深い夜の帳が下りた頃。暗闇に閉ざされた森の中を、一人の青年が歩いていた。
虚ろな眼差しの青年は、灯りも持たず、寝間着も同然の格好で、けれど何かに導かれるように、真っ直ぐに歩いていた。
やがて青年が辿り着いた先には、一人の女がいた。
深く昏い赤と黒で彩られた長い髪とドレス。一見すると令嬢の如き佇まいを見せてはいるが、ドレスの裾から覗く無数の触手は、彼女が人ならざる存在、攻性植物――『デウスエクス・ユグドラシル』であることを示していた。
青年の姿に気づいた女は、微笑みを浮かべ、手を差し伸べる。
青年がその手を取ると、女は青年へと身を寄せて――何かを囁くように唇を動かした。
次の瞬間、女の足から生えていた攻性植物の一部が青年の身体へと移り、瞬く間に青年をその身に取り込んだ。
一瞬にして攻性植物へと『変えられて』しまった青年に、女は微笑んだまま耳元でそっと囁いた。
「――さあ、お行きなさい」
甘く密やかなその声に突き動かされるように、青年は来た道を戻り駆けていく。
攻性植物となった青年が向かう先には、いつもと変わらぬ穏やかな夜を過ごしている、人々の世界がある――。
●惑わしの森の傀儡
とある街の市街地に攻性植物が現れると、トキサ・ツキシロ(蒼昊のヘリオライダー・en0055)はその場に集ったケルベロス達へ説明を始めた。
「その攻性植物は近くにある森を抜け、グラビティ・チェインを求めて市街地を襲撃しようとする。皆には、この攻性植物が市街地に入る前に倒して欲しいんだけど、……この攻性植物は、どうやら一人の青年を取り込んでいるようなんだ」
その青年の名は、村石・遼太(むらいし・りょうた)。森の側にある街に住む大学生で、数日前から行方不明になっていたのだが、この攻性植物が取り込んでいる人物と特徴が一致したのだという。
「出来ることなら助けてほしいって俺も思う。でも、遼太さんは既に完全に攻性植物になっている状態で、その上で何者かの支配下に置かれている。……例え言葉を掛けたとしても、おそらくは届かないだろう」
そうトキサは続けてから、少し考えるような間を置いた。
「一人で森に入った所を、攻性植物に捕らえられてしまったんだと考えるのが妥当ではあるんだけど。何故遼太さんが一人で森に入ったのか、その理由がちょっと思い当たらなくて」
だが、理由を考えた所で青年が助かるわけでもない。今は何よりもこれから起きるかもしれない事件を未然に防ぐことが先決と、トキサはすぐに次の説明に移った。
青年を取り込んだ攻性植物は一体。配下はおらず、その攻撃方法も一般的な攻性植物と同じで、特別な力は持っていないとのことだ。
そして、攻性植物が市街地に入るために通るルートは既に判明しているので、森の入り口辺りで待ち受けていれば迎え撃つことが可能だと告げ、トキサは説明を終える。
「どうか、彼が……遼太さんが望まぬ罪を犯す前に、君達の手で止めてほしい。彼を攻性植物に変えた敵の存在はまだわからないけれど、皆の力があれば、いずれその足取りを掴むことも、もしかしたら出来るかもしれない。――頼んだよ」
参加者 | |
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紫・恋苗(紫世を継ぐ者・e01389) |
トエル・レッドシャトー(茨の器・e01524) |
森沢・志成(半人前ケルベロス・e02572) |
カルナ・ロッシュ(彷徨える霧雨・e05112) |
白神・璃紗(黒翼の魔術師・e05684) |
佐藤・非正規雇用(スプートニク・e07700) |
矢武崎・莱恵(オラトリオの鎧装騎兵・e09230) |
御堂・蓮(刃風の蔭鬼・e16724) |
夜の帳が下りた森の入口で、ケルベロス達は来たるべきその時を静かに待ち受けていた。
聞こえるのはりんと鳴く虫の声と、どこか生暖かくも感じられる風がざわざわと木々を揺らす音だけ。
この所にわかに聞かれるようになった、攻性植物による新たな、不可解な動き。
何かの前触れだろうかと、御堂・蓮(刃風の蔭鬼・e16724)は胸中で想いを巡らせる。
今までは取り込まれた者の救出も不可能ではなかったが、今回の事件はそれすら許されないのだという。
「何としても、ここで食い止めるぞ……」
苦々しげに森を見つめながら、佐藤・非正規雇用(スプートニク・e07700)は決意を言葉にする。
「これ以上犠牲者を出さない為にも、佐藤お兄ちゃん、頑張ろう!」
