黙示録騎蝗~餓虫恐慌

作者:長谷部兼光

●自家中毒
 響き渡る打撃音。
 止まぬ悲鳴。
 深い深い森の中、決して人目に付かぬよう、身を潜め、息を殺し、寄せ集まってひっそりと暮らすローカスト達の集落があった。
「ああ。だめだ。弱い。弱すぎる。これじゃ弾除けにだってなりはしない」
 そこへ現れた特殊部隊『ストリックラー・キラー』の隊員・キリギリス型のローカストは、集落の住人……蟻型ローカストの頭を踏みつけて、心底呆れた様に言い捨てる。
 ……幾度も暴行されたのだろう。
 蟻の身体の所々は、酷く損傷していた。
「ぐ、あ……や、やめ」
「でもねぇ、喜ぶと良い。怠け者くん。どうしようもない無能者の君たちが、ようやく黙示録騎蝗の為に奉仕出来る時がやって来たんだ」
「な……なにを?」
 キリギリスは失神し掛けた蟻の胸倉をぐいと掴む。
 蟻の顔を引き寄せて、囁くようにこう言った。
「思えば簡単な事だった。グラビティ・チェインを有しているのは、何も地球に住まう者たちだけじゃないだろう? 例えば、ほら。君のその、無様な体を動かしてくれている有り難い『代物』は、一体何だったかな?」

「まさか……あんたたちは同族を……同族から……!」
「何。安心したまえ。死にはしないさ。デウスエクスはデウスエクスに殺されたりしない。どれだけ酷く扱われようとも、ね」
 殺せないだけケルベロスより優しいだろう?
 そう言って、キリギリスは蟻を引きずりながら、集落を後にした。

●地獄絵図
 ノーザンライト・ゴーストセイン(のら魔女・e05320)の調査により、ローカスト達が、下水道から侵入して広島市を制圧する大作戦を行おうとしている事が判明した。と、ザイフリート王子(エインヘリアルのヘリオライダー)は集合したケルベロス達に告げた。
「少し前に飢餓状態のローカスト達が各地で暴走する事件が頻発していただろう。今回の作戦の黒幕も、手口を見るに、その時と同じく特殊部隊『ストリックラー・キラー』だろうな」
 胸糞の悪くなる話だ、と、悪態をつきながら、ザイフリート王子は説明を続ける。
 個別の襲撃ではケルベロスに阻止される事を学習したのだろう、今回の作戦では、指揮官であるイェフーダーも含めて、ストリックラー・キラーの総力を結集しているようだ。
 ストリックラー・キラーのローカストは、多数のコギトエルゴスムを所持し、枯渇状態のローカストと共に下水道から市街地に侵入し、人間を虐殺してグラビティ・チェインを奪取、そのグラビティ・チェインを利用して、コギトエルゴスムを新たな枯渇状態のローカストに変えて、戦力を雪だるま式に増やしつつ、広島市全域を制圧、数十万人の虐殺を行おうとしている。
 この作戦の実行後、都市制圧までに掛かる時間は24時間以内と想定されている。
 今回は、事前に敵の作戦を察知出来た為、下水道内でローカスト達を迎え撃つ事ができる。
 敵は、市内全域を同時に襲撃するために分散して行動する。
 今回の依頼に参加する各チームは、『ストリックラー・キラー』のローカストと、枯渇状態のローカストの計2体と戦う事になるだろう。
 『ストリックラー・キラー』隊員は、相当の覚悟をもって作戦に挑んでいるようで、ケルベロスが待ち構えていたとしても、逃げる事無くケルベロスを撃退して作戦を遂行する為に最後まで戦い続けるようだ。
 2体のローカストと同時に戦う事になるが、もし敗北すれば、広島市民に多大な犠牲が出る事となるので、最善を尽くさなければならない。
「2体のローカストを速やかに撃破する事が出来たならば、指揮官であるイェフーダーの元に向かってほしい。無論、連戦出来るだけの余力が残っていれば、の話になるが」
 イェフーダーは下水道の中心点で、作戦の成り行きを伺っているらしく、複数のチームで多方向から包囲するように攻め寄せれば、退路を断って撃破する事ができるだろう。
 イェフーダーを討ち取れば、今回のような作戦を行う手駒がいなくなる為、ローカストの動きを制限する事になる筈だ。

