●宵の明星
場所は伊豆半島。日が沈み、空の蕩ける妖しい時間。
山間を開いた華麗な旅館で、着物を着込んだ人々が船盛を間に笑い合っている。
その宴を、遠く海岸近くの森から見詰める一対の瞳。
頭にダリアの如き巨花を生やした女が、歌うように囁く。
「……おいでなさい」
やがて、声音に惹かれるように一人の娘が姿を現した。
宴から誘い出されたらしい、一つの乱れもない緋の着物の娘。
砂に足を取られて下駄の鼻緒が千切れ、娘は巨花の女の胸元に縋りついた。
「皆……くだらないの」
その言葉は、夢遊病者のようにふわついて。
「そうね。家族も友人も恋人も、等しく己より下にしか見えないのね」
「何の価値も……感じない、の」
「それが自分の驕りだと思う心がありながら、他者を認められないのね」
娘は鋭い瞳に憂いと自己嫌悪を満たして俯いた。
「あなたの秘めた邪念……私は、その全てを受け入れてあげる。だから、あなたも受け入れなさい」
黒い翼が娘を覆い、しゅるりと這った蔓が細首をきゅっと絞め上げる。
「あっ……」
受け入れたらどうなるのかを感じ取っているように娘は震え、同時に誘惑に耐えかねるように女の唇を凝視して。
「私は、無理強いはしない……受け入れるなら、さあ、唇を開いて?」
細い指が唇を這い、娘は震えながらそれを開いた。
重なり合った唇の間に、とろりと何かが流れ落ちる。
「……蕩けなさい。『あなた』と引き替えにね」
突如として響き渡る、全てを嘲笑うけたたましい笑い声。
巨花の女が手を引いて、それを森の奥へと引き連れていく……。
それは、デウスエクス・ユグドラシル。
今、この世界の片隅に、たゆまぬ傲慢が、咲き誇る。
●
「何か……何かおかしい」
望月・小夜(キャリア系のヘリオライダー・en0133)は資料を睨みながら、指先を食む。
「あぁ、もうお集まりでしたか。失礼しました。始めましょう」
と、言いながら小夜は資料を配る。
「場所は伊豆半島。日暮れ時、高級別荘地の一角で開かれる宴会の現場に、一体の攻性植物が襲撃に来ます。それを迎撃していただきたいのです」
攻性植物には、すでに取り込まれた被害者が一人。数日前に別の高級旅館の宴会から神隠しにあった人物と特徴が一致している。
資料にはそうあるが、救出については小夜は首を横に振った。
「もはや間に合いません。彼女は完全に攻性植物に取り込まれ、苗床と化しています。敵は苗床の知識や性格をトレースして操ることが出来るようで、一定の言語コミュニケーションは可能です。が、説得は一切不可能とお考え下さい」
命乞いや交渉とも取れる言葉を発しても、決して容赦せぬように、という。
「実は……先日、似たような事件を予知したばかりなのです。被害者は運悪く一人で森に入って、攻性植物に囚われたのでしょうか? 何か裏があるように思えて仕方ありません」
●ダリア・銀映
だが、考えても仕方がない。小夜は敵の特徴について話を始める。
「仮に敵を、銀映と呼称しましょう。そのような品種のダリアと似た花を、苗床の頭部にコサージュのように生やしています。それこそが銀映の本体。皆さんが倒すべき、攻性植物です」
ダリア・銀映は、伸ばした蔓で相手を絞め上げる以外にも苗床の躰を用いて攻撃するという。
「苗床となったのは六条・寿子という22歳の女性と目されています。上流階級の家庭で厳しくしつけられた、身持ちの堅い人だったそうですが……今は、相手の人格を否定するような言動で反抗心を押し潰し、熱くいざなう言葉で他者を仲間に引き込もうとして来ます」
それがトレースした言動であるということは、逆を言えば彼女の中にそういう抑圧されていた部分があったのだろう。
