歓喜

作者:藍鳶カナン

●合歓
 夏の終わりの森に、鮮麗な桃色の花が降る。
 柔らかな緑の羽根を思わす葉を豊かに茂らす合歓の木――ネムノキは、夏らしい鮮やかな桃色の花をいっぱいに咲かせ、ふわりふわりと風に踊らせていた。ほんとうの花弁は小さく慎ましく、花のように見えるのは扇状に開いた長い花糸だ。
 真珠色の先を鮮麗な桃色に染めた絹糸を束ね、ふわり綿毛のように咲かせた合歓の花。
 夏の終わりの木洩れ日の中、涼やかな風に誘われ舞い降りてきたそれを掌に受け、そっと顔を寄せた女が眦を緩めた。
「甘い香り……! ちょっと桃みたい。……ね、そろそろお茶しにいかない?」
 桃スイーツ食べたくなっちゃった、と女が振り返れば、真剣な顔で男がこう返す。
「や、それは『唄う合歓の木』を見つけた後で」
「はあ? もしかしてあんた本気だったの!? 本気であの噂信じてんの!?」
「ああ間違いない、絶対この森に唄う合歓の木は実在してる! 何せ『唄うのは子守唄だが合歓の木が唄うので、それはねむりうたと呼ばれる』とかいう学説があるくらいで」
「何が学説よトンデモ説って言うのよそういうのはー!!」
 彼女はぷりぷり怒り『もう知らない! あんた一人で探してなさいよ!』と言い置いて、男を残したまま森を立ち去った。合歓の森に彼一人になってしまえば、耳に届くのは優しい眠りを誘うような音色だけ。
 風にさやさや揺れる葉擦れの音、森の何処かを流れる清流のせせらぎの音。
 瞳を閉じればきっと、このまま幸せな眠りの波間へ漕ぎだせそうな気さえするだろう。
「……こういう森だから、心地好く眠れる唄を唄ってくれる合歓の木ってのが本当にいると思うんだけどなぁ……。あーあ、見つけたらその唄を聴きながら一緒に昼寝したいんだって言いそびれちまった」
 こうなったら絶対見つけて、見つけてから彼女を呼びに行こう。
 そう呟いた男が再び森の奥へ足を向けた、そのとき。
 彼の背から心臓へと大きな鍵が突き立てられた。
「私のモザイクは晴れないけれど、あなたの『興味』にとても興味があります」
 ――第五の魔女・アウゲイアス。
 命でなく『興味』を奪った魔女の言葉とともに、意識を失った男の傍に大きな合歓の木が顕現する。新たに生まれたドリームイーターは、このうえなく優しい唄を歌い始めた。

●歓喜
 初夏を迎える頃に咲き始める、夏の花。
「けれど猛暑のせいなのかな、ここ数年秋くらいまで合歓の花咲いてる処よく見るの~」
「この森もきっとそうですよね。だからこそあんな噂が生まれたのかもしれませんっ!」
 竜しっぽの先をふるふる揺らした真白・桃花(めざめ・en0142)の言葉に大きく頷いて、笹島・ねむ(ウェアライダーのヘリオライダー・en0003)は予知で視た『唄う合歓の木』の説明を続けた。
 奪われた興味を元に現実化した唄う合歓の木のドリームイーターは、このうえなく優しいねむりうたでひとびとを眠りに誘う。
「すごーく気持ちいいみたいですけど、これは攻撃グラビティです! 一般人さんが被害に遭う前にみんなでがっつり倒しちゃってくださいっ!!」
「そう言われるとちょっと唄が楽しみになってきちゃうわたしを許して欲しいの、でもでも頑張って倒しますなの、合点承知! なの~!!」
 気合満点なねむの声音に桃花の尾の先がぴこんっと跳ねた。
 何せ唄う合歓の木のドリームイーターを倒さない限り、『興味』を奪われた男に目覚めは来ないのだ。
 唄う合歓の木のドリームイーターは現在合歓の森の中にいるという色々厄介な状態だが、
「噂話をすれば簡単に森の外まで出てきます。ばっちり避難勧告済みなので、みんなは何も気にせずがっつり戦って敵を撃破することに専念してくださいっ!」
 ねむりうたも注意ですが、敵の護りが固いので戦いが長引くかもしれないってところにも注意です、と続けられたねむの言葉に、桃花がぱちりと瞬きをした。
 気持ちよく眠くなるけど、眠気に惑わされちゃいけない長い戦い。
「ねむちゃんねむちゃん、それってすごくお昼寝が恋しくなる戦いな気がするの~!」
「そうかもですね! それなら戦いの後に合歓の森でお昼寝するのもいいと思いますよ!」
 風にさやさや揺れる葉擦れの音、森の何処かを流れる清流のせせらぎの音。
 涼やかな風が吹けば甘やかに香る合歓の花がふうわり舞い降りて、瞳を閉じればきっと、目蓋には優しい木洩れ日が触れてくれる。
 そんな森で心地好い眠りにつくのは至福で。
 柔らかな波間に浮かび上がるように、優しい風に解き放たれるように迎える目覚めは――きっとこのうえない歓喜で満たしてくれる。
 そうしてまた一歩進むのだ。
 この世界を、デウスエクスの脅威より解き放たれた――真に自由な楽園にするために。


