商店街の隙間にある小さな神社の敷地内には、幾つもの扇風機が最大出力で設置されていた。石畳に目を凝らせば、這わせた配線を覆うテープだらけでやや風情に欠ける、かもしれない。
広場や敷地の隅、建物沿いには簡素な長椅子が並べられ、社務所の傍では冷やしたお茶が振る舞われている。商店街で買った飲食物を持ち込んで休憩している人も居るようだ。神社自体は通常営業をしており、参拝客も常以上ではあるものの、ここにあるのはそれだけで、祭りの名の割には静かで穏やかな空間だった。商店街の賑やかさが風に乗って聞こえて来る程度である。
ただ、夜ではあるもののさほど暗くはない。建物の照明があるからという事もあるが、人の頭より幾らか高い位置で焚かれた篝火が敷地内に点在しており、その周辺だけが熱気を残していた。遊び回る子供達もそれらの近くには寄りつかず、また、参拝客達の足元は風によりひどく涼しい為、殆どの者が上着を羽織っている。
そんな中にあって、背の翼を使い空から下りて来た、浴衣一枚の彼女の姿は自然と目を惹いた──服装の事が無くとも、鮪を模した被り物で十分目立ちはするけれど。人々が彼女に目を留め、その背に負ったタールの翼の意味に気付くより早く、彼女が動く。
「こんばんは」
目を細めた彼女は近くで遊んでいた子供達へ笑い掛け。次にはその首の一つを刃物で掻き切った。しぶいた血が彼女を真っ赤に染めて行く。
「綺麗だね」
遅れて人々の悲鳴が上がる中。手近な首を狙い次々と赤い噴水を作る彼女は、瞼を上げて周囲の獲物達を流し見た。
「この町は毎年、九月になってもまだ暑いのが当たり前みたい」
だから十月には涼しくなるようお祈りをするらしい、と篠前・仁那(オラトリオのヘリオライダー・en0053)はその祭りが催されるとある町名を告げた。
そのメイン会場である神社を、鮪の被り物をした女性シャイターン部隊の一員──マグロガールが襲撃するのだという。入口付近で事を起こせばすぐに商店街に広まってしまうからだろうか、彼女は初め、参道脇の広場に下り立つようだ。
「彼女の狙いは人を殺してグラビティ・チェインを奪う事、のようだから、神社に居る人達を殺してしまった後は……参拝に来る人を待ち伏せるか、商店街に下りて人を襲うか、しそうね。沢山の人を殺せればそれで良い、と考えているようだから、あなた達が固まって行動していてくれれば、彼女の注意を惹き易いかも」
彼女が人々を手に掛ける前にケルベロス達が邪魔者として立ち塞がれば、彼女の殺意を誘導出来そうだ。上手くすれば、死者を出さずに事を収める事も不可能ではないだろう。
「周りは扇風機と長椅子だらけで少し手狭かもしれないけれど、神社の敷地内に居る人達さえ避難させてしまえれば、被害は物だけで済む、と思う。ただ、二メートルくらいの高さかしら、暑い時季の象徴としての意味があるらしい篝火が、幾つか設置されているので危ないかもしれないわ。一応、それぞれ足元に水入りバケツが置いてあるから、いざとなったら消して貰えれば」
その場合は辺りが暗くなる為、その時人々がまだ敷地内に居るのであれば、フォローがあった方が良いかもしれない。神社職員に協力を依頼出来れば被害や混乱をより少なく出来るであろうが、事前に報せたり人々を避難させたりしては、マグロガールの襲撃先がよそに移るだけのようだ。
「敵は、あなた達ならば勝てる相手だと思う。お祭りの為にも、彼女を止めて来てちょうだい」
「お祭りかー。……神社が涼しいだけ?」
「神社はね。一応、お祭り用にお守りとかを売ってもいるみたいだけれど。
鳥居を出てすぐの商店街では、飲食物や雑貨も買えるみたい」
首を傾げた出口・七緒(過渡色・en0049)の問いに仁那が答えた。商店街の方もお祭り仕様らしく、夜店の類も出ているようだ。そしてそちらも扇風機があちこち置かれており、人出の割には涼しいらしい。
「神社でのんびりするのも良いし、商店街を見て回るのも面白いかもしれないわね」
無事に済ませられれば、ではあるが。そう仁那はケルベロス達へ事態の解決を依頼した。
参加者 | |