「実はそこに弱点があります。銀映はそのコピー人格を強く揺るがすような言葉を掛けると、混乱を引き起こすのです。知性を得てまだ日が浅すぎて、ソフトウェアエラーに対処できないのでしょう。計らずも、人としての被害者が遺した置き土産、と言ったところでしょうか」
戦闘場所は宴会場に至るまでの海岸付近の藪の中。そこで闘えば周囲に人がいない状況で闘うことが出来るという。
「例によって、事前避難をすれば他の場所が狙われるため、その手段は使えません。皆さんが敗北すれば、一般人に大きな被害が出ます。心して掛かってください」
小夜が説明を終えると、アメリア・ウォーターハウス(魔弓術士・en0196)が立ち上がった。
「地域、手口、被害者、いずれの傾向も以前の報告と共通するな……私にも、参加させてくれ」
小夜は頷いて全員を見る。
「とりあえず今は事件の解決に専念してください。事後の行動如何によっては、黒幕の尻尾を掴める可能性もあるかもしれません」
謎を残しつつも、小夜は出撃準備を願うのだった。
参加者 | |
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ラウラ・ロロニ(荒野の琥珀・e00100) |
東名阪・綿菓子(怨憎会苦・e00417) |
藤守・つかさ(闇視者・e00546) |
村雨・ベル(エルフの錬金術師・e00811) |
八剱・爽(ヱレクトロニカオルゴォル・e01165) |
レイ・ジョーカー(魔弾魔狼・e05510) |
リュリュ・リュリュ(リタリ・e24445) |
カリュクス・アレース(ごはんをおやつをくださいまし・e27718) |
●宵に咲く花
秋の日没が、夜と混ざり合う。
藪の中に響くのは、寂し気な波音。
「一般人を取り込み、人格をトレースして動くデウスエクスか……今までの寄生型と違って、救えないのが残念で仕方がないね」
リュリュ・リュリュ(リタリ・e24445)は祈りを捧げるように目を閉じる。
「ああ……助けられないのは……無念だな」
ラウラ・ロロニ(荒野の琥珀・e00100)も、同じ気持ちだ。迷いを吹っ切るように語るのは、東名阪・綿菓子(怨憎会苦・e00417)。
「もう助けられない人に感傷抱いたってしょうがないわ。サッパリ終わらせるしかないじゃないの」
三人は、互いに覚悟を重ねて頷き合う。
その隣では、藤守・つかさ(闇視者・e00546)と、レイ・ジョーカー(魔弾魔狼・e05510)が共にライトを設置しながら。
「戦闘前は消しておいた方がいいかな。待ち伏せされてると思って逃げたりとかするような奴だと思うか?」
そういうレイに、サポートのディーネ・ヘルツォークが応えた。彼女はこの伊豆半島の事件において、前回からの続投組だ。
「……気にしないでいいと思う。前の奴は、自分から寄ってきたから」
敵はむしろ人のいるところへ向かおうと、積極的に寄ってくるだろう。灯に誘い込まれて燃え尽きる、蛾や蝶のように。
と、八剱・爽(ヱレクトロニカオルゴォル・e01165)が、その姿を認めて。
「あ。来たのか、ディーネ」
「ええ。前回ご一緒したあなたの助けになればいいかな、何て……」
「あぁ……うん。助かる。ありがとう」
爽の疑念には、まだ根拠はない。それでも、彼は頷いて礼を言った。
全国で一斉に現れ始めた寄生型攻性植物の謎。無論、それを追う者は、他にもいる。
「暗躍する何らかの敵が……伊豆半島の高級レストランとか高級旅館ばかりを狙ってる……ぽい? 近くに隠れ家でもあるのかな」
村雨・ベル(エルフの錬金術師・e00811)はそう言って首を捻る。つかさが、その脇に歩み寄って。
「動機に関しても、今のところ謎が多い。攻性植物が明確に意図をもって動き出した……のか? 一つずつ確実に対処するしかない、な」
その傍では、黙々と録画機器などを設置している村雨・柚月の姿。彼は様々な事件現場のサポートに回り、独自の情報収集を試みている。
