な気持ちを堪えつつ、相方を探すリューデの耳に届いたのは聴き慣れた声。呼びかけたのは、緋色の髪に白い花が特徴的な見覚えのある容姿。
「……もう二度と、はぐれるな」
 心細かったのを誤魔化すように二人は手を取り合い、これ以上離れまいと強く握った。
「ねえ、リューデ。ずっと離れないで隣にいてね?」
 アルベルトが言ったのは、今だけでなく、この先の未来も含んだ意味で。いつまでも一緒にいられるように……繋いだ掌の温もりが、幸せを願う想いを伝え合っていた。

「蓮達も祭を回るなら、狐の化粧をしてもらいに行かないか?」
 折角見物していくならと、瞳李が旅団の仲間達に声を掛けて提案をする。
「化粧……ですか? いや、俺は……蓮水はどうする?」
「滅多にない機会ですので、私はお願いしたいですね」
 蓮は少々気恥ずかしそうに困惑し、同じ年頃の少女に話を振ると。志苑は迷わず即答して蓮の顔を見る。
「郷に入っては郷に従えってな。まずは年長者が手本見せるもんじゃねぇか、トーリ」
 若人達の掛け合いに口元を緩ませながら、アッシュが会話に口を挟めば。一言一句違わず瞳李に意見を返されてしまい、結局全員で仲良く化粧をすることになる。
 狐につままれたとは言い得て妙で、神秘的な婚礼の儀に、志苑は心惹かれて呆然と佇んでいた。
 こういうのが好きなのかと蓮から不意に問われて、戸惑いながら答えを模索するものの。口から漏れるのは僅かな溜め息だけでしかなくて。
 気遣うように聞き返す少年に、少女は何でもありませんと軽く笑みを作って背を向けた。
 そんな二人を愛おしく見守るように、アッシュと瞳李は一夜限りのお伽話の世界を存分に堪能していった。


 提灯行列の狐火が闇夜を漂い、朧気に浮かぶ白無垢姿の花嫁が、艶美な風情を醸し出す。
 嫁入り行列が練り歩くところを一目見たくて、心とひかりが身を乗り出して覗き込む。
「心ー! ほら、きたよ!! きれい!!」
「ふぁ……すっごい……神秘的……です……。ひかりちゃん、しー……!」
 大声で燥ぐひかりに、周りの迷惑だからと心が叱り。二人が静かに行列を眺めていたら花嫁と思いがけず目が合って。少女達を微笑ましく思ったか、花嫁は二人に対して笑顔を向けた。
 普通の結婚式と異なる婚礼の儀に、少女達は憧れを抱いていつかは自分も等と夢を見て。盛り上がる二人を後目に、裁一は平静を装いつつも胸の奥では嫉妬の炎を溜めている。
「いつか、私も……結婚とか……するのかな……」
 心が恥ずかしそうに呟くと、裁一の目の色が一気に変わり、顔を引き攣らせて想像上の夫に嫉妬してしまう。
 そのやり取りにひかりはつい苦笑いして、後で何か食べに行こうよと話を切り替えた。

 歩みに合わせて揺れる提灯と、灯火を受けて白無垢が赤く色付いて。
 綺麗で華やかで幻想的な光景に、アンジュも浮き立つ気分で祭りを楽しんでいた。
 彼女の隣では、頃子が興奮を抑え切れない様子で、食い入るように行列を凝視する。
「一夜の夢は、頃子でも食べられませんわ」
 味があったら、甘美だったろうに。食を愛する少女が独特の感性で例えてみれば。
「一夜限りの儚い夢が、甘いとは限りませんよ?」
 メルキューレが宥めるように声を掛け、代わりにどうぞと狐の形の鼈甲飴を差し出した。
 夢でお腹は膨れない。夢と現の境界線上で、鼈甲飴の甘さに舌鼓を打ちながら、行列に付いていくと香ばしい匂いが鼻を擽って。
「ようし、頑張ったご褒美にアンジュ様が奢ったげよう。メルキューレもいる?」
 言った側から屋台のイカ焼きが目に付いて。真っ先に向かうアンジュの後ろを、小さな足音が急いで追いかけてきた。

「おきつねさまがおよめさんになるんだって。おもしろいね!」
 天真爛漫な笑顔と明るい声で、ジヴリールが釧に話しかけてきた。
 夜が次第に深まるに従って、灯る明かりが煌びやかに映える情景に、ジヴリールはときめきを隠さず感激しきりだ。
 はぐれないように手を繋ごうと言う彼女の申し出に、竜人の青年は相手の意を汲み、自然に手を差し出した。
 地上に揺らめく狐の篝火であれ、空から降り注ぐ月の光であれ。暗闇照らすものにより、目に映る世界は幾らでも彩りを変えられるのだから。
「ジヴリールも十分、きらきらしているように見えるよ」
 目にする物は珍しい物ばかりで、喜び騒ぐ彼女に釧が穏やかに微笑みかければ。
「僕、きれいな地球も、きれいなおまつりも、だれかと一緒にこうやって遊べるのも、すっごくうれしくて、だいすき!」
 純真なヴァルキュリアの乙女は、にこやかに満面の笑みを返すのだった。

 嫁入り祭りの幽玄たる光景は、本当に妖の世界と繋がっているのではと思わせる程。 
 かすれ縞の和装姿で狐面を被っておどける累音の傍らで。紛れて迷子になっては困りますからと、紫地に山茶花の着物を纏った郁が、心配そうに手を延ばす。
 閉ざされた世界で育った郁には、祭り自体がとても新鮮で。足取り軽く燥ぐ彼女に、急がなくても大丈夫だと累音が促して。
 我に返った郁は途端に自分が恥ずかしくなり。火照りを感じて顔を背けたかと思えば、広場を彩る篝火に顔を綻ばせ。
 一喜一憂する彼女は見ていて飽きが来ない。累音は感心しながら、こうした儀式に憧れるのかと問いかけた。
 郁は小首を傾げて考え込んで。憧れたことなどは……と言おうとすれば、儀式の荘厳な美しさに目を奪われてしまう。
「とても……綺麗ですね……」
 この時この場で憧れを抱いたことは、彼女だけの秘密であった。

 祭りの雰囲気に、敢えて酔いに行くのも悪くない。
 夜は縞柄の紬に羽織を重ね、撫子柄の和装に身を包んだ宿利の手を取り広場へ向かう。
 宿利の狐の化粧は彼が描いてくれたもの。篝火の照り返しが白く塗った頬に映え、夜は思わず彼女に見惚れてしまい。顔に掛けた狐面を頭に押し上げ視線を送る。
 大切な人と、白無垢を纏って契りを交わす。花嫁への憧れの言が口から零れ、少女は照れ笑いして誤魔化しながら、星が瞬くような銀の瞳を見つめ返した。
 いつかその日の訪れを願い、幸せを掴めますように。夜は瞳を閉じて彼女に顔を近付けて、額にそっと口付けを――。
 柔らかい感触が額に触れて、宿利の瞳から一筋の雫が流れて頬を伝う。夜は黙って身体を抱き寄せて、落ちる涙を覆い隠した。
 『ありがとう』少女は彼の優しい温もりに身を委ね、祈りを籠めて小さく囁いた。
 ――君も、誰より幸せを掴めますように。

作者:朱乃天 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2016年10月26日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 4
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