少女は山中を進む。のろのろと、しかし迷い無く、藪に分け入り奥を目指した。
山裾の辺りは日頃から町人の立入があるが、整備された道を外れると人目がぐっと少なくなる。高く伸びた草木が少女の体を隠す為もあろう、侵入を禁じられた領域へ上っていく少女を見咎める者は居なかった。
そうしてやがて、少女が辿り着いた先。目印も特徴も何も無い木々の隙間で、長い暗色の髪を結い上げ多種多様の花を纏う女が少女を待っていた。手の中で死んだ野鳥をじっと観察していた女は、少女に気付くとそちらを顧みる。女の視界の外、ところどころ禿げて肌が露出した鳥の骸が、地面に散らばる羽毛の上にぼとりと落ちた。
女が少女の前に立つ。少女の視線は上がらず女のそれと交わらない。
「あなたは誰?」
「……シオリ……」
虚ろな目で宙を見つめるままの少女は、女の問いに小さく答えた。少女に正気づく兆しも未だ見えない事を確認して女は再度口を開く。
「ではシオリ、あなたの『痛み』を教えなさい」
「……いたみ……」
苦い経験、現状への不満、心の傷、誰かへの敵意──そうしたものを漠然と問う色を解したのだろう、口を開いた少女は答えを探すように暫し静止する。待つ間に女は、少女の身へ蔦の鎖を掛けて行く。
「……私、お姉ちゃんが居て」
やがて発された少女の声に、女が目を瞬いた。
「お姉ちゃんは綺麗で賢くて何でも出来て、なのに私は何をやらせても駄目だって、皆が言うの。……皆、お姉ちゃんだけ居れば良いんだ」
少女の目から涙が伝う。女の力に囚われ無防備になったままの心は容易く明け渡される。
「──そう」
その様を見つめていた女はややの後、唇に弧を描く。
「なら、私があなたを助けてあげるわ。私のものになりなさい」
一拍の間を置いて少女が頷くと同時、絡む蔦ごと肌を覆い尽くす白い花が無数に咲いた。
「あなたを大切にしない『皆』なんて、あなただって要らないでしょう? ──全部、壊していらっしゃい」
女の声は優しい色をして、しかし熱持たぬ響きでそう、少女へ命じた。
「今度は白いゼラニウム、らしいわ」
先日、黄色の薔薇を生やした攻性植物の討伐をケルベロス達へ依頼した篠前・仁那(オラトリオのヘリオライダー・en0053)は、図鑑をコピーしたと思しき白い花の絵を示した。
「今回も現場近くの住人が別の攻性植物の手で配下にされたようよ。彼女は夕方に山を下りて、麓の町の、山の近くにある自宅のひとから手に掛けようとする、みたい」
今回は失踪から襲撃までが早いようで、そもそもその失踪も把握していないと思しき家人達が彼女に遭遇すれば、その精神的衝撃は相当なものだろうと想像された。混乱のうちに容易く糧とされてしまいかねない。
「なのであなた達には、彼女が山を下りきるより先に、倒してしまって欲しい。登山道を道なりに上れば、その終点近く……藪に入る辺りで遭える筈」
夕方といっても、彼女が動く頃には空は暗くなり始めており、昼間に山に居た人々も既に下りた後になる。だが、事前に麓の町民達へ根回しをする時間は取れず、物音等に不審を抱いた町民が山へ様子を見に来る可能性は十分あり、且つ、それは少女の自宅の者である事も考えられる為、何らかの対策があるとやり易いだろう。
「今回の女の子は、警戒する間も無く取り込まれたのかしら。寄生からの時間の割に同化が進行していて……例えば、親しい友人であったひとからの呼び掛けなどがあったとしても、応じることはおそらく無く、助けることも出来ない」
つまりは、事を構える現場に近付く町民が居た場合、それは敵の餌でありケルベロス達にとっては足枷にしかならない。足元も悪い、視界も悪い、草木も障害になり得る戦場へ第三者の侵入を許せば犠牲者が出かねない為、遠慮無く遠ざけてしまう方が安全だ。
「元が、周囲の心ない言葉……少なくとも彼女自身から見ればそうだったみたい。それに堪えてきた、七、八歳くらいの少女だから、かしら。敵は見た目以上に守りが堅いようで、短時間で決着をつけることは難しそうなので、尚更ね。殺されてしまう人が出ないように対応して貰えると助かるわ」
敵がグラビティ・チェインを得れば、更なる目的の為に逃走を図る事も考えられる、と仁那は注意を促した。
その後、ここからは余談、と前置きして彼女は手元で開いていたメモ帳の頁を繰った。
「『主』は、今回の敵や、先日の黄薔薇の敵と、同種のものと考えられる」