「各地で起こる同様の事件……被害者の体に咲く花が違うんだよな……」
ぽつりと漏れる独り言。だが思案によって回答にたどり着くには、まだ情報が足りなすぎる。
一方、カリュクス・アレース(ごはんをおやつをくださいまし・e27718)はアメリア・ウォーターハウス(魔弓術士・en0196)と作戦の詰めを行っている。
「打ち合わせ通りに活性化してきた。指示をありがとう。しかし……強烈な催眠下で、正確にシャウトを実行できるかは自信がないな……」
「ヒールがシャウトしかなければ、少なくとも敵をヒールすることはありません。それだけでも、大分違います。……さ、かなしきひとを、苦しませぬようおくりましょう」
話し合う二人の傍には、サポートの機理原・真理と彼方・悠乃。今回、サポートに来たのは、合計で四人。
「六条さんはどうやっても助けられないのですね……残念です」
そう問う真理に、悠乃が応える。
「説得での救出は不可能……それでも希望をつかみたく思います……」
だが、話し合う時間は、もうない。
「……おいでなすったようだぜ」
レイが、そう言った。
さくり、さくりと、足袋が草を踏み分ける音。押し殺した含み笑いと共に、近づいてくる。
「あら、あら……わんちゃんたちがいるわ」
言い終わるより先に、ラウラとベルの殺界が藪の中に展開していた。凍り付くほどの殺気を受けながら、紅の着物の娘はにんまりと口の端を吊り上げる。その躰を、無数のダリアで彩って。
『ふくれっ面して……尻尾くらい振ったら如何?』
番犬の群れが、一斉に飛び掛かる。
寄生型攻性植物、銀映……そして、今は滅びた女の幻影へ向けて。
●高慢のダリア
レイの拳銃が翻り、牽制の銃弾が花を掠めてそれを散らす。
「気をつけろ! 恐らく今のがグラビティだ!」
前回を経験した仲間から、すでに敵が呪いの言霊を操ることは聞いている。
「わたがしが引き受けるわ」
飛び出すのは綿菓子。放たれた高慢の呪詛は、重力の波と化して襲い掛かる。
「く……っ!」
骨をへし折ろうとせんばかりの圧力。だが、ベルのライトニングウォールがそれを背後から解きほぐす。
「なるほど。一種の呪文……呪言ですね。文字通りの」
次の一手を読もうと敵の力を分析するベル。綿菓子は、ふっと強く気合を吐きだし、圧力の残滓を押し退ける。
「大丈夫よ。進んで頂戴」
頷くのは、リュリュ。アメリアの矢を先頭に、カードや光線のサポートが弾け飛ぶ中を、突貫する。
「より多くの人たちが助かるなら、ためらわない。リュリュは、勝つよ」
その蹴りが、援護によって態勢を崩した娘の肩を捉えた。だが弾かれつつも、娘はその覚悟を笑い飛ばして。
「牙を剥く狂犬は、ただ相手を噛み殺すだけよ。あぁ、悍ましい……」
信じる道を貫かんとする騎士に向けられたのは、生き方への侮蔑。リュリュの瞳が歪み、血の気が引くように表情が凍り付く。
「……銀映、だったか。質の悪い性質だが、今回はそれが幸いしたな。これなら、迷わないで済む」
怒りに燃え、口調から幼さを消して、リュリュは槌を構える。
向き合うダリアは、けたけたと笑う。
(「嫉妬の次は傲慢……優越感、か。人の秘めた邪念を引きずり出して利用する……反吐が出らぁ」)
事件の背後に見え隠れする何者かの手口を呪いながら、爽が飛び込んだ。
「ずっと抑圧していた優越感を振り回すのは愉しいか? その花を手に入れて誰よりも優れた存在になったとでも思っているんだろーがお生憎様。お前はあの『女』に憐れまれて、花を寄生されただけだ」
娘は爽の蹴りこそ蔓草で受け止めたものの、脇から飛び込んだつかさには対応できなかった。
(「弱さは誰にだってある……そこに付け込むとかふざけんな……」)
