慈悲無き灰の刃

作者:雨乃香

 深い緑の生い茂る釧路湿原の奥地。
 人の訪れることの無いその場所に、ただならぬ気配を持つ人影が佇んでいる。
 黒い狼の毛皮を目深に被り、露出した口元に薄く笑みを浮かべるそれはゆっくりと口を開く。
「そろそろ頃合ね」
 その声を聞くのは、数匹の巨大な深海魚と、その中央で膝を抱えるように宙に浮かぶ、褐色の少女。
 暗い光を放つ翼をもつその少女は、うつろな視線を目の前の人影に合わせると、小さく頷きを返し、すっと立ち上がるように膝を伸ばした。
「あなたに働いてもらうわ。市街地に向かい、沢山の人を死に導いてあげなさい」
「お言葉通りに、テイネコロカムイ様」
 深く頭を下げた彼女は、相変わらずどこを見ているのかもわからない、生気のない顔を上げると、どこからともなく現れた、その身長を超える槍を手に、虚空を蹴る。
「いこう」
 周囲の深海魚のような見た目をした死神達にそう声をかけ、彼女は緩やかに飛翔する。
 目指すのは沢山の魂がひしめき合う、人の多い市街地。
 翼が一層暗く輝きを放ち、少女の体を急激に加速させていく。

「そろそろ夏も終わりですね、季節の変わり目ですし皆さん風邪には気をつけましょうね?」
 最近は朝方の冷え込みが激しいですし特に注意が必要ですね、とニア・シャッテン(サキュバスのヘリオライダー・en0089)は世間話を挟みつつ、さて、と居住まいを正すと、本題へとはいっていく。
「そんな時期に合わせてきたわけではないでしょうが、死神が新たな動きを見せ始めました。第二次侵略期以前に死亡したデウスエクスをサルベージし、釧路湿原近くの市街地を襲撃させようとしているようです」
 どうせならもっと暑い時期に動き出してもらった方が、現地に行く皆さんにとってはよかったかもしれませんね、などと軽く冗談を挟み、ニアはさらに詳しく今回の件について説明を続ける。
「サルベージされたデウスエクスはこの地で死亡したものではないようですが……何か意図があってここまで運んで来たのでしょうか? 詳しいことはわかりませんが、このサルベージされたデウスエクスは死神により強化されており、周囲には深海魚型の死神もセットになっており苦戦が予想されます」
 ニアは、ただ悪いことばかりではありませんがねと、呟いて、簡素な地図情報をケルベロス達の前へと表示する。
「幸い予知で相手の移動経路は判明しているので、人里に入られる前に湿原の入り口辺りで迎え撃つことができると思います。余計なことは考えず、目の前の敵に集中してください」
 敵の移動経路、交戦地域のデータの確認を終えると、次にニアは、敵の外見情報や、武装についての資料へと情報を切り替え、家宇部ロスたちの前に映し出す。
「肝心のサルベージされたデウスエクスはヴァルキュリア、ですね。変異強化により意識や思考が希薄になっていますが、反面、身体的能力は向上しているため、力推しを許すと被害が甚大になりかねません。
 とはいえ、相手は素早く、その上ゲシュタルトグレイブで武装もしている為、なかなか厳しい戦いが予想されます」
 加えて、これに深海魚型の死神が三匹となれば、ケルベロス八人といえど、かなりの激しい戦いが予想されるため、事前の準備は怠らないよう荷お願いしますと、ニアは告げ、最後に、ケルベロス達を送り出すべく、笑顔を向けて続ける。
「ただ、みなさんなら勝てない相手ではないですし、死して尚望まぬ戦いに駆り出される彼女をこのままにしておくのも可哀そうですからね、ここいらで安らかに眠らせてあげましょう」


参加者
アシュヴィン・シュトゥルムフート(月夜に嗤う鬼・e00535)
霖道・裁一(残機数無限で警備する羽サバト・e04479)
瀬戸口・灰(忘れじの・e04992)
火岬・律(幽蝶・e05593)
イスクヴァ・ランドグリーズ(楯を壊すもの・e09599)
レイヴン・クロークル(偽りの黒翼・e23527)
スマラグダ・ランヴォイア(竦然たる翠玉・e24334)
結真・みこと(ょぅじょゎっょぃ・e27275)