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アレクセイ・ディルクルム(狂愛エトワール・e01772) |
シグリッド・エクレフ(虹見る小鳥・e02274) |
松永・桃李(紅孔雀・e04056) |
鈴木・犬太郎(超人・e05685) |
泉宮・千里(孤月・e12987) |
ロフィ・クレイドル(ペインフィリア・e29500) |
春夏秋・雹(冬の精霊は旅に出て・e29692) |
佐竹・灯子(無彩色の原石・e29774) |
●
参道脇の薄暗がりに寄り集まるケルベロス達は、参拝の列が空くのを待ちでもしているかのよう見目だけはのんびりと装い、周囲の警戒に当たっていた。
耳に触れるのは風の音、道行く人々の声はその向こう。そしてその更に奥、葉擦れに紛れるような鈍い羽音を初めに聞き咎めたのは泉宮・千里(孤月・e12987)。彼の目線が空へ向くのとほぼ同時、松永・桃李(紅孔雀・e04056)は周囲に目を配り仲間達を促す。ぱさり、見目に反して軽い音を伴いタールの翼を負った娘が地上へ下りる様を見、彼女が辺りを見回すより早くにシグリッド・エクレフ(虹見る小鳥・e02274)とロフィ・クレイドル(ペインフィリア・e29500)がそちらへ足を向ける。
「ごきげんよう」
相手より先に声を掛け注意を惹くその後方。春夏秋・雹(冬の精霊は旅に出て・e29692)と出口・七緒(過渡色・en0049)は密やかに、近くで遊んでいた子供達へこの場を離れるよう勧める。さりげなく敵を包囲するようケルベロス達が散ったところで、佐竹・灯子(無彩色の原石・e29774)が声を張り上げた。
「皆さん、急いで神社を出て! デウスエクスが現れたよ!」
ざわめきを制し声が響くのを追うよう、人々に動揺が広がる。それを、雑音の隙間を縫うよう滑り込ませたアレクセイ・ディルクルム(狂愛エトワール・e01772)の声が穏やかに宥めに掛かる。
「大丈夫ですよ、私達ケルベロスがお護りいたします」
悲鳴をあげる寸前に似て唇をわななかせる女性達へ彼は微笑む。その所作と纏う空気に目を奪われた事で恐慌状態から脱した彼女達の様子を見、ケルベロス達の言葉に従うべく動き始めていた男性達や職員達が安堵する。何しろ状況は未だ神社中には伝搬しきっておらず、助けが必要な子供や老人も多い。人々はケルベロス達へ礼の言葉と後の対処を託し、徐々に移動して行く。
「──折角、玩具が一杯居たのに」
ほどなく静まり始めた場を這ったのは、低く落ちた女声。それが耳に届いたらしき民間人達がおののくが、人々の避難を手伝うケルベロス達は、害意の刃そのもののような声から彼らを護る壁となりつつ動き続ける。その更に前方、敵を阻む第一の壁となったケルベロス達は、鮪の被り物をした娘に各々牽制を兼ねて一層の注意や厳しい目線、得物を向ける。だが彼女はそれに気圧された様子も見せず、何気ない動作でナイフを突き出し、
「させるか」
その正面に滑り込んだ鈴木・犬太郎(超人・e05685)に弾かれ舌打ちを一つ。濁った目がどろりと重い視線を投げて、ケルベロス達への殺意を示す。
「遊びたきゃ俺達が相手になるぜ?」
笑うに似て目を細め千里。生真面目な顔をしたシグリッドが大きく頷く。視界の外、幼児の泣き声と、それを宥める幾らか年嵩の子供の声の震えを聞き取った彼女は、眉を寄せる代わりにぎゅっと唇を結んだ。
本格的な手出しは未だ──せめて近場から民間人が消えるまで、と。仲間達を含めた皆の身を護る事を望み前へ出たロフィは顔を曇らせ、敵たる眼前の娘へと窘めを口にする。
「それにしても『玩具』だなんて。少々悪趣味ではございませんか?」
返答は澱んだ敵意。攻め込む隙を探しちらつく視線を、自由にさせてはならぬとケルベロス達は目を光らせる。互いに間合いをはかる緊張を、敢えて乱すべくロフィが再度口を開いた。
「そうした行為は、合意の上でなくてはなりませんもの。ですから──」
ね、と紡ぐ唇は柔らかに笑んで。差し伸べる腕には枷を思わせる環が揺れる。少なくとも広場からは民間人の姿が消えて、手の空いたケルベロスが鳥居の方から戻り始めた。近く限界を察し、万一を案じて灯子が場の空気へ更なる緊張を敷く。
