月より来る白兎

作者:文月遼

●一人の夜
「よい、しょっと。これでいいかな……」
 夜の公園に、身体には少し大きなボストンバッグを担いだ少年がいた。年齢は十一、二ほどとまだ幼い。芝生の上にバックを落とし、中から取り出したのは、簡素な組み立て式の望遠鏡だった。
「みんなはいないって、笑ってたけど。絶対いるもん……月には兎がいて、お姫様のためにお餅をついてるんだ……」
 冷たくちくちくとする芝生の上に少年は座り込んだ。暗い中、父親の部屋からこっそり持ち出した懐中電灯を光源代わりに転がして、少年は望遠鏡を組み立てる。ふと空を見ると、薄い雲の向こうに、淡く、丸い光が見えた。再び作業に戻ると、ふと女性の声が少年の耳に届いた。
「良いわ、あなた。その『興味』、とっても興味深いです」
「へ? ――ぁ」
 振り向いた少年の胸に、大きな鍵が突き刺さる。少年は目を見開き、そのまま糸が切れた人形のようにくずおれる。
 少年の隣には、大きな杵を担いだ、真っ赤な眼の兎が、きょろきょろと辺りを見回していた。

●月からのドリームイーター
「月の模様ってのは見る奴によっていろいろある。大きな鋏を持つ蟹だとか、本を読む女……まあ、この辺でメジャーなのは餅をつく兎だろう」
  集まるケルベロスを前に、フィリップ・デッカード(レプリカントのヘリオライダー・en0144)はそう話を切り出した。
「今度のドリームイーターは、人の興味を狙うらしい。今回の場合は、月にいる兎を見つけるっていう子どもだな。そいつを襲って、興味を奪うってやり口らしい」
 既に、少年を襲ったドリームイーターは姿を消している。けれども、少年の『興味』によって生まれたドリームイーターは現実化している。それがどう動くか分からない以上、放置するわけにもいかない。
「お前たちには至急、そのドリームイーターの排除にあたってほしい」
 フィリップは続けて、ドリームイーターの外見について話を切り出す。
「相手はドリームイーターが一体。外見は人間サイズの兎だ。それが杵を持ってるってわけだな」
 けれども厄介なのはそれだけじゃねぇ。ヴェイゼル・ベルマン(焔斬り・e27692)が話を続ける。
「そいつは、自分が何者かを聞いて来るらしい。んでもって、向こうの思う通りの回答をしない奴に、襲い掛かる。子供でもなけりゃ、月に住む兎なんて答えないだろう。杵が真っ赤になるのも時間の問題ってわけだ」
 ドリームイーターの出現する場所は少年の襲われた公園の中。夜の八時頃と言うこともあって公園の中にいる人は少ないが、外に出てしまえば誰かが襲われるリスクも格段に高くなる。
「居る居ないはともかく、確かめに動けるってのはこのご時世、ガッツのある子どもじゃねえか。が、それを利用するってのは気に食わねぇ」
 俺達で叩き潰してやろうぜ。そう言うとヴェイゼルは揚々と出撃の用意を始めた。


参加者
結城・レオナルド(弱虫ヘラクレス・e00032)
柊・乙女(黄泉路・e03350)
シルヴィア・アルバ(真冬の太陽・e03875)
屋川・標(声を聴くもの・e05796)
明空・護朗(二匹狼・e11656)
金剛院・雪風(雪風は静かに暮らしたい・e24716)
ヴェイゼル・ベルマン(焔斬り・e27692)
レオン・シシドウ(紅髪の戦神・e33172)