参加者
燈・シズネ(耿々・e01386)
九々都・操(傀儡たちの夜・e10029)
蓮水・志苑(六出花・e14436)
花唄・紡(宵巡・e15961)
ジーグルーン・グナイゼナウ(遍歴の騎士・e16743)
英桃・亮(謌却・e26826)
プルトーネ・アルマース(夢見る金魚・e27908)

■リプレイ

●合歓
 緑に潤う風が森の中から流れきた。
 噂話に誘われて、心地好い風とともに現れたのは合歓の木の姿をしたドリームイーター。緑の羽根を思わす葉を揺らし、鮮麗な桃色の花々をふわふわと降らせ、優しいねむりうたを唄いだす。
 それはまるで、柔らかな羽毛にどこまでも埋もれていく心地。
 梢から聴こえてくる歌声は澄んだ風鈴の音にも似て、花唄・紡(宵巡・e15961)達前衛へ緩やかな旋律と水面の波紋みたいに柔らかな余韻を染みこませていく。
 絹糸めいた合歓の花々に頬を擽られ、甘い香りを胸へと満たせば、羽毛の波間にゆうらり揺られるような感覚とともに意識がとろりと溶けて、
 ――うん、存分に唄っていいよ。
 だれにも聴いてもらえない子守唄なんてちょっとさみしいもん、ね?
「おい花唄紡! 寝ぼけて僕の邪魔だけはしないようにな!!」
「あーもー、わかってるってばクッツ、そっちこそ仕事の間位はちゃんと連携してよね!」
 目蓋が落ちかけた瞬間、九々都・操(傀儡たちの夜・e10029)の鋭い声に背を叩かれ彼が描いた星の聖域の三重の加護を得て、紡は空色の瞳をぱっちり開けた。
 夢の合歓へと叩き込まれる彼女の蹴撃、幹に燃え上がった炎の眩さに思わず瞬くと同時にレティシア・アークライト(月燈・e22396)の艶やかな黒髪を煽ったのは、陽だまり色したマフラーを翻すウイングキャットの羽ばたきが贈る風。
「ありがとうルーチェ、これはしゃっきり気を引き締めていかないといけませんね……!」
「やはり入念な対策が肝心だな、桃花にも期待してるぞ!」
 眠りの誘惑から逃れたレティシアが前衛陣へとヒールドローンを展開すれば、短く頷いたジーグルーン・グナイゼナウ(遍歴の騎士・e16743)が更に三重の星の加護を重ねていく。
「それじゃ桃花おねえちゃんは中衛をよろしくだよ、後衛はわたしが頑張るね~!」
「合点承知! みんなで頑張って耐え抜こうね、なの~!」
 不思議な合歓の木への興味を振りきりプルトーネ・アルマース(夢見る金魚・e27908)が後衛へ織り上げる雷光の壁、真白・桃花(めざめ・en0142)が中衛のジーグルーンへと注ぐ真に自由なる光、それらの輝き越しに狙いを定め、
「美しい花を傷つけるような事はしたくありませんが……参ります!」