「戦場となる地点は多少開けている。それでも地上に比べれば狭くはあるが、戦闘に支障が出る程ではないだろう」
 この場に集ったケルベロスと下水道で相対するのは、ストリックラー・キラー隊員であるキリギリス型のローカストと、『何らかの方法』で得た少量のグラビティ・チェインを与えられ、意図的に枯渇状態で復活させられたオサムシ型のローカスト。
「キリギリス型のポジションはジャマ―。音撃使いとでも言うべきか、彼の奏でるメロディは容易に人や物を破壊しうるだけの力が込められている」
 対して、オサムシ型のポジションはクラッシャ―。
 エメラルドグリーンの装甲に身を包み、高い戦闘能力を有するが、グラビティ・チェインの枯渇により、まともな思考もできない状態にある。
 どちらも説得の通じる相手ではない。
 力を行使し完全に撃破しなければ、文字通り道は開けない。
「無辜の市民たちが訳も解らぬまま地獄の釜の底に叩き落される。断じてそれは看過できない。この戦い……こちらも不退転の決意で臨まなければならないだろうな」


参加者
アイラノレ・ビスッチカ(飛行船乗りの蒸気医師・e00770)
相馬・竜人(掟守・e01889)
伏見・万(万獣の檻・e02075)
浦葉・響花(ウェアライダーのブレイズキャリバー・e03196)
シルヴィア・アルバ(真冬の太陽・e03875)
ルイン・カオスドロップ(我が身は主の無聊を癒す為に・e05195)
屋川・標(声を聴くもの・e05796)
チェレスタ・ロスヴァイセ(白花の歌姫・e06614)

