百本足の悪夢

作者:あずまや

 少年は目をぎゅっとつぶり、右手のこぶしをしっかりと握りこんで膝の上に置いている。彼は電話を持ち、誰かと話しているようだ。
「それでね、何かが体の上を這っている感覚があって」
 彼の肩は小刻みに震えていた。
「ムカデだったんだよ、おっきなムカデ。ぼく、もう気持ち悪くて……」
 少年は腹をごそごそと掻き始める。きっとそこを大きなムカデが這っていったのだろう。
「ぼく、昔っから虫が苦手だったでしょ……ムカデなんて最悪……」
 そう少年がつぶやいた刹那、背後から鍵が突き刺さった。第六の魔女・ステュムパロスが、彼を襲ったのだ。
「あはは……! 私のモザイクは晴れないけど、あなたの嫌悪する気持ち、分からなくも無いな」
 少年はその場に崩れ落ち、その傍らに大きなムカデが現れる。電話は床に転がり落ち、電波の向こうから誰かの声が聞こえている。

 黒瀬・ダンテ(オラトリオのヘリオライダー・en0004)は小さく身震いをした。
「苦手なものへの『嫌悪』の感情を奪って、そいつを具現化するドリームイーターが現れたらしいんすよ……。被害者は虫が苦手で、ムカデに襲われた『嫌悪』の感情を奪われてしまったらしいっす。つまり、ドリームイーターが残していったものは被害者が抱いた苦手意識サイズの『ムカデ』ってことになるっす……」
 ダンテもムカデが苦手なのだろうか、眉をへの字に情けなく垂れ下げている。
「このムカデをきっちり倒してやれば、今は意識を失っている被害者も、きっと元に戻るはずっす……気持ちの悪い作戦になるかもしれないっすけど、皆さんのお力で、なんとか怪物を仕留めてほしいっす……!」
 ダンテは続けて、具現化された怪物型のドリームイーターである巨大ムカデについての説明を始めた。
「巨大ムカデは1体だけで、住宅街にほど近い森に身を潜めているみたいっす。やっぱり大きくなっても、ムカデはムカデっすね……」
「攻撃パターンっすけど、どうやらこいつは、相手のトラウマを引き出す技を使えるらしいっす。喰らうと、思い出したくない過去を思い出させられるかも……気を付けて欲しいっす。それから、悪夢を見せるような攻撃もしてくるみたいっす。本当に厄介な奴っすね……」
「それと、どうやら気持ち悪い感じの回復技もあるらしいっす。……薄気味悪いし、出来るだけさっさとやっつけて、被害者を助けてあげたいっすね……」
 ダンテは小さく咳払いをする。
「自分にも、嫌なものってあるんすよ。でも、そういうものをわざわざ見せられるのって、いやじゃないっすか……。自分、そういうやり方は、許せないっす……。どうか、皆さんの手で、少年を救ってあげて欲しいっす……!」


参加者
椏古鵺・笙月(黄昏ト蒼ノ銀晶麗龍・e00768)
桐山・憩(暴撃・e00836)
ファン・バオロン(終身譲路不枉百歩・e01390)
御門・愛華(落とし子・e03827)
天袮・黎和(君の隣に・e04080)
ラームス・アトリウム(ドルイドの薬剤騎士・e06249)
セット・サンダークラップ(青天に響く霹靂の竜・e14228)
錆滑・躯繰(カリカチュア・e24265)

■リプレイ

●森は明るく静かで
 幸いにも、大ムカデがいるらしい森は薄明るく、足元のぬかるみにさえ気を付けていれば十分であった。
「普段だったら、誰か近所の人が散歩でもしてるんすかね?」
 先頭を進むセット・サンダークラップ(青天に響く霹靂の竜・e14228)がそう言うと、同じく横に並んで索敵をしていた御門・愛華(落とし子・e03827)は「どうでしょう」と返した。
「それは困るな」
 ラームス・アトリウム(ドルイドの薬剤騎士・e06249)が真面目な顔をする。
「せっかく殺界形成をして、外から人が入らないようにしたのに」
「今はいないざんしょ、人の気配がありゃせん」
 椏古鵺・笙月(黄昏ト蒼ノ銀晶麗龍・e00768)が柔らかく笑うと、人間と自然がこすれあう音は一層森の中にけたたましく響いた。
「さっさと片付けて帰ろうぜ」
 桐山・憩(暴撃・e00836)は両手を頭の後ろに組んでにやりと笑い、ギザギザの歯を光らせる。それに合わせるように「同感」と、ファン・バオロン(終身譲路不枉百歩・e01390)がこぼした。
「虫ってやつは、私はどうも」
 渋い顔をするファンに、錆滑・躯繰(カリカチュア・e24265)は「そうかなぁ」と言う。
「彼らだって、よく見たら可愛いよ? 私の知りたいことを色々教えてくれる。内臓の位置とか、毒の作り方とかね」
「それは、また特殊な事例だろう」
 天袮・黎和(君の隣に・e04080)はそう言うと、先頭を見やった。
「敵の気配はないか?」
「うーん……」
 愛華は辺りを見回すが、それらしき影や音もない。セットは天を仰ぐ。
「樹の上にいるわけでもなさそうっすね……」
 一行はそのことばに、踏み分けられて土の露出した道をゆっくりと進んでいった。