 一気に馳せた蓮水・志苑(六出花・e14436)が神速の稲妻で合歓を貫けば、痺れに震えた梢から繊細な花々がはらはら零れ落ちた。けれど花が大地に触れるより速く、七色の爆風が花々と英桃・亮(謌却・e26826)の濡羽色の羽織を舞い上げる。
「早々に倒すのは惜しい……と思わないでもないんだけどね」
「そうも言ってられねぇからな、その唄――止めさせてもらうぜ!!」
 竜の咆哮めく爆音も轟かす小型装置を手にした亮の呟き、それに八重歯覗く笑みで応え、爆風に乗るように跳躍したのは燈・シズネ(耿々・e01386)。平時には見せぬ猫の尾も宙に躍らせて、己が脚を刃と成したシズネは太い合歓の枝を斬り飛ばした。
 だが、本来なら一緒にもう一枝砕けたはずの威力が削がれたのは敵の護りの固さゆえ。
 侮れんなとジーグルーンが眼差しを険しくすると同時、彼女を含む中衛へ煌く木洩れ日が降り注いだ。
 きらきらと降る光の滴は髪に肌に優しく跳ねて、時に合歓の花の桃色を含んで甘く踊る。知らず金の瞳も心も緩めば透きとおるような歌声が胸の奥へと滴って――。
「お昼寝は後で楽しくだよ~、ジーグルーンおねえちゃん!」
 限りなく柔らかな眩暈に襲われたジーグルーンは、木漏れ日を柔らかな虹色に塗り替えるプルトーネの天使の光と傍らのライドキャリバーの勇ましい排気音で我に返った。
「成程、眠気で判断力を鈍らせるわけか……面白い!」
「ったく、これだから眠るのって好きじゃないんだよね!」
 相棒が合歓の根を引き潰すと同時、仲間へ向けかけていた銃身を翻して凛列な凍結光線を迸らせる。彼女の凍てる輝きが敵を直撃した次の瞬間、操は天照大神を模した巨大な傀儡を創造した。爆ぜるのは合歓の感覚を奪う鮮烈な光、その中で小さく舌打ちする。
 主軸に据えるはずの稲妻突きは操の手になく、代わりにあるのはグレイブテンペスト。
 手持ちの殆どが頑健グラビティで固められた現状では見切りを避けるため彼独自の技たる心葬傀儡を挟まねばならないが、列攻撃ゆえに威力もエフェクト付与率も落ちるこの技では常に効率を求める己らしい戦いは難しいところだ。
 だが、夢の合歓が光に怯むよう枝葉を竦ませたところを迷わず志苑が狙い撃つ。
 御業から撃ち込まれた業炎が幹を焦がし、大きく樹皮を舐めた炎が梢を燃え上がらせれば紅蓮の輝きに煽られた花が絹糸を思わす花糸をきらきらと揺らした。
 炎の煌きを纏ってふわりと降る花さえも綺麗で、
「叶うなら本物の唄う合歓の木にお会いしたかったのですけれど……」
「同感。デウスエクスじゃなきゃのんぴり唄を聴きたかったところだよな」
 志苑がそれこそ花めく唇から吐息を零した刹那、合歓の唄が風を震わすより先に、黒革に雨雫煌くブーツが地を蹴った。再び合歓の懐へ飛び込んだシズネが揮うエクスカリバール、その先端が樹皮に張った氷ごと護りを突き破る。
 ――唄うなら、自分の弔いの唄でも唄いな。