■リプレイ

●接触
 地下に埋まった長大な空間。
 人知れず都市の機能を支え続けるそこに流れ込んだモノは、歪な覚悟。
 浦葉・響花(ウェアライダーのブレイズキャリバー・e03196)が耳を澄ますと、聞こえてくるのは亡者の如く呻く声。
 それは飢餓に苦しむ悲鳴であり、窮乏に喘ぐ怨嗟だ。
 仄暗い下水道に満たされた叫喚は反響し、淀み、新たな嘆きへの呼び水となる。
 屋川・標(声を聴くもの・e05796)は閉じていた片目を開き、前方の闇を見据えた。
 闇に紛れ、悲鳴を供に、こちらへ近付く気配がある。
 息を潜め、アイラノレ・ビスッチカ(飛行船乗りの蒸気医師・e00770)は物音ひとつ立てまいとゆっくり薬瓶を取り出し、機を伺う。
 仲間への仕打ち、ローカストの置かれた状況。思うところが無いと言えば嘘になるが……。
 一歩、一歩と確実に迫りくる足音。
 シルヴィア・アルバ(真冬の太陽・e03875)は自身のテレビウム・カルピィを抱える。
(「虫の敵かぁ……気乗りしないけど……」)
 カルピィの画面(かお)も今は消灯中だ。
 カルピィは暗がりが落ち着かないと言った風にもぞもぞと動いていたが、シルヴィアが頭を軽く撫でてやると、じっと大人しくなった。
 不意に、足音が止まる。向こうも敵の存在に気付いて足を止めたのだろう。
 ならば……。
「さァてと、そンじゃとっとと片付けッか!」
 こちらから仕掛けるまでだ。
 黒狼――伏見・万(万獣の檻・e02075)が駆け出すと、前方の闇から足の音や悲鳴ならぬ音の色が零れ出す。
 それはこの場にはおよそ似つかわしくない、弦楽器が奏でるメロディ。
 地を疾り炎を爆ぜる万のエアシューズが見せるのは、ヴァイオリンを弾く螽斯(キリギリス)の姿と、宙を舞うアンティークの薬瓶。
 燃ゆる炎に中てられて、アイラノレのリボルバー銃・Dearが煌く。
 彼女が銃に装填するのはバトルオーラ。
 狙いを定め、発射されたオーラの弾丸は薬瓶を射貫き、入っていた薄荷油が砕けた容器と共に螽斯へと降りかかる。
「やはり……ケルベロスか。忌々しい……!」 
 薄荷油がもたらすものは劫火に灼かれるが如き激痛と氷結。
 螽斯は痛みに蝕まれながらも独奏し紡いだ石の旋律を、応酬とばかりにアイラノレへとぶつけようとしたが、螽斯へと駆ける万がそれを庇い遮った。
「よォ、虫野郎共。相変わらずケッタクソ悪い真似しやがるなァ」
 石の呪縛を振り切って、万の炎脚が勢いのまま螽斯の顔面を蹴飛ばすと同時、螽斯が直前被った薄荷油に引火して、猛る炎は蟲の全身を包む。
「正義の味方なンて柄じゃねェが、これ以上好き勝手すンなら、切り刻んで酒のツマミにしちまうぜ? まァ、マズそうだけどなァ!」
「……軽口を。勘違いするなよ。取って食われるのは、君らの方さ」
 螽斯が炎を振り払い、弓で壁面を殴ると、闇から現れたのは翠玉色の外骨格に身を包んだ大きな甲虫。しかし。
「何てむごいことを……!」
 チェレスタ・ロスヴァイセ(白花の歌姫・e06614)は筬虫(オサムシ)の有様に思わず息を呑む。
 美麗な装甲とは裏腹に、眼は焦点が定まらず、口は半開きのまま唾液を垂れ流し、正気もなく飢餓に狂い唸り声を上げるのみ。
 追い詰められたとはいえ、同胞を此処まで磨り潰すなど、狂気以外の何と形容出来よう。
「そうだよ? 君らがほんの少しでもグラビティ・チェインを僕達に恵んでくれたなら、彼もこうはならなかったんだ。なのに、ああ、ほんとうに、君たちは残酷さ。自分さえ良ければそれで良いってね。都合の良い時だけ、助け合いや自己犠牲の精神はどこかに吹っ飛んでいくんだものねぇ」
 螽斯が嘲る。
 自身の行動を棚に上げ、筬虫を無理矢理狩り出しておいて吐き出す言葉がそれなのか。
 チェレスタは幽かに首を横に振る。
 飢餓に苦しむ筬虫が繰り出しだ拳は不可視の速度で空を叩き、音を破り、生み出された衝撃波が天井、壁面のコンクリートさえ吹き飛ばして前衛にぶつかる。
「私たちにも、守りたいものがあるから……これ以上、惨劇を繰り返したくは無いから……」
 チェレスタは即座に雷壁を展開し、前衛を癒やす。
「兵隊に思考を期待すんなってか。上等だ」
 一瞬。鼓膜を破らんばかりの轟音が、他全ての音を掻き消した。
 轟音の正体は相馬・竜人(掟守・e01889)が筬虫に叩き付けた砲撃だ。
「テメエらに一応聞いときてえんだがよ。まだ勝てると思ってんのか?」
 竜人は砲を槌の形に戻し、殺意を宿した瞳で螽斯を睨めつける。
「……ふん! ケルベロス・ウォーと言ったっけ。確かにしてやられたけど、あれほど大規模な作戦なら非戦闘員にも大きな負担を強いるものだろう? 楽しみだね。君たちがあと何回あの作戦を発動して、いつまで英雄面できるのかさぁ」
「随分と、饒舌なのね」
 行きつく先はローカスト・ウォーと同じだと、そう囀る螽斯を遮って、響花は祝詞呪文を唱える。
 相手が汚れ仕事を一手に引き受ける特殊部隊なら、敵の不安を煽る術には長けていよう。
「まぁ、耳を傾けるだけ損って奴っすね」
 ルイン・カオスドロップ(我が身は主の無聊を癒す為に・e05195)は飄々と、ロッドに雷光を燈す。
「ルイン」
「おや、これは竜人さん」
「当てろよ。当てねえと後で殺す」
「ひひっ。それは怖い」
 竜人の攻撃の影響で、筬虫の動きが鈍くなっているのは確かだった。
 飢餓ローカストを主軸に据えたこの作戦、破綻は目に見えている。
 螽斯は今のところ冷静を装っているが、ケルベロスに邪魔立てされて内心穏やかでは無いだろう。
 先に筬虫を失えばその仮面も剥がれるだろうか、いいやそれよりも……。
 ルインの雷が迸り筬虫を貫いて、螽斯は僅かそれに意識がそれる。
 その隙をついて標は下水道の壁を駆け上り、頂点に達すると、天井を蹴り重力のまま急降下し、ルーンアックス・スモーキン・サンセットを振るい、螽斯を強襲した。
 ……ケルベロス達とてローカストの事情と苦境は理解している。
 だがそうだとしても、市民の虐殺など許容出来ようはずもない。
 故に今は……戦うしか、無いのだ。

