夢の国症候群

作者:雨乃香

 小さな湖のほとり。空に浮かぶ月が写る水面に波はなく、あたりで鳴く虫達の声だけが静かに響いている。
 そんな幻想的な光景のなか、膝をつき、両の手を組み、一心不乱に湖に向け祈る、一人の少年がいた。歳は十五かそこら、きつく閉じた目をゆっくりと開いた先、代わり映えのしない光景に彼は再度目を閉じ、祈りを捧げる。
「夢の渡し守さん、どうか、どうか僕を連れて行ってください」
 必死に祈る彼をあざ笑うかの様に、その背後にゆらりと影が立ち上がる。
 それは音もなく鍵を振りかぶると、少年の胸を背後から一突きにする。
「私のモザイクは晴れないけれど、あなたの興味にとても興味があります」
 鍵が引き抜かれ、少年の体が横たわる。
 そして湖に、ふわりと浮かび上がる人影が一つ。
 それはいつまでも湖の上を踊るようにふらふらと彷徨っていた。

「住人が歳を取ることなく暮らす子供達の夢の国、実在するのであれば魅力的な世界ではありますが。皆さんはどう思いますかね?」
 両の手を組み、どこか虚空を見つめるような演技をしながらニア・シャッテン(サキュバスのヘリオライダー・en0089) はケルベロス達にそう問いかけ、反応があまり芳しくないことを悟ると、態度をただし、何事もなかったかのように本題を切り出した。
「今回皆さんに倒してもらいたいのは、そんな夢の国への興味から生まれたドリームイーターです。広い水辺で名を呼び、祈りを捧げることで現れるという夢の渡し守、十七歳以下であればどんなものでも夢の世界へと連れて行ってくれるという噂話が元になったようですね。ドリームイーターにある意味ぴったりな役回りかもしれません」
 頭をかきつつ、ニアは溜息を吐いて、こんな御伽噺に縋らないといけないような子供がいるのは嘆かわしいことですと、一人呟くと、目標のドリームイーターの詳しい説明へと移る。
「先程も言ったとおり、夢の渡し守は十七歳以下の子供しか相手にしないようで、十八歳以上の相手は連れて行けないと襲い掛かってくるようです。なんともまぁ暴力的ですね?」
 その際手にした櫂を使い殴りかかってきたり、泡になって消えるなどといった行動を取ってくるらしい。
「戦闘力自体はさほど高くないようですから、まぁ、心配はないと思いますが逃走にだけ注意しておいた方がいいかもしれません」
 他に伝えるべきことがないか、確認をおえたニアはケルベロス達に向き直り、笑いかける。
「こんな夢の世界に頼らなくてもいい世界になるように、デウスエクスを倒して平和な世の中にしないといけませんね。今回のこの件もそのための一歩ですから、皆さんの色よい報告お待ちしていますよ?」


参加者
獅子・泪生(鳴きつ・e00006)
レーグル・ノルベルト(ダーヴィド・e00079)
ベルフェゴール・ヴァーミリオン(未来への種・e00211)
ベルノルト・アンカー(傾灰の器・e01944)
尾守・夜野(ボーパル・e02885)
霧凪・玖韻(刻異・e03164)
ルル・キルシュブリューテ(ブルーメヘクセ・e16642)
瑞澤・うずまき(ぐるぐるフールフール・e20031)