矢武崎・莱恵(オラトリオの鎧装騎兵・e09230)は、非正規雇用の声に大きく頷いてみせた。そして二人のサーヴァント、オルトロスの店長とボクスドラゴンのタマも、これから始まる戦いにか、静かに闘志を燃やしているようだった。
――その時。
ざわりと大きく枝葉が揺れ、森の奥から、ケルベロス達が待っていた『それ』が現れた。
一目見て、それを攻性植物と断じるのは、そう難しいことではなかっただろう。
行方不明だった青年、村石・遼太――だったものは、それほどまでにその存在自体を作り変えられていたからだ。
青年の顔色は青く、例えるならば草や葉のそれに似て。取り巻く触手は、青年を取り込んだことで力を得たのだろう、無数に枝分かれしておぞましく蠢いていた。
「そうですか……もう助けられないのですね……」
その姿を認め、白神・璃紗(黒翼の魔術師・e05684)は悲しげに目を伏せる。
「それならせめて苦しむことなく一思いに……というのは、傲慢でしょうか……」
けれど、そうすることでしか救えないと、璃紗は知っていた。
そして、彼がこのようになってしまった『元凶』を許すわけにはいかないという確かな想いが、璃紗の心を奮い立たせる。
「こういった、人が取り込まれる事件は良くありましたが、今回は発見が遅かったということなのでしょうか。――それとも、取り込む力が増している個体が出てきたのでしょうか……」
カルナ・ロッシュ(彷徨える霧雨・e05112)が口にするのは純粋な疑問。ただ、その答えはまだわからないというだけの。
いずれにしても看過は出来ないと、カルナは静かに、敵の姿を翡翠の瞳に映した。
森沢・志成(半人前ケルベロス・e02572)もまた、カルナの言葉に頷いてみせる。
一般人がデウスエクスの手先になる事件も、攻性植物に寄生されてしまう事件も、これまでに何度もあった。
だが、その多くは――被害者を助けることは決して不可能ではなかった。
(「なのに、今回は助けられないなんて」)
青年を取り巻く現実に、彼を救う道を模索することすら許されないのだと思い知らされ、志成は肩を落とす。
「……せめて、これ以上被害が広がらないようにしましょう」
それが、自分達――ケルベロスに出来ること。
救うことは叶わない。それまでごく普通の日常を過ごしていた青年の命を、これから奪わなければならない。
だが、そうしなければ、ケルベロス達の背後に広がる街や人々を、そのありふれた日常を守ることは叶わない。
これ以上、被害を拡大させるわけにはいかないのだ。
「その苦しみからの解放と罪を犯す前に眠らせてやろう。――行こう、空木」
相棒のオルトロス、空木を一撫でし、蓮は攻性植物と化した青年へと向き直った。
「……そこに自分の意思が何もないのであれば、彼は既に亡くなっていると考えるのが妥当でしょう」
それならばこちらも、何の憂いもなく全力を尽くすことが出来る。
トエル・レッドシャトー(茨の器・e01524)は敵へと視線を送り、淡々と思う所を紡いでゆく。
「それに、何よりも。――死者を無理やり叩き起こして利用するその様……不快です」
行方不明となった人が攻性植物に寄生されてしまう。別の場所でも、同様の事件が起こっているのだという。
今回起きたのはその一連の事件の中の一つに過ぎないが、報せを受けたその時から、紫・恋苗(紫世を継ぐ者・e01389)の胸中は不思議とざわついていた。
気になることは多い。けれど、それを確かめるには青年を止めなくてはならない。
(「……この裏に誰が潜んでいようとも、ね」)
市街地へと続く道を背にそれぞれの位置につくケルベロス達を、蠢く攻性植物が見定めるように視線を巡らせる。
攻性植物が攻撃へと移る――その一瞬の隙をつき、トエルが槍のように絡み合う茨を解き放った。ツルクサの茂みの如き蔓触手形態。それは何の迷いも躊躇いもない純粋な火力でもって同じ攻性植物である青年へと絡みつき、鋭くきつく締め上げる。
「せめてこれ以上、貴方の魂が苦しむことがないように。……すぐに終わらせます」
青年への憐憫と、敵への不快感。その両方の色を宿した紫水晶の瞳が、青年を、攻性植物を映し出した。
お返しと言わんばかりに攻性植物がその体に光を集めて花を咲かせ、眩い光線を放つ。その狙いは、メディックとして後衛に立つ蓮だ。けれどもすぐに空木が身を挺し、取り巻く炎ごとその身一つで受け止める。
「空木」
だが、蓮は取り乱すことなく、落ち着いた動作で祭壇から霊力を帯びた紙兵を前衛陣の元へ送り届け、守りの力を授けた。舞う紙兵の守護を受け、空木は口に咥えた一振りの剣と共に攻性植物の元へ駆ける。