■リプレイ


 釧路湿原の空を行く四つの影。
 人工の明かりの少ないその地では月と星の輝きは強く、深夜とはいえ周囲の景色を見て取る程度のことは出来た。
 先頭を飛ぶヴァルキュリアの少女はうつろな光のない瞳を動かし、市街地が近いことを確認すると、やや高度と速度を落とし緩やかに飛ぶ。それに続く怪魚の群れも同じ様に従う。
 ふと、少女は何かが動いたような気がして、目の前にせまる高台の展望台に視線をやる。
 その先で何か、眩く輝く星のような、沢山の何かが煌いているのが見えた。
 それが収まった瞬間、咄嗟に少女は回避行動をとった。
 しかし、もとより狙われたのは彼女ではない。
 瞬間、彼女の横を光がかすめ、音が通り過ぎる。
 龍の轟きのような轟音が静かな湿原に響きわたる。
 レイヴン・クロークル(偽りの黒翼・e23527)の放った砲撃を直接受けた怪魚にとどまらず、空中でその攻撃を掠めた一群は体勢を維持できず、高度を落とす。
 少女の視線の先、展望台では立て続けに二つの丸い光が弾け、霖道・裁一(残機数無限で警備する羽サバト・e04479)の真っ黒なサバト服に包まれた体が、巨大な光の巨人となり、結真・みこと(ょぅじょゎっょぃ・e27275)の操るオウガメタルの支援をうけた彼は、落下していく怪魚の姿を見逃さない。巨人の腕が手負いの怪魚めがけ振るわれる。
「光の巨大サバト、神々しくドーン!」
 その豪快な一撃はしかし、別の怪魚が体を滑り込ませたことにより防がれた。
 だが、怪魚がいかに巨体といえどその威力は到底殺しきれるものではない、弾き飛ばされた怪魚は展望台へと墜落、それを待っていたとばかりに、網を張っていたケルベロス達が動き始める。
「あいにくと此処を通す訳にはいかないので」
 火岬・律(幽蝶・e05593)の放つ蹴りが、地に落ちた怪魚を捕らえると同時、発生した重力場がその体を地に縫いとめる。
 畳み掛けるようにイスクヴァ・ランドグリーズ(楯を壊すもの・e09599)が炎を纏う拳を振り上げ、怪魚へと迫る。
 しかし、その一撃を受けたのは、まだ無傷であった別の怪魚。
 敵とていつまでも一方的にやられていてくれるわけではない。イスクヴァの攻撃を受け止めたその巨体は揺るぐことなく、そのまま大口を開けて牙を剥く。
「お前たちも、桜に魅入られてみるか?」
 声とともに、どこからともなく吹き荒れる季節はずれの桜吹雪。アシュヴィン・シュトゥルムフート(月夜に嗤う鬼・e00535)の一閃が怪魚達をまとめてなぎ払い、怪魚達を踏みとどまらせる。
 しかし、ヴァルキュリアだけはその攻撃に怯むことなく、灰の翼を輝かせアシュヴィンに対し突撃を仕掛ける。
「他人に叩き起こされた割に、なかなか元気だな」
 瀬戸口・灰(忘れじの・e04992)はヴァルキュリアのその降下攻撃を正面から迎撃すべく、鋼鉄の爪を振り上げアシュヴィンの前へと躍り出た。
 交差の瞬間、灰色の粒子となったヴァルキュリアの体と、漆黒の爪がぶつかりあう。
 純粋なデウスエクスとしての力を残しつつ、変異強化を受けたヴァルキュリアの膂力はすさまじく、単純な力比べではケルベロスに勝ち目はない。
 灰はそれを悟ると、力を抜きその頭上を抜けるように跳躍、敵の背後に回りつつ後頭部へと鋭い蹴りを放ち、ヴァルキュリアの一撃を受け流す。
 対象を見失ったその破壊の力は周囲の地面を削り取り大きな溝を掘ったあとにようやく止まる。
 その破壊力に眉を顰めながらスマラグダ・ランヴォイア(竦然たる翠玉・e24334)は周囲にオウガメタルの粒子を散布しつつ、敵全体の様子を伺う。
 ケルベロス達の手により地へと引きずり下ろされる形となった三匹の怪魚とヴァルキュリア達は既に交戦の意思をはっきりと示しており、怪魚達はある程度のダメージを受けてはいるが、ヴァルキュリアのほうはほぼ無傷のまま。
「かつての仲間、同族に刃を向ける、か……」
 スマラグダは苦々しく呟きつつも両の手に武器を構え、うつろな表情な少女へと視線を向ける。その瞳に宿る色はなく、考えも感情も読み解くことは出来ない。
「今はただ、彼女に安らかな眠りを」
 呟くイスクヴァの声は感情を押し殺したかのように静かで、起伏がない。しかし文字通りその目に宿る炎は煌々と燃え、夜闇の中、ぼうと浮かび上がる。
 