一瞬目を閉じたつかさの思案は、しかし稲妻突きを鈍らせはしない。閃光が帯を掠め、帯留めが鈴の音と共に落ちる。
「今だ……!」
飛び込んでくるのは、バイクと小竜……ファントムとトゥルバを引き連れたラウラ。
「被害が……でる、まえに……! いくぞ、お前たち……!」
二体分の体当たりの援護を受け、ラウラの火炎の蹴りが娘の躰と花を散らした。小さな悲鳴を上げて、娘は距離を取った。
「耳障りな吠え声。この躰は他人が……誰かを喰い千切ることしか頭にない、あなたたちみたいなのが、下劣に見えて仕方なかっただけよ」
言いながら、娘は己の周囲に背丈を超えるほどのダリアの花を幾本も呼びだして行く。
「所詮は自分の尺度でしか人を測れない人間か。あるいは他人を測って『少なくともこいつよりは上だ』なんて思い上がっていたのかい?」
リュリュが鼻で笑い、娘の額に醜いしわが寄る。
「そうかもね。この躰は、その想いを必死に打ち消そうとしていたわ。でも私と一緒になった今は解き放っていいの……」
その顔に浮かぶ笑いは、どこか引き攣って。
「寿子さんは素晴らしいお家で育ってきて、何か不満があったのでしょうか? 抑えつけていた気持ちが、己を潰してしまうほどに辛かった、と? そう言うのですか?」
カリュクスが、ダリアを槌で薙ぎ払いながら問い掛ける。歪んだ憎悪を向ける娘の瞳が、素直な疑問を向けた戦乙女の視線と絡み合った。
「そうよ。でも今は自由……私も、この躰も」
「それで……自分が幸せだと思い込むのか?」
爽の一言は、果たして誰に向けたものだったろう。
今はもういない女にだろうか。
それとも……。
●惑いて散りて
日没の明かりも、今はもう消えつつある。秋の日は、瞬く間にその姿を隠してしまう。
『愚図ばかりの他者の中で溺れてしまいそうな気持ちになるでしょう? 私と来なさい。解放してあげる』
心奪わんとする波が、激しい頭痛となって前衛を打ち据える。鎮めの雨で、その呪いと真っ向から打ち合うのは、ベル。
「六条寿子。あなたはもう無価値ですね。人としてもう終わりを迎えています。今のあなたはクランケとしての価値も無い、ただの動く屍のようなもの。なぜそんな事をしているのか答えられないなら、あなたには何の価値もありません!」
慈雨の中、リュリュがダリアの群れに突っ込んで。
「私もこう断じよう。貴様は誰よりも醜悪で、価値が無い。貴様は私には勝てない」
押さえ込もうと伸びてくる蔓草を、降魔の拳が引き千切る。
「酷い言いぐさ……でも共に来ないなら、あなたたちにも価値がない。価値のない、醜い者同士の闘いね」
娘が響かせるのは、他者への嘲笑に混ざる自嘲めいた響き。
「寿子……いろいろ、悩んで……いたのだな。ほかの人より……よくありたいと、おもうのは……わるいことじゃない……」
トゥルバの属性をインストールし、ラウラがダリアの林を突っ走る。
「でも……おなじ道に、つれていくことは……かっこわるい……。おまえは……そんな、卑劣な存在じゃ……ないはずだ」
「何よ。この躰のこと、知ったような口利いて」
延びてきた蔓草をトゥルバが引き受け、ラウラは侵食の弾丸を放って次々に枯死させていく。構わずに押し寄せるダリアの森が彼女を覆い尽くす、その寸前。
「させないわ」
綿菓子。言葉を掛けずに相手を見定めていた少女が、その傍に降り立って。蒼い短刀を呼びだすや否や、がむしゃらに薙ぎ払う。
「わたがしが掛けてあげられる言葉は一つだけ。『人を認められない人間は、人から認められることもない』ってことよ。今のあなたが人を否定することしか出来ないのなら、わたがしたちもあなたを否定するわ」
その切っ先は、真っすぐ娘に向けられる。
濁っていた娘の瞳が揺らめき、その唇の端が震えて笑う。
「……まるで、問い掛けみたいね。この躰は、それが幸せのはず」