ヒトが攻性植物に取り込まれデウスエクスとなる、その時からを予知したヘリオライダーは言う。侵食された少女達はヒトとしての意識を塗り潰され、デウスエクスの為の器となり、その経験や知識を吸い上げられ利用される傀儡になり果てた。
そして、今回仁那が垣間見た『主』の見目もまた、元となった地球人の年格好そのままであるとするならば、その経験差の為に、少女達よりも手強い相手となると考えられる。
「今回の白ゼラニウムと先日の黄薔薇の『主』が同じ、と考えたのは、二人の見た目の印象……というか、花の生え方がほぼ同じだから、というのもあるのだけれど」
大雑把に書き取った、図らしきものが書かれた頁を広げて仁那は首を傾げる。
「薔薇の時と違って、今回の女の子の体には、外傷が殆ど無いの。だから少なくともこの『主』については、配下を増やす為には、相手の体よりも心を弱らせるか、……懐柔する? とかの方が、重要なのだと思う」
正確なところを量るには事例が少なく、仁那は曖昧な物言いをした。が、傾向が判るような事態になるのも歓迎出来ないと、その声は微かに焦りを滲ませて続く。
「ただ個々の相性、なら良いのだけど……いえ、良く、は無いけれど。もしも、『主』が以前に比べて配下を増やす事に慣れて来た為に彼女の体に傷を付ける必要が無かった、のだとしたら、尚更急いだ方が良いものね。なので、わたしは取り敢えずこの、白ゼラニウムと黄薔薇の『主』についてを引き続き調べてみるわ。それで手助けを頼む事もあるかもしれないけれど、今はまず、白ゼラニウムの敵を倒す事に集中してくれると嬉しい」
何にしても、無事に事を済ませ、無事に帰還してくれなくては。それ以上の事はその後と、改めて仁那はケルベロス達の勝利を願った。
参加者 | |
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四之宮・柚木(無知故の幸福・e00389) |
レクシア・クーン(咲き誇る姫紫君子蘭・e00448) |
シグリッド・エクレフ(虹見る小鳥・e02274) |
ジエロ・アクアリオ(贖罪のクロ・e03190) |
神宮時・あお(散リ逝ク桜・e04014) |
鳴無・央(緋色ノ契・e04015) |
レイナ・デモダイシン(シェカーテ・e14316) |
神藤・聖奈(彷徨う術士・e27704) |
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派手な色のテープで道を封鎖しつつ登る。麓の町民が主に使う入口にはそれで足りたが、逸れれば山に立ち入る手段は幾らでもある。レクシア・クーン(咲き誇る姫紫君子蘭・e00448)の危惧にレイナ・デモダイシン(シェカーテ・e14316)が頷いて、静かな山に一層の静寂を強いた。山全体を物理的に封鎖し尽くすだけの時間は無い。
「急ぎましょうか」
傾いた陽は木々に遮られ殆ど届かない。灯した照明で足元を確かめながらケルベロス達は奥へと進む。先導する形となったジエロ・アクアリオ(贖罪のクロ・e03190)は静寂に耳を傾け、後方のシグリッド・エクレフ(虹見る小鳥・e02274)は周囲に注意深く目を凝らす。とはいえ藪を越えて灯りを届けるのは難しく、闇に呑まれた山の姿は不気味と言えた。ただそれは敵にとっても同じ筈──虫すら鳴かぬ静けさと相俟って、不意を突かれる危険はほぼ無いと言えた。
それから暫し。案内板の内容が警告と禁止に変わり始めた頃、ガサリと不自然な葉擦れに気付く。小さく、されど一度では終わらず短い間を挟みつつ繰り返されるそれにケルベロス達は警戒を強める。それが低い位置からのものと聞き取れる段になってほどなくシオリが姿を現した。が、彼女は藪を抜けきる前に、照明の光に気付き藪の中に戻ってしまう。
四之宮・柚木(無知故の幸福・e00389)がはっとして、ひとまず後方にテープを張りに退がる。神藤・聖奈(彷徨う術士・e27704)は道中の案内を思い出し、驚かせぬようにと落ち着いた声を、藪へ向けて発した。
「眩しいようでしたら灯りは下げますので、どうぞこちらへ。奥に居ては怪我をしてしまいます」
禁じられた領域へ立ち入った事を咎める形ではなく、相手を案じるよう。彼女の言葉通りに光は前方を照らすのをやめ、退がったジエロは鳴無・央(緋色ノ契・e04015)と分担して手持ちの照明を周囲の地面へ配しに動く。少女を直接照らす事を避けつつ視界を確保する試みだった。最早辺りは夜と同じ色をしている。