「はたしてどういった意図があるか話してくれる雰囲気でもない、か」
「今はただお還りいただくのが先決、でしょう」
 少女が言葉に反応を見せないの見て取り、レイヴンと律は軽く言葉を交わしつつ、互いに狙いを合わせ、一斉にしかける。
 闇の中、律の振るう刃が緩やかな弧を描き怪魚の胸鰭を切り落とし、続くレイヴンの蹴りが怪魚の体を地へと叩きつける。
 怪魚達の割りいる隙を与えない連携、ようやく反応を見せた怪魚達の一群を牽制するように飛ぶ裁一の光輪が地へと叩きつけられた怪魚の体を真っ二つに引き裂く。
「なんとも、おいしい所だけ頂いてしまいましたな」
「この調子でいけば大丈夫だよ!」
 順調に進む作戦にみことはさらに指揮をあげるべく七色の爆風を起こしつつ仲間達に声をかける。
「ああ、この程度なら倍いても余裕だな」
 迫る怪魚の攻撃を刀でいなし、もう一体の怪魚へと牽制の影の弾丸を放ち、両者の注意をひきつけるアシュヴィンは言葉の通り余裕をもって怪魚の対処をしているが、決して油断が出来る状態ではない。
 早々に怪魚が一体潰されたことで、敵は慎重になているのか積極的に仕掛けてきていない。
 特に主力とでも言うべきヴァルキュリアの行動は散漫で攻撃を躊躇っているかの様にすらみえる。
 当然ケルベロス達もそれには気づいている。油断はせず今のこの有利な状況を活用すべく、イスクヴァは怪魚へと手にした鎌を投擲する。
 回転するそれは狙いを違わず怪魚の奇怪なぬめる表皮を裂き、深い傷をつける。しかしそれと同時、武器を手放し、無手となった彼女に対し、もう一方の怪魚が体躯に似合わぬ素早い動きでイスクヴァへと飛び掛る。
 攻撃後の隙をついた怪魚の攻撃にイスクヴァは気づきながらもそれを防ぐ手立てを持ち合わせない。
 だが、大きく開かれた口に並んだ牙が貫いたのはイスクヴァの体ではなかった。
 咄嗟に身を投げ出した灰の掲げた鋼鉄製の漆黒の漆黒の爪が、鋭い牙を押し留め、怪魚の一撃を防いでいた。
 攻撃に全霊を注いでいた怪魚はあっさりとその攻撃を防がれたことにより灰の前に大きな隙をさらす。
「避けろ瀬戸口!」
 しかし、焦るように声を上げたのはイスクヴァだった。
 怪魚の体に視界を塞がれた灰はイスクヴァの言葉を信じ。瞬時に攻撃を止め、防御の姿勢をとる。
 瞬間、怪魚の体を貫き、灰の喉元をめがけヴァルキュリアの振るう槍が一直線に突き出されていた。
 間一髪でガントレットでその攻撃を防いだものの、槍の纏う電撃までは防ぎきることが出来ない。
 ヴァルキュリアは槍を引き戻すと同時、怪魚の体を力強く蹴飛ばし軽く飛翔する。
 同時に吹き飛ばされた怪魚の巨大な体躯は、スマラグダが具現化した黒太陽の光から逃れ、その被害を軽減する形となる。
「ねーこ!」
 相棒とでもいうべきウィングキャットの名前を呼びつつみことは灰の元へと駆け寄り魔導書を開く。一人と一匹がそうして治療に当たり、他のケルベロス達はそれを邪魔しようと襲いくる死神の迎撃へと向かう。幸い怪魚の一匹こそ範囲の外に逃れたもののスマラグダの放った黒光の効力はもう一体の怪魚とヴァルキュリアにはしっかりと届いている。
「仲間ごととは、無茶な攻撃を」
 敵を牽制しつつ、先程の攻撃を思い返しレイヴンは呟く。
「仲間というよりも、認識的にはほぼ盾といったところでしょう」
「そりゃ余計に性質が悪いんじゃないのか?」
 律の援護をうけ、アシュヴィンの振るう刀が飛び掛るように仕掛けてきた怪魚の体を押し返す。
「まああちらの事情を探っても仕方ありますまい。あのような奇手も用いると認識した上で爆破することにかわりはないでしょう?」
 再び光の巨人とかした裁一の攻撃に対し、怪魚は巨体を生かし正面から正面からぶつかり合い、力を拮抗させる。そこに再び、ヴァルキュリアが狙いをつけ、攻撃の構えを見せた。
 だが、先程くらったその手をケルベロス達が警戒していないわけがない。
 ヴァルキュリアが動くより早くスマラグダが先手を取っている。
「あたしはあなたの魂だけでも、救済する。魂を、導いてあげる」
 