「──私へ、どうぞ?」
高揚を孕みこいねがう声。痛みを望む色を赤い瞳に乗せ、鎖を抱く娘は開戦を告げた。
●
射手が敵の態勢を崩すのを起点に攻める。シグリッドが祈るに似て、纏う銀流体から輝きを放ち援護を為し、ゆえの研がれた知覚を助けと狙い定めて灯子が符を掲げた。
「雷の、おまじない」
札の表面に淡く紫電が伝う。敵を捉えて荷重を掛けた。千里が放つ暗器が渦に捩れて夜気を裂き、追って桃李の獄炎が龍を象り闇を疾る。
敵の身を縛し刃を手折り──護りを崩し痛みを重ね。夜を照らす熱から出来うる限りに離れた薄闇の中、ケルベロス達は視線を交わし、声を交わし、確実な勝利をと望み動く。
敵の翼がはためくに従い幻惑の砂が生じ嵐と成るが、攻め手が巻かれるより早くにロフィがその身を晒した。風は痛みと荒び肌を刻み、彼女を案じて犬太郎が腕を伸べる。更に深く抉られるより早くに救い出された彼女はおっとりと礼を告げ。
「ですが、私の事はよろしゅうございましたのに」
「と言われてもな。気になるだろ」
「……痛み入ります」
肌に滴る血を撫でる彼女の指は愛おしげ、告げた遠慮は素直な願望でもあった。だが、真っ直ぐに仲間を案じる彼の在り方を尊ぶ思いもまた真で、彼女は柔らかく感謝を重ねた。
点在する篝火こそ避けられれど、比べれば目立たぬ上に数の多い扇風機達はそうも行かない。戦いに巻き込まれた機械達は沈黙して行き、辺りの空気は温む。汗が滲むのを感じて雹は厭わしげに息を吐き、重なる負荷に顔を歪める敵の姿を見遣る。目当ては彼女と、彼女の身を取り巻く熱気。
「結集せよ、遣らずの氷霊」
彼が手を伸べるに従いその指の向こうから空気が冷えて行く。涼しい、から始まり、前衛達を過ぎる頃には知覚は『寒い』に至ったろう。敵の身が総毛立ち次には運動を拒み、気付いたシャイターンは歯噛みし炎熱を生み抗う。そうして彼女は氷の虜囚となる事こそ免れ得たけれど、その身は重く濃い疲労を呈す。肩で息しつつ娘はケルベロス達を睨め付けたが、握るナイフが振るわれるより先に犬太郎が踏み込み道を阻む。
喰らえ、と紡ぐ声より速く。炎と気を纏う彼の拳が風を薙ぎ熱を上げ、その一撃に籠められた全力を損失無く完璧に敵の腹部へ叩き込む。音ならぬ呻きと共に身の内の空気を吐ききった敵がふらつく所へ、攻撃役達が畳み掛ける。闇に紛れた暗器が熱持たぬまま炎の色を纏い、薄闇を照らす灯りを弾く短刃が呪いを謳い、敵の肌を、知覚を嬲る。囁くよう流れる旧い言葉が術を織り上げ、生じた光は白み束となり敵を穿ちその身に更なる重い鎖を掛ける。餅子、と促す声に続き、純心を象る如き暖色の光が瞬き敵を惑わせ、雷の符が再度飛来しその呪縛を増幅させた。
敵は最早継戦も難しい身で、それでも殺意ゆえだろうか、呪詛に澱みを増す瞳を獲物へ向け刃を振るう。最も傍に居たロフィの身が薙がれ、ぱあと鮮血が咲いた。
「うふふ、痛いです♪」
「あの、お手を借りても」
「うん」
当人は白い肌を染める血を見遣り喜んだ。その出血量に青ざめたシグリッドは己と同じく癒し手を務める男を見上げた。ここに至るまでは概ね分担の為に交わしていた声が、それでも足りるかどうか、とばかり不安を滲ませる。受けた本人が平気な顔をしていられるのはひとえに嗜好ゆえなのだろう。光盾と雷呪が彼女を支えるのに合わせ治癒弾が飛び、更に敵の隙を狙い彼女自身が降魔の力を御して立て直すに至り、ようやく癒し手達は息を吐けた。
だが持ち直したとはいえ、あまりに長引けば戦線が崩れかねない。サーヴァント達などはいつ倒れてもおかしくない状態だった。保っているのは負傷を厭わないロフィと、皆を護るべく奮起する犬太郎の力が大きいだろう。ゆえ、これ以上は、と攻撃役達もまた己が務めを果たすべく猛る。
「野暮は嫌いなの」
「そこを動くな、鎮めてやる」
桃李の刃は先程敵がしたように、否、それ以上に激しく獲物の血を咲かせる。幾重にも敵を苛む呪詛を更にと望み千里の刀が閃いて、皆が刻んだ傷を抉り重ねて行く。檻に囲うように似て、爛れ行く痛みは彼女の体を重く縛った。