●虫と呼ぶには
 最初に何かの異変に気が付いたのは憩であった。
「……暗くない?」
「確かに、そうでありんすなぁ」
 笙月は小さくうなずいて「ま、森が深くなっているんざんしょ」と言う。しかし、さらにその後ろを付いていく黎和もその薄暗さを感じた。黎和が「ちょっといいか」とつぶやきかけたとき、微かに、しかしはっきりと、明らかにこの場にいる8人以外の物体が出した音が聞こえた。それは乾いた木を叩く、軽くて甲高い音。
「……!!」
 誰となく、その音の方向に目をやった。
「……しまったっ……!」
 セットはぎりっと歯を鳴らした。索敵していた2人は、そのあまりの大きさにムカデを木々の一部と見間違えていたのだ。敵は鮮やかなまでに森に同化して潜み、散策道を行く一行の背後を取らんと沈黙していたのである。
「いくしかねぇか」
 憩はそうつぶやくと、森と道の際まで歩み寄る。
「おい、デカいの」
 憩のことばに、ムカデはゆっくりと彼女を見据えた。ゆうに5メートルはあるだろう。枯葉のようなくすんだ色のボディに、いくつもの節が見える。
「自分より小さい人間を襲うのにも背後から狙わなきゃいけないのかよ。まったく弱いやつってのは哀れだねぇ」
 憩のことばが効いたのか、敵の体がゆっくりと熱で赤く色付いていくように見える。
「戦闘開始ってことで、いいのかな?」
 躯繰はその様子を見て、すぐさまブラッディダンシングを放つ。攻撃はしっかりと当たっているのだが、ダメージ量はそう多くないのか、ムカデはまったく意に介している風がない。ムカデはファンに向かってまっすぐ心を抉る鍵を投げつけた。ムカデの放ったそれは、無数の小さなムカデの群れになり、わらわらと高速でファンの足元に駆け寄ろうとしていた。
「っ……!」
「危ないっ!」
 悲鳴にならない声を上げたファンを、愛華は自らの身を挺して守った。
「大丈夫か?」
 ファンはその場に倒れこんでいる愛華の肩を抱く。
「やっ、いやっ……!」
 愛華は宙を何度も視線で追いかけている。何か幻覚が見えているのだろう。ラームスはムカデを警戒しながら、総合回復薬を愛華にかけてやった。
「っ……」
 瞬間、彼女の両目の焦点が合う。
「ありがとうございます、もう大丈夫です」
 愛華は静かにそう言うと立ち上がり、敵をぎりっと見据えた。「許さない」。彼女はそう明確に言うと、達人の一撃をムカデに加えた。
「私はここから……!」
 ファンは投げバールを放ったが、ムカデはそれをゆらりとかわす。笙月は呆れたように「さすがは虫、守りがかたいでありんす」と言った。
「それでも、こんな可愛くないものを野放しにするわけにもいかないざんしょ」
 笙月は間合いを詰め、敵に戦術超鋼拳を叩き込む。確実に一撃は加わっている。それでも、ムカデにとっては、足元に犬がじゃれついたほどにしか感じられていないのかもしれない。黎和の放ったケイオスランサーも、ムカデはのらりくらりと避けたのである。
「皆さんっ、敵は堅いみたいっすけど、叩いていれば必ず勝てるはずっす!」
 セットが大きな声で言い、リードデバイスを唱える。
「確かにそうだな」
 憩の撲殺釘打法がムカデにヒットする。確かに一撃は大きくなくとも、8人分の力が集まって一つになり、徐々にムカデの体力を削っているのがわかる。
「こんなのはどうだい?」
 そう言って放たれた躯繰のドラゴニックミラージュに、初めてムカデは奇声を上げてひるんだ。どうやら節と節の間を的確に捉えたらしい。
 ……大きなムカデの放つ気配が、少しだけ変わった。