■リプレイ


 空高く欠けた月が昇り月明かりが地上を照らす。
 開けた湖畔の水面には鏡写しの月がゆらゆらと揺らめいて、幻想的な光景を作り出していた。
 ふと風が止むとそれに呼応するようにあたりで鳴き声をあげていた虫達もピタリと鳴き止み、残された小さな足音だけがはっきりと聞こえた。
 夜に映える銀の頭髪と尾を靡かせ、尾守・夜野(ボーパル・e02885)湖へと続く道を歩く。
「ここに来れば、夢の渡し守さんが来てくれるっていうお話だったけど……」
 不安げに呟きつつも、足を止めず夜野は湖の畔まで辿り着くと、深く呼吸をしたのち、膝をついて両の手を組む。
 二つの月を前に、彼はそれの名を呼ぶ。
「夢の渡し守さん、どうか、どうか……ボクを連れて行ってください」
 呟きが闇に溶け、静寂があたりを包む。変化は何一つ訪れず、彼が顔を上げた先に先にそれはいた。
 湖面に浮かぶ、緑のローブに身を包む人影。
 光る小さな球体と共に現れたそれは、夜野を観察するようにその上空で球体と共にふわふわと周囲を周り。やがて満足したのか、その正面、湖面の上へと降り立つと頭を下げる。
「貴方の望むままに。さぁ手を取って、貴方を子供だけの夢の国へお渡ししましょう」
 夢の渡し守は、そう言って櫂を握っていない空いた手を夜野のほうへと差し出す。
 夜野はその手を取ろうとはせず、決して伺うことのできない、渡し守のフードに隠された顔の方をじっと眺めている。
「どうかされましたか?」
 不思議そうに渡し守が首を傾げる。その言葉にも夜野が答えないでいると、そこへのっそりとレーグル・ノルベルト(ダーヴィド・e00079)が姿を現した。
 緩慢な動き、というよりも自らがここにいると示すように現れたレーグルに対し、渡し守はフードの奥にひかる怪しく輝く瞳を向ける。
「何故ここに大人が……」
 憎しみと不安、それらをない交ぜにしたような力ない声で呟いたそれは、湖面から地上へと降り立つと、夜野を守るように前に立った。
「さぁ隠れて」
 櫂を手に、レーグルを警戒するように渡し守は油断なく視線を真っ直ぐに向ける。
 対してレーグルは渡し守の行動に、夜野に危険がないことを悟ると、躊躇いなく前へと踏み出す。
 それを制するように、渡し守が声を発した。
「止まりなさい」
 その声に従い、レーグルはその場で静止する。
 決して大きな声ではない、怒鳴ったわけでもない、ただその言葉には強い力が込められていた。
「残念ながら子供を脅かす大人は夢の国へとご招待できません、お引取りください」
「断るといったらどうする?」
「物理的に夢の国へお連れ致しましょう」 
 櫂を両の手で握りこんだ渡し守の周りを妖精が飛び回る。それを受けてレーグルは炎に包まれる腕でしっかりと、武器を握り、戦う意思を見せる。
「すぐにお連れ致しますので、少しだけお待ちください」
 渡し守は、振り返らず夜野にそういうと、軽く地を蹴った。


 渡し守の体が地を蹴ったと思った瞬間、その体は泡となり消える。
 数瞬のタイムラグの後、泡から再び姿を現した渡し守の姿はレーグルの背後。
 渡し守は振り上げた櫂をあらん限りの力を込めてレーグルへと叩きつける。
 振り向き様のレーグルの一閃が、交差し、互いの武器がぶつかり合い、弾かれる。
 敵の視界から外れ、自由に移動が出来るとすれば、どこに現れるのがもっとも効率的か、レーグルが瞬時に出した答えは見事に、敵の思考と合致していた。
 しかし、渡し守の方も冷静だ、一時その動きに驚きこそするものの、間合いを外し、再び先程と似たような状況を作り出す。
 敵からの反撃をまず受けることのない、一方的な選択を押し付け続ければいずれは勝てるのだから。
 しかし、その渡し守の考えは、突如夜の湖畔を切り裂いた光により打ち砕かれる。
 それは夜野と、レーグル、二人のケルベロスの仲間達が掲げる、人工的な照明器具の明かりだ。
 渡し守は、夜野とレーグルに気を取られ、自らがすっかりと包囲されていることになど気づきもしなかった。
「彼らに、どうか貴方のお恵みを」
 ルル・キルシュブリューテ(ブルーメヘクセ・e16642)の言葉と共に立ち上がる、ローブを纏う老いた花精。彼は長い髭を撫で付けながら古き約束を守るため、杖を一振り。
 その力を受け取りながらベルノルト・アンカー(傾灰の器・e01944)は走る。
 未だ事態を飲み込めない渡し守の退路を断つ様に布陣した彼は狙いを見据え、刀を抜き放つ。
 夜闇の中、人工の光を受けて煌く刃の一閃。足を止めないままに振り抜かれたその刀の太刀筋はブレることなく、渡し守の体を切り裂く。大きく揺らいだその体をさらに、ベルフェゴール・ヴァーミリオン(未来への種・e00211)の放った気の弾丸が容赦なく撃ち抜く。
 一回転した体が倒れこむ。
 ケルベロス達が警戒する中、その体は糸に吊られた人形の様な奇妙な立ち上がり方をした後に、深緑のローブについた汚れを手で払い。ぐるりと視線をまわした。
 渡し守は周囲を取り囲むケルベロス達の姿を確認し、悲しそうに瞳を斜めにした後、小さく息を漏らす。
「なるほど……汚い大人たちの考えそうな手だ」
 夜野には目もくれず、渡し守はレーグルをキッとにらみつけるが、レーグルはその視線を正面から受け止め、微動だにしない。
「なぜ邪魔をするんだ。夢の国は素晴らしい所なんだ。子供達を脅かすモノは何もない。皆が望むように平等に生きられる素晴らしい場所なんだ」
 両の手を広げ、渡し守が語る隣では妖精がそんな彼を応援するようにチカチカと輝きくるくると飛び回っている。
「夢の国か……憧れる気持ちもわからないでもないけど……」
 瑞澤・うずまき(ぐるぐるフールフール・e20031)は渡し守の言葉に、なんともいえない複雑な表情を向けその後に続く言葉をしまい込む。
 目の前の紛い物にはきっとそんな力はない。
 それは誰のせいでもなく、目の前のドリームイーターはただ、生みの親とも言うべき一人の少年の思い描く姿のまま、出来ないことを出来ると言うことしか出来ない、ある種の悲しい存在だ。
「たしかに、あったかいお布団の中で見る夢は幸せだけど。子供たちを浚っちゃう悪い夢は、だめ!」
「内容的にはただの誘拐にすぎないしな」
 獅子・泪生(鳴きつ・e00006)の訴えかけるような声とは対照的に、霧凪・玖韻(刻異・e03164)の言葉は冷静で冷ややかだ。
「違う、誘拐なんかじゃない! こんな酷な世界から逃げ出したい子供達を、望まれてボクは、助けるんだ!」
 渡し守の叫びが響く、しかし、それに同意するものはこの場にはいない。 
 縋るように渡し守は夜野を方を見る。
「連れて行ってくれるのは嬉しいの――でも、僕にはまだやることがあるしお友達もいるの」
 申し訳なさそうに夜野は告げながらも、しっかりとその後を続ける。
「夢はいつかさめるのです。悪夢の時間は終わらせるの!」