●意思
 下水道を乱舞する光は、ケルベロス達が用意した光源達だ。
 お陰で照明には不足なく、カルピィが頑張ってテレビの輝度を上げる必要は無かった。
 足元を照らす程度ならば問題は無いが、遠くを覘くには心許ない。
 光源ではあるが照明になりえないのは、テレビのサガか。
「ダメ元だから大丈夫だぞ!」
 たとえ道が照らせなくとも、出来ることは沢山ある。
 応援動画を見るだけで不思議と物理的なダメージまで癒される思いだ。
 シルヴィアはしょんぼり顔のカルピィ抱き寄せて、フォローして、
「カルピィ、頼んだ!」
 投げつけた。
 カルピィはじたばたと放物線を描きながら画面をビックリ画像に切り替えて、接触した螽斯を怯ませる。
 血の花が咲いたのはその直後だ。
 万が螽斯の胴を切り裂き、吹き出た血飛沫全て受け、身体を潤すその間に、響花は素早く螽斯の背後に回り込み、電光石火の蹴撃を叩きこむ。
 そしてアイラノレの放った縦横無尽に下水道内を駆け巡る跳弾が、蟲の左肩を撃ち抜き、螽斯は大きくよろめく。
 怯んだ螽斯など我関せずと吼える筬虫は、瓦礫を跳ね除け標へ無遠慮に近付くと、頭突きを見舞った。
 気を失ったか、一瞬、意識が身体から抜け落ちる感覚があった。
 それでも、倒れていないのならば僥倖だ。
 自分達がこの街を守る。最後の防衛線だ。
 何があっても倒れない。そう覚悟した。
 死ぬためではなく、生きるための、覚悟。
「何にだって心はある、よ。道具だって語りかけてくれる。君の持っているコギトエルゴスムならなおさらだと思う」
「は! 口出し、刃向かって、喋る道具ほど苛立たしいものは無いさ。道具はただ、主の為に使い潰されていればそれでいい」
 汚れ仕事に手を染めていたから歪んだか、それとも生来性根が捻じれていたか。
「なら……もう終わりにしよう」
 標はスモーキン・サンセットを握りしめ、その声を聴く。
 斧は内蔵された機関から蒸気を目一杯噴き出して、標に応える。
「行くよ、相棒!」
 自身の手指を扱うが如き斧捌き。精妙精微な標の一撃は、螽斯を外骨格を大きく抉った。

●絶望
 勝敗を分かつものがあるとするならば、それは連携の有無だろう。
 螽斯が奏でる破滅の旋律も耐性を高めたケルベロス達に通じず、互いにフォローしあう回復役もおらず。
「糞っ、糞ッ! 図体ばかりが大きい無能者め。何をやっている! 何故僕を助けない!?」
 その上でケルベロス達の攻撃が殺到すれば、螽斯は息も絶え絶え筬虫を詰るより他無かった。
「おやまぁ。今さら何を仰ってるんすかねぇ」
 ルインは顔に薄い笑みを引いて、螽斯を見下す。
「彼から理性を不要な物と差し引いた状態で復活させたのはあなた方。とすれば、今のこの絶体絶命の窮状を作り出したのは、他ならぬあなた自身っすよね」
 図星だろう。螽斯はわなわなと震えるばかりで、言い返さない。
「ひひっ。ゲートが壊されて、地球を愛せず、死にたくないと、定命化すまいと形振り構わず足掻いて、もがいて、その結果……」
 爛々と輝くルインの青い瞳は螽斯の絶望をはっきりと映し、なお輝く。
 地の底から、冒涜的な鐘の音が聞こえる。
 四方からおぞましい者の視線を感じる。
 ルインが再現した深淵が下水道に顕現し、支配する。 
「ユールの日すら拝めずに、今この瞬間朽ち果てるのがあなたの定め。さあ、挫折と後悔を依代に、ありったけの破滅と絶望を! 我が主に捧げるっす!」
 深淵の最奥にある神殿から漏れだす人の物ならざる呼び声は、螽斯の正気を削り取り、その精神と身体の自由を奪った。
「馬鹿なっ! 僕はまだ死ねない! こんな光も差さぬ地の底で、聴衆一人いない薄暗闇で! 誰か……っ!」
「おう、呼んだか」
 地を這いつくばって嘆く螽斯の前に立ちふさがる竜人。
 両腕をゆっくりと黒竜のそれに変化させ、重ねてグラビティで強化する。
「一つ聞かせろ。あのオサムシを動かすためのグラビティチェイン、どうやって用意した?」
 チェレスタのエレキブーストを受けた竜人の膂力は、今の螽斯を一撃で屠るに不足無い。
 だが……返答次第では、虚をつけるかもしれぬ。
 そう思ったのか、螽斯は竜人の顔色を伺って、思索して言葉を選び、
「そ」
「いや、やっぱり良いわ」
 選び抜いて口を開いた刹那。
 左右双腕の同時攻撃――古竜の咢に噛み砕かれ、螽斯は手持ちのコギトエルゴスムをまき散らしながら跡形もなく消滅した。
「これ以上胸糞悪くなったって、仕様が無ぇ」