「──貴方の罪は──」
華を、と誘う声。アレクセイの手が乞うよう優雅に翻り、敵を苗床に黒く茨を芽吹かせた。彼女の血を吸い、咎めるように開く薔薇。次いで雹が向けた鎌の刃が、それごと刈り取らんと夜を裂く。
断末魔すら響かない。食される為の魚のように綺麗に下ろされ得る身すら、最早無い。傷刻まれた敵の体は、骸を残すだけの力も無く砂と崩れ消えて行った。
●
事態の収束を報せ、神社職員に立ち会いを依頼し、被害が出た物の修復にあたる。扇風機六台、配線それなり、篝火一つ──皆が立ち回りに気を遣ったゆえ被害は少なく済み、また、戦線を離れ対処に回った者が居たゆえ拡大も免れた──を、逐一確認と許可を取り治して行くケルベロス達に職員は恐縮したが。
「此処は神との縁を結ぶ為の場でしょう」
穏和に笑むアレクセイがそこへ参じる人々の想いごと慮れば、職員は深々頭を下げた。そしてそれらを必要とする人が居てこそと、この場の誰もが知っていた。
「こちらも済んだわ。転んだ子とかは居たけれど、皆無事よ。千ちゃんが女の子泣かせちゃってたけど」
「そっちは男に泣かれてたろ」
避難させた人々へ声を掛けて回っていた者達が戻る。彼らを励ます為に再度纏った華やかな装いを解きつつ言う桃李も、続いた友の軽口に半眼を遣った千里も、穏やかな表情を見せていた。人々の涙は安堵ゆえ、掌に受け取った熱は感謝ゆえ。家族を失わずに済んだものの礼の言葉すら告げきれず声を詰まらせ顔を伏せた男や、ケルベロス達の無事を喜び飛びついて来て母の窘めを受けていた子供らに血が移らなくて良かったと、戦いの汚れが残る姿で彼らは思う。
そうしてやがて、神社にも活気が戻る。ケルベロス達の傍に居た職員も、手が足りぬと呼び戻される事となり、改めて感謝を告げ慌ただしく去って行く背を見送った後、皆それぞれ祭りへ交ざりに向かった。
暗くて風通しの良い場所を選んで雹は椅子に掛けた。いっそ寒いほどの地点ゆえ、人も少なく静かだった。だらりと身を休めて改めて、仕事を終えたと実感し小さく欠伸が洩れる。
『願い』が通じて涼しくなれば過ごし易くなるのだろうが、と雹は未だ夏の顔をした空を仰ぐ。暑さが下りて来るような気がして椅子に懐いた。強風が髪を乱すが彼は構わず、乾燥を防ぎがてら目を細める。
「この後わたくし、少し商店街に参りたく思いますの」
「ああ、でしたら私も共に良いでしょうか」
「まあ、では是非に!」
拝殿前の石段から降りて来て言付け相手を探すシグリッドへ、今年最後の機会やも、とアレクセイが控えめに首を振る。人工のものとはいえ、風は今宵を最後とばかりに夏の熱を吹き払い続けていた。
「何かお土産要る?」
「大丈夫」
傷の話から始めた筈がロフィと気遣い合う事となり、折り合いを付ける流れで借り受けたクーを連れた灯子が雹へも尋ねに来たので、彼は上げた指先から掌を連れて、否定と『行ってらっしゃい』の意を纏めて伝える。
「気をつけろよー」
相手は己と同じケルベロスで且つ成人男性も同行する上に祭りの最中ではあるが行き先は夜の人混み、見送る犬太郎の声が少女達を案じて鳥居の傍まで届いた。
林檎飴、チョコバナナ、ワッフル、大判焼き、ドライフルーツ、金平糖──アレクセイの手はあっという間に『お土産』で一杯になっていた。友人達と分けるのは楽しそうだと笑い掛けて来た少女へ彼は、いえ、と恥ずかしそうに目を細める。
「どれも捨てがたく……乾物等はしばらく保つでしょうし」
彼の脳裏に浮かぶのは、帰りを待ってくれている愛しい少女の笑顔。喜んで欲しいからと頬を染める青年は、大人びた落ち着きこそ保ってはいたが、焦がれる吐息にほどけた唇が彼の表情に少年めいた熱を添える様を見たシグリッドは目を瞬いた。その後、素敵だと彼女は祝福する。その細い手には包まれたままの姫林檎飴が二つ納まっていた。
「シグリッドさん、たこ焼き食べない?」
「良いですわね! あ、でも焼きそばも惹かれますわ……」
「じゃあ両方買って分けようよ! ほら、七緒さんも。ご飯も食べようよ」
「んー……」