●昇華
 合歓が紡ぐのは眠りへと誘う魔法の唄。
 魔法への護りに特化した防具を殆どの者が纏っているため、唄の威力そのものは然したる脅威ではなかった。が、誰もが思っていたとおり、感覚を惑わす眠りの魔力こそが何よりも厄介だ。
 刻まれた麻痺が合歓の手数を奪うが、護りの固さゆえに戦いが長引けばそれだけ唄が降る数も増えるというもの。ふわふわ舞う花、きらきら零れる光、異なる術を織り交ぜて、唄う合歓の木は繰り返しケルベロス達を眠りに誘った。
 花は森のそよかぜより柔らかに目蓋を擽り、唄は朝のしとねよりも優しく胸の裡を撫で、夢と現のあわいを蕩かしていく。けれど、
「……っと、危ない。悪いけど、昼寝の楽しみはもう少し後に取っておきたくてね」
 艶めく黒瑪瑙に青の薔薇、星の加護で睡魔を克服した亮が微かに腕輪を揺らして長い銀の柄を握り込めば、その先で優美に反る刃に地獄の炎が燈った。
 合歓の幹を派手に焼き潰す炎の一撃、その破壊力に堪らず後退る敵を逃さず追うのは紡が揮うドラゴニックハンマー。絶大な力の噴射と加速で叩き込んだ一撃で大きな根を粉砕した瞬間、視界の端で淑女の礼服が翻る。
 盾となり二人分の唄を引き受けてくれたレティシア、そのアームドフォートの主砲が己を捉える様に紡が瞳を瞠った。
「ちょ、待って待ってそのまま撃っちゃダメー!!」
「いちまる! 一緒にレティシアお姉ちゃんを起こすの~!!」
 即座に後衛からプルトーネが天使の極光を解き放ち、前衛で立ち回るテレビウムが主たる少女に代わって礼服の裾をくいくいと引きつつ応援動画を流したなら、レティシアは夢から醒めたように瞬きひとつ。
「ありがとうございます、助かりました……!」
 咲き綻ぶ笑み、流麗な所作。淑やかな礼に続けて宙に舞った彼女の鎖が合歓を縛める様に猫耳を揺らし、重心を落としたシズネは低い姿勢のまま一気に馳せた。
 地を擦るように翔ける様は雨の兆しを見せる燕のごとく、けれど獰猛な獣の爪さながらに合歓の根から幹へ斬り上げれば、尾から猫耳の先まで高揚が翔け昇る。
 降る花、零れる光。
 そして優しいねむりうたに身を任せて眠れたならどんなに幸せだろうと思うけど。
「オレらはケルベロスで、これは命のかかった戦いだって、忘れないようにしねぇとな!」
「ああ、偽の合歓にはここで御退場願おう!!」
 戦いの高揚が滲む彼の声に重ね、ジーグルーンが撃ち放った砲撃がひときわ合歓の挙動を鈍らせた。
 心地好い眠りに誘う合歓の唄。
 だがそれは、死の眠りへも繋がる唄なのだ。
 幾つも燃え盛る炎、樹皮を白く染める氷、それらで着々と命を削り、護りを破って痛手を増大させ、手数や自由を奪う厄を刻みながら、ケルベロス達は確実に敵を追い詰めていく。
 けれど炎で炭化した枝を落としつつも、合歓がきらきらと降らせる光はあくまでも優しく煌いて、柔らかに紡ぐ唄は心地好い波紋となって後衛陣を眠りの水面へ誘う。
 ふわ、と癒し手たる少女の口から愛らしいあくびが零れたが、
「プルトーネさん!」
「大丈夫、今度は私がお起こしします!」
 ――霧よ、恭しく応えよ。暁を纏いて、彼の者共を癒やし守護せよ。
 志苑を庇ったレティシアの唇から詠唱が流れると同時に、真白な霧が木漏れ日の煌きを、薔薇の香りが合歓の花の香りを塗り替え、癒しとめざめを一気に齎した。
 ちゃんと目が覚めたの、と己のほっぺをぺしぺししたプルトーネがまっすぐ合歓のもとへ馳せ、鋼の鬼宿る拳を叩き込めば、短く安堵の息をついた志苑も敵の懐へ身を躍らせる。
 閃くのは雪月華に氷の銘を冠する刃、
「我が刀より咲きし氷の花、あなたも美しい花ですが……どうかこれを、手向けに」
「そうだね。残念だけれど、そろそろお休みの時間だ」
 氷の花吹雪めいて舞い踊る幾重もの剣閃、木の芯を貫く最後の一撃が深い幹の裂け目から大輪の氷花を咲かせれば、
 ――夢の中で逢おう。
 そう囁いた亮が地に掌を押し当てた。
 胸元に燻る焔が勢いを増し、彼の視界を揺らがせた刹那、天地を咆哮で揺るがした闇色の竜が夢の合歓すべてを喰らい尽くす勢いで襲いかかる。だが竜に呑まれ幾多の枝を喰らわれながらも合歓が生き延びれば、操が解き放った貪欲なる漆黒が再び合歓を呑み込んだ。
 ぐっすり眠らせてやるよ、二度と起きないくらいにね。
 迫るデウスエクスの終焉を感じて口の端擡げ、三重の縛めで敵の足掻きを抑え込む。
「これで仕留めなきゃ僕がお前を仕留めるからな! 花唄紡!!」
「はいはい、任せといて。そんな機会あげやしないから」
 本気まじりな操の言葉をいつもどおりに流し、だけど紡は彼の確実な縛めに笑んで、己が裡に孕んだ魂の魔力を借り受けた。
 いつか喰らった魂が無垢なる少女の幻影となって甦る。
 恋に焦がれ永遠に喪った乙女の口づけは甘やかな魔力で合歓のすべてを虜にし、夢を空へ昇華させるように霧散させた。
 無数の微細な光の粒子が淡く瞬き、世界に還る。
 ――素敵な歌声をありがとう、ゆっくりおやすみ。