「何の目的でこんな事をしたかは知らんが悪趣味な。見知らぬ青年、あんたには悪いがせめて苦しまないように」
届かぬと知っていても、蓮は青年に想いを向ける。自分達は青年を救いに来たのだと、――それは、結果的に彼の命を奪うことにしかならないけれど。
それでも、せめて、彼がここで止まることで、彼が愛した世界が壊されてしまうことのないように。蓮は、そう願わずにはいられなかった。
先程から、胸の奥で渦巻く妙な感覚と予感。
けれども、恋苗はつとめて冷静に、目の前の青年――攻性植物と相対していた。
(「……こういう時こそ、落ち着かなくっちゃ。最低限の任務すら、こなせなくなってしまうわ」)
言い聞かせるように胸の内で呟いて、深呼吸を一つ。髪に咲く花と同じ、バイオレット・レナの瞳が、今は迷いではなく敵を映し出す。
一振りのナイフに纏わせた焔に祈りを込めて、恋苗は攻性植物へその焔を叩き付けた。
「他の植物事件でも、森の中が発端になってるんだよね」
だから、森の中に何らかの手掛かりがあるのではないかと、莱恵は強く思っていた。
「今から探して、見つかるかな?」
非正規雇用もまた、戦闘後の調査に興味津々というように、莱恵に問い掛ける。
「まあ、やってみるしかないよね」
それに何より、そのためには敵を倒さなければならないのだ。
非正規雇用はチェーンソー剣を振るい、蠢く触手をズタズタに斬り裂いていく。その動きを追うように、オルトロスの店長が解き放ったのは地獄の瘴気だ。
ボクスドラゴンのタマが自らの属性を仲間にインストールする傍らで、莱恵は自身の身の丈を超えるドラゴニックハンマーからドラゴニック・パワーを噴射し、加速したハンマーを敵に叩き付けた。
「全砲門セット、一斉発射!」
続いて響く、勇ましい声。同時に、志成は身につけたアームドフォートの主砲を一斉に解き放った。命中率には些か不安があったが、放たれた砲弾は攻性植物へと収束していき、爆ぜる衝撃の中に緑の体を閉じ込める。
「私からも……挨拶代わりです……」
続いたのは璃紗だ。璃紗はドラゴニックハンマーを砲撃形態へと変形させ、その内に秘められたドラゴニック・パワーを轟く竜の如き砲弾へ変えて撃ち出す。
精度の高い一撃が攻性植物へと叩き付けられた次の瞬間、流星の煌めきと重力を宿した飛び蹴りが炸裂した。
攻撃を終え、地に降り立ったのはカルナ。敵の動きを先読みし、死角から攻撃に転じた形だ。鋭い一撃を放ったとは思えない程に、カルナはどこかぼんやりとした表情で敵を見つめる。
青年であった敵を前に、浮かぶ感情は控えめなもの。
一人の人間の青年という被害者がいることに関してだけ、心のどこかに引っ掛かるものを拭い去ることが出来ないのだけれど、目の前にいるのが『敵』であるならば、カルナは敵を倒すことに対して何の疑問もなかった。
「……いたずらに遼太さんを傷つけるのも、酷ですから」
なるべく早く、この力で終わらせようと、カルナは思うのだ。
「――俺の後ろへ!」
束ねられた触手が捕食形態を伴って莱恵を襲うと、すかさず割って入った非正規雇用がその攻撃を肩代わりする。
「これが新しい竜の盾だ!」
莱恵はテンション高く楽しげに非正規雇用を本物の盾代わりにしようとするけれど、
「盾っていうかただの身代わりじゃねーか!」
非正規雇用の至極真っ当なツッコミが戦場に響き渡った。
「誰一人として、倒れさせはしないさ」
蓮は夜の森に鮮やかな彩りの風を吹かせ、仲間達の背を押す力を添える。
足止めと捕縛を重ねて着実に敵の回避率を下げることで、結果としてこちらの攻撃の命中率を安定させ、ケルベロス達はクラッシャーをメインに据えた布陣でその体力を凄まじい勢いで削っていた。
短期決戦を目指していたケルベロス達だが、事実、その通りに戦いは進んでいた。
数度の攻防を経た頃にはすでに攻性植物は満身創痍と言っても過言ではなく、振り上げられた触手めいた腕が、何かに縫い止められたようにその動きを強張らせる。
「今のうちよ、皆」
すかさず恋苗が皆へと呼び掛け、自身も攻撃に移った。
「ちょっと染みるけれど………これ、よーく効くわよ?」
恋苗の手から伸びる、紫蘇の様な攻性植物から伸ばされた葉が、敵の傷口にウィッチドクターである恋苗お手製の薬を塗り込んでいく。
味方にはなんやかんやでいい感じの効能を与えてくれる一方、脅威となる敵に対しては、確実なる『殺菌』が行われる紫祖の霊薬(エリクサー・ディ・バイオレット)。その痛みにか、大きく体を跳ねさせた攻性植物目掛け、志成がバスターライフルの照準を合わせた。