がりんぼりんと鼈甲飴を消費し続けていた青年は、灯子に顧みられ目を合わせたが、曖昧な返事をした。その足は促しに従ったものの口は、紅生姜が、と気が乗らない要因を申告する。が、解るけど、とばかり少女達に困ったように微笑まれ、食べる、と偏食に過ぎない事も白状した。
取り皿用にと多めに貰った容器を使い、焼きそばとたこ焼きが分配される。ならば返礼をと飴を買った袋を探る七緒へ、シグリッドが戸惑いを見せた。
「七緒さんのようにすぐには頂けませんし……」
「……淑女は出来なくて良いと思うよ」
「そういえば歯は大丈夫?」
「寝る前には磨くよ?」
「そっちじゃなくてね」
傍らのナノナノへ『あーん』と箸を向けていた灯子が苦笑した。が、挿したばかりのジュースのストローを向けられ口を閉ざす。つい先程、たこ焼きに依って火傷の危機に見舞われたばかりだった。
歩きながらの飲食に不慣れな者も居る為、自然歩調は緩みがちになる。人通りとの兼ね合いで時折立ち止まる事さえあった。そんなのんびりとした時間の中、帰ってから己の『姫』と共に食べるからと交換の申し出やお裾分けを辞退したアレクセイは、次は何を食べようかなどと話し合いながらラムネの瓶相手に奮闘する少女達を優しく見守っていた。
「ロフィさんは辛いのが好きって聞いたけど、どれにしよっか」
「戻るまでに冷めてしまうでしょうし、悩ましいですわね」
「『唐辛子飴』ってのならさっき見掛けたけど」
「『飴』は甘いものと思っていたのですが……」
不可解そうな声に同意する如くテレビウムが、何ですかそれは、とでも言いたげな──あるいは、自分は何を持たされるのか、などと戦慄する如き表情を画面に映していた。
参拝の列に並び終えた二人は賽銭を投げ手を合わせる。ほどなく顔を上げた千里は、未だ祈り続ける友が終えるのを待つ態勢に入り、少しして案ずるように彼を見遣り、やがて呆れめいた色を交ぜて眺めるに至りようやく、化粧を施した彼の瞼が上がるのを見た。向けられる視線に気付いた桃李は、僅かに口角を下げてそれを受け止める。
「なあにその顔」
「別に」
「もう、千ちゃんこそ何お願いしたのよ」
「……別に」
先と同じ応えは笑う色を含んだ。緩く解けるそれに、相手に答える気が無い事を悟り桃李は肩を竦める。
「茶でも貰うか。子連れが多いから酒は無えんだと」
「あら、そうなの。いつの間に調べたの?」
「待たされてる間」
「長くて悪かったわね」
厳密には『調べた』というより『たまたま耳に入った』のではあるが、それは大した問題では無いのだろう。もう、と息を吐く彼をかわす形で半歩先を歩く千里は緩く笑うまま、蛍光灯の下で立ち働く職員から麦茶のグラスを二つ受け取った。
ざわめきから離れた薄闇の中で長椅子に掛ける。桃李はグラスに口をつけて初めて中身を知る事となり、夏ね、と目を細めた。千里は視線を投げた先にある篝火を眺め、首を振る扇風機の風を受けて肩から落ちかかる羽織を直す。と、彩を乗せた爪が淑やかにドレスの裾を押さえる様が目に入った頃、爪と同じ色を差した唇が柔らかな声を零すのを聞いた。
「ここの神様は美容祈願も聞いてくれるのかしら」
第三者から見れば他愛も無いような願いでも、祈る本人達は真剣だ。桃李の視線の先には、賽銭箱の前で熱心に手を合わせる少女達の姿があった。
そして、そうした願いに固執する為には、そうするだけの余裕が必要だ──最低限、明日の訪れくらいは信じられなくては。
「護れて良かったわね」
「ああ」
何でも無い事のように。想いはほろり、静けさの中に融けた。
裏腹に、声の形にする事を惜しんだ祈りは、誓いに似て胸中に留め置かれるのだ。
(「──この先も」)
作者:ヒサ |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2016年10月2日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 3
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