 予期していなかった死角からの攻撃に、ヴァルキュリアは咄嗟に槍を使い防御に出る。
 スマラグダの右の叩き込むような一撃を柄で受けた瞬間、ヴァルキュリアはその体に圧し掛かるような重さを感じる。そして交差するように振るわれた左の横薙ぎの斬撃も槍を立て受け止めた瞬間、その体を抗いがたい超重力の網が絡め取る。
 手痛い反撃の可能性が薄れたこの好機を逃す手はない、
「此れは、死ぬお前を悼む花だ」
 統率を乱す怪魚の目前、レイヴンが立て続けに六度トリガーを引く。
 薬室内で圧縮された地獄の焔が、射出と同時、弾け、拡散し、無数の焔の尾を靡かせ、怪魚の体を容赦なく破壊しつくす。
 残された怪魚は、もはや自身にできることはこれしかないとばかりに、最も近くにいたアシュヴィンへとその牙を埋める。肩口へと突き立つ鋭い牙が深く沈み、血が溢れだす。
 アシュヴィンはそれを気にも留めず、至近からその刀を抜いた。
「舞い散れ」
 怪魚の胴を斜めに切り上げるような鋭い一刀が走るとともに、その軌跡を追うように、ぶわりと桜が舞う。噴出した血がそれを赤く染め上げ、怪魚の真っ二つになった体が音を立てて地へと落ちる。
 しかし、ヴァルキュリアもそれを指を咥えてみていたわけではない。灰の翼を羽ばたかせ、束縛されたまま無理やりに飛翔し、手にした槍を投擲する。
 それは瞬く間に数を増やし天を多い尽くすほどになると、ケルベロスの一団をめがけ、一斉に飛来する。
「夜朱、頼むぞ」
 治療を終え、立ち上がった灰は自らの頭に鎮座し、ふんぞり返る相棒に声をかける。
「ねーこもお願い!」
 みことも傍らに寄り添うねーこに声をかける。
 二匹のウイングキャットが飛来する無数の槍に対し、力強く羽ばたく。邪気をはらうその羽ばたきはまやかしの槍を跡形もなく打ち払う。
 その瞬間確かに、少女の表情が僅かながらも驚きの色に染まった。