 体を震わせる渡し守の姿は随分と小さく見える。ケルベロス達に囲まれ、もはや逃げ場もなく、それでも渡し守は諦めることなく声を上げる。
「ボクを必要とする子達が沢山いるんだ! だからボクはこんな所でいなくなるわけにはいかないんだ」
「紛い物では誰一人救えぬとしても、抗うというのだな?」
 レーグルの言葉に、ただ渡し守は頷く。
「ならば受け止めよう。その思いの丈を全て、だ」
 その決意に敬意を払うかのように、レーグルは炎を纏った両腕を構える。揺らぐ地獄の炎が周囲に力をもたらす。
「わかったような事を!」
 すぐさま、渡し守はレーグルへと飛び掛る。振り上げた櫂の一撃をレーグルが受け止める。
「玻璃央央、――咲き乱れて」
 敵が動きを止めたその瞬間、泪生の短い詠唱と共に透き通る氷の百合が咲く。
 花びらが散るように、ひらり、ひらりと舞い、それらは一枚一枚が鋭利な刃を持ち、泪生の軽い一息に押されるように加速しキラキラと輝く無数の弾丸となる。
 慌てて飛び回る、渡し守の妖精、あたりで巻き起こる、うずまきの起こしたカラフルな爆発。
 揺れる湖の水面に月とそれら全てが反射し、まるで夢のような色取り取りの世界が映し出される。
 どれ程美しい光景が展開されようとも紛れもなくここは戦場であり、花びらが渡し守の体を掠めるたび、かすかな叫びが木霊する。
 たまらずその攻撃をやり過ごそうと渡し守は自らの体を泡へとかえ逃れようとするが、体の全てが泡になって消えるよりもはやく、玖韻の放った光の砲撃がその体を捉え、消えようとしていたその体の状態を無理やりに引き戻した。
「瞬き 煌き 耀けよ!
 月を沈め今ここに!
 今一度の導となりて 我らに途を示したまえ!」
 夜野の詠唱と共に光が弾け拡散する。淡く輝くそれは触れたものの気持ちを静め、感覚を鋭敏にする。その研ぎ澄まされた感覚をもってベルノルトは渡し守を見据える。
「当人にとって良い夢であれ、悪夢であっても、夢ならば覚めなくてはいけません」
 振るう刃は、傷つきボロボロになった渡し守の体の傷をなぞり、その傷口を深く広げる。
「それだって大人の言い分だ! 夢を見続けることの何が悪いって言うんだ!」
 傷口を押さえ、ふらふらと頼りなく揺れるからだ。
 既に満身創痍の渡し守にかわって、妖精が力を振り絞り、ベルノルトめがけて飛ぶ。
 すぐさま、ルルの黒鎖が地に魔方陣を描き、その威力を減衰させ、レーグルが片手でそれを易々と受け止め、弾き飛ばす。
「誰かが夢から目覚めて大人にならないと、君の守るべき子供達もいずれはいなくなっちゃうんだよ?」
「だからって、眠りたい子供をたたき起こすの?」
 ボロボロの体で櫂を振りかぶり、渡し守が再びレーグルに殴りかかるが、その大きく振りかぶられた櫂はベルフェゴールの抜きうった弾丸に弾き飛ばされ、その手を離れ、乾いた音を立て地に転がる。
 もはや渡し守に打つ手はない、逃げることも出来ず、ただ子供のように自らの言葉を、思いをわめき散らすしかできない。
「君達のように強い子ばかりじゃない、頼れる人がいない子だっている、君達に救えない子供達だっているんだ!」
「たしかに、そうかもしれない」
 小さく頷くうずまきにも夢の国に憧れる気持ちはわからないでもない。
「でも、夢の国なんて不確かなものに希望を持って縋るくらいなら、その前にボクは手を差し伸べてあげたい。ボクにも助けてくれた人がいたように」
「頼れる人がいないなら、ボクも友達になってあげるよ」
 うずまきの言葉に、夜野も大きな声で宣言する。
 人一人が手の差し伸べられる範囲などたかが知れている。それでもその繋がりがまた新たな繋がりを生むのであれば。
 渡し守は沈黙し唇を噛んでケルベロス達を見据える。
 少年の強い興味から生まれたそれは、力なく頭をたれ、小さくゆっくりと口を開く。
「彼のことはじゃあ、頼んだよ……」
 二人がその言葉に頷きを返し、渡し守はレーグルの方を見据える。
 互いの間に言葉はなくとも、レーグルはその意を解し武器を振り上げる。
 もはや抵抗もなく、渡し守の首をレーグルの振り下ろした鉄塊剣があっさりと落とした。
 それは地に落ちるよりはやく炎に包まれ、身に着けていたローブが燃え落ちた後にはもう何も残ってはいなかった。