●希望
 後に残されたのは、飢餓に呻く筬虫のみ。
 理性無く、力を頼りに暴れるばかりだが、その一撃が重すぎる。
 施した武器封じが機能しているのか怪しくなるほどの力。
 早期に決着をつけないとこちらの瓦解も見えてくる。
 そして筬虫は、戦闘に勝利するだけの知性は持ち合わせているのだろう。
 傷を癒し装甲を硬化させ、長期戦へ持ち込もうとする。
 だからこそ。筬虫が回復に手番を費やした、この一分。
 この僅かな時間で押し切らなければ、勝ちの目は薄いだろう。
「喧嘩に作法無しだ。悪ィが、手段は選ばねェぜ」
 万は砕かれたコンクリート塊を蹴飛ばして、筬虫の視界を塞ぐ。
 ただのコンクリートが、どれだけの速度でぶつかったとしても、デウスエクスにはダメージがない。
 だが別にいい。
 一瞬未満の刹那の間。それでも徒手の間合いに入るには、十分な時間だった。
 黒狼の拳は解け手刀を形作り、手刀は空の霊力を帯びて筬虫のふさがり掛けた傷跡を貫く。
 炎が、氷が、あらゆる悪性がとめどなく溢れ出て、止まらない。
 続けてシルヴィアが超重力を宿した二振りのゾディアックソードを操って筬虫を引き裂くと、更にカルピィが乳白色の液体が満ちた茶色の瓶で追撃する。
 筬虫が喚く。
 飢餓の余り体中を掻き毟り、悶え、自身の血液を啜り、腕部すら食もうと試みる。
 響花はふと考える。
 各人がそれぞれの物語を背負ってこの場に立つように、彼にもきっと、そういうものが有ったのだろう。
 だが、人々に危害を加える以上、どんな経緯を抱えていても倒すべき敵に相違はなく。
 一体でも討ち漏らせば、待っているのは地獄の光景だ。
 響花のブラックスライムが筬虫の巨躯を丸ごと飲み込んで、アイラノレは金装飾が施されたステッキ・classyをその手に携え、飢餓と拘束にもがき苦しむ筬虫の前に立つ。
 虫は苦手だった。
 思考を切り替え不得手を封じて相対し、それでも最後、筬虫に抱くのは、医師としての情。
 患者に種族など無い。助けを求める手を救いたいと願うのに、彼を飢餓から救うためには、医療行為とは正反対にあるものを与えるしかない。
『ココロ』が揺れる。
 classyから飛び出た仕込みナイフが瞬いて、
 一閃。
 決着は、ついた。

 死にゆく身体を引きずって、筬虫は下水道に散らばったコギトエルゴズムを集めようとする。
 だが、彼の手ではもう、同胞をすくいあげる事は叶わない。
「彼らを、どうか、どうか」
 死を食み僅かに理性を取り戻した筬虫が最後に成したのは、同胞達の助命嘆願。
「……アポロンや他のデウスエクスに悪用されないよう、コギトエルゴズムはこちらで回収します」
 チェレスタの言葉に一息安堵した筬虫は再び正気を失い、飢餓に喘ぐ。
 彼らの極限に達した飢えを満たしてやる術は無い。
 死にゆくものを繋ぎとめる技術も、また。
 故に。チェレスタは死出への餞に幻想歌曲を歌う。
 ――夢は現、現は夢。幼き日の心を携え、とこしえに穢れることなき夢の都へと貴方を誘いましょう。
 ――助けられなくて、ごめんなさい……。
 ――せめて、最期の時は、安らかな夢を……。

●回収
 下水道にヒールを施し、ケルベロス達は地上へ帰還する。
 アイラノレと標がアイズフォンで他班と連絡を取ると、どうやら万事上手く行ったらしい。
 敗走したチームも無く地上も至って平穏そのもの。
 ルインは万一の為にと用意した下水道地図を一瞥する。
 今回は何事もなかったが、『もしも』の時を想定して組み立てた作戦は至極正しい。
 まだまだやれると竜人は指を鳴らし、響花は体を洗える施設がないかと周囲を見回す。
 スキットルの口を開け、万が一杯煽る。勝利の美酒は若干、ほろ苦く。
 シルヴィアはマンホールに引っかかったカルピィを地上に引き上げる。 両の手が塞がってうまく動けなかったらしい。
「大丈夫かカルピィ! ……落としてない?」
 カルピィは全力で首を横に振る。
 カルピィが抱えるそれは、皆で集めたコギトエルゴズム。
 シルヴィアはにこりと笑うと、ひらめく宝石をアイテムポケットに収納し……。

 ケルベロス達は、広島市民のみならず、無辜のローカスト達をもアポロンの魔手から救ったのだ。

作者:長谷部兼光 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2016年9月27日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 7/感動した 2/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 4
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