●歓喜
 遠く近く、森の何処かで清流のせせらぎが唄う。
 優しい水音に重りあう葉擦れの囁き、柔らかな細波の音色にも似たそれに合わせて揺れる木漏れ日の中に二人でハンモックをかけたなら、ゆったりした網のしとねに身を預け、亮は誰より愛しい娘を招く。
「……乗れる?」
「……ん、だいじょう、ぶ」
 腕の中に包み込む、アウレリアのぬくもり。
 頬を撫でる指の心地好さに銀の双眸細めれば、彼女の笑みも木洩れ日に溶けるよう。
 ――俺ね。アリアと一緒に眠ると、凄く幸せ。
 吐息めいて零れた声は小さくて、けれど確かに届いた証にひときわ彼女の笑みが柔らかに咲いた。葉擦れより優しく耳を擽る、愛しい囁き。
 ――わたしもあなたと眠れる事は幸せ。あなたの腕の中に在るのが、幸せ。
 柔らかに溢れだすような幸福のままに彼は微笑し、緩やかに寄せ来る眠気のままに目蓋を落としていく。
「目が覚めたら、起こしてくれる?」
「……魔法をかけて起こしてあげるわ、亮」
 頬を辿った指先が唇に触れれば燈る、甘い熱。
 飛びきりの魔法を待ち遠しく思いながら、微睡みの波間へと漂いだした。
 緑の羽根めく葉を広げる梢の天蓋は、木陰に柔い光の模様を描きだす。
 水面に煌く光より優しく踊る木漏れ日模様、その上に広げたシートに座り合歓の木に背を預ければ、そよかぜに誘われた合歓の花が志苑の膝に舞い降りた。
 仰ぎ見れば緑の羽根の合間にふわふわ揺れる、羽毛みたいな桃色の花。
 ふうわりと落ちてきた花を掌に包み込めば、友人のサーヴァントの柔らかな毛並みを思い起こして頬が緩む。
 ――あの子がいてくだされば、きっと。
 もっと幸せ、と笑みを綻ばせ、志苑も揺蕩う眠りへ心を溶かした。
 限りなく優しい森の音色に抱かれ、思い思いの場所で仲間が眠る。
 その様子が瞳に映れば、
 ――ハァーーッ! 非効率ッ!!
 なんて大きく嘆息するのも憚られ、操は軽い溜息ひとつ。
 睡眠は非生産的、そう思うのは変わらない。けれど適度な休憩も必要と言えばそうだねと己を納得させて、仕方ないなぁ~、僕も昼寝してやろうか~と彼も木陰に落ち着いた。
「お前はあっちいけ花唄紡……って、あれ?」
「ふふふ~。紡さんならもうお兄さんと一緒に奥に行っちゃったの~」
「何ッ!?」
「そう言えばわたしも子供の頃はお昼寝って好きじゃなかったけど、今は大好きなの~」
「誰もそんなこと訊いてない、ってか子供と一緒にしないでよ!」
 操と桃花の小声のやりとりに微かな笑みを零しつつ、ジーグルーンはライドキャリバーに持たせていた魔法瓶へ手を伸ばす。
「眠る前に温かなお茶で寛いで、より心地好く眠る――というのはどうだ?」
「ふふ、それもありですよね」
「わぁい! いただきますだよー!」
 こぽこぽ注がれる木洩れ日色のカモミールティー、ふうわり溢れる香りに瞳を和ませて、やはりお茶とお菓子を翼猫と楽しんでいたレティシアが微笑めば、傍らの相棒がにゃ~うと答えた。ジーグルーンに手渡されたお茶をゆっくりと味わったなら、プルトーネの唇から、はふ、と零れる至福の吐息。
「よし、ハンモックかけてくるね。いちまるはちょっと待ってて~」
 こくりと頷くテレビウムに手を振って、天使の翼を広げた少女が木漏れ日に舞い上がる。わたしも上の方にハンモックかけようかなぁ、と竜の娘も翼を広げた。が、
「桃花おねえちゃん、お昼寝中にハンモックから落ちないようにね」
「はうあ!」
 かくんと傾ぐ竜の翼、次いでくすくすと二人の笑みが零れてくれば、合歓の花もふわふわ零れてきたから、ジーグルーンの瞳も緩んだ。改めて見れば花の可愛らしさに心が和んで、そっと目蓋を落とせば胸の奥にあの合歓の唄が響いてくる心地。
 ――夢の中でなら存分に、あの歌声を楽しんでもいいだろう。
 ぱらり、ぱらりとお気に入りの本をめくれば、綴られた物語の上に木漏れ日が踊る。
 森と水の香を運ぶ風に誘われ、ほんのりと甘い香りを纏った合歓の花が舞い降りたなら、桃色のそれを栞にレティシアは本を閉じた。
 深呼吸すれば、指先まで森の息吹が満ちるよう。
「森林浴はいいわね、ルーチェ」
 そう思わない? と傍らに眼差し落とせば、いつのまにか翼猫は心地好さげに夢のなか。おつかれさま、と笑みで囁き、レティシアも夢の波間に心をゆだねた。
 ――後で、どんな夢を見たか教えあいっこしようね。
 桃花とそう手を振りあい、プルトーネはテレビウムと一緒にぽふんとハンモックに沈む。ゆうらり揺れれば合歓の梢もふうわり揺れて、せせらぎを連れて来る風に緑の葉がさやさや唄う。
 緩む目蓋を優しく撫でる木漏れ日、眼裏に淡い光が溶ける感覚に擽ったい心地で笑んだ。
 もしも本物の唄う合歓の木に逢えたなら。
 一緒にお歌をうたってみたいな。
 小さく零れた声も、そのまま柔らかな寝息に溶けて。
 ――おやすみなさい。起きたらまた皆で歩いていこうね。