「ホントかよ?」
ファントムの車輪が火炎を飛ばし、相棒を足場に高く飛びあがる影が一つ。
「アンタ、良いトコのお嬢さんなんだってな。本心から人を思いやれないことを悩んでたと聞いてるが……アンタ、本当は思いやれる人間だったんじゃねぇのか? でなけりゃそんな風に悩んだりはしねぇだろ?」
レイが、そう語りかける。
ぎっと、娘の瞳が空を睨み据えた。その手がさっと宙を指すと、生き残っているダリアの群れが彼が乗っているファントムを目掛けて伸び上がる。が。
「……動揺してんな。連続で同じ手を使っちゃ見切られちまうぜ……撃ち抜け! ブリューナク!」
輝く光弾が、分裂して降り注ぎ、伸び上がったダリアの花々を粉砕する。抉られた大地に土煙が舞い、細い悲鳴が上がった。
「飛び込めそうだ。援護を頼む」
「了解した」
「せめて、出来るだけ痛くも苦しくもないように……」
つかさの要請に、頷くのはアメリアと真理。サポートの仲間がダリアを切り払う中、黒い影が跳躍する。
「お前は自分自身が選民意識を抱いてる事も、それ故に他者を下に見てしまって思いやれない事も、ちゃんと自覚してたしそれで悩んでたんだろう? それなら……変わる事も出来たはずだ。変わろうと努力もせず諦めてるんじゃない」
嵐のような攻撃に、林立していたダリアの群れも制圧されつつある。陥落しつつある砦の中心で、娘は喚いた。
「何よ、今更! 私も、この躰も、幸せなはずなのよ! どうしてそんなこと言うのよ! こんな気持ち……どうすればいいのよ!」
ハッと娘が気付いた時。その眼前に、つかさが身構えていた。
渾身の突きがその胴体を捉え、娘の躰が宙を舞う。
「ぐっ……」
帯が千切れ、着崩れた着物の下でぜいぜいと息を切らし、娘は顔をあげる。そして、己を見下ろすカリュクスと、目が合った。慌てたように娘は手をかざすも、それに反応する花はない。
「制圧完了よ。これだけいれば、草むしりも早いわ」
ディーネが、生き延びた最後の一本を切り裂いた。
「……終わりのようです。最後に本音で言いたいことはありますか?」
カリュクスの唇が、柔らかくそれを尋ねる。
「本、音……?」
娘の瞳はふるふると震えながら、カリュクスと睨み合った。隣に歩みを進めた悠乃が、呼びかける。
「いつかこちらの方たちのように、想いを込めた蘇生儀式で解放することが出来るかもしれません。コギトエルゴスム化していただければ……」
「うるさい! 六条・寿子はもういないのよ!」
その悲痛な叫びは、攻性植物が自分を確立しようとする叫びなのか。被害者が遺した絶望だろうか。娘が、手を振り上げる。
「かなしい、ですね。仕方がありません……」
痺れを帯びた蹴りが、再びその躰を弾き飛ばした。着物がはらりと舞い、泥に塗れた襦袢一枚になって、その躰は木に激突する。
「わた、しは……幸せの、はず……」
壊れたような呟きに構わず、乱れた髪を踏みつけ、虚ろな瞳の隣にその足を置く影。
「死ぬ前に答えろ……銀映。お前の主は黒い四翼の女だな?」
不吉な影を投げかけながら、爽がそっとしゃがみ込む。
「黒い……翼……」
虚ろだった娘の瞳は、しかし、その言葉で何か思い出したように焦点を結んだ。
「そうよ、私は……あのひとに仲間を届けなければ」
爽の瞳が、僅かに歪む。
「私は銀映。高慢ちきな女よ。死ぬ瞬間までね!」
指先の皮膚を突き破り、蔓草が一斉に爽を絡め取る。だが呪言が娘の口から紡がれる刹那、積み上げられていた呪いがその躰に痺れを走らせた。
「っ!」
「そうか……哀れな奴」
爽のかざしたスマートフォンから飛び出すのは、蒼い光。光閃星花が至近で弾け、娘の躰を吹き飛ばした。
はらはらと舞うのは、薄紫の花びら。
ダリアの花が、散っていた……。
●闇夜、再び
闘いは、終わった。