「驚かせてしまいすまないね。だが、出て来て貰えないかな。きみをこのままにも出来ない」
空の手を伸べるようにして、ジエロが重ねる。待つ間は沈黙となり、ややの後に相手方から破られる。
「……あなた方は誰、ですか」
か細い声は、見知らぬ相手を警戒する子供そのものといった風。藪の奥から向けられる関心は、こちらの出方を窺う様。
「……ボク達は、ケルベロス、です」
「──ああ……。来て、くれたんですね」
確かめるべく応じたのは神宮時・あお(散リ逝ク桜・e04014)。囁くような声への返答は小さな吐息。安堵したようなそれを聞いたゆえにあおは、相手が言葉を続けるより先に再度口を開いた。
「あの、……教えて、下さい」
シオリは此処へ来る前に山奥で人型をした他者に遭っている筈。あおは確かめるように問い掛けて、相手が不思議そうにする様も今は後回しとばかり、その金色の目で相手を見つめる。
「あなた様が遭った、そのひと、は、ボクと同じ、眼の色、をした、ひと、でしたか……?」
「……違うよ」
此度の答えはやや硬い。その色は滲む緊張をケルベロス達が感じ取るには十分で、加え他人との交流に不慣れな者以外には、シオリが嘘を吐いていると判断出来た。彼女が目を逸らしたであろう事も。正直には答え難く、しかし偽りを紡ぐ事も躊躇った子供らしい嘘の吐き方に、シグリッドは痛む胸を押さえた。
だが油断は出来ない。シオリが真実ヒトならば、ここで嘘を吐く理由など無い筈で。
「……そう、ですか」
頷いたあおの声は感情を窺わせぬ静かなもの。遣り取りを見ていた央は今一度、出て来るようにとシオリを呼んだ。
「……はい。もう、良いですもんね」
シオリが動き、藪が揺れる。改めて姿を現した彼女は薄闇の中、肌を埋める白い花を強く──強く、香らせた。
「あなた方は、私の敵だから」
声が纏ったのは殺意。『私の』と謳う彼女は紛れもなく害悪そのもの。濃い花の香は前に立つ者達を包みその意識を侵す。
「こうなるより先に逢えていれば……などと言っても詮無きことか」
「これもお仕事ですしね」
白いゼラニウムが揺れている。蔦は鎌首をもたげる蛇のよう。
「クリュ」
ジエロは傍らの小竜を促した。空いていた手に、杖に変じた蛇が納まる。
「最適解はこれしか無いんだ、許せ」
「──お優しい事で」
とうに心は決まっていて、それでも奥深くに痛みを抱えるかのよう低く落ちた声に、央が呟いた。負うと決めた荷はきっと、数で言えば緑眼を眇める彼の方が少ないのだろうけれど。
「ならばお互い様だろうね」
応じる青年の声は淡く笑むに似た。たとえ見据える先が違えども、二人共が同じように此処に居る。
だから、する事は同じ──目的であれ手段であれ、今はただ彼女を葬るだけ。
●
坂に刻まれた段の中程へ敵を釣り出す間に立て直しを試みる。雷壁と小竜の支援で足りぬ分は各人が。
「違えは……させは、しません」
苦痛を逃がすよう息を吐いたレクシアが見据えるのは敵の姿。戻せはしない、だがせめて、と想いを込めた。たとえ少女に届かずとも。
「奥をお願い致します」
敵の退路を塞ぐよう、シグリッドが仲間へ依頼する。応じ動いたレイナは癒しの光と巫女の舞を見、自陣の状態に問題は無いと判断してビハインドへ指示を出す。ラップ音が空気を震わせるに合わせ主の纏う気は刃と化し敵を斬る。硬い手応えに、敵の蔦が見目以上に硬質である事を知って皆へ注意を促した。
だが、解っていればそれだけだ。隙を作り難いならば息も吐かせぬよう攻めるだけ。その為に癒し手は戦況に目を配り皆の負傷に気を配り、央の黒刀が炎を纏い緋色を咲かせ、ジエロの唇が熱を紡ぎ夜気をなお赤く染め上げる──攻め手達は元より、援護を主とする盾役達も攻勢に出易い状況が成り行く。攻撃は着実に重ねられ、敵を捉える事も既に困難では無い。此方が受ける傷は決して軽くは無かったけれど、攻め崩される程でも無く。
憂うならば一つだけ。敵がケルベロス達からの攻撃を受けた際に少女、即ちシオリ自身が痛みを訴える如く苦鳴を零す様に、眉をひそめずには居れない者が何名か。
家人には姉さえ居れば良い、己などここで死ねば良い──でも死ぬのは怖い。攻性植物が『シオリ』を演じているのだと判っていて、それでも少女自身であるかのように己が今を嘆く幼い姿に、堪えきれず柚木は口を開く。