 遠く遠く、森の何処かで清流のせせらぎが唄う。
 合歓の花が降り積もる木陰に螢が広げてくれたピクニックシートが、紡にとっては最高のお昼寝どころ。寝転べば甘い花の香に包まれ、瞳いっぱいに広がる合歓の葉の緑と花の桃、遠く覗く空の青。
 昼寝なんて一人で出来るでしょうに、なんて零して兄は寝転がるけれど、その前にもっと小さく響いたお疲れ様はしっかり妹の胸の中。
「膝枕したげよっか?」
「要りませんよ、あなたこそ子守唄は不要で?」
 いつもの調子のやりとりに紡はくすくす笑って。
 けれど、瞳を閉じれば本音が零れだす。
 目が覚めても独りだと寂しくて。嘘でも一緒にいて欲しくて。
「今だけ今日だけ――我儘に付き合わせて、ごめんね」
「……約束は守るっていってるじゃないですか。今日はどこもいきません」
 明日をも知れぬ偽りの兄妹関係。
 だけど、それでも。ふと手に触れた兄の手のぬくもりが全部許してくれた気がして、紡は心ほどけるように眠りへ落ちた。
 良い夢をと届いた声で満ちる、幸せ。

 葉擦れの囁き、せせらぎの唄。
 木洩れ日透かす天蓋は緑の梢と合歓の花の桃色に彩られ、森が織り成す贅沢なしとねで、寄せては返す細波にも似た微睡みに二人はゆうるり揺蕩っていた。
 爽やかな風に誘われ、シズネが目蓋を開ければ薄縹の瞳と視線が重なって、
「オレの寝顔見てたのか?」
 ぱちりと瞬けば、並んで昼寝していたラウルが、そうだよ、と言うように柔く笑み返す。その笑みがあたたかだったから、そうだ、と悪戯に笑ってシズネは猫に姿を変えた。
 ふみっ、と踏まれる感触にラウルはくすくす笑い、自分の上でまるくなった猫の毛並みをそっと撫でる。伝わるぬくもり、陽だまりの匂い。
 にゃあ、と鳴いた猫のシズネが、おやすみと言ったことは解ったから。
 ――おやすみ。
 唇の動きだけでそう返し、ラウルは再び微睡みの波間へゆるゆると。
 優しい暖かさにシズネの目蓋もとろりと落ちて。
 柔らかな風が起こしてくれる、歓喜のめざめを迎えるまで。

 おやすみなさい。

作者:藍鳶カナン 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2016年10月4日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 5
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