 律の抜き放つ刀の一閃が、ヴァルキュリアの槍に防がれ払われる。
 ケルベロスとヴァルキュリアがぶつかり合うたび夜闇に火花が散り、剣戟の音が響き渡る。
 死神を欠いてなお変異強化を施されたヴァルキュリアとの戦闘は長引いていた。
 少女の体にはケルベロス達との戦いで無数の傷跡が刻まれていたがその動きは未だ素早く、力強い。
「女でも足蹴にする男女平等キック!」
 言葉通りの裁一の鋭い蹴りを槍の柄で受け流しつつ、続くレイヴンの砲撃を耐え凌ぎ、イスクヴァの燃え盛る炎の一撃を翼の加速で回避し、ヴァルキュリアの顔に薄い笑顔が浮かぶ。
 戦いに高揚するかのように、朱のさす頬。
 少女は回避の勢いからさらに加速し、横になぎ払う一撃でケルベロス達をまとめて攻撃する。
 その攻撃を受け流した灰が前に出たところで、少女は牽制の突きを放とうと構える。
 対して灰が巨大なガントレットによる殴打の一撃で先手を取ると、少女は攻撃を中断し後ろに一つステップを踏む。
 だがそれは囮の攻撃、死角から繰り出された影のごとき刃の斬撃が少女の褐色の肌に無数の赤い線を引く。
 それにすら少女は薄い笑みを浮かべ、着地と同時仕切りなおすように槍を構えなおす。
 一連の攻防に傷を負ったケルベロス達をみことが癒し、一息ついたケルベロス達も再び目の前の敵へと集中を高める。
 虚を突くように一番に仕掛けたのは、スマラグダだった。
 静寂を嫌うかのように、踏み出す足音にヴァルキュリアの視線は自ずとそちらへと向く。
 一人飛び出す形の彼女に対し、仲間たちの援護は届かない
 それを本能的に理解するヴァルキュリアは、無謀にも真っ直ぐに突っ込んでくる彼女に対し躊躇いなく全力の攻撃を見舞う。
 虚空から現れた槍を空いた手に、両の腕から繰り出される無数の突きが、スマラグダの体を襲う。
「我が劍、万象捻じ曲げる幻妖の刃よ。天光を鎖し、偽りの姿を刻め――玖之祕劍ヘロヤセフ」
 その無謀な行動が囮であると、生前のまともな判断力のある少女であれば気づけただろう。虚像のスマラグダはどれだけ貫かれようとも傷つくことはない、不可解なその現象に彼女が気づいた時にはもう遅い。
「疾れ、風よりも速く、雷より鋭く」
 イスクヴァの声よりもはやく、それは駆ける。隙を晒し足を止めたヴァルキュリアへと容赦なく襲い掛かる。蒼く光を放つ狼は、その腕を爪の一撃で落とす。音を立てて槍が地に落ちる。既に勝負の行方は見えた。
 少女の顔に浮かぶのは満足げな穏やかな表情。
 その胸元を、狼の鋭い爪が貫いた。


 戦闘が終わったあと静寂と、沢山の戦いの後、そして、少女が振るっていた一本の槍。
 スマラグダはそれをなんともいえない表情で静かに見つめる。
「あたしは、覚えてるから……」
 誰にも聞こえないほどの小さな呟き。彼女が静かに目を閉じると他のケルベロス達も同じ様に黙祷を捧げた。
 ふと、目を開いたイスクヴァが誰にともなく問いかける。
「再び目覚めた彼女は一体、何を思っていたのだろう」
「あるいは意思などなかったのかもしれませんが」
 どこかおどけるように言いながら裁一は続ける。
「戦っている最中の彼女の表情は、爆破したいほどに充実していたように思います」
 その言葉に鼻をならしつつ、しかし否定することもなく律は眼鏡の位置を戻し、
「あの戦いが幾らかの餞になったのなら」
 短くそれだけを言うと、踵を返す。
「そうだな、これで静かに眠れるだろう」
「今度こそ安らかに。永久なる魂の平穏が訪れんことを」
 アシュヴィンの言葉に続き、スマラグダは呟いた後、再びささやかな黙祷を捧げ、地に落ちた槍を拾い上げて仲間達の下へと合流する。
「まだ仕事が残っているからな」
「あたりの修復をしないと、だな」
 レイヴンの言葉に灰が周囲の惨状を見回し、軽く肩をすくめた。それとは対照的に、みことは胸元にぶらぶらと抱いたねーこの片腕をあげつつ元気よくおーと掛け声をかけ、やる気を見せている。
 ケルベロスは散り散りに周辺の修復へと当たっていく。
 激しい戦いの傷跡は消え、一人のヴァルキュリアの少女の痕跡は彼等の記憶と、たった一本の槍だけを残し全て消え去った。
 彼女の眠りが妨げられることはもう二度とないだろう。

作者:雨乃香 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2016年9月6日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 3/感動した 1/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 0
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