■リプレイ

●その時、闇から不思議な兎が降りて来たのです
「よいしょっと。終わりました……」
 月と星の光と、公園にまばらに散らばる頼りない街灯が照らす下、白い獅子と赤い女が蛍光色のテープを公園の至る所に貼っていた。結城・レオナルド(弱虫ヘラクレス・e00032)たちは、作業を終えて、ケルベロス達に合流する。彼の腰に吊り下がるライトが、ケルベロス達の顔を闇に浮かび上がらせる。
「あそこが耳で、あれが杵と臼か。こりゃ、兎かどうかは知らねぇが、生き物の一匹や二匹、いるかもしれねぇな……なんて」
 ヴェイゼル・ベルマン(焔斬り・e27692)は、小さな望遠鏡を片手に、夜空を覗く。雲の無い、澄んだ空に丸い月はやけに鮮明に映る。演技を忘れ、見入りそうになるのをおどけてごまかした。
「月に住む兎、か。不死の薬を搗いている…なんて話もある。まだ餅の方が愛嬌があるだろうが」
 柊・乙女(黄泉路・e03350)が気だるげにつぶやいた。能天気な事を言っているようで、星よりいくらか淀んだ金の眼は、油断なく周囲を見渡している。
「僕が聞いた話だと月の模様をした銀色の円盤に乗って来て、円盤から出る金色の光の中から現れるらしいよ。夜の内に家中のお米をお餅に変えてしまうとか」
「え、月の兎って宇宙人だったのか? 実はエイリアンなんだな! あはは、どうせ変えてくれるんならあんころ餅だと嬉しいんだけどな。って、毎日それだとさすがに飽きるかな。きなことか大根おろしとかもあれば、もっといいかもな」
 おどけるように話を続ける屋川・標(声を聴くもの・e05796)に、シルヴィア・アルバ(真冬の太陽・e03875)は本気とも冗談ともつかぬ調子で応じる。後ろで彼女のテレビウム、カルピィがよだれを垂らす顔文字を作る。
「兎がついた餅、食べれるのかな……兎、触れるのかな」
「どうだ……どうでしょう。聞いてみればいいと思います」
 秋の夜ともくれば、風は冷たい。金剛院・雪風(雪風は静かに暮らしたい・e24716)の小さな呟きに、明空・護朗(二匹狼・e11656)は、ぎこちない丁寧な言葉と共に、ほうと白い息を吐いて視線を草原にやった。タマが小さく唸る。ほとんど同じく、乙女もその方向を向いた。
 恐らく、少年が倒れている方向。そこかややってくる白い何かがいた。身の丈は2メートルほど。丸いお腹と顔に、大きな耳。ふさふさとした手と肩には、木製の巨大な杵を担いでいる。
「おいでなすったか」
 レオン・シシドウ(紅髪の戦神・e33172)が小さく舌なめずりをする。狐にとって、兎など、獲物でしかない。たとえそれが、ドリームイーターであろうとも。

●その兎、凶暴につき?
「よっ……とっと。良い夜だ。そうは思わねぇか?」
 杵を担いだ兎が、小さく呟いた。一見するとかわいらしいと呼べなくも無い外見だが、その声はがらがらの男の声だった。赤い眼が、ケルベロス達を見据える。
「ええ。良い夜です。ところで、あなたは?」
「見りゃ分かんだろ。当ててみな」
 標がそれに答え、それとなく相手の姿を問う。話の通りに、兎……ドリームイーターは質問を返して来た。
「フーム……おや、貴方は餅つき兎ですね。月からいらしたのですか?」
「おお? そう思う? 思っちゃう? いやぁ、取って食べてきそうな見た目なのに話が分かるじゃないお宅。いかにもだ!」
 気弱そうな獅子、レオナルドとやけに親しげ……もとい、馴れ馴れしいドリームイーターのやりとりを見て、雪風は静かに呼びかける。
「でも、大きな兎だね。ボクの見た中では一番かも。お餅をつくなら、ボクにも食べさせてほしいな」
「おっと? 食いたいか、そうだろうな。でもあーげない。俺ちゃんはこれを姫様に届けにゃいかんからな。それじゃ――」
「そうやって、別の奴にも聞いて回るのか? そして、気に食わねぇ奴は殺して回ると」
 ドリームイーターの言葉を遮り、鼻をふんと鳴らしてヴェイゼルがぼやいた。一瞬、ドリームイーターの纏う空気が変わる。
「あン? どういう意味よ」
「言葉通りさ。茶番はここまでにして、奪ったもん、返してもらおうか」
 レオンが乾いた笑いを浮かべる。それを見た兎が、首を軽く鳴らした。手にした杵を、それとなく構える。
「なるほど? ……俺ちゃんが偽物と。兎なんかいねぇと。なるほどォ……それじゃあ、ちょっとばかし、眼ェ覚ましてもらおうか!」
 殺意を隠そうともせず、兎は巨大な杵を振りかぶる。それがレオンの頭に振り下ろされる寸前、分厚い刀身がそれを受け止める。
「ようやく本性出しやがったな。可愛らしいガワして、やることがえげつねぇじゃねえか」
 両足を踏ん張って潰されまいとしながらも、ヴェイゼルは笑う。轟と炎を挙げる剣を振るって、杵を弾き、そのままバックステップと共にライフルから無数の光弾を叩き込む。
「もう、誰も、何も、奴らに奪わせたりしない……だ、だから!」
 怯んだ隙を見て、レオナルドが手にしたハンマーを振るう。加速した巨大な金属の塊が兎の横っ面に激突し、そのまま吹き飛ばす。
「つくのは餅でも薬でもなく、人間と来たか。悪趣味だな……」
 乙女が微かに眉間に皺を寄せながら、腕を掲げる。そこから飛び散る紙片が意志を持つ様にケルベロス達を囲う。
「く、クソッ! やるじゃねぇか」
「足止めです、今のうちに!」
「了解だ。任せておけ!」
 間合いを離した標が、そのまま巨大な砲身をドリームイーターに向けて発砲。兎もそれを杵を振り回して弾くがそれでも対処に足は止まる。その隙にシルヴィアが文様の刻まれた剣を地面に突き立てる。それを中心に幾何学模様が広がり、ケルベロスを包む。
「ちょっと元気出たし。もふもふついでに、見せてあげる――ボクのバトルセンス」
 軽いファイティングポーズから、雪風が弾丸の如く飛び出した。そのまま怯んでいる兎の懐に飛び込み。即興の苛烈なラッシュを叩き込む。掌底や膝蹴りなどで、兎の毛並みを何度か確かめているような素振りも見える。
「さっきから、調子に乗りやがって……っらあ!」
 兎が杵を振り回し、殴るついでに毛並みを堪能する雪風を振りほどく。そのまま、やけくそとばかりに杵を投げつける。けれども、それが誰かに命中する前にタマが口の刀で強引に弾き飛ばした。
「兎自体は可愛いんだけど……タマも、ありがとう。支援、します」
 ちらりとその様子を見てから、護朗は手にしたロッドをかざす。少なくとも、襲われた少年とは距離があるから、巻き込む心配はない。護朗の杖から迸る電流はドリームイーターでは無く、柄に手をかけるレオンを打ち、瞬間的な賦活をする。
「お? 助かるね……その杵、邪魔になるよ!」
 ニヤリと犬歯を剥くように笑い、彼女は両手に太刀を構える。鍔の部分から太刀型の紅い光刃を形成するそれと、刃紋のない暗い色の太刀を構える。赤い紅刃を天にかざせば、それに呼応するかのように赤い刃がドリームイーターに降り注ぐ。
「おんのれ……騙し打ちとは卑怯な……」
「お前たちの手口も、同じようなものだがな」
 唸るドリームイーターを見て、呆れたようにシルヴィアは呟いた。