「君を助けてくれる人は、一人も居なかったのか? 君の姉は?」
「……『私』に構っていたら怒られる。そんな暇があるなら勉強しなさい、って」
答える少女の視線は追憶めいて彷徨った。彼女の姉は周囲の期待に応える事だけで手一杯だったのかもしれない。己が境遇を重ね柚木は言葉を続ける代わりに歯噛みした。愛を否定する白い花は、戦いの中で一層鮮やかに咲き誇る。誰を床にしたかすら最早見失わんばかりに、ヒトの肌を覆っていた。
「それでも、その姉ごと殺すんだろ」
それが少女の現状で選択だろうと、央は肩を竦めた。少女を案じるなら好きにさせてやれば、と言うような、冷めた声。ケルベロス達が介入するのはただデウスエクスが絡んでいるからであって、少女の世界に元より無理があった事は真。思うところがあったのだろうか、柚木は目を伏せ、しかしレクシアが首を振る。
「だとしても、デウスエクスの力で以て……というのは」
最早ヒトでは在り得ぬから、というのもあろう。だがそれ以上に、シオリの記憶に依る声は『己など』と卑下するものが主で、例えば『姉が居なければ』などといった周囲への呪詛は無かった。たとえそうした心が彼女の奥底に在ったとしても、本人の自覚が及ばぬ範疇の事と仮定すれば、止める事もまた一つの答え。
「そうですね、その結果にユグドラシルの思惑通りに……など、きっと彼女は望まないでしょう」
目深に下ろしたフードから覗く聖奈の口元は理知的に笑む。その手が御した炎は過たず敵の身を呑み、刻む痛みを加速する。
シオリの真意や望みを除外して考えても、やはり為すべき務めだと、央もまた理性で承知していて、ゆえに彼の目は情深い者達の苦しみを確と認識していた。彼女達の優しさはきっと、背負って抱え込む形。
「だから『救う』のだろう」
静かに舞った声はジエロのもの。彼の意識は敵の動きを警戒しつつ、彼の優しさはその奥のシオリへ向けられる。彼女が彼女のまま在れない以上、不可逆の死だけが彼女を解放する術と。
「──迅速な処理を」
レイナの声は同意の色を孕んだ。『シオリ』が少しでも貶められる事の無いように、苦痛は少なく済むように。一呼吸でも早い終わりをと正確に傷を重ねて行く。
その流れに抗う花が、幾度目か辺りを濃密な香りで包む。後衛に緊張が走り、盾役達が動いたものの、爪痕はまばらに残る。散ったそれに、治癒の手を増やす必要があるとの認識が行き渡った直後、遊撃に動く柚木が気付き警告を発した。
「──、est」
だが遅かった。抗うように仰け反る体と閉じた喉が苦しげに、自傷を命じる。宙に生じた方陣から星が降る。己が状態を正しく認知した結果に一刻も早い治癒をと理性が告げたところで、いざ体を動かす段に意思が背いてしまったならば、狙う通りに動ける筈も無い。備えて魔衣を纏っていたところで殺しきれる術では無く、衝撃に聖奈の体が傾いだ。
「お待ち下さい、すぐに手当を致しますわ……!」
運良く花香の侵食を免れたシグリッドが祈るよう杖を捧げ持つ。極光が闇を染める傍らで、皆の聴覚を撫でたのはあおの詩。案ずれど顧みず託す事が、今この瞬間の彼女の務め。囁きは標的の世界から音を奪い続く動きを封じ、次へと繋げる。
「どうか、安らかな眠りを」
治癒を受け、状況報告がてら発された聖奈の声は揺らがぬ響きで、シオリへの慈悲を象った。逃げを打つよう歩を刻む少女の行く手はレクシアが塞ぐ。ごく短い距離を滑り先手を取る事を許した蒼い獄炎が担い手と、厭い地を蹴る敵を白く照らす。かざした娘の掌に青白く炎星が揺らめいて、過ぎる熱は知覚を超えた痛みとなり呪う緑を焦がした。
●
白花は萎れ地に伏した。未だ蔦に埋もれた小さな体をレクシアが抱き起こす。隣に屈んだ柚木は少女の肌が土と血で汚れているのを見、それを拭ってやった。
蔦をよけてシオリの姿を検める。白いブラウスに灰色のスカートを合わせた服装は、足元がスニーカとはいえ山へ入る装備とは言い難かろう。手も脚も服も、生えた蔦や戦闘の影響のみならず酷い状態だった。
「彼女であった事は、偶然なのでしょうか」
レクシアの声は反語めいた。
「ですが、彼女は山奥へ立入り『主』に遭いましたものね。……『主』は、知っていたのでしょうか?」
であれば予知に似ていると、シグリッドが首を傾げた。だが断定には材料が足りない。「敵がそう仕向けた可能性も検討して良いかもしれないわ」