「攻性植物とは言え、植物なら冷気にも弱いでしょう!」
巨大な銃口から放たれた凍結光線は、確実に命の熱を奪うもの。
攻性植物と成り果てた青年を一目見た時から、志成はその命を奪い、彼の人生を終わらせることに躊躇いを覚えていた。
だが、その気持ちが吹っ切れるまでに、さほど時間は掛からなかった。
共に戦う仲間達の迷いのない瞳が、答えを教えてくれたような気がして。
「戻せないならせめて、ここで止めてあげないと」
それが、志成が、ケルベロス達が、青年にしてやれるただ一つのことなのだと。
「行くよ、タマ! 融合だぁ~!!」
子竜のタマを肩車し、莱恵は武器を振り回しながら突撃していく。タマの愛らしい鳴き声が響く中、踏み込んだのは非正規雇用だった。
「この間合いでは、誰にも負けない……!!」
九歩の間合いから繰り出された神速の剣。それは完成まであと一歩足りない修練中の技ながら、高められた威力は確かなもの。
「氷の中で……眠りなさい……」
璃紗が放つのは時を凍らせる弾丸。これ以上、彼が苦しまないようにとの願いを込めて。
戦いの終わりが近づきつつあることを察し、メディックとして立ち回っていた蓮が次に選んだのは攻撃の手だった。
「――喰らえ、そして我が刃となれ」
自身を霊媒として具現化させたのは、古書に宿る様々な思念。赤黒く禍々しい、いにしえの鬼のようにも見える影が、鋭い爪を振り上げて攻性植物を切り裂いていく。
「残念ですが、ここまでですね。……永遠の眠りが、貴方にとって安からんことを」
すると、高速演算を終えたカルナが鎧を砕くほどの威力を持つ痛烈な一撃を重ねた。
致命傷を負いながらもまだ辛うじて生きている青年の前に立ち、トエルは力ある言葉を解き放った。
「鍵はここに。時の円環を砕いて、厄災よ……集え」
自らの髪を媒介に、生み出されたのは時間法則を捻じ曲げる白銀の茨。それをさらに自らの茨の槍に巻きつけて、トエルは地を蹴った。
「――さようなら」
それだけを手向け、トエルは茨の槍を青年の心臓目掛けて繰り出す。
最後の一撃を受け、崩れ落ちてゆく攻性植物。
そこに、命と引き換えに解き放たれた青年の身体が残されていたことは、せめてもの救いだったのかもしれない。
――戦いは終わった。
青年の弔いは、然るべき人々の手により、然るべき場所で行われることだろう。
彼の帰りを信じて待ち続けていた人々に連絡を入れる前に、その身を出来る限り清めて、そして、ケルベロス達は周囲の森の調査に乗り出した。
その間に、蓮は『彼』に対して申し訳なく思いながらも、青年自身に敵の痕跡が残っていないかを確かめたが、攻性植物は撃破と同時にその全てが消えてしまったようで、それらしき痕跡は発見出来なかった。
そして、森の調査についても――どこを探しても、今回の事件と関係のありそうな何らかの痕跡と思えるようなものを見つけることは、やはり出来なかった。
(「遼太さんを誘い出したのであれば、何か誘因となった物があってもおかしくはないのですが……」)
カルナが巡らせた思考も、答えに辿り着くことが出来ぬまま。トエルの茨の攻性植物も、何かの反応を示したりすることもなく、普段と変わらぬ様相で彼女と共に在った。
森はいつもと変わらぬ姿でそこに在り、静かな夜のひとときを過ごしているだけ。それは、皆で地上から見ても、莱恵が空から見ても変わらなかった。
それでも、今宵、一人の青年が攻性植物となり、この森で命を落としたという事実は確かなもの。青年を攻性植物へと変えた『何か』の存在については、事後の調査で明らかにしていくしかないだろう。
(「……仮にあいつが、裏で糸を引いているとしたなら、それをしっかり断ち切らなくてはいけないわ。――他でもない、あたしの手で」)
恋苗は静寂に包まれた森の奥を見つめ、静かに想いの炎を胸に灯した。
作者:小鳥遊彩羽 |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2016年10月10日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 7/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 2
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