●帰る場所は無い
 ケルベロスとドリームイーターの応酬は続く。激しい杵による殴打をヴェイゼルやタマがしのぐが、被害がゼロとは言えない。どちらも消耗はじわじわとたまっている。
「ここで押し切らないと……心静かに――恐怖よ、今だけは静まれ!」
 レオナルドの臆病さは、慎重さの裏返しでもある。けれども、それだけでは勝てないことも知っていた。なけなしの勇気を振り絞って、レオナルドは吠える。胸の奥が燃え、陽炎になる。それに隠れるように間合いを詰めて、瞬間的に斬撃を叩き込む。
「立て。…まだ、やれるだろう」
「分かってるよ……お? おお?」
 ダメージを多く引き受け消耗するヴェイゼル。それを見て乙女は紫色に輝く百足の痣の浮かぶ手で、軽くその背を押す。戸惑っているものの、受けているダメージを忘れ、ぐっと大剣を杖に立ち上がる。
「ハッ、良いのをそれなりに貰ったからな。叩き斬ってやらぁ!」
 軽く汗を拭い、大剣を掲げる。ヴェイゼルが気勢を上げると共に轟と炎が吹き上がる。紅蓮を纏う大剣で殴り、潰し、焼く。
「一気に畳み掛ける。行くよ、相棒!」
 標が真鍮の斧を構え、一気に間合いを詰める。ハート・ノッカーを足元に投げつけ牽制をしながら懐に飛び込み、刃での斬撃、返して石突での殴打、続けざまに先端での刺突と流れるような連撃を叩き込む。
「殴るより、こっちの方が効くのかも。触れないのは残念だけど」
 怯んだドリームイーターを見て、雪風は得物を徒手空拳から鎌に持ち帰る。物々しい外見のそれを軽々と操り、鋭い切っ先を兎の肩口に滑り込ませ、引くように鎌を振るって傷を広げる。
 たたらを踏んだドリームイーター。ケルベロス達に敵意を向けるのは変わらないが、懐から取り出した餅を大きな口で頬張る。咀嚼に応じるように、じわりと傷が癒えていく。
「くっ……すまねぇ。姫様……結構、イケる」
「食っている場合か。餅をついてるだけなら、まだ良かったものを! カルピィ!」
 白い、柔らかなそれを見てカルピィの表情が緩んだ。それを見てシルヴィアはむんずと相棒を掴み、そのまま勢いよくぶん投げる。驚いたカルピィの顔に浮かぶのは、日本の古いおとぎ話。それに登場する和装の少女だった。それを見た兎が、あからさまにしどろもどろになる。
「ああっ! いえ、別に。これは。食べたとかじゃなくて……」
 ついでとばかりにカルピィが茶色い瓶で殴打して主の元へと戻っていく。
「なんだかよくわからないけど、チャンスみたいだ。行くよ」
 頭を押さえるドリームイーターを見て護朗が少しだけ首を傾げる。けれども、畳みかけるチャンスを逃すほどケルベロスも甘くは無い。護朗が手にしたナイフで、タマが口に加えたブレードで、一糸乱れぬ動きで翻弄。いくつもの傷を増やしていく。
「起きた紅獅子は強暴だよ。壱の太刀共にその身に刻む!」
 レオンの持つ赤い刀身がカランと音を立てて地面に落ちる。変わりに生れるのは、深紅の光刃。収束したグラビティ・チェインを纏う刃は、ドリームイーターが自分の身に何が起こったかを気付く前にその身を断ち切っていた。
「パッチワーク、いつまで彼女の暗躍は続くのでしょうか……」
「関係ねぇよ。出て来たら今回みてぇに叩き潰す。それで十分だろ」
「……ええ。そうですね」
 レオナルドの呟きは、夜の空気に溶けていく。ケルベロス達は戦場の後始末に取り掛かった。