●おぞましい光景
 ムカデが次に放ったのは、またしても小さいムカデの群れだった。しかし、さっきのそれと比べて、明らかに数もスピードも上である。彼らは黎和に向かってまっすぐ向かっている。
「そうはさせないっす!」
 セットは黎和の代わりに、敵の夢喰らいのダメージを負った。途端、目がとろりととろけて、彼は敵に背を向け両手を広げる。
「な、なにを……」
 黎和が彼を見据えると、セットはにこりと微笑んだ。
「自然を、大切にするっす。ムカデは、森の守り神……むやみに傷付けてはいけないっす」
「……催眠か……厄介なことになる前に……」
 ラームスはメディカルレインをセットにかける。びくん、と彼の背筋が伸びた。
「はっ……え? あれ?」
 まだ混乱醒めやらぬセットの横から愛華がフレイムグリードを放った。しかし、ムカデはこれをまたゆらりと避ける。
「ぐっ……貴様はじっとしていろッ!」
 ファンは旋刃脚を放つと、ムカデの胴にそれがヒットした。それと同時に、ムカデは小刻みに痙攣を始めた。パラライズに成功したらしい。
「チャンスざんしな!」
「行くぞ」
 笙月のジグザグスラッシュ、黎和の縛霊撃が次々とムカデに加えられていく。
「もう少しだけ、回復するっすよ」
 そう言ってセットは自分にウィッチオペレーションをかけた。ムカデはつい先ほどまでの余裕のある雰囲気をすっかり失い、怒りと憎しみをまとったただの虫へと変化し始めている。彼が急いで攻撃をせずにしっかりと回復をしておこうと思ったのも、そこに理由があったのかもしれない。
「攻撃は任せろ」
 憩はそう言うと、グラインドファイヤを放つ。続けて、躯繰もレゾナンスグリードを放った。いずれもムカデに当たると、彼は森中に響き渡る雄叫びを上げ、天を仰いだ。
 傷ついたムカデは口から光沢のある緑色の粘液を吐き出し、自らの体にびちゃびちゃとかけていく。粘液は傷ついた外骨格に染み込み、傷口を閉じていく。少し時間をおいて、8人のもとに鼻を突くような酸の臭いがやってきた。これが、彼の回復技……。
「うわぁ……」
 思わず誰からとなくその声が漏れた。神々しいと言えば、そう取れなくもない。だが、そう形容する人間はいない。昆虫が異臭のする体液を吐き出して、回復を行っているのである。それは吐き気を催すような光景だった。
「さっさと終わらせましょう」
 ラームスはわずかに殺気立つと、攻性捕食を食らわせる。さらに愛華が達人の一撃、ファンが真武活殺法・喰命打ちをそれぞれムカデに叩き込んだ。忌々しい方法で彼が回復した分のほとんどを、三人で再び奪うことに成功したのである。ムカデはもはや上体を上げることも叶わぬほどに弱っているが、それでもなお凛とした光を目に宿している。笙月の放った陰翳断罪をギリギリのところでかわすと、まるで肩で息をするがごとく、上下に大きく揺れ始めた。
「焦ることはない。敵はまさに、虫の息だ」
 黎和はそう言うと、脳髄の武活をセットに向けて放った。
「ありがとうっす……自分も、あいつにさっきのお返しっすよ」
 セットのキャバリアランページがムカデに当たると、悲鳴にも似た鳴き声が上がる。
「命乞いしても、もう遅いぜ」
 すかさず、憩がエクスカリバールでムカデの脳髄に一撃を叩き込む。ギィィィィッ、と耳をつんざく高音が響き渡った。それまで吹いていなかった強力な風が、その白く粉々になった体を風に乗せて消し去った。

●さっさと帰ろう
 笙月はやんわりと微笑みをたたえて口を開いた。
「あっけなかったざんしな」
 そのことばにファンは「そうか?」と返した。実に不機嫌そうである。
「あれほど大きなムカデでありんしたが、倒してみれば、何のことはないただの虫でありんす」
「標本に出来ないなんて、残念だったなあ」
 躯繰は腕組みをして首を傾げた。
「よくあんなものを見せられて標本などと言っていられるな」
 ファンは顔をしかめて、来た道を戻り始めた。
「気を付けてください、森には、まだ小さなムカデもいるかもしれません」
 愛華のことばに、ファンは背筋をびんと張り立ち止まると、ゆっくり振り返って口元だけで不自然に笑った。黎和は「そうなのか?」とラームスを見て首を傾げる。
「ムカデは基本的に夜行性、森とは言え昼間に行動していることは少ないだろう」
 ラームスのそのことばで、はあ、とみんなが肩を撫で下した。
 次の瞬間。
「ぎゃっ!」
 鈍い悲鳴が上がり、七人がその声のほうを向く。
「ご、ごめん……ゴキブリがいた……」
 憩が引きつった笑顔で全員を見回した。
「さっきまであんなデカいムカデと戦ってても……やっぱゴキブリは気持ち悪いっすよね……」
 セットがそう言うと、全員が同意したように小さくうなずいた――ただ一人、躯繰を除いて。
「え? あんなに『殺したら喜ばれる明白な害虫』なんていないのに? 潰したら内臓が飛び出して、なかなか滑稽で面白いよ?」
 そのことばに全員が沈黙すると、躯繰は「あはは」と小さく笑った。

作者:あずまや 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2016年10月18日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 5
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