藪は完全に闇に覆われ、ランプの灯りが風にゆらゆらと揺れている。
ラウラはトゥルバの顎を寂し気に撫でた。
「これ以上……被害が増えないよう……なにかしなくちゃな。こんな事件を、続けさせるわけには……いかない」
ため息を落として顔をあげるのは、綿菓子。せめてと、残った被害者の遺体をヒールして。
「寿子さんってお名前は、ご両親が長寿を祈って付けたお名前だと思うのよ。もしこの事件が誰かが狙って仕組んだ事なら……はっきり言って許せないわ」
「明日から……聞き込みや、被害者が襲われた事件現場の特定を行おう」
つかさが、倒れた被害者の瞳を、そっと閉じた。
「変わりたかったお前の想いが、敵の攻撃を緩ませてくれた……最後の最後で、諦めなかったんだな。おやすみ」
銀映は闘いの後半、積み重ねられた語り掛けに、明らかに錯乱していた。攻性植物としての使命と、被害者の遺した感情に、板挟みとなって。
それが、彼女が遺した最後の言伝。
解放された魂に果たして救いはあったのか。それは推測する以外にないけれども。
レイが、灼けつくような怒りを吐く。
「罪もねぇ女性をこんな風にしやがって……絶対に許せねぇ」
だがこの銃を向ける相手は、誰なのか。唸るエンジン音で応じる相棒と、どこへ向かえばいいというのか。
姿を見せぬ黒幕に、苛立ちばかりが募る。
カリュクスがそっとその背に、手を添えて。
「……今は、彼女を見送りましょう。祈りも、一つの務めだと思うのです。ね?」
その問い掛けにアメリアが頷き、真理と共に祈りを捧げに行く。
少し離れた場所で、散ったダリアを眺めているのは、悠乃とリュリュ。
「……救えませんでしたね」
「仕方ないよ。残っていたのは被害者の記憶と、コピーされた人格であって、本人じゃなかった。だって最後の瞬間、あれは『銀映』だったもの」
被害者の本質に翻弄されながら、銀映は銀映なりに苗床から脱却した自我を得ようともがいていた。
この事件に投げかけられるのは、暗い影ばかり。その影から手掛かりを拾おうと足掻く以外にない。
「さっきの会話……聞かせてくれないか。録音、してたろ?」
爽が言う。撤収の準備をしていた柚月が、驚いたように振り返った。
「ああ。いいよ」
特に、拒む理由はない。爽は己と銀映の会話を聞き返した後、礼を言って録音機材を返した。首を捻りつつも撤収する柚月に代わり、語りかけるのはベル。
「……敵に、尋ねてましたね。何か、心当たりでも?」
「いや……証拠や根拠があるわけじゃないんだ」
「でも『銀映』は否定しませんでした。これでも注意深く、見ていたんです」
そう。否定はなかった。いやむしろ……錯乱していた銀映は、主人の姿を思い出したかのように、我を取り戻した。
確信めいた直感はある。だが、それは己にしか通じないものだ。
「……」
重い沈黙が二人の間を流れる。ディーネや綿菓子が遠くから見詰めているが、してやれることは何もない。
やがて、ベルが立ち上がった。
「何か証拠を掴めたら、言ってください。その時は、私も協力しますよ」
番犬たちは頷き合って、帰路につく。
……因縁の糸は絡み合い、多くの人々を巻き込みながらこの地に寄り集まりつつある。
追い続ける者のある限り、やがてその糸が何かを手繰り寄せるだろう。
その時、番犬たちの前に現れるのは果たして何なのか。
朧な月明かりが、未来に冷たい影を、落としている……。
作者:白石小梅 |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2016年10月17日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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