 夜野静けさを取り戻した湖畔の風景は相変わらず幻想的で美しく、まるでこの世ではないような錯覚を受ける。
 その畔で、少年は目を覚ます。
「大丈夫?」
 目覚めたばかりの少年の視界にルルと、半身が桃色の可愛らしいテレビウム、イコの姿が映りこむ。
 夢の続きのように見えるその光景に少年は、ゆるんだ表情を見せつつも、その意識が徐々に覚醒し、自らの置かれた状況に気づいた少年の瞳から涙が溢れていた。
「経緯はわかりかねますが、まずは顔を上げてください」
 少年を気遣うようにベルノルトが声をかけ、ハンカチを差し出すが少年は首を振ってそれを断ると両の手で涙に濡れる頬をごしごしとこする。
「もし迷惑じゃないのなら、君の話をきかせてくれるかな?」
 夜野の言葉に、少年は戸惑い、視線を彷徨わせ、息を吸って、吐いて、唇を引き結ぶ。
「ゆっくりでいいんです」
 そのやさしいうずまきの言葉に少年は、頷いて、たどたどしく話し始める。
 彼が夢の国に憧れたその理由を。

 話し疲れたのか少年は気づくと眠りについていた。
 全てを話し終えて多少は楽になったのか、彼の寝顔は少しだけ安らかに見える。
「こうやって穏やかに眠れる夜が続けばいいんだけどね」
「そうして納得して成長して、大人になってくれればいいのですが」
 少年の頭を優しく撫でる泪生の言葉にベルノルトは少しでも少年が前向きに生きてくれればと、優しい視線を向ける。
「結局はそいつがこれからどうしていくかだ。行き先も決まらないまま背を押しても意味はない」
 厳しく冷淡に聞こえる玖韻の言葉もまた裏を返せば、少年のことを思っての言葉、その場にいる誰もが彼のそのいく末を心配していた。
「……一緒に考えてあげられればいいだんけどね」
 ベルフェゴールはそう呟きながらゆっくりと少年の体を起こさないように抱き上げる。
 今はまだ夢を見ていて欲しい。
 急ぐことはない、彼が大人になるまでにはまだ時間がある。
 目覚めてからまた言葉を交わせばいい。
 そうして彼らは夢の国への入り口を後にした。

作者:雨乃香 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2016年9月13日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 3
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