とは、町人が此処へ来ぬよう仕向けた一人であるレイナの言。
「遺体をお返しする、のはかえって酷でしょうし、せめて遺族の方に説明が出来たらと思うのですが……その際に普段のシオリさんについてを聞ければ、その辺りの結論も出し易いかもしれませんね」
レクシアが顔を上げた。他者から見たシオリの評価に関しては、ケルベロス達が抱いた印象から大きく外れるものではない可能性が高かろうが、材料にはなり得る。
「すまない、それに関しては任せても良いだろうか」
しかし柚木は顔を曇らせた。過ぎったのはシオリの記憶に基づいたであろう敵の言。町人達がもしも少女を悼んですらくれなかったら──仮定だけでも、柚木が恐れるには十分だった。
「きっと、良い報告をお持ち致しますわ」
シグリッドの言葉は、シオリへも向けたもの。今彼女が幼い少女の髪をそっと撫でるように、間違っていたのは正しく届かなかった事だけで、愛は少女の目を眩ませる霧の向こうにきちんと在ったのだと信じたかった。
(「ですから、覚えておきますわ」)
目を伏せる代わりに唇を噛んだ。穏やかな昼の晴天を映した如き瞳は、シオリの姿を焼き付けるように強い色を湛えていた。
「なら俺は、その間に山を調べて来る」
痕跡くらいは見つかるだろう、と央は既に藪へと踏み入り。黄薔薇の時のように羽と花弁程度であれど、そこに『主』が居たのだと確定出来れば、麓の情報と合わせて『主』の動きを察知する助けになろう。
「お伴しても良いでしょうか? お一人で調べるには骨が折れるかと」
聖奈が後を追うが、青年は彼女が羽織るフードと髪に目を遣り緩く首を振る。
「まあ、何とかなるだろ。子供の足で行ける範囲の筈だしな」
彼の声は、手伝いなど不要と突き放すようにも、夜の山は危ないからと相手を案じるようにも、どちらとも取り得る温度。拍動一つ分の間彼を見上げたのち聖奈は、お気を付けて、と微笑んだ。
「一応、連絡はつくように」
「ん」
折れた枝を治していたジエロの言には割合雑に頷いて、央はふと気付く。
「一人足りない」
問いがてら皆を見遣る。今此処に居るケルベロスは七人、最年少の姿が無い。ああ、と応じたのはレイナだった。
「神宮時さんはヒールがてら辺りを見て来るそうよ」
「……そうか」
迷惑を掛けぬよう、邪魔にならぬよう、と考えたのだろう、少女はひっそりと言付けて行ったようだ。往路のヘリオン内で既に緊張状態にあった彼女の様と、機内に預けて来た愛犬の気落ちした声を思い返し、央は口の端を微かに下げた。
戦闘の影響で荒れた山を癒して回るあおの胸中は、穏やかならざるものだった。周囲の修復を務めとしていなければ、その手は傷が出来るほど握り込んでしまっていただろう。けれど少女には、肉体の傷などよりもかつての記憶が痛い。
死ななかった、逃げた、今も生きている、謝罪の言葉を紡ぐ術がある、そう在る己は罪人なのだと、少女は自身を責める。それはかつて暴力と共に刷り込まれた、彼女に与えられた世界の在り方で、ゆえに少女は今回もまた苦しみに頭を垂れる──シオリの為の祈りなのか、己の為の懺悔なのか、最早境界は曖昧で。
「……ごめ、ん、なさ……い」
機械的に動く唇はしかし、このままではいけない、との思いゆえでもあった。事件を追ううちに確信に近い見当を付けた『主』に関する情報を議論の場にあげれば、彼女の足取りを掴む事はより容易くなるだろう。
(「でも、皆様に、迷惑は……」)
どうしよう、と悩む代わりに再度謝罪の言葉が零れた。体は未だに憶えていて、脅えている。
(「……皆様の元に、戻るまで、だけでも」)
猶予はもう無いと知りつつ、少女はあと僅かだけ迷わせて欲しいとばかり足を緩める。
震える小さな手が、胸元で重なり強く握られた。
作者:ヒサ |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2016年11月1日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 1/感動した 0/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 0
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