●月は見えているか?
「怪我は……転んだ時の擦り傷くらいか。よかった」
 隣で寄り添うタマ。労うようにその頭を軽く撫でて、護朗は倒れた少年の様子を見る。少しだけ草で切ったのだろう、額に出来た薄い血の線を癒し、ほうと息をついた。
「……ん? あれ、寝ちゃってたのかな」
 しばらくして、少年が眼を覚ます。きょろきょろと辺りを見渡し、目が合ったタマを見て首を傾げる。
「頭が痛いとか、おかしなところはないか?」
「おかしなところ……特に無いけど。何しに来たの?」
 乙女の言葉に、少年は更に首を傾げる。
「ああ、君と同じだ。お月見でもと思ってな。今日は良い月だ」
「良ければ、一緒にどうですか? 何かの縁です」
 シルヴィアのあっけらかんとした物言いに、標の穏やかな言葉に、少年は少しずつ警戒を緩めて行く。
「お団子もあるよ。夜空を見るなら必須だし、みんなで楽しむが大事だから」
「お団子?」
「そのようですね。兎がついたものではありませんが、お餅もあります」
 雪風の言葉に、少年は目を輝かせる。レオナルドが、標が穏やかに呼びかければ、それを断る理由も無かった。
 静かなお月見会が始まる。
「それで、その望遠鏡は月を見るためかい?」
「うん。えっと。さっき、ライオンのおじちゃんは、兎がついたものじゃないって言ったよね」
 レオンが不意に尋ねた言葉に、少年は一瞬だけ表情を曇らせる。
「おじ……ええ。お口に会いませんでしたか?」
「ううん。おいしいけど……おじちゃんたちは、信じてるの? 他のみんな、笑うのに。月に兎がいるわけないって」
 その言葉を聞いて、ヴェイゼルはがしがしと頭をかいた。
「他人が信じねぇから、自分も信じねぇってか?」
 一見すれば突き放すような言葉に、少年は目を伏せる。
「だったら、見に行ってみるというのも良いかもね」
「見に行く?」
「例えば、宇宙まで実際に行ってみるとか。すぐには無理だろうけれど」
 宇宙。そう呟いて少年はもう一度空を見上げる。小さく唾を呑んで、そして拳ぎゅっと握り締める。
「ひとつの物を信じるのは難しいことだが、お前はそれが出来ている。胸を張れ」
 なにせ、ドリームイーターに目をつけられるほどだ。心の中で乙女はそう付け加えた。
「なるほど。未来の宇宙飛行士に、乾杯ってところか?」
「本物の月の兎は、もふもふなのかな?」
「気がはえぇよ。だが、悪かねぇな」
 好き勝手にはやしたてるシルヴィアと雪風を見て、ヴェイゼルはからからと笑う。
 その夜は、一片も欠けることのない満月だった。

作者:文月遼 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2016年10月22日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 1/感動